はてなキーワード: イノベーションとは
気が立っているので書き散らして八つ当たりする。
自身の美学なのかなんなのか知らないが、技術者はオナニーをやめろ。
クソだと思う仕事の慣習はあるかもしれないが、慣習が存在する以上、慣習に合わせた機能くらいつけろ。
クソな慣習を自分たちが変えるだなんて思い上がったことを考えるな。
イノベーションを起こそうだなんて大それた夢を持つな。
OpenOffice。お前だ。
行数字数を任意に設定しても、ノンブルを打つとレイアウトが崩れるとは何様だ。
Gmail、お前もだ。
スレッド表示を押し付けるな。BCCで送信したメールくらい自動で保存しろ。
他にもコンピュータオタク上がりの技術者にはイラつくことは多々ある。
社会に合わせろ。
しかし知的障害のある方はともかく、知的障害を伴わないいわゆる「発達障害」についてはそもそも概念を疑った方がいいのではないかと思うのですが。
「発達障害」について変に「理解」されても困るなあというのが正直な所。
おかしいのは過度のコミュ力を要求される社会の方だという、発想の転換も必要なんじゃないかと思いますよ。だって昔は今で言う発達障害に分類されるような人が問題なく社会生活を営んで、それどころか優れた業績を残していたりするんですから。
寧ろいわゆる発達障害の人は通り一遍の仕事よりも知的な仕事や創造的な仕事に向いていて、良きにしろ悪しきにしろイノベーションを起こせる可能性を秘めていると思うのですが今の社会はそういう人々を弾きだすばかりか無理に矯正して人並みにしようとしているみたいで、物凄く勿体ない損失を生み出しているんじゃないかと思いますよ。コミュ力はないけれど人とは違った発想が出来る、集中力がある、思考力がある、これって立派な長所なのに。金の卵を台無しにしているような残念感。しかもそれを良い事だと思っているから救えない。
職業訓練とかもその幅が物凄く狭いですしね。政治家になろうとか芸術家になろうという教育は行われない。
個性の範囲で済まされる人間を発達障害といって障害認定してしまう事は、肌が褐色だから障害だとか、髪がカールしているから障害だと言っているのに等しいのでは?目が見えて耳が聞こえる、手足も動く、学力も高い、そういう人間を障害者認定する社会の方に問題があるとは考えないのでしょうか。
労働者に画一的な笑顔を押し付ける企業の在り方は、社員全員を意図的に金髪碧眼で統一するような薄気味悪さがあります。
発達障害には「障害じゃなくて個性」という言葉が当て嵌まると思う。なのに障害者認定する事が該当者のためになっているという勘違いした人権意識がどんどん広まっているのが嫌だなあ。
北米からはFacebook、Twitterなど誰もが知っているサービスが生まれる。
日本は?
1つのサービスで会社を上場まで持っていく企業が日本には極端に少ない。
日本と北米ではベンチャー企業を取り巻くエコシステムが根本的に違う。
「そんなの当たるわけがない」
これを幾度と無く言われる。
そのイノベーションの種に対して投資をするエンジェル及びベンチャーキャピタル(以下VC)が少ない。
そして更に。
投資を引き受けてくれたとしても極論何もしてくれない。
別にベンチャー企業側も何かをしてくれと他力本願なわけでは決して無い。
しかしそれにしても手放し状態だ。
例えば。
ベンチャー企業なんていうのは技術面を例にあげると大企業には勝てるわけもない。
ベンチャーにとっては全てが新しい。
ベンチャー側は出資を頂いた以上、更に高みを目指して精神をすり減らしながら学び、トライし、悩み、ゴールを模索する。
投資家は?
お金を出す。
ベンチャーに勝ちを見出したから買い物した、それだけの事象ではないだろうか?
日本ではお金を出した側が偉いという風潮があるように感じれる。
そんなことはないと言われても、そう感じられたら事実そうなのである。
お金。
それ以外に何を与えることが出来るか、ここが北米と日本では考え方が違うと感じる。
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更に掘り下げてしまうのでお時間に余裕のある方のみご一読下さい。
日本のエンジェルはドットコムバブルで富を得た人が多いイメージだ。
要するに日本のエンジェルは一線を退いて俯瞰している人が多い。
お金以上を求めたとしても業界トレンドは刻一刻めまぐるしいスピードで移り変わっている。
意味が無い。
あくまで全ての投資家を指しているわけでは決して無い。
そこはご容赦いただければ幸いです。
なのになんで、働かなきゃいけないんだろ。
③ネットやパソコンによって必要なサービスなどが整った(AMAZONやPOS)
見てみると、確かに労働人口は少なくて済むようになっているらしい。
なのに、なぜこんなにあくせくしてるんだろうか?
今の労働ってなんだろう?
①新しいイノベーションにより商品に付加価値がつくことで経済が回る
②金を回すシステムにより金が金を回し合うシステム(金が回るたびに平民からの搾取度合いが上がるので、平民はよりキツイ労働に突き動かされる)
③新しいイノベーションを動かすための人員(無能労働なので扱いは奴隷)
もしかして、結構な数がドンドン人生に負けて、死亡or無職行きになるんだろうか?
う~む、恐ろしい。
俺もそんなに若くはないが、おっさんほどズレてはないと思うから言わせてもらう。
(以下一部引用)
・知る限り中小の社長なんてもっと酷いよー。Apple製品、ソーシャル、医療福祉、海外 これだけ言っておけば何でも金になると思ってんだから。結局代理店か下請けに甘んじるし。自分でやるだけ良いんじゃないかなー
・これが意外とチャラいというかミーハーな方が成功したりするんだよな。というのも、起業とかイノベーションって結局のところ時代の波に乗って波を大きくすることであって、凪から波を起こすことじゃないから。
・若い人には視野の広さなんて求める必要ない気がするんですよねえ。視野が広い人は起業とかあまりしないんじゃないかなあ、と。
それを循環させるエコシステムを作ろうってのが最近よく言われてるスタートアップブームの本質なんだよ。
このエコシステムってのは、今まで自治体や政府がやってきたそれとは全然違うんだよおっさん。
おっさんの言うとおりに人、物、金、を動かすと自治体や政府が人月計算で専門学校やFラン大学上がりのエンジニアを糞みたいにこき使って自転車操業で金を稼ぐしょぼい受託起業に助成金配るのが関の山なんだよ。
それのどこがイノベーションなんだよ。
ネット回線とiPhone売り歩く営業代理店に新規の人材採用の助成金ばら撒いたってイノベーションは起きなかったんだよ。
確実に(一定の)マーケットがある市場ってのは、一定のであってそこに人、物、金を突っ込んでもしょうがないわけだよ。
学生が起業するならバイトの斡旋とか、家庭教師の斡旋とか、ネット回線売り歩いて成果報酬もらったりって、それが言いたいことではないだろ?
おっさんは家庭があって家のローンがあって毎月(一定の)固定費が必要なのかもしれないけど、若者にはそんな心配ねぇんだよ。
だから若者は限りなくセクシーで、ニーズがあるかないかも分かんねぇドメインで博打を張れる。それでいいじゃん。
それを応援してやっても誰も損はしないだろ。若者以外そこに博打は張らないんだから。
若者がセクシーでキャッチーなアイデアしか出せないのは、知識がないのと、どっちにしろリソースがないからだよ。
MacとiPhoneとWindowsとAndroidくらいしかねぇから、そのリソースでレバレッジをバリバリに効かせてんだろうよ。
今のSAPベンチャーもFacebookもGREEもmixiもそうやって生まれてきたんじゃないか。
おっさんの言うとおりにしたら、ソシャゲーとSNSはマーケット自体生まれなかったじゃねぇか。
でも糞みたいなアイデアが多いのは同意する。でも別にいいじゃん。
エコシステムはそういう糞みたいなアイデアをつまみ出して、そこに人、物、金が集まらないようにって意味でのフィルターも兼ねてるんだから。
半年1年すれば金も時間も気力も尽きてどうせ就職活動するからほっとけよ。
おっさんが推奨するような営業代理店も売るものがなくなったら勝手にランサーズに掲載されてる案件売り始めるだろうよ。
批判がほしいのか、一握りの共感がほしいのかわかりませんが、こんな文章を知らない誰かが読んでどう思うのか気になって書いて見ました。
いつからかボタンをかけちがっているような感覚がありました。些細な瞬間というよりは常にうっすらとありました。
自分の人生を生きているという確かな実感が薄く、実年齢とその年齢で想定していた精神状態との乖離をすごく感じていました。精神は安定せず、2~3ヶ月に何日かすごく塞ぎこむ日が続いたと思えば、一週間ほど“ハイ”な日がきたりしました。
夜明けまで街なかを散歩したかと思えば、毎日ランニングに精を出したこともあります。
2~3週間で興味や関心が移り、好きな時間に起きて、それをやり、好きな時間に寝ていました。
そんな生活をしていると一年という期間はあっという間に過ぎてしまいます。
この一年で得た些細なものと、この一年で失った大きなものとの、両方の大きさを実感できます。
ニートになるのはやめろ、言いたいのではなく、結局なるようになったのだと思います。
ボタンのかけちがったままいこうにも、すでにとめるものが無くなってしまったのですから。
躁鬱病と言えばそれまでですが、病院に行ったこともなく正式な診断は受けていません。
自分で病的だということの自覚はありますが、それが自他ともに認めるのを怖がっているのです。
ですが自分が病的であるという自覚、又は仮定をすれば、では正常な判断とはなんだろう、という疑問が湧きます。
もし1つ条件を置くことを許して頂ければ、誰しもこの疑問にすぐ答えることは難しいだろうと思います。
「常識、普通」と「正常な判断」というのは必ずしも一致しない。
これは僕の経験則なので、あまり参考にならないかも知れませんが、常識や普通で考えて、「良い」又は「ありえる」「良くない」と想定できる行為は、行為のすべての可能性の8割程度を構成していると思います。
後の2割に「とてつもなく悪い」と「とてつもなく良い」が、混在しており、それは常識では判断できず、往々にして常識ではどちらも「とてつもなく悪い」と判断されてしまいます。
デカルトは良識はすべての人に備わっているといいましたが、もし「とてつもなく良い」判断をする能力を須く人類が備えていれば、「とてつもなく良い」世界ができそうですが、僕にはそうなっているようには思えません。
つまり8割を判断できる一般論では、2割を構成する極論は判断できないのです。
そしてその極論は、一般論では、否応なく悪い方に判断されてしまいがちだ、と思うのです。
というのも「とてつもなく悪い」と「とてつもなく良い」というのは何か、紙の裏と表のようなもので切り離して語ることはで
きないので、そのように思うのです。
例えば「食事」で考えてみます。
「良い」食事というと常識で考えて、1日3食決まった時間にバランスよく肉だけでなく魚や野菜も食べれば「良い」食事であると判断できるのではないでしょうか。
逆に「悪い」食事というのは、常識で考えて、好きな時間に、ファーストフードや揚げ物など偏ったものばかり食べれば、それは「悪い」食事であると判断できるのではないでしょうか。
では例えばスティーブジョブスのような偏執的とも言えるようなベジタリアンはどうなのでしょう。
本で見た程度なので、正確かどうかはわかりませんが、彼は体の毒を除くための絶食を1週間程したり、肉は全く食べず限られたものしか食べないというようなかなり偏ったベジタリアンだったようです。
晩年、すい臓がんの闘病中に、医師から栄養価の高いものを勧められても頑なに自分の信念を曲げず、自分の決めたものしか食べなかったので、病気の進行を早めたといいます。
これは「とてつもなく悪い」食事なのでしょうか。
多分そうなのでしょう。
食事という面を切り取れば、「とてつもなく悪い」ということになると思います。ではもう少し多面的に、考えてみましょう。
この偏執とも言える食事のおかげで、彼の頑なな意志が生まれ、僅かではあるが、皆さんがご存知の偉大なイノベーションにつながったとすればいかがでしょうか。
これでは、言い過ぎと言われるかもしれないので、彼の頑なな意志では、一度決めたことは、たとえそれが「とてつもなく悪い」ことでも貫き通すことにこそ意味があった、というのはいかがでしょう。
彼のパーソナリティを鑑みれば、「とてつもなく悪い」食事と「とてつもなく良い」イノベーションとは切っても切れない関係なのです。
これも言い過ぎかも知れませんが、僕が言いたいのはこのようなことです。
極論なので論ずるに値しないと思う人もいるかもしれませんが、僕は極論の話をしたいのです。
極論というとあまり響きがよくないので、ここで言い換えましょう。
一般相対性理論、特殊相対性理論とあるように、一般の対義語は、特殊だと思いますが、特殊論というと、これも極論と響きが似てきます。
例えば「彼のようなクリエィティブな人間な人材を育成したい」と言うと、食習慣を真似するというのではなく、イノベーティブな製品を発明することを指すと思います。
ですが私は、それらは切り離せないウラとオモテのように思うのです。
常識的な判断で「よい」と思われる物事の一面だけを切り取って、それを一般化させて、一般論としても、個別論に適応できないように思われるのです。
僕達は個別論的に生きているので、一般論的に論じられても、意味を見出せないと思います。
これは私の個別論的な主観を、一般化して世代を論じているので、自己矛盾じゃないか、と言われると思いますが、全くその通りです。
そしてただの自己弁護です。
こんな文章を一体誰が読んでくれるのでしょう。ああ、そういえばタイトルがありました。
「やりたいことをやるってなんだろう」です。これです。
結局僕はやりたいことが一般論で見つからなかったからニートになったんだと思います。そしてこの文章も推敲もせず途中で投げ出していまいました。こんな人間がニートになるのです。
こういう、一見正反対の記事が同時期に出てくるのはやはり面白い。
前者は、オープンイノベーションにより年々進化が加速するソフトウェアの世界で、停滞を選んだ技術に何が起こるかを象徴していて非常に興味深い。
Seasar2が冒険しないことによって、適切な大きさの問題は生まれなくなり、開発者が離れ、Seasar関連プロダクトが生まれなくなり、Seasarユーザも離れていく。使われないSeasarからさらに開発者が離れていく。
なぜ人はオープンソースプロジェクトに集まるか。そこに解決すべき課題があるからだろう。解決すべき課題が無ければ、人はプロジェクトから離れていく。
では、やはりカネでプロジェクトの求心力を維持できるプロプライエタリこそ一番信頼できる、無責任なオープンソースに依存するべきではないということになるだろうか? しかし、ここ十年のソフトウェア技術の進化の大半が、プロプライエタリではなくオープンソースプロジェクトの成果であることを考えれば、もはやそのような選択肢はないだろう。
そして、単に人が居なくなるだけなら良いが、問題は、人が居なくなり進化が止まった技術は陳腐化して価値を失うことだ。
よく、「流行の技術が出てくるたびに次々と乗り換えるのは軽薄だ。枯れた技術こそ最後に生き残る」みたいなことを言いたがる人がいる。けど、一見、次々に現れるバズワードで似たようなバカ騒ぎを繰り返しているように見えても、なんだかんだで、一周した時点で世の中は前に進んでいるし、そのサイクルは年を追うごとに短くなっている。
で、それを象徴しているのが後者の記事だと思う。つまり、「枯れた技術は堅実」とか言って余裕ぶっていると、XaaSによって仕事そのものが消滅するケースが増えている。あるいは、そう簡単に自動化できない仕事を請けるにせよ、要求される技術水準は確実に上がってしまっている。
でだ…これらの台頭もあって、いわゆるインフラを全部外部まかせにすることになったとする。その場合、Webサービスの運用であったり足回りの整備であったりツール開発であったりを担当しているおれの主業務はほとんど奪われることになる。
昔から「技術者たるもの勉強し続けなければならない」みたいなことは言われていたが、今や、その言葉が意味するシビアさは格段に上がっている。泳ぎ続けなければ自身の生命を保てないマグロのように、先端技術へのキャッチアップを続けられない者は、速やかに技術者生命を失うことになるだろう。
我々の業界は、すでにオープンイノベーションを核とする過酷なエコシステムに組み込まれてしまっている。もはや、逃れることはできない。
わかいね
学部はアホ卒なんだね
>2009年にオックスフォード大学博士号取得(社会政策学)。京都大学・日本学術振興会(JSPS)及びオックスフォード大学の研究ポストを経て、
ふんふんすごいね
>現在、ロンドン大学・Goldsmiths専任講師(社会起業学)及び社会起業学修士課程ディレクターを務める。オックスフォード大学リサーチ・フェロー、国際大学GLOCOM客員研究員。専門分野は組織社会学。
>主な研究テーマは、「若者」「コラボレーション」「社会的イノベーション」「経済の再考」。2013年に、ニート問題に取り組む日本の社会起業家によるイノベーションなどを分析する単著Japan's Emerging Youth Policy: Getting Young Adults Back to Work(『日本の若者政策の出現――若年層を就労へ連れ戻す』)(Routledge)を出版。
2006年購入当時20万位してたやつが今日死んだ。2013年なら代替品は5万くらいか?去年2度電源を入れたのが最後だ。今日、ACアダプタに繫いでもうんともすんとも言わない。かつての愛機X41Tabletは死んだのだ。
(正確にいえば電源を入れてLEDが光らないのだから、電源周りがお亡くなりになっているだけの可能性が高い。だが、何故か検証をする気にもなれない。もうかつての情熱は消えたのだ)
重さ確か2kg弱くらい。
片手でこの重さに慣れ親しんでいたために、のちのiPadだかGoogle Nexus(綴り間違えならすまん)だかに対する「片手で持つには重い」という指摘にはまったく気にならなかった。空気みたいな軽さだ。必死こいてカスタマイズに励んでいた頃が懐かしい。以後のモデルと違ってHDDはまさかの1.8インチ仕様。主流から外れてクソだった。CPUは当時とすれば王道を歩いていて、後々のCore2 Duoで完成を見た。
悲しくならない一因として、ディスプレイの表面がクソ分厚いことが上げられる。電磁誘導でディスプレイからの入力を可能にするためにフツウの表示Onlyのディスプレイより何層か積み重なっており、初期型ゆえにクソ分厚いのだ。ヘタするとペン先と、直下の座標とが直感よりずれてしまうこともあった。
後のX60だったか?こいつは電磁誘導かつタッチパネルにも対応していた。タッチパネルと電磁誘導が混在すると、それはそれで手のひらを触れながらペンで入力しようとすると誤動作の一因となり使い分けが重要だ(X60はうまいこと回避するような仕組みがあったように思う)。
さてX41だが当時としては綺麗な発色と視野角が広い(170度くらい)のなかなかのディスプレイで、お絵かきにはそこそこ使えた。プロからすると筆圧256段階検知と516段階検知じゃ違いがあるのだろうが、256段階感知どころか筆圧機能すら私にはあまり必要でなかった。各種タブレットがばっさりと筆圧機能を削っていることからみて、それはそれで正解なのかもしれない。
バックアップは取ってる。最後に動かした去年に、ずぼらな私もその時ばかりは何故かバックアップを取った。恐ろしいのは自省してみて、バックアップを取っていなかったとしても、悲壮にくれることはなかったんだろうなぁと心変りした自分の気持を肯定してしまうことだった。(それ程重要なデータでもなかったし、いざとなればネジを外してHDDから吸い出せばいい)
HDDの速度がクソだったし2007年前後はCPUのイノベーションもあっという間だった、だましだまし使いながら2011年頃まで相棒として愛用してきたのだ。
購入するならやっぱりPCが(自分にとって)いい。iOSやAndroidは自由なようで不自由だから嫌だ。当時よりも、遥かに薄くなった、安くもなった、探せば選択肢も当時より比較にならないほど恵まれているはず、なのに店頭に急ぐほどの気力はない。俯瞰的にみれば、あの時期に糞高いタブレットPCに手を出したこと=潤沢な研究開発費への養分、と同義ではあるが、まったく後悔はしていない。むしろ、同じ時期に購入した同志たちの死屍累々で、今のように薄くて軽いタブレットが日の目を見る日がほんの僅かでも早くなることにほんの少しでも貢献したのだと誇りにすら思う。でも、気力はなんか枯れた。
まぁ、チャレンジャー向けカテゴリの商品として、馬鹿でっかい(20インチとか、そんなの)タブレットが店頭に並んで発売されているが、かつてX41を買うときに迷ったように、買うか買わないか悩ましく感じる日々を過ごしながらコーヒーを飲むとしよう。
国家の「成熟」というのは、文化の違いを超えてあらゆる近代国家は同じ発展の仕方をする、ということが前提なのかね。物理的に発生する課題なんかは、確かにある程度似てくるだろう。だが、社会制度や人々の労働観などまで同じになるという期待は、文化の違いを一切無視した極論ではないかな。だとしたら、有権者も企業も「ついてこない」ような制度を導入した小泉改革が、どうして「正しい」と言えるのか、疑問。
まあ、日本人は、結局、職業であれ性別であれ、とにかく何らかの「身分(差別)制度」を求めているんじゃないかね。それは、単に信仰とかいう問題じゃなくて、もっと根深いところでそうなんじゃないか。
たとえば、日本人は、キリスト教徒ですら、どこかで「全ての人は平等だ」という概念を理解していないんじゃない? 牧師や神父のように、「より真面目な」信徒は「より神に愛された」存在であって「偉い」……とどこかで思ってるフシがあるんだけど、どうかね。「懺悔」とか「告悔」というシステムを心から納得しているんだろうか。罪を悔い改めた罪人は、等しく神に愛された存在であって、「ずっと正しく生きてきた信徒」と同じように救われる存在だ、という感覚が本当に持てているの? どこかで、昔からの仏教のような感覚で、「より修行をした僧は、より仏に近い」「偉い」存在だ、という感覚がありはしないか。
これって、別のツリーで話題になってる「自尊心」の問題と同根だと思う。「日本人ほど自尊心が低い人が多いように見える社会はない」というのは、「平等」を押し付けてくる近代的社会制度への無意識の反発が、「いやいや私ごときなんて、そんな、皆さまと平等な偉い存在じゃないんですよ」という謙遜風自虐と、その裏返しとしてのある種の「無神経な図々しさ」(ちっぽけな存在である私ですから、多少不作法だったり公益に無関心だったりしてもお目こぼし願いますよ、ヘッヘッヘッ、的な)となって表れているような気がするね。
身分制度って、一面「ラク」な社会なんだよね。身分が社会的に規定され、それ以上のものは求められない、という点で。みんなが「身の丈」で暮らす社会と考えれば、『選択的身分制社会』なんてアリじゃねーのとも思うが、どうなんだろうね。まあ、イノベーションのない社会は国際的競争力を失うことは必然だから、長期的には「今ある財産を食いつぶす」「ますますhentai国家化が進む」結果になるとは思うけどさ。逆にその方が、社会的な「生きづらさ」は減ると思うんだが、どうだろう。
まあ、単なる妄想なんですけどね。
堀江貴文(Takafumi Horie) @takapon_jp
対談依頼が来ましたが華麗にスルーしてますw RT @s1o: こりゃなんだかんだイノベーションだわ。 RT @suadd: 『我稼ぐ、ゆえに我あり』与沢翼 名言すなぁ>雑誌『ネオヒルズジャパン』3000万円投資で創刊! http://fb.me/2qDLvgtM8
https://twitter.com/takapon_jp/status/378042006812897280
堀江貴文(Takafumi Horie) @takapon_jp
は?嘘でしょ? RT @satoshi081355: 与沢翼は堀江さんからオファーが、きてるって言ってますけど、やっぱり・・・って感じですww RT @takapon_jp: 対談依頼が来ましたが華麗にスルーしてますw RT @s1o: 『我稼ぐ、ゆえに我あり』与沢翼
https://twitter.com/takapon_jp/status/378054938309304320
堀江貴文(Takafumi Horie) @takapon_jp
スゲえな。 RT @satoshi081355: YouTube動画で見ましたけどもう対談も決まってるようなニュアンスでしたけどね あるかわかりませんが探してみましょうか? RT @takapon_jp: は?嘘でしょ?
道具には何か使用目的があるのであって、それがなければ無理に使う必要はないと思う。
使用目的もなく道具に使われてしまっているネットユーザーが多い昨今、賢い選択なのでは。
よく言われることだけれども道具の進化に人間がついていけていないのが問題。
情報革命だ、イノベーションだと言われるが、人間がそれをどう使用するのかは語られない。
コミュニケーションツールとして使用するのは結構スキルがいるのに、そこが軽視されているのも問題。
人間の醜さというのはネットのない時代はある程度閉鎖的であったのに、今はダダ漏れである。
いい大人がツイッターなどで言い争いをする姿などは確かにうんざりさせられる。