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はてなキーワード: 父の日とは

2021-06-21

みんな父の日どうだった?

父の日どうすんの?なんて部活中に他の親に言われて気付くくらいの俺だったので

自分で動かないと祝ってもらえないと思い肉と酒買って庭で一人BBQ

終わって家に入ってそろそろ寝ようかと思ってたら家族が帰ってきて、ケーキだのローストビーフだのを父の日からってもらった

基本酒は休日のみって決めてたんだけど、つまみがたくさんあるし悪くなっちゃうから今日も飲まざるを得ないね

仕方ない

2021-06-20

父の日似顔絵コーナーとかにオタク絵を描く人がキモイって話

今日行った商業施設父の日ってことでお父さんの似顔絵コーナーを設置してた

んでそこで描いたのは掲示してもらえると

微笑ましいなと思って横目に見てたら謎の美少女キャラが…

その瞬間

自分の素晴らしい絵を見てくれ!」「自分の好きなキャラいいだろ!」「子供達に混ざってこんなの描いちゃう自分ヤバいだろw!」

って場違いにも程がある場所でそんな幼稚な自己主張自己開示を行おうとする大きなお友達の魂胆が透けて見えた様でキモかったって話でした

被害風呂

"弟から被害を受けていた子供の記録"を読み、また父の日でもあるので思い出し書いた。

私は小学校入学以来、小児喘息にり患しており定期的に通院していた。

初診以外は一人で通院していたが、小学4、5年生のある日、その日だけ父と一緒に診察室へ入り、主治医から喘息の話だけでなく、あちこちに吹き出物ができており、きちんと体を洗えていないと指摘され、背中もよく洗うように指導された。

改めて思い返すと、多い時で隔週、少なくとも月1回は数年来通院していたにも関わらず、この日だけは親同伴だった。

不潔さが目に余ったのだろうか、それとも第二次性徴とともに小児喘息が収まりつつあるという話をしたかったのだろうか、主治医から次回は親と一緒に来てくださいと言われての同伴だったのはこの日だけだ。

 

本心では母に一緒に来てほしかった。

診療とは言え、ずいぶん前から羞恥心が芽生えており、父の眼前で上半身を裸になり、聴診器を当てられるのは嫌だった。

しかし、母は忙しいからと拒否し父へ頼んでいた。

そもそも母は、私が喘息発作を起こした際に主治医からなぜ早く連れてこなかったのかと叱られた、という話で騒ぐ人だったが、それでもやはり来てほしかった。

 

主治医の指摘をうけ、診察から帰宅した日、私は父と入浴することになった。

診察でも嫌だったのに、全裸になるのは屈辱的だった。

また、入浴は弟も一緒にだ。

以前から一人で入りたいと母に打診していたが、家庭内が忙しいから弟の面倒を見るついでに一緒に入ってあげてと言われ続け、この頃も一緒に入浴していた。

弟には非がないが、その時の私の状況は無力だったし、泣きたかった。

その日、父は、私が自分で洗うからと嫌がったにも関わらず、局部まで洗ってきた。

現行の性教育では本人の許可なくプライベートゾーンを触らせないと指導していると知り、羨ましくもあり安堵もしている。

それ以降、父とは入浴しなくなったが、弟とはいつまで一緒に入っていたのか忘れてしまった。

そのくらい父との入浴、そして拒否権の無い状況が、強烈な屈辱嫌悪を残している。

 

その時、父に故意があったのかわからないが、大人になってからの父の所業には好奇心支配欲が見えた。

父が、私の入浴のタイミングに合わせて、脱衣所を磨りガラス越しに見てくるようになったのだ。

脱衣所近くにトイレがあり、私の入浴時間に合わせてトイレへ行ったあと、脱衣所の前で佇み動かない。

脱衣所で着替えている最中、鍵がない戸一枚を隔てた先に父が居続ける。

思い過ごしかと1、2回は不審がるだけだったが、3回目であまりの恐怖に磨りガラスを衣類で覆い、いつ開けられてしまうのか、その時どうしたらいいのか、私は家にいられるのか、親子でいられるのか、母はどんな顔をするのか、思いが渦巻いて混乱した。

数日後、母が磨りガラスに衣類をかけている私を不審がり問いただしてきたが、父の覗き対策とは言えなかった。

沈黙している私をよそに、何故だか衣類をかけないよう注意され、その日から私も例の日記と同様に風呂場の中で着替えた。

 

状況が変わったのは、その日以降、母も何かを感じ取り、父の動向を気にして始めたことだった。

相変わらず同じ行動をする父に対して母は何も言わなかったが、その代わり磨りガラス和紙で覆ったのだ。

母は状況を理解しているんだと悟り、私は家から出ていこうと踏ん切りがついた。

 

家族のことが好きだったし、故郷のことも好きだった。

親はお稽古事も塾も大学へも行かせてくれたが、十年ほど前から連絡を絶っている。

徐々に弟妹、親族、お世話になった故郷の全てとも連絡を絶った。

年賀状も送り返さないし、見てもいない。

無性に悲しい日もあるが、どうにか愛されようともがいて実家にいた頃よりも安心して過ごせている。

 

親子でほほえましく絆を確認している最も俺たちが忌み嫌う日のひとつ父の日

昨日とはうってかわって晴天の1日

何かの間違いであってほしい心地よい1日だ

ブックオフエロ漫画コーナーにいってすき家でメシ食ってきたけど俺の孤独は1秒たりとも埋まらなかった

心の拠り所はやはり増田だけだよホント

[]2021年6月19日土曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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2313416758125.148
1日2855298607104.642

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日本裁判所(10), 耐水(3), スポーツ仲裁裁判所(5), 芳乃(3), 外国政府(3), 強制執行(5), トイプードル(5), アカハラ(6), 識別子(5), 言い寄る(4), バイトテロ(4), 女子大生(17), 共産(15), 名字(16), 告白(45), 文法(9), 深(8), 枝野(8), ジジイ(19), 教授(30), 共産党(19), 立憲(11), 弟(18), 権力(37), 五輪(32), 何者(13), 子持ち(12), 打っ(19), パワハラ(19), 反(20), セクハラ(28), 尊敬(13), 既婚(15), ワクチン(44)

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2021-06-19

anond:20210619014528

失礼いたします!

父の日によせて」のタイトルに惹かれ訪ねさせていただきました。

まりにも多い字数最初は途中で投げ出してしまうかもしれないと思いましたが、最後まで目を通してしまいました。

わたしは3人の子どもがいますがみんな遠くに住んでいることなどもあって、父の日はいっても電話メールもありませんでしたので、羨ましい親子だと思いました。

これからもお父様に対して、いつまでも優しいお嬢さんであって欲しいと願います

父の日があるんなら乳の日があってもよくね?

おっぱい人権

父がいない父の日を初めて迎えるにあたり

昨年の秋、父が70少し過ぎで身罷った。

40年来の糖尿病持ちであったが、ずっと血糖値自己管理ができていたのと母が食事カロリー計算をしていたこと、あとはおそらく運が良かったのもあり、長患いにしては失明することも足を切ることもなく元気に過ごせていた。

ただ、最後の1年は認知症になって血糖値自己管理ができなくなり、高血糖入院したが医者喧嘩して退院した後、週一で在宅看護を頼んで自宅療養して様子をみていた。血糖値上下はありながらも比較平穏に過ごしていたが、最期の1週間は急速に弱って歩けなくなり、在宅介護と在宅医療の準備を進めていた矢先に心不全急逝した。

結局は長年の糖尿病で体が全体的に弱っていたのが諸々の引き金となったということなんだと思う。

認知症になるにはだいぶ若い年齢だったことに加え、普段の会話にはあまり自然な点はなかったこから発見が遅れ、高血糖入院した際に医者に「認知症の疑いがあります」と言われて検査したらそれなりに進んだアルツハイマー認知症(脳血管性もちょっとある)で、要介護2に認定された。

父が要介護になる少し前に、増田義母(80代)もある日突然歩けなくなり、要支援から介護4にジャンプアップしたことから介護に関する多少の前提知識は持っていたため、介護関連の手続き増田が引き受けた。

一昨年~昨年にかけてかなりバタバタして、「さぁ、これから本格的に在宅介護だ頑張るぞ」と気合を入れた矢先の突然の別れだったので、悲しさよりも拍子抜けした感が先に立ち、その後も涙に暮れて過ごすという感じにはならなかった。

母も兄も同様で、家族にあまり悲壮感はなく、家族みんな「やれる事はやった末の結果だ」とは思っている。

もっと早く気づいていたら」とあの状況を回避する世界線を今も考えるが、どうにかなるビジョンが思い浮かばないので、おそらくどのルートを辿っても詰んでいたということだろう。

今月、母がワクチンを接種した。

実家が全国屈指のワクチン予約困難地域であるため、大規模接種センターで接種することにして私が母の予約をとり、当日も道案内がてら付き添ったんだが、「これ父さんがボケずに存命だったら、母さんと自分の二人分予約とって『俺はPCに詳しいから』とか得意げに自慢してたよね」という我が家あるあるの話をして笑いながら、ふと「そうか、これから折につけ『父さんが生きてたら〜』って話しながら生きていくんだな」と思い至った。

死んだ時には実感はなかったし、悲嘆に暮れることもないが、これから日々の中で父の不在に思いを巡らすんだと思う。

明日父の日で、「そういえば父さんがいない父の日って初めてだな」と思ったので書いてみた。

あとは、これから家族介護必要になる人もいると思うので、増田経験(2件だけど)から少しだけ。

家族介護は思ったより突然やってくる

家族介護保険証(65歳以上に届く青い三つ折りのやつ)の在り処と地元地域包括支援センター場所普段から認識しておいた方がいい:本人不在でも、介護保険証持って包括支援センターに駆け込めばプロ相談に乗ってもらえる。向こうはいろんなケースを見てきた百戦錬磨人達なので、自分の頭だけで考えるより良い方策を知っている。義母介護でも父の介護でも地域担当ケアマネさんにとても助けられた。

・親が認知症になると銀行から預金を引き出せなくなるので、その前に手を打っておいた方がいい:任意後見制度とか家族信託なんかは基本的に「認知症になる前に契約しておく」ものなので、認知症になってからだと成年後見制度一択になってしまう。最近銀行認知症サポートサービスを始めてるみたいだけど、これも基本的には事前に手続き必要

とはいえ、老化と介護は本当に個人によって状況が異なり、一意に「これ」という方策はないので、あくまでも個人経験談として。

https://twitter.com/tarusawa_ken/status/1406080977277833223

一瞬広告かと思ったけど単なる憎悪だったわ、こわ

まれて当然だけど父の日故郷の駅に掲げるのはちょっと歪んでるよな……

父の日によせて

父のことを思うとき、いつも思い出す光景があります

それはある週末、スーパーから自転車で、自宅までの帰り道。

当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。

スーパーから家まで自転車10ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。

あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。

身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中丸めママチャリをこぐ姿は、食卓ビールウィスキー焼酎ちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。

父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。

その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社ひとつに、運良く入れていました。

そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネット会社役員として送りこまれてくるわけです。しか親会社セミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネット御社ビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。

そこで私がやってた仕事ひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータ相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。

そんな、ニワカな私がニワカな役員サポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベント出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います

大企業出身エライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女からということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社お金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。

そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要ときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。

それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれ家族旅行で伊豆ホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラチョコレートストロベリーアイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。

そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。

でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。

しろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。

岩手県の奥地でだいたい10兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校卒業すると集団就職上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから家族会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。

祖父会社オイルショックかいろいろありながらも、高度成長期バブル景気でそこそこに拡大、多いとき社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父会社仕事より、地元運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。

でも90年代バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行から貸し剥がしを受け、頻繁に資金ショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。

これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社ITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネ会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います

なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロ自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。

大きくて、小さくて、でもやっぱり大きくて温かい、父の背中

高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落レストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。

西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。

…こういう話って普通結婚式のときかにするんですよね。

照れくさくてなかなか言う機会がなかったんですが、このコロナ下でなかなか会えないので、今やっと言葉しました。

直接言えよって感じなんですけど、まあ、こういう人たちもいるよってことで、この場所に置かせていただきます

2021-06-18

今年の父の日プレゼント

トイドローンプレゼントした

帰省して一緒に飯食ってるとよく「空撮したい」とか「スマホがないから出来ない…」とかって言ってた自分のお古のスマホと一緒に贈った

自分のお古のスマホで飛ぶところまでセッティングしてあげた

まあ、リアクションが乏しかったわけだけど…男の反応なんてこんなもんか

空撮楽しんでくれれば良いな

2021-06-15

仕事してると涙がボロボロ出てくる

メール文章を読もうとしても頭に入らないし

会議のあとはどっと疲れて吐き気ヤバい

在宅の日は電話チャットワークでやりとりするが、すごい勢いで涙が止まらない

身内が死んだ

ペットが死んだ

試験に落ちた

恋人と別れた

病気が見つかった

立て続けに起こったから鬱っぽいんかね

休職視野に入れて、と医師に言われたが

休職したらいつ戻れるのかわからない

ついでに言うけど

俺の親はわりと放任主義

ハグした記憶も褒められた記憶もない

いい点とるとなぜか笑われて

好きなことをしてると金にならないと言われ

好きな芸能人キモイと言われる

そういや服装批判されたな

暴力もないし明らかな毒親ではなかったか

完全に敵視することもできなくて

大学まで行かせてくれたことを感謝し続けている

父の日母の日誕生日敬老の日クリスマス正月毎回手紙を書き、プレゼントを送ってる

使ってるのはあまり見た事ないけど

疲れちゃったからかな、もうやめていいか

また元気になったら送るでいいか

父の日が近づいてきて憂鬱になった

2021-06-12

じいさん(父)に世界を見せたい

間も無く父の日なので齢75になる父にプレゼントを贈ろうとしてるのだけど

年末年始入院してから一層胃腸の衰えが進んだみたいで食べ物系が送れない

以前送った死ぬまでに見たい世界の名画集的なやつがウケがよかったので

今度は世界のものを見せたいと思ってるのだけど

世界絶景的なものはあるもの別に景色だけでなく最新の街並みとかテクノロジーとか

世界のもの写真とか分かりやすもので見せたいのよね

もう旅行もできないと思うけど数年前までは経済誌とか読んでて世界の情勢とかには興味あると思うのよね

なんかない?

2021-05-11

anond:20210511175139

こういうので父の日の話が出てきたところを見たことないので男性差別

2021-05-08

父の日いつも悩む

母の日スイーツや花、美容用品などいろいろネタがあるが

父の日は何をあげたらいいんだ。

父は無趣味で体を壊してから酒も飲まなくなった。

母との仲もイマイチ良くないので温泉旅行も厳しい。

還暦過ぎたかビジネス関連もないな。

毎年悩んでカニスイカうなぎ和牛とかをローテーションしている。

やっぱ食い物しかないよなあ

2021-05-02

母の日」「父の日」って自分のためにやってるよな

「親に気を使える自分」に酔ってる感ある

まあ自分でどう考えるかは自由だとしても、その気持ち押し付けるなよ気持ち悪い

2021-03-25

おもてなし行事ごとがわからない

子どもの頃から行事ごとに祖父母がいるため、嫌だった。

祖父母は怒っているから母はビクビクして、父は近くにいないから。

祖父母は私は可愛がるが親にあたりが強かった。

その帰り道は必ず両親は喧嘩をする。

重苦しい車内。帰宅して両親の皿が飛び交う夫婦喧嘩

父は母を守らないし、母はわからないことばかりのなかでなんとかきちんとしようとするがうまく行かない。それを怒鳴る祖母威圧感のある祖父

落ち込み父をなじる母、怒る父。

ごはんは味がしなかったことなんかザラだった。

誕生日も何も楽しくなかった。なんとか親や祖父母場の空気を明るくしたくて振る舞っていた。

つらい気持ちを飲み込んで自分馬鹿なことをしたり賢い発言をすると喜んでもらえる。

とにかくそれに注力しようと思った。

また親戚の伯父伯母も性格や性根が曲がりまくってて、しか財産争いでみんな出し抜かないようにお互いに監視し合ってた。

つの間にか大人になって一昨年子どもが生まれた。

お宮参り、お食い初めハーフバースデーひな祭り、一歳の誕生日父の日母の日敬老の日正月

子どもが生まれると行事オンパレードだ。

夫の実家は隣の県にあるためすぐ会うことができる。

産後、里帰りから帰ってから義母が週一回手伝いに来てくれてとてもありがたい。

しかし、義母が、義父が、子どもに接する度、自分の子ものころのトラウマが蘇る。

お利口さんにしていないと。

母よりしっかりしないと、でも何をしたら正解なのかまったくわからない。

子ども可愛い。生まれてきてくれて嬉しい。

しかし、義実家些細な一言で、私の役目もまた終わってしまったんだと言うことをひしひしと感じる。産んだら私の役目も終わりなんだ。

実家に里帰りしたときも、父と母は昔に比べて優しいけど、なぜあのとき私は優しくしてもらえなかったんだろうとどうしようもない悔しさがある。

子どもハイパーメガ可愛いし、私みたいにさせたくない。

それなのに楽しい行事のたびに落ち込んでうつ状態になる。

どうしたらいいんだろうと、涙を流しながら、自己中心な子どもみたいな自分の考え方が一番反吐が出る。

2021-02-27

anond:20210227170643

その人たちは二次元現実を地続きにしようとがんばってもはや二次元現実等価だと信じ込んでしまっている

でもキャラはだれかが線をひけばできるけど子供はお父さんとお母さんがセックスして出産子育てしないとおとなになれない

まだ人工子宮も保育器AIも実現しないんだから

そのクソ重い育児負担というこれまで・これから人類が向き合っていく現実無視しなければそんなに簡単等価だといえるわけがない

そうやって異性愛規範を憎む人は母の日父の日といった時節にも

親子の愛情(とくに子供が親のケアを望んでそれに答える親の愛情の美しさ)をガン無視してヘイトをぶつけてしまうんだろう

おそらく生育したご家庭に問題があって実際に親や子であった自分を憎んでいるのかもしれない 

でもそれを二次元に持ち込まないでほしい

別に子供を育てながらでも二次元同性愛作品大事にして萌えることはできるし

実際にファンの中にも子育てしながら書いている・よんでいる人がかなり多くなってきた 

その人たちも多くは二次元に親子愛の正誤といった邪念をもちこまないようにしているのに

一方的に、生殖育児行為(正しいとまでいわずとも、負担が重いので大変ですよねという現実認識をして覚悟をしているカップル存在)まで

ヘイトをぶつけられるのではたまったものではない

とはいえ多くはみちゃいられないとおもえばそっと離れるだけだけど

それは逆もまた真であって

完全に同性愛になる流れの作品が「なぜか一方が子供をほしいという理由ドンデンがえしをされた」ということならよんでいられないほど描写がヘタだな、となるのは自然である そういう教条的作品をやまほどみせられたら、「現実はともかくあの手の作品は大キライ」となるのはある意味仕方がない(私は今の状況でそういう作品が多いとはおもわないがその人たちはそういうのをみせられて育ったのかもしれない)

ここでは二次元現実を地続きにして誤判定しているのは元増田のほうということになる

  

唯一どちらにしてもいえるのは「あなたはその狂信にまでつきあう必要はない、見たくないならみなくていい」ということだけだ

2021-02-18

子供にはさせられないような暮らし

子供にはさせられないくらいキツい労働

子供にはさせられないくらい長い間やって、

子供には食べさせられないような食べ物ばかり食べ、

子供には見せられないような内容の娯楽に没頭して、

子供にはさせられないくらい短い睡眠をとって、

 

という暮らしをしている

なんなんだよ

俺も子供といえば子供だろうが

なんで20前後生きたところで突然庇護を剥ぎ取られるんだよ

こちとら生まれたくて生まれたんじゃないんだぞ

人間が完全にサルみたいなもんで、発情したら有無を言わさずセックスしないとたまらない!って生きものならまだ許せもするけど、そうでもないだろ

ありあまる知性をもって、生み出された生命のゆくえを考えてほしかった

いずれ「子供にこんなことは到底させられない」と思うような暮らしに放り込まれるんだということに想いを馳せて、俺を作るのをやめてほしかった

両親にいまさらこういうことを言うのはあまりに親不孝だし、誰も幸せにしない気がするから黙っているが、しかし俺って完全に被害者なんだよな

被害者たる俺が黙らないといけない理由があるのか 文句くらい言って良いんじゃないか

てめえよくも産みやがったな、俺は生まれてこのかた、一度も「生まれてよかった」なんて思ったことはない

お前らはもうすぐ死ぬから気が楽だよな 俺はまだ50年くらい生きないといけないかもしれないんだぞ

どうしてくれるんだよ どうしようもできないよな

バカだ お前らは致命的な馬鹿だ 最低だ

そういうことを吐き散らしてやりたい

と思いつつ、父の日母の日には殊勝にもちょっとしたプレゼントをしたりしているのだった

ストックホルム症候群ってやつなのかもしれないな 孝行心って

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