はてなキーワード: ト書きとは
1:読者の想像力をかきたてる
ト書きのような説明文。
勿論、読者が雲をつかむような場面ばかりではダメだ。(演出上の理由でなければ)
状況を全てお膳立てして、台詞を並べたてるのではなく
必要最低限の状況説明を徐々に積み上げていけばよい。
積み上げる事で、読者は想像力を膨らませ、
豊かな人であれば漫画・アニメ以上の物を作り上げる事が出来るだろう。
時に読者を立ち止まらせ、ページを戻させるのも手法として悪くはない。
2:神である事を名乗ってはいけない
書き手は、物語の顛末を知っている。
登場人物の思惑、見る物を全て知っている。
だが、読者はそうではない。
今まで表現してきた文章以上の事は知らないし、文章に書かれた事だけが真となる。
また、一人称(もしくは二人称)で進める場合は、他の登場人物の思惑や見聞きした物を主人公は全て知らないはずだ。
三人称の場合は余計に、神の目や耳を駆使しすぎると1の過ちを犯す事となる。
書き手は、読者、そして登場人物の目や耳を意識し、
彼らがその時点で知っている事、知らない事、あるいは隠し、誤解しているであろう事を
詳細に把握しつつ、それを彼らに悟られてはいけない。
小説とは、物語や登場人物が書き手が読み手の感性をくすぐり、その興味と意識に潜り込んで初めて生きるものだ。
完全無欠な記述や起承転結は、時にその物語をつまらない物にさえする。
読者がそれを手にし、組み立て、最後にひとつの絵になるのだ。
勿論、完成された絵が素晴らしく、読者の納得のいくもので、
その過程も楽しめたのであればよいだろう。
だが、ひとつ、ふたつとはめるべき場所を悩むピースがあればどうだろう?
ひとつ向きを変えるだけで、完成された絵が全く意味の異なるものになる事もあるだろう。
それは手法として実に面白い。
また、読者は書き手の人物像に興味を持って、それを求めている訳ではない。
なんらかの思想哲学を小説に盛り込み、読者をその思想に引き入れる目的がある場合を除き、
http://anond.hatelabo.jp/20100405171419
下読みのバイトした人がこないだ投下してたけど、俺が丁度真っ最中。
現実逃避にこれ書いてる。
酷すぎ。
何を思って応募してきたんだっての多すぎ。
出版される前提ってのが分かってるとは到底思えない。
商品になるんだぞ。
人が金を出して買うんだぞ。
過去の受賞作読んでれば、雰囲気だけでもわかるんじゃないのか、自分がそれだけの力があるかなんて。
記念受験とか運試しとか、そういう理由で応募した奴は今すぐ死ね。
実力足りてない自覚があるなら、余計な手間増やすような真似すんな。
見覚えのある奴(複数応募してるとか、他賞や以前の応募を覚えててロクな印象が残ってないとか)の作品に当たった日には、読む前に萎える。
応募作品の審査はちゃんとやってるけど、何度も落ちてるとそういうのがあるってのは心に留めとけ。
下読みする側も人間だから。
とりあえず「下読みのバイトした」の人みたいに俺も並べてみる。
1.話が始まらない
物語開始からしばらくを設定解説やそれに順ずるものが占める。
前の人も書いてたけど、これが多すぎる。
どこから話が始まるんだよ。
いつになったら話が進むんだよ。
舞台と人物の詳細設定やそれに関わるサイドストーリーなんて今はどうでもいいんだよ。
登場人物動かせ。
起承転結の起にすらなってない。
即ハネて次にとりかかりたくなる筆頭。
でも、ただ単に特徴列挙してるだけの描写のキャラってなんなの。
BOTか何かかよ。
登場人物を書く本人が把握してないのか、テンプレが素体のままでキャラクターにもなっておらず、黙ってると空気キャラになってることも珍しくない。
それを避けるためか無理矢理喋らせて、ありがちな掛け合いになってたり。
会話ブロック、地の文ブロックというように塊が並ぶ傾向も高く、テンポが悪い。
下手な芝居を見せられてるのと同じ気分になる原因筆頭。
3.勢いだけ
あらすじで「ハチャメチャコメディー」とかご丁寧に申告してくれるアレなケースもある。
実際にハチャメチャなのは構成なんだけども。
話が進んでるようで進んでない、転がってるようで転がってない。
起!
承!承!承!承!承!承!承!承!承!承!承!承!
とか思ってたら、いきなり
結!
最初から最後までずっと同じところでダバダバして、強制的に話を収束させるようなのが多い。
話の展開って知ってる?
求められてるのは物語であって実況中継じゃないんだが。
4.描き込みが足りない
今どういう状況なんだよ。
それぞれのキャラはどこにいるんだよ。
何してんだよ。
申し訳程度の情景描写とか、書割かよ。
下書きや絵コンテみたいな描写しかできないのに、なんで小説書こうと思ったの?
スレ小説みたいに台詞とト書きの台本みたいな読み物のほうが、割り切ってる分マシ。
ちょっとストレス発散できた。
次の読む。
気が向いたら書けよと人物が言ってくれる救いはないか?
遮二無二になって書いていたけれど、最近は一行目がでなくなってる。
下手したら最初の一字。お話が作れないという話じゃなくなってる。
慢性的にこじらせたのも自覚している。なんか、ただの小さな話も書けなくなっちまってるんだ。
おかげでまるで書けだしみたいなことになってる。駆け出しより悲惨かも知れない。
まるでト書きのように話が進んでいく。それじゃダメだと分かるがこの様だ。とても見せられた代物じゃねえよ。
何もないよりはマシだとよ。何も書いてないんじゃ誰も分からないから日本語でなくともいいと言われたよ。
どうやって書けば良いんだろうな。悪いところが分かるから尚更直しも入れられたもんじゃない。
ストーリーに押し込んでいるのかな。向こうはそうじゃないと言うからタチ悪い。
読めば読むほどどこから話が始まるのかまるで分からない。好きなところから始めていた頃に戻りたい。
知識も技術も論理もくそくらえ。語彙も文法も昔の俺は喉から手が出るほど欲しかったのによ。
そんなに欲しければ書ける奴にやりたいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090519230327
とりあえず演出担当が作りたい芝居を語る。酒の席だったりする。
それを何となく脚本担当に伝えてミーティング用資料を作る。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと言いながらもできあがる資料は抽象的でなんとなくそれっぽいプロットとどこかで見たような演出プランに独自っぽい名前を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「大人計画を演る」と言われる方が楽だ。「作りたい本人が説明できない、今までにないような独自の芝居」を作る事になると脚本とか演出とか以前に完成しない。
そのペラい資料をもってミーティングを行うがすんなりは決まらない。この間はいい感じだねって言ってたじゃんって展開も。そのまま下にも同じ事を言われる。
決まらないがとりあえず作り始めてと役者と裏方に投げられる。とりあえず公演タイトルくらいしか決まっていないので色々聞きながら作ってみる。もちろん面白いとかつまらない以前の内容になる。
稽古が始まると政治的なパワーバランスなどの都合により今まで作っていた何物かはゴミ箱に行くことに。でも「もう半分くらい作ったんだから簡単にできるハズ」等と言われる。80年代の小劇場だったハズが90年代の静かな演劇になったのに。(極端だけど劇場変更はザラ。あまり大きな問題はない)
脚本担当はまた初めと同じように内容を伺う。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早く箇条書きにしてる。なかなかまとまらないが役者と裏方はまた何かを作り出す。何を作るかは分からないが何となく配役とか場面転換の枚数を妄想して分担表とかをつくる。裏方も仮想舞台装置を作る。
放っておくと大量の配役、大量の大道具、大量の小道具、仕様の演出、労力の割に効果があまりないような話、壮大な計画がブチ上がってくるので必死で止める。
(仕様演出は仕様見ただけで分かるような無茶な物のこと。例えば100人の登場人物から3人を合成してすべて違う登場人物が錬成されて全部に名前と設定と配役が付くとか。16万通りもある事を理解できていない)
脚本担当はこの段階で死にそうになっている。一応存在する脚本担当の締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して脚本を作成していくのだが、なんど書き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると面白そうに見えないから演技プランを考えて」「(仮の)名前が気にくわないからインスピレーションが~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。仮脚本を演出に見て貰っている場合は演出に頭を何度も下げに行く。脚本担当の締め切りはもちろん守れられない。その分のしわ寄せは役者と裏方がかぶることになる。毎日毎日両部門に目に隈を作った脚本担当が「間に合わなくて済みません」と謝っている。ただし役者も裏方も怒らない。脚本担当が遊んで遅れてる訳じゃないし。一緒に仕様固めを手伝う。演出担当は怒る。
何となくあがってきた脚本担当の脚本を眺めながら稽古する。ただし細かいことは何にも書いてない。ト書きに一言だけ書かれているならましで、ト書きの存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定を裏方が洗い出して役者が全体の空気を読んだ場面設定を構築して己のインスピレーションを信じて勝手に演技する。とりあえず作った物を見せると、演出に「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
稽古が中盤に入る頃には脚本がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ路線が定まらない。分からないところは逐一聞きながら作る。聞かないでも作る。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。役者はひたすらリテイクを食らう。世界観と合わないとかこのキャラだけ浮いているとか。世界観なんて脚本の1ページ辺りに描かれてる程度にしかなかったりするし。脚本のセリフが気が付くと増えている。演技プランが破られている。稽古時間が足りなくなる。各自で時間を何とかしろと言われる。もうたっぷり圧縮してる。
稽古終盤。本番に間に合わない事が確定的になってから設定をとりあえず削ってみる。最初からそれはいらないと言い続けた場所を削るが演出担当は不満顔。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言い続けてるが変わらない。リハ期間は短くてもいいとか言い出す。それで前も本番でミスしただろうに。やっぱりあそこが気に入らないから変えてとかこの期に及んで言う。役者は本人当たりセリフ量が割とはっきりしているのでギリギリまでリテイクされる。脚本担当は脚本を必死で打ち込む。演出に「演技のバランスが悪い。調整してないのか」とか言われる。その時間はお前が削ったんだ。裏方は頻繁な小道具の差し替えをしながらミスを潰していく。何度言っても脚本の差し替えはすぐ出来ると思われている。そろそろ劇団内の恋愛はやめて欲しい。役者も脳みそが足りないので勝手にセリフを削る。劇団内の恋愛は無理矢理潰す。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
公演して糞芝居と言われる。世間一般的にミスれば役者と裏方のせいにされて(稽古しなかったから、裏方がミスをしたからと思われている)つまらなければ脚本担当や演出担当が批判される。(世間の(俺の)面白いと思っていることを理解できていない!とか)このために軸のぶれている演出担当や脚本担当は上がってきた物が面白くないと感じると仕様変更をガンガン入れてくる。たとえ本番でミスっても内容が悪くなければ叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と金をもって来ないのにこれをする人が時間を無駄遣いさせる。裏方は本番でミスをしたくないので仕様変更が出ないよう出ないよう事前に釘を刺しに行きたがる。
外部コメントツールとしてのはてなブックマークの意義もあるっちゃあるだろうし、自分が気になった記事をぜんぶクリップしておくアーカイブツールとしての使い方も、ぜんぜん有意義なんだろうけど。