はてなキーワード: 尊厳とは
俺は片親で発達障害だ。大前提として、一般的に想像できるような、社会的な生活を送ってはいない。
お前たちが当たり前だと思っている当然のモノを持っていない。
精神医学で変えられるイデオロギーではない。これは確固たる主義の一つである。
俺は死にたい。それは悲観的ではなく、前向きに検討した上での死である。
幸福感には脳内物質が関わっており、運動を習慣化することで、改善できると知っていた。
しかし、この虚無には勝てない。人生とは虚無に始まり、虚無に終わるのだと自覚しているからこそ、一筋縄ではいかないのだ。
感覚は戻らない。
自分の身に起きた些末な出来事に対して、幸不幸を当てはめていくのは、
本当に疲れるし、思考を巡らすのに疲れる。
苦しみたくないので、死にたい。
お前たちに俺が何をやってきたのか話すのも億劫だ。
賢い人間にはなりたくない。
怒りのままに書いたので感情的な内容になったことはお許しいただきたい。
まず、性別問わず誰かに恋愛感情を抱くわけでもなく、性欲も湧かないという、いわゆる『無性愛者』であり、見た目は女性ではあるが、一部の男性的機能も持った半陰陽である。
半陰陽と言えば、フィクションの両性具有、いわゆるふたなりというものを想像する方もおられると思うが、現実世界では、両性の生殖能力を完璧に備えた人物はあまり存在しない。
かくいう私も、男性的機能はほぼなきに等しく、外見は完全に女性と言った出で立ちである。
そんな私が半陰陽だと発覚したのは二次性徴の折、女性よりも先に男性的特徴が強く出てしまったからなのだが、まあそれから数年、私は男として生きた。その方が面倒ではなかったからだ。
その後、なんやかんやで(治療したり)女に戻り、それ以来、一応社会的には女ということで生きている。
だがしかし、性が芽生える時期である思春期を男として生きた経験があまりにも強すぎて、いまだに女の子が好きなのである。
そして冒頭に書いた通り、恋愛感情と性欲が他人に向かない無性愛者。
前談が長くなってしまったが、まあそんなわけなので、生活の一部としてそういう話をしている。
理解されたいとかそういう目的ではなく、「好きな人が出来た」「こういう好みがタイプ」「体型が気になる」「髪型変えた」みたいなノリで発している。いわゆる日常会話である。
そんな私が突然、知らない団体から「DSDsについて未だに誤解が多いため情報アップデートして認識を改めろ(要約)」的なリプライをもらった。
DSDsって何?デュアルSIMデュアルスタンバイで合ってる?知らん人にいきなり失礼するならせめて専門用語やめませんか。
と思いつつ記事をポチッて現れたのは、まさかの『おまえの認識は半陰陽及びそれに類する人たちへの人権侵害です!!(要約)何故ならそれは〜』みたいな記事。
私はただ自分の性別についてツイートしただけなのに、まさかの差別者扱いである。
記事の内容は、男女どちらでもない肉体(半陰陽以外のものも含んでいたのでこう表現します)を持つ当事者たちはこんなに困ってる、尊厳を傷付けられている、と言った内容のもの。
私はただ自分の体と性指向の話をしただけで、私以外の苦しんでいる人々をどうこうという気持ちは全くなかったのに、いつの間にか人権侵害したことにされていた。
と言うか私は当事者ではないのか。
私の尊厳は他の何者でもないお前にたった今傷付けられたが。
あまりに腹が立ったので抗議したがウンともスンとも反応がなく、元気よく「悩んでいる人を救う!」とかツイートしてるので勢いでこうしてまとめた。
自分が自分の性別や肉体のことを話すのが人権侵害になるなら、例えば女性が「今日は可愛く化粧出来た、彼とのデートが楽しみ!」と言うのも、男性が「太ってきたかも、妻と子供と運動公園行こう」と言うのも同じく人権侵害のはずだ。
まあ当たり前の話だが、そんなことは全くない。その文脈で行けば、私が私の肉体と性の話をするのも私の勝手である。
それに人権侵害と噛み付いてくるのは、正直申し訳ないが、おまえが一番性別に関する差別をしていると、私は思う。
まあしょうがないよな、正義の棒で気に入らない奴を叩くだけでスーパーヒーローになれるなら、そんなに気持ちいいことはないからな。
最後に。
私はポリティカル・コレクトネスが必要なものであると思っている。
マジョリティマイノリティ関係なく、みんながより生きやすい世界を作るのには相互理解と許容が必要だとも思っている。
でも、行き過ぎると「当事者が許そうが私のポリコレ棒が許さん!」などと言った滑稽なことになってしまうので、程良いバランスの世界になればいい。
マイノリティな人間にも自分のことを発信する自由くらいくれや。
まあなんか、そういう感じです。
たとえば「女の生理痛は男が金玉を蹴られた痛みと同じ」という言説から考えてみよう。
これは冷静に見れば全然おかしい言葉であることがわかるだろうか。
個人差とかもあるが、それ以前に「自分の感じる痛みを他人のそれと比較すること」はどうやっても不可能なのである。
何故なら痛みという「感覚」自体を、何らかの言葉や図表、量的な指標を用いて他人に伝えることができないからだ。
極端な話、自分の感じる【この】痛みという感覚が、他人の感じる痛みという感覚と同じなのかどうかすらわからない。
自分の見ている赤が他人の見ている赤と同じとは限らない、と言う説明がされることが多い。
ところで質問なのだが、このクオリアという心的現象は、物理現象の一種なのだろうか?
つまり、現在は脳科学が発展していないために見えていないだけで、実際のところ「心の働き」と呼ばれるもののすべては脳神経で起こっているニューロンの発火や電気信号だけで成り立っていて、それらを完全に解析さえすれば上述のような「他人の痛みの比較」も可能だし、人が何を感じ、何を考えているのかといった心的現象も追うことができるのだろうか?
もしくは、意識や感覚といった領域は物理的法則では縛られない世界にあって、ニューロンの発火だけでは絶対に説明がつけられない部分が残るのだろうか?
あなたは
あなたは、意識や感覚などの心的現象は物理法則に則った現象の一種にすぎず、人間の技術力に限界さえなければ、いずれは脳神経学によって解き明かすことのできる類のものだと考えている。
しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは自由意志の問題である。
心的現象が物理法則に則っているのであれば、あなたの「コーヒーが飲みたい」「あの本を読もう」「右足を前に出そう」といった意識はすべて、その直前の脳神経の物理的状態から力学・電磁気学などによって導き出される現象に過ぎない。
そうであるならばあなたの意識と行動のすべては法則に支配されており、自由意志などというものは存在しない。
あなたはこの考えを
あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子や分子が物理法則にしたがって動作した結果であり、そこにあなたの意志はない。
あなたがこの文章を読んでいることも、これからのあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎない。End
あなたは物的一元論を受け入れながらも、自由意志の存在を肯定する。
すなわち、現代科学では解明されていない領域に、自由意志の存在を受け入れる法則が隠れていると考えるほかない。
あなたの自由意志とはあなたを構成する量子の揺らぎの別名であり、シュレディンガー方程式を自在に操って、この文章を読むと言う物理的行為を成し遂げているのだった。End
あなたは、意識や感覚といった心的現象には、ニューロンやシナプスの物理的挙動だけでは理解しえない、物理法則とは別種の法則が働いている領域があると信じる。
しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは物理領域の因果的閉包性の問題だ。
物体が物体に衝突して相互作用を起こす時、それは純粋に物理世界のできごとであって、この現象に対して神や霊魂や祈りなどが作用することによって物理的挙動が変わることはない、と、多くの人間に信じられている。
これを適用するならば、心的現象が物理的実体である脳神経や肉体に干渉をおよぼしてその物理的挙動を変えさせることはない、と言うことができそうだ。
あなたは心の存在を肯定しながら、物理領域の因果的閉包性をも肯定する。
すなわち、心的現象は物理領域に干渉されてもよいが、逆に物理領域に心的現象が干渉することはできないと考える。
では、あなたが「コーヒーを飲みたい」と思って実際にコーヒーを飲むとき、あなたの心の動きが肉体という物理的実体を動かしたことにはならないのだろうか?
すべての前提を整合させるには、こう考えるしかない。「コーヒーを飲みたい」という心の動きと同時に、脳におけるニューロンの発火という物理的現象もまた起こっていて、それによって肉体が動作するという物理的結果を招いたのだ、と。
あるいは、心の動きと脳の物理的現象は実は同一のものの二側面と考えても良いし、心の動きは脳の物理的状態に随伴して起こると考えても良い。
いずれにせよ、この立場を取るのであればあなたは自由意志の存在を否定しなければならない。
あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子や分子が物理法則にしたがって動作した結果であり、その結果にあなたの意志は干渉していない。
あなたがこの文章を読んでいることも、これからのあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎず、あなたの中に確かに存在しているその「心」は、物理的実体に束縛された背後霊のようなものだった。End
あなたは、「物理的実体」なるものが本当に存在すると信じているだろうか?
物理領域の因果的閉包性なるものは、単なる科学主義者の経験則にすぎず、本当は心的現象が物理的実体に干渉を与えて動作させることもできると考える。
今もまた、あなたの霊魂という非物理的実体は、あなたの肉体という物理的実体を操作して、画面をスクロールし、眼球を回転させ、あなたの自由意志のもとにこの文章を読み、それについて何か考えを抱いている。
あなたは、世界とは根本的に心の働きによって成り立っていて、物理的実体、物理的挙動、物理法則なるものはすべて心の働きがあなた自身に見せている虚像に過ぎない可能性を否定できない。
確かに、あなたの目の前にパソコンやスマホがあるといっても、それはあなたの視覚という感覚が伝えてくる像に過ぎないし、触れて確かめようとも触覚が同じことをするだけだ。
あなたは、パソコンやスマホが目の前に「実在」すると断言できない。
あなたの脳は培養液に浮かび、接続された電気コードから絶え間なく信号を与えられている存在に過ぎないかもしれない。
もしくはそんなものもなく、世界などというものは根本的に実在しておらず、観念的な情報が漂っているだけの存在、それがあなたなのかもしれない。
今もまた、あなたの自由意志は、あなたがあなたの指であると思っているものを操作し、あなたが文字であると思っているものを読み進める。
恐れることはない。あなたの実体がなんであれ、あなたという意思の主体が存在すること自体は、他ならぬあなただけは絶対に否定できないのだから。End
尊厳なんてものは人類社会を有耶無耶にして破局的な種の破壊行為を防ぎ有耶無耶にして安全を維持するための方便みたいなものだから尊厳はインフレもするし取引主体によって価値も変動する。気にするな。おまえが生き抜くにはおまえらで強くなるしかない。要するに宗教を作れ。
【IWJブログ】ネット上で「朝鮮人を殺す」「虐殺する」と差別・脅迫の書き込みをしていた「ヨーゲン」の正体 〜詐欺容疑で逮捕された57歳の「ネトウヨ」男は10代の子供を持つ父親
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/151383
と
NHK武田真一アナ 木村花さんへの誹謗中傷「やりきれない」 リアリティー番組「私たちも考えないと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac76b1f9097c15515aa3aad99c80ad44a864c040
は
そしてチー牛と常に一緒に同列に語っていいはずだ
まさか誹謗中傷がだめだとおっしゃる方々は、黒人と木村花と在日朝鮮人とチー牛で尊厳が違うといわないよな
介護だと介護される側が若い女性(障害者など)の場合は男性介護士はつかない所も多いらしいね
黒人差別が話題だ。Twitterのタイムラインを見れば毎日毎日、飽きるほどに論じられている。私は差別問題に詳しいわけではないが、黒人の置かれた状況に対する一定の同情はあるし、黒人差別に限らず差別と呼ばれるものはなんであれ、少しでも減ってほしいと心の底から願っている。これは嘘偽りのない本心である。
だから、私は黒人差別も少しでも改善してほしいと思っているし、現在熱心に活動している方々を応援してもいる。しかし、その一方で、自らが受けている差別に対して声を上げられること自体に嫉妬を覚え、結局、黒人差別は自分とは無関係な問題だと思わずにいられない。このことについて少しだけ書かせてもらいたい。
唐突だが、私は激烈なブサイクで、ついでにADHDである。小・中・高と容姿(と言動)が原因で酷いイジメに遭い、それが原因でうつ病も患った。25歳現在も治療中で、社会復帰は望めないのが現状だ。私は今、「イジメに遭った」と言ったが、要するに、「容姿差別を受けた」ということだ。(「障害に対する差別」もあったかもしれない。)
私は、容姿差別、特に思春期におけるそれが解決可能な社会的問題だとは思わない。中学生(特に女子)の、本能的に気持ち悪いと感じたヒトは誰であれ人間として扱わない態度を思うとき、ブサイクな生徒が公立中学校で尊厳を保って生きていけるとは到底思えない。稀に、自分の容姿のマズさを自覚したうえで社会的に上手に振舞う、という高度な社会性を備えた中学生もいるが、あらゆるブサイクな中学生に対してあれほどの社会性を要求するのは社会的に公正ではない、と私は思う。
容姿差別は「チー牛」画像の広まり方を見ても分かる。あの画像は、社会が「ああいう容姿」の人間をどれほど見下しているかを的確に表現している。しかしあの画像を容姿差別だと言う人はほとんどいない。当事者でさえあれはギャグであると受け止め、自ら率先してネタにしていかなければならない空気が出来上がっている。「チー牛」画像に対して「差別だ」と声を上げることは単純にダサく、空気が読めず、そんなんだからお前は「チー牛」なのだ、と言われるべきことなのだ。
要するに、私は「容姿差別が解決した社会」を強く願うが、どうすれば実現できるか全く分からないし、そもそも、そのような社会を想像することすらできない。一方で、黒人差別に反対している人々は「黒人差別が解決した社会」を明確に想像することができるし、実現のための具体的な方策も見えている。私にはそれが(皮肉とかではなく純粋に)羨ましい。自分の経験した、また経験している差別問題には解決の糸口すら見えず、同じ問題意識を共有してくれる人もおらず、ただグズグズと感情が腐って毎日サインバルタとデパスを飲むだけの私には、差別問題に真っ向から向かっていく姿はきらきらと輝いて見える。
そして、黒人差別が解決したとしても自分は容姿差別を受け続けるのだと思うと、黒人差別は自分とは全く関係のない事柄に思えてくるのである。差別は少しでも減ってほしいし、「みんな」が仲良く暮らせる社会が実現すればどんなに良いことかと思うが、「私以外のみんな」が仲良くしていても私はちっとも嬉しくないのだ。
男は生涯を通じて「性欲」というパッシブスキルを背負う生き物だ。
たったこれだけ、何の変哲も無い毎日を送る間に、一切の脈略無く性欲ゲージが溜まっていくのが男という生き物だ。
自慢じゃないが、私は10代前半の頃に1日8回オナニー生活を送っていた時期がある。
8回もオナニーすると射精はもはや機能していない。むしろ勃起すら怪しい。
生物学的にこの行為には1ミリも意味が無い。だが新たな機能の獲得を感知した私の脳がバックグラウンドで命ずるのだ。なんとなくその快楽の向こうに私の生物学的ゴールがあるよと。
私はそれに抗えない。まこと恐ろしい話である。今やったら死ぬ。
動物の例を出すまでもなく、自分が生まれてきた機序とか同族を増やす意味とかそういう後付けの一切合切を踏まえずに最初から備わっているもの。それが性欲だ。
意味など知らぬ。でも「ある」のだ。
ちなみに私はオナニーの方法について外部から一切の教材を得ていない。ある時ふと気がついた。
とはいえ、幸か不幸か人類は他の動物よりほんの少しばかり余計に理性を得た。
そして、そういう性欲を野放しにすることはどうもよろしくないという合意に至った。
ゆえに男は「性欲」というパッシブスキルを制御するため、さまざまな追加効果を学習するようになる。
その最も基本的なものが「合意無しに相手を襲わない」というものだ。(当然ですね)
予防線として言っておくが、私は決して「だから男は性欲を我慢して頑張ってるんだ」とか、「女を襲わない男は偉い」ということが言いたいのではない。
しかし悲しいかな、パッシブスキルはプレイヤー以外の目に見えない。
自分のことならまだしも、周りの男がどういう性欲のスキルツリーを育てているか、またその中で追加効果を正常に学習できているか、単純に「わからない」。
女性もそうなのかもしれないが、これは男性間であってもよほど親しくないと開示されない情報で、「男が女を愛する」という単純な概念を共有して暮らしているわけではない。
男性同士の姓に関する際どい会話のやり取りからそうではないと思われているかもしれないが、あれは発話者に調子を合わせているだけであって自身の本来の性欲や性癖とは必ずしも一致しない。
白状すれば、実は自分の性欲が世間一般に照らして正常なのかどうかもよく分かっていないのが実情だ。
先に述べた基礎的な部分での学習ができていないのは論外としても、性欲スキルツリーを細かく見ていくと、公序良俗といった社会合意の中で「一般的」とされているものから逸脱した性欲を抱えている個体がいる。
しかし恐らくはその個体でさえ、法律など外部決裁を経ない限り、自分が抱える性欲の良し悪しを本心から信じているわけではないだろう。
ゆえに男が現代社会で男性と女性双方の尊厳を守りつつ暮らす上での最良の方法が、「性欲は内心の領域に留めておきこれを侵さず、他者に危害を加えないなどの基礎事項を守る」という処世術なのである。
しかし感覚値として、この男性が取りがちな「行動しないことで何かを守る」という行動様式はどうも女性に理解されにくいようだ。
男は女性を大事にしたくないわけではない。ただ双方に配慮した今以上の方法もまだ見つからない。
ラブドールの一件で思うところがあったので描いてみた。
緊急事態宣言直前にブラジリアンワックスしてきて、また生えてきたので、思い返す意味でブラジリアンワックスの感想をまとめる。
ちなみに私は男です。
一応行ったところはホットペッパービューティーで予約したところで、更に男女両方とも予約できたので、いかがわしいところではないんだけど、場所がマンションの一室なのにまずは驚いた。
いかにも看板で「VIO脱毛!メンズ歓迎!」みたいな感じじゃなかったので入るときに周囲の目が気にならなかったのはありがたいけど、マンションが(当たり前ながら)オートロックなので、部屋番号を押して「VIO脱毛の予約をした〇〇ですけど……」みたいな感じで入るのすげー緊張したし、「こういう闇風俗あるよね、知らんけど」みたいな気分で若干そわそわしながら入った。
店内の雰囲気も「ちょっとアジアンな香りがするクリエイターズマンション」みたいな雰囲気がすごくて、三十代のオッサンが居て良いのか結構微妙な雰囲気を感じたし、更にいうと店内には女性一人しかいなかったので、ちんこまるだしで女性と一対一で脱毛受けるのは割と緊張と興奮がないまぜになる感じだった。
簡単なカウンセリングを受けながらきょろきょろしてしまったが、VIO脱毛したら是非、みたいな感じで女性向けのエロエロランジェリーとか普通に売ってたので、基本的なターゲットは女性なのだと思う。
ちなみに料金は女性だと9000円、男性だと12000円だった。
「それじゃあ下半身全部脱いでそこのベッドに移動して、上からベッドの上のヤツで隠しておいてください」って言われて、着替えタイムスタート。
おしゃれなマンションの一室で下半身を丸出しにするっていう背徳的すぎる行為に息子が反応しそうだったので軽く深呼吸しながら脱衣。
おしりふきがサービスであったので、ちゃんとおしりのあなをふいておいた。うんこついてたらイヤだし。ちなみにやっぱりちょっとうんこついててシャワー浴びてきたのに軽くショックを受けた。おれのケツはシャワー浴びた後もうんこついてるんか……
下半身全部脱いでベッドに目をやると、バスタオルくらいの大きさの超薄手の不織紙みたいなのがあって、股間に乗せてみたけど普通に全部透けてて「これ意味あんのか」って思いながら隠した。
ブラジリアンワックスは大体人肌よりちょっと温度が高い「ワックス」を薄く延ばして、乾いたら毛を巻き込んでベリッてはがす、「より毛がはがれやすいように魔改造されたガムテープ」みたいな感じのものというのはみんな知ってると思うけど、それをいざ自分の身で(しかも股間で)体験するとなるとやっぱり衝撃はすごかった。
まず思った以上に熱い。
股間は皮膚が薄いのもあって、熱を感じやすいらしく、「え?これで人肌よりちょっとぬるいくらい?マジで?」ってくらい熱い。
そしてワックスが乾いた後、皮膚をまっすぐに伸ばしながら毛の生える向きとは逆にベリッ!って勢いよくはがすんだけど、これが絶妙に声が出ないくらいのギリギリのラインで痛い。
なんと言うか指を勢いよくなんかにはさんだ時のような、「あまりの痛さに絶対血が出てるって見たら全然血は出てないし内出血もしてない」みたいな状態。
動いて我慢するわけにもいかず、だんだんワックスを塗られた瞬間に「次に痛いのが来るぞ」って全身が緊張してこわばって汗がどっと噴き出てくるようになってくる。
特に玉袋のところが痛くて、皮膚を引っ張りながらベリッベリッてやられるので、とにかく痛い。
ちなみにOラインは全然痛くないけど、尻たぶをぐいって開かれてからワックスを塗られ、乾くまで尻を広げた状態で(十秒程度)眺められているのがわかるので、色々と人間としての尊厳を失うことができる。
よくブラジリアンワックスの体験談とかで「だんだん痛みに慣れてきた」とかありますけど、あれ嘘ですよね。慣れない。
あと風俗体験風な感じで「勃起してしまいました」とか「射精してしまいました」とか言うてるけどあんなもんで興奮するのは結構ヤバいと思う。
仮に触られて勃起したとしても、痛みのせいですぐしぼむでしょあれ。そういうプレイを売りにしてるエステとかあるんかな。
で、汗だくになりながら施術が終わって、服を着て良いですよー、と言われたんだけど、これTシャツとか着替えほしいね。
終わった直後はとにかく赤みがすごいし、特にVラインはもともとの皮膚が白いところが赤くなって更に毛穴が開いてるからかぼつぼつしてて、鶏の皮みたいな状態になってたけれど、最初の2日はぬるめのシャワーと、顔に使う化粧水(乳液が入ってない奴)をVIOにもパシャパシャつけてた。
そのあとはお店の人曰く「ボディスクラブ使って肌を柔らかいままで維持してくれれば次のワックスは痛みがほとんどないですよー」と言われたけれど当時はあの痛みをまた受けたくなかったのでそこまではやってない。
まず玉袋に毛が生えてない状態は、臭くなりにくい感じがした。
玉袋の毛って縦横無尽な方向に生えてるから、洗う時もわしゃわしゃ頑張って洗うんだけど、あんまり洗えた感じがしないというか、実際夏場とかだと一晩経つとちょっと臭いじゃん。
緊急事態宣言の間であんまり外に出なかったし長時間同じパンツを穿いてることが無かった(手持無沙汰すぎて1日2回くらい履き替えてた)というのもあるけど、蒸れた臭さはあんまり感じなかった。
あと尻毛が無いのは何よりうんこした後の快適さがすごい。一拭きでめっちゃ綺麗になるし、ウォシュレットも「効いてる~~~!」って感じがある。
施術した時におしりふきしたけっかうんこがついてた事件が結構自分の中でかなりショックだったので、Amazonでおしりふきを買ってたまにおしりを拭いてたんだけど、あれ以来ほとんどうんこついてなかったので、本当に効いてるんだと思う。思いたい。
ちなみにちんこのま周りに毛が無いことで得した感じはあんまりなかった。
昔Amazonで試しに買って、あまりの毛のはみ出っぷりに封印したローライズボクサーを改めて穿いたら毛がはみ出なかったので「あ、こうやって履くのね」みたいな発見をしたのと、なんか暇なときにすべすべだから触ってニヤニヤしちゃうくらい。
オナホールからローションがこぼれてきたときに拭きやすいとかもあったけどいずれにしてもその程度。
とりあえず玉袋と尻周りの毛が無いと、「QOL上がってる感」を実感できたので、生えてきた今、ちょっとだけつるつるだった当時が恋しくなる。
で、二か月以上経った今、またももじゃってきたので、改めてもう一度ブラジリアンワックスをするか、っていうと、ちょっと悩むところ。
つるつるの状態をキープっていうと、二か月周期じゃ遅いので、年に10万以上を股間ベリベリされることに使うわけで、なかなかな高額だと思う。
あと、今回VIOだけやったけれど、やっぱりこれだとギャランドゥ部分も処理したくなるし、ふとももも処理したくなる。
要は股間とアンバランスにならない程度に薄くしたい欲求が出てくるので、そう考えるともっとお金がかかると思う。
ただ、股間がつるつるで生活の質が上がってしまったことは事実。悩む。
ちなみに、医療脱毛で全身つるつるにすれば良いのでは、と軽く調べたんだけど、5回で毛量が半分くらいになる、って書いてあったんだけど、その5回で40万かかるのでビビった。
仮に毛が減る速度が一次関数的だったら0にするには10回行かないとダメで、ってことは80万かかるってことでしょ。
80万あったらニンテンドースイッチのソフト120個買えるやん……永遠に遊べるわ……
私はVTuberが苦手だ。嫌い・憎いと言っても良いかもしれない。
現在のインターネット上のオタクコミュニティにおいてVTuberの話題を避けて通ることはまず不可能である。
「嫌いならば放っておけばよい」という論理はもう通じないほど蔓延っている。降りかかる火の粉だけで死ねる。
初めて概念を知ったのは某ネットカフェのポータルに表示されていたキズ〇アイである。何年前だっただろうか。
今まで思いつかなかったコンテンツモデルの登場に強い衝撃を受けたことを覚えている。
「動画コンテンツはこれから大きな一歩を踏み出すのだ」と興奮と期待を胸に抱いていた。
それからしばらくして、いわゆる「四天王」というものが台頭しだした。
どれも個性豊かで、今後このコンテンツが新しいステージに進むのは間違いないと信じていた。
ペラペラのモデル、よくわからない雑談配信、オタクに媚びてキャラクターを捨て去るリスペクトのなさ、どれも不快極まりなかった。
しかしどうであろうか?瞬く間に勢力を拡大していくではないか。
ただの生主が皮をかぶっただけ、先駆者へのリスペクトのかけらも感じられないにも関わらずである。
めんどくさいオタクだと思われただろう。実際めんどくさいオタクだから仕方ない。
それからしばらく経ちVが浸透し、もう一つ感じ始めた不快感の原因が「よくわからない内輪揉め」である。
ただ、内輪揉めが主たるものではあるがそれだけではない。
前述のリスペクトのなさともつながるのだが、とにかくキャラクター・世界観の軽視が目に付くようになってきたのだ。
にも関わらずどんどん流れてくる内輪揉め情報・運営の不義理・キャラクター崩壊を嬉々として受け入れるオタクたち。
強制的に受容させ続けられる情報により、毎夜毎夜この思いは強固になる。
インターネットから離れればよいという話もあるのかもしれない。
離れれば楽なのだろうが、私はろくな人生を歩んでいるとは到底言えない。
心の底からインターネットに依存しきってしまっている。離れることなどできない。
何も考えずに書き殴ってしまった。論理破綻のオンパレードなのかもしれない。
ただ、私はやはり許せない。
コンテンツの尊厳をないがしろにしたVTuberというものが憎い。
結局子供のわがままだったり、オタクとしての老いだったり、その程度の思いなのかもしれない。
いつかこの憎しみを受け入れ、純粋にコンテンツに向き合えるようになった時、「こんなことも思っていたな」と笑えるようにここに記す。