はてなキーワード: DNAとは
複数の子供がいるが、同じDNAから生まれてきたのに全員性格が違う。体格も、運動神経も全く違う。同じように勉強を教えても全く覚え方が違う。めちゃくちゃ運動神経が良くてリレー選手に選ばれる子と、1分もジョギングしたらへばって泣き言を言う子がいる。3歳離れてるのにほぼほぼ同じ体つきくらい体格も違う。
兄弟でもそれくらい違う。
加えて、親の性格によっては、足し算が答えられないとイライラする親といつまでも辛抱強く待ってられる親がいる。それで育ち方が変わる。
育児ブログなんて斜め読みで良い。育児ブログを書くのは承認要求が強い親な証拠。これだけすごい子を育てました!これだけすごい子育てしてます!って言いたいだけ。無視するべし。
高校3年生の時に、私が父では無い男との子供である事が判明してしまった。
実父は因果応報か重い病に侵され、余命いくばくも無い事が分かり、せめて最後のクリスマスだけは
「本当に愛する人」と一緒に過ごしたいからと、悲劇のヒロイン面で私達に涙ながらに告白された
実父は父とも学校の先輩として知り合いで、でも良い関係ではなかったらしく(恐らく虐められたか何だかされたんだと思う)
「なんで…よりにもよってあいつとだなんて…!」
ってキレながら泣き叫んでいた。
そのまま母は父が出てけと言う前に勝手に家を出ていき、あちらの家で二人だけの最後のクリスマスとやらを過ごしていた様だ。
そして年明けになって当たり前の様に帰って来たので、
「どうして帰って来たの?」
と聞くと
「まだ離婚している訳じゃないし、○○さん(実父)の所に通うとしてもここが何かと便利なのよ。後は新しいパートも見つけなくちゃ」
なんてふざけた事をほざいていたので、私はぶち切れて
「出て行けーこのクズがー!!お前のせいで私がーー!」
って叫んで
フライパンで母をボコボコにした。それだけでは飽き足らずたまたま近くにあったタオルで母の首を締めていた。
弟が帰って来て体張って止めてくれなければ今頃本当に母を死なせていたかもしれない。
実際私はメチャクチャだった。
父は
「目元があいつに似てきていた。まさかとは思っていたけど、本当なら苦しい」
と言って
今まで父とは凄く仲が良かったのに
って言われて、一緒にいるのも辛いからって家を出ていってしまった。
弟はまだ中学生だったので、私が母方の祖父母の家に行く代わりに父に戻って来てもらう様頼んだ。
祖父母宅でも「恥ずかしい子」の娘だったので肩身狭い思いをしたし、父とは会いたいと何度連絡を送っても殆ど無視。
「顔を見ると色々思い出してしまい、君に言うべきでは無い事も言ってしまいそうになる、会わない方が良い」
とまで言われてしまった。
私は父とはとても仲が良かったのに、父を失ってしまった。
母とも母の托卵が発覚するまでは、母とは仲も良かったし優しいしっかり者の母として大好きだった。
弟と差をつけがちなのが玉に瑕だったが(私には一切言わない事でも、弟には「男なんだから!」と厳しく叱責したり)
その理由が分かってしまった時は吐き気がしてならなかった、実際吐いた。
私は「本当に愛する人」との子で、弟はそうじゃなかったからだと言う事に気がついてしまったから。
弟とも仲が良かったのに、急に「どこの誰とも知れないヤツの子」になってしまい、あっという間に距離を置かれた。
「お姉ちゃんだと思っていたのがお姉ちゃんじゃなくて、どうして良いから分からないから、ごめんなさい」
って
泣きながら謝られたら、弟大好きだった姉としては許せない訳が無い。
本当は卒業記念に弟の好きな食事でも、と思っていたのに、全部計画はパーだった。
大学に入り、夏休みぐらいに「本当に愛する人」、即ち実父が亡くなったらしく、「愛する人をちゃんと見送った強い私」として、実家に帰ってきたらしい。
さすがに弟もキレて父と一緒に母を何度か殴って追い返したらしい。
後で聞かされてどの面下げてって本気で思った。
優しく出迎えてくれるとでも思ったのだろうか?
離婚までは母が全力でゴネてかなり大変だったらしいが、ある程度のお金を財産分与として渡す形で離婚にしたらしい。
「なんであんなヤツに…盗人に追い銭より酷い…」
なんて、父が苦々しい顔をして呟いていたのを思い出す。
その頃から父は、酒弱い癖に酒に溺れる様になった。
どんどん増えていく飲酒。
止めようとしてもその場は飲むの止めるけど、いつの間にかまた飲んでいる。
その繰り返し。
父の気持ちも分かるから、時間が解決してくれるのを待っていたが、結果的に間違いだった。
ある日、父は亡くなった。
「母を愛していた事。愛していたが故に長年裏切られた事実に耐えきれなかった事。
○○(私)はあのクズ(実父)の子で、正直もう今までの様に愛せる自信が無い。〇〇にも伝わっているだろう。
娘を傷つけ続けている私に生きる価値はあるのか分からなくなった。もう悩むのも疲れた。」
というものだった。
父を失い、弟ともこの件でギクシャクしたままとなり、結局疎遠になった。
弟も鬱気味になってしまい、父が亡くなった原因となった母と、その子である私も近くにいると
色々思い出して辛い、本当に申し訳無いって言われて、もうどうしようも無かった。
一応年に一回だけ近況を聞いてるけど、直接はもう何年も会っていない。
あちらも結婚し子供もいるらしいけど、まだ一度も会ってないし、これからも会う事は無いと思う。
夫と結婚し、子供が産まれた時、私からDNA検査をしたいと申し出た。
夫には
って怒られたし、一時期かなり険悪になったけど
当然、夫との子供だった。
普通は夫側が疑ってやるものだとは思うんだけど、私の自己満なんだけどそれでも100%偽りは無いという証明がしたかった。
托卵は本当に不幸になる。
物心つく前ならまだ傷が浅いかも知れないけど、私の時みたいに後年になってから発覚すると、本当に誰も幸せにならない。
少なくとも私達一家は不幸になった。
母とも呼びたくない女はまだマシかも知れないが、あちらも孤独な晩年だろうし悲惨ではあるだろう。
もっと苦しめてやりたいぐらいには憎んでいるけど。
https://twitter.com/3FcgL/status/1668378114874032128
時間が食われるとかお金がかかるとかを超えた超メリットがある。
俺の身体によじ登り、背中に抱きつき、全力で俺を遊具化しようとするエネルギーとポヨポヨの餅のような肌を感じる。
どこに行くにもずっと手を繋いでくれる。
泣きながら全力でハグしてくれる。
俺は友達も少ないし、寂しく孤独に生きる人生だと思っていたけれど、前とは打って変わって存在を求められるようになった。
家に帰ると覚えたての文字で書かれた手紙や絵、工作や折り紙を毎日のようにプレゼントしてくれる。
なんなんこれは、、
休日にふと思いつきで、近所散歩してお菓子買って公園で遊んでマックでも行くってのを提案しただけで大興奮し、気兼ねなく大喜びでやってくれる小さい友達ができるようなもの。
地球上のあらゆる生命の中で自殺を行うのは人間だけだと言われている。しかし本当にその言説は正しいのだろうか?研究が進んでいる人間の細胞だけでも、遺伝子に異常が生じた細胞は自死を選ぶ作用、アポトーシスはよく知られている。
ダーウィンは進化の仕組みに関して、適者生存の原則を唱えた。多様な個体が産まれ、また自然淘汰によって収斂が起こるというものだ。これはラマルク的進化とは反対に、種々の様々な遺伝子変異を前提としたことが特徴である。ラマルク的進化では、特定の環境に置かれた生物の遺伝子変異は特定の領域にしか意味がないのに対し、ダーウィン的進化ではそれぞれの変異が未来につながるという意味での意味を持っていると捉えることもできる。これらの実績は菌類の実験成果によっても示されている。
さて、ここで人類について話を戻す。人類はその類まれなる創造性から、地球上の万物の霊長たる資格を手にした。その支配領域は他の種を凌ぎ、今や総個体数は80億に達しようとしている。これは昆虫に匹敵する数である。少なくとも先進国において、人間はあらゆる人権を保障され、種々の遺伝子変異は──たとえそれが障害をもたらすものであったとしても──保護されるのがrightとなっている。それは人権によるもので、人権というのは生まれながらにして与えられるらしい。与える主体というのは議論の余地があるが、この世の人類ではない神とするならば、中世の王権神授説と何ら本質的な変わりはない。
であるからして、わたしは人権保障という考え方は実態がなく、一種革命のようなもので覆されかねない概念だと考える。
市民による革命が起こったように、どれほど優れた思想であっても人の内心を侵すことはできない。現代社会、特に日本においては自殺はいけないこととされているが、自殺者が多数いることからもこれを抑制できていないことがわかる。
私たちの細胞は、どのような時にアポトーシスを行うのだろうか?
たとえば、遺伝子の修復ができず、正常にDNAを残せなくなった時
たとえば、ウイルスに感染して、自身を複製するのではなく異常なもの(ここではウイルス)を産生するようになった時
これらが示すのは、すべて正常な子孫が残せなくなった時に自己死を選ぶ、ということである。
人類がここまで発展した以上、このシステムの有効性は疑うべきところがないはずである(ほんと?)。人類をマクロで見た時、アポトーシスを選択すべき人間はここまでの考え方から確実に一定数いて、それは現代の人権思想などでは到底語り得ないはずである。
私はこれまでの人生において、自分が死ぬべきだと思っており、また因果関係は証明できないが異性に求められたこともない。以上よりアポトーシスに値すると考え、これから死に至るものである。
自分自身の身体の行先は自分の脳が判断するものであり、その脳になんらかの異常が起きていたとしても、他の人間にはそれを尊重する義務があると考える。
な
株式会社あきんどスシローに対する景品表示法に基づく措置命令について
https://www.caa.go.jp/notice/entry/029023/
消費者庁は、本日、株式会社あきんどスシロー(以下「あきんどスシロー」といいます。)に対し、同社が供給する「新物!濃厚うに包み」と称する料理、「とやま鮨し人考案 新物うに 鮨し人流3種盛り」と称する料理及び「冬の味覚!豪華かにづくし」と称する料理に係る表示について、消費者庁及び公正取引委員会(公正取引委員会事務総局近畿中国四国事務所)の調査の結果を踏まえ、それぞれ、景品表示法に違反する行為(同法第5条第3号(おとり広告)に該当)が認められたことから、同法第7条第1項の規定に基づき、措置命令(別添参照)を行いました。
スシローの悪質な「マグロ偽装」疑惑 DNA調査を行うと「喧伝されているのとは違うマグロが」
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08310556/
スシロー“ビール半額”広告でレジ行くも「実施してない」 フライング告知で謝罪…返金対応
https://www.fnn.jp/articles/-/388851
スシロー3度目の謝罪「半額生ビール」“開店と同時に完売”も…運営会社「すぐに改善しきれない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a549cb927d5bc0439ad111988ab816e1ea8670b
一点の損傷も無い死体(そんな仮定が成立するかは知らない)と生きてる人間の違いって何?
超技術で生きている状態の細胞と全く同じ物質を作り上げてプラモみたいに組み立てたらそれはひとりでに動き出すの?
核がどうのゴルジ体がどうのは習うけど、DNAの転写やらタンパク質の合成やら、それって何のパワーで動いてんの?ってずっと思ってた。
ある仕組みの中で、ひとりでに動くモノを知らない。常に何かの力に動かされている。
川に浮かんだ葉っぱは水の流れに任せて動く。
車は人間がエンジンをかけてアクセルを踏みハンドルを切って動く(内燃機関の仕組みもイマイチ分からんけど)。
そしてそういうミクロな部分での話はそのまま生物ってなんで動いてんの?という疑問に拡大する。
なぜ筋肉を意思通りに動かせるのか。そもそもなぜ筋肉を動かそうとする意思が発生するのか。
タンパク質だかの粒がひとつひとつ意思を持ち、自分の使命を理解して動いているとは思えない。
ふとある時、それはドミノ倒しみたいに連鎖的な動きなのではないかと思った。
ひとつ前の動作によって次の動作が必然的に定まり、それを無限に繰り返していく。
何かのアクションがあって磁石と砂鉄がくっつくみたくアデニンとチミンがくっついて、それがまた次に何かしらのアクションを呼ぶ。
この例えが適切かは知らんけど、そうやって連鎖的に動きが繋がっているんだろう。
しかし物事には始まりがある。ドミノは並べて一押ししてやらねば始まらない。
つまり、やることやって受精した瞬間からドミノ倒しが始まるのだと思うとなんだか非常にしっくりきた。
いわば受精した瞬間に車のキーを回すようなもので、一度エンジンが止まってしまえば再度始動する事は二度と出来ない。
限られた知識や認識の範疇でアナロジーを多分に使ったものだし、果たして適切な理解であるかは知らんけど、腹落ちはした。
より具体的な話を理解するには基礎なし生物なりをやればいいんだろうけど、取り敢えずの納得は得たしそこまでするのは面倒くさい。
まあもっと言えばそのドミノはどうやって用意されたのとかはあるんだけど。
火の鳥にポストアポカリプス世界で不死身の主人公がなんかの物質を海に撒いて、そこから新しくナメクジみたいな知的生命体が現れる話があったな。
川に浮かべたプラモのパーツが偶然組み上がるよりもありえなさそうな事だけど、実際そんな感じだったんだろうな。無から有は発生しなさそうだし。
規範を取り扱うならともかく、自然現象を理解するにあたって宗教はお役御免に思えるけど、やっぱり神様の存在を信じたくなる気持ちはあるね。
一般人にはそれかエセ科学が結局一番腹落ち出来る。不条理を不条理のまま受け止めてモヤモヤするのもいいけどね。
こういう話とか、宇宙の端っこってどうなってんのとか、時間って有限でも無限でも矛盾しねとか、そういう疑問はいっぱいあったな。
人間の思考や認識の範疇では理解の及ばん領域もあるじゃろうて、で片付けるつまらない人間になってしまった。
小難しい物理とかではちょっと突っ込んだ話もあるんだろうけど、説明された所で多分理解出来ない。
どうせオチとしては「断言できる事はありません」みたいな感じだろうし。
あと生物の細胞は細胞膜やら核やら、概ね同じ要素で出来ていますって習ったけど、じゃあ異なる役目を持つ器官ごとの細胞の違いは何なんだよって思った。
これはググれば分かりそうだけど、こういう必然的に生じるであろう疑問に対してノータッチを決め込むのが気持ち悪くて勉強嫌いだったんだよな。
まあいちいち突っ込んでたら高校のレベルを逸脱してしまうのかもしれんけど。
しかし生物が自然法則に従った現象に過ぎないのなら、それって運命が存在する事にならないかなって思った。
キャラクターが脚本の存在に気が付くメタフィクションはあるけど、人間が自然法則を理解して世界の筋書きに接近するのも予定された必然なのかなって。
自由意志も何もかも全て脚本の筋書きに過ぎないのかと思うとなんか恐ろしく思った。
「母性本能」ですって…? いいえ、これは違います/子育てしたら白目になりました
https://ddnavi.com/serial/867718/a/2/
ホントこれ。
同意できる。
内容としては
・自然界に存在しないオムツの替え方がDNAに組み込まれているとは思えない
・母親が子どもの泣き声が分かるのは経験を積んだから。(覚えたから)
ということで、「母性本能」は今のところ存在しないと考えられる。
ここからは私が言いたいことだが父親と母親の育児能力や親としての資質は殆ど同じ。
ここからは話がそれていくが。
男女の脳の違いに言及されることがあるが、男女の脳の性差(男性脳や女性脳)は疑似科学に過ぎない。
ほかに育児ホルモンのオキシトシンを図る研究などもあったそうだが、女性の優位性は見つからなかったそうだ。
https://with.glico.com/coparenting/trouble/report.html?number=44655
ジェンダー平等への反発なのか母性は実在するとか、母性と父性は違うのように説くコメントを見かける。
きゃつらを視界に捕らえ近づいた瞬間俺に強制スロウの術がかかる
なんなんだ?ガキどもは誓約してて俺は旅団なのか?強制的に馬力を奪われジャイロ効果を失った自転車はご自慢の腕力だけでゆるりと姿勢制御を行う
さらに俺はご子息サマの円に入らないようにやつらの周囲を迂回させられる
やつらの円に入ったが最後、いつなんどき瞬時にこちらのキルゾーンに入ってしとめられるかわからないからだ
こちらも日本人なれば専守防衛でロケットガールズ&リトルボーイをこうやって回避しているわけだが
パワー!!
が奪われる
YOUらが居なければスピードも精神力もすり減らすことなく快適にロードをースルーゴーゴーできるんだよ
マヂで俺がラオウになる前に大人たちはDNAが似た存在を我が家に隠匿したほうがいいぜ!
我が肉体にひとたび触れれば未成年など鎧袖一触。魂魄ごと消し去るだろう
俺のやさしさ埋蔵量はあとわずかです!急いで!
Androidのアプリゲームで時間溶かしちゃったやつを紹介するよ 思考停止して進められる作業ゲーとアドベンチャーが多め
・プラトモ
掃除機や靴など身近な日用品をプラモデルみたいに組み立てるパズル。建物を修復する「ナオシーノ!」も似た感じのゲーム
砂漠化した星を復興して各地の街を発展させていく。ライフ制だったかもしれないけど覚えてない。「あの日は燃えるゴミの日だった」も似た感じのゲーム
アドベンチャーの超有名どころだけど一応。多少脱出ゲームっぽい要素があるけどそんな難しくはない
・SYUPRO-DXのRPGゲーム
「あなたってよく見るとドブネズミみたいな顔してるわね」「奴は四天王の中で最も金持ち」「どうして勇者様はそんなに弱いのですか?」など。ライトな遊び心地で、言葉や技のチョイスで戦う
・World for Two
生き物が死に絶えた世界で、アンドロイドにDNAを収集させ組み合わせて生き物をつくっていく。めっちゃ面白かったのでアプリは無料だったけど投げ銭した。SwitchとかSteamでも買える
ドット絵でダークな終末世界を舞台にしたゲームが多め。おすすめは脳みそだけのヒロインを再生する「My Love.」
・Hidden Folks
有料の探しもの系ゲーム。落描きみたいな絵がかわいいのと、SEが全部人の声なのが良くて何回もやってしまう。SteamやSwitchにもある
子供のころ、大臣が「女性は産む機械」と言ったことで辞任を迫られたことを何故か思い出した。確かに、公職にある人が、体質的に子供を産めない方への配慮が無い発言をするのはまずかったのだろう。
歳を重ねると、どのような異性と居るときが楽しく感じるか、大体自分のパターンが分かるようになってきた。だが、そもそもプライベートの時間に異性と楽しい時間を過ごしたいのか。そもそもプライベートの時間に他人と時間を過ごしたいのか。。。
突き詰めると、結局自分が欲しているのは、自分のDNAを最も高尚に次の世代に残してくれる何かだと思うようになってきた。そして、その何かとは異性との楽しい時間とは全く無関係なのではないか。もちろん価値観やコミニュケーションのコードが近いことは、子供を育てるフェーズでは重要なのだろう。一方、育てるフェーズで関係に亀裂が入るのは大抵は当初は予期していなかったことに由来すると思われる。子供の病気、子供の人間関係、地域トラブル、介護、仕事。。。そうした想定外の出来事が発生したときに、楽しかった時間で確認したはずの諸々は意味があるのか。寧ろ、そうしたときに、挫折せずに前を向ける強い意思の源泉にあるもの、それは自分のDNAが最も良い形で残されることに対する確信なのではないか。
その確信はきっと、その何かの機械性に対するあこがれのようなものであり、もっと本能的な生物学的なところにあるのだろう。楽しい時間を過ごした二人が関係を深めてその象徴として子供が産まれて育てられるというストーリー、が現代社会では想定されているのだと思うが、その前提となるような「楽しい時間」を維持するコストが結局は化粧なりファッションなりSNSなりある種のフェイクを形成するコストに思えて、寧ろあるべき出会いのあり方を阻害している。もっとストレートで野蛮な、そんな出会いで良いのに。