はてなキーワード: 無理難題とは
震災のときにもダメージを受けたし、消費税増税も大ダメージだった。
よくある「優秀な人ほど早く転職していく」方式に習って、現在は40~50代の中堅社員が全く居ない。
残っていた30代社員もちらほら辞め始めた。
何よりたちが悪いのは下々から「無能」の烙印を押されていた人間だけが
上層部に残っている。
いい人やデキる人は辞めさせられたのだ。
そうなるとしわ寄せはこちらにやってくる。
無理難題の押し付け、何をしたいのかさっぱりわからない新規案件。
経費削減を叫ぶ割に上層部は経費で飲み食い。
社員に何も言わずに知人の子供を雇ったり、意見する人間や女性社員を
イジメで辞めさせていく。
好き放題やりたい放題だ。
誰も止められない。
こうなってくるともう怒りどころか乾いた笑いが出てくる。
これが終わりの始まりなんだろう。
俺は辞めるぞジョジョー!
前の会社、頑張っても頑張っても売上が赤字事業の補填に使われるためボーナスは無し、表向き社員にやさしい企業をうたっていても、その実派閥争い、借金、滞納、粉飾決算その他諸々黒かった。
もちろん、それに見合うだけの仕事はこなしているので作業時間は以前よりは格段に増えた。
しかし、通勤に往復3時間かけていたのが自宅で仕事をしているので0分になり、
余計な派閥争いや調整に参加しなくてもよくなり、
外注さんにめちゃくちゃ安い金額で無理難題をふっかけなくてもよくなったり、
めちゃくちゃ安い金額でありえない納期で請けなくてもよくなったり、
管理のためのやらなくても良い単純作業をやらなくてよくなったり、
自腹で勉強会に参加しなくてもよくなったり、
部下の悩みを聞いて上司に持って行っても結局無視されてこっちが悪者にされることもなくなったり、
ストレスはかなり減った。
というか、今までなんでこんなことやってたんだろうと思う。目が覚めた。
なんせ、企業人だったときは、「上司・社長の命令には断ることが出来ない」旨の社訓があり、奴隷みたいだった。
今、その会社どうしてるかな。元気かな。どうでもいいけど。
「コミュ障なんだよね」と言うと驚かれる。「友達いっぱいいるじゃん」「飲み会めっちゃ行ってるじゃん」と返される。
たしかに、Facebookのフレンド数も、実際に不定期・定期で会う友達も多いし、誘われた飲み会には基本的に行くし、そこで出会う初対面の人ともそつなくコミュニケーションできる、と思う。
しかしコミュ障にも種類があって、俺は「半径1メートル以内」の人間関係が苦手なのだ。友人とか、恋人とか、家族とかに対してのコミュニケーションが。というのも、これから仲良くなる予定の、すこし距離感のある人に対しては、一定の節度を保ってやりとりができ、相手の気持ちも極力考えようとするのだが、いったん相手が自分の懐にはいってくれ、相手も自分を懐に入れてくれたと思うと、とことんわがままになってしまう。明確に何か無理難題を要求する、ということではないが、とにかく自分本位なコミュニケーションを求めてしまいがちになる。恋人や家族だけなく、友人に対してもだ。それは、実際に相手に甘えたいというのもあるかもしれないけれど、最近感じるのは「ここまでやっても受け入れてくれる」というところへの安心みたいなのを異常に求めてしまっているんだなということだ。そのため、懐の深い相手ほど、こちらの増長を止められずにわがままを受け入れ続け、最後にブチ切れて去っていく。
自分でも自覚しているので、意図的にバランスをとろうとするのだが、そうすると「思いやりが感じられない」「本当に好きなの?」というような批判を受けたりする。中間のコミュニケーションがとれないのだ。
なので友達はたくさんいるけれど、親友はみな去っていったし、恋人は3ヶ月も続かない。自分でも自分のコミュニケーションの欠陥はわかっているし、意識して改善しようとは思っているけれど、やっぱりいつも失敗してしまう。いま29歳。30すぎてこれだとさすがにやばいだろうなと思ってはいるんだが……。
「為せば成る、為さねばならぬ、何事も」とか言ったりするような、
人を都合よく動かすために、名言を使うのはやめろ
それは言葉の真意を伝えたいんじゃなくて、有名人の言葉いう権威を盾にして、
無理難題をふっかけるだけじゃねえか
必要なのは、「有名人が●●な時は●●した」ってことではなく、
今そこにある人とモノとカネでなにができるか考えることだろうが
土曜、ゆっくり起きてカフェいって映画見てフィットネスジム行って帰ってすぐ寝たり、遊びに行ったり。
日曜、朝早く起きて自転車乗ってカフェ行って図書館行ってメシ食って寝る。
これの繰り返し。
性欲はないわけじゃないが、金がもったいなし病気が嫌だから風俗には行かない。
彼女は欲しくないわけじゃなく結婚したくないわけじゃないが、若くて気立てが良くて器量よしの子がなかなかいない。
今年で39だ。
たぶん、俺はこのまま死ぬのだろう。誰からも愛されずに。オナニーだけして。
職場にいる36の手つかずの独身女は、肌うす黒くボコボコで髪ゴワゴワ、細ツリ目で団子鼻薄唇、ペチャパイ、毛深い、性格が悪い。
出入りの業者に無理難題を課して自分はランチ、人を顎で使う、いつもイライラして文句ばかり言う、人に優しいときがない、機嫌がいい時がない、
自分の都合が悪くなると泣く、「ダる」「肩イタタタ」が口癖、コイツの周囲5メートル真っ暗。最悪。
こんなクソみたいな奴が正社員月30万近く貰ってる現実。採用した奴見抜けなさすぎ。
コンビニのテキパキと働く女の子とチェンジしたらどれだけ社内が明るくなるだろうか。
似たもの同士S極とS極を無理やりくっつけて遊ぶ遊び。
でも、そろそろまた飽きる。
自分はいわゆるLGBTでいうGよりのBの男なのだけれど、ここ数年の学生生活では同性ばかり好きになってしまっていた。
人を本気で好きになった。四六時中その人ばかり考えて自己嫌悪になるくらい好きになった。でもそれが実ることはありえない。
彼女はいたことあるけど、冷めてしまってすぐ別れたし、もしかしたら自分は完全にGかもしれない。
いずれにせよ自分がGかBなので将来のことなんて何も明るい未来が見えない。
今も好きな人(同性)がいるが自分が同性に告白しようものなら自分の社会的立場が危うくなる可能性の方が大いに高い。
異性に告白したってずっとこんなことを隠していくわけにもいかない。これからの人生を一緒に歩む相手にそんなことはしたくない。
だから、いわゆる好きな人とお墓まで一緒にいよう的な未来は見えない。
女の人だって自分の夫がBだったら嫌ですよね。嫌じゃない人なんているんですか?
もちろん周りには同性好きだと悟られないようにふるまっている。
野獣先輩の話がくれば「お前のことがずっと好きだったんだよ!」とか言って笑いを取る。けど本心からそう言いたい相手がいる。
淫夢ネタに走る友達がいれば「お前ホモかよぉ!」とか言ってのける。「ホモはうそつき」って割と真理です。
でもホモだから「掘られるぞ逃げろ!」とかいうのだけは自分に言われてるみたいで傷つく。ホモって掘りたい人だけじゃないんですよ。
あとLGBTだけならまだしも自分は生まれつき障害があって治療しないと性交渉できない。生まれてこの方20年、一度も「イッた」ことがない。
普通の人々は常日頃から気持ちいい体験しているんですよね。しかも好きな人と一つになったりするんですよね。うらやましい。
LGBTでしかも股間障害持ちって多分日本で自分くらいなんじゃないかな。泣けてくる。
要は性少数派の自分が嫌いだ。
どれだけ人を好きになっても思いを伝えてはいけない。
伝えればいいじゃんと思う人もいると思うけど、自分の友達が一人でも消えることがどれだけ悲しいことなのか。もうちょっと考えてみてほしい。
たまにAV見てみても、高嶺の花のような他人の幸せを遠くから眺めてるようなすごく虚しい気分になる。
街で流れるラブソングを聴くと性多数派の人間がうらやましくなる。
仲良くしてくれてる先輩、同期、後輩もきっと今書いた自分のことを知ればいなくなってしまう。
誰にも理解されることはない。
自分はこれからも本性を隠し続けて、誰かと愛し合うこともなくその人生を終えるのだろう。
今書いたことも人生20年前後の生活の中で家族にも友達にも誰にも話していない。
理解されたいけど今の周りの人が自分は好きだからそんな大事なものを壊してまで自分の我儘を出したくはない。誰も幸せにできないし。
けれど、でも、そんな好きな人たちにこんな気持ち悪い自分を認めてほしい。いてもいいって言って欲しいという思いはある。けれど言ってしまったら自分は避けられて・・で無限ループする。
ただただ悲しい。
今のいわゆる団塊世代の人にはLGBTを毛嫌いしてる方が多いイメージがあります。自分の同世代にも一定数はいるでしょう。
そんな方々にはLGBTを理解してくれなんて無理難題を頼むつもりはないですが、
LGBTはテレビに出てるようなオネェキャラの方たちの印象だけじゃなくて、
異動で4月からいる部署が社内政治の舞台になっててもう死にそう…
今まではお客さんが見える部署にいた。
お客さんは喜ばせる相手であり、また無理難題をふっかける敵であり、それは大変だったけれど
今思えば単純な世界だった。
いろんな考えの人が居たけれど、それはやり方の違いだけであって目的はお客さんからお金を貰うということに付きていた。
社内交流とかスキルを撹拌させるとかそういう意図があるのかもしれない。
はじめこそは半沢直樹みたいとかちょっとワクワクしたところもあるし、狭い世界でよくやるなとちょっと引いて見ていたが
ここにいる限りこの戦いとは無縁になれないと知ってお腹が痛い。
あまり詳しくは書けないが、色々あって寄り合い世帯のようにできた部署
元AのA派、元BのB派、中立を決め込みつつ派閥争いをしているAB連中をパージしようとしているC派
あまり他の課やチームとは交流をしないようにとか、スキルを共有しないようにと課員に公然と言ってくる。
課を越えての仕事などは当然あるが、A派の○○部長の肝いりだからとかなんとかあったりして、半サボタージュ状態で臨めとか
はじめの一ヶ月程度はちょっと新鮮な気持ちだったけれども、同じ課員にも積極的に政争に参加する奴もいて
以前別の部で一緒で同じ事業部になった奴と飯とか食いに行ったあとには、何を話したとか聞いてくる。
GWを越えたあたりで、ウンコしたあとトイレの中から出られなくなったり、
気付いたら下りる駅を通り越していたり、ケアレスミスがおおくなったり、もう調子がわるくなってきた。
仲良くニコニコ元気に一生懸命仕事をするのが仕事に必要とは言わないまでも悪いことではなかったけれど、ここではそういう姿勢は迂闊な行動になるようだ。
A派やB派が取引先に食い込んだ既得利権でナンタラみたいなことをやっているとかなんとからしいが、その実体は自分には見えないし、
「意識高い系w」の特徴って見てみたんだけど、半分以上が僻みとしか見えない。例えば、意識高い系の最大の特徴である、
・人脈自慢する(本当に人脈があって、人脈を使って仕事できるんじゃないの?)
・経歴を盛る(まったく持って盛ってはおらず事実なんじゃないの?寧ろ控えめにしても盛っていると言われる。経歴の無い人から見ると信じられないのかもしれないが…。)
・blogやソーシャルメディアなどで、意識の高い発言を発信する
(本当に上からいっているかは、受けとる人の感じ方しだい。知識を知っていたら教える側に回ってしまうので、どうしても与える側に回ってしまう。どんなに、横並びで発言しても、上から物をいってきた、と思う人は思う。
あと、お勧めだよと言ってるのに、強要してきた、という人はいる。「お勧め」といくら連発してもそこは聞いていない…
仕事ができないというけれど、
ほらみろ。仕事できないだろ。って感じじゃないの?
ちゃんと指示したのか?仕事の内容・仕方を教えたのか?
東大生なんだから、カメハメハ出してよ。カメハメハも出せないの~
、とか、そんな感じだろうね
たまに、攻撃的に人を疑いまくって、信用できる人かどうか、
試してくるようなことしたり、
根掘り葉掘り、自分の疑いを張らすために、攻撃的に関わってくる人いるけど、まじでめんどくさい。
本当は好きな男子なのに、異常なまでに自分が傷つくのを恐れて、
自分が傷付かないことばかりを考えて、相手のことは考えない。
そりゃあ面倒くさいし嫌われるよ。
人を信頼するって言うのは、
自分が安心するために、信頼できるかどうかを相手を叩きまくって、安全だと分かったら信頼するとか、そういうもんじゃない。
あと、人との価値観や認識の違い、ズレというのは、早急に白黒答えを出すのではなくて、徐々に理解していくものだし、
それに、言葉使いが悪くて攻撃的だと当たり前だけど、人間関係壊れるよね?
人として信頼されなかったのは益田の方で、
石橋を叩きすぎて、その人との関係を壊してしまったというだけの話でしょう…。
表面的に浅く付き合う友人だけでいいというなら、今の状態でもいいだろうけど…。
今後また、とても仲良くなった相手に、
たまに、攻撃的に人を疑いまくって、信用できる人かどうか、
試してくるようなことしたり、
根掘り葉掘り、自分の疑いを張らすために、攻撃的に関わってくる人いるけど、まじでめんどくさい。
本当は好きな男子なのに、異常なまでに自分が傷つくのを恐れて、
自分が傷付かないことばかりを考えて、相手のことは考えない。
そりゃあ面倒くさいし嫌われるよ。
人を信頼するって言うのは、
自分が安心するために、信頼できるかどうかを相手を叩きまくって、安全だと分かったら信頼するとか、そういうもんじゃない。
あと、人との価値観や認識の違い、ズレというのは、早急に白黒答えを出すのではなくて、徐々に理解していくものだし、
それに、言葉使いが悪くて攻撃的だと当たり前だけど、人間関係壊れるよね?
人として信頼されなかったのは益田の方で、
PGは、まず見積もりを依頼されます。この時ほとんどの場合、要求仕様書が無いか、あっても伝聞で情報が欠落もしくはエラーを起こしています。残念ながらエラー訂正機構は装備されていません。CRC、せめてパリティでも入っていればちょっとは違うかもしれません。期待出来ませんが。
ここでプロジェクトマネージャー(又は管理者・経営者等。以後PMと称する)から「最速でやった場合」「割り込みが入らない場合」「君がやった場合」or「部署内で最高ランクのPGがやった場合」「仕様変更が無い場合」という条件が付きます。
底辺PG諸君。ここでこの言葉を額面通りに受け取ってはいけません。
「【最速で】3ヶ月かかります」
と答えたらPMは【普通に】3ヶ月の工程を工程表に書き、見積書に3人月分の金額を書きます。そしてこれは後述する危険と隣り合わせとなります。
この危険を経験したPGは大抵リスクを込みで【黙って】見積もりを伝えます。
しかしPMはお見通しです。「高い」「そんなに時間がかかるわけが無い」と言い、受け付けません。何故なら実はPMの頭の中では既に「3ヶ月」なのです。PMは追い込むために見積もりの詳細を聞いてきます。
ここで素直に「リスク込み」と答えてはいけません。既にPMは前述の前提条件を述べているからです。無下に却下されます。
戦いたいPGかつPMが同じ会社であれば「後学のためにPMの詳細見積もりをお聞かせ下さい」と聞いてみるのも良いでしょう。ただし確実に印象悪化は避けられません。PMが発注元の場合は禁句です。まずキレます。そのまま発注されない事もあるでしょう。発注されなかった事を喜びましょう。
なぜキレるか。それは簡単です。「明確で論理的な理由が無いから」です。理由が無い上に実は既に予算が決まっており、それを超える事は許されません。予算を超えた見積もりはPMがさらに上層部・経営陣から怒られる事を意味するからです。理由が無いから理由をPGに考えさせているのです。PMが仕事をした気にさせるのも底辺PGの役目です。
予算を超えた見積もりはあり得ませんので、答えは「がんばります」しか残りません。しかしPMはそれすらもPGの口から言わせたいのです。でもよく考えて下さい。あなたの脳はオーバークロック出来ますか?
底辺PGが出来る事は、PMやユーザーが分からないように期間と予算を加算するくらいです。
一応、市場原理が働くため、安い方がいいに決まっています。金払いのいいユーザーや元請けってのはあんまり無いです。そして金払いの悪い所ほど後々してやられますので、最初の予算の付け方でどういう所かが大体予測出来ます。
そんなわけで、予算と期間に品質と内容は関わりがありません。もちろん企業の使命として、安くて良い品を、安くても利益を、は追求してしかるべきなのですが、日本の場合質と金額が比例するのは極一部。IT業では基本的に、安くて良い品を出来るだけ高速に、がモットーです。受注しなければ会社がやっていけないのは分かりますが、「安さ」だけしか売り物に出来ない会社は、IT会社として失格でしょう。
かくして、短納期低予算のプロジェクトが組まれるわけです。そのPMの理論からすると、高速バスで東京から新大阪へ行く方が、新幹線のぞみの指定席グリーン車で行くより高く、書留速達の郵便より普通郵便の方が値段が高い、という事になりますが。質、時間、価格の何がIT業と違うんでしょうか。
実のところ発注や作業開始は遅れている事が多く、納期に間に合わせるには発注前に作業を開始せざるを得ない場合が8割ほどです。実はここにも罠が仕掛けられています。
作業に取りかかろうとようやく出てきた仕様書を見ると、見積もり時の時と変わっていたり、追加されていたり、未だに仕様が無い場合がほとんどです。
「こんなものをこんな期間で出来やしない!」と憤慨してはいけません。なぜなら
という答えが返ってくるだけです。PMが見積もらない理由がここです。PMに見積もりを聞いてはいけない理由がここです。これは後々まで効いてきますので注意が必要です。「前提条件と違う」と反論するのは無駄です。PMはそれは忘れています。そもそも考えて発言していないので口が勝手に脊髄反射で言った事であり脳は関知していないのかもしれません。PMにとって最重要な事は「PG自身が言った事」です。そう、工程表にも議事録にも「3ヶ月」という数字のみが記載され、いわゆる「リスク」は何処にも書かれて残っていません。
PMやユーザーは絶対にリスクや前提条件を書き残しません。それがこの業界の伝統ある慣習だからです。
ここで言った言わないの不毛な戦いをしてもいいのですが、確実に査定は最低です。もしプロジェクトから外されたらそれは喜びましょう。
管理者や経営陣等からは「やる前に出来ない言うな。やってから言え」と怒られます。残念ながらこれも真に受けてはいけません。
設計、構築など作業をしている間もどんどん仕様変更・追加は流れ込みます。
PMは工程進捗を把握しているのでは無く、PGが【自ら】工程表や報告書に纏めます。遅延していれば遅延の理由も書き、挽回策があればそれも書きます。しかしPG個人が取れる挽回策などたかがしれています。と言うよりそれが分かっていれば遅延などしません。他の策は既に実行済みなので、挽回策には「残業・休日出勤」くらいしか書く事が残りません。しかしこれは現実にこれしか書く必要がありません。なぜならPMはこれ以外の挽回策は理解不能だからです。
仮に報告をしても「早すぎる。もっとやってみてから」「がんばれ」という答えが返ってくる事でしょう。
遅れを放置するPMもいますが、許容範囲はPMにもよりますがある程度遅れが見えてくるとPMから追求がやってくるようになります。
「なぜこんなになるまで報告しなかった」
そう、報告出来る時期というのは非常に限られています。多分プロジェクト工程(今の例なら3ヶ月)の中の30分くらいです。それより早いと相手にされず、それよりも遅いと怒られます。報告時期を見誤らないのもPG業の技です。
実装が難しかったり、無理難題は多々あり、その上工程が遅延しているので、相談をしに行きます。しかし、それは無駄です。
「自分で考えろ」
「やってから言ってるんじゃねぇ。やる前に言え」
他似たような答えしか返ってきません。非常に非生産的です。理不尽です。時間の無駄と考え報告・相談に行かないPGも多いとか。非生産的ですが、一応相談はしておきましょう。ただし時間は取られないように。
同僚やチーム員に相談してもいいのですが、昨今のプロジェクトは人員がスタンドアロンで動いています。したがって、隣の人やチーム員がが何をやっているのか知らない事が非常に多く、相談出来ない事も多いのです。PGにメンタル病が多いのは実は理由がここにあると自分は思っています。孤立感が半端無いのです。まぁ、元を追えば、そいういうチームを組む事、教育訓練しない事など、実は管理者・経営者が「カイゼン」や「効率向上」を題目に目の前の超短期的コスト削減だけを考えている結果なので、PGとしては何も出来る事はありません。管理者・経営者は中長期について考える必要が無いからです。なぜなら「その頃には自分は満額の退職金を貰って定年退職済み」だから。
実のところ単独の仕事をしていればいい、と言う事はあり得ません。同じプロジェクトの中からも割り込みや、他のプロジェクト・部からも割り込みは多々入ります。
始めに言ったじゃん。どうにかして。というのは無駄です。覚えてないし、「会社員なら当たり前だ」という答えが返ってくるだけです。「15分だけ」「ちょっとだけ」が頻発しますが、塵も積もればなんとやら、です。ちなみにこの件は査定・人事評価には全く影響がありません。
相談すれば「午前中はこの仕事、午後はこの仕事、定時後はこの仕事をすれば並列同時が可能だ」とあたかも新発見超名案を出したかのように返されるのが落ちです。そう、1日が24時間しかない事は忘れ去られ、PGが人間である事は忘れ去られ、思考の分断は効率を激しく低下させる事を知らないのです。
ここで断る勇気を持つのが大事ですが、職場内の雰囲気は格段に悪化します。評価は「人でなし」「自分勝手」「自分本位」「冷たい」。これらの視線に耐えられるのなら断りましょう。こちらからすれば「自分の時間を奪う方がよっぽど人でなしだ」と言い返したい気分です。
テスト工程も始まり、遅延が激しくなる上に、バグが発見されさらに遅延という状況が始まります。
ソフトウェアである以上、バグが無いプログラムなんてのはあり得ないのでバグを出す事自体は不可避です。
ところがPMは激しく怒り出します。バグの発見はPMに一報が行きPMが怒られるからです。
底辺PGはバグを出す毎にこっぴどく怒られます。中には仕様変更の事実がPGまで伝わっていないのにバグ扱いされる事も多々あります。
バグを出すと修正、テスト、再発防止策の考案などの厄介事が増えます。
再発防止策は通常「どうやったら自動的にそうならないか」を考えますが、あまりに根幹すぎるので、底辺PGの身分では権限が無く、出来る事が限られます。そしてPMが理解出来る策を考えねばなりません。結果「テストを増やす」「チェックシートを作る」とかになりがちです。しまいには「チェックシートのチェックシートを作る」などという意味不明の現象に陥ったプロジェクトを何度も見ています。
厳しく、それは厳しく怒られる上に、チームの前でさらし者にされる事、人格を否定される事も多々あるので、PGはバグを出さないように、見つけても出来るだけ極秘裏に解決しようとします。
「恐怖駆動型開発」
というもので、日本の場合ほとんどがこの開発手法をとられていると聞きます。この開発手法は書籍になっておらず、書籍としてよく売られているのはアジャイルな開発手法の本が多いです。知識として持っているのはいいと思いますが、役に立たないと思いますねぇ、恐怖駆動型開発の前には。まわりの人間も恐怖に巻き込まれないようにするため、どんどんスタンドアロン化が加速します。
その上、バグを隠すようになり、バグが出るようなテストを避けるようになるため、短期的に収束しているようにみえます。だから効果絶大と見るようです。リリースしてからが楽しみですね。
PMが空想から覚め、もう救いようが無くなった事が事実と認識出来るようになった時、ようやく、2度目の相談・報告時期が訪れます。ただし、PMの第1声は「どうしたらいい?」です。そんな事が分かっているのなら実行済みなので、黙っているしかありません。
するとPMは「何人入れれば良い?」と聞いてきます。意味が分かりません。IT業を労働集約型産業と勘違いしているのが未だに存在している事に驚きです。頭脳集約型の形態に人を入れて解決しようとはどういう脳をしているのか。一度解剖してみたいものです。多分、高校を受験する中学3年生の受験者が100人集まれば旧帝大の入試に合格すると考えているのでしょう。もしくは1Km走というのは1000人が一斉に1m踏み出せば1Km走った事と同じ記録である、と考えているのでしょう。
脳を電通で直結出来れば若干違うかもしれませんが、IT業の1+1は2では無く、良くて1.5。ましてやこれで増えていくのは3~4人までが限界でそれ以上は人を入れても上がらないどころか、マイナスになる事が常。
PGなら他のプロジェクト、他の部、他の会社に信頼出来るエース級のPGを何人か知っているかと思います。なのでついPMに「エース級を3人」等と提案しがちです。しかしこれは叶わぬ望みです。その提案に対する答えは「そんな事出来るわけないだろ」です。そりゃそうです。予算が無いのだから。
自分の仕事があるのに、何故かこの後から来た人員を纏めるようPMから指示が出ます。PMが指示出来ないからです。破綻は間近です。いや、既に破綻しています。
プログラムが出来上がっていく以上、バグをつぶす速度以上の割合でバグを注入していく事になります。
「混乱しているプロジェクトに人を入れれば、なお混乱するだけ」
という有名な文を実感する事でしょう。なお、実感するのはPGだけであり、PMは実感出来ません。
この辺で思わぬ事態が発覚します。実は発注が遅れていた事です。
発注日以前にドキュメントがあっては監査にひっかかるため、今まで作ったドキュメントを作り直しをしなければならないという、まさに想定外の事態です。ほとんどのドキュメントには作った日付や判子が押されているはずです。それを全部作り直しするのです。納期は間際です。これも納期までに間に合わさねばなりません。
PM(重ねて書くが、プロジェクトマネージャだけでなく管理者や経営者も含む)が発狂し始めます。宛先は底辺PGです。
中には「お前を精神的に追い詰めるしか手がねーんだよ」とストレートに言ってくれるPMもいたりしますが、あまり出会った事は無いですね。
あの手この手で精神的圧迫を始めます。圧迫すれば脳がオーバークロックして作業が進むと考えているからです。残念な事に、脳の別の部位がオーバークロックしてショートしてしまいます。
こういうプロジェクトを経験し、運がいいのか実力なのか、生き残った人達がSEとなり、いずれPMとなっていきます。
不思議な事に日本では、PGが成長してSEに、SEが成長してPMに、とクラスチェンジするものだと考えられている会社が多のですが。
自分としては、座標軸のX,Y,Z軸の様にPG軸とSE軸とPM軸と全く異なるベクトルだと考えています。X軸の先にY軸Z軸があるわけでは無い、と。もちろん、軸に沿っているだけでは無く、他の軸のベクトルも併せ持つのもよいエンジニアでしょうし、ベクトルの方向を伸ばし続けるのもよいエンジニアでしょう。
ところが、クラスチェンジするものだと管理者・経営者は思っているから、給与体系もPG<SE<PMとなっていたりします。この時代錯誤的階級社会はどうにかならないものでしょうか。
自分はPMを否定しているわけではありません。いいPMの元でいい仕事をしたい、と思っているだけです。今までに何度かそういう良い経験をした事はあります。それは成功経験としてモチベーションを保つために必要な事なのです。
PG至上主義でもありません。分業形態として、SEやPMは必要不可欠だと思っています。ただ、PGを粗末に扱っておきながら高品質の製品を要求する風習・慣習が納得出来ないだけなのです。
どっかの誰かが自己啓発かなんか知らないけど
ビジネスで成功したいなら「こういうことを頼みたいんだが、出来るか?」ってことを聞かれたら
まず「できます!」って言って、どうやるかは後で考えろみたいなこと言ってたらしいけど
全くの素人が思いつきで喋った無理難題をバカ上司が「できます!」って言っちゃって
それを部下に無理矢理押し付けてできないと上司がブチ切れして結局解散するような現場が多すぎ。
こういうのは提案されたものがある程度現実的で、ちょっと無理があるかも知れないけどどう?
みたいな、提案する側と受ける側に一定以上のリテラシーが共有されている場合に通用するものの考え方で
世の中には「俺は何でも知ってるぞ」って奴ほど無理解で極端で唯我独尊で困るものだ。
著作を宣伝してる奴ほど、その整合性を取るべく無理難題を述べ連ねては墓穴を掘る。
物事を発見した人がいて、それをどうにか世間に広めて自分を認めさせたい。
また、ビッグマウスな口上が裏目に出て自ら炎上の中心となる事も多い。
それだけにこの宣伝は、容易にやられるべきでなくて
が、昨今のステルスマーケティングによって居ながらにして富と名声を築く事が安易になった。
そのために、簡単に富と名声を得ようとこうした方法を取り続けると
当然アンチが現れる。
そこで予防線を張るのだが、予防線を良く知りもしない人にさせやすい。
良識ある人ほどお金は掛かるし宣伝者と同等の富と名声を得たいと考えるものだ。
予防線を張るにもお金を掛けなければ、物事が成功しなくなってきている。
そうなると結局広く浅く潜伏しながら徐々に効果を波及させていくしか方法はない。
今年の流行語になった「ダメよ~ダメダメ」はあからさまな宣伝によって今年の後半期から急激に流行した。
その結果広く知れ渡ったものの、実体が見えず誰とも知らないお笑い芸人が登場して、
このお笑い芸人が発案しました、と言っても他にも誰かが発案していてその人の持ちネタをパクったから使うな、
それだけに広く浅く潜伏しながら徐々に効果を波及させていく方法にも不備があるように感じられるだろう。
だが、殆どの場合、前述の予防線を張り忘れた、あるいは張る必要がないとたかを括っていたに違いない。
でなければ今回のように突然降って沸いたように流行語大賞に選ばれるはずがない。
となると、一つ考えられるのは流行語を流行させる方法を取ったのであろう。
そのため流行語は広く宣伝によって流行していったが、今回のように誹謗中傷もまた広まってしまったのである。
深く知り浅く広く潜伏しながら徐々に確実に流行させていく事が素直である。
しかしながら、ユーキャン流行語大賞のように賛否を無視して急速に広めると当然批判の対象になりやすいのだ。