はてなキーワード: 美男子とは
これは友人関係よりも自分の趣味と信念に基づいて行動した結果だ。誰しもがこうなるとは限らないが少なくとも私はこうなった。この先もこうであるのかは分からない。
近頃過去のことが頭を何度も過ぎる。
例えば、中学校の頃仲の良かった友人の一人と音信不通で彼はどんな男だったか
私はどんな風に接していたか曖昧に脳裏を過ぎるのだ。
彼と最後にあったとき私は何か間違ったことを口走ったのだろうか。今となっては分からないことばかりが頭を過ぎる。
もしくは
高校の時私は死んだように毎日を過ごした日々だ。
あの日々は人生の休暇だったのだろうと今になって思うが、あの頃のように私はもうゆっくり過ごすことが出来ないだろうと思う。
なにかに追われてるように人生を今は過ごしている。
本当にこの行動で良いのか、将来私はより良い環境にいるのか。良い環境に居たとして後悔はないのか。
または
専門学校の慌ただしい日々の中で家族をおざなりにしながらも、自分の事に打ち込んだ日々を思い出す。
資格取得とサークル活動それにアルバイト。
毎日が忙しく、夜帰宅しても急ぐように食事を食べてはすぐに自室にこもりアニメを見たりプログラミングをしたり、動画作成をしたりと趣味に没頭していた。
そんな日々が送れたのも今となっては亡き母のお陰だったと思う。寝坊すれば起こしてもらえ、夜帰ると食事が並んでいた。
今は家に帰ると一人で朝も誰も起こしてはくれない。
毎日毎日一人だ。段々と汚れてくる部屋を見ながら部屋を掃除してくれていた母を思い出す。
何もかも任せきりだったなと今は思う。母がボソリとまたガンかもしれないと言ったときや、家でふらついた母をみても「そんな風に思うこともあるか」と思っただけだった。もっと注意深くなるべきだったのだ。
もっと早く病院に行くように言っていれば少なくとも後数年は生きれたかも知れなかった。
そんな風に昔の日々と現在を対比する。
何気ない姉弟、母、父との会話、もうそれは再びすることが出来ない。
前職を転職した際に私は選択肢を誤ったのか?
もっと給料の良い職場も選ぶことが出来た。なのにゲーム業界を選んだ。
趣味でゲームを作りつつ彼女でも探して円満な家庭を築くような選択肢もあったはずだ。
今、私は一人だ。実家ではいつも母、姉、父、祖父が居た。そして時々別居しているもうひとりの姉の旦那が面白いことを話すのだ。
そんな日々はもう来ない。
実家には父と姉だけだ。
皆が元気だった頃は家族のLineとかに愚痴などを呟いたものだが、今はとても出来ない。
姉と父ともに傷ついている。これ以上心労をかける訳にはいかない。
弱音を吐くことは許されないのだ。
だからこうして、ただつらつらと心の内をここに文章化している。
私は一人だ。
誰か助けてくれと言って何人の人が振り向くだろう。
私には大事な友人がいる。
しかし、彼らと毎日会うわけではない。月に1回会えれば良いほうだ。そして彼らには私より親密な友人が居る。
きっと私がこの場で死んだとしても気づくのは何ヶ月も後になるだろう。
私一番最初に心配するのは皮肉にも近くて遠い職場の人達だ。
彼らにとっては同僚であり、ただの赤の他人。仲間というほど私は仲がいいとも言いづらい。
私の居場所はどこにあるんだろう。
私はどこに居るんだろう。
職場では常人ように振る舞っているが、発狂しそうな心の内を良く抑えられていると我ながら思う。
ココで奇声を発したらどうなるんだろうとやりもしないことをぼんやりと考える。
本当なら行きたくもない飲み会で、あるはずもない私の内側を演出する。
そうすることで職場の人と仲良くなれるのだ。
職場の一人の人に心の距離感が遠いと言われた。
間違いではない。
しかし、飲み会のときに近く感じたと言われた。
私としては丁寧語で話している普段のほうが素なのだが、
中身を晒したかのようなテンションの高めの私は普段の素だと思われたのだろう。それは演技に過ぎない。
むしろ疲れるので素だとは思われたくはないが、そういった素のように見える場面を晒したほうが世の中うまくいく。
今、私には親身にゲームのプログラムを教えてくれる先輩なんて居ないし、
心の内をSNSに晒したところで仮初の慰めの言葉を投げかけてくれる人も居ない。
どこかで私は道を外したのだろうか。
お金も祖父の遺産があり、私は幸いながら20代後半にさしかかったばかりで時間も少なからずある。はずなのにひたすらに焦り、悲しみ、孤独が襲ってくる。
頭の中が常にぐちゃぐちゃでせめて仕事のことだけを考えようと思ったところで人の感情は中々制御できない。
こんな文章を作れる時点で私は冷静ではあると思いたい。しかし、狂っているようにも思える。
もしかしたら、冷静に狂っているのかも知れない。
段々と掛け違いのボタンの様に不自然さが極まりない。
誰もが羨むような能力が欲しい。どんなに頑張っても最先端を走っている技術者には追いつかない。社内の中では中の上だと思うが世間を見渡すと大した技術力は私にはない。ただのクズだ。
もっと技術力が欲しいと「もっと勉強が出来るようになりたいと願う受験前の中学生」と同じような気持ちが未だに心のなかにあるかのようだ。
独りは嫌だ、独りは悲しい、まぶたを腫らして泣きつく相手が欲しい。怒りをぶつける相手がほしい。
誰も悪くない誰も悪くない。もしかしたら人並みに恋愛もしたこともない私が悪いのかも知れない。
親族の愚痴を言ってる人さえ羨ましい。愚痴を言う親族は生きてるんだから。
あるはずの未来が暗くしか見えない。世間は私に何を求める。私は世間に何を求める。
未だ中学生のような思考回路の私に世間は複雑すぎて目が回る。
私はただの卑屈屋なのも知れない。私には何が何なのか、もうわからない。
そういえば、Twitterでひろゆきが「無敵の人」が増えると言っていた。
https://twitter.com/hiroyuki_ni/status/1133262577402810370
私も遠くない日に無敵の人になるのだろう。
私は美男子ではないが、恥の多い人生を送ってきた太宰治の人間失格の道化を演じる主人公のような自分に嫌気が差す。
私はダメかもしれない。
誰が見ているわけでもないと思うが自分の思いを整理するためにココに書き捨てておくことにする。
以前のDLsiteにはゲイ向けの専用ページがあったのだが、おそらく利用者数の関係から女性向けに統合されてしまった。
ゲイは女性ではないのでもちろん違和感があるのだが、それは苦肉の策であろうし、文句をつけるつもりはない(そもそも私は同性愛者でもなんでもないので文句を言う資格もない)。しかしなかなか含蓄のある展開だなと思った。
アダルト産業が今後も発展していく上で、セクシャリティを踏まえたターゲティングは間違いなく喫緊の課題になるだろう。その中で、少数派をどのように扱えばいいのか?次のような案を考えた。
何も難しいことではない。利用者は各自、検索タグを選択するように、「興味のあるジャンル」をあらかじめ設定しておく。すると、それに応じてオススメや新着、特集のバナーがテンプレートに沿って表示されるようにする。
設定できるジャンルは「美少女作品」「美男子作品」「百合作品」「BL作品」などの大分類(必須)、「いちゃラブ」「陵辱」「ロリ・ショタ」「熟女・オジサマ」「ケモノ」などの小分類(任意)、といった具合。
特集バナーは大分類依存、新着・オススメは小分類まで依存(小分類は設定しなければ全て表示)。
ゾーニングのことも考えれば、万人にとって使いやすいサイトになると思う。ただし、「数クリック程度の簡単な設定で概ね使える」ことと、「やろうと思えば詳細設定が可能」を両立させることが一番の課題になるだろう。可能なら各社ぜひとも検討してほしい。
もとから、小さい顔ではなかったが、この頃また、ひとまわり大きくなった。美男子というものは、顔が小さくきちんとまとまっているものである。顔の非常に大きい美男子というのは、あまり実例がないように思われる。想像する事も、むずかしい。顔の大きい人は、すべてを素直にあきらめて、「立派」あるいは「荘厳」あるいは「盛観」という事を心掛けるより他に仕様がないようである。浜口雄幸氏は、非常に顔の大きい人であった。やはり美男子ではなかった。けれども、盛観であった。荘厳でさえあった。容貌については、ひそかに修養した事もあったであろうと思われる。私も、こうなれば、浜口氏になるように修養するより他はないと思っている。
顔が大きくなると、よっぽど気をつけなければ、人に傲慢と誤解される。大きいツラをしやがって、いったい、なんだと思っているんだ等と、不慮の攻撃を受ける事もあるものである。先日、私は新宿のある店へはいって、ひとりでビイルを飲んでいたら、女の子が呼びもしないのに傍へ寄って来て、「あんたは、屋根裏の哲人みたいだね。ばかに偉そうにしているが、女には、もてませんね。きざに、芸術家気取りをしたって、だめだよ。夢を捨てる事だね。歌わざる詩人かね。よう! ようだ! あんたは偉いよ。こんなところへ来るにはね、まず歯医者にひとつき通ってから、おいでなさいだ」と、ひどい事を言った。私の歯は、ぼろぼろに欠けているのである。私は返事に窮して、お勘定をたのんだ。さすがに、それから五、六日、外出したくなかった。静かに家で読書した。
鼻が赤くならなければいいが、とも思っている。
野獣は美男子が好き
なんやかんやありまして、今は結婚しているけれど、その結婚は偶然みたいなもんで、
それはおいておくとして。
美少女、美男子軍団からはハズれて、スクールカーストの底の方で、モテないしなんにもない。
先日、女の子の甘い匂いがするシャンプーってのが話題になったじゃない。
買ってはないんだけれども、「あああの匂いか」というのはわかった。
なんか中学の頃を思い出すような。。。と過去の思い出が巻き戻ってきた。
男女混合で遊んだり、女子の家にお邪魔したり、家に読んだり、ゴロゴロしたり、あれこれってモテてないわけじゃなくない?
オタクで伊集院光の話に共感するということで、勝手にモテない層とかおもっていたけれども、触れ合ってるよね。
考えてみたら伊集院光のエピソードだってちょいちょい女子と触れ合ってるよね。
モテるという意味に、不特定多数の人から好意を寄せられるという意味だが、非モテだと不特定多数の人から嫌悪を寄せられるという意味も入っちゃうじゃない。
そういう両極端な位置ではなくて、ある程度の人から行為をまあまあ寄せてもらえているかもしれない普通ゾーンだったのかもしれない!
私もセクハラ描写を何が何でも是としているわけではありませんが、
この辺りに対する反論が雑すぎるんですよね。もう少し言語化してから出直せ、とは言わないけど、全く論理的ではないことは自覚して欲しい。ただし、論理的ではなくとも意見を述べる自由はあるし、その上で「この問題を一緒に考えて欲しい」と訴える意味はあると思う。私も「嫌だな」と思う描写はあるし、それについて以前から考えていますが、なんであれが嫌なのか私自身にもよくわからないんですよね。複雑なのは、表面的には同じような描写でも許せるものと許せないものがあること。個別に無理矢理理屈をつけることはできるけど、一般論としてまとめるのは本当に難しくてまだ成功してない。
なんか大勢の謎の勢力が類似した言説を繰り返すことによって(それが全く的外れでも)既成事実化していくのが怖い。エコーチェンバー現象って言うのかな。
あと、創作物を「現実に付随するもの」として享受することが特権化している、というのもあると思う。フィクションをありのままのフィクションとして楽しむ自由も保証されて欲しい。私は男性ですが、男性として受けるセクハラに日々苦しみ、性犯罪被害に遭ったこともあります。ですが、私はBLが好きで、作中で攻めからDVまがいの乱暴を受ける美男子に萌えます。萌えを楽しむ時にいちいち現実を持ち込まないで欲しいという気持ちはある。
私は二次専なのでミラーリングとして言わせてもらいますが、実在人物同士の現実の恋愛(およびそれを推奨する言説)を目にした時の方が、漫画の「セクハラ描写」なんかよりもよほど現実のセクハラを連想します。非言語コミュニケーションに頼りすぎでしょ、彼ら。
私はゲーマーである。最近では据え置きゲームをプレイする時間が無い為専らソシャゲ専門である。ただし、昨今売り上げトップクラスのゲームぐらいにしか手は出せていない。
私は本をたまに読む。現代の流行作家も好きだが、芥川龍之介氏や泉鏡花氏、太宰治氏の美しい文体に夢中になったり、吉川英治氏の宮本武蔵を読み、力だけの強さではなく精神の強さの高みに至るにはと考えさせられ、武者小路実篤氏の晩年の随筆を拝見し人間の老いとそれでも書くという意思を貫いた氏に敬服したりといった具合の文学研究者には程遠いレベルの本好きである。
それを踏まえた上で、昨今見聞きした件での所感を綴ろうと思う。
「文豪とアルケミスト」とはDMMゲームスより配信されているユーザー100万人突破、DMMランキング11位(本日19:00現在)Game-iの平均ランキング322位(売上予想131万円)の人気のある女性向けソーシャルゲームがある。世界観担当をイシイジロウ氏(代表作は2008年の「428~封鎖された渋谷で~」今後「新サクラ大戦」にも参加されるらしい)プロデューサーを谷口晃平氏が担当し、金沢で製作されている。
さて、この「文豪とアルケミスト」のゲーム内では文豪が実名でキャラクター化しており、ゲームの中のイラストの美男子達が芥川龍之介氏や太宰治氏を名乗っている。いや、それはいい。ご遺族にご挨拶して許可を事前に取っているのならそれは全然構わないと思う。そしてその文豪達を強くする為に召装という物が必要になってくる。それら召装には文豪の私生活や遊んでる風景などが描かれる。また文豪の衣装を変えられる権利も手に入れられる。もちろん無料ではない。世に言うガチャである。
さて、このガチャで2019/2/21に配信された「猫町ノ幻燈」でとある問題が発生した。召装イラスト内に於ける萩原朔太郎の着用しているお面が個人クリエーターである和兎庵氏(以下クリエーター様)がデザインし販売している猫面とデザインが同一であるという点である。
発見したのは某匿名掲示板で文豪とアルケミストを見守っていた方々と、皮肉にも文豪とアルケミストに対して疑問符を抱いていた人達であり、すぐにまとめがtogetterにて作られた
この事はすぐにクリエイター様の所に伝わり、早速問い合わせをし、弁護士にも依頼したという。これを受けてユーザーの中にもそれなりの人数の問い合わせをした人も居たと思われる。
しかし、その返信は「順次詳細確認中」という味気の無いものだったらしい。ユーザーの中にも不満を漏らす者が出てくる。
まずこの時点で普通のゲーム運営ではありえない。「調査中」と宣言して召装を取り下げるなりの処置を、文豪とアルケミスト運営はせずに、召装ガチャを売り続けたのである。その態度に不満が出るのだが、その声は悉く封殺されたのである。
何故か。
Twitterで「文アル」と検索するとサジェストに「文アル リンチ」と出てくる。
これはいついかなる場合でも運営に対して不満を漏らすユーザーを他の文アルユーザーがネットリンチをしているという事である。
主な手口としては不満を漏らすユーザーのツイートを引用RTしながら「何が悪いかわからない」「クレーマー」「要介護者」と言った罵倒を繰り返す。そして不満を漏らしたユーザーがアカウントを消去したり鍵を掛けるまで嫌がらせを続けるのである。
この嫌がらせは残念な事に 盗作されてしまったクリエーター氏にまで及んでしまった。
しかし数回にも及ぶ問い合わせにも文豪とアルケミスト運営はユーザーはおろかクリエイター氏本人にも誠意ある返信をしなかった。
その結果、クリエーター氏は裁判所を話し合いの舞台とせざるを得なくなる。 協議の為に3回も裁判所を訪れなければいけなくなった側の身を考えると他ゲームユーザーでも胃が痛くなる。
そして昨日2019/5/10
それを見てクリエーター氏も普通のユーザー諸氏も一ゲーマーの私も驚いた。
それはもう同じプラットフォームのカオスサーガの謝罪文よりも酷い文章だった。
文豪とアルケミスト運営は、文豪ゲーの名に賭けて弁護士に謝罪文の作成を依頼せずにスタッフに謝罪文を作成させたのだろうか。
むしろこれで謝っていると思える方が凄い。
そして現在のところイシイジロウ氏 も谷口晃平氏もこの件に関して全く触れていない。
この件に関して思う事は、「これが罷り通るようになったらゲーム業界本格的に終わる」だ。
この「文豪とアルケミスト」運営は過去にも様々な盗用をやらかしてきたらしい。その度に熱狂的なユーザーに庇護されてきた。
その一方で純粋に文学が好き、真っ当な倫理観を持ったユーザーは「文豪とアルケミスト」に拒否感を抱き、離れていった。離れないにせよ課金を控えるというソシャゲに取っては致命的な行動に出ざるを得なかった。
残るのはトンチキな理論でアクロバティックな擁護をする あまり運営に取って有益ではないユーザーだけ。
その結果が「ユーザーが100万人いってるらしいのにゲーム名を聞いたら眉を顰められる、課金もほとんどされないゲーム」の誕生である。
ここまで言っておいて何だが別に「文豪とアルケミスト」にさっさとサービス終了してくれとは言わない。
何故ならこの運営、スタッフ、狂信的ユーザーを箱庭のように永遠に「文豪とアルケミスト」の中に閉じ込めておいてもらいたいからだ。
この運営や狂信的ユーザーの倫理感で他のゲームや娯楽コンテンツが汚染される事が、ただただ恐ろしい。
でも付け加えるならば盗作盗用は二度とせずに、自分の好きな国内外の作家は出てほしくないし、出来れば今出ている好きな作家は取り下げてもらいたいなぁと思う。
広告にやたら出るので、
試し読みで「の、ような」という作品を読んでみた。
おそらく作者が理想とする、中学生と子供を描いているのだと思うのだが、
日常系マンガ(?)にはあるはずの、あるある~がまったくなく、全然リアリティがない。
主人公の女性が登場人物たちの現状や感情を「わざわざ」言葉で解説していて、
絵が上手いのはわかるのだが、どうも理解に苦しむのであった。
これは、たぶん・・・、
女性がエロありきで描く男性マンガを見て抱く感想と同じなのだろうと思う。
女性と男性でマンガに求めるものがまったく異なるんだろうなと思う。
男性マンガに目がパッチリとした童顔で胸だけデカい非現実的な女の子が人気なのと同じように、
このマンガには美男子で大人しい中学生、聞き分けのよい幼稚園児、草食系天然の30代男性という、
私の曾祖母はあることを成し遂げた人でドラマ化もしたことがある。私が産まれる前の話しだ。
曾祖母は醜いと言われて育ったそうだ。顔も整った造形ではなく肌も浅黒く骨も太かった。嫁の貰い手があるのか心配され、顔を補うためにと料理裁縫をみっちり仕込まれ、でもあることへの才能が開花し、その道に全ての情熱を捧げる生き方をした人だ。
曾祖父はそんな曾祖母の才能や情熱に惚れ込み結婚した。曾祖父も小柄で気弱そうな人で美男子では全くなかった。
そんな曾祖母と曾祖父の物語のドラマが私の母が子供の頃に作られた。曾祖母と曾祖父の役はとても美しい女優とハンサムな俳優が演じた。
テレビではドラマを見て「○○(曾祖父の名前)が羨ましいって嫉妬したけど実物の写真見たらほっとした」「結婚しようと思ったことを尊敬した」という芸能人たちの会話も堂々と笑い話として流れていたと聞いた。
曾祖母は深く傷ついたという。容姿のハンデを努力と才能と情熱で乗り越えた人の、その最も根深く過酷で深い差別を跳ね除けて誇り高く生きた女性を、そのドラマは美形化することで侮辱した。
私は曾祖母によく似てるようだ。幼い頃からブスと罵られることを何度も体験してきた。ほんの少しでもマシな顔だったらと何度思ったかわからない。
容姿への差別は自分にとって人種差別より女性差別よりもずっと身近で現在進行形で当たり前のように存在している。
そして、朝ドラなど実在の人物をドラマ化する度に思う。なぜ美形化するのかと。
黒人の偉人を白人が演じたらどうだろうか。あきらかに顔で差別を受けただろう人を、何か利を得たことがなかっただろう人を、美形化することはこの根深い差別を助長する行為じゃないだろうか。
KKOいわゆるキモくて金のないおっさんは努力しろよっていうやつ居るけれど、努力したら何が起きるのか知ってるの?
努力してないキモくて金のないおっさんが、必死になって脂汗流してるキモくて金のないおっさんになるだけなんだぞ?
努力が全て報われるのなら誰もが努力すると羽生善治も言ってる。
羽生善治の努力が美しいのはやつが「格好良くてアイドルと結婚できる追っかけも居たイケメン中年だから」で、脂ぎったあんたの会社のキモくて金のないアルバイト中年が難しい顔で汗をかきながらウンウン唸っていたら、努力してるキモくて金のないおっさんができるだけだ。
つまりキモくて金のないおっさんは、努力しようがしまいがキモいのである。
美少女が、三つ編み瓶底眼鏡をかけても美少女メガネになるだけなように、キモいおっさんは何やってもキモいの。
これは素材の問題なのよ。松阪牛をどう料理しても松阪牛のように、まずい食材をどんなに手を加えても、究極的にまずいの。
だから、「キモくて金のないおっさんは努力しろよ」っていうやつは、努力してたら魔法使いが魔法をかけて、キモくて金のないおっさんを美男子金のある不漁中年にしてくれると言う魔法使いを連れてきてくれ。
キモくて金のないおっさんは現代のシンデレラだ。こんなに努力してるのに報われる気配すらない。
魔法使いの居ないシンデレラ。それがキモくて金のないおっさんだ。
むかしはキモいが金だけはあるおっさんだった。しかし、今や金が無い。努力しても収入が上がらない。金という魔法使いが、おっさんから居なくなったのだ。
キモくて金のないおっさんは努力家だ。努力して汗をかいているからキモくなるのだ。
だからこそわかる。努力してもキモさはなくならない。それどころか、努力してるからこそ余計にキモくなる。
そしてそのキモさを打ち消すのは努力ではなく「金でいいファッションしたりいろいろやってキモさを打ち消す」ことができた。しかし今はできない。
みんなビンボが悪いんや。