こういう、一見正反対の記事が同時期に出てくるのはやはり面白い。
前者は、オープンイノベーションにより年々進化が加速するソフトウェアの世界で、停滞を選んだ技術に何が起こるかを象徴していて非常に興味深い。
Seasar2が冒険しないことによって、適切な大きさの問題は生まれなくなり、開発者が離れ、Seasar関連プロダクトが生まれなくなり、Seasarユーザも離れていく。使われないSeasarからさらに開発者が離れていく。
なぜ人はオープンソースプロジェクトに集まるか。そこに解決すべき課題があるからだろう。解決すべき課題が無ければ、人はプロジェクトから離れていく。
では、やはりカネでプロジェクトの求心力を維持できるプロプライエタリこそ一番信頼できる、無責任なオープンソースに依存するべきではないということになるだろうか? しかし、ここ十年のソフトウェア技術の進化の大半が、プロプライエタリではなくオープンソースプロジェクトの成果であることを考えれば、もはやそのような選択肢はないだろう。
そして、単に人が居なくなるだけなら良いが、問題は、人が居なくなり進化が止まった技術は陳腐化して価値を失うことだ。
よく、「流行の技術が出てくるたびに次々と乗り換えるのは軽薄だ。枯れた技術こそ最後に生き残る」みたいなことを言いたがる人がいる。けど、一見、次々に現れるバズワードで似たようなバカ騒ぎを繰り返しているように見えても、なんだかんだで、一周した時点で世の中は前に進んでいるし、そのサイクルは年を追うごとに短くなっている。
で、それを象徴しているのが後者の記事だと思う。つまり、「枯れた技術は堅実」とか言って余裕ぶっていると、XaaSによって仕事そのものが消滅するケースが増えている。あるいは、そう簡単に自動化できない仕事を請けるにせよ、要求される技術水準は確実に上がってしまっている。
でだ…これらの台頭もあって、いわゆるインフラを全部外部まかせにすることになったとする。その場合、Webサービスの運用であったり足回りの整備であったりツール開発であったりを担当しているおれの主業務はほとんど奪われることになる。
昔から「技術者たるもの勉強し続けなければならない」みたいなことは言われていたが、今や、その言葉が意味するシビアさは格段に上がっている。泳ぎ続けなければ自身の生命を保てないマグロのように、先端技術へのキャッチアップを続けられない者は、速やかに技術者生命を失うことになるだろう。
我々の業界は、すでにオープンイノベーションを核とする過酷なエコシステムに組み込まれてしまっている。もはや、逃れることはできない。
「停滞」と「最先端」しか考慮してないのがおかしい。再提出。
「最先端」でない技術のコモディティ化が年を追うごとに加速しているという趣旨だからね。