私はVTuberが苦手だ。嫌い・憎いと言っても良いかもしれない。
現在のインターネット上のオタクコミュニティにおいてVTuberの話題を避けて通ることはまず不可能である。
「嫌いならば放っておけばよい」という論理はもう通じないほど蔓延っている。降りかかる火の粉だけで死ねる。
初めて概念を知ったのは某ネットカフェのポータルに表示されていたキズ〇アイである。何年前だっただろうか。
今まで思いつかなかったコンテンツモデルの登場に強い衝撃を受けたことを覚えている。
「動画コンテンツはこれから大きな一歩を踏み出すのだ」と興奮と期待を胸に抱いていた。
それからしばらくして、いわゆる「四天王」というものが台頭しだした。
どれも個性豊かで、今後このコンテンツが新しいステージに進むのは間違いないと信じていた。
ペラペラのモデル、よくわからない雑談配信、オタクに媚びてキャラクターを捨て去るリスペクトのなさ、どれも不快極まりなかった。
しかしどうであろうか?瞬く間に勢力を拡大していくではないか。
ただの生主が皮をかぶっただけ、先駆者へのリスペクトのかけらも感じられないにも関わらずである。
めんどくさいオタクだと思われただろう。実際めんどくさいオタクだから仕方ない。
それからしばらく経ちVが浸透し、もう一つ感じ始めた不快感の原因が「よくわからない内輪揉め」である。
ただ、内輪揉めが主たるものではあるがそれだけではない。
前述のリスペクトのなさともつながるのだが、とにかくキャラクター・世界観の軽視が目に付くようになってきたのだ。
にも関わらずどんどん流れてくる内輪揉め情報・運営の不義理・キャラクター崩壊を嬉々として受け入れるオタクたち。
強制的に受容させ続けられる情報により、毎夜毎夜この思いは強固になる。
インターネットから離れればよいという話もあるのかもしれない。
離れれば楽なのだろうが、私はろくな人生を歩んでいるとは到底言えない。
心の底からインターネットに依存しきってしまっている。離れることなどできない。
何も考えずに書き殴ってしまった。論理破綻のオンパレードなのかもしれない。
ただ、私はやはり許せない。
コンテンツの尊厳をないがしろにしたVTuberというものが憎い。
結局子供のわがままだったり、オタクとしての老いだったり、その程度の思いなのかもしれない。
いつかこの憎しみを受け入れ、純粋にコンテンツに向き合えるようになった時、「こんなことも思っていたな」と笑えるようにここに記す。
現在のインターネット上のオタクコミュニティにおいてVTuberの話題を避けて通ることはまず不可能である。 俺の周りは誰もVTuberの話とかしないし、そのコミュニティがお前に合ってな...
典型的なわがままバカ コミュニティが思い通りにならないからヤダ!っていうやつ 君にコミュニティを操作するようなパワー無いんだから 僻地に引き込もれ
会社に所属してるVTuberのことをにじさんじって言うのかと思ってたわ違うんだな