はてなキーワード: 募集とは
おれニートだけどさ、ずーっと付き合いある友達は何人かいて、よく仕事の愚痴とかいろいろ付き合うんだけどな(話聞くのとか好きで平気な方なので、電話で3時間とか)
まぁ確かにここまで酷くはないんだけど、中小の身内企業というか、そういうとこでは結構あると思うよー。上は現場なんてそんなしっかり見てなかったりして、ひどい罵倒とか、社長や専務の思いつきでころっと方針が変わったり、結構聞いたな。そこもバシバシ人辞めてて「辞めたら募集すりゃいい」くらいに考えてる風な感じとかね。
もちろんおれは、友達から聞いてるだけだから、どこまでどうなのかはわかんないけど、無いとは言いきれないと思うよこういう話。
マクドナルドや牛丼チェーンにご飯どきに行くととにかく混んでて待たされる。
店で食べる人と持ち帰りの客がごちゃごちゃになってる事が多い。
レジを待たされるし一番嫌なのはゴミを捨てに行くタイミングもないのか、ゴミ箱が溢れてること。
不衛生だし見た目も悪いからなんとかしてほしい。
こういうのは大体あと1人か2人従業員が足りないせいで起こってる。
募集しても来ないのかそれともこの人員で大丈夫と思ってるのかわからないけど従業員が足りてない。
1店舗閉めてそこで働く人をほかの店にまわしてくれないかなと思う。
こういう話したら「我慢しろ」と言われたんだけどだとしたらチェーンの本部が客に我慢を強いてるってことになるだろうよ。
なんとかしてほしい。
里親募集サイトとかを見てても立ち耳巻き尾の柴犬のできそこないみたいな野犬の子ばかりで全然飼う気が起きない
しかも性格も警戒心強めとか、それもう人間が飼うのに適してなくない?!
大っぴらには言えないけど、人懐こくて飼いやすい形質の未去勢のオスを何匹かしばらく放流したら野犬問題って無くなるんじゃないかな
飲食のバイトしてて、最寄り駅に着くのが0時ごろなんだけど毎回親が迎えに来てくれる。
面倒だろうし来なくて大丈夫だよって伝えても迎えに来てくれる。
女の夜道は怖い!の一点張り。
それに対して感謝はしてるんだけど、いざ家に帰って鏡を見ると辛くなる。めちゃくちゃブスだから。
女友達はいるけど男友達はいたことないし、まず関わりがない。なんなら中学校ぐらいまで、リーダー格の男子からはブサイクって指差されてた。
(高校以降は皆大人になったのか表立って揶揄われることはなくなった)
大学入りたての頃、友達と二人で歩いてるときに体育会系のサークルの勧誘を受けたことがある。
女子マネージャー募集してます、良かったら新歓来ませんかって。
私には目も合わせてくれなかった。一緒にいた友達が可愛い子だったから余計に私のブスさが引き立ったのかもしれない。
結局その子が一緒に行こ!って誘ってくれて、でも肝心のその子がバイトの面接で行けなくなって私だけ新歓に参加することになって。
ミスコンに出るような可愛い子の輪の中に冴えない私が入って、泣きそうになった。
家に帰って親にこの話をしたら、何を言うてんねん!〇〇も可愛い!とフォローされたのも辛かった。
その後どこのサークルを見学しても、女の子とは仲良くなれたけど男の子とはまるで話せなかった。
相手はもしかしたら顔なんて気にしてなかったかもしれない。でも避けられているような気がしてならなかった。
だから、親に心配されるといつも悔しいような悲しいような気持ちになる。
夜遅くに一人で出歩くなよ、とか先輩に酒飲まされないように気をつけろよ、とか。
他の女の子だったらそんな危ない目に遭うこともあるだろうけど、私が遭うわけねえだろって思ってしまう。
何の心配もしてくれないような薄情な親よりはマシだと思う。仲がいいだけマシだ。でも、これはこれでキツい。
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
「創作をネット上にあげている人はみんな感想に飢えている」みたいな話は定期的に出るが別にそうとも限らないよ
自分も含めてそういう例はいくつか見てきたのでちょっと書いておく
知り合いの絵描きはインプレッションが増える(たくさんの人のTLに表示される=たくさんの人に見て貰える)のが一番嬉しいらしい
別に感想はなくてもいいのでインプレッションの数字が伸びるのが快感だと言ってる
「感想はお返事できませんが読んでいます」とか書いていちいちリプライしないようにすればいいんだがそれが性格的にできないような人なら最初から募集していなかったりする
「感想でも何でもない悪口を送られた」「感想をきっかけにリアルで下心を持って親しくなりたがる人がいた」などの経験がある人
作者を大事にしてくれる嬉しい感想ばかりならいいけどそれだけを選別して受け取ったりできないのであれば最初から受け付けない&感想をもらわなくても続けられるメンタルになる方が早い
感想をもらいにくいジャンル(オリジナル)で活動してるしまあそんな反応ないよな~と思っているがメディア欄や支部に作品が増えていくのは見ていて楽しいのでやってる
もらえること自体は嬉しいので感想フォームは置いていて年数回くらい何か来るとすごく嬉しい
「感想がほしくないならなんでネットにあげてるの?」って人には逆に「感想がほしくてネットにあげてるの?」と聞きたい
じゃあ自分の描(書)きたいものがオリジナルやマイナーな作品の二次創作で感想がもらえなかったらやめるの?今大人気でいっぱい見てもらえる作品の二次創作描いてあげるの?感想をもらいたいためだけに?
これも普通にあるでしょ
また自分語りになるが趣味じゃなく仕事で社内向けツールを作っているが「増田さんこんなの作れてすごい!」「さすが増田さん!」って褒められまくるよりも多くの人が使ってくれてる方が嬉しいし(利用者が多いなら別に個別に褒められなくてもいい)給与にフィードバックされる方が嬉しい
実際は「感想は送ってほしくない・送られるとモチベーションが下がる人」「感想がなくてもモチベーション下がらないしあっても上がらない人」「感想がなくてもモチベーション下がらないがあれば上がる人」みたいな温度差はある
なので「感想がいらない人って何のために創作してるの??ほしいに決まってるじゃん!!」はあまりにも短絡的
本気でいい作品だったと思うなら感想送ればいいしリプライでもフォームでも引用RTでも言えばいいよ
作者本人が「~~~なので感想は受け付けていません」って書いてれば直接送らなければいいだけ
でも自分がいい!!と思った気持ちを表現するのは禁止されてないし(感想をネット上にあげないで下さいって作者なら別として)
自分は基本的に感想受け付けフォームを設置していたり奥付にQRコード載せてるような人なら送るが返事は期待しない
特にそういうのない人なら直接は送らないけど自分のアカウントで紹介して感想をつぶやく(特に受け付けてなくても気になる作家さんならエゴサして見つけるだろうし)
作者に伝えてありがとうございますって言ってもらいたいわけじゃなく自分が良かったと思った気持ちを表現したいので
今在籍している職員の社会的属性と査定状況の突き合わせをベースとして、入庁後に活躍できそうな要素、逆に活躍できない可能性がある要素について、各面接室のリーダーに共有していた。
また、受験者の内定受諾関係の統計から、実際に内定を受けてくれる可能性についても情報を与えている。私がK市の職員台帳(驚くほど何でも載っている……)のエクセルを弄りまわして統計分析にかけた結果、導き出したものだ。
このチェックリストに該当すると、面接官の主観的要素において面接結果に作用することになる。その一部を示そう。□がポジティブで、■をネガティブとしている。()内は備考。
以下のリストには、面接試験の最中に情報を得にくいものもあるが、2次試験で配布する指定用紙に記入欄を設けることでほとんどカバーできる。
【ポジティブチェックの例】
□ 男性であり、結婚している(必ず優秀というわけではないが問題職員になりにくい)
□ ひとつの組織で3年以上働いたことがある(入庁後に早期離職しない)
□ 出身校(小中高)の2つ以上がK市内にある(地元への愛着がある)
【ネガティブチェックの例】
■ 女性で子どもがいる(公務よりも子どもを優先する者が多い。入庁1年目での産休や育休など)
■ 男性であり、30才以上で親と同居(子どものような性格や行動をする人間が多い)
■ 他市町や民間企業の残り玉がある(内定受諾率が有意に低い)
■ 入庁後にK市に住む意思や予定がない(〃)
※1…あくまで面接官への情報提供である。面接試験は100%採点表に基づいて実施される。
※2…病気や障害、家庭環境など、本人の生き方と関係ない要素はどれだけ査定と相関関係が強かろうが情報提供はしていない。一応付言しておく。
第3章の終わりに、「とはいえ、内定を取るための裏技もあるんでしょう!?」と気になっている読者に、何点かの特別事項を示して結びとする。いわゆるコネというやつだ。
ここでは、合法的なコネ(採用試験の前に自分をアピールする方法)について2つの観点により説明する。非合法なやり方は示さない。
これが一番手っ取り早いうえに、やる気をアピールできる。ここでは、あなたが学生もしくは若年層だとする。
官公庁はあまりインターンシップをやらないし、やったとしても狭き門だ。しかし、一般向けのイベントであれば、ちょっとのやる気で意欲を示すことが可能だ。〇〇美術展や〇〇スポーツ大会、〇〇コンペなど、誰でもエントリーできる行事に参加してみるのだ。何年も参加していれば、幹部クラスの職員に顔や名前を覚えてもらえる。
ここでは3つ、前例を示す。
①.
K市の美術展で中学生の頃から入賞し、高校生の時には全国レベルの賞をもらった子がいた。その子の面接官を務めたのは、当時の美術展の所管課において責任者を勤めていた人物だった。その子は3種類の面接試験を危うげなくパスし、内定を獲得した。面接官いわく、「エントリーシートを見た時点で入庁してほしい」と感じていたとのこと。
②.
成人式の新成人代表で祝いの詞を述べた子。その子は、K市の広報誌の募集を読んで新成人代表への挑戦の意を表した。祝いの詞を自分で考え、成人式のステージで発表を行った。その子は、翌年採用試験を受けたが、残念ながら不合格だった。おそらくだが、祝いの詞の最後に、「将来はK市の職員になりたいです!」と言ってしまったため、自意識過剰であると捉えられた可能性がある。惜しいパターンだ。
③.
子ども議会で将来のK市についての政策提言をまとめた子。当時は中学3年生だった。それが大学を卒業する段になって、K市へのUターン就職を決意し、採用試験を受けた。その子が政策提言を発表した時に議場にいた職員らが、面接を受けた時には上級の職へと昇進していた。そのうち1人が、当日記の序盤で登場した副市長だった。その子は最終面接で最高の評点を与えられ、晴れて主席内定者となった。ただ残念なことに、その子は内定を辞退した。その人に内定を出した時の副市長の嬉しそうな顔と、また反対に落胆した顔は今でも忘れられない。
これが広義のコネだ。一般の人が想像しやすい形だろう。人事への働きかけができる人間に自分を推薦し、点数を底上げしてもらうのだ。これは、ある程度選ばれた人しか使うことができない。
ところで、世間的には極端なイメージでもって、こうしたコネ(縁故)が語られることが多い。まずは、昭和から平成初期までに行われていた伝統的なコネ採用について説明する。
(以下、説明)
昭和の時代にこうした採用が行われていたのは、公務員業界が人手不足だったからだ。K市の昭和60年頃の採用試験倍率は、2.5倍程度である。最低でも10倍はほしいところだ。あまりに倍率が低すぎてロクな人材がやってこない。そんな状況の中、冒頭で述べたA夫さんのような人が多く採用されていた。
当時の地方公務員(特に市役所)は、『民間企業で稼ぐ力や意欲のない、覇気のない人間がなるもの』とされていた。今でこそ、上場企業の平均年収≒地方公共団体の平均年収という関係が成り立っているが、当時は上場企業の方が明らかに高かった。私の記憶では、当時は年収ベースで1~2割程度は上場企業が上回っていた。え、なに? 私の年齢? フミコフミオ氏と同じ年だ……。一応、家内もいる。社会福祉協議会に勤めていて、ひたむきな性格の優しい人だ。
話を戻そう。そんな状況だったので、昭和時代の幹部職員は、役場内の優れた職員の子どもや、地元有力者の子弟や、町内会長の紹介など、使える手はすべて使って優秀な人材を確保しようとした。コネ採用は当時も違法行為だったけれども、時代が許していた。
それがバブル崩壊の数年後を機に、公務員人気が高まるにつれて違法行為の様相が強くなった。コネ採用が判明した一部の自治体は、首長などの幹部職員が引退や検察起訴に追い込まれるようになった。K市においては、1995年頃を境として、それまでとは比べ物にならないレベルの人材(一流大卒や民間経験5年以上など)を採用できるようになった。
(説明終わり)
とあるAさんが、いま在住している自治体の職員になりたくて、かつ上の条件を満たしている(親が優れた職員である、地元有力者に知り合いがいるなど。以下まとめて『有力者』とする)のであれば、以下の手順を満たすことで、法を犯すことなく自分をアピールできる。
[ステップ1]
Aさんが『有力者』に対し、自分を市の幹部に紹介してもらえないか尋ねてみる。
[ステップ2]
Aさん側の『有力者』が、採用試験の責任者(または特別職)と会談する。「あの人とこういう繋がりの〇〇さんという人が、今度採用試験を受けます」と連絡する。相手方は、「ほう、そうなんですね」と反応する。これでステップ2は終わりだ。
※これ以上は発言するべきではない。例えば選挙に出たい人がいたとして、告示期間前であれば、「〇〇選に出馬します!」と宣言するだけなら公職選挙法的にセーフとされているだろう。それに似ている。
[ステップ3]
ここからは時と場合による。文書に残さない形で協議を重ねることもあるし、協議自体が行われないこともある。なんというか、こういう形の行為というのは「空気感」である。
コネ採用を行ってはならない――という考えは、幹部職員や特別職の間でも共通見解である。ここまでリスクとリターンが嚙み合わない行為はない。表沙汰になった時点で、どんなに偉い人間でも職を辞さねばならない。検察への起訴もセットだ。
後は、Aさんが筆記試験で足切りにならない程度の点数を取ればよい。採用試験の責任者がAさんに配慮してかせずか、そういう結果になるように面接試験のセッティングを行う。以上だ。
身も蓋もないことを言う。地元有力者の子弟は、こんなことをしなくても普通に採用される。当人の能力や人格レベルが素で高いことが多いし、事前情報がなくてもわかるのだ。外見に、苗字と出身地、その他履歴書の内容だけで「あの〇〇さんの子どもか血縁者だな」と。苗字が珍しいことが多い。
市役所の採用試験であれば、能力よりも人格や人柄を見る。私が面接官を行っていた〇年間において、最終合格者の筆記試験最低点は35/100だ。35点しか取れなくても、一次試験の面接で5段階中の4がつけば無条件で二次試験に到達できる。理論上は0点でも通過可能だ。さすがに二次試験で落ちるだろうが……。少なくとも、K市の採用試験はそういうルールで運用していた。
ちなみに、35点の子は笑った顔が素敵だった。話し方はふんわりとしていて、それでいて長すぎず短すぎず、話の内容も伝わりやすかった。こちらの質問の意図も理解している。性格適性検査の結果も正直者と出ていた(あれは信用できる。統計学の力は偉大だ)。市長も、副市長も、かくいう私も、あの笑顔にノックアウトされてしまった口だ。今思い出してもあれはずるい。
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
顕◯会
3回(うち2回同じ人から)
ネットワークビジネス(以下マルチと書く)
2回(うち1回は通話だけ)
どこで知り合ったか
食べ物と飲み物大量持ち込み→友達同士でもやりそうだしまあわかる
準備と言って風船をみんなで膨らませ始める→わからない、ノリが寒すぎる
会費4千円、人数は7人→部屋代と飲食代考えても高い、勧誘する気あるんか
カラオケの途中にこの会の説明をしたいんだけど…とマックに連れてかれる
マルチ特有のネズミ講とネットワークビジネスの違いとか人生変えたくね?みたいな説明を聞かされる
興味ない感じで聞いてたら
って感じになったので帰ってきた
儲かってるかだけ聞きたかったな…
顕◯会
3回(うち2回同じ人から)
ネットワークビジネス(以下マルチと書く)
2回(うち1回は通話だけ)
どこで知り合ったか
食べ物と飲み物大量持ち込み→友達同士でもやりそうだしまあわかる
準備と言って風船をみんなで膨らませ始める→わからない、ノリが寒すぎる
会費4千円、人数は7人→部屋代と飲食代考えても高い、勧誘する気あるんか
カラオケの途中にこの会の説明をしたいんだけど…とマックに連れてかれる
マルチ特有のネズミ講とネットワークビジネスの違いとか人生変えたくね?みたいな説明を聞かされる
興味ない感じで聞いてたら
って感じになったので帰ってきた
儲かってるかだけ聞きたかったな…