はてなキーワード: 精神障害者とは
われわれ人間にとって、「生きる」とは何だろうか。一体、何がわれわれの生と死を定義付けているのだろうか。医療技術の発展は、このような問いをわれわれに投げかける。
一般に、死は心機能あるいは脳機能が不可逆的に停止し、生物としての機能を失った状態であると考えられている。またいくつかの国では、脳機能の一部が停止し意識が消失しているものの、呼吸や心機能など無意識的な人体の基本機能が残存している場合にも、それを「人間らしい生」の終息として、尊厳死や安楽死として「死」と定義している。
医療技術の発展は、人の「体」の寿命をのばすことに成功したが、同時に「人間らしい生き方」「心」とは何かという疑問を提起した。その結果として、尊厳死や安楽死の考え方が生まれたのである。
だが、「人間らしい生き方」を追求することは、死の定義を過剰に広げてしまわないだろうか。そもそも「人間らしく生きる」とはどういう状態のことを指すのだろう。
例えば終末期のがん患者の場合、完治の見込みがなくなった際には、重い副作用のある抗がん剤による治療をやめ、自宅に帰り家族とともに「人間らしく生きる」ことを選択することがある。この場合、「人間らしい生き方」とは家族とともに普通の日常生活を送ることを指すこととなる。
この考えに従うと、ホームレスなどの自宅も家族も持たない人々は人間として死んでいることになる。
あるいは、自己を認識する「意識」を人間らしさであると考えてみよう。
すると重度の精神障害者や認知症の人々はどうなるのだろう。彼らは自己認識を持たないゆえに、人間として死んでいるのだろうか。
自分としては(2)派が多くなるかなって思ってたけど正直意外だった。
(1)は皆さんの言う通り、韓国の生首美少女ゲー「トマック」のイメージ。
あれはコミュニケーションとれるし、違うかもしれないけど。
首だけならキスとかフェ○いけるやん!とか言い出す奴が出るかと思ったけど違ってた。
「精神障害者並」という文章を入れたのも原因かなあ(運が悪かったら喰いちぎられそうだ)
これが「一歳並の知能」とか「幼稚園児並の知能」だったら反応が違ったかもと書いた内容をちょっと後悔。
(2)は三次元女&コミュニケーションをとりたがらない男の関係を究極化したイメージ。
三次女は面倒とか、手がかかるとかよく言うじゃん。
従順なのが好まれるかなあと思ってたけど違ったのか。
(3)増田民に受けそうなロマンチックなシチュエーションだと思って書いてみた。
けど、これって正直、ネカマでもいけるしsiriちゃんが発達したらこんなんなるのでは。
世界中に四人だけ、と場合じゃなく「世界中に女がこの3人のみ」だったら(3)派は減るかもしれないと思った。
単純に考えて、3人とも容姿は同レベルなのだから(生首の娘も、首から下がない時点で容姿的にはだめだ)
女性に要求する役割が(2)か(3)かで回答は変わってくるよなー。
ちなみに書いた人は女です。色んな男性の考えが見れて嬉しい。
以前、ラグナロクオンライン(RO)を日がな一日やっている奴が大学の職場の同僚にいたのですが、楽しいだとか遊んでいるだとかいうよりもきっと、必死なのでしょうし、居場所を求めているのでしょうね。いまだってソーシャルゲームで日がな一日やっていて必死な人間がたくさんいますし。
パチンコ屋に行ったら、カネさえ切らさなければ朝から晩まで居座れるようになっているし、「無制限」だとかいうのならなおさらに、玉がある限り打ち続けるようなシステムになっています。一日中居続けられるシステムになっています。競艇場や競輪場や、たぶん地方競馬もそうでしょうが、平日からやっていますし、そこで日がな一日居座っている人もたくさんいるでしょう。なかには生活保護でやっているのもいるかもしれないし、年金でやっているのなんかならばいくらでもいるでしょう。それで「経済効果」はあるのでしょうけれども、なんだか虚しいものではあります。経済効果っつっても、その収益がどこに流れているのかっていうと、それもまた役に立っているのか疑わしいものですが。競艇だとかたとえ公益団体に流れていたとしたって、貧困者や精神障害者から取ったカネで公益事業をやって、障害者が障害者を支援している構造になっていて、なんだかバカバカしくもあります。
居場所がないのでしょうね。受け入れられていない。仕事に打ち込みまくるのも、実際にはそんなことしたって地球のためになっているかあやしいものばかりだし、それどころか社会のためにもなっているかあやしいものもあります。けれども、仕事にハマっていたら居場所があるのでしょうね。
家庭があって配偶者や我が子がいたら、居場所があって労働する理由になるのかもしれない。けれど同時に、必死に労働して稼いで、悩みを抱え込んで、悩みを吐き出す先がなくて死んでしまう人もたくさん出ています。
居場所がないんでしょうね。孤独なんでしょう。ヒトは、生態系の一部でもあり、社会的生物でもあるのに、他の生物からもわざと孤立して都会の人工環境で暮らして、そしてさらにはヒト同士も孤立して。
ヒトは元来居場所を求めるものなのでしょうし、だから「夢」だとかももつのでしょうしね。学習もし、社会に適応しようともしますし。本能的に。
いまのひとたちをみているとどうにも、想像力が足りなくて、配慮が欠けているように思う。
現代の日本社会では、多くの人が、決まった社会経験をして、似たような環境で暮らしてきた。典型的には、学校教育。
そうして、偏った社会常識ができあがり、「空気読め」という話が出てくる。
人生経験が過疎で、偏狭な世界観のなかで生きているのでしょう。だから、想像力も足りないし、他人が異質であることも受け入れられないし、他人への配慮も足りない。
自己中心的な世界観のなかで生きているので、自分の感覚と相違するものの存在が受け入れられない。自己が脅かされたように(反射的に)きわめてたやすく感じ、だから他者に怒る。
怒りは掃き溜めを求め、イジメにもなる。いじめるのにまともな理由なんてない。都合のいい掃き溜めが見つかったから吐いていくのだ。
また、例えば、某巨大掲示板で個人情報漏洩が起こって痛い目に遭ったひとたちがいたそうだが、「匿名」だからといって何でもかんでも吐き垂れていくから、万が一にでもバレたときにはそうなる。
現実には、誰かが悪いわけでもない、「悪玉」がいるわけでもなく、全体的に、構造的に、破綻しているのだろう。人間というものの本質的な悪なのだと思う。その、自己の内なる悪に対して洞察が足りないのでしょう。
例えば「非定型うつ」だとか、私には不思議なものでもなんでもない。たとえば職場がトラウマならば出勤不能になる。学校がトラウマならば不登校になる。トラウマに触れられなければ、ほかのことはできる。
いまの日本社会は恐ろしいところだ。人間の本質的な悪が自制自律されていないのだから。当然ながら、例えば「ブラック企業」だって出てくる。「ブラック企業」は、日本社会の構造的な失敗だ。
近ごろは、戦争経験者もとても少なくなった。人生の苛酷さ、人間の本質的な恐ろしさ(そして言うまでもなく、自分自身も恐ろしいものなのだ)を心の底からわかっている人が少ないのかもしれない。
私個人のことを言えば、いままでの人生で、虐待もイジメもストーカー被害もパワハラも受けたし、親類で殺人事件もあった。私の人生は、みなさんとは正反対に、過密なのかもしれません。
私は、人間の本質的な恐ろしさを知っているので、自分自身に対する自制自律は幼い頃からずっと強固だし、いまの日本社会とみなさんが怖いです。昔以上にますます恐ろしい目に遭って、いまはもうかなり重度の「精神障害者」でございますから、就職どころかどこぞのコンサートに行くのも困難ですし、電車に乗るのも非常な困難を伴います。人間が恐ろしいので、入院もできていません。おそらく大概の場合は薬漬けにされて入院しているレベルなのでしょうが。
クッソ長い文章を書くけれど、できれば最後まで読んでみて下さい。
この話は、医者に聞いても、「そういう人生の話になってくると、私の管轄外」と言われ、
また、だれも容易に答えを出せないであろう事なのだろうけれど、
一人でかかえるには重すぎて悶々とするので、ここでブッパして、色々な他人の意見を聞きたい。
病歴は10年近い。
20過ぎ位にグラフィッカーとして、某大手ゲーム会社に入社したものの、
あまりのハードワークについて行けず、2年ほどで精神疾患を発症。休職の後に辞めた。
当初の診断は欝だったけど、今は双極性障害2型と言われてる。
私の精神疾患は凄まじく、発症してから数年はまともな生活ができなかった。
器質的には異常は無いのだけど、非常に顔面が痛いという異常な症状がある。
根源的治療法はその精神疾患から回復する事だけで、他は対処療法しか無い。
この顔面痛のせいで、本当に苦しい。今も苦しい。
しかし、あちらへこちらへと治療法を探し、非常に運良く、良い医者に巡り合えたようで、
その医者の治療と指導の下、ここ数年、根強い治療の成果あって、かなり回復してきた。
最近は、ちょっと無理するが映画館に行ったり、イベント事にも行ける位症状は改善している。
身の回りの事は100%ではないが、かなりできるかも。
しかし、まだ「寛解」状態になるまで、自分で自分の体とこれまでの経緯をみて、まだ数年かかるかもと思ってる。
ちなみに「寛解」っていうのは、「薬を飲んでるけど、普通の人と変わらないレベルの能力を取り戻した状態」の事。
ここまでめでたい話のように聞こえるけど、ここからが本題で、ものすごく頭の重たい話。
実は、重病人にとって病気が治るというのはゴールでは無く、あくまでスタート地点に立つ行為であって、
「絵を描いてそこそこの知名度が欲しい。」それが目指すもの。
私はそもそもゲーム会社に入社する前から、学生の時代から、個人絵師か漫画家か、まぁとにかくそういうポジションになりたかった。
今は体が付いていかないのでハード過ぎる仕事は出来ないと思ってる。でも、やはり作家業をしたい。
というか、むしろ大手ゲーム会社に入社したのは、自分の経歴にハクを付けたかったのと、本当のプロの間で揉まれたいかったからだった。
揉まれた結果病気になったけどな!!
そして、最近、頑張って絵を描いてみた。
絵を描くのには非常に体力を使うのだけど、無理すればある程度描ける位まで回復してきた。
するとやはりまず、病気のせいもあり、薬のせいもあり、ブランクのせいもあり、昔のようには描けない。
それでも頑張って描いてみたら、ブッツリとそれ以上上達も変化もしない訳では無く、やはり描けば描くほど上手くはなる。
錆び付いたとはいえ、昔から培ってきたセンスとかもまだ残ってるかもしれない。
しかし、全然底辺。現状で言うなら、まだ病気のせいで体力が足りず、大掛かりな完成された絵を描くのは難しい。
かといって、ちょいちょいと描くラクガキがすごくうまい程達人でもない。
なんにしろ、ある程度アドバンテージはあるかもしれないけれど、ほとんど底辺から積み上げ直し。
で、話は戻るのだけど、寛解と思えるまで、まだ数年、そして、そこからさらに、また絵の修行で数年、
すると私は40を超えてしまうのだけど、そんな人生楽しいのだろうか?と思ってしまう。今から。
この闘病してる10年近くで私はあらゆるものを失ってきた。
病気で寝込んでたせいで、あらゆる社会的活動から置いてきぼり食らった。
実は頭がかなりハゲてきた。私はこんな若くハゲるなんて、病気が原因だと思ってる
当然モテた事などこの10年ない。
でもこの10年でも、消えないものがある。
それは何かを作り出したい、認められたいというクリエイターの魂だ。
そんな、ただ自分の認証欲求を満たすためだけに、しかも当たるかどうかわからない作家業に、
別に作家業やるからといって、すごいトップクリエイターになりたい訳じゃない。
でも、ある程度のファンが付くような作家になりたい。
医者は、「心機一転して、違う生き方するのも手だよ」とも言ったりする。確かにそうかもしれない。
もし今後病気が良くなって働けるようになったら、これまでの知識を活かして、楽などこかのゲーム業界の端の仕事に付いて、
婚活して、嫁さんもらって子供を作って、っていう人生を考えんでもない。
それは10年病気で寝込んで地面を舐めても、消え去らずに、今でも燃えている。
むしろ、燃えているからこそ、病気が快方に向かってるのかもしれない。
じゃあ、作家として生きるとして、今からでも出来る事は無いかと考えたりもしてしまう。
どうすればいいんだ。
このクソ長い日記を書いてて、頭の中が整理された部分はある。
まずやはりこの病気を一刻でも早く、寛解させよう。そのための努力をしよう。
どうにもこうにも、それをクリアしないと次に進めない。
そして、いずれ寛解したと思える時、30中盤のおっさんになってるであろう私が、
それとも別の幸福を探すのか、
どっちが良いか、それとも、どっちの道に何か良い考えがあるか、
もしくは私のこの文章読んで何か感想があるか、
誰か私何でもいいから、あらたなインプットをしてくれないだろうか?
一人ではもう煮詰まり過ぎたんだ…
底の抜けたバケツのように愛情を求め、少しでもためらわれると猜疑心が増大し、見捨てられた気分になって自殺願望が膨らんでしまう。
あんただっていつかそうなるかもしれないんだよって諌められても無理。身内に奴らを抱えていると、憎悪しかわいてこないんだもん。
苦しんでることは理解できるよ。感情が爆発しちゃったり、消えてしまいたくなったり、衝動がこみ上げて滅茶苦茶なことをしてしまう病気だってのは受け止められる。
ただね、だからといって奴らが要求する傍若無人な無理難題を歓迎できるはずがないんだよ。心底むかつくんだもの。
病気を楯にして権利ばっかり主張して、受け入れられないと直ぐに死にたい死にたい言い出して、暴力を振るい、家具家電を壊してさ。
もうね、クズと言う以外に形容のしようがないんだよ。病気なんだろうけどさ。クズには違いないんだよ。
優しく受け入れてあげてなんて精神科の先生は言うけどさ、無理だよ。受け入れるだけで限界。とてもじゃないけど優しくなんてできない。
だって、一度優しくしたらどんどん要求されるんだもの。限界を訴えると、居なくなったほうがいいんだろうって自殺をほのめかすんだもの。
どないせいっちゅう話ですよ。
まあね、屹然と対応して、社会常識やら人付き合いにおける基礎の基礎を丁寧に伝えるしかないんだろうけどさ、それさえ嫌なんですもん。
相手方が理解しようとしないってのもあるけど、本心としては関わりたくない一心なんだから。
依存されてないのにグダグダ書き連ねるなんて勘違いも甚だしいし、卑怯だとは思うけど、奴らの存在が視界に飛び込んでくるだけで生理的に嫌悪してしまう。
死にたきゃさっさと死ねばいいんだよ。止めてくれる人の言動で自分の存在を肯定するなんて害悪でしかないんだよ。
もちろん、そういうことにも気づいていて思い悩んでいるんだろうけどさ、言っちゃ悪いけどてめえの個人的な苦しみを周りに撒き散らさないで欲しいよ。
助けを求めるにしても、もっと方法があるだろうに。比較的穏やかな手段でも、何度も何度も繰り返されるに連れてうんざりしてきてしまうだろうけどさ。
と言うかね、結局、面倒なことを考えたくない俺がゴミなんですよ。本気で関わるわけでもなく、適当なことを言うだけで、却って症状を悪化させたりしてさ。
彼らと向き合うだけの度量がないことはわかってるんです。人に依って、彼らと付き合える人と付き合えない人がいて当然だと思うし、俺は後者なだけなんですよね。
だったら何も言わないほうがいいんだろうけど、新型うつうんたらかんたらのブコメに優等生然としたのが並んでたからつい書き殴っちゃった。てへっ。
昨日の午後五時ぐらい。京都へ行くため大阪から京阪電車の特急に乗った。
友達と二人で、http://photozou.jp/photo/show/124197/14698323 こういう車両の二人席に乗っていた。進行方向左側。
私は通路側に座っていた。
後ろのほうで、くしゃみのような音がしたと思ったら、主に通路の側の髪の毛が少し濡れ、なんというかいわゆる唾の臭いがした。
気持ち悪かった。誰かのくしゃみだったのかと思って、音のした右後方を見たら、おっさんが座っていた。
30代ぐらい。阪急の紙袋を持っていた。この人以外は近くにはいなかったため、まあこいつだろうと。
友達と、唾飛んできたわーなんていう会話をしてた。友達はかからなかったらしい。でも唾臭いのは感じたらしい。
またしばらくして、2回目が飛んできた。
今回のは、明らかにくしゃみとは違う、「誰かに唾をかけてやろう」というような音だった。
思いっきりかかった。髪の毛はさっきよりも濡れ、席の肘置き・メガネの縁とか服にもかかった。たちこめる唾の悪臭。
友達にもかかった。さらに、左側の窓をみたら、窓にも3滴ほど、唾がかかって垂れていた。
これは故意だな、と悟った。後ろを見たら、さっきのおっさんがこっちをガン見している。
一応他の人の可能性はないか、と思って見回したが、やはりそいつしかいなかった。
もう一度見たら、窓の外を見ていた。
冷静になろうとして、一部びっしょりになった髪の毛をタオルで吹きながら、どういうことか考えた。
こちら側に非はあったか。もしかしてあるとすれば、たまに友達と喋っていたことくらいか。
騒いでいたには程遠いが、電車内は静かにするべきだという信念の持ち主なのかもしれない。
もちろんそんな信念で唾を他人に吐いてよい理由にはならないだろう。
次に考えたのは、精神障害かなにかの類である。善悪の判断がつかない者に非難を向けるのは筋違いであろう。
でも、なんというかそんな「雰囲気」は感じなかった。だからといって精神障害者ではないとは言い切れないが、
その仮定で進めば、あのおっさんは、正常系クズ (自分の用語)の可能性が高い。
口では言い表しにくいが、善悪の判断は付くし、自分が捕まる一線はわかっているので、絶対に自分が捕まらないような方法で他人に悪意を向けるタイプの人間だ。
その上で、このおっさんに対してどんな責任が問えるのか考えた。
まずは刑事責任だが、これは直感的にかなり難しい。ほぼ明らかに故意だが、それを自力で証明するのは困難である。
服・メガネに対する器物損壊・髪の毛に対する暴行は、故意でなければ立件ができない。
故意であるという風に警察に証明してもらおうとしても、私が女子高生ならとり合ってもらえるかもしれないが単なる男なので動かないだろう。
民事責任はどうか。これならおっさんが過失だと言い張っても、服・メガネ代ぐらいなら請求できるか。でもそれだけ。
ここで危険人物に対して住所とか名前とかを訊く、というリスクに合わない。
電車という密閉空間の中で一方的に悪意を向けてきて、大きな不快感を二人に与えた、あの3メートルほど離れて座っているおっさんに、なにも出来ないのか。
出来ないのである。
そのおっさんは、丹波橋駅でこちらを一瞥もせず降り、準急だったかに乗り換えていた。
ずっと唾の臭いが立ち込めていたので、前の方の席に移動したが、服についた臭いは取れない。
出町柳駅で降りてすぐ、顔と髪を水で洗った。だがイライラは収まらなかった。
京都には毎日行く必要があるのに、ちょっと京阪に乗るのが怖くなってしまった。
そんなに低い民度の層が乗っているとは思ってはいなかったが、全身にカメラでもつけておきたい気分である。
いつか復讐できるならしたいが、ああいうクズは、なにかやられればここぞとばかりに警察とかに通報しそうで怖い。
合法・非合法どちらの手段も取れないのか。本当に今はやりの「倍返し」をしてやりたい。
どうすればいいのだろう。どうすればよかったのだろう。
だから、そうやって人を見下すことにより、お前の言ってることは間違いだ、って言う言い方は最も醜く、駄目な言い方ですよ。
これがそもそも何を言いたいのか分からないが。要は、駄目だと言うなら、外国に国籍変えて、それから文句言うなら良い、ということか?
つまりは、怠け者、精神障害者はリスク、として許容すべき存在である、ということですか?
その許容量が相当大きいな、と。
そうですよ、それも言ってるのですが?現状はまだ人手不足にもなっていなければ、なんだかんだで生活保護費も出せる状況なので
精神病だと言って働くことを辞めることは可能なわけです。
しかし、それも増え続ければいずれ破綻しますし、そのような認定をきつくして減らすしか無いわけです。
そのようなことを言ったわけですが。
あなたの主張は結局なんなんでしょうか?
subject:陸上自衛官または自衛官を詐称している可能性が高い人物の、公文書偽造等行使(刑法155)軽犯罪法違反(公職官制名詐称)、詐欺(刑法246)ほかについて見聞きした為、通報いたします。
私は千葉県**市にて販売職に従事している者ですが、現職の予備陸上自衛官、または自衛官を詐称している可能性が高い人物の、公文書偽造等行使(刑法155)、軽犯罪法違反(公職名詐称)、詐欺(刑法246)ほかについて見聞きした為、公益通報致します。
公益通報書
防衛大臣 殿
公益通報者保護法第3条の規定に基づき、下記の通り公益通報します。
希望する連絡方法 書面の送付(通報の受理不受理連絡に関してはメール可)
私は千葉県に在住する販売員ですが、「自分は自衛官である(あった)」と経歴を詐称していると思われる人物が、小説を出版しているのを見聞きしました。
その後同人は「私は精神障害者である」「実は予備自衛官補であった」等の主張に基づき支離滅裂な言動をインターネット上で繰り返しており、この度同人が公文書偽造等行使(刑法155)の疑いが極めて強い行為を行ったため、公益通報に至りました。
通報対象事実を行った人物は、自称陸上自衛官の筆名『篠山半太』(原所属・在住地・本名不明)・ならびに出版社である株式会社PHP研究所となります。
(株式会社PHP研究所側担当編集者は、同社コミック出版部・(※本名)氏)
1.2012年6月発行の小説「君が衛生兵で歩兵が俺で」なる出版物(以下、当該出版物)において、筆者筆名『篠山半太』(本籍住所氏名原所属不明、以下、篠山某)なる人物は、株式会社PHP研究所(東京都千代田区一番町21、以下、PHP社)と共謀または、篠山某がPHP社に虚偽の身分申告を行う事で、『自衛官の書いた小説』という売り文句でこれを出版。出版取次会社・販売店・購入者に充分な錯誤を抱かせ、これを流通・購入させました。その後、篠山某の自称する公職名所属隊経歴は二転三転しております。
これは刑法246・詐欺罪ならびに軽犯罪法1-15・官公職詐称となる可能性が高い為、防衛省におかれましては2項を踏まえ、法務部門より本省所轄警察署への通報告発を行うべき事案と考えます。
2.当該出版物出版直後から、篠山某は精神的不安定(通報者私見としてはプロモーション目的の詐病)である旨インターネット上で公言し、本年6月には市販されているだけの「自衛隊手帳」を提示して予備自衛官である旨自称したり、予備自衛官手帳のカバー部分のみ(恒久用紙のID部分)無しでまた予備自衛官補である旨自称し続け、遂に平成25年6月17日未明には『地方協力本部長印』の捺印された日時不詳の「辞令書」の写真をアップロードしました。(アップロードURL: https://twitter.com/SHINOYAMA_Hanta/status/346322062278815744/photo/1 )
3.2項で挙げた辞令書の真贋について私は知る術を持ちませんが、かかる支離滅裂な言動を繰り返す人物が予備自衛官の職にあるとは常識的に考えられず、本『辞令書』なるものその他をもって当該出版物のプロモーションを継続しよう、という篠山某とPHP社の意図は、前項に挙げた詐欺罪と官公職詐称が現在も継続している事を示します。
また、本辞令書の本部長印なるものが偽造印であった場合、これは当然、閲覧に供し行使しており、刑法155・公文書偽造等罪にあたります。
3.PHP社から取次会社を経由して公開された短文広告(所謂キャッチコピー)は以下の通りであり、また著者は「自衛隊員」となっています。これに関して現在もPHP社は是正を行っておらず、ネット通販のamazon.co.jpや取次販社のデータベースで広く閲覧可能です。
『現役自衛隊員がつづる、自衛隊高校を舞台にした社会派ライトノベル! 特殊な環境に置かれながら、仲間との友情を信じる若者たち!』
4.以上、通報対象事実の根拠法令は、刑法155・刑法246・軽犯罪法1-15であります。うち刑法155に関しては既遂であります。
自衛官およびその退職者(篠山某が該当するかどうかは疑問ですが)に対する処罰規定・倫理規定については私は知る術を持ちませんが、常識的に考えて幾つかの規定違反・抵触は当然多々あったものと類推できます。
私は違反行為を行った者とは直截的面識は無く、現業の販売員分野に於いては不利益を被っておりません。
従いまして、『外部の労働者からの通報』扱にて、公益通報の窓口を選択させていただきました。他、適した部門窓口がございましたら、本文書の移送扱もしくは、適切な窓口のご教示にて対応していただければ幸いです。
以上
2chどころかTwitterやFacebookでも平気で差別発言をしている奴らがいる
なんでこんなに偏見が強いんだろうなあ
そういう奴に限って精神障害者といったら重度の統合失調症の患者という認識しかない
うつ病も立派な精神障害なのに。自分はうつ病に絶対ならないとでも言うのだろうか。
Twitterを見ていたら「殺人をしても無罪になるような奴を雇用するのか」だとか
「キチガイは家に閉じ込めておけ」などという本当に頭の悪いツイートが流れていた。
そもそも外で刃物を振り回すレベルの患者を主治医が就労を認めるわけがない。
精神障害について何も知らないなら黙っていれば良いのになぜ彼らは口を出したがるのだろう?
しかし、社会的地位であるとか、もしくはメンタリティなどという視点から見れば、彼はむしろ強者に分類される人だよね。
大学時代の教授の弁を借りれば、他者の手を借りることなく、自立して生きることが出来る障害者を、障害者と呼ぶべきではない。
それは自立した人間に他ならない。
仕事があって、たぶんそこそこの経済力もあって、あらゆる人に慕われ、奥さんや子どもがいる。
そして、発言力がある。
だから、私は乙武さんを障害者というカテゴリーに分類するべきではないと考えている。
もちろん、誰もが分かっていることであるが、彼は障害者のスタンダードではないよね。
私の知っている障害者は、月収10万円以下の零細企業に勤めていて、毎日ボロボロになりながら帰ってくる。
私の妹なんですけどね。ついでに精神障害者だから、もしかすると、乙武さんと引き合いに出すべきではないのかもしれないね。
つらい、辞めたい、でも辞めても次の職場がない。
転職しようとハローワークに相談に行ったら全力で止められるんだってさ。
地方と言えど、月収10万じゃ金銭的な余裕がない。だけどギリギリ障害年金が貰えないラインの等級。
結婚も、たぶん無理。
今はどうにかなっているし、今はとりあえず幸せだけど、先のことを考えたら、もう積んでる状況なのかも。
両親が亡くなったら、きっと私が面倒を見ることになる。だから私も、結婚は諦めた。
どうもね、家系的に精神病になり易いらしくてね、優生学じゃないが、私も妹も、子孫を残すべきではないんだろう。
(精神疾患と遺伝についてはまだ様々な議論があるのだろうけど)
「障害者=可哀相」って短絡的な方程式を頭に突っ込むべきではないんだろうが、
だからと言って、障害者の全員が乙武さんみたいに『強く』生きることが出来る訳では、決してない。
私の家よりも、酷い状況のところなんか、ごまんとあると思う。
彼の生き方、考え方に共感出来る部分はあっても、私は彼を障害者としては見れない。
だからさ、今ホッテントリに上がっている件、乙武さんが前持って、こういう事情があるんですけどって先に説明しとくべきだったと思うよ。
それが出来ない人ではないでしょ?