はてなキーワード: キャリアパスとは
ある研究室が博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室が博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。
PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。
当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究に必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。
これは資本主義の挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合は投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である。
年齢制限を設ける理由について、その研究室のWebサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。
1.過去の経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったから
4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから
1.についてはあくまで経験論であり、一般化には議論の余地がある(注2)。
しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から、研究室が受け入れ学生の年齢制限を設けることには一定の合理性が認められる。
大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力とミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業やベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室の所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達や論文発表が求められる。そのため教育やマネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかにミスマッチを防ぐかがポイントとなる。
しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室のマッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界の文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレートに博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分の研究室を広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチングの成功率を上げるためにも、年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。
PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることから、アカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的に大学院でのみ取得できることから、大学院がPI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院がPIの素養の高い候補者を選抜することは自然なことのように思われる。
しかしながら、大学院は本来学問を行う場であり、学問は自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPIの素養の高さに繋がるとしても、それを理由に年齢制限を設けることには議論の余地がある(注5)。
タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室が年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。
ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルドな表現を心がける(注6)。候補者の面談から受け入れまでのプロセスを最適化させる(注7)。候補者を研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチングを支援する第三者機関の設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室と博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。
研究室と博士課程進学希望者のミスマッチ問題は根深く、今回インターネットやSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験をもつ者としては、この問題の解決を願ってやまない。
(注1)
業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である。
(注2)
例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリアの選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。
一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPIを養成することだけが目的なのかについても議論が必要である。
(注3)
Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室や研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部の卒業研究や修士を通じて研究業界のノウハウやキャリアパスを学ぶようであるが、医者は卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。
(注4)
例えば同じ大学の学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究や修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者も卒業研究や修士で活動していれば、自分に合った研究室の情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。
またポスドクや助教以上の採用であれば前所属の教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。
(注5)
同様の問題は、医学部入試の女性・浪人生差別が記憶に新しい。医学部は医者を養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性や浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。
(注6)
研究者の研究以外の発言が話題になることは、国内外でしばしば観測される。
(注7)
組織における採用については、Podcast「経営中毒~だれにも言えない社長の孤独~」に詳しい。
(注8)
給与を支払う一般企業やポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大は大学でありながら学生に給与を支払うシステムであり、応募資格に年齢制限を設けている。
(注9)
医学部には卒業研究がないが、自主的に研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部は学生を研究室に一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。
(注10)
一般企業であれば転職支援サイトやリクルーターが仲介してくれて、候補者と採用側のミスマッチのリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービスは存在しない。
以下は透明性を確保するためのポイントです:
透明性が確保されると、組織内での信頼感が増し、従業員は自身のキャリアパスや成長方向性を明確に把握できるようになります。これが、組織全体のモチベーションや効率を向上させる一助となります。
仕事自体はホワイトで残業自体もほとんどない。ただ、仕事内容にやりがいがなく、自分に向ている仕事ではないと感じてきた。仕事をさぼっててもなんやかんやで生きていけそうではあるが、面談で何やってたんだと詰められたり、目標設定で書くことがなくて苦労することになるので、これをこなすには図太い心が必要でこれはこれで大変。
そこそこ仕事して生きていけるいう点では現職に不満はないが、仕事が面白くないので転職するのもありなのかなと思い始めている。しかし、自分としてはそもそも働きたくないのである。入社時から今までのモチベーショングラフを書きましょうみたいな研修でがあって、入社時のモチベが低かったのは自分くらいで他の人はみんなモチベ高くて驚いた。
あと数年働いてNISA枠が埋まれば今の資産と合わせてFIREしようかなと考えているところだ。自分の年間消費金額もさほど多くはないので何とかなるでしょうという考え。なのでスキルが身に使いなとかキャリアパスとかはぶっちゃけそこまで心配しているわけではない。
そういうわけで、現状維持するか、一縷の望みにかけて現状よりも仕事を楽しめるように転職するかを悩んでいる。仮に自分が仕事一筋!キャリアを積んで金を稼ぐぜってタイプだったら転職一択なのだろうが、別にそこまでお金が欲しいわけでも仕事で何か成し遂げたいわけでもないので悩む。あと数年働くだけだったら別に転職失敗してもいいかなーという気持ちもある。
意見があれば教えてもらえると嬉しい。
今時エンジニアのキャリアパスとしてマネージメントと並行にないのはやばいですよ
俺マネージメント興味ないし肩書きどうでもいいけど外部の人と話す時に困る時があるのでアーキテクトにして?って数ヶ月前から言ってる
案の定俺より書けない奴がソリューソンアーキテクトとかで入ってきて一行も読まずにウダウダ言ってきたから次にあいつとミーティングする前に肩書きだけでいいからちょうだいね?って言った
そんなのは人余りの時代に採用側が楽するためだけの足切り要素でしかない。
仕事を長く続けてりゃ管理職スキルが身につく訳でもないし、管理職側に技術に対する基本的な理解力は必要だが詳細な技術力なんか必要ない。
歳を取ったらマネージャとか言う思考停止してたらこれから先どんどん人が足らなくなるよ。
若いやつらは右肩下がりで減っていて、転職市場で今一番ダブついてるの40〜50代なんだから。
その世代を末端の労働力として囲わないとまともに労働力確保なんか出来ないよ。
ただ、その世代は晩婚化が進んだ現在ではまだ子供が独り立ちできてないことも多くて、必要な給与水準が末端の労働力としては高すぎるとかはあるんだろうな。
家庭持ってる40〜50代は大変だけど、この世代は独身者も多いだろうから、せめてそういう層だけでもキチンと末端の労働力として確保しとかないと、これから先どんどん末端の労働力が足りなくなるよ。
まぁ、オレがまさに独身で管理職適正のない40〜50代だから思いっきりポジショントークではあるんだが、でも実際問題そういう時代になってると思う。
エンジニアのキャリアパスとして「末端のエンジニアとしてスキル向上すればある程度給与向上が見込める」というのがあってもいいと思うんだが、10社ぐらい色々渡り歩いてきた限りでは見たことないな。
今の会社にもないから、今のままだと危ういなと思うと同時に「まぁ、独身だし最悪はどうにでもなるか」という気持ちもある。
外国からいくら奴隷を仕入れたくても国策の円安が続く限り呼び込める数なんかたかが知れてるし、手元にある腐りかけの資産を有効活用するところから始めればいいのに。
そしたらオレが嬉しいのに。
今日、あるベンチャーキャピタル代表のツイートが流れてきた
曰く「毎月の個人の支出を減らすことがキャリアパスを広げ自分の人生を選ぶことができる自由を手にする」と
とても悲しい気持ちになった
子供がいてスタートアップに勤めている自分は、彼らにとって必要ではないと言われているような気がして
「高価なスーツや靴、腕時計」のような「価値がない」ものに浪費をする人間はスタートアップには不向きなのだろう
でも、私の家計の大きな割合は子育て、しかも塾とか私立とかではなく基本的な部分に掛かるものだ。
その結果、子供が生まれる前より確実にバーンレートは悪くなっている
以前、あるベンチャーキャピタリストの方と飲み会に行ったことがある(ツイートの人とは別)
その人は、最近山の方に安い別荘を買ったとか、子供を私立の中学に入れるのに苦労したとか、いろいろ自慢していた
泣きそうになった
誰に強制されたわけでもない、どこからか圧力をかけられたわけでもない
でも毎月の給料がなければスタートアップはやめなければいけない
あなたにとって、私のような「価値のない」ことにお金をかける人間は消えてほしいのだろうか
もう分からない、手軽に他の価値観や選択肢が目に入るのに目の前のことに縋って生きるか死ぬかの選択しか出来なくなってしまう
仕事に対して特別目標とかなかった、でもやりがいまでいかなくても1つ信念として掲げた事があって、その為に色々試行錯誤してたけど、どうしてもそのためのキャリアパスに進めない。仕方ないから目の前の事を必死にやった、周りからの理解は無いしまだ若手だの事例がないとかだので直属の管理職からの理解が無くサポートもしてもらえない。当事者などには相談して勝手にやったらやったで、気に入らない管理職たちから人事評価が悪くなり妙な噂がついて回る。大して仕事しないでYahoo!ニュースばかり見てるだけのくせに、会社の方針資料を一式用意して不適切な対応を指示すれば拗ねるくせに、真面目にやって来た自分が悪者になっていく、もう身体が心身共についていかない、涙は出てくるし食事も取れない眠れない。だからって休めば今までの積み重ねが無くなってしまう、継続して形にしていきたいのに自分の手で止めるのは悔しい。もういっそのこと手放すために辞めてやりたいけど、次が見つかるかなんて補償もなければ次がいい環境だという約束もない。こんなに試行錯誤して当事者達からは評価されて、良い評判もついてるのに直属の上司の判が無いと望みのキャリアには進めない、同期はあっさりと何人もその進みたい道に進めてるのに、何故自分だけ実現できないのか。こんなこと考えたくも無いのにずっと同じように考えては腹が立って涙が出てくる、やめてやりたい全部、もう死んでしまいたい。行きたかった旅行先も見たかった舞台も、愛犬と過ごす穏やかな時間や両親を安心させられる自分のキャリアも、持ってみたかった家庭も何もかも諦めたく無いのにもうこれ以上頑張れない、休めば手放してしまうものを思うと全て終わってしまった方が心が楽なんじゃないかな。
前職は新卒で入社してから残業代以外の部分が全然変わらなかった。
年収は500万行くといいほうらしい。
SEで稼働時間青天井契約して残業沢山して生活している人が多い。僕は家族がいるので残業はあまりできなかった。
数年たつと等級が上がって、5千円ずつ増えていく。代わりに手当てが一つ減るみたいな手法で横ばいだった。
役職がつくと1万円基本給が増えるらしい。
世の中20万以下の月給で酷い職場もあるが、20万台もだいぶひどいと思うぞ。
だって大卒だぞ。会社も大卒以上採用してるんだよ。今後のキャリアパスで想定される増えていく給与みても、自分の息子を大学どころか高校に通わせる金額捻出できない。車も買えない。と思って転職した
一つだけ良いことがあったとすれば、こき使われたため、いわゆるフルスタックエンジニアとしてなんでもだいたいできるようになったことだな
先週コロナにかかってしまい、寝込んだりのどの痛みに苦しめられたりしていたが、ようやく落ち着いてきた。
そういえばとふと考えたら、その間に誕生日を迎えていて、また一つ、歳を取っていた。39になったらしい。
あと1年で40歳だと思うと、何というか、もう40かというか、まだ40かというか、何だかウンザリしたような気持ちになる。
■
コロナ療養中、熱が下がってきたころに、暇だからと何か小難しい古い本を読もうとした。
読もうとしたが、ちっとも読めなかった。まるっきり頭に入ってこない。
内容が難解なこともあるが、それよりも、この本を読んだところで何になるのか。
中世のプロテスタントにあった倫理観と資本主義との関係が俺の人生にどうかかわってくるのか。
そんな風に思われて、頑張って読み進めるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局読むのをやめてしまった。
いや、年間100冊程度の読書量だったので、我、読書家ぞとイキれる程立派なものではなかったが。
それでもとにかく、読書家であるという根拠のない自負はあったし、本を読むのは好きだった。本を手にするとワクワクした。ドゥルーズやデリダなんかも頑張って読んだ。もう一切、内容を思い出せもしないが。
今はもう、気が付けば本も読めなくなった。読んで何になる、何の意味がある、そんな倦怠感ばかり募る。
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仕事も張り合いはない。
責任感を持って、日々取り組んでいるつもりではあるが、10年以上も勤めれば、大抵はどうにかなる仕事ばかりになる。
出世できる性格だとも思わないし、向いているとも思わない。実際管理職向けのキャリアパスには乗っていないし、キャリアの天井も大体見えている。
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子供は、やはり欲しい。まだ諦めたわけではない。
諦めてはいないが、俺の不妊は、先天性の疾患に由来しており、医者からも厳しいと言われると、徒労、という言葉が浮かんで消えない。
妻は、俺との子供は欲しいけれど、いなければいないで、決して不幸ではないというスタンスだ。
こんな俺を選んでくれた妻には、感謝してもしきれないし、妻のことは深く愛している。
だけど、本当のことを言うと、残りの人生はあと…年…と考えると、長いな…。と、ほんの少しだけ、感じてしまう。
■
先日見たテレビ番組で、91歳の老爺がインタビューを受けていた。
その爺さんは、朝の4時に起きて、2時間かけて地元の海岸まで散歩するのだという。
それを、日に3度も繰り返すのだそうだ。
早くお迎えが来てほしいが、誰も迎えに来ない、と言っていた。
俺はそれを見て、虚しくなって、気が滅入ってしまった。
一日一日を、ただ歩いて時間を潰す、そんな毎日が終わるのをただ待っている。
俺もやがてそうなるのだろうか。そんな風に日々を送るのだろうか。
■
父のことを、最近考える。
70を過ぎた今でも元気に働いている。
小さな頃はあれこれと家族で出かけていたが、高校に入って以降は、父と親しくした記憶はほとんどない。
30代になるまでは、父のことはあまり好きではなかったように思う。尊敬できない人だと思っていたし、大した人間でもないと思っていた。
しかし、俺と姉の二人を、中身はとにかく大人になるまで育てあげたこと、俺などは大学にまで行かせてくれたこと、それを思えば、大変にすごい男なんだと少し前から思うようになった。
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父は日曜の夕方になると、自室でCDを聴いているのが常だった。イーグルスなんかの、古い洋楽ばかり聴いていた。昔は、またかび臭い音楽を流して、くらいに思っていた。最近では、なんというか、父はあれは、楽しいんだろうかと思ってしまう。
飽き飽きしたり、しないんだろうかと。
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このところ自分が感じている憂鬱について色々と調べてみたところ、ミドルエイジクライシス、あるいはミッドライフ・クライシスと呼ばれるものに、どうもよく当てはまっているようだ。中年になって、自分の人生や将来に、不安を覚えたり、なにか間違った生き方をしているのではと疑問を感じたりする現象らしい。
第二の思春期とも呼ぶそうだ。
思春期、なんて言われると、なにを、俺はそんな青臭い、幼稚な人間じゃないぞ、といらだちを覚えるけれど、そういうところが幼稚なんだよ、と言われてしまえば、それはまあ、確かにそうかとなる。
30代でそうなるのは、少し早い気もするが、子供がいないとそういうものなのかもしれない。
■
どげんかせんといかんとは思う。
思うけれども、どうにかなるような気もしない。
そもそも、生活に張り合いを求めているかと言われると、そういうわけでもないような気もする。
やりたいこと、というものを考えたとき、何も、本当に何も浮かばない。
ぐっすり寝たいという望みは、先日のコロナ罹患で不本意ながら叶ってしまった。
何をするのも億劫だ。
億劫なのに、しばらくは終わりがくるような感じもない。
女性にとって転勤制度が問題なのではなくて、キャリアパスが見えないのが問題なんだと思うな〜
全国転勤あること前提で求人かけてるなら、エントリーして入社してる女性新卒にとって地方配属自体はそこまで大ダメージではない(ノーダメージではないけど知らん田舎に飛ばされたら男性でもそりゃ気分は良くないからこれは同じデバフ)
ただし配属後のキャリアとか再転勤までの間隔イメージを会社が上手く想像させてあげられないと、新卒入社の女性社員は30歳までの残り5年強を行き当たりばったりで生きてかなければいけないと懊悩し、これがタイプ相性的に効果抜群の大ダメージなのだという体感。
子供を作ることの限界時期が身体的にも男性より女性の方が早い以上、男性が「とりあえずがむしゃらに頑張ろう!」等新卒的なフレッシュさを発揮するタイミングで「あと数年以内に結婚して子供産みたいのに次いつ転勤になるかわかんない」とグルグルするのは当然であり、ここがシステムとタイプ相性悪いんじゃないのかな。増田の会社の転勤システム知らんので勝手に言ってるけど。
キャリアのお手本になるような女性社員がそれなりに各地にいたり、何かあったら勤務地固定できる制度があるとか、入社後10年くらい先までの「どういった選択肢があるか」を最初に示しておければ、もう少し退職者減るんじゃないかと思うけど、どうだろう。
うちも全国転勤ありだけど、女性社員による女性社員のためのキャリア相談会とか社内結婚した際の転勤に関する諸制度とか色々やってるし、再移動も面談で定期的に希望は吸い上げて、そもそも新卒の配属自体を一応第3希望まで募った上での振り分けにしてどう転んでもギリギリ彼らの想定内に納める配属にしたり、この辺までやってようやく男女トントンて感じかも。