はてなキーワード: 描写とは
嫌がらせのやり方違うだけだろ
有名なのだと原作至上主義で解釈違い許さない笛号アンチの外圧界隈とか凄かったぞ
エロゲのヒロインが主人公以外の男と手を繋いだだけとかゴム避妊描写に切れてメーカーに抗議とか色々あったろ
かわいそうなのは抜けないというのは確かにあるけど、別にそれを見ることで傷つくとかは無いんだよな。
でも初期のPVでフォルクスワーゲンビートルと出演しててクルマがオーバーヒートした描写でフロントフード開けて煙だしてたのは当時みてて「あ~(笑)バカかコイツ」とおもった(ビートルはリアエンジン)
考えてみるとほぼ毎週見てますねぇ!
見てない週は土日仕事でした(半ギレ)年末ってチョーS(師走)だよな!
大体の流れ覚えてるし飽きちゃうんじゃないかと心配してたけど全部楽しかった(小学生並みの感想)
旅の思い出を追想してるみたいな。
席はかなり埋まってて、中高生とか家族連れも多い。小学生グループとかもいたり。
若い人が多いと屋根が直るのとカーナビのとこで笑いが起きるんだけど、一体感あって好き。
気付いたこととか
・初対面の相手に扉を探してるんだといらん事言う草太。なんで扉を?とかツッコまれたら今聞いたことは忘れなさいとか誤魔化すんだろう。あいつは昔から情報開示が雑なんだよ…
・すずめの「うちの子になる?」初回だと聞き流してて、ダイジンを勝手に女子高生の子供になりたがるやべー猫だと思ってた
・かもめのジョナサンとはつ恋はなんかの隠喩だろうけど内容よく知らん。あらすじみたが分かるようでわからん。
・すずめの名前知ってるのは自己紹介聞いてたからかと思ったけど、人並みに賢いから表札とか見たんかもね
・チカの男の話のとこ、聞きたくないと聞き飽きたって言ってたの初めて聞き取れた。やっぱシネコンの方が音響いいのかな。
・旅館が繁盛してるからダイジンもそこにいたのかと思ったが、すずめ自体にダイジンの加護があるんかもね。
・稔君、おばさんを家に送ってあげてるのかと思ってたんだけど、他所のスレで小説読んだ人から職場に帰ってきただけと教えてもらった。ですよねぇ~…
・神戸のバーで、深夜に自転車の女性が挿入されるの、単なる風景描写かと思ったけど店員の人が帰ってるシーンだったんやな。フェリーで寝がえりを打つ男性は単なる風景だろうけど
・吉幾三がどこで流れてるのかやっぱりわからん。バーのカラオケじゃないかと言われたが聞き取れん…状況的には新幹線あたりだけど
・古文書に宗像の文字見つけて喜んでたが新海本2に現代語訳があったぜ。猛き大狼とか言われてたから猫じゃなくて狼だったのか…と思ったら大神なんやね
・初代が黒と白っぽいから今の要石も初代なんかな?でもそれだと代替わりシステムがある意味がよくわからんのよな。要石のマークが時代によって剣とかになってるの、場所だけじゃなくて要石も入れ替わってたんじゃないかとか、浜辺の骨は先代の要石じゃないかみたいなのも他所で聞いたがよくわからん
・すずめからは草太をもとの姿に戻せと言われてない≒すずめから草太への好意には気付いてない、かと思ったがミミズの上で元に戻してって言ってたな。システム的にも一度刺さないと戻れない?っぽいが
・察しの悪いダイジンが大っ嫌いと言われて嫌われちゃった…じゃなくて好きじゃなかった…って気づくの好き。ミミズの上でダイジン思いっきり振り払うシーンが妙に好き。
・地下の後戸を開けます(大量殺害予告)からパーフェクトコミュニケーション引き出す流れ好き
・見舞いに来たのダイジンかと思ったけど大きさからサダイジンかな。抜かれたじゃなくて抜けてしまわれただし。
・サダイジンは喋れないから名乗るためにおばさんに憑依した…とか考えてたんだけど、普通にしゃべってた
・覚悟決めて車に乗ったのかと思ったら草太を抜く土壇場で要石抜いたらミミズがとか慌てだすダイジンは何なんだ。
・草太の記憶のとこ、草太視点じゃないアングルが混じるの演出上の理由かと思ったけどダイジン視点なのかも
・記憶を封じないとミミズが出てくるんじゃなくて、忘れられると人の思いが軽くなってミミズが出てくるから、その地の記憶を思い起こして扉を閉じなければならない…って、ちゃんと台詞で説明してるんだけどサラッとすぎてスルーされてるよな~
・草太を駅に送った後、芹沢のたばこに火が付いてないような?そう見えるだけかもだが
・エンディングで稔君が迎えにくるとこ、おばさんが稔君に冷たくしててすずめが慌ててるように見える
見返すと全体的にすずめが表情豊かでかわいかった。
あと、12年前の3.11に起きた大震災ってことで、当然東日本大震災を連想しちゃうんだけど、2022年からだと11年前なんだよな。作中設定が2023とかかなと思って、作中に年代出てないかなんとなく見てたけど見つからず。芹沢の学生証で誕生日が2000何年だったかなんで、大体同じくらいではあるだろうけど。
もう少しエロさが欲しいな
3巻でチュートリアル編か
次は実際になるか
これは良い漫画だ
2巻も買う予定
お散歩回
もう少し描写欲しい
次のターゲットはユキだ
上下とも
いやそれは無理じゃないかw
ちなみに岩場は海流で離岸流になっていると思われる
撮影用に人払いしているというのも水泳用ではなくビーチで撮影するから許可貰えたんじゃなかろうかと
ツッコミどころありまくりに回でした、2人はツッコミ未遂だったけど
序盤ミノ戦だけで12話も使っているけどこれ徐々に強くなるのを楽しむのならミノ倒したらもうエンディング感になりそうだけど大丈夫かな
妹とのデート回
もう妹とのシーンだけ描いてくれればいいんだけど
作品的に兄妹ものなのでそれ以外のシーンにページ割くのはやめてほしい
ゴミが怖すぎる
一度要求を通すと終わりですね
YouTubeで視聴
あれは年上のお姉さんに童貞を奪われる、とかそういうエピソード愛好家のためのシーンだろあれ。
ToLOVEるは痴女たちに囲まれた哀れな性犯罪被害者のお話っていうぐらい無茶だよね。
「俺は一人でもペンギンを見に行くぜ!」
最新回でまたしてもピンドラネタが出てきたチェンソーマン。ペンギン、だけじゃ無かった。飢餓ネタもあった。
今までもピンドラネタは何度か出てきており、有名なのは水族館扉絵とかだが、それ以外にも明らかなオマージュが出ており、テーマが共通する部分がある。
他いろんな作品を多数取り入れているので、いつものやつ、みたいに思いがちだがチェンソーマンとピンドラの関係は少し違うように思い始めた。
明らかに発想の根幹にピンドラが存在し、設定に組み込まれている。
もしかしたら「これが元ネタ」などと言われることにチェンソーマンファンは辟易しているかもしれない。
ただ「輪るピングドラム」という作品も宮沢賢治をはじめ村上春樹、それ以外にも小ネタや懐かしメロディーやセリフなど、他作品の取り込み方がチェンソーマンとよくにているのだ。
しかしチェンソーマン考察者には申し訳ないのだが輪るピングドラムという作品はあらすじを見てもおそらく2割も伝わらないアニメだ。
なんなら緩く流し見で全話見ても「え、どゆこと?」となる可能性は高い。
総集編の円盤化を待つ手もあるが、結構大幅なカットが入ってるのであれは一見さん向けではなかった気がする。
なので配信でTVシリーズをぜひ見てほしい。なんとアマプラでは今、追加課金なしで見れる状態なのだ。回し者みたいだな。
とにかく1話〜3話で切らないでほしい。無理して11話くらいまでは見てほしい。
そうすれば藤本タツキが何を考えてあの描写をしているのか、少しの手がかりになるはずだろう。
ちなみによく考察で出てくるのが「箱のシーン」
ピンドラでの心の会話をする抽象的なシーンのように語られているが監督が「現実のシーン」と言っていることはここ置いておきたい。
小説執筆には、感性や表現方法が重要です。エゴイストであるからといって、必ずしも小説執筆に向いていないということはありません。また、物事を細かく描写することが重要であるかどうかも、作家の感性や表現方法によって異なります。
また、小説を書くにあたっては、作家が表現しようとしている世界や空間を読者が想像できるように文章を構成することが重要です。そのためには、読者が想像できるような描写や表現方法が必要になります。そのためには、作家としては、自分が想像している世界や空間を表現する方法を見つける必要があります。
一般的に、小説を書く際には、読者が想像できるような描写や表現方法を用いることが重要です。しかし、その方法は作家によって異なるため、どのような文章が読者の想像を喚起するかは、フィードバックを得ることで明らかになります。また、推理小説の場合は、物事を細かく描写することが重要である場合もありますが、そうでない場合もあります。そのためには、作家としては、自分が想像している世界や空間を表現する方法を見つける必要があります。
結論として、小説執筆に向いているかどうかは、作家の感性や表現方法によって異なります。また、小説を書く際には、読者が想像できるような描写などを用いることが重要です。しかし、小説を書くためには、作家として自分が想像している世界や空間を表現する方法を見つける必要があります。そのためには、フィードバックを得ることが有効です。また、作家としては、推理小説を書く場合でも、物事を細かく描写する必要があるかどうかを検討することが重要です。
なるほどエゴイストには小説の執筆は向いてないということなのかもしれん。
人物の意識下にある物体の描写にしてもどこまで細かく書けばいいか、そもそも地の文だともっと鳥瞰的に世界を描写するがどこまで細かく書けばいいか。
自分の思う浮かぶ世界・空間どおりの表象を読者に喚起されたいがために、しかし読者が結局どういう表象を得ているのか直接映像として引き出せないのでどういう文章なら自分の思い通りの表象を想起させられるか有効なフィードバックは得られず、ついには推理小説も呆れるほど1ページごとに立面図側面図拡大図を貼りまくらなきゃ気が済まなくなる。
という考え方自体小説を消費する側のマジョリティの感性の構造とは違っているので、この二派がいくらお互いすり合わせを図ろうとしたりしても話自体噛み合わない。
検索避けについての話題が広がって「検索避けするのはオタクとして当然」「検索避けを拒否するのは社会性がないから」とか言われてるけど検索避けって本当に必要なのか?
検索避けしたところでトピックには出てくるしRT経由で嫌いな人のところにまで回ってくる可能性はあるし性描写があるにも関わらずセンシティブ設定してないとかはザラにある
公式の目にとまって問題視されるからとか抜かす奴らもいるけどウマ娘みたいに本気で問題視してるんならTwitterに絵を出してる時点でツイートの本文ちょっと変える程度の小細工とか一切関係なく見つかるに決まってんだろ
なんなら検索避けすることで地雷踏んだ人のミュートワードを貫通して出てくるっていうデメリットまである