『鋼の錬金術師』を読んだことがある人なら、「やらない善よりやる偽善」という言葉に覚えがあるかもしれない。
うろ覚えだが同漫画の中で、敵国の国民を治療する医者を偽善者だという人にその医者が返した言葉であったと思う。
この言葉を聞いた当時、非常に感銘を受けた。『人を助ける行為が悪であるはずがない。自分もこの医者のように利害を超えて人を助ける人間になりたい』と思った。
しかし、最近『偽善とはこういうことか』と気づくことができた。きっかけは仕事で大きなミスをしてしまったことだった。
ミスを責められ、自尊心が傷ついた私は、その自尊心を修復するために何か人に親切なことでもするかと考えた。
しかししばらく考えた末、この親切は完全に自分のための行為であることに気づき、『これが偽善か』と実感することができた。
では、『偽善は悪か?』と聞かれれば、決してそうではなく、偽善だと指摘する人が一番悪いと思う。
例えば
自分のために善をする人A
善を受け取る人B
の三人がいるとする。
もし、Cが存在しなければ、AとBはWIN-WINの関係で終わるのではないだろうか。
Aは感謝されることで自尊心を取り戻し、BはAの行為によって助かる。
Cがいることによって、得をする人は一人もいない。いるとすれば、C自身だろうか。
しかし、Cの行為によってAは自尊心がさらに傷つき、Bは『厚意で助けてくれたと思って感謝したのにだまされた』とAの行為を責めるようになるかもしれない。
このことから、自分のためとはいえ人を助ける行為をする人間は責められるべきではなく、責めるべきは他人の親切を曲解し、偽善だと言う人間なのだと言える。