はてなキーワード: 結婚式とは
給食マスクと聞くと、小学生だった時の担任のM先生を思い出す。
M先生は30歳前後の女性で、2年間自分の担任だった。小学生ながらに「この先生ちょっとヤバイ」と思っていたので、M先生について思い出せたエピソードを客観的に書いてみる。別に変じゃないエピソードもあるかもしれない。もう自分では何が普通で何が異常なのかよくわからなくなっている。
給食当番は、家からマスクを持ってこないといけないルールだった。M先生は、マスクを忘れた生徒を怒り、黒の油性マジックで顔にマスクを書いた。口の周りに大きな四角を、それから耳まで紐の部分を書いた。さすがに四角を黒で塗りつぶすことはしなかったが、四角の中に大きくバッテンを書いていた気がする。そしてそのまま生徒を下校させた。
授業参観の前日、M先生は「明日は授業参観なので、みんなで1本ずつバラの花を持ち寄りましょう!教室が華やかになりますよ」と言った。「反対の人は手を挙げて」と言うので手を挙げた。手を挙げたのは自分だけだったので理由を聞かれた。「今月のお小遣いがもう残っていないので買えません」というと、「自分で買えなんて言ってないわよ、みんな親御さんに買ってもらいなさい」と笑った。帰宅し、母親とバラを買いに行った。田舎だったので町に花屋さんは1つしかなく、バラはもう売り切れていて買えなかった。
M先生が結婚した。相手は他校の教師らしい。結婚式準備や新婚旅行で何日か学校を休んだ後、生徒の家にハガキが送られてきた。二人が肩を組んでいる幸せそうな写真入りで、「私たち結婚しました」と書いてあった。母親が苦笑していた。
ある日、M先生の発案で、授業間の10分の休み時間がおしゃべり禁止になった。最初の何回かはみんな守らず、ひそひそとおしゃべりをしていたが、M先生がついに本気で怒った。その次の休み時間、本当に誰一人声を発しない、静まり返った教室となった。するとM先生は「なんか誰もしゃべらないのって気持ち悪いわねぇ!やめましょやめましょ!!」と笑い、そのルールは一日でなくなった。
やんちゃな男子3人組がいた。何か物が壊れていたりすると「あの3人がやったに違いない!!!」と騒ぎ、3人を呼びつけ怒っていた。3人は反論せず呆気に取られていた。
やんちゃな男子3人組のひとりが何か悪いことをしたらしく、M先生に怒られていた。M先生は、「先生の言うことは絶対なんです!先生が死になさいと言ったら死ななくてはならないんです!今すぐあのベランダから飛び降りなさい!」と言っていた。※ちなみにその男子は先生の話を全く聞いておらず、いつものようにケロっとしていた。その後落ち込んだりとかはしていなかったと思う。
M先生の親族が亡くなった次のお正月、父親が「M先生は喪中だから、年賀状ではなく寒中見舞いを出しなさい」と言ったので、その通りにした。学校が始まると、M先生に年賀状を出してしまった生徒が集められ、「あなたたちはとても失礼なことをしたのよ」という旨のことを怒られた。寒中見舞いを出した自分も一緒に怒られた。親に報告すると、母親が「だから寒中見舞いも出す必要なかったのよ、余計なことはしなくていいのよ!」と父親と喧嘩していた。
2年間、平日は毎日顔を合わせていたから、他にもたくさんあるはずだけど、これしか思い出せなかった。もう20年くらい前の話なので、印象に残ったことしか覚えていないし、詳細も確かではない。ただ、もうすぐクラス替えというタイミングで、「来年も先生が担任がいい人~?」と自ら生徒に聞き、誰も手を挙げなかったときのことは、今でも鮮明に思い出せる。
その当時は、典型的なKKOで体臭ヤバいとかで嫌われ&うだつが上がらない感じだったのに、数年でこざっぱりして仕事もミスは多いがゴリ押すタイプに変貌したとか…(1月の結婚式で聞いたので詳しくは知らん)
第五人格が大好きで熱中してプレイしていましたが、鹿帯やマンモス帯以上の人とマッチするようになってから、暴言・煽りが増え始めて、とうとう疲れてしまいました。僕はプレイし始めてまだ2ヶ月半程度で、鹿4・ワニ4(サバ:30%、ハンター:83%)、傭兵、調香師、芸者がメインでした。
基本的に野良でやってきましたが、仲良くしてくれるフレンドがいて、タイミングがあえば一緒にやっていました。「引き分け以上でいい。3逃げ、4逃げは無理して狙わなくていい。」というシンプルなゴール設定だったのでやりやすく、フレンドと組むとだいたい引き分けか、たまに3逃げっていう感じでした。
問題になるのは、野良で5人ランク戦やランクマをやる時です。誰かが攻撃食らう・ダウンする・吊られる度に「ありがとう!」「なかなかやるね」チャットを打ち、試合後に「傭兵頭悪すぎ」「救助できない救助キャラは4ね。もうやんなくていいよ」「香水どこ振りまいとんじゃボケ。攻撃食らう前に振っとけやハゲ」「裏抜け刹那で得意げwwなのに当たらず必死ww」等々。僕だけに暴言がある時もあれば、ハンターやってる時にメンバー同士で喧嘩など、とにかく疲れます。
無視する、固定パ組む、チャット自体見ない、といった対策もありますが、たとえば5人ランク戦なんかだとパーティ組んで相談してからプレイすることも多いため、どうしても会話が必要になります。最初は「よろしくお願いします!がんばりましょう!」と雰囲気はよいのですが、プレイ後のチャットでは、通電がどうのこうの、即死がうんぬん、救助があーだこーだと、大体険悪になります。責められるほうも、責められている人を見るほうも、どちらも辛いです。
もし、これが前向きな会話だったらすごく良いと思います。
たとえば、僕が犬帯の傭兵で無知だった頃のランクマでは、「傭兵、危機一髪ないのは戦犯だよ」と教えてもらい、「マジすか。すぐつけます」と回答し、ハンターからも「傭兵だったら癒合も人格つけたほうがいい」「がんばってね」と教えていただいたりと。
無知だと周りに迷惑がかかることを知ったので、傭兵でプレイ&解説がうまいYouTube配信者(なおやさん、しょうぐんさん、ゆーだいどんさん、taroさんなど)を何回も見て練習しました。また、あくまでチーム戦になるため、自己鍛錬だけではダメで、立ち回りや状況判断力による動き方によっても、戦況がかなり変わってくることもわかったので、COAやLobi杯、Mildom配信も見ながら勉強しました。もちろん立ち回りや状況判断の解説動画も「僕だったらどう動きべきか、どうやったらチームとして勝てるか」といった視点で何度も見ました。
絶対助けるマンが1人いるだけでチームが全滅する、3逃げ・4逃げ仲間想いマンが1人いると通電後の救助でノーワン食らって勝ちが負けになる、ある意味覚えゲーなのでスポーン位置とチェイスルートの把握は必須(場所によっては最初は隠密)など、第五人格(というか非対称型ゲーム)は本当に奥が深く、どんどんのめり込みました。
自己満ではありますが、僕は人が喜ぶのを見るのが好きなので、初心者向けに(僕もまだ鹿帯なので初心者ですが)無知で迷惑がかからないような立ち回りや動き方(超初心者向けの例えですが、チャットを頻繁に打つとか・・・鹿・マンモスでも意外と打たない人多いので状況わからない)から人格の付け方まで、みんなの役に立てればと思い、解説ページ・おすすめ配信者紹介ページを作っていました。間違っていたらマズイので、もちろん最後にはバッチ保有者さんに内容チェックしてもらう予定でした。
ですが困ったことに、解説ページを公開したら、暴言が来るイメージしかわかないのです。私はサプライズやプレゼント感覚でこういうものを作るので、例えば友達を喜ばせたくて結婚式で披露するホームページを作ったりと。こういうのって普通は喜ぶ顔が思い浮かびますよね。
ですが、第五人格の場合は、どうやってもみんなの喜ぶ顔が思い浮かばないんです。「この解説ページうざい」「救助できないやつはチャットを頻繁に打たなくていいです」「立ち回り解説とか言ってないでさ、お前はカスタムけだけやっててよ」という言葉しか思い浮かばないんです。
第五人格自体は本当に大好きなので、ずっとやりたかったのですが、ここまでして続ける目的がわからなくなってしまいました。第五人格は累計2億ダウンロード(それで暗号解読が20億とかだったかな)なのでプレイヤー人口が非常に多いのですが、ここまで暴言厨が集まってくるのもすごいと思います。
「第五人格」だけに、「もうひとりの隠れた凶暴な自分の人格」を引き出すのが、実は裏テーマなんですかね。もしそうだったら一周回ってかなり凄いのですが・・・。
ということで、先ほどアプリを削除しました。短い間でしたがお世話になりました。万が一、優しい世界になったらまたプレイしたいです。
友人もまた色々悩んで決めたのだろう。せめて普段より断りやすい配慮とかあったら良いなと思う。高齢者と暮らす人は緊張感も違うだろうし。
そしてあなたが色々な葛藤の中でホストの責任とゲストの安全を重視して延期を決めたのは立派だと思う。自分たちの決断を誇りに思って尊重できますように。
来年の3月まで延期したのかぁ。色々と苦労されたのだろうな。自分には想像しかできないけれどコロナという理不尽な災いで結婚式という大掛かりイベントが予定通りできなくなった人達のことを思うとつらくなる。悲しい。
4月に都内で挙式披露宴を予定していました。緊急事態宣言が出てしまい当然延期を決断。
実施か延期か心底悩んでいた時期だったから、緊急事態宣言が出てくれて正直ホッとした。なかなかふんぎりがつかなかったけど「国がこう言ってるんじゃ仕方ないね」って自分たちを納得させることができた。
延期した先は9月。「半年も経てば収まってるよね」「夏には落ち着いてるよね」って根拠はないけどそんなムードが世の中的にもあったと思う。
でも今、こんなありさま。春の流行は前座だったのでは?ってレベルで増え続けてる。go toキャンペーンも始まっちゃって少なくとも9月の収束は無理だと思う。
私の親族は地方にいる。屋内での飲食。感染拡大中の東京。マスクをしたままの記念撮影。ゲスト同士お喋りを控えた進行。こんな披露宴やる意味あるのかな…と思い、再延期。
次は来年の3月。ほぼ1年後。さすがに再々延期はモチベーション的にありえないから、次の3月もこんなコロナ状況だったら親兄弟だけでこじんまりとやる予定。
もしそうなったら(というかそうなりそうだけど)悲しくて悔しいなぁ…。本番2週間前に延期を決断したから準備自体はほぼ終わってたし、脳内リハーサルも何回もやってさ。本当に当日を待つのみって感じで。
どうしてこうなった。結婚式を去年の秋に挙げていたら。今年の冬からコロナが流行ってたら。春のうちに徹底検査→隔離の仕組みが整って夏には落ち着いていたら。考えても仕方のないことばかり考えてしまう。
私個人としては、ガチガチの自粛はしていない。外食するし仕事は週3出社だし友人とも会ってる。マスクと手洗いと密回避を気をつけてるくらい。
だけどこちらがホストとして披露宴を執り行うからには、ゲストの安心安全を考える義務があると思って延期の決断をした。お祝い事だから、もし不安に思っても断りづらいと思うし。
だからこそ10月に披露宴決行予定の友人にモヤモヤしてしまう。大好きな友人の晴れ姿をお祝いしたい気持ちがある一方で、私はまだドレス着れてないのにな…お祝いしてもらえてないのにな…ていうかこの状況で決行するって選択肢があるんだ…という気持ち。
イエ単位を固めて管理しやすくするためのものであり、一夫一妻制度によって「父権の保証」、つまりある男の妻から生まれた子供をその男の子とみなし、彼の財産の相続権を持つものとする、というシステムを確立させたにすぎない。
完全なる自由恋愛によって形成される家族なんてものは長い人類の歴史の中でほんの最近出てきたに過ぎない。
にも関わらず自由恋愛のゴール的なポジションに結婚が据えられる、さらに言えば「結婚式」がゴールになってしまっている現状に疑問がある。
世の中そんな満足できてる女なんていないので。
勢いで結婚して、あれ、こんなはずじゃなかったって人が大半。
でも家庭とか子どもとか、結婚式しちゃったしとか、めんどくさいとか、いろんな理由でわざわざ別れるまでもないってだけ。
男に何か期待するだけ損よ。
便乗して思い出を語る。
夫は多分オスとしての魅力?はない方で、私もメスとしての魅力はない。
学生時代にしりあって、サークルの係なんかを一緒に真面目にやってるうちにバカ話できるようになって。
ストレスなく喋れる異性なんて家族くらいだったし、何なら同性の友達も少なかったから、一緒にいるのが楽しかった。多分向こうもそうだった。で、恋したいお年頃だから恋愛になった。
結婚する時、仲人さんに「どういう所に惹かれたの?」ときかれて「男らしくないところ」と答えたんだけど、結婚式の仲人スピーチでそこだけ使われなかったな。
夫は私から見てどんな人か、書いてみる。
人をイジらない。
良い事でも悪い事でも「女の子は〜〜なんでしょ」みたいな話題を振らない(あまり世間一般に関心がないから)。デートはワリカンだった。私もワリカン派だったから、いちいち「ここは奢ってもらわないとプライドを傷つけちゃうか?!」とか裏読みしなくていいから楽だった。
おしゃれなお店は知らない。でも両家顔合わせの時は調べまくってキチンとしたお店を予約した。
実は同時期に今の夫の他にもう一人から付き合ってといわれてたんだけど、まさに「いい人だけどごめんなさい」した。
その人と夫の違いは何かと考えた。
夫との話題はその時のサークルの方向性はどうすべきか議論とかお互いの勉強の面白トピックとか。断ったほうの人はサークルでどれだけ自分が貢献してるかとか自分の趣味のレクチャーとか。
私の方が相手より詳しい話題(地元情報とか)の時、夫は普通にそうなんだーと言うけど、断った方の人は何となく傷ついてるか、ムキになるっぽくて気を使う感じ。
私が重い物を持ってたら、夫は「重そうじゃん手伝うよ」なんだけど断った方の人は「あっダメダメ女の子はそんな重いの持っちゃ!貸して貸して持つから!」みたいな…
よく、「いい人はどうでもいい人」とか言うけど、ちょっと違った。「いい人だけど気を使わないといけない人」だった。
その人は見た目は夫よりずっとイケてて、飲み会でも誰とでも喋るし有能な人だったけど、彼女がいた事はなかった。そんな人がなぜ私に声かけてきたのか、たまたま一緒の電車で帰ることは多かったけど不思議に思っていた。お断りしてから、サークルの女の半分くらいにコナかけてたと判明した(そんなに大人数のサークルじゃないけど)。判明したのはサークル女子飲みの時で、声かけられたのは何となくキラキラしてない子ばかりだな〜、と口には出さずとも皆思って気まずかった。キラキラの1人が「良かった〜」と言ってたのが未だにムカつく。聞こえてんだよ…。
経験と言っているのは、タチコマが経験値が上がったと言っているようなものだよ。
既婚だと配偶者という外乱要因が一つ加わるし、子持ちだと子供という外乱要因が加わる。
就職していったん生活のリズムが落ち着いたら、自分で外乱を求めないと生活に変化がつかないこともある。
外乱要因が入っていると自分から求めないでも人生をかき回されてそれなりに経験値を積ませてもらえる。
その意味ではかつ丼食べたことがないとかつ丼の味がわからないのと同じレベルというとそうだと思う。
でも、結婚するまではこれほど人と対立したり、仲直りしたりという経験はなかったなとは思う。
まあ、喧嘩したことがないという夫婦も喧嘩したが最後お別れになったという夫婦もいるかもしれないので個人差のある話だとは思うけど。
結婚式もいろんな人がいろんな思惑のことを言うので、それを調整して何とかするというのにかなり忍耐力と交渉力を鍛えられたと思った。
子育てはね、まず、寝られない。でも、世話しないといけない。一言で言えば修行としか言いようがない。
修験道で修行することでいろんなことを気づくようになるという話があるけれど、そういうのに近い。
極限状態にあると自分の弱さを嫌と言うほど認識させられて、それを克服することになる。
あと、子供はまず話が通じない。
それに付き合っていると、大人との会話はそこまで話が通じないことはないので割と寛容になる。
自分の立場を押すだけではなく、相手の立場に立ってどう伝えたら伝わるかなとも考えるようになる。
子供との関係性の為に勉強し、練習している叱らないけれど譲らないような関係性は大人との関係でも実は結構使える。
そういう子供や配偶者との関係で鍛えられた忍耐力、調整力、交渉力などを指して成長したなと思ってる。
もちろん、子どもがいても鍛えられない奴もいるし、子どもがいなくても鍛えられる奴もいるから一概にどうこう言うつもりはない。
日々新型コロナウイルスの感染者が増えていくなかでもはやグダグタなGo to キャンペーンが強行されたり、とか毎日めちゃくちゃだなぁ、と感じますが皆様如何お過ごしでしょうか?
東京では今日も過去最高の感染者数だそうで4連休の不要不急の外出を自粛するよう呼び掛けがあったとかだけど連休だけ外出自粛して平日はまた満員電車で通勤になってほんとにそれ意味あるの!??
夜の街もそうだけどウイルスって夜と休日だけ感染するわけじゃないですよね!??
しかも休日に外出する人を相手に商売とかする人はどうなるの?その日の売り上げは?生活は?
その辺りの補償はせずに自粛だけを呼びかけて感染が減らなかったら自粛するように言ったのにみんなが感染対策しなかったから、みたいになるのいくらなんでもセコくない???
みんなさ、手洗いうがい三密を避ける、とかもう普通にやってるでしょう…
何よりこの流れ3ヶ月くらい前も見た!!!!
ここまで書いたけどわたしは都民でも何でもなく近畿地方のそれなりに田舎に住んでるOLなんですがそれはそれとして田舎もつらい
すぐに特定されるとか家に石を投げられるとか
信じられる?令和2年だよ?嘘であってくれ
そんな田舎でもぽつぽつと感染が確認されて最初はこの広い田舎で一人感染が確認されたぐらいで騒ぎすぎでは?と思ったけどやっぱり周りの雰囲気に呑まれて息苦しさを感じてきた
わたしは実家住みだけど家族も周囲もみんな県外に出かけるなんてありえないって感じでGo toなんてとてもむり
隣県に買い物に行くことすら叶わない
あ〜〜〜つまらん!
でももしどこかに出かけて感染、なんてなったら会社にも居場所がなくなるしとても怖くて出かけられない
やだよ〜〜〜都会に遊びに行きたい
会いたいは友だちはみんな都会に住んでるから全然会えない、寂しい……
去年週一くらいのペースで遊んでた都民の友だちにはもう半年会ってない
あまりに友だちに会いたくても会えなさすぎてツ……テ4章のラストで泣いたもん
もちろんそんなこと言ってもこんな状況だから我慢しろって言われるんですよ
毎日Twitter上で会話してても普通に会って話したいわ!!!!!!!!!
なんかさ?緊急事態宣言が明けたあと、テレビとかで少しずつ日常が戻ってきて、とか新しい日常が始まって、とか言ってたけどさ、ほんと?
ほんとに日常戻ってきてた?わたしは全然!なんにも!戻ってきたって感じてない!!
わたしにとっての日常っていうのは毎月夜行バスに乗って東名阪を行き来するとか
そのままいろんな地方から集まってる友だちとファミレス行って今日も楽しかったね〜、て話したり写真見てあ〜今日もかわいいね〜ってキャッキャして終電までの時間を潰すとか
友だちと夢の国に行くとか
もちろんすぐに全部戻ってくるなんて思ってなかったよ?
でもせめて7月とかになったら東京だって大阪だって会いたい友だちに会えて一緒に笑って話せると思ってたよ……
遊びたい!!!!!!とにかく遊びたい!!!!!もうずっと仕事しかしとらん!!!!
仕事なんてわたしにとってはソシャゲの周回みたいなもんなんですよ
周回も必要かもしれんけどストーリーはそこにないの!休日に友だちと会って、ライブに行って、そこがストーリーなの!
周回しか出来なくてストーリーが楽しめないソシャゲなんてすぐユーザー離れてくわ!!!!!!!ばーーーかばーーーか
ていうかさ〜〜〜〜あの緊急事態宣言の2ヶ月間は結局なんだったの?
ねえ???あんなにみんな大変な思いして家に篭ってたのにさぁ???今あのときより感染者数も増えてしまってあの期間の頑張りは何?虚無では???
感染者数が増えたのも最初は検査数が増えたから(これってもっとはやく増やせなかったんですか?)とか重症者数は減ってるから、って言われてたけどここまで増えてしまってまだ大丈夫って言えるの?
緊急事態宣言中は芸能人とかもみんなステイホームステイホームって言ってて
今あの頃より感染者数が増えても誰もステイホームって言わないけどそれでいいの??
あのとき頑張ったのは虚無じゃない、ステイホームはしなくてもいい、て言うなら安心できる根拠を説明してほしい
あの2ヶ月さ、わたしは遊びに行く予定がなくなったくらいだけど新入学とか新生活を始めるタイミングだった人や結婚式の予定があった人やメジャーデビューが延期になったとかもっと人生にダイレクトに影響与えられた人もたくさんいるじゃないですか……
2ヶ月っていう長い時間の生活をこんなに踏みにじられてていいの?わたしは踏みにじられた、と感じます
そこにとても怒ってます
この先イベントやライブなんかも少しずつ発表されつつあるけど本当に開催できるんだろうか?
わたしはそこに行けるんだろうか?
地方から都会に行けない、都会から地方に行けない、医療関係の仕事をしてるから諦めざるを得ない、そういう人もたくさんいると思う
じゃあイベント開催をやめろ、延期しろ、というのもそこで働いて生活してる人がいることをわかってるからそんなこととても言えない
よく政府の偉い人が断腸の思いで、っていうけど聞くたびにほんまにか!?と思う
3月にオリンピックが延期になって急に東京の感染者数が取り沙汰されて家族に反対されたり仕事のことを考えて考えて悩んでボロ泣きしながら推しの出演する舞台を諦めたときのわたしの方がよっぽど断腸の思いだったわば〜〜〜〜〜〜〜(略)〜〜〜〜〜〜〜〜か!!!!!!!!!
(ちなみに推しは先月所属事務所を退所したので例え再演があっても推しの演技はもう見られません!こんなことから行けばよかったね悔しいね!!!!!!)
この先あと何度こんな思いをしなきゃいけないんだろうな……ライブやイベントじゃなくても友だちに会う予定でさえ
9月に夢の国に行きたいなぁ…
結局のところ今後どうなっていくのが正しいのかわたしにはわかりません
ただまた緊急事態宣言が出るなら(各業界や国民に必要な補償がされる上で)それに従うだけ
前回の失敗や抑え込みに成功してる諸外国から学んでしっかり徹底的にやってほしいと思う(とは言っても前回の給付金も緊急事態宣言終わったから振り込まれたしそのあたりに全然期待できないのが悲しい…)
とにかくもう思いつきみたいなその場凌ぎの政策はやめてほしいし一人一人が感染に気をつける、は当たり前としてそれには限界があるのをわかってほしい……
わたしたちみんな生きててそれぞれに大切なものとか少しずつ犠牲にしながら今生きてるので
一人一人の足並みを揃えるように手配して足りない部分を補う
久しぶりにメール送るか〜〜
いま49歳で来月で50歳。
バカみたいな話だが、去年の春先、つまり1年前、自分が人から嫌われていることに初めて気付いた。
それこそいろんな人から「なんだ、コイツ!?」とムカつかれているらしい。
マジで書くが、今まで全く知らなかった。
嫌われているだけでなく、もう完全に「大した奴じゃない扱い」されて舐められてもいるようだ。
しかし学生時代も、社会人になってからも、仕事や趣味や夢に集中していたので、48年間気付いていなかった。
他人の結婚式に一度もお呼ばれしたことがないし、身内以外の葬式にも行ったことがない。
しかしそれは自分が対人恐怖症周辺症候群だからだ、と思っていた。
この病状の症例についての説明は省くが、病気を克服してしまえば、なんとか世間と折り合いを付けていけるものと思っていた。
だから一人遊びをしたり、自転車で遠出したりして時間をつぶしていた。
病名が判明したのが18歳。
それから25年くらいかけて、病気と折り合いを付け、ほぼ克服したといえる状態になった。
しかし実際には、「人に好かれる」とか「嫌われる」とかいう関門があり、他人と関わることの得手不得手とは別に、もうどうしようもない壁が立ちはだかっているのだと思い知らされた。
組織やチームの中でうまく溶け込めずに、腫れ物扱いやお荷物扱いされるのが苦痛で、就職活動はしなかった。
フリーターを経て、いまはフリーランスでなんとか死なない程度に食えてはいる。
「仕事でキャリアを積み、実績を出せば、世界に居場所が出来る」といままでずっと思っていた。
しかしそういう訳でもないらしい。
自分には会うべき人もいないし、行きつけの店もない。
だからコロナでおうち生活が始まっても、生活習慣も行動パターンも全く変わらなかった。
「おまえら、俺と同じ場所に落ちてきた。ざまあみろ」くらいに思っていた。
でも6月に入った辺りから、理由は分からないが、自分も鬱っぽくなってきた。
生活は何も変わらないが、自分には Zoomで飲み会する相手もいないし、電話する相手もいない。
それが段々利いてきたのかもしれない。
あるいはいままで以上に、「世界でひとりぼっち」感に襲われるようになったからかも知れない。
1人でいることはいまも自分の安全装置だし、孤独は苦にならない。
49年間ずっと1人だったのだから。
ここまで書いて思いだしたが、一応過去に彼女がいたことは何度かある。
自分みたいな男を好きになってくれる女が何人かいたというのはすごく不思議だが、事実だ。
世界は案外広いんだろう。
しかし最後の彼女は31歳のときだから、既に彼女いない歴18年になる。
もう「今から嫁さん」というのも現実的じゃないし、これからも1人だろう。
持続化給付金もらったので、手持ちの金には余裕がある。
だからこんなことを考えるようになったのかも知れない。
でもなんだか、なんだかなぁ。
先程夢見の悪い夢を見たので聞いて欲しい。
まず出だし。プーさんかミッキーとハイエナ(ライオンキング)とインコが掛け合っている。
私はある旅館に仕事で用事があったのだが、旅館のすぐ手前が水没しており旅館に辿り着く事ができなかった。
奥の座敷から入るよう勧められたが、
ハイエナはインコをおとり(?)にミッキーとプーがドジを踏んでるのを見て笑っていた。
ミッキーが何かを考え、腕時計をインコに持たせる。ハイエナはインコの持つ腕時計欲しさにインコに飛び付くようにして付いていき、インコは何処か遠くへと飛び去っていった。
「こちら◯番機、異常なし」
どうやら先ほどのインコを捜索してるらしい。
「◯バンキカックウチュウ」
と割り当てられた数字で応答した。
「なんだ!?今の声!」
パイロットが驚いてる所に私は「その無線に応答して!」とオペレート室から指示を出した。
私は駅にいた。
何故か遮断機が駅のホーム内にしか無く、外からホームを行き来するには遮断機のない線路を渡る必要があった。
「ここは結婚式場だ」と思い、駅の姿は大きく変容した。
ここからは少し覚えていない。
僕は彼女と結婚して、青年を設けた。その青年の結婚式のようだった。
式には神前婚や教会式などではない(座席の配置図的には教会式が近いかもしれない)。
相手の親族はおらず、どうやら斜め前にいた車椅子に乗った男性が相手のようだった。
「生まれ変わっても僕は貴方の息子である事に変わりは無い」と僕に抱き付いた。
私は何故か祭壇のど真ん中の台車に横たわり祝いの歌を歌う。(覚えてないがメジャーな曲だった気がする)
それを車椅子の彼が笑って見守ってくれていた。
結婚式場は吹き抜けになっていて、空には先ほどのインコが飛んでいた。
「そのインコを捕まえて!」話が戻る。
私は仕事を中止させる訳にはいかなかったが、どうしてもそのインコを確保しなければならなかった。
パイロットに応答して誘導するよう伝えるが、電車の方で重大なミスがあり、大事故が発生したようだった。
ぺらりと一枚垂れ幕が下がる。
背景は真っ黒で、「そういう演出だった」と言われれば納得するものだった。
おみくじの垂れ幕がちぎれて落ちると、瓦礫、人の山のような高い壁の間をグレーのぐちゃぐちゃなものが遠くから歩いてくる。
劇団イヌカレーみたいだったものは近寄るほど人型になりそれが少年だと気付いた。
燃え盛る火の手から逃げているようで、カメラは少年の正面から背後にシフトする。
歩き去って行く少年。
車を運転する父の窓の向こうに目玉を描いたカラス除けのような頭の妖怪が藁笠を被って佇んでいた。
「お父さん、お父さん、外、お父さん、お父さん、お父さん、」
何度父を呼んだかわからない。
私の異常に気付いた父が宥め、抱き締めてくれたのだが、その父の顔も目玉の模様になっていた。
ここで目が覚めた。
私がいまいるのは、何処なのだろうか。
毎年帰省時期は、帰省した高校時代の友人と集まって4人で食事をし、
スーパー銭湯に入り、最後は友人の実家の、たった六畳の部屋に集まって、酒を飲みながら麻雀やゲームをする。
そして足りない布団を奪い合いながら寝て、次の日遅めに起きて、ラーメンを食べてお昼に解散。
これが楽しくて、大学時代から4人集まってはずっとやっている。
ただし、いつも気になっていたことがあった。
友人の親や家族にはなんと思われているのだろうか。
迷惑じゃないだろうか。
正直いい年して何やってんだと思われていないだろうか。
ちなみに私の家の実家には友人は呼べなかった(家が狭いので)。
だからウィークリーマンションでも借りれれば良いのに。
若しくは、私がわざわざ地元内で実家を離れて一人暮らしでもすれば、
気兼ねなく皆を呼んで遊べるのに。
数年そう思っていた。
そんな時、転機が来た。
だから皆が来ても良いよう、switchも買った。ポケモン楽しい。
親は人が泊ってもいいよう、実家から布団を多めに分けてくれた。
部屋も皆が泊れるよう、10畳の部屋を借りた。
場所は市の中心から少し遠くて不便だけど、車文化だから大丈夫だろう。
そして迎えたその年のお盆。
地元に全員が揃うまで、まず私の部屋に二人の友人を招いた。
でもなんだか盛り上がらない雰囲気。
なんとなく居心地悪そうな友人2人。
そんな感じで過ごしていると、最後の友人が地元に到着したとの連絡が来た。
そしていよいようちでお泊り…かと思いきや。
皆が求めていたのは、気兼ねなく遊べて泊れる広い部屋じゃなかった。
謝りながら家にお邪魔し、大きい声を出さないよう声を殺して笑い、
布団を奪い合い、背中を痛めながら寝るあの狭い部屋だったのだ。
求められていたのは、ただ仲間に入れて貰っていた私じゃなく。
結婚式で余興を任され、いつも皆が一緒にいて楽しい友人だったのだ。
今も私の部屋には使わない布団が閉まってある。
ただ年末に、近所に住む友人の一人だけは、家を締め出されたと言って泊りに来てくれた。
あれはきっと優しい嘘なんだろう。