はてなキーワード: WIN-WINとは
善意なんてお互い様なんで感謝なんてしなくても良いなんて思っていたら善意の輪は広がりませんよ?
『鋼の錬金術師』を読んだことがある人なら、「やらない善よりやる偽善」という言葉に覚えがあるかもしれない。
うろ覚えだが同漫画の中で、敵国の国民を治療する医者を偽善者だという人にその医者が返した言葉であったと思う。
この言葉を聞いた当時、非常に感銘を受けた。『人を助ける行為が悪であるはずがない。自分もこの医者のように利害を超えて人を助ける人間になりたい』と思った。
しかし、最近『偽善とはこういうことか』と気づくことができた。きっかけは仕事で大きなミスをしてしまったことだった。
ミスを責められ、自尊心が傷ついた私は、その自尊心を修復するために何か人に親切なことでもするかと考えた。
しかししばらく考えた末、この親切は完全に自分のための行為であることに気づき、『これが偽善か』と実感することができた。
では、『偽善は悪か?』と聞かれれば、決してそうではなく、偽善だと指摘する人が一番悪いと思う。
例えば
自分のために善をする人A
善を受け取る人B
の三人がいるとする。
もし、Cが存在しなければ、AとBはWIN-WINの関係で終わるのではないだろうか。
Aは感謝されることで自尊心を取り戻し、BはAの行為によって助かる。
Cがいることによって、得をする人は一人もいない。いるとすれば、C自身だろうか。
しかし、Cの行為によってAは自尊心がさらに傷つき、Bは『厚意で助けてくれたと思って感謝したのにだまされた』とAの行為を責めるようになるかもしれない。
このことから、自分のためとはいえ人を助ける行為をする人間は責められるべきではなく、責めるべきは他人の親切を曲解し、偽善だと言う人間なのだと言える。
昔から性格が悪いって言われたので、今必死になって性格を良くする、人間力を高める、徳を積むみたいな本やら勉強会やら集会にいってるけど、
話を聞けば聞くほど、タイトルの事でしかないんじゃないかって思ってきた。
自分の中で「良い人」っていうのは、よく言うWin-Winの関係を導き出せる人だと思ってたのね。
でも、話を聞くほど
「自分が謙虚になる」だとか「自分の私欲を捨て去る」だとか言う「自分の欲を抑えて、自分以外を幸せにする」事だと思ったわけ。
それって、結局ただの都合が良い人じゃん。使いやすい人間っていうか、いってしまえばいい子ちゃんじゃん。Win-Winじゃなくて、自分が妥協して周りにWinを与える存在じゃん。
それって結局、全人類がそういう周りにWinを与える人間になれるのなら、自分がWinを与えた分、Winが帰ってくるからいいけど、そういうわけじゃないじゃん。
各SNSで言うと色々と差し支えがありそうと思ったので増田で書きます。
増田での咲-Saki-の知名度ってどのくらいなのかわからんけど、まあ書くよ。
①咲-Saki-本編について
12年経っても相変わらず面白い!小林立!やっぱあんたとどまるところを知らない天才だよ!永遠の女子高生!俺は性別女だって信じてる!
俺の中では「雑誌で追うと面白い漫画ランキング」不動の1位だよ!あ~~小林立~~~~!天才!天才!天才!天才!天才!天才!天才!天才!天才!天才!
「5決は蛇足」とか「決勝はよやれ」ってネットで叩かれてるけど、5決の内容が面白すぎるのでセーフ!ネットの声なんか気にせず描きたいことを描ききってくれ!俺たちは待っている!
出版社や編集はあんたの才能が惜しいからあの手この手でなんとか連載を引き延ばそうと画策しようとしてくると思うけど、負けずに2022年くらいまでには団体戦決勝終わらせてくれよな!
②阿知賀編について
完結して5年近く経ったことに驚いている。自分の中での「5年前」って言葉は未だに咲-Saki-アニメ第一期が放送された2009年あたりのこと指してる感覚なんだよね。
これも文句なしの名作なわけですが、阿知賀編のことを考えると未だに「阿知賀女子が1位で通過してよかった」という思いと「白糸台が1位通過できなかったのはやりすぎなのでは?」という思いが交錯してしまう。
「阿知賀編」という物語単体で見れば阿知賀女子が1位通過するのはこのスピンオフを完結させるために必要なことではあったというのは重々理解している。
ただ、王者・白糸台の副将たる亦野さんが6万弱失点し、大将のあわあわが決勝を前に弱みを見せつけてしまったことで「咲-Saki-シリーズ」全体の説得力を損なってしまったのでは…?と感じる次第。
このあたりは咲-Saki-界隈では手垢の付いた議論ではあるが、俺は小林立がこういった批判をもろともせず「2位通過した王者・白糸台」を決勝で描くことで読者の予想を超えてくることを知っている。
③シノハユについて
咲-Saki-のことを超能力麻雀ってバカにしてる奴ら!シノハユ読め!こっちはお前らの好きな「本格派な麻雀」打ってる漫画だぞ!お前らの嫌いな超能力ほぼねえから!
ただ…展開が遅い…。咲-Saki-本編は基本的に闘牌シーン+回想シーンの2つで成り立っているけど、シノハユはその2つに加えて日常パートまで入れてきよった。かわいいからいいけど。
これ本当に100巻までやるんですか?まあやるなら俺は付き合うけどな
④怜-Toki-について
怜-Toki-読んでひとつわかったのは、俺百合が好きというよりも「小林立の描くちょっとズレた百合」が好きなんだなってこと。
怜-Toki-は百合のプロがガチで描いてるせいなのか、俺には意外と響かないんだよな~。突然iPS細胞とか言い始めるような小林立的な狂気が足りないんだよ。まあ、エッチだから良いけど。
あと咲-Saki-やシノハユと比べると麻雀漫画としては色々と未熟かなあ、とは思ってる。
例えばドヤ顔で葉子がダブルリーチの有用性語るシーンあるけど、あれには凄い違和感があった。
もはやそういうことをいちいち「説明しない」のが咲-Saki-の凄さなんだよ!読者に「こんぐらいは理解してるでしょ?」って投げるのが小林立の小林立たる所以なんだと思っている。
まあ連載始まったばっかだし、これから麻雀漫画の描き方どんどん吸収してってください
⑤咲日和について
咲-Saki-の公式ほのぼのスピンオフ4コマとしては非常に忠実で申し分ない出来であるのに、作者独自のギャグセンスを咲-Saki-の雰囲気を壊さない程度に出してくるってホントすげえわ。
もしも池田の巻がまんがタイムきらら系の雑誌に連載されていたら違和感なく「きららの漫画なんだな」って思うだろう。そんぐらい4コマ漫画として出来上がってるよ。
⑥立-Ritz-について
小林立を語る上で非常に重要な漫画だけど、大和田秀樹があまり好きではないので特に何も言いません。
⑦実写版について
咲-Saki-って言ってしまえばSF漫画に近いものだと思うけど、それ実写化成功してるって本当おかしいわ。実写化に関わっている人たちもまた天才よ。
咲-Saki-ヲタをドルヲタにし、ドルヲタを咲-Saki-ヲタにする架け橋になっているという意味では両業界WIN-WINの関係だよな。
浜辺美波ちゃんかわいすぎ~~~~~~~~~
趣味だと1人~せいぜい10人ぐらいまででしか作れない。でも仕事にすると1000人規模のプロジェクトだって出来ちゃう。
趣味だと使えるお金は頑張っても億に届くぐらいが精一杯。でも仕事にすると単位が100億1000億規模のプロジェクトだってやれちゃうかも。
趣味にプロを巻き込もうとしても向こうにも仕事があるから限界が。でも仕事にすると色んなプロに堂々とお金を払って依頼できるからWIN-WIN。
趣味を究めるのに人生のすべてを使おうとしたら熱狂的パトロンかお金持ちの両親とかが必要不可欠。でも仕事だったら安心して365日24時間打ち込んだって問題なく生きていけます。
圧倒的じゃないか……。
趣味なんてのが仕事より高尚であるかのように述べる人もたまにいますが、そういう人は趣味を仕事に変えることで産まれるメリットの多さから目をそらしすぎでしょう。
本気でやるなら仕事にしなよ。
趣味でやるっていうなら本気じゃないことを認めたほうがいいよ。
パターナリズムってのは成熟した国が未熟な国に良かれと思って介入する事ね。親が子にするようなもの。
そんで韓国はなんと逆のそれをしているわけ。
韓国人技術者と付き合いあるけど素でいうんだよね、日本は韓国に無償で技術支援をしろって。
あの子供な感じすごい韓国人って感じ。やっぱ中国となにか違うよね。国も人も。
なんでこんな甘え国家になったんだろうって思うけど、タイトルのように日本のせいだと思うんだよ。
NHKも言ってたけど、日本の知識人がかまってあげてしまったからだろう。
なんでかまったのかって、一言で言えば大人の対応ポルノだよ。大人の余裕みせて気持ちよくなってる余裕露出狂が原因
ポルポトはアジア的やさしさ、一発なら誤射、なあに、かえって免疫力がつく
有名なのでもいっぱいあるけど、こういうこと言って気持ちよくなってたわけよ。日本の知識人は。
余裕がない奴=低学歴で低収入みたいな扱いを左翼が好んで右翼扱いしてきた歴史がある
余裕ポルノスター朝日新聞とかに育てられてすくすくと元気なキッズになるわけだよ韓国は
その余裕はエリート未熟な外国人などのマイノリティーにしか発動しないわけ
日本は自民党が地方よりだったからそこまで都市部と地方で断絶は怒らなかった
1憶総中流なんてことまで言われるくらいにはなった
まぁこれは僕の見立てでいうなら自民党の本心ではなく、社会主義勢力に対抗するために不本意ながら地方を支援してたんじゃないかってね
殴らずに教えられる先生 vs 殴られずとも学ぶ生徒 → 望ましい
殴らないと教えられない先生 vs 殴られないと学ばない生徒 → 本当は望ましくないが一応Win-Win
殴らないと教えられない先生 vs 殴られずとも学ぶ生徒 → 生徒Lose,問題
殴らずに教えられる先生 vs 殴られないと学ばない生徒 → Draw,先生・生徒の力量により勝ったり負けたり.先生が負けると悲惨
環境や遺伝により格差があるため,一定量の割合で各層にこの4タイプは存在すると思う.
問題はミスマッチが発生した場合にどうするかで,強い立場の方を頑張って教育するか,弱い立場の方を逃がすか,あるいは両方か.
私自身としては,暴力による解決は望ましくないし,なくしていくべきだが,すべての生徒に対し交流と対話のみで問題を解決できるかといわれると難しいと思う.
しかしこういうのってケースバイケースで一律に対応するのは難しいし,生徒達もどんな結果にせよ数年で去ってしまうし,教育って難しいなーと思う.
有料会員は、2017年11月に発表したデータによると、前年同期の256万人から28万人減少。
まるで、シャッター街と化した賑わいをなくした商店街のように、客と店が閑散とし、それが負のスパイラルとなって更に客と店が逃げていくような状況に陥っている。
思い返してみれば、2009年から2013年頃は配信者も、リスナーも勢いがあり、ニコ生には熱があった。
しかし、その熱は徐々に失われ、人々の感情を動かす熱情は冷めつつある。
もちろん、一部例外はある。七原くんや、加藤純一のように、未だニコ生を楽しんで盛り上げている人もいる。ここで指摘しているのは、サイト全体の空気感の話だ。
しかし現状は、Twitterを眺めても、ニコ生を愛し、毎日のように生主の話題で埋め尽くしていた重度のニコ生愛好者のアカウントの多くが、ニコ生のことをつぶやくのをやめてしまっている。自分が2年前に作った、情報収集用のヘビーリスナーを放り込んだリストの3~4割が休止状態だ。
先の見えない、絶望感漂う現状に、ニコ生にしがみついている(過去の盛り上がりを忘れられない)人々は、再びニコ生の隆盛を、最後の希望をニコニコ(く)に託していた。
しかし、期待はやっぱりと言うべきか裏切られた。
この発表で、乾坤一擲、人々の希望を与えられるような内容があれば、まだニコ生は数年持ったかもしれない。だが、ニコニコ(く)の発表内容は、サーバーが重い、閲覧がプツプツ止まる、とにかく見づらいという、一番利用者が望み、改善を期待していたところすら手がつかず、子供だましのようなお茶を濁した機能追加のオンパレードで、我々利用者の最後の希望を打ち砕いた。
もう、ニコ生に期待することはないと思うので、その死に水を取るキモチで、ニコ生が衰退した原因を考察しつつ、何故ニコニコ(く)がダメなのかを書いていきたい。
ニコ生が衰退した原因は、一体何だったのだろうか?
そう問われた時、その人の立場により、多様な回答が出てくると思われる。
外部サイトの隆盛、稚拙な運営、逃げた配信者、通報厨、リスナーの変化、支援者…。
それらは、複合的に絡み合い、単純ではない。これらを少しでも払拭するような内容であったならと、慚愧に堪えない。
2013年頃までは、競合サイトと比較してニコ生の優位点が多く、ニコ生1強の時代が4年ほど続いていたように思える。石川典行や渋谷のキングなどの有力な荒らし配信者(当時)を外部に放逐しても、隆盛を保っていた。しかし、現状は違う。YouTubeLiveやLINE Live、Instagram Storiesなどの、巨大SNSを基盤とした巨大な競合サイトの台頭が顕著になり、その他独立系のツイキャス、ふわっち、showroom、OPENRECなどがニコ生の牙城を日々切り崩し、今や見る影もない。マクロミルが2017年7月に行った調査によると、これから配信をはじめる10代の視聴しているライブ配信サービスのトップはYouTubeLive、2位がニコニコ生放送。配信しているトップがInstagram Storiesで、ニコ生はツイキャス、YouTube Live、InstagramLiveなどの後塵を拝し、LINE Liveと同率の6位となっている。
実感としても、配信者やリスナーの外部流出が著しく、1強を誇っていた数年前と比べるべくもなく、シャッター街となった商店街の様相を呈しており、寂れた印象を与えている。外部に人が流出した上で、新規が競合サイトに吸われたため、サイトとしての熱や勢いを失ってしまったのだ。
若年層のインターネット利用の主流がスマホに移りつつあった2013年頃から、競合サイトであるツイキャスはそのニーズを捉え、低帯域でも閲覧が可能な高性能なスマホ閲覧アプリを提供していた。一方で、ニコ生は未だにバックグラウンド再生もできず、低帯域での再生は断続的な切断によるストレスが多く、基本機能であるアンケートにも参加できないなどのチープなスマホ対応しか行ってこなかった。
利用者の利用環境の変化に対応できなかったことにより、より使いやすいツイキャスなどの競合サイトに新規ユーザー獲得負けてしまった。
ニコ生のサービス開始2009年から8年。8年という歳月は、中学1年生が成人するほどの環境の変化をもたらす。
配信者、リスナーともにライフスタイルの変化により、閲覧を辞めることもあるだろう。
それに加え、ライブ配信自体の認知が広がり、よりライト層が閲覧を始めたことにより、2chの文化を引き継いだ、垢抜けないニコ生のギーク感(おたくっぽさ)は忌避され、よりスマートなツイキャスやLINE Live、Instagramなどに流れていった。(ここは、他サイトの利用者の意見を拾ったわけではないので、根拠に薄く、想像が含まれる。異論があれば教えて欲しい)
ニコ生のシステムは今年実装された「新配信」になるまで、ここ5年ほど、ほとんど改善が加えられていない。
それは、無計画に増改築を繰り返した上、低待遇の技術者が大量に退職した結果、システム改修がほぼできなくなってしまったことに起因する。
参考URL:http://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611
結果、超会議や町会議などの「イベント」を繰り返すことにより、利用者の不満をかわす方針を取ったドワンゴ。不満は見事抑えられたが、上記の外部環境の変化についていけず、緩やかに競争力を失っていった。
しかし、ツイキャスの台頭に危機感を覚えたドワンゴは、ツイキャスのパクリのような「ニコキャス」をローンチするも、あまりのできの悪さに3日で閉鎖に追い込まれてしまった。
それから2年、2017年にシステムの大幅な刷新を予告しているが、大幅な後手に回ってしまった感が否めない。
加えて、マネタイズ(収益化)が競合よりも上手くいっていたことが、結果的に変化に対応するリスクを取ることができなくなったという面も考えられる。
ニコ生では、リスナーが「広告」を打つことにより、配信時間を延長できるチケットを配信者にプレゼントできるシステムがある。これ、運営は収益を上げることができ、配信者は延長料500円を払わずに延長でき、リスナーは目立つ形で広告を売って、配信者に名前を覚えてもらったり感謝してもらえるなど、「三方良し」の理想的なシステムだった。
しかし、競合サイトに投げ銭システムが一般的となった今、一部配信者は「自分の懐に入らない投げ銭(広告)」に不満を感じ、上記のWin-Winの構造が崩れてしまっている。
技術的な問題と、成功体験による現状維持が原因となり、外部環境の変化に対応できず、ずるずると現状を維持し続けたことで、結果的に競争力を失ってしまった。
ニコ生は、同時閲覧数がある一定数を超えると「満員」状態になって配信をみることができなくなる。
それはシステム上の問題なのだが、ここで「プレミアム会員なら優先入場!」的なボタンが出てきて、プレミアム会員への入会が促される。渋々入会して「優先入場」ボタンを押すも、画面が1瞬切り替わって同じ画面に戻される。プレミアム会員にはいっても入場できない状態が続いているのに「こちらが入り口です」と入れない入り口への誘導が繰り返される。このような、利用者視点がまったくない操作性の悪さがサイト内に山ほど散見され、利用者にストレスを与える作りになっている。ストレスを抱えた利用者は、このような稚拙なサイトを再度利用したいと思うだろうか?ユーザー体験(UX)が全く配慮されていないのだ。
ニコ生のトップページをみると、他サイトと大きく違う点が1つある。
それは、他の配信サイトの多くが、盛り上がっている配信や、新規配信者をトップページで紹介しているのに対し、ニコ生は企業配信の紹介が大きく割かれているのだ。これにより、新規の配信者が配信をはじめても、ふらっと立ち寄るリスナーの数が減り、いつまで経っても過疎から脱せない停滞感が生まれる。
過去においては、ある程度の閲覧数を稼げば、ちくらん上位に掲載されてリスナーを獲得することが出来たり、ミラー大手のこざまミラーが新規配信者を「発掘」してリスナーを獲得する機会があった。
また、ランダムでいろいろな配信を見せる「ニコ生クルーズ」や、配信者のコンテスト「ナマケット」などで配信者が発掘されることもあったが、今や殆ど機能していない。
現状においては、新規リスナーがただでさえ減っているのにもかかわらず、初見が最も訪れやすいニコ生トップページは企業配信と大手のチャンネル配信に埋め尽くされ、過疎配信者は日の目を見ることもなく、ただ根絶されていっている。
ニコニコのサービス追加は、これまで良い意味でも悪い意味でも、ノリと思いつきで行われてきた。
スタンプなど、ユーザーのモチベーション維持に役立ったものもあったが、これらの機能追加は、裏を返すとシステムの複雑化を招き、システム改善の難易度を高めていった。ニコニコ(く)において、ニコ生とニコキャスが並行して運用されるのも、複雑化した現状を整理できなかった苦肉の策だろう。
しかし、それらを今回の改定で、整理し、川上社長は、あるべきコミュニケーション像を、ビジョンを提示すべきだった。
それらのビジョンなく、枝葉のどうでもいい機能追加に終始し、抜本的な根治を目指さなかったことが、今回のニコニコ(く)の失敗だと思う。
新規配信者の参入が困難な現状も相まって、リスナーは大手配信者に固定化し、一部の大手はその座にあぐらをかいて惰性で続けている。それは、いつまでも「安泰」な地位が約束されている、新規が伸びてきにくい環境だからこそ、古参の大手の既得権益が守られ、切磋琢磨が生まれにくい環境にある為だ。
しかし、ニコ生全体の熱が失われた今、先を考えている配信者の多くはニコ生に見切りをつけ、配信環境が整い、収入源としても有望な競合サイトに流れていっている。
過去と同じことを見ていても、再放送のような気分になり、楽しみを見いだせなくなる。
しかし、配信を一度見るのを辞めると、「流れ」がわからなくなり、取り残されたキモチになる。
結果、面白くもないのに、飽きた配信者の配信をずっと閲覧することもなり、不満を抱えながら配信を見続ける。その中の歪んだリスナーは、楽しみを通報などの妨害行為に見出すようになったり、特定をして配信者を潰すなどの犯罪スレスレの好意に手を染めるものも居る。
リスナーの流動性がある程度あれば、このような弊害は生まれにくいが、リスナーが固定化された環境下では、このような現状になってしまうのも自明の理かもしれない。
これは簡単な話だ。
上記で掲げられた課題を殆どこなすことができず、既存利用者の失望を招き、期待感を生むことができなかったことにある。
期待感さえあれば、様々なニュースサイトに露出し、SNSで拡散され、人々の話題に上がって熱が戻ってくるきっかけになったかもしれない。加えて、一度外に出た配信者やリスナーが「古巣」を見に来ることも会ったかもしれないし、その流れで他サイトのリスナーがやってきた「かも」しれない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20171127/k10011236481000.html
が、抑制されたトーンのコメントが多い中疑問を感じるコメントも見られたので、はてなIDを覚えておくために自分用にメモしておく。
id:hamichamp 店の外の灰皿も撤去してね。
出入口脇の灰皿はたしかに迷惑だが、近ごろは動線から外れたところに灰皿を置く店舗も多い。喫煙者も気兼ねなく吸えてWin-Winなのではと思うのだけれど、この人(とスターをつけた人たち)はそれすら許せないらしい。禁煙の取り組みを「喫煙者に対する処罰・報復」と捉えている人がこういう考えに至りがちという気がする。
id:unagiga 1ミリも外に煙を流さないなら、医療費全額自己負担と引き替えに喫煙を許可しても良いと思う。しかし煙を周囲に振り撒く限り必ずやタバコを撲滅する。
いわゆる「極端なひと」。落葉焚き、自動車の排ガスや河川敷のバーベキューに対しても同じスタンスならOKです。
禁煙席が満員と言われたらその店に入らなければよく、自分で喫煙席に座る条件を呑んどいてそれはない。
id:enkunkun 喫煙席だった場所には座りたくないな。残留物質を吸いたくない。
これは初めて目にする妄想。ひとたび喫煙が行われた場所では、毒物が未来永劫その場をただよい続けるらしい。ホテルを予約する時は「むかし喫煙ルームだった部屋ではダメです」と言うのだろうか。
id:tincast 喫煙席禁煙席どちらになさいますかーって聞かれずに済むようになるのは好都合ではあるけれど、喫煙者の肩身がいよいよ狭いなー…
「おタバコはお吸いになられますか」「いいえ」この3秒で済むやりとりを常々鬱陶しいと思っていたのだとしたらよほど世の中住みにくいだろうね。むしろ気の毒ですらある。
id:dorankun ここまでくるとタバコは法律で禁止したほうがいいレベルかもしれません。完全に禁止すると犯罪組織の資金源になるのでできないのでしょうか。
ん? 何かそんな話してるっけ?