はてなキーワード: 聖地巡礼とは
木崎湖みたくいつまでも聖地巡礼を忘れない人だっているのに、メガネブとかラグランジェとか夏色キセキとかっていうのは
どうしてこうも自治体はすぐ諦めるんだろう。
おねティ・おねツイ信者みたく、もしかしたら過疎だけど数人位は好きで聖地巡礼してくれてる人だって、今もいるかもしれないのに
早々に引き揚げていって採算が合わない・儲けが少ないから辞めるとか言ってるんだぜ。
最後までやり通す自信が無いんなら、初めから聖地巡礼で町おこししようなんて考えないで欲しかった。
あそこでキャッキャウフフしてたとか寝てただけでも聖地になるんだから、クローズアップ現代にトドメ刺されたと言っても
そもそもあんなアニメに登場しないような所にカカシ代わりの看板置いてちゃそりゃネタにされるよね。
静岡みたいにアニメ未開の地でアニメで町おこしをしようというのも無理があった。
メガネブに至ってはもはやどこの県でやってたかすら記憶にない。
俺は27だけどアニメにハマったきっかけはカードキャプターさくら第3部、つまり坂本真綾のプラチナが主題歌だった時の
それが正しいかどうかは実感として残っていない。
実の所、深夜アニメのシスタープリンセス、通称シスプリの印象がやけに強かったりして、
本当の所、アニメにハマったきっかけは実はよく分かっていない。
人それぞれなんだと思う。
ただ、本当はどんなアニメか、なんて分からないし、もしかしたら本質的にどのアニメも好きじゃない世代だったのでは?と思ってる。
30代は圧倒的にエヴァンゲリオンを挙げるといわれるけど、20代すなわち2000年代初頭はアニメの変革期でもあったから、
要はエヴァンゲリオンのような圧倒的存在感が希薄だったのが2000年代初頭で、俺たちの世代は皆その時期のアニメを多く知っているけど
逆に言えば、これって思い入れのあるアニメを一つに絞ることが出来ない。
アニメ好きな奴ですら、どれが本当のきっかけだったかなんて言えない。
京都アニメーションが挙げられるのは、ただハルヒダンスや鷺宮神社の聖地巡礼といった感じにちょうどああいうステレオタイプのアニメが京アニに多くてその強烈なイメージが焼きついて離れなかったのが俺たちの世代、つまり20代だったわけだ。
でも勘違いしている。
京都アニメーションは今でこそ全国的に有名だけど、それ以前はドラえもんやクレヨンしんちゃん等の国民的アニメの下請けなどをやってた会社で、そこが作るオリジナル作品は制作黎明期ではムント位しかなくて、とても20代の好きなアニメになるとは思えない位人を選ぶ作品だった。BBSで質問したら監督スタッフが懇切丁寧に答えてくれた時代なんて、恐らく今の20代が知ってたかどうかも疑問だ。
そんな地味なアニメ会社がフルメタルパニックふもっふやAIRを経て涼宮ハルヒの憂鬱を作ってきたという過程がある。
一般的に京アニを全国区にしたのは涼宮ハルヒの憂鬱からで、AIRまでは深夜アニメファンや原作信者以外は知らないのでは?と思わせる程アングラな人気しかなかった(と俺が思ってるだけなので、ツッコミはご容赦頂きたい)。
そういう背景があったから、20代が京アニ直撃世代だと断定するのはどうかと見てる。
例えば30代がエヴァ世代だとしても、20代30代の時には多くが会社員になったりとかでアニメから卒業してるはずだ。
すなわち20代が京アニを知るには少なくとも10代ではまず無理な年齢層が居ることに留意しなくてはならない。
20歳~25歳程度なら京アニを直に知る世代になるかもしれない。
しかしながら、26歳以上の20代はハルヒ以前でなければハルヒを見てアニメ視聴のきっかけ、という事であると
難しい問題ながら、今の世間的には、20代はちょうど不況の直撃世代でもあって、結論から言えば20代でも特定時期のアニメをきっかけにアニメにハマる人も珍しくないという背景もなくはない。
でも、多くはそれがなし崩し的に見られたものであるのも確かだ。
する事がなかったからアニメを受容した訳だから、くだんのハルヒやらきすたをきっかけにアニメにハマった京アニ世代だと言うには
多少あるいはかなり語弊があるように感じる。
そんなわけだから、本当はどんなアニメも本質的に好きじゃなくてただ、そこにあったアニメがたまたま京アニ作品だったに過ぎないのではないか、と俺は思っている。
京アニにハマるにはその前にきっかけがあったはずで、そもそもアングラ人気だった京アニを知ってたかどうかも疑問だろう。
そういう意味において、20代が10代の時に見てたアニメにこそ本質的なきっかけがあるように感じるのだ。
艦隊これくしょん(通称艦これ)、要するに例の戦国武将の女体化シリーズで、人気を博したモノらしいけど、
別に日本人だから軍艦も知ってて当然のような空気があって、加えて艦これ可愛いという風潮が気に入らない。
ゲームに喩えるなら、モンハンを知ってて当たり前のような価値観の押し付けが艦これにはあった。
最近は色んな媒体や企業が模造品も含めて様々な艦これモノを作りだしているし、需要も多いと聞く。
事実、俺が勤めてる会社でも女子たちがこれのピンバッジや菓子入り缶かんを売り出そうと企画を出している程だ。
世の女体化ブームといい、逆に全員イケメン化といい、アニメ色の強い事。
アニメじゃなければ見ないと言った人達、艦これブームの火付け役はもしかしたら昨今の聖地巡礼者(といってもおねティやらきすたの類でなくて俄か的なブームに乗る人たち)のそれに
近いかもしれないし、歴女が自信満々にブームに乗っかったとも考えられる。
歴女といえば、2~3年前に厳島神社にオクラを奉納した事(戦国BASARA 投書でググるといい)でも非常にアニメ色に染まり易い人達だと分かるので、
恐らくこういう色に染まった人たちが一連のブームの最前線にいるんじゃないかと思う。
問題は、こういうブームというのが、一過性の物であるのにやたら押し付けがましいと言う事に尽きる。
どうにもこうにも、これが今のブーム、トレンド、常識なのだと周囲に吹聴する人達は、どうして個人で楽しもうとしないのだろうか。
元々オタクという言葉は個人で楽しんでいる人を指していたのだが、昨今の〇〇オタクというのは社交的でコミュ能力も比較的高く、
やたら商品を押し売りする営業マンよろしく素敵な営業トークで周囲の人たちに自身がハマったのはブームの一過性だと言う事を吹聴してくるのだから、
ブームの火付け役を自称する電通・博報堂・読売広告社の如き広告代理店の回し者だと疑うのも無理はない。
話を戻すが、艦これも同じで一過性のブームを周囲に押し付けるように宣伝するのはどうかと思う。
女体化した時、その元に歴史的偉業を果しているとかであれば、そのブームも一過性のモノではなくなると思われるが、
とはいえ艦隊の女体化なんて、黒光りのエースGの女体化と何が違うのだろう?
つまり歴史的文化的価値に乏しい上に、下手をすれば歴史的文化的認識を誤解してしまうような物を女体化する意義が分からない。
例えば、女体化に伴う二次創作の類は全般的に無許可の物であるし、その価値観には商魂のような普遍的にある価値観とは別の何かを感じてしまうのである。
艦これが商業的に成功するのであれば、いっそ全ての事象を女体化ないしイケメン化をして、日本の電波的文化を世界に喧伝すればいい。
かといって、俺はそういうのに巻き込まれたくない。
というか巻き込もうとするな、個人でやれと言いたい。
ここ暫く、非常に困っている事がある。
これまでは人が来ることで、周囲にとって良い点もあるだろう、若い人の趣味の事だから、
と近隣含め私もある程度目を瞑ってきたが、先日ある一件があり、もはやこのままではいけないという心境へと変化した。
いくつか、時系列であった事を書く事にする。
ある程度は、人が来れば多少は発生する事であるから、箇条書きとしておく。
・ゴミ箱の無い場所に、ペットボトル、パンの袋、タバコ等のゴミが増えた
バックプレートがそういうキャラの物だったので、そうなのだろう
県外ナンバーによく見られる、県外はこの所明らかに増えていた
これに関しては少し補足しておくと、町内会のような物でも少し話題となり、昨今の町おこし等も挙がったのだが、
あまりそういう人は多くなく、全体としては「悪いとは言い辛いが、良いとは言えない」というグレーな反応。
・敷地への侵入
同じく補足。境目が分かり辛い所も多少あるのは事実として、ゲームの傾向上、夜間に訪れる人も居るようだ。
許可を得ていない人が夜間に敷地に入ればどうなるかは察しが付くかと思う。
さて本題である。先程書いたような行為が何度も見られ、やや黒よりのグレーだが、
自浄作用やその他単純に利益面で期待していた人、そういった人の反応を一気に黒へと持っていく事が起こってしまった。
所謂痛車…調べて分かった事だが、どうやらこの近所が元ネタのキャラらしいが、
ある家の傍にある農地の駐車用スペースに止まっており、家から作業をしたい為注意するも、
特に反応が無かったので降りて車の前に行き、どけてくれと再度注意。
何故か1時間程度だからいいだろうと口論(ここで別の近隣の人が気付き、家から様子を見ていた)となり、
その後罵声、「これをあっちへ」と軽く車に触れた手を叩くように振り払う、煩いどければいいんだろうと、
人が傍にいるのに急発進させミラーを腕にぶつける等、中々酷い事をしたようだ。
本人、目撃者と同じ事を言っていた点や、実際腕に痣が出来ていた事等から、私を含め周囲でそこそこの騒動となっている。
町内会レベルの話は行われていないが、当人や目撃者は勿論の事、
周囲の東方という物…良くわからない人にとってはオタクそのものになるが、それらを見る目は大きく変わっている。
ある程度目を瞑ってきた事が、こういった結果になったという面も勿論あるのだが、
それ以上にこちらに非が無いにもかかわらず、迷惑では済まない事まで起こってしまった以上、感情の悪化は避けられず、
「張り紙を張って追い出せ」という年配の方もいる。
何より、今回の被害者が80歳近かった事もある。その人自体は、
「人が増えれば多少は起こる」
「遠路遥々来るから大変だろう、少し話もしてみたい」
等、問題点を認識しつつもやや好意的な印象を元々は話していただけに、被害者自身のショックもだが、
「そらみたことか、やっぱり危険じゃないか」という声も出ている。
こうなってしまった以上、私も一切擁護は出来ない。東方オタクの聖地である以前に、ここは私達の生活範囲なのだ。
それを理解していない人が増え、事を荒立てたという事実はやはり許しがたい所がある。
多くの東方オタクは、余程自浄作用を働かせない限りは、今回の事をリカバリーは出来ないと肝に銘じてほしい。
蛇足になるが、作者はファン層に対し自由な方針、言動を掲げているようだが、
警告等はもっとちゃんとした言葉で行って貰いたい。~~は良くないですね、程度で済むうちはいいが、
社会人になって東京に出てきて、周りに友達はいない。今はネットで地元の友達ともコンタクト取りやすいけど、一緒に出掛けるとなるとハードルが高い。
一人行動も苦じゃないから一人であちこち出かけて一人で楽しんでるんだけど、オタクな2人組を見るとすごく羨ましく感じる。
いいなぁ、二人でモンハンやってるの。いいなぁ、聖地巡礼してフィギュアと撮影してるの。楽しそうだなぁ。
どれも一人でもできるけど、一緒だと楽しいだろうなぁと漠然と考えてしまう。
で、改めて友達を作ろうと思ったけど今まで友達って学校に行ったら自動的にできてたから「作り方」となると解らなくて
本とかネットとかで調べちゃったのね。
そしたら、1か月に2回は遊びに行く、とか、SNSでマメにコメントする、とか、習い事を始めるとか
うわぁめんどくせっ!……って思ってしまってね。
そもそも自分、出不精。
家に篭ってろと言われたら多分ずっと篭ってる。引きこもりの素質有り。
それじゃダメだと思ってオフ会に参加したことがあるけど、月1回のオフ会でも妙に苦痛だった。
幹事の手伝いやらされて買い出しに奔走してたり、人に気を使ってばかりだったから帰ったらぐったりしてた。
そんな辛い会が月1回もあるのかと思うと憂鬱になってしまって、それでも5回頑張ったけど無理だった。
パシリに使われてる気がしたので(これは言わなかったけど)体力的に辛いと言ったら幹事からキレられたからリタイアした。
こんなんじゃ月2回も遊びに行けないよ…
あと楽しい会話をするのも苦手。
相手の事を聞いたりして会話は止まらないようにできるようになったけど、それが面白トークかと聞かれるときっと違う。
しかもこの方法だと、最初はいいけど徐々に相手に聞くことも無くなっちゃうから会話に困りまくる。
自分の事で話せる事はあんまりない。上にも書いたように引きこもりだから人に話せるような出来事が何もない。あと面白く話せない。「この間○○に行ってきたよ」「へー」で大体終わる。
それでも人と会うときは自分なりに頭フル回転して楽しくしようと頑張るけど、疲れて人と会うのしんどい→やっぱり一人が気楽という事になってしまう。
性格も元々は捻くれててるから、ポジティブで愚痴を言わず他人をよく褒め楽しそうにする良い人を演じるのにものっすごい疲れる。
それで誰かと仲良くなれたとして、人に会うたびにこのコストを支払うのかと考えると気が滅入る。
実際、「友達できました」系ブログを見て、友達100人作った報告とか大勢の人と泊まりにいった写真とか見ても羨ましさは何にもないんだよね。
アニメではあくまで風景としての役割を担うに留めてるから聖地巡礼が成立する。
でも失敗しているところはあからさまに商売根性丸出しで宣伝するから駄目。
日本人は文化の押し付けを最も嫌う風潮があるから、これは全く逆効果。
背景の一つだとか、主人公の所属する団体に着目せず、恋愛物であればそれを主題としている方が聖地巡礼の価値が上がる。
逆に、某鴨川アニメのように作品内容と殆ど無関係なのに全話“〇〇と鴨川”のようなコンセプトで宣伝されると押し付けがましくて
誰も行きたがらない。
つまり町おこしというのは文化を根付かせる事に等しいけど、文化を何も知らない人に押し付けるものではないということ。
やりすぎは逆効果。
なんか、アニメを機にこの商店街も活気を呈してるのかな…?と書く聖地巡礼者がちらちらおり、ちょっといらっときたので(かつ情報提供もかねて)。
この商店街、京都大学、同志社大学に挟まれ、駅前(しかも終着駅)で、近くに三菱UFJ銀行、みずほ銀行支店を有しているという抜群の立地で、
かつ地域最安値に近いスーパー2軒、100円ショップ2軒、それに価格競争挑める八百屋・肉屋、ドラッグストアを有していて、
さらに食べログでもかなり上位に位置する和菓子屋とうどん+鯖寿司屋、島耕作で話題にもなった皿洗うと無料の餃子の王将有してるんす。
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-5273.html
http://alfalfalfa.com/archives/5811862.html
首都圏の東寄り在住で大体秋葉原近くを通る時に寄る、という頻度。
特にシリーズ物で抜けたものをレンタルショーケース屋へ行ってまとめて買うこと。
例えばねんぷち一つ一つを毎回送料付きで買い集めるよりは、交通費だしてまとめ買いのが安い。
通販で扱われていない物をひたすら漁る。
今更はまった古いジャンル品を探す。
既に古過ぎてネット市場での発掘が難しい物(フィギュア・同人誌・グッズ)を探して回る。
もしくは予約忘れて買い逃した限定版買い。
新発売のフィギュア等を実際に目で見て回る。
特定の店に入ればヲタしかいないので、その世界でまったりする。
後最近になってアキバ舞台のゲームにはまったので、聖地巡礼目線で見たり。
↓
地下鉄烏丸線に乗る
↓
↓
↓
↓ 820円
↓ 400円
豊郷で降りる
↓
豊郷小で聖地巡礼
↓ 400円 1110円
↓
↓ 390円
↓
↓
↓ 390円
健闘を祈る!
http://d.hatena.ne.jp/riyot/20110710/1310309043
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-2780.html
私は荻窪駅徒歩n分圏内に住んでおり、毎日荻窪駅を利用している者です。
さて、ピングドラムなるアニメの主人公らの自宅があり、あずささんがインタビュー中に迷い込んでしまったとのことで、聖地と化す可能性が高い荻窪駅周辺。既に多くの方が聖地巡礼と題し、荻窪駅周辺を探索してらっしゃるそうです。
電車によるアクセスが良いため、今後も巡礼者が増えることが予想されます。荻窪在住の者として、これは非常にうれしいことです。しかし、聖地巡礼にまつわるトラブルの話も絶えませんので、荻窪もそういったことに巻き込まれないかと心配されます。
当然、マナーは守っていただきたいですね。これはどこに巡礼する場合でも同じです。ですが、荻窪の場合は特に、通行の妨げだけはなさらぬようにお願いしたいのです。
それってマナーのうちに入るよね?と思われるかもしれませんが、人が多く、道が狭い荻窪駅周辺でこのマナーを守るのが難しいのです。
荻窪駅は1日あたり延べ15.5万人(JR 8.5万人+東京メトロ7万人)が利用する駅ですので、新宿駅や池袋駅ほどではないにしろ、人が多いです。荻窪駅はJRの他の駅と違って南北が線路によって分断されており、荻窪駅そのものが南北を介する通路となっている関係で、駅そのものの利用者は鉄道の利用者だけではありません。
さらに、専業主婦の方が大勢暮らしていらっしゃいますので、朝と夕方のラッシュのみならず、昼間の時間帯もかなり人が多いです。
荻窪駅周辺は、基本的にすべての道が狭いと思った方がいいです。アニメに登場する場面は往々にして車の通行が多く、ガードレールで守られた安全地帯は2人がすれ違うのがやっと、という狭さです。
つまり、1人立ち止まるだけで、すれ違うことすら難しくなるということです。
例えば、アニメと同じ構図で荻窪駅南口2番出口の写真を撮影するためにはカメラ屋の前で構える必要がありますが、この位置はガードレールで守られた領域の中でもかなり狭い方です。立ち止まるだけでも通行の妨げとなってしまいます。それでいて、駅前ということで通行する人間の数が非常に多いです。通行を妨げられた住民は逃げ場所がありませんので、ここで通行を妨げることは多くの住民の反感を買うことになります。
旅館西郊もOKストアも、ガードレールの中からの撮影になります。特にOKストアは目の前が環八通りということもあり、通行人の数はかなり多いです。
通行を妨げてはならない理由は、地域住民から不審者が増加したとみなされた場合、(良い、悪いに関わらず)巡礼者そのものが排斥対象となってしまうことが予想されるからです。
これは過去に発生した抗議運動からわかるのですが、地域住民は自分の子供が安全に過ごせることが一番大事であり、これを脅かしかねない事態には断固反対します。例えば、荻窪駅南口前を通る道路は片道通行ですが、両面通行化する計画が過去にあがっていました。道の幅は両面通行するには十分でしたが、住民の反対にあい、今もなお片面通行のままです。反対の理由は、両面通行にすることにより車の通行が増大し、それに伴って(主に子供の)交通事故が増加することが懸念されるからでした。
何が言いたいかといいますと、これほどまでに慎重な方々が大勢いらっしゃる中で、巡礼と題して不審な行為を敢行する勇者が増加傾向にあると発覚したら、不審な行為をはたらいていた者のみならず全巡礼者がただではすまないということです。これは荻窪に限らず、人口の多い地域における聖地巡礼が孕むリスクです。
通行を妨げ、カメラで特定箇所の写真だけをバシャバシャ撮るというのは、撮っている本人が思っている以上に不審な行為に見えます。少なくともアニメを見ない、インターネットも使わない層の方が、特定箇所に集まって嬉しそうに同じものを撮影する方々(しかも面識は全然無い)に対して悪いとは思わなくても「何をやっているんだろう…」と不審に思うことは、想像に難くないでしょう。
巡礼者が歓迎される対象になるには、とにかくマナーを守ること。怪しまれるようなことは慎むこと。そして、その上で地域住民の方に感謝されることです。
撮影スポットに人があまりいない場合は撮影をすぐさま終わらせ、その場からすぐに立ち去ってください。
撮影スポットに人が溢れかえっている場合は、荻窪近辺の店で適当に時間を潰したのちに再チャレンジしてください。
残念なことに、撮影スポットの多い南口には時間の潰せそうなメジャーなお店があまりありませんが、北口や西口にはそれなりに有名なお店が並んでいます。
(他に良さげなお店があったら追記します)
とても過ごしやすいマイナーなお店もたくさんありますが、それはぜひともご自分で探検していただければと思います。
では、まどかマギカは?
まどかマギカの特徴は「売れた」ということに尽きる。
よって、その影響力も「よく売れた作品」としてのそれに限定されるだろう。
花咲くいろはの聖地となった湯涌温泉に先日行ってきた。個人的には非常に印象が良い温泉街であったが、この温泉街が抱え持つんじゃないだろうかという悩みも分かったような気がしたため、あくまで一観光客の暴論ではあるが書き留めることにした。
まず、湯涌温泉街に入ってすぐ抱いた印象は、ここが上品な「静かさ」を持つ温泉街であり、こうした選好を持つ個人客向けにぴったりな温泉街だろうなというものだった(一例とすれば、温泉街にありがちな射的や場末的バーがない)。これは私個人とすれば、この温泉街に希少な強みのように思え、この「静かさ」を壊しかねないアニメファンの流入をなぜ許そうと思ったのか?ということが非常に気がかりであった。
詳しく言えば、うらぶれていない「静かさ」というものを湯涌はブランド価値として認識しているのだろうか?そもそもそれを、ブランドとして認識しているのか?次に認識しているとしたらなぜいろは招致を行ったのか?そのリスク管理をきちんと計算しているのか?というのが気がかりであった。
さて、観光業もまた普通の産業と同じように、投資のリターンを得る産業である。簡単に言えば、高山鉄道を作ったり、そこに歴史ロマンがあるのだというアピールをしないアルプスは単なる険しい山だ。観光地のPRの宣伝文句自体が、宣伝文句と同じブランド意識を作るのであり、ブランドイメージは絶え間ないPR戦略によって形作られる。では、湯涌が長年投資してきたブランドイメージとは何か?
湯涌温泉観光協会によれば、湯涌温泉のブランドというのは、「名湯がある静かな温泉街」であろう。湯涌温泉は、このブランドイメージのために投資を続けてきたのであり、それは後述するように恐らく成功しているといっていい。
問題は、こうしたブランドを花いろ招致が傷つけるのだろうか?という点にある。しかし、これは表層的な次元の話なのでもう少し深い次元についての話をしてから述べたい。つまり、そもそもなぜ、「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージから通常、広告を打つべき20代以上女性層、30代以上男性層ではない層に宣伝したのかという話である。「名湯がある静かな温泉街」というブランド自体に湯涌温泉側が価値を見いだせなくなっているのではないか?これが極めて重大な深い次元での問題である。
湯涌温泉の経済状況ははっきり言って分からない。以下、本項では一般的な温泉街へのイメージであるやや経済的に苦境に立っている温泉街というイメージを湯涌に勝手ながら当てはめる(潤ってたらすいません)。つまり、「名湯がある静かな温泉街」では競合他社が数多く存在し、このため他にもう一つアピール材料が欲しいともがく湯涌温泉、そもそも「名湯がある静かな温泉街」というブランドに魅力があるのか怪しんでいる湯涌温泉というイメージである。
繰り返しになるが、一観光客として湯涌温泉の魅力として感じたのは、「静か」であることであり、団体旅行客向けと一瞬で分かるような老朽化した大型ホテルがないという2点だった。湯についてはその効能が他の温泉と何が違うのかよく分からなかった。ただし、白鷺の湯の盛況ぶりを考えれば地元の人々に非常に愛されていることが分かり良いお湯なのだろうということは分かった。「名湯がある静かな温泉街」というのは、概ね成功しているようである※1。
であるが、やはり「名湯がある静かな温泉街」のみではメインターゲットである宿泊客は集客できないという判断があったのだろう。そこで、湯涌には「名湯がある静かな温泉街」以外のアピール材料として、それは夢二館と江戸村を設定しているようである。しかし、夢二のアピールはそれが単独で温泉街を支えられるほどの魅力かはあやふやなものであろう(東京に美術館があり、生まれ故郷も宣伝し、他の温泉街でも夢二アピールする場所があり、そのなかでなぜ湯涌が選好されるのかは分からない)。江戸村は総花的な江戸時代博物館となってしまっており、金沢の奥座敷というブランド宣伝と違ったファミリー向けの平凡な教育施設となっている。夢二館と江戸村も既存宿泊客(リピーター)に害をなすような施設ではないため加点要素は少ないが減点要素はないのは幸いとはいえる。とはいえ、とどめをさすようで気が引けるが、web上にある湯涌温泉街MAP(事前の予習に非常にお世話になった)を見ていただきたい。右端には大正ロマンの街散策と書いてある一方、左端には武家・街やゾーンがアピールされている。これでは何を見ればいいのか分からない。湯涌の自己意識の分裂ぶりが明瞭に映し出されていると言っていい(もちろん、江戸時代から明治・大正につながる構成になっていれば文句ないのだが、江戸の住宅と夢二に大した関係はない)。
結局のところ、現在、湯涌温泉の獲得している資源とは、「静か」であることと「うらぶれていないこと」である。「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージは一応確保していると思われるが、メインターゲットである宿泊客をひきつけることに成功していないのではないだろうか。白鷺の湯目的で来るような人間の訪問時間を増やそうという目的があるだろう夢二館、江戸村は、しかし、一泊させることにはつながっていない。どっちとも見ても温泉に入って日帰りで帰れてしまう。いろは聖地巡礼も同じである(それでも、日帰りでくるような客層はファミリーであるため、「名湯がある静かな温泉街」というブランドは大して傷つくことがなく、メインターゲットである宿泊客に不快感を与えることはおこらなかったはずである)。
勝手な憶測だが、湯涌温泉とは、メインターゲットである宿泊客が減少する中、これを「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージのみでは防げないとして、新たなアピール材料を探しているが既存の施設(夢二館、江戸村)では十分に成功していないという温泉街なのではないだろうか?そこにアピール材料としての新候補としてやってきたのが花咲くいろはである。
では、ようやく元に戻る。さて、この「名湯がある静かな温泉街」というブランドを花いろ招致は傷つけるのだろうか?はっきり言うが、現状のままならば傷つけるに決まっている。4月9日の配布イベントだが、あれを宿泊客が目撃したらどう思うだろうか?あるいは爆音をならしながらバイクで聖地巡礼をする人間について宿泊客はどう思うのか?しかし、これは湯涌温泉としては当然予想できたことである。問題なのはブランド価値を傷つけるリスクを負ってまで花いろを招致したことに、どのような意図があるのかということである。
1つは、メインターゲット自体を変えたいということが考えられる。つまり、宿泊客から日帰り客に客層をシフトさせたいという意図が考えられる。「静か」というブランドに価値がもうないと判断しているという可能性がある。もう1つは、花いろ招致は、今までと同じような単なるPRの一つに過ぎないと湯涌温泉が考えており、それがブランド価値を減ずるものと分かっていないという可能性がある。あるいは、ブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きい(騒ぎも半年もすれば収まる)と判断している可能性がある。
第一の可能性の場合、今のところ湯涌温泉に落としそうなお金は個人につき1000円以内だろうということが予想され、この単価引き上げが急務だろう。サイダーは温泉側にとっては最悪な商品になりかねないことを肝に銘ずるべきである。1本200円のあれ(店だと189円でした)は瓶そのものもお土産としての価値があるため、食べ物+グッズという選択肢を見事に消してしまえている。いろはにおいてはグッズ問題は解決するはずだが、日帰り客にシフトさせたいのならば単価引き上げは急務だ。白鷺の湯の規模的に日帰り客を狙うことはあまり考えていないように思える(あたらしや、やました、戸田屋では日帰り客を狙った展開を考えているようである。このアピールはもっと強調してもいいだろうが、現時点では諸刃の刃と認識されているのか扱いがいまいち見えない)
第二の可能性の場合はかなり末期的であるとしか言いようがないので考えないことにする。
最も考えられそうなのは、第三の可能性、一時的にブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きいという判断である。花いろの良いところは視聴層が10代、20代と非常に若いため潜在的顧客を長く保てるという点にある。このため長期的に見ても、花いろ招致はプラス面を強く持つだろうことは予想できる。しかし、それでもだ。既存客にダメージを与えるマイナス面にはやはり注目すべきであり、この管理もまた重要ではないだろうか。マイナス面についてはもっと慎重に考えるべきではないだろうか。長年投資してきた「名湯がある静かな温泉街」というのは意外に貴重である可能性が十分あり、現状のリピーターを奪ってしまう可能性は深刻なものと受け止めるべきである。
では、湯涌温泉は花いろについてどう対処すべきなのだろうか。答えはシンプルであり、少しでも不快な事態が起これば、PAワークスにすぐ苦情を申し立てたり、出来ればファン向けに何らかの注意を呼びかけるべきである。バイクについては深いところまで入れるべきではないだろう。イベントについては他箇所に譲る、あるいは、逆に大々的なものにしてしまいファンではない他の客を一笑に付させてしまうのが良いと思われる。湯涌温泉に分かっていただきたいのは、作品を愛するアニオタの敵は、その作品世界観を壊そうとするアニオタであり、激しい同族嫌悪が我々の特徴であるということである。そして、このアニメは作品を愛するファンを数多く生み出すことが予想できるのだから、過剰反応と思われない程度には警告を発し続けるべきである(出来るだけマナーを守るファンとそうでないファンを分断させるような方法で)。
さて、長くなったが、まとめると、
①花咲くいろはは朝ドラ・昼ドラ的なものをアニメに移植させ新しい科学反応を試すという冒険作であり、いわゆるアニメとは違ったアニメになるだろう(信者的目線では)。しかし、それはアニメを見ればの話であり、アニメを見ない層からはいわゆる深夜アニメでしかない。
②湯涌温泉が長年投資してきたブランドとは、「名湯がある静かな温泉街」であるが、名湯はアピールしきれておらず、「静かな」は花いろ信者の来訪によって傷つけられる可能性がある。
③花いろ効果は②のマイナス面を打ち消して余りあるものになると思われるが、それでもマイナス面については慎重に考慮すべきである。苦情を言ったところで、それはファン間の内ゲバになるだけで、ついてくるファンは数多くいる。
④そもそもこうしたブランド価値を傷つけかねないPR誘致を行った原因についてはきちんと整理するべきであり、湯涌温泉はブランド戦略について徹底的な議論を重ねるべきである。
⑤とりあえず、日帰り客は大してお金を落としていないので、客単価を引き上げる行動をするべきである。
以上の事を、先日感じました。物事にはプラス面とマイナス面があるのは当然なことですが、今回の場合、そのマイナス面が湯涌温泉が投資し続けてきた資源を傷つけかねない(元々観光地で生計を立てていたというところが鷲宮等と決定的に違う)のが気がかりです。花いろ誘致は大正解だと思いますが、慎重に取り扱ってほしいなと。ま、アニオタ専用温泉とかに開き直るのもいいのかもしれないけど、個人的にはそうなったら行きたくないので。
※1
個人的には、この路線の徹底的な深化が議論に上がったかどうかが非常に気になってしまう。先ほど述べたように、湯がどれほど良い湯なのか一見でも分かるようにアピールし尽くせていないのは問題である。本当にいいお湯ならば、どういう比較優位があるのか等アピールし尽くすべきであろう。湯が本当に良く静かならば、高価格路線(現在の湯涌は中価格)でも全く問題ないはずだが、この可能性はなかったのだろうか。あるいは、金沢駅から立地が近く、それでいて静かな温泉というのは相当貴重なはずであり、立地の優位を生かして個別・ファミリー別に送迎するなど中価格ながら高品質なサービスを提供するのも手であったはずである。
このケース、奥さんはうざかったかもね。
この手のイベントは自己満足だから、それを共有できないときは、プレゼンして相手に乗り気になってもらわないと。
そう言う意味では、「色々連れ出していい気分にさせて結婚式まで持っていった」ってのは間違ってはいないと思われ。
変な話を持ち出すと、アニメやゲームの聖地巡礼なんて同じビジョンを共有してなきゃ、楽しめるわけはない。
誘われたって、ウザイだけ。
それでも、大人数で旅行するのは楽しいものだから、旅として企画して同伴者が喜んでくれるであろうイベントを用意する。
「アニメやゲームの聖地巡礼」だと、共感が得られないビジョンを容易に想像できると思うけど、結婚式とかとなると、共有していて普通と思いがち。
その「あたりまえ」が裏切られたとき、相手の理解が無い、と否定に転じやすくもある。
そうした不満は、恋人なのだから、夫婦なのだから、通常より強い理解があって当然、なんていう強化がなされ、10年くらい熟成すると別れ話にもなったりする。
例えば、こんなことがあったらどう思いますか?
とある村で、Aさんの発案でマスコットキャラを作ることになった。
そのキャラは「とあるちゃん」と名付けられ、特産品のパッケージなどに載せられた。
ところがある日ネット上で人気の絵描きが「とあるちゃんカワイイ!」と言って
自分のブログに絵を載せたところ、多くの人が真似をして絵を書き始め、
大ブームになってしまった。関係者たちは最初こそ驚いたが、
「皆さんがとあるちゃんを盛り上げてくれるのは嬉しい事。
商用利用でなければどんどん自由にやってください」と許可を出した。
そうすると、とあるちゃんのファンアート、同人誌、テーマソング、
フィギュア、コスプレ衣装などが次々と作られるようになっていった。
村の特産品も売り上げが伸び、聖地巡礼と称して観光客まで訪れるようになった。
しかし、関係者は喜んでばかりもいられなかった。
とあるちゃんの成人向けの画像などがネットでは多く出回っている。
検索結果にも出てくるため、村としてはちょっと困ってしまう。
また、個人の利用であっても、とあるちゃんを利用したグッズで
原価を差し引いても利益を出しているような同人サークルがある事もわかった。
これでは商業行為と変わりないのではないか。
そこで、責任者のAさんはとあるちゃんの利用に二点の条件を設けた。
・とあるちゃんの名称や容姿を、成人向け作品には利用しないでください。
・とあるちゃんを利用して金銭のやり取りを行う場合は、その価格や数量について申請を出してください。
全ての人が従う事はないだろうが、これで少しは望ましくない利用に歯止めがかけられるのではないか。
そう考えてのことだった。
しかしこの告知に対して予想以上の反発が起き、とあるちゃん公式サイトの
掲示板には多数の書き込みが寄せられた。以下はその一部である。
B「さんざん売名に利用しておきながら、いざ売れてきたらきれいな物以外は切り捨てるんですか」
C「同人の世界はそういうものではありません。なんとか考え直してください」
D「二次創作はしょせん他人の褌を利用しているだけ。権利者の言う事には黙って従おうよ」
……さて、あなたはこの話の中で誰が一番愚かだと思うか?(0人から全員まで可です)
と強制的に決め付けるこの構図。
「ニュースで見るあの人たち、なんかイラッとするけど、批判すると貧困層とされちゃうのか。
やべっ!何も言えねっ!」
という心象にさせる、新しい口封じ方法でしょうか。
こうして定義しちゃえば、
擁護する側には優越感が、
批判する側には劣等感が植え付けられますね。
考えた人は楽しかったことでしょう。
そんな訳で、何かを叩いている人=実はこういう人たちという決め付けをしてみました。
新車wwww→車が欲しいけど買えない貧困層
マスゴミwwww→マスコミ業界に就職したいけどできない非インテリ層
パチンコwwww→パチプロみたいに稼ぎたいけどその腕が無い層
Wiiwwww→一緒に遊ぶ友人・広い部屋がない層
後半は何だかよくわからなくなりました。
追加・訂正があればどうぞ。
いろいろ突っ込んですんません。
丹波はマイナーかもしれんけど、篠山のデカンショ節にぼたん鍋があるですぞ。
西宮だって甲子園の他に旧阪急西宮スタジアム関連(ブレーブス・ライスボウル・三千人の吹奏楽)、
尼崎は園田競馬に尼崎競艇と、全国区に知られてておかしくないこと多数。
・・・って、この辺の話題はおっちゃん・おばちゃんレベルの話か。
関西以外のフツーの中高生だと、その中なか神戸(県庁所在地)と姫路(姫路城)ぐらいしか、
知らないんじゃないかなぁ。
次点で甲子園球場(西宮)、ハルヒの聖地巡礼(西宮周辺)、ダウンタウンの出身地(尼崎)。
よほどの地理ヲタor歴史ヲタor鉄ヲタ以外、自分の家の近所しか知らなくて、
県内でも知らないとこが多いです。