はてなキーワード: ト書きとは
二次創作をしている。もう十年。私は作文が好きだったし国語の成績だってかなりよかった。それで、オタクになったと同時に二次創作を始めた
初めて書いた文章は「涼宮ハルヒの憂鬱」の国木田くん夢である。ほとんどト書きに近いもので小説と呼べる代物ではなく、褒められるところがあるとするならば、あのとき、だれかに読ませることを踏み止まった自分の判断だけだろう。閑話休題(この「閑話休題」の使い方、あまりに腐女子らしい)
ときを待たずして腐女子になった私は当然のようにBL作品も書き始めた。FC2やnanoで個人サイトを作ったし、専用の掲示板に投稿もした。高校生にしてはうまい方だったと思っている。残っている作品を読み返すとびっくりするので。なんなら今よりも当時の方が丁寧に書けているし、比喩表現も的確かつ適切で、これだけのものが書けていれば楽しかっただろうと納得する
そう、今はもう、まったく楽しくないのだ
これは腐女子の自分語りだ。それもかなり気持ち悪い。繰り返した上で書き進めるけれど、私は今、とあるメジャージャンルのマイナーカップリングに心底ハマっている。彼らは、まだ、原作において人物の掘り下げがさほど行われていない。公式のエピソードが少ない。仲がいいというそれだけが確かなのだ。そういう状態なので、彼らのことを妄想するときは明らかになっている数少ない設定をひたすらに拡大解釈する必要が出てくる。どうしてその性格を形成するに至ったかの理由、つまりは背景を捏造までもする。そうすると必然的に「私の理想のA×B」が誕生するのだけれど、これは自家製ハーブがもたらした私だけの認識であるから私が書くしかない。それなのに、なにを書いたところで一向に理想に届かない
私、下手なんだなあ、と思った。このカップリングで思い知らされた
もともとは自分の文章力に自信がある方だった。中傷されたこともあるけれど、ファンだと言ってくれる人の方が多かったし、なによりも自分の小説が他のだれが書いた作品よりも好きだった。書くことも、読むことも、創作にまつわるすべてが楽しいのだから苦に感じたことなんて一度もなかったのだ
自分の文章力のなさを思い知らされながらのタイピングがこんなに苦しいなんて知らなかったし、知りたくなかった。上手に書けないことは書く資格がないことのように感じられて、そうすると、二次創作をしていること自体にいよいよ罪悪感を覚えてくる。泣きたい。それなのにカップリングに対する執着に似た愛情は増すばかりで理想はいっそうに膨らんでいくのだ
理想がなければ、もっと軽い気持ちで好きでいられたならばよかったのだろう。実際にこの前、かわいいなと感じただけの別のカップリングを書いてみた。驚くほどに筆が進んだ。一度喪失した自信はかんたんに取り戻せないらしく、読み返したらやっぱり下手だと感じたけれど、申し訳なさは抱かなかったし、さすがのメジャーカップリングで評価も好きの言葉もそこそこにもらえた。私があれほどに苦しんで書いた作品たちよりもよっぽど、たったの一日であっさりと。反応自体は嬉しかったのに虚しくてたまらない。もう私、君たちのこと、うまく書けるようになるまでは嫌いになりたいよ。このままだと君たちをうまく書けない自分のことが嫌いになりそうで。私の文章力のなさが全部悪いとわかっていても。十年間も書いてきて、一体、今まで、なにをしていたんだろう
恋をし~た夜は~すべてがうまく行きそうで~
江口洋介です。
いやもうこの時間よ。
あまりに仕事が終わらないから途中ランチ挟んじゃいましたのエグチのセットです。
なんでみんな午前中に好き勝手に私にボンボン用事を頼むのかしらと思って片付けてたら
こんな時間なのよ!
さすがにポテトは箸で食べなくない?
ポテチなら分かるけど、
とてもほほほ微笑み増し増しの微笑ましさよね。
でもさ
ああいうファストフード店とかで脂ぎった脂ギッシュな食べ物を食べたときに
まあ箸で食べたいって言うのはすごく分かりみのある話しだと思うんだけど、
みんなあの手で食べた直後スマホとか触ってるし、
画面がベタベタしないのかしら?って
意外とみんな普通にポテトの先でスマホを操作してて器用なのよね。
あれちゃんと画面動くのかしらって
いろいろと不安になるけど、
余計に紙ナプキンを多目に持って来ちゃいたいところだけどね。
私はいつもタマゴ好きなのでエグチマクリマクリスティーなんだけど、
あの焼き固められたタマゴのあの
還元糖とアミノ化合物の加熱した際に香るメイラード反応を私は楽しみにしてるのかも知れない。
結局は何だって良いのかもしれないわよ。
なんでもフライパンで焼いたら美味しくなるって言う、
あのポテトも何故か油で揚げているのに特有のファストフード店の香りと
ポテト!ポテト!ポテト!って節をつけて歌いたくなっちゃうあのブザー音は何なのか分からないけど、
あのポテト!ポテト!ポテト!ってフェスでも流れないほどのビートを刻みながら、
今でも鮮明に覚えているもの。
さすがに酔っ払って群衆で行く
飲んだ後のシメの代わりに
ハンバーガーを頼んで待ってるときのポテトコールの曲がかかったときに
ポテト!ポテト!ポテト!ってコールはしないところはまだ曲として未完成なんだと思うの。
エビバディセイホー!ってコールアンドレスポンスで言われたとき
恥ずかしくて声が上げられない東北の観客のように、
ノリ方が分からないのよねノリ方が。
なんだかポテト1つなのに思い出が走馬灯のように総集編の再放送でもやらないぐらい
半年の放送分を50分で一気に放送しちゃいそうなほどの連続ドラマってのは
役者さんの演技の「間」の妙ってことだと思うの。
あの台詞のない場面のト書きとト書きの行間の台本を想像しちゃいそうで、
ああ今こう思ってるのかしらとかああ思ってるのかしらとか想像しちゃいたいほどで、
あれこれ考えていたら、
コーヒーのおつまみにと食べていたポテトが無くなっちゃったわ。
もうよもう。
すぐ食べちゃったから、
やっぱりここは躊躇せずにMサイズにした方が良かったわよねって
アフターフェスティバルでランチタイムが終わらせることが出来たわ。
また次食べたいね!って美味しさの分量の方がいいのよね。
アメリカ行って張り切ってコーラLLサイズとか頼んでんじゃないわよって。
店員さんが親切で、
そんなに大きいの頼まなくてもおかわり無料だから小さいサイズの方がいいし
しかも冷たいのがいつでも飲めるんだぜって言ってくれちゃうところなんか
私は泣いたわ。
ああ懐かしいったらありゃしない感じで、
な、泣いてなんかないよ
歯が染みただけなんだかんね!
私菜っ葉好きだから菜っ葉よけろ!って言われても絶対買っちゃうわ!
ふと思ったんだけど、
ジャスミンティーの本場はジャスミンティーをどうやって煎れるのかしら?って思うけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
一時代を築いた あかほりさとる なんかはまんまト書きでおすし
ノリに乗ってた富士見文庫&林原めぐみで、果たしてどうこうと当時に言われたものやろか?
GS美神の「紙の砦!!」で、
少女小説家「漢字は少なく。改行はこまめに。でないと読者がついて来れないのよ。
あんたたちが芸術ぶって文学マニア向けの作品ばっかり書いてきたせいで、
文豪悪霊「笑わせるなー! このアホな文章で、読者がついてくるとでも言うのかーッ!?」
とかやってるのが、1997年頃で、確かにスレイヤーズ(アニメ化1995年〜)と時期は被りはするが、
講談社X文庫ティーンズハートなる、少女小説がバカ売れだった時期はこの頃みたいなので、素直に少女小説の時事ネタだろう
先日会社のイベントがあり、東京タワーの離れにある5階のラウンジでジンギスカンを焼いて食べた。わたしの席の周りには常務をはじめ、ずらりと偉いおじさんが並んでいた。19時をまわり辺りが暗くなると東京タワーに灯りがついた。
「おや、灯りがついた」
「日が暮れるのがすっかり遅くなったなぁ」
「わたしらが働いているこんな近くの、東京タワーで、こんな宴が夜な夜な繰り広げられていたなんて。夢にも思わなんだ」
横一列に並んだ偉いおじさんたちが、いかにも感慨深げに抑揚たっぷりに言うのがおもしろかった。みな一様に、間近の東京タワーを首が痛くなりそうなくらいに見上げていた。ト書きを読んでいるような台詞回しや視線が交じらないことが、どこか小津安二郎の映画を思わせた。
のりの効いたシャツを恰幅よく着こなす一番偉いおじさんが訥々と話し始めた。
「わたしはね、料理作る人になりたかったんだよ。だから18ん時にね、親父に『おれは料理人になる』って言ったの。そしたら親父なんて言ったと思う?」
「『作るより食うほうがいいだろ』って言ったんだよ。それで今ウチの会社にいるんだよなぁ」
そう言って一番偉いおじさんは口いっぱいにラムを頬張った。わたしは笑った。なんだかよくわからないが、いい話だなと思った。そして笑って、とても偉い人の幸せそうなエビス顔を見ていた時、ふと、ああ、わたしの人生はこうしている間に過ぎ去っていくんだなと思った。あっという間なんだろうなと思った。目の前にいる一番偉いおじさんは、料理人になるかならないか決断をして、作るより食べることを選んだ。そうして偉い人になった。でもわたしは道を選ばず、毎日をやり過ごしている。なんとなくお金を稼ぎなんとなく暮らし、たまに会社のイベントでジンギスカンを食べたりする。そうこうしているうちにもう25歳だなと思った。そうして30歳になるだろう。40歳になるだろう。50歳、60歳、70歳、80歳、どこまで長生きできるかわからないが、やがて死ぬので人生は終わるだろう。
***
会社の別の人の話である。その人はわたしとそれほど歳が変わらないように見えるがそろそろ不惑だと言う。若さの秘訣を尋ねると、戸惑いがちにこう言った。
「朝起きるじゃないですか。息を吸って吐く。顔を洗ったら朝ごはんを食べて、歯を磨いて会社に行く。会社から帰ってきたら晩ごはんを食べて、お風呂にはいって寝る。その繰り返しをしていたら、今の年ですね」
ぞっとした。悲しかった。恐ろしかったが、でもきっとそういうことなのだろうな、と思った。その人は、だから若く見えるのだ。
***
わたしはなんとなく、まだ人生の助走期間にいるような気がしていた。どこかで人生の本番がはじまるので、そうしたら全力ダッシュすればいいんだろうなと思っていた。毎日が生きがいに満ちた本番の人生。いつか始まるはずの輝かしい本番。
だがいつまでも本番は来ない。そうして気付いた。ダラダラ走っているこの毎日が、人生の本番なのだ。助走期間なんてなかった。ずっと本番だった。
もし充実している人生をしか本番の人生と呼ばないのだとしたら、何も選ばない怠惰な人間にはいつまでも人生の本番は来ない。
ここから先はすごく言いたくないことだ。でも言う。わたしは、本当は、文章で食っていく人になりたかったのだった。どこかでそれを選んだと思っていたのだが全く選んでいなかった。苦労をしてはいった大学は、わたしと同じような人だらけだった。皆、文章で何かできると思って、でも何かできているのは一握りだった。大した努力もせず、ダラダラ道草を食っていた。
そうして大学を卒業した今のわたしは、就職活動に失敗し、明らかに向いていない職業についた。今もなお、本当は待ち望んでなどいない本番を期待し、怠惰にダラダラ走っている。
***
昨日は酷かった。湿気がひどいと理由をつけ、なんにもしたくなかったので家事もせずベッドに寝転んで、無料でダウンロードしたオセロのゲームをしていた。無料なのですぐ勝てる。カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、win! カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、win! カチ、カチ、カチ、カチ、win! そうしている間にわたしの人生の本番は過ぎ去っていった。なんて無駄で贅沢な時間の使い方であったことか。
でも考えてみれば人生なんてそんな重きを置くものでもないのかなと思う。昔は毒キノコを食べて死んだり崖から落ちたり辻斬りにあったり、とかく簡単に人が死んだんだろう。彼らに意味付けなんてなかったはずだ。
先日家の近くで子猫が生まれた。とにかくかわいかったのだがいなくなってしまった。あの子らももしかしたら、飢えたり車に轢かれたりすぐ死んでしまうのかなと思う。子猫たちの本番はもうない。しかし親猫はまた次の春には発情して、すぐに新しい子猫が生まれるだろう。人間の生も所詮そんなものなのかもしれない。本気になる必要なんてないのかもしれない。
でもどうせならわたしは、本番の全力ダッシュをしてみたい。わたしにとってわたしの本番はわたしだけに与えられたわたしだけの一回こっきりのものである。わたしにとっては世界に等しいものだ。その気持ちを捨てきれない。
10月8日の一日だけの開催ですわ。
しかも、目玉機材の大型ヘリカル装置(LHD)は来年から放射線を出す試験をするので、
立ち入りが制限されるため、一般公開はされなくなるそうですわ。
クイズラリーをやったのですが、「ヘリカル装置」の磁場閉じこめ方式は「ヘリオトロン型」。
さらに核融合炉は液体ヘリウムで冷却して、核融合の生成物にヘリウムが出てきます。
核融合はどうしてこんなに「ヘリ」が好きですの?
ところで核融合炉が経済運転できる時代がきたら、液体ヘリウムは自ら生成したヘリウムを使うことになるのかしら。
三重水素の原料はリチウムで、リチウムは海水から無尽蔵にとれると説明していましたけれど、
現状では塩湖の資源に頼っていて、リチウムイオン電池がそれで困っていたはずですわ。
二重水素と三重水素を超高温で磁場の中に閉じこめる核融合のコンセプトは、
「合体しないと出られない部屋」だとプラスチック越しに中を覗いて理解できましたわ。
そう考えると下町ロケットのロケ等にも使われた管制室が妖しげに思えてきます。
LHD以外の展示も簡単な化学実験があったりして興味深い物でした。
ガラス球内のプラズマは観てわかりやすく、お子様にも好評のご様子。
高校生の研究展示でJINの青カビペニシリンに挑戦しているところがありました。
うまく行かなかったようですけど、続報が気になる研究でした。
クイズラリーの答え合わせ後にレストランでお食事をいただきました。
リーズナブルな代わりにメニューの種類が少なくて、毎日食べるとつらいかもしれません。
焼き魚定食で塩鯖が提供されていましたので、ハンバーグとえびふりゃーの定食を頼みました。
それだけ読解力がないと日常生活にも支障をきたすレベルかと思うが一応解説するぞ。
まず「書いてた」のが、超越的な三人称書き手による語りなのか、それとも登場人物に擬した一人称語りなのか、それによって違う。
おそらく後者と判断するが、前者の場合「事前定義」という言い方でもいいが、小説で多く用いられる後者の場合、一見定義に見える地の文は実は一人称語り手自身の心情描写だ。
芝居のト書きで「この人物は主人公の単なる同級生である」と書いてあるなら「事前定義」だが、お前の友達が会話中に特定の同級生のことを話題にして「まあ、ただの同級生なんだけどね」と言ったならそれは「事前定義」ではなく彼個人の心情の表現だ。分かるか?
さらにそれが「散々書いてた」という。この時点でもう気付きたい。
「ただの一同級生に過ぎない」というのが真なら、その同級生のことばかり何度も言及するのは不自然であり、明らかに矛盾する。ゆえに「ただの同級生」という発言は偽。
だが、一人称語り手が積極的に偽の情報を語るモチベーションがない(示されていない)。よって「自分で自分の感情に気付いていない」ことを表現していると推察できる。
自分で自分の感情を押し隠す理由としては、恐怖、嫌悪や羞恥など自分が負と感じる状態に陥ることから自分を守ろうとしてあえて正視するのを避けている感情があると推測できるだろ。
「同級生を見て」「急に動悸が」と書いてあるんだから、「走ってきたせいやろ」という理解がいかに不自然で読解力に欠けた読みか気付こう。走ってきたなら
・走った→動悸がした→見た
だろうが。だが、
・走った→見た→動悸がした
とわざわざ書いてあるんだから、間の可能性をすっ飛ばして「走った」と「動悸」を結びつけるのが無理ありすぎるだろ。先の言及状況と併せて考えてみても、素直に「同級生」が理由と考えるべきだろ。
なんというか、増田個人が青春恋愛状態と距離を置くのは勝手だが、「そうあってほしい」という自分勝手な願望で周囲のさまざまなフラグを片っ端からへし折って読むべき文脈を全部無視してるだけだろ? 一般に存在する青春やら恋愛やらの感情からいくら目を背けようとしても、一般に理解できて当然な文脈とか行動が読めない人間扱いされて、この先社会との距離が開く一方だぞ。もう少し他人の感情や行動原理に興味をもち寛容になった方がいい。つーかそれ自分が非コミュであることから発生する問題が現代文の問題によって露呈しただけだろ。それを現代文の問題にすり替えたところで問題は何一つ解決してないからな?
底辺がどんな暮らししてるか、はてな界隈の人には想像もつかないと思って書いてみたよー。
でも別に今はそれほど苦しいと思ってないのに普通にワープア貧困層にがっつり入ってる事実に
かなりびっくりしてる。大学の同期もかなり多くは非正規で自分より厳しそうだし。
ボーナス なし
手取り だいたい175万
家賃 4.0万(共益費込)
食費 1.5万
水道光熱費 1.0万
被服 0.3万
通信費 1.0万
交際費 1.0万
雑費 2.0万
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時々1万くらい余計に大きな出費がある、残りは全部貯金
業務用スーパーは1玉200gのうどんと1玉150gのそば(と中華そば)とか
納豆3パック50円(くらい)とか冷凍野菜(ほうれん草とか)500gで150円くらい
コンビニとか使う概念がない、例えば並んでるパックの300円の冷麺とか見ると
業務用スーパーの15円の中華そばが頭の中で透けて見えて手を伸ばす気になれない。
そんなかんじ。お菓子の値段は大きく変わらないから買うけどな!100円までな!
生の野菜と果物は商店街が異常に安い、大根でかいの100円とか
えのき3袋(去年まで5袋)で100円とかそんなかんじ。
肉は鶏胸肉100g38円と、月一くらいで豚肉100g88円(時々半額)を買う。
魚屋の魚は安くてもマジで感動するおいしさだから1回は食べてほしい。
でも最近、働く人間(かつ大食いでない人)にとってはガチですき屋とか
で1日1食補って、あとは適当に野菜食べるのがコスパ最強かと思ってきた
女なので、20代までに見た目をちゃんと出来といた方が将来的に間違いなくいいと思い
高校とか化粧したことなかったが大学の時に雑誌とか見て超がんばった。今はその貯蓄を消費している。
髪はケチったら一番見た目に影響出るのでケチらない(=それで一般人並)
カットで4000円くらいの美容室に3~4カ月に1回パーマ込で1万くらい行ってる
今の美容室は、腕は確かすぎで、人がよすぎて行くのがもうつらくなくなった。
化粧と一緒でこれも早めに勉強しとこうと思い(異常にださかった)恥ずかしくも努力した。
今は一周回って大丈夫な人になってると思う。
今来てる服は39マート(390円均一)とか古着屋(安い)とかもらいものとか、流行?何それおい(ry
2か月に1回くらいユニクロでベーシックなもの買ったり、でもださいって
思ってないよ!雑誌は読んでる‥今度自分コーディネート書きたい、上から
下まで靴入れても3000円とかで結構ちゃんとできてるのとかある。
靴は1万くらいの1足と、無印で4000円の1足と、西友で1000円の1足
が主力。
ネット、はてなダイスキー!お金かからない、あとアニメ見たり、絵描いたり、自転車のったり、月一くらいのカラオケ楽しみ
通信費→教えてもらった方法だが、家のPC全部とスマホを1台のwi-fiで
つないでる。携帯の通信をオフにしてwi-fiつないでるのでパケット代は月315円、
※事故物件ではない
長くてごめんなさい、読んでくれてありがとう。
増田さん、下痢腹さん←これ見て書こう書こうと思っててやっと書けてよかった。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20140513234120
年収なら200万いくかいかないかくらいあったよ!指摘ありがとうね、修正してみたよ
http://anond.hatelabo.jp/20140513234515 長いのに読んでくれてありがとう、彼氏いるよ!(ドヤァ
さらに追記
両親は公務員だったので普通に高所得者だったんだ、という認識。
遠くない人が亡くなっても、悲しめない自分がいる。「悲しい」とは思うのだけれど、思うだけであって、何かこう表面的に、悲しんでいる自分を演じている風になってしまう。
例えば親類が無くなって、生前はお世話になっていて、まだ若くして亡くなった人のお通夜や葬式に参加した時、本気で悲しんでいない自分を冷静に客観視できてしまう。嫌悪してしまう。悲しまなければならないのか? などという無駄な問答をする。そういう問題じゃないと思う、本当は。悲しい時は悲しいし悲しくない時は悲しくない。
だけど、人が死んでいて、且つそれが遠くない人なのに、なぜ涙が出ないのだろうか、本気で悲しいと思わないのだろうか。
それはその人が悲しむに値しない人だからなのか? 違うと思う。だって、人が死んでんねんで、冗談ではなく。例えば、もう年をめして、静かに逝った、というのであれば「あぁ、良かったね」と笑顔で送り出せるのかもしれない。いや、これは若い人でも同じか。「いい笑顔してるでしょ」と仏さんの顔を見ながら仰る近親の人の言葉の中には、間違いなく哀しみが含まれている。ただ、立ち直りに時間がかかるかからないだったり、切り替えられるだったりの部分の話であって、悲しんでいることは本当なのだ。
身近な人の死に対して本気の涙を流したのがいつなのか思い出せない。マンガや、アニメでは、結構泣くのに、身近な人の死で泣けない。泣かなければならないという義務感に苛まれているのではない。なぜ、人の死を客観的に捉え、さらには「悲しんでいる自分」を無意識に演じている自分がいて、さらにそれを深く考えようともせず放ったらかしにしているのか。
そう、これまでこういうことすら考えることすらしてこなかった。そして多分それは興味がなかったからなのかもしれない。余りに自分を周りから突き放しすぎていて、人の死に対して鈍感なのかもしれない。
よく、フィクションの作品で、人の死を悲しめないキャラクターというのが登場する。一番直近で出会ったのは、西尾維新さんの最新「伝説シリーズ」に登場する空々空というキャラクターだった。彼は人の死をとても客観視する。怒らないし悲しまない。そして「悲しんでいる演技をする」のだ。それはト書きでも書かれている。空々空という人間は「そういう人間なのである」と冷静に、ト書きでツッコミが入る。
こういうフィクションの、想像上のキャラクターに対して多くの人がどう思うのかは分からないが、私は、この空々空というキャラクターに完全に感情移入していた。だから、冗談ではなく、「うんうん、そうだよね」と強く同意をしながら読み進めたのだ。だからこそ、分厚い三部作をいつの間にか読みきっていたのだと思う。
そして思う。私は、家族が死んでも悲しめるのだろうか、と。とても怖い。それが怖い。家族が死んでも涙が自然と流れなかったら、死んだほうがいいかもしれない。
が、かつては日本の技術だったわけだが、それがどのようにして海の向こうで生産可能になったか知ってる?
それは、日本のメーカーにいた液晶技術者を、韓国さん台湾さんが破格の年俸で雇ったってこと。
別にあっちに工場を作って、自然に技術移転したわけじゃあない。
液晶ってのは製造業ではあるけども、暗黙的な知、要するに属人的な生産性に左右される側面が強いらしいからね。
でもだからって、瀕死の半導体関係の企業を、国が必死でフォローしてるのって、どうなのよ。今更。
そりゃ週休4日の子会社抱えるメーカは助かるだろうけどさ、だから何だっていうのよ。
日本のITは確かにクソなんだけど、それは技術者がクソって意味じゃないんだよね。
理系を軽んじる奴だけ死ぬ薬を浄水場に入れたいけどできないから、やっぱ教育重要って程度には思うけども。
ただ金のなる木を、良いポジションの会社に全部握られてて、そりゃ優秀な人はそういうところにもポツポツは見かけるけど、たいていはポジションで食ってるだけの勘違い野郎ばっかり。そういう存在は社会的損失でしかないので安らかに逝って戴きたい所存です今すぐに。子ども手当あるからまかせとけ。
で、そのヒエラルキー配下におけるたいていの、実際に仕事をする技術者ってのは、コーヒー農園の農夫よろしく、低待遇で働いてる。
さらに低待遇な会社にも優秀な人がいたりする。周りに合わせてできないふりして、2chとかIRCとかやりながら、同人誌のネタのト書きいて、休日は声優のツアー追っかけてたり。
俺は最初はメーカーにいたけど、優秀な人は1年もすれば辞めちゃってた。ほとんどが外資かベンチャーに行ってる感じ。院に戻った人もいた。
そこで辞めそこねた人は、うつ病休職十数年、気づいたら40も近くで、今じゃ生活保護ドクターとかそういう。
あとまあ自殺も、30も超えれば、マイミクの2,3人は旅立ってるよねぇ。日記を親族が書き込んだら、ああ、と思う、その感じね。わかるでしょ?
とにかく、日本のITとかソフトとかで世界的に認められた物って殆ど無い。
ゲーム業界はその例外で、そこそこ注目はされてる。ただこれは国の支援なしでやってける感じらしい。
あともう一つがRubyっていう言語にまつわるエトセトラ。こっちはあからさまに、国や自治体が推ししてる。
で、だ。
日本のそういったゲーム的なものやら、Ruby的な何かを、中国で指導しろ、という待遇の良い案件を見かけるわけだ。
もう日本のクソ現場に嫌気がして、社会的ひきこもりになり、別業界に行きたいなと思いながら試行錯誤するも、ちまちまと知り合いの手伝いをしながら、結局自分がうまくやれるのは、結局この業界だけなんだなとか思い知らされ、でももういやだーと毎晩うなされつつ、エアコンのないアパートに暮らす人間には、その案件はどう見えるだろうか。
多分、今の俺みたいなニートに片足突っ込んでうだうだしてる元IT土方って、日本中にゴロゴロ転がってると思う。
もうこれ以上我慢してまで日本に義理立てする必要もないよなぁと思うし、もうどんどん日本の技術を売ってしまおうと思う今日この頃。
みんなもそうしないか?ねえ?やっちゃおうぜ。
俺らの居場所なんかここにはないんだもん。
まあ、液晶での教訓はエネルギー分野では生かされつつあるらしいけど、クソの掃き溜めな日本のITなんか、無視してもいいって、みんな漠然と思ってる結果なんだろうけどさ。
Apple的なのは無理だから、製造業に絞ろうっていうのも分かるけど、個別の業種に口出すのもうやめなよ。
利権を自民から民主へ、スクラップ&ビルディングしてるだけじゃんもう。あほか。
手遅れだろうけど、こうすれば日本は幸せなんだけどなぁってことを妄想する。
というのがある。
ポーター先生が言うには、1,3はさほど重要ではなく2が一番影響がでかいと言っている。
状況認識としては全く正しいんだけども、2の影響を小さくするための3が重要なんじゃないかと思うわけ。
国は法律として、あらゆるポジションは1年でシャッフルされるような圧力を一律につくるべきだと思う。
例えば会社などの組織。特に知的生産の現場ってのは人が資産であって、工場のようなものを抱えていないから、シャッフルの経済的ダメージは比較的小さい。人的移動に強い組織にする必要はあるけども、そんなのはグローバリゼーションの前ではどっちにしてもやってなきゃならないし。
例えば個人。正社員、公務員、その他士業、そういうポジションは全部廃止ね。経済的不安をベーシックインカムなり負の所得税なりで担保しとけばあとは好きにすればいいでしょう。
いい加減、新自由主義パッケージに含まれる、貧困・福祉政策の存在に目を向けてよもう!、という話なのかもしれないなぁ。
あらゆる人間の自由を最大化するように社会を回そうって話であって、
「勝ったものが自由を享受できる。負けた奴は勝つまでやれ。以上。」な話じゃないんだぞ、というね。
小泉政権の後がまずかったというかね。うん。