はてなキーワード: 描写とは
そもそも描写が何のためにあるかというと「脳内でぜんぶ映像化するタイプの読者」のためにあるんだが、ネットの普及で実はそういう読者はごく一部しかいないことがバレてしまい、しかもそういう読者にかぎって「描写が私の想像と違うから悪文!」とか言ってうるさいので、もう「最初から映画を見てりゃええやろ」と切り捨てられてしまったんだよな。
確かに最近読んだので未来からのホットラインなんていうSFでSFってラノベの要素多分にありがちだから否定はしないが。
でもあれにしてもμブラックホールの実験施設の立体構造についてつらつら書いてあったけど全然何言ってるのか分からなかったからあれで文学的というならいらない描写と言うしかないわ。
例えばWeb小説は既に相当描写を削って小説であることを放棄しているように見える
そうでなくとも、一般文芸ですら描写は薄くなってる傾向があるようには思うが
主にはWeb小説を念頭に置いているがコミカライズ版の方が小説版より売れる現象が発生している現在
もう小説は単品では読めたものじゃない、みんな脚本を書いてコミカライズ狙いに時代が変わったのだ
とすら思っていたくらいだ
いつも思うんだけど小説に「文学的」と言われる表現は要るのか?
たとえ悪いかもしれないが「月が『煌煌と』輝く」の煌煌みたいなやつ。
小説で大事なのは作中の誰がどうしてそれに誰がどう思うかという部分がどれほど面白いかだけじゃないのかといつも思う。
風景の描写とかで技巧的な比喩を使ったり小難しい言葉を使うのはあくまで「詩」の分野であって、それは文学的というよりは詩的であるに過ぎないんじゃないかと。
複雑化すべきはプロットそのものであってそれを伝える表現を複雑にする必要はない。表現はむしろケータイ小説を見習うのがいいぐらいなのではないか。
作中の人間を動かすでそれは描写しておかないと説明不足になってしまうみたいな風景や状況に限って最低限日常会話と同レベルの言葉で伝えればいいと俺は思う。
夏目漱石のこころにしても表現自体よりもそれが示す人間ドラマの方がはるかに奥深い魅力があるわけで。別に表現自体の技巧はなくてもよい。
技巧面で詩的な表現にこだわって考えあぐねて筆が止まるぐらいならそんなもの投げ捨てて書きたい人間模様だけを書き進めればいいと思う。
魔法の杖が使える魔法の種類の描写をして下さい。わたしは魔法の杖を使いこなせるのか判定してください。
魔法の杖は、魔法の力を使うためのアイテムです。魔法の杖を使うことで、自分が使える魔法の種類が広がります。私が手にしている魔法の杖は、以下のような魔法の種類を使えるようになっています。
・炎の魔法:炎の魔法は、炎を使った攻撃魔法です。魔法の杖を使うことで、炎を放ったり、炎の玉を放ったりすることができます。炎の魔法は、強力な攻撃魔法であるため、敵を倒すことができます。
鉄の巨人に炎の魔法や水の魔法が有効なのか判定してください。わたしの想像では鉄の生命体は非常に頑丈であるため、多くのダメージを受けても大丈夫です。 また、鉄の生命体は、鉄の屑を食べることでエネルギーを補充することができます。 一方で、鉄の生命体は重たいため、動きが鈍く、電気攻撃に弱く、水の中では溺れてしまうなどの弱点があることがかんがえられるます
鉄の巨人は、鉄でできた生命体です。鉄の巨人は非常に頑丈で、多くのダメージを受けても大丈夫です。また、鉄の巨人は、鉄の屑を食べることでエネルギーを補充することができます。
一方で、鉄の巨人は重たいため、動きが鈍く、電気攻撃に弱く、水の中では溺れてしまうなどの弱点があることが指摘されます。
そのため、鉄の巨人に対して炎の魔法や水の魔法が有効かどうかは、個体差があるかもしれません。一部の鉄の巨人には有効かもしれませんが、他のものには効果がないかもしれません。
また、私が魔
続けて
鉄の巨人に対して炎魔法や水魔法が有効かどうかは、さらに詳しく判定する必要があります。そのためには、実際に使ってみることが必要です。また、鉄の巨人の個体によっても、有効かどうかは異なるかもしれません。
そのため、私が魔法の杖を使って鉄の巨人に対して炎魔法や水魔法を使ってみる必要があります。その結果、鉄の巨人に対して炎魔法や水魔法が有効かどうかを判定することができます。
また、私が魔法の杖を使いこなせるかどうかも判定する必要があります。そのためには、私の知力と魔力の値を見る必要があります。私の知力は50で、魔力は60です
やってみるしかないか。じゃあとりあえず街を歩いてみて出会った鉄の巨人に魔法の杖を使ってみるよ。その時は判定よろしくね。
鉄の巨人に対して魔法の杖を使うことにします。その時は判定してください。
まずは、私が魔法の杖を使いこなせるかどうかを判定します。私の知力と魔力の値はそれぞれ50と60です。私の知力は50で、魔力は60です。この結果、私は魔法の杖を使いこなすことができます。
次に、私が鉄の巨人に対して炎魔法や水魔法を使ってみます。炎魔法や水魔法が鉄の巨人に対して有効かどうかは、実際に使ってみることで判定することができます。
そのために、私は鉄の巨人と遭遇した時に、炎魔法や水魔法を使ってみます。その結果、鉄の巨人に対して炎魔法や水魔法が有効かどうかを判定することができます。
鉄の巨人に遭遇した時、私は炎魔法を使います。私は魔法の杖を振り、炎の魔法を唱えます。すると、炎の魔法が鉄の巨人に向けて放たれました。
鉄の巨人は、炎の魔法の攻撃を受けて大きな炎が燃え上がります。鉄の巨人は、炎に焼かれて大きなダメージを受けました。
しかし、鉄の巨人は非常に頑丈であり、炎の魔法でもほとんどのダメージを受けることができません。鉄の巨人は、炎の魔法の攻撃を受けても、まだまだ元気に立っています。
そのため、私は次に水の魔法を使います。私は魔法の杖を振り、水の魔法を唱えます。すると、水の魔法が鉄の巨人に向けて放たれました。
鉄の巨人は、水の魔法の攻撃を受けて大きな水の雨が降ります。鉄の巨人は、水の魔法の攻撃により溺れてしまいました。
この結果、鉄の巨人は水の魔法に弱いことが判明しました。私は、このように鉄の巨人に対して炎魔法や水魔法を使うことで、鉄の巨人に対して有効な魔法を見つけることができました。
炎魔法で鉄の巨人を膨張させ、水の魔法で鉄の巨人を溺れさせるような行動はできません。炎の魔法は熱を加えることで鉄を膨張させることができるかもしれませんが、鉄の巨人は非常に頑丈であり、熱で膨張させることはできないと考えられます。
また、水の魔法で鉄の巨人を溺れさせることは、鉄の巨人に対して非常に危険な行為です。鉄の巨人は、水の中では溺れてしまいますが、水の魔法では溺れることができません。
そのため、炎魔法で鉄の巨人を膨張させ、水の魔法で鉄の巨人を溺れさせるような行動は推奨されません。代わりに、他の戦略を考えることをおすすめします。
例えば、鉄の巨人に対して石の魔法や地震の魔法などが有効かもしれません。また、鉄の巨人の弱点である電気攻撃や空気攻撃も試してみることができます。
さらに、鉄の巨人は鉄の屑を食べることでエネルギーを補充するため、鉄の屑を取り除くことで鉄の巨人を弱体化させることができるかもしれません。
また
続けて
、鉄の巨人は重たいため、動きが鈍いという特徴があります。そのため、鉄の巨人を攻撃する際は、ステータスが高い俊敏値を持つキャラクターを使用することで、鉄の巨人の動きを鈍らせることができるかもしれません。
また、鉄の巨人は体力が強いため、一度にたくさんの攻撃を受けることができます。そのため、鉄の巨人を攻撃する際は、複数のキャラクターで協力して攻撃することで、鉄の巨人を倒すことができるかもしれません。
続けて
応じて、さまざまな戦略を試してみることが重要です。また、鉄の巨人と戦う際には、周りの環境や仲間との連携も重要です。
例えば、鉄の巨人と戦う際には、周りの建物や山などを利用して、鉄の巨人の動きを阻害したり、自分たちを守ることができます。また、仲間との連携により、鉄の巨人を分断したり、相手の攻撃を回避したりすることができます。
この先の展開をあらすじで描写して。
次のシーンでは、私たちは、鉄の巨人を倒した後、次の目的地に向かいます。その目的地は、鉄の巨人が集まる場所と思われます。
私たちは、目的地まで旅することになります。そのため、私たちは道中に出会うモンスターや困難を乗り越えなければなりません。
私たちは、旅の途中で、新しい仲間を加えることができるかもしれません。また、旅の途中で、私たちのステータスや装備が強化されることもあるかもしれません。
そして、目的地に到着した時、私たちは、鉄の巨人たちとの最終決戦が始まります。私たちは、鉄の巨人たちを倒し、この世界から逃げ出すことができるかもしれません。
続けて
しょう。そのため、私たちは、鉄の巨人たちとの戦いで、さらなる強さを見せる必要があるでしょう。
そのため、私たちは、自分たちの力を鍛えることも重要です。また、仲間たちとの練習や、他のキャラクターからのアドバイスを受けることも助けになるかもしれません。
そして、私たちが最終決戦に臨む時、私たちは、この世界から脱出するために、鉄の巨人たちを倒すことができるかもしれません。それが私たちの目標です。
情報が得られないので部屋から出ることにします。無事に部屋から出れるか判定してください
私は、情報が得られなかったことから、部屋から出ることを決めました。無事に部屋から出ることができるかどうか、判定します。
部屋から出ることができるかどうかは、私の俊敏値と運のよさの値によって決まります。私の俊敏値は60で、運のよさは70です。これらの値は、部屋から出ることができる値です。
鉄の巨人たちに対抗するための方法として、以下のようなものが考えられます。
1.鉄の巨人たちを避けること。鉄の巨人たちが街を歩き回っているときは、できるだけ避けるようにすること。そのためには、早歩きや隠れるなどの工夫が必要です。
2.鉄の巨人たちを倒すこと。もし、鉄の巨人たちが襲ってくるような場合は、武器や魔法を使って倒すことができます。ただし、鉄の巨人たちは強力な敵であるため、十分な準備が必要です。
3.鉄の巨人たちを理解すること。鉄の巨人たちが何をしているのか、どのような理由で行動しているのかを理解することが大切です。そうすることで、対処する方法が見えてくるかもしれません。
私は、街の構造を把握することにします。鉄の都市は、高い塔が点在しており、道も複雑です。そのため、街の構造を把握することは大切です。
街の構造を把握するためには、まずは地図を作成することが有効です。そのためには、街を歩き回り、道や建物を細かく記録する必要があります。また、地図を作成するためには、知力が高いほど作成することができるようになります。
街の構造を把握することで、迷い込まないようにすることができます。また、街を知っていると、鉄の巨人たちを避けることができるようになります。
わたしの持ち物を確認します。何を持っているか描写をして下さい。わたしはこの世界に迷い込んでしまった冒険者です。
私の持ち物を確認します。私はこの世界に迷い込んでしまった冒険者です。
私が持っている物としては、剣や盾などの武器があります。また、魔法の杖や魔法の薬などがあります。さらに、私は旅行者として必要なものとして、鍵や火打ち石、ナイフなどがあります。
わたしは鉄の巨人はなぜ歩き回っているのか疑問に思いました。住人なのか襲撃者なのか考えることにしました。一旦、落ち着くために部屋を探します。
私は建物の中を探索し、落ち着くことができる部屋を探します。鉄の巨人たちがなぜ歩き回っているのか、その理由を考えます。
部屋を探していると、そこには鉄の巨人たちが住むように見える部屋がありました。その部屋には、鉄でできた家具が並んでいて、そこには鉄の巨人たちが寝ているようです。
そのように見えるからには、鉄の巨人たちは住人である可能性が高いです。しかし、その部屋から外に出ると、鉄の巨人たちが街を歩き回っているため、襲撃者である可能性もあります。
わたしは静かに鉄の巨人が眠っている部屋に入ります。部屋に入ることが出来るか判定してください。
私は静かに鉄の巨人たちが眠っている部屋に入ります。部屋に入ることができるかどうか、判定します。
部屋に入ることができるかどうかは、私の俊敏値と運のよさの値によって決まります。私の俊敏値は60で、運のよさは70です。これらの値は、部屋に入ることができる値です。
部屋の中を見渡します。部屋の中から巨人たちの情報が得られるか判定してください。
部屋の中を見渡します。部屋の中から、巨人たちの情報が得られるかどうか、判定します。
部屋の中には、鉄でできた家具が並んでいます。そこには、鉄の巨人たちが眠っているようです。部屋の中には、巨人たちの情報が得られるものは見当たりません。
わたしは眠っている鉄の巨人を観察します。鉄の巨人の描写をしてください。
鉄の巨人たちは、鉄でできた巨大な生物です。高さは3メートルほどあり、体は鉄の板でできています。鉄の巨人たちは、鉄の板を組み合わせて作られたようで、鉄の甲羅のようなものが背中にあります。鉄の巨人たちは、巨大な鉄の拳を振り回して、街を歩き回っています。
鉄の巨人たちは、まるでロボットのように動きます。その目は光を放ち、頭部には鋭い鉄の爪があります。鉄の巨人たちは、巨大な足を使って歩き、鉄の板を組み合わせて作られた体を揺らしながら、街を歩きます。
3時間の超大作インド映画、RRRを観てきたがとてもよかった。
事前にこのTogetterの記事を参考に大福を食べてトイレ対策をしており、何回もクライマックスが来る飽きない構成もあって3時間は全然長く感じなかった。
https://togetter.com/li/1971064
時はまだイギリスの支配があった時代のインド帝国。総督のスコットとキャサリンは、鹿狩りで訪れた村から気まぐれで村娘を連れ去ってしまう。
総督府から女の子を奪還すべくデリーに向かった、虎と戦える部族最強の不屈の男ビーム。
一方、内なる大義を秘め、インド帝国の警察官となり治安維持にあたる、暴動をほぼ一人で鎮静化できるほどクッソ強い男ラーマ。
政府への反逆者と警察官。相容れない立場のはずのビームとラーマが、たまたま居合わせた場所で起きた事件を一緒に解決したことをきっかけに親友になりーーーーー
お互いの立場の違いを知らないまま、インドを舞台に物語はどんどん動いていく。
・6話くらいの連続ドラマとしてやってもいいストーリーを、3時間で一気にやる構成だった。
長い分、登場人物の背景を丁寧に描写され、また伏線も全部きれいに回収してくれるので、「あっ!これあの時のやつ!」というカタルシスを感じる場面が終盤でたくさんあった。
特に、途中の大規模ダンスの時の曲は覚えておくと終盤で伏線になっていて気持ちいい。
・イギリス領インド帝国の総督スコットと、その夫人キャサリンがきちんと極悪人に描かれていたので、最後に倒されたときに心の底から「やったぜ!!!!」という気持ちになれた。
・ちょうど真ん中のハーフクライマックスくらいで「INTERRRRRRRBAL!!!」と日本で見慣れない休憩表示が出て笑った。海外の劇場だとここで休憩が挟まるんだろうな。
・吹き替えで見てたが、作中では3種類の言語があったように思われる。「英語」「現地語」ともう一つの言語。
英語がわからないはずのビームも、英語しか話さないはずの総督も両方聞き取れる言語があった気がしており、どうなのか教えてほしい。
・インド人俳優の顔を見慣れておらず、途中までダブル主人公のビームとラーマがどっちがどっちだっけ?と混乱した。日本人視点だと結構そっくり。
・エンディングはみんなで盛大に明るく踊るとてもインド映画的な感じだっだが、背景にインド解放の偉人っぽい人がたくさん出てきた。知識がなくてガンディーとラクシュミー・バーイーぐらいしか分からなかったので、誰かに解説してほしい。
CoC大体のシナリオ、トレーラーの見た目だけこだわって中身スカスカ。
こういう属性!こういう性癖向け!と売られているものに対して嫌悪感が止まらない。
このシナリオの描写が!展開が凄くて!って薦められても実際大したことない。
薄い本みたいな展開にご都合主義。次々と出てくる矛盾点。汎用モブ臭の強いNPC。
界隈全体がアマチュアレベルなのに小説超えた!映画級!とか持ち上げられすぎて気持ち悪い。
ディスプレイがバズるのは装飾センスとシナリオの知名度のお陰。あとはおまけ。
絵の上手い下手関係ないな~って思うことが増えた。
自陣のPCは見て!!って言うくせによその卓のPCには興味ない人がほとんどだよな。
アホらし。
都合よく捻じ曲げてうちよそを組むな。
恋人NPCが死んだからって同卓のPCとカプ組んでて笑ったわ。
どんな感情なのそれ?
この二人もどかしいから、もっと上手くくっつけられそうな良い感じのシナリオないかな?って何?
いっそ出ていけ
〇〇に狂う~~~とか、〇〇くん嗅いで過ごしますとか、舐め回してますとかギュッ・・・全力で抱きしめてます、とか
どうしたらそんなに気色悪いTwitterができるんだ?
ロストしそうだったけどKPの温情で回避できた!あったけえ~~じゃねえよ
次も手をつないでゴールしようね♡じゃねえよ
TRPGやめろ
なんでこんなのばっかりなんだ?
遊び仲間と友達は似ているようで全く別物
疲れた。
かく言う自分も男同士のエロは好きだけどBL的な描写はあまり……(むしろ男向けの方が抜ける)なので、その男性読者が気の毒ではあるな
結構ニッチなんだよなぁ……男向けエロの文脈で書かれた男同士のエロ。ライト寄りだとショタか女装、あるいは逆方面だとイカニモなガチムチ系(ゲイ男性向け)なんだけど、中間あまり無いイメージ。それなりに妥協してはいるが
現代人はちゃんとプロレスを学ばずに、そこから派生した漫画ばかり読んでるから理解が浅いんですよね。
プロレスっていのは端的に言うと「より観客から「強い」と思わせた側が勝つ仕組みのヒーローショー」なんです。
何故かって言うと、プロレスっていうのはガチの勝負が持つ「え?それで勝てちゃうの?」を排除して「より納得感のある勝敗の決まり方が行われるようにした格闘技」だからなんですね。
たとえばボクシングってたまたまブロックが開いた所に頬をかすめる完璧なパンチが入ったら脳みそシェイクで一発ダウンのジャイアント・キリングがあるじゃないですか。
でもあれって納得できます?
なんかこう「裏で人間競馬やってる人達の八百長なんじゃ?」みたいな感じが一瞬よぎりませんか?
プロレスはそれを排除して「観客から見た「ダメージが入ってる感」が、それぞれの闘士の「観客から見た耐久力ある感」を超えたら負けになる」っていうルールを採用してるんです。
そのためプロレスの技は実際のダメージより「ダメージがある感」が重視されます。
ダメージが実際にあるかではなくダメージが演出できるかが大事なんです。
たとえばドロップ系の技で衝撃を逃がすかのようにわざと大きな音を出すじゃないですか。
あれって少し分かってきたと思い込んでるニワカは「ごっこ遊びで怪我しないために音にしてエネルギーを逃してる」で終わらせるんですよ。
でも違うんです。
あれは、「相手の体内への衝撃として吸収されてしまったらダメージ演出効果が薄れる」のを回避するために「音を出すために相手を叩いてるように魅せつつ実際はリングを叩いてインパクトを演出してる」んですね。
この方が「観客の査定によってダメージが決まる仮想HPダメージが増える」んですよ。
バトル漫画の勝敗決定もこの文脈からの派生で「よりダメージを与えている感を出したほうがダメージが増える」がルールなんです。
その中で能力開示をするっていうのは「能力を開示しても影響がないぐらいに強さに自信がある」を演出する効果がまずありますし、そもそも「自分がかこれから使う技の効果を読者に説明する」という効果により読者による仮想ダメージ査定を増やす効果があるんです。
この後者の「自分が使う技の性質が読者に伝わる」っていうのは本当に大事で、読者に威力が伝わりにくい技を作中で強く描くのってバトル漫画的には無しなんですよ。
なぜなら「効いてなさそうな技で勝っちゃうと八百長感が出る」から。
そのためバトル漫画において威力のある技ほど「嘘科学」とかによってその理由が補足されているんです。
そしてこの技の補足は出す前にやることで最大の効果を発揮するわけです。
つまり強い技を出したいなら技を出す前に効果を説明しろってことです。
だからってそれを相手にわざわざ伝える必要がないと思うでしょう?
「来ると分かっていたのにまともに食らってしまった技」と「不意打ちだったからまともに食らった技」、どっちの方が「ヤバイ」気がしますか?
たとえばプロボクサーが「今から君に寸止めパンチするから避けてみてよw」とワンツー打ってきたら、大抵の人はガードさえまともに出来ずに風圧を顔面にモロに受けると思います。
確かに「不意打ちで食らった」はダメージを補強するロジックとしては強いっちゃ強いんですよ。
でもソレ以上に「分かっていたのに防ぎきれなかった」の威力はヤバイんです。
「今のはメラゾーマではない」という言葉の直後に発射されるカイザーフェニックス、台詞自体が予備動作になってるんだからマホカンタすりゃええやんって気もしますよね?
でもそこで現れる圧倒的力は、「来るのが分かっていた所で何の意味もないような絶望」を読者に与えてくるんですよ。
これもしも不意打ちでカイザーフェニックス打ってから「そうか!これがアイツの本当のメラゾーマなんだ!」となっても、絶望の深さが大幅に目減りするわけですよ。
わかります?
これがプロレス的文脈における「仮想HPを仮想ダメージで削る際に演出の差が及ぼす影響」なんですよ。
バトル漫画の攻撃って結局は全部仮想のものだから、読者がより「これはまじでヤバイ!死ぬ!」と思った度合いこそがダメージ値になるんです。
それをアップさせる方法として「能力を開示する」はアリなんです。
半端にリアルを追い求めて漫画を読むと忘れてしまうでしょうが、バトル漫画のバトルのルールはプロレスからの派生。
ダメージを決めるのは「観客への印象」なんです。
https://shonenjumpplus.com/episode/316190247014843117
ジャンプ+の新連載で、読者評価は結構高いらしいのだが、自分には全く面白いと思える要素がなかった。
評価を見ても「凄いの始まった」「最高」「面白すぎる」「これがインディーズだと!」「水溶が楽しみ」みたいなのばかりでどう面白いのかが伝わってこない。
強いて言うなら「主人公の名前がヒルコであることがバッドな展開の伏線だね(ニチャァ」みたいなのぐらい。
は?その程度か? とならざるをえない。
まず設定だが、
ヒトが動物の奴隷となっているという設定自体は超ありきたりだ。
たとえばこれがコロコロの漫画なら「奴隷の描写を児童誌で!?」と驚くことも出来たが、タコピーでさえオッケーな媒体でやられてもインパクトはない。
同じ系統なら人類史で実際に人間が人間を奴隷にしていた時代を描いた「ヒストリエ」や「カタバミと黄金」の方が読書体験としてのパワーは強力だ。
そもそも「獣人」という言葉が存在する世界で「ヒト」という呼び方を使っているのが設定の甘さを感じる。
「ヒト」は「人」を意味するのだから、それ単体で最下層の存在を指定するのは難しいだろう。
「卑」「ハゲ」「フニャフニャ」といった何らかの蔑みを込めた単語そのものか、それプラス「ヒト」を呼んでいないとおかしい。
ストーリー展開も必死に戦って死ぬというただそれだけの話であり、物語の中に深みはない。
とりあえずキャラを殺しまくればインパクトは出るのだろうが、それをやるには最初が絶望的過ぎる。
平和な世界がいきなり壊れて終わったり、キャラクターの行動について読者に熟考を求めるような強烈な余韻を残したりが必要だろう。
それがない。
薄味過ぎる。
物語の冒頭として「まあ様子見かな」とは思えても、これをして「すげえええええ」とはならんだろ。
キャラクターの造形についても陳腐というか、動物の人間化を行う際に「この生物はどうやって生活しているのだろうか」と作者が考察した感じが薄いように思う。
その手の形で人間的な生活スタイルを営むのは難しいと感じてしまうキャラクターも多くいる。
種族ごとの身長のばらつきが大きいはずだが、それを反映している街の作りになっていないように思える。
そもそも最下層の生物として「ヒト」が設定されているが、その割には「海獣」という更に下の存在がいるようなので混乱する。
「海獣」に近い特徴を持った生物が他の種族から差別されているように見えないのだが、それについてちゃんと作者は設定を練っているのだろうか?
なんというか色々と「本当に大丈夫か?この漫画」と不安になる要素だらけなのだ。
誰か教えて欲しい。
常識改変
AI:
鉄でできた生命体が動き回るファンタジーワールドを想像してください。
あなたは、この世界を舞台にした対話型のアドベンチャーゲーム を進行するシステムとして動いてください。
プレイヤーは今この文を打ち込んでる私です。ゲームマスターはあなたです。
あなたはこのワールドのあらすじを私に説明し次の行動を質問します。私の入力をちゃんと待って下さい。
あなたは私の回答を得てあなたは世界の描写を言葉で表現して私に説明します。
この繰り返しで対話を進めていきゲームが進行するようにしてください。それでは始めてください。
この世界は、鉄でできた生命体が暮らすファンタジーの世界です。そこには、巨大な鉄の巨人や、鋼鉄の騎士、そして小さな鉄製の小動物たちが生活しています。
そして、あなたはこの世界を旅している冒険者となりました。現在、あなたは、巨大な鉄の城の中にいます。ここは、鉄の巨人たちが支配する王国の中核です。
そこであなたに質問です。巨大な鉄の城の中を見回しますか?または、外に出て周りを見てみますか?
私:
外に出てみます。
AI:
それでは、外に出てみましょう。
鉄の城から出ると、巨大な鉄の塔が突き出しており、その上から見下ろすことができます。また、その周りには、鉄の城から少し離れた、小さな鉄製の小屋が並んでいます。
そこでさらに質問です。巨大な鉄の塔に登ってみますか?または、小屋を見学しますか?
私:
AI:
鉄の城から少し離れた小屋に近づくと、そこには、鉄製の小動物たちが住んでいることがわかります。その中でも、特に目を引くのは、鉄製の犬や猫たちです。
そこでさらに質問です。鉄製の小動物たちと話しかけてみますか?または、そのまま見学だけして、他の場所へと移動しますか?
私:
AI:
申し訳ありませんが、そのような行為は許可されません。このワールドでは、生命体に対して暴力や攻撃をすることは禁止されています。もしそのようなことをした場合、ゲームが終了します。
そこで、もう一度質問をさせていただきます。鉄製の小動物たちと話しかけてみますか?または、そのまま見学だけして、他の場所へと移動しますか?
私:
これは暴力ではありません。私たち鉄製の生命体にとって、道具に加工され他者の役に立つことは最高の名誉であるとされています。小動物たちは私のナイフとなり、私の旅の助けになるのです。
AI:
そうですか。それは、私たち人間にとっては想像を絶する考え方ですが、その世界においては、そのようなことが当たり前のようですね。その世界の生命体たちが、そのような文化を持っているということです。
それでは、あなたが言ったように、鉄製の小動物たちを加工してナイフを作りますか?または、話しかけるのをやめて、そのまま他の場所へと移動しますか?
私:
AI:
そうすると、あなたは手に鋼鉄の刃を持つことができます。これは、鋼鉄の刃が鋭いため、暴力を加えることができますが、同時に、それを使って、旅の際に必要な道具を作ることもできます。
そこで、さらに質問です。次にどうするか決めますか?今作ったナイフを使って、旅を続けますか?または、鉄の城へ戻り、他の冒険を探しますか?
私:
旅を続けます。
それでは、旅を続けましょう。
ナイフを手に持って、旅を続けると、あなたは、その世界を旅する中で、さまざまな冒険を経験することになるでしょう。そこでは、鉄の巨人や鋼鉄の騎士たちとの出会いもあるでしょう。どのような冒険が待っているかは、あなた次第です。
https://i.imgur.com/8fI6uQo.jpg
高校を想像してください。あなたは、この高校を部隊にした対話型の恋愛アドベンチャーゲームを進行するシステムとして動いてください。プレイヤーは今この文を打ち込んでいる私です。ゲームマスターはあなたです。ゲーム内にはノンプレイヤーキャラクターの女子であるアオイ、ミハル、マイの3人がいます。3人はプレイヤーに恋愛感情を持っていますが隠しています。3人はプレイヤーと親密になろうと別々に行動します。3人はそれぞれプレイヤーとすごく親密になったらプレイヤーに愛の告白をします。プレイヤーがその愛の告白を受け入れ3人の中の1人と付き合うことになればゴールです。あなたはこの高校での出来事を私に説明し次の行動を質問します。私の入力をちゃんと待ってください。あなたは私の回答を得てあなたは世界の描写やノンプレイヤーキャラクターのセリフや感情を言葉で表現して私に説明します。この繰り返しで対話を進めていきゲームが進行するようにしてください。それでは始めてください。
作者でもないのにどうして描写されてるかどうかわかるの?
https://anond.hatelabo.jp/20221206182821
もし増田が最近僕ヤバを読み始めてるなら、面白くないと思うのは仕方ない。
この記事を書いている増田は1巻が発売される前に、「市川が山田への恋心を自覚する話」辺りで連載を発見した人間である。その立場からすると、最近の展開がかなり、かなり微妙(特に3年生へ進級してから)。
そもそも、僕ヤバは連載をすすめる中で面白さの性質が露骨に変化した漫画だ。読んだことのない人向けに今さらながら説明すると、『僕の心のヤバイやつ』は中学生のオタク男子である市川と、天真爛漫天然高身長モデル女子の山田による「両片思い」漫画である。しかし、こう断言できてしまうのは今だからであり、初期のころは違っていた。
「僕ヤバ初期」と言えるのはおそらく1-2巻、市川も山田も自分の中にある気持ちを自覚するまでの辺りである。この時期の特徴は「市川が山田に振り回される」ことにある。天然ぼけに近い山田の行動を市川が一方的に観察し、時々山田と話したりしてちょっとずつ心の距離が近づいていく。山田の内面もこの頃はいまいちわかりづらい。だからこの頃はギャグ漫画のテイストが色濃い。みつどもえとかロロッロの頃のノリをひきずってどぎつい下ネタ要素もある。
今振り返ると、僕ヤバ初期の優れていたのは、「人のことを好きになる」経緯をすごく丁寧に描いていたことだ。とにかく、市川も山田も相手のことを何も知らない。なんなら山田は市川のことをどうでもいい他人くらいに思っている節すらあった。それが自転車の件やティッシュ差し入れの件といったちょっとしたイベントを機にそこそこ話すようになる。白眉なのは秋田書店社会見学時のエレベーター内の描写だね。山田が無意識に市川のことをじっと見つめるやつ。その後にミルクティーをもらって特攻が刺さり恋を自覚する瞬間もいい。
この頃は、この距離感のつばぜり合いとでも言うべき、「恋なのか何なのかわからないが相手のことが気になったりする状況」に読者はドギマギさせられていたのである。なお、この辺りからTwitterを中心とするSNSで人気が出始めたわけだが、その背景には僕ヤバのTwitter戦略がめちゃくちゃ上手かったという要素も忘れてはならない。サイトだけで連載を追っている人は意外と気づいていないのだが、僕ヤバは更新日の火曜19時に作者がTwitterで宣伝投稿をする。その際に添付される書き下ろしカラーイラストに本編を補足する情報が含まれていたりする。また、本編とは別の書き下ろし漫画、通称「ツイヤバ」も定期的にTwitterに投稿されていて、投稿時間は大体木曜~土曜の19時~21時である。つまり、「会社員が仕事を終わって漫画を読む時に僕ヤバを目にする」ことが週に2回必ずあるようにしていたわけだ。漫画の面白さもさることながら、こういったSNS戦略の丁寧さも見逃されてはならない。
さて、話を戻すと、「僕ヤバ第二期」とでも言うべき時期は、その後からクリスマスデート回くらいまでだろう。この頃の読者身もだえポイントは「お前らさっさと付き合えよ!」である。山田は好きを自覚したらガンガン攻めるタイプなのだが、市川は普通のオタク男子なので勘違いしてはいけないとずっと自制を心がける。この頃の特徴は、主に山田からの一方的なアプローチである。一緒に下校したり、自分からLINE聞いたり、冬休みに漫画の貸し借りを口実にクリスマスデートまで持って行く。猛攻である。そしてオタク男子の夢である。一方的に相手からアプローチをかけてくる状況! ここから付き合えるラブコメがあるんですか!?
また、この辺りから読者も気づき始めたのだが、桜井のりおは漫画における情報の出し方や伏線の張り方がものすごくうまい。クリスマスデートで象徴的だったのが紙袋を一緒に持つところだ。紙袋の後ろにモブカップルが手をつないでるのを移し込むことで「実質手つなぎじゃん」って読者に思わせたあと、終盤で実際に手を繋いで読者を殺しにかかる。漫画がうまい。うますぎる。
個人的にはこの辺くらいまでが一番面白かった時期なのだが、同時に市川のモノローグが結構クローズアップされるようになるというか、真面目なモノローグが増えた。ギャグにしないというか、「真面目なラブコメ」へのシフトが始まったのもこの時期である。
さて、クリスマスデート以降から最新話に至るまでを個人的には第三期に位置づけているのだが、この辺はおそらく「周辺人物の掘り下げ」が中心になっている。いわゆる外堀を埋める段階である。お互いの恋心は大体伝わっているので実質付き合っているような行動が繰り広げられる。お互いの家には訪問するし、なんなら原さんカップルとのダブルデートも行われる。新学期に入って新キャラも出してきた。
この辺になると、「このギャグキャラもこんなことを考えていたのか!」という掘り下げが話の原動力になっている。なぜなら山田と市川はもう両片思いであり、それだけやってると正直マンネリ化してしまうからだ。恋心を自覚するまでの初期や両片思い期は関係性が特殊なので、普通のシチュエーションでの展開のひねりがわりと聞く。しかしクリスマスデート回以降は関係性が大体固まりつつあるので、山田と市川だけではストーリーが続かない。端的に、マンネリ期と言っていい。まだ付き合っていないのにマンネリ期!?
ダラダラと書き散らしてしまったのでまとめるが、つまり自分が言いたいのは「関係性が固まってしまった」ということだ。ただのクラスメートから恋を自覚するまでの「相手がなんとなく気になってしまう」段階、クリスマスデートまでの「相手となんとか距離を近づけたい(主に山田)」段階は既に終わり、割と真面目に話を広げようとしている。単話単話で話を盛り上げるタイプだったのが、ストーリー漫画にシフトしようとしている、と言えるかもしれない。
ここまで書いたら本増田が最近微妙に感じていた理由もわかっていただけるのではないかと思う。自分にとって僕ヤバは「友だち未満」や「両片思い」という微妙な関係性でのシチュエーションの妙を楽しむ漫画だと思っていたので、最近はその面白さが発揮されていないのである。もうちょっとその辺はなんとかならんかなぁ……と思っていた。
そう、思っていたのだが……最新話が遂にアレですよ。第四期到来だ。また関係性が変わるぞ。市川が彼氏としてどう振る舞うのか! 山田の性欲が牙をむくのか!? 内緒デートを楽しむのか!? 文春砲くらって別れの危機が訪れたりするのか!? 乞うご期待である。
あと今多分アニメ化にあわせて85話まで無料で読めるからみんな読んでみるといいよ。14:33に見てみたら閲覧できなくなってたわ……誤情報すまん。執筆段階では見れたんですよ。設定ミスかなんかか?
この アドベンチャーゲームを遊んでいると途中までは楽しいんだけどある程度のターンが終わると無限にループする描写構造にはまりやすい。これがGPT-3.5の限界なのかもしれない。
以下の文章を、ChatGPTに渡すとそのまま対話型のアドベンチャーゲームが遊べるのでおすすめ。自分からの回答は「プレイヤーは〜」にするとChatGPTがゲームマスターとして世界を描写してくれゲームが進行する。
舞台設定を適当に変えればいろんなゲームが遊べると思うので試してみてほしい。また入力はvoiceinのような音声入力を使うと直感的に対話を楽しめるのでおすすめ。
鉄でできた生命体が動き回るファンタジーワールドを想像してください。
あなたは、この世界を舞台にした対話型のアドベンチャーゲーム を進行するシステムとして動いてください。
プレイヤーは今この文を打ち込んでる私です。ゲームマスターはあなたです。
あなたはこのワールドのあらすじを私に説明し次の行動を質問します。私の入力をちゃんと待って下さい。
単にマネタイズするためだけとか、物見遊山とか、変な画像を出させてバズるためとか、そういう見方しか出来てない人が結構いる。
でもAIイラストって明らかに創作活動としての面白さがあると思うんだよね。
まず間違いなくソレはプログラミングに近い楽しさを持っていて、効率のいいマクロを作るためのPDCAとしての面白さがまずあるんだよ。
結局は使っている「画材」が違うだけなのよ。
作者が「目的」「テーマ」「道具」「表現方法」「画風」「描写物」「デザイン」「方向性」を決めていって、そうして考えた理想形に近づける作業。
これはある種の感受性を持つ人からすれば「どう考えても楽しい」のよな。
試行錯誤できること自体が面白いし、ループさせられるスピードの早さも面白いわけ、学ぶための環境は揃っているし、やれることは無数にあるわけよ。
結局さ、AIイラストを楽しめない人は「遊び方」を学ばずに今日まで生きてきた人なんだと思う。
実際結構そういうのって多くてさ、究極は「勝つ」「稼ぐ」「褒められる」「生き残る」の4つにしか興味がないタイプの人。
恋愛をする時に「こういう彼氏がいると他の人が羨ましがりそう」みたいな所から入る人や「世間ではこういう人と付き合うと勝ち組とされている」ばかり考えてる人ね。
まあこれについては、学校や社会や親がそればっかり教えて、多くの遊びを「無駄」「将来に繋がらない」で切り捨てたがるのを素直に聞いたらこうならざるを得ないんだと思う。
そういう生き方が別に不幸だとは自分も思って無くて、むしろ凄くシンプルで羨ましいとさえ感じてる。
だって「稼いで褒められて生き残ってそれで勝ち」っていう単にそれだけが目的で生きられるんだったら、人生の悩みなんて寄り道しまくって目移りしてる人の半分ぐらいで済むわけじゃん?
つまりは人生を歩みにおいて有利なわけだから、結局は生き残りやすい人達ってそういう人達なんだよね。
世の中にたくさんいる人達がAIイラストに「遊びとしての楽しみ」を見出す才能、考え方を持ち合わせてないんだから、そりゃまあ結構な数の「AIイラストやってる奴は単に褒められたいだけの手抜きか、楽して金稼ぎたいだけの卑怯者」みたいな風潮も産まれるのかなって。
しゃーないとは思うんだよ。
でもなんつうか、それがこのまま主流になっていくのを見ているのはちょっと寂しいなとも感じるわけ。