はてなキーワード: 環境破壊とは
アフリカやアジアも、衛生環境が向上したら少子化に拍車がかかると言われているからなぁ。
ところで、温暖化対策はやって大正解でしたね。同じように環境破壊といっても、自分で食べるものを否定されてもって感じでイメージがわきづらいね。
プラスチックの素を石油から生成して、じゃあ残りの石油成分はどうするの?
船も飛行機も車も電気にしたから、余るよね。捨てるの?核廃棄物のように?本末転倒じゃね?
っていうか、そもそも電気どうするの?環境のために発言する人隊は、原子力発電も許せないんだろ?
じゃあ、火力発電を増やすってことになるけど、石油燃やすんだから意味ないじゃん。
工場だったり病院だったり飛行場のような国際的な交通機関は夜中の3時でも止められないからさ。
まぁ、ピーク時に比べて確かに使う量少ないけど、発電所ってでかいからゲームのように数秒で出力調整できないじゃん。
だから、ピーク時と変わらない量の石油を燃やして稼働を続ける。環境破壊じゃん。
もともと電気自動車を普及させる考えって
漁業の環境への影響は無論知ってるが、水産物を食うこと、牛豚を食うことどちらが環境に悪いかは知らないな。環境に悪影響を及ぼさない範囲での適正な漁獲量に関して科学的な予測をつけるのは難しいってのが現時点での結論だと俺は思ってるから、この問題はなんとも言えない(養殖の話は面倒だから自分で調べてくれ)。肉魚どちらの方が良いかとは一概には言えないとわかった上で、個人的には牛を減らして魚を食った方がいいと思ってる。魚種別にもまた色々あるから増田では書ききれないわ。
そこで疑問を持つなら自分で考えて自分で調べてみて欲しいよ。その上でもう一度俺を批判してくれ。
いや、最悪の環境破壊は農業そのものだぞ。() コメなんか本来は熱帯の植物だし。その守るべき[地球環境]ってのは結局、「人類にとって都合の良い地球」な訳だ。その前提からの逆算にしようぜ……。
飼料って知ってる?
ってのはさておき、君はどうしたら良いと思うのか述べて欲しいね。環境に関していかなる配慮も必要ないと思う人とは議論の余地もないが。
もっと魚を食うべきってのは、栄養面での話が大きいかな。「菜食はかえって不健康」なの同様に、肉過多の食生活と肥満は現代人の健康を蝕んでるからな。がんを含む生活習慣病のリスクがクソ上がるという研究もある。是非知識を持った上でヴィーガン叩きに興じて欲しい。
このままだと人口増による食料不足は確定的だから、畜産みたいな非効率な生産方法は何れにせよ減ってくんじゃないかと思う。肉の価格は高騰するし、代替肉生産技術の発展は俺たちミートイーターにとっても必要なことだ。菜食主義者のおかげでまっずい精進料理擬きが本物の肉に近付いてくれるならありがたいことこの上ない。
ヴィーガンになった動機がなんであれ、菜食は地球環境に比較的良い生き方だというのは認めて貰えると思う。動物愛護の精神は間違った考え、邪教の一種だと思うなら叩けばいいんじゃね。
「肉は食いたいけど牛や豚が可哀想だから食べない」というのは矛盾してないし、己の良心に従った立派な行動だと思うよ。知能がある動物だからこそ出来る優れた行動だと思う。俺は優れてないから肉を食うが。
叩く以上必要最低限の知識を持って欲しいというのが増田の1番言いたいことだ。
以下追記前
「大豆ミート食べるってことは肉が食べたいってことじゃん」みたいなこと言う奴なんなんだ
・日本人は動物性タンパク質を肉より魚から取ることを意識すべき
みたいなことは既にいくつもの論文で示されてる科学的事実なわけで
全くもって肉食をやめるのは健康に良くないかもしれないが、少なくとも今より肉食を減らすことは環境にも健康にも良いことなわけじゃん
そこでドヤ顔で「ほんとは肉食べたいんじゃん」ってただの馬鹿じゃないか
最近の人間なら、散々環境問題について学校で教えられるはずなのになんで何も知らないんだ
論理的な俺たちと感情的で動物愛護の意識高い系みたいな対比で語るが無理があるだろ
俺は普通に肉を食うけど、菜食主義者は増えて欲しい。せっかく地球のためだか動物のためだから知らないが菜食主義になってくれてる珍奇な奴がいるんだからほっときゃいい
その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。
元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設の老朽化や各種インフラの経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。
それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長、自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。
だからこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。
それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。
年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。
令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。
平成の震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来のエネルギーから歴史の教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。
現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネルを推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットのペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術的国威発揚の煽りを受けた全廃、と言ったところだ。
どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。
実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付けの中間の様な形で供与された受精卵遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。
(科学技術という側面において現代日本が中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)
日米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。
そんなことだから、中間貯蔵施設という名目の、事実上の最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け、政府と行政と大多数の国民はNIMBYの精神を遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。
とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字の候補群からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。
(日本による宇宙開発の数少ない世界的成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃の残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)
実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力とエネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。
ただ、ひかりから降り注ぐ高密度のマイクロ波を分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。
安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金も雀の涙と来れば宜なるかな、積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。
とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代の権益ホルダーとなることを選んでいった。
反対に、新規制基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。
結局、ひかりの設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。
結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネルの3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要な比喩を披露した大臣はメディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。
そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである。
「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」
私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。
彼の父親は町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前も出馬を見越して付けた名前だと言っていた。
(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)
その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。
しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。
彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。
「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」
この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。
誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さらに用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。
あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑と嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。
なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。
であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。
そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。
まったく、本当に大変な役回りだと思う。
返す返す、自分には出来る気がしない。
翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。
アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。
子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。
…いや、いや。
よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?
もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。
もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。
帰路。
実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。
思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。
あのさあ、そこまでいうならその土地を引き受けてくれる覚悟あるんだよね?
あのパネルが敷き詰められた山や荒れ地はね持ち主は手放したくてしょうがないんだよ
林業もオワコンだし農業だって立地が悪けりゃだれもやりたがらない
そんな土地は手放そうにも手放すことができず持っている限り税金を無限に払い続ける単なる呪いのアイテムでしかねーんだよ
金も出さねー癖に気まぐれで来るような外野が景観が良くないだの環境破壊だの
黙れやまじで
環境を守るために俺たちが黙ってなんの生産性もない土地に税金払えってのかよ
ならただでくれてやるからお前が引き取れよ
大坂なおみ選手が大会ボイコットで話題になっているが、個人的にはあまり支持できない。
自身が目立つことを優先しているように見えて若干の嫌悪感があるのと、自分の影響力に無自覚なところが気になるのだ。
以前のBLMで大阪でデモをしようと呼びかけがあったときにも感じたのだが、
コロナウィルス感染拡大防止のために飲食店や、スポーツ・音楽イベント等が全て自粛しているときに、
人を集めて集団感染リスクを高めることをよくもできるなと思ったのだ。
そして、そういう慎重な意見をSNSで投げかける人には「あなたは差別主義者なの?」的なリプライをしていて、
大義名分のもとに反対意見を一方的に切り捨てて、対話ができないところも気になった。
で、ぶっちゃけその手の嫌悪感を感じるのは大坂なおみ選手に限ったことだけではない。
環境活動家のグレタさんも苦手だし、反原発運動や最近のフェミニズム運動も苦手だ。
個人的嫌悪感の共通点が何なのか言語化すると、いわゆる『活動家』嫌いという傾向だ。
もっと言うなら、『急進的で実効性が乏しい主張をする人たち』に強い違和感を覚えるのだ。
ぶっちゃけ例として挙げた活動についても、個々の論点自体は賛同できる部分が多い。
黒人の権利は大事だと思うし、気候変動の問題は放置できないし、原発事故の危険性は対処しないといけないと思う。
大学入試で性別が違うだけで合格点が変わるなんて論外だと思う。
が、しかしだ。
それなりに清く正しい社会生活を送っている自負のある一市民に対して、いきなり「良くもそんなことを!」言われて
お前は環境破壊する悪い奴だ見たいなレッテルを張られるのはイラっとするし、自動車を使うなと言われても、利用をやめると生活が成り立たなくなる。
原発事故の危険性は理解している。だけど原発を即時全廃して安定的な電力供給はどうするのだろう?太陽光や風力は天候に左右されるし、
無秩序に再生可能エネルギーの新設を推進したことで、山林の乱開発といった新たな問題も発生している。
東日本大震災後の日本は、天然ガスや石炭火力の比率を増やしてしのいでいるけど、天然ガス資源には産地が偏在しているリスクがあるし、
石炭は比較的産地が分散してるけど、採掘・燃焼による環境破壊や温室効果ガスの排出に目をつぶってよいのだろうか?
性差によって職業差別を受けるのは許してはいけないと思うけど、
いわゆる萌え絵のようなイラストはすべてが男性に媚びるために書かれているのだろうか?
全部まじめに対応した先に待っているのは、人民服や就活のリクスーのような、画一化して多様性のない社会なんじゃないだろうか?
なんというか、正義感で突っ走って始めたものの、『私のいう事を聞け、多少の問題は大義のために目をつぶれ』というような、
話が通じない雑な主張には反射的に虫唾が走ってしまうのだ。
大会ボイコットが警官による射殺事件への抗議なら、落としどころはどこになるのだろう?
BLMが全面的に収束するまで全ての大会をボイコットするのが正解なのだろうか?
個人的には大坂なおみ選手の事例ならば、大会ボイコットというような強硬的な態度を取られるのではなく、
「大会の獲得賞金を全額事件の被害者遺族と支援団体に寄付する。皆さんもこの問題を考えてほしい」的な呼びかけだったら、違和感なくすんなり支持できると思うのだ。
今の態度だと、社会の分断と対立を必要以上に煽る方向になってしまっているように見える。
なんだかんだ言って、社会を構成している人の過半数はノンポリに近い穏健保守派なわけだし、(世論調査の無党派層の多さでわかるだろう)
トーンポリシングと言われるかもしれないが、社会運動をしようとする人たちは、声の大きな支持者よりもサイレントマジョリティの方を向いて世論に刺さるように行動しないと逆効果と思うのだ。
確かに宗教の側面はある。自分が正しい・良い道を見つけたと思ったら勧めてみたくなるもの。
(1)植物ベースの食事による栄養のバランスを維持(サプリも含む)
(3)お財布に優しい
の3つを満たせるという条件付きでは「正解」で間違いない。
動物は苦しまない、健康的、新しいウィルスの発生リスクが低い、環境破壊が止まる(CO2・メタン排出が減る、水資源の負担が減る)など良いことだらけだから。
逆に言えば肉食・雑食は上記3点に対して
(3)安い肉は安い
という利点があるので手放すのが難しいのだろう。
まあ、余裕があって、環境保護に興味のある人からヴィーガンになっていけば良いのでは。
毛嫌いする必要はまったくない。