「ブレーブス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ブレーブスとは

2022-10-03

anond:20221003123415

ブレーブスだけで検索しても阪急が1ページ目に表示されないんやな

時代やな

なんていうか、スポーツ記事コメントにつきがちな勝者素晴らしい、敗者、次は頑張ってね、とかいコメント嫌悪感を覚える

オリックスおめでとう、ホークスCS頑張れとか

そういうの。

---

俺は西宮在住のブレーブスファン

2019-07-20

anond:20190720035903

実のところ、この現象が起こるのって「ベッド」と「バッグ」だけなんだ。他にあるとしても、ごく一部の単語に集中する。

野球球団名には多数の例がある。

ゴールデンイーグルズ→(ゴールデンイーグル

タイガーズタイガース

ヤンキーズヤンキース

インディアンズインディアンス

エンジェルズ→エンゼルス

ブレーブズ→ブレーブス

カブズ→カブ

カーディナルズカージナルス

ドジャーズドジャース

パドレズパドレス

見ればわかるが複数形の "s" は清音化しやすい。

から少なくともこの増田の説(「ベット」と「バック」のみ)には賛成できない。

2016-12-01

メジャーリーグ史において最も重要な40人」について調べてみた

メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディアスポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。

The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News

ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。

1位 ベーブ・ルース(1895-1948)

MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。

2位 ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)

近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年ドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。

3位 ケネソー・マウンテンランディス(1866-1944)

1920年ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。

4位 バン・ジョンソン(1865–1931)

1900年アメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。

5位 ブランチリッキー(1881-1965)

カージナルスドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。

6位 マービン・ミラー(1917-2012)

1966年エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。

7位 アルバートスポルディング(1850-1915)

スポーツ用品Spalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボール標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。

8位 ウィリアム・ハルバート(1832-1882)

シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグ創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。

9位 ルーブ・フォスター(1878-1930)

黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年ニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。

10位 ヘンリーチャドウィック(1824-1908)

野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。

11位 バド・セリグ(1934-)

元はブルワーズオーナー。MLB選手会オーナーの対立が激化していく中で、1998年実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。

12位 ウォルターオマリー(1903-1979)

ドジャースオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。

13位 ビル・ジェームス(1949-)

1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。

14位 フランク・ジョーブ(1925-2014)

1974年ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。

15位 ハンク・アーロン(1934-)

ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である

16位 ルー・ゲーリッグ(1903-1941)

ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。

17位 ドク・アダムス(1814–1899)

野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的ルールの策定に貢献した。遊撃手ポジション創始者とも言われる。

(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)

18位 バック・オニール(1911–2006)

ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。

19位 ロベルト・クレメンテ(1934-1972)

MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。

20位 ジェームス・アンドリュース(1942-)

肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。

21位 ジョー・ジャクソン(1888-1951)

シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。

22位 ピート・ローズ(1941-)

最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。

23位 ウィリー・メイズ(1931-)

走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。

24位 コニーマック(1862-1956)

1901年アスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である

25位 ハッピーチャンドラー(1898-1991)

上院議員ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナーランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラー進歩的であり、1947年ドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。

26位 オリバー・ウェンデル・ホームズジュニア(1841–1935)

連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。

27位 バーニー・ドレイファス(1865-1932)

1900年パイレーツオーナーとなった。その後のナ・リーグア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。

28位 アレクサンダー・クリーランド(?-?)

スコットランド出身のビジネスマン1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。

29位 テッド・ウィリアムズ(1918-2002)

レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。

30位 デビッド・ネフト(1937-)

大学で統計を学び、1969年スポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーバスケットボール百科事典も編纂している。

31位 トニー・ラルーサ(1944-)

ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックスアスレチックスカージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。

32位 レフティオドール(1897-1969)

MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。

33位 ロイ・ホフヘインズ(1912–1982)

アストロズオーナー1965年世界初ドーム球場アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。

34位 ロバート・ボウマン(1955-)

MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。

35位 マーク・マグワイア(1963-)

1998年サミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年ストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。

36位 カート・フラッド(1938-1997)

1969年カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。

37位 野茂英雄(1968-)

日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。

38位 メリッサラットク(1951-)

1977年ワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイキューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。

39位 ビル・ドーク(1891–1954)

1920年カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。

40位 セオ・エプスタイン(1973-)

2002年レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブス球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。

2014-07-23

ブックメーカーを始めて4ヶ月続けたきた経緯を書いていく

3月ごろに「ブックメーカー生活費稼いでるんだけど質問ある?」という2chスレを見て以来乗ってみた一人です。

2chブックメーカースレにはけっこう似たような人がいたらしいけど、なんとか生存しているのでここまできた経緯を淡々と書いていこうと思う。

4ヶ月トータルで賭けた金額は2700ドルくらい。(回収しながら賭けるので元手はもっと少ないです)で、利用ブックメーカーピナクルスポーツのみ。

3月ごろ

サッカーが好きなのでヨーロッパサッカーを中心に賭けていた。時々NBA

回収率は80%程度。4ヶ月の中では一番損した時期。

損した理由はわりと明白で、レアルバルサクラシコに大きく賭けて大敗したり、どれくらいの金額で賭けていけばいいのかがまだよく分からなかった。

賭けた内容と結果を細かくノートに記録していた。

4月ごろ

回収率は99%と3月に比べると安定した。

NBAであまり稼げなくなったので、日本プロ野球メジャーリーグ、あとJ1やJ2にも賭けるようになった。

普段見ているだけでなく情報が得られやすい競技に賭けるようになったので回収率が安定してきたように思う。

金額も多少幅を出しながらもほぼ一定の金額を賭けるようになったので、もう少しで回収率100%越えというところまできた。

ヤンキース田中将大が無敗記録を続けていた時期でもあり、彼のおかげでいくつか勝たせてもらった。

5月ごろ

回収率は97%で、安定と言えば安定だがトータルでプラスを出せないのが悔しかった。

賭け方は4月とほぼ一緒。平日は野球、週末はそれに加えサッカーといった感じ。

ヨーロッパサッカー5月半ばにはほぼシーズンを終えたので、後半は賭ける対象がほぼ野球のみ。

ワールドカップの直前でもあったので代表チーム同士の親善試合にもいくつか賭けたがプラスにはならなかった。

という感じで、比較的安定はしていたが後半に取りこぼしが多くて回収率が97%止まり

6月ごろ

野球ワールドカップがメイン。回収率は93%。

ワールドカップ見ていた人は分かると思うが大国が早々に敗退していく波乱含みの展開が多く、ワールドカップで損を大きく出してしまった。

韓国グループリーグ敗退、アメリカグループリーグ通過に賭けていたので多少持ち直したが、ワールドカップで損した分を野球で取り返しということを繰り返す月だった。

7月ごろ

まだ今月は終わってないので現在進行形だが、回収率は114%。ようやく月単体でプラスを出せるようになった。

ワールドカップドイツ優勝とドイツの決勝進出に、少額だが事前に賭けていたおかげでこの結果がプラス幅の半分に寄与している。

残り半分はほぼメジャーリーグでとっている。開幕からずっと見続けているせいか、選手名前特に先発投手陣)も大分覚えてきたのが結果につながっていると思う。

あと、野球はチームのコンディションや勢いがけっこう重要で、戦力はあってもずるずる連敗するときもあれば中堅チームが連勝を続けたりする。今年ならロイヤルズブレーブスなど。

こういったことも考慮しつつ、組み合わせチームの相性や強弱を見て賭けるようになったので、かなり安定してきた。負けても大きくマイナスを出すことが減った。

あと、タイガースアスレチックスといった勝率が安定して6割前後のチームに賭け続けるのはけっこうおいしい。チーム状態が悪くなければほぼ毎試合賭けている。

逆に、カブスレンジャースのような勝率が4割前後のチームには逆張りで賭けている。ただしレンジャースはダルビッシュが投げるときだけ逆張りはしない。

気づいたことなど

時系列的に書くとこんな感じ。

メジャーベースにしつつ、合間に日本野球やJ1、J2、あと来月から始まるヨーロッパサッカーにちまちま賭けていく感じでいく予定。

雑感としては、途中からメジャーに主戦場をしぼったように、ある程度目途をつけながら賭けるほうが安定につながる気はしている。

日によって波乱は起きるから予想が外れることもあるが、重要なのは勝つことよりも大きな負けをしないこと。

オッズがかなり低く設定されていて、いかにも賭けてくださいと言わんばかりの状況でも何が起きるか分からないのがスポーツ(だから面白いわけだが)であって、冷静に、データを見ながら賭けることが大事だ。

データに関しては、たとえばメジャーならMLBサイト選手やチームのデータや事前のゲームプレビューなどが載っている。もちろん全て英語だが。

日本野球Jリーグならヤフースポーツにもデータはそこそこあるが、海外スポーツだと乏しい。サッカーだとsoccerwayのお世話になってる。

まあ、まだ始めてから4ヶ月程度のアマチュアだが、マイナスを出し続けたあとに安定してプラスが出てきた(かもしれない)ということをとりあえず報告しておこうと思う。

2009-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20090113150947

いろいろ突っ込んですんません。

丹波マイナーかもしれんけど、篠山デカンショ節にぼたん鍋があるですぞ。

ヅカ(宝塚歌劇)を知ってる人は宝塚が有名かもしんないけど、

西宮だって甲子園の他に旧阪急西宮スタジアム関連(ブレーブスライスボウル・三千人の吹奏楽)、

尼崎園田競馬尼崎競艇と、全国区に知られてておかしくないこと多数。

ギャンブル関連だと姫路競馬甲子園競輪なんかもあったっけ。

・・・って、この辺の話題はおっちゃん・おばちゃんレベルの話か。

中学生高校生レベルで知られてるくらいのメジャーさを想定していたので。

関西以外のフツーの中高生だと、その中なか神戸(県庁所在地)と姫路(姫路城)ぐらいしか、

知らないんじゃないかなぁ。

次点甲子園球場(西宮)、ハルヒ聖地巡礼(西宮周辺)、ダウンタウンの出身地(尼崎)。

よほどの地理ヲタor歴史ヲタor鉄ヲタ以外、自分の家の近所しか知らなくて、

県内でも知らないとこが多いです。

尼崎西宮→旧宍粟郡→明石仙台と住んできた増田だけど、そんなことを思ったとです。

あ、いま仙台だと伊丹がちょっと有名かもしんない。田中まーくん成人式伊丹に帰ってるとかで。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん