はてなキーワード: 少年漫画とは
ヘイトスピーチは違法だ。比較するなら喫煙広告などにしろ。少年漫画雑誌にタバコのCMはありかなしか? 追記で2000字以内で答えなさい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220421185317
喫煙広告というなら月曜日のたわわは喫煙シーンの含まれる漫画の方が近いやね。そんで喫煙シーンの含まれる漫画は普通に少年誌に掲載されてるし広告も打たれてるやね
・頼むから誤解するな
誤解しないで欲しいのが俺は普通に巨乳キャラがたくさん出る漫画やアニメを消化しまくってる。
エロ本含めたらこの文章を読んでいる10000人中の10000人より読んでる。
ちなみに好きなサイズは顔よりも大きくて乳首も大きめ、パフィーニップルでロケット型が好きだ。
・目元が描かれない事と、その理由
本題に戻るが、単刀直入に言うと「男主人公の目元が描かれていないのが気持ち悪い」。
良く知らない人のために説明すると、エロ漫画において竿役(まんこにちんこを挿す男性役)の個性が強すぎると読者が集中できなくなってしまう現象がある。
それを避けるために竿役男性の外見の個性を減らしていった結果、「竿役の目を描かない」という表現を手に入れたのが現代のエロ漫画だ。
もちろん一般の少年漫画にも内気な少年や物理的に髪の毛で目が隠れてる男性キャラというのは存在する。
でも前者は個性を消すための目消しであり、後者は引っ込み思案や感情を表に出さないという個性のための目消しである。
ここまで説明すれば分かったと思うが、月曜日のたわわの主人公の目元を描かない表現は明らかに前者だ。
主人公は引っ込み思案なキャラでもなければ感情を表に出さないキャラでもない。
ヒロインが性的に魅力のあるキャラとして描かれており、男性主人公は「読者に気を散らさない竿役として個性を減らされたキャラ」として描かれている。
俺はこれこそが本作最大の問題だと考えている。
作中世界の1人格をもつ架空のキャラではなく読者として描いてしまっていることがたわわの最大の問題点なのだ。
作者の比村奇石はリスクを背負ってでも男主人公に人格をインストールするべきだったと思うし、
結局男の人格を生み出せなかった結果、次回作で相当な苦労をすると予想される。
エロ漫画というのは基本的に読者に抜かせることをゴールに作られている。分かりやすく言うと勃起して射精させれば勝ちである。
そのため、過去の時代では爆乳扱いだった胸のサイズも年々増大した結果、今では一般的に巨乳キャラ扱い。
過去の巨乳キャラは普通サイズとなってしまい、過去作を読み返すと違和感を感じるほどになってしまった。
他にはスレンダー派よりもムチムチ体系が主流になりつつあり、ライザのアトリエの下半身ややムチ体系の発達と周知により、グラマーどころかちょい太めまで世間のストライクゾーンとして確立されたのが現代である。
とにかくエロ漫画というのはモテない男性であろうが、モテる男性であろうが抜ければ何でもいいの精神で進化してきた。それがエロ漫画の根幹となる文法なのだ。
同人などで必要以上に胸のサイズが盛られるのも「抜ければ何でもいい」の精神だし、眼鏡かけさせるのも然り、とにかくシコリティ(シコシコしたくなる度合)が高ければ勝ちなのがエロ漫画の世界なのだ。
エロ同人というのは自由なようでいて実際は外的にも内的にも売り上げという数字で殴り合う過酷な生存競争の世界なのだ。
その結果、進化したエロ漫画業界は胸を盛ることを覚え、上半身は太らせずにふとももやケツの下半身をムチムチさせることを覚え、寝取られによって快楽物質を操ることを覚え、
メスガキによってロリコンの需要を満たしつつユーザー層の拡大を増やす手法を覚え、大爆発的な進化を遂げてきたのがこの30年間のエロ漫画業界である。
女性キャラに対して「スレンダー体系から下半身ムチムチ爆乳体系への進化」があったのなら男性はどうか?
その中の1つの表現や文法として「竿役の徹底的な無個性化」と「テンプレート化」が行われた。
竿役の無個性化は先ほど説明したように男性に必要以上に個性を持たせない徹底的な引き算の美学だ。
竿役が奇妙な語尾を使ったり竿が2本だったりあまりにも不細工だったりギャグ風のデフォルメだったりすると
女性キャラよりも男性キャラが目立ってしまいエロシーンに集中できないという読者は少なくない。
というか男性に個性は要らないと思うシコり手の方が多数派なので改善すれば数字として必ず結果が出るくらい鉄板と言われてる。
一方、無個性化の発達と共に「テンプレート化」も発展を遂げる。
ここまで書いたけど横道にそれ過ぎて長くなるし眠いので寝よう。
言いたいことは
たわわはエロいから問題でもないし巨乳だから問題じゃなくて、「エッチな青年漫画」ではなく、「エロ漫画の文法で描かれたエロ漫画が青年漫画のフリしてる」から気持ち悪い。
ふたりエッチはエロいけどエロ漫画じゃない。でもたわわはエロ漫画なんだ。ふたりエッチは「エッチの勉強として読める」けどたわわは「エッチの勉強として読める」か?
トラブルはエロいけど少年漫画なんだ。でもたわわはトラブルより肌の露出なくてもエロ漫画なんだ。「トラブルはラブコメディとして読める」けど「たわわをラブコメディとして読める」か?
いちご100%はエロいけど恋愛漫画なんだ。というか恋愛漫画って結局恋愛という戦場でのバトル漫画なんだ。たわわをバトル漫画として読めるか?
たわわを最近流行ってる人気のラブコメ漫画やファミリー漫画みたいに角度や解釈を変えることで読むことができるか?できないだろ?
エロ漫画なのが悪いんじゃない。エロ漫画の文脈で描かれたエロ漫画なのに青年誌で連載している。ルールから逸脱してるのが問題なのだが、それについて作者本人が全く気付いてない。
なんとも説明しづらいんだが、なぜフェミ婆から標的にされるのかというと、そういうことなんだ。
エロ漫画の文法は表に出しても知らない人は知らないが、感覚的に本質はバレてしまう。
しかし知らない人にとっては原因が分からず不快感だけをずっと抱え続けることになり、最終的に攻撃という行動に出てしまう。
昨今のフェミ問題の根底にはエロ漫画の文法・表現は表の世界に出してはいけないというオタク・製作側の自制心が欠けているのではないか。
もちろんこれはBLや行き過ぎたジャニーズの裸露出にも言えることだ。
確かに表現の自由は守られるべきだがエロ漫画の文化というのは裏に隠すからこそ発展してきた歴史がある。
それをもう一度考え直してくれないか。
・少年漫画から「女の裸」が日常的に消えたことによって起きた問題
・当事者が誰も気づかないフェミニストが攻撃的になってしまう最大の理由
・女性の権利を守りつつエロティシズムという芸術を子供に継承するためには
・「月曜日のたわわに対する批判の正体」と「フェミニズムによるグラマー女性(実在・非実在)への表現規制活動」は別軸で考えるべき
・無個性男性キャラは男の読者から非実在キャラと向き合うリスクを消失させかねない
でもたわわ、おまえという作品は創作の世界において守るべきルールを破っている。
まずそれから反省しなければこれからも問題は起き続ける。まず個人として解決しろ。
「りぼん」に新連載「りぼんの拳伝承者」を掲載して売り上げトップ飾って雑誌に貢献したとしても、それは絶対に許されないことなんだよ。
元小学校教師の作家・詩人。詩集『花を見るように君を見る』が人気ドラマの中で使用されたり、BTSの誰だったかの愛読書として紹介されたとかで大ヒット。現代の若者に人気なので当人もお若いのかと思いきや、1945年生まれである。
普段、詩はあまり読まないのだが、何がきっかけか忘れたけど数年前に「韓国詩はいいぞ!」とネットで読んだことを思い出した、ちょうどその時にこの詩集が目に留まったので、読んでみた。
前半は初々しい恋愛の歌が多く、青春ですなあ! って感じだが、しだいにああ人生! って感じの愁いのある詩が増えていく。一人の少年が成長し大人になっていくのを見守った気分。一番最初の「草花」なんてピュアでほわほわしてるが、終盤の「冬の恋歌」なんてガッツリと大人の恋……だいぶ踏み込んでる感じの……。
「道を掃きながら」「新しい道」は道がキーワードになっているからか道教とか儒教みがあり……日本にも渡来し根付いている思想な訳だが、自分自身にはあまり馴染みがない。そのため、近くて遠い隣の国ではどのように受け止められてるんだろうなあ、と思いを馳せたりとか。詩以前に、韓国の文化全体を私は何も知らないんだよなあ。
日本の伝統的な詩である和歌のことだってよく知らないのに、韓国詩を読んで私はどこまで理解し共感出来ているのだろうか。これを機にも少し韓国の文化を知ろうと思った。
「韓国詩はいいぞ!」とネットで読んだ時に、試しにネット上に載ってるハングルで書かれた詩(尹東柱だったかなあ)をぐーぐる翻訳にかけて音声で聴いてみたところ、まるで花びらや木葉が螺旋を描いて舞い落ちるかのように韻を踏んでいたので、いいのかどうかは知らないがすごいなと思った。ナ・テジュの詩も韓国語で聴くと日本語で読むのとはまた違った趣があるのだろうか?
装幀も挿し絵も綺麗でかわいい。自然を詠んだ歌が多いので、挿し絵も自然の風景が多いのだが、時々街の風景画もある。韓国映画で見たことのある建物のあの感じ。飾り気がなくてちょっと陰と侘しさのある佇まいに異国を感じる。
予備校講師の川野は突然妻に三くだり半を突き付けられた。独り身となった川野は安い部屋をネットで探して仮契約し、前金も払い込んだ。ところが、荷物を持って新居に行ってみると、そこには先住者がいた。
先住者である学生によれば、その部屋は彼の祖父の持ち物で縁故者にしか貸さないのだという。明らかに詐欺に遭った川野をにべもなく締め出そうとする学生・真木敦。意地になった川野は粘り倒して真木の部屋にルームシェアという体で居座った。
しばらくしたら自分で新たに部屋を探して出て行く約束だったが、川野は意外と住み心地のいい真木の部屋に、ついずるずると長居をしてしまう。
同作者の短編集『鳩の栖』収録の『紺碧』『紺一点』の続編。『鳩の栖』を先月か先々月に読んだので手に取ってみたのだが、あれっ、こんな話だったっけ? 読んだ本の内容をすぐに忘れてしまう性分をまた発揮してしまったかと思ったが、主人公・川野の同居人・真木が『鳩の栖』ではまだ中学生だったのが、本作では高校を卒業して浪人生になっていたので、キャラとストーリーの雰囲気が違って見えて混乱しただけのようだ。
実際、今となっては『鳩の栖』の方はどんな話だったか忘れてしまったのだが……真木よりは真木の親友・浦里の方がメインだったような気がしたけど、違っただろうか。
物語は新キャラであり主人公である川野視点で進んでいくのだけど、内容は真木観察日記みたいな感じ。真木が親友の浦里に片恋慕している様を温かく見守る的な。川野個人にも過去のエピソードがあったりして一応個性があるのに、主人公にしては存在が空気に近い。少年漫画にたまにいる、語り手ではあるが主人公ではないキャラみたいな。たとえば『シャーマンキング』のまん太くらいの存在感。
途中から登場する真木の兄・真木寧のインパクトがすごい。真木寧イケメン描写がめちゃ詳細で納得感がありまくる。長野ワールドのイケメンは、顔貌の良さ以上に肉体美や立ち居振る舞いの優雅さや無駄のなさで表される。凄すぎて川野の存在感が一層霞んだ。そんな真木寧が、川野に大人の責任として弟・敦の相手をしてやれと迫る。現実にはないクレイジーな価値観だ。
普段は「外商御回し」と揶揄されるくそダサとっちゃん坊やスタイルを貫く真木が歳なりの服装をした途端、がっついてくる肉食系女子と川野の対話が、さもしくて印象に残った。耽美とさもしさの絶妙なバランスがいい。
同時収録の『五月の鯉』『此の花咲く哉』は真木と浦里の高校生時代の話なので川野の出番0。ほんとうに、主人公の癖に川野って一体なんだったんだ……。真木寧の恋人、行司文崇登場。真木寧のインパクトも凄かったけど行司文崇もだいぶパンチが利いたキャラだった。美味しいとこ総取りカップルおそるべし。
まあなんだかんだ、真木と浦里がハッピーエンドっぽくてよかったです。
『石橋防衛隊(個人)』(ウノハナ)をpixivで試し読み。表紙がカッコいいが、絵柄が二十年前っぽい雰囲気だなあ。商業BLにはこういう懐かしい画風がいまでも普通に残っている。ストーリーも面白そう。けど某大ネタならもっと筋肉盛った暑苦しい絵柄で見たい気もする。
でも買って読みたい候補に入れておこう。と思ったが、今月末には推し雑誌『Canna』が発売されるし、使えるお小遣いが限りあって新規開拓は無理そうなことに気づいた。かなしい!
まず「女叩き」の空気はコミュニティ(板・スレ)によって差異が大きく、男オタク全体で共有されていた文化ではないというのが大前提である。
それは「決まった連載枠を巡ってサバイバルさせられる」ジャンプのアンケシステムが背景にあり、
そのなかでテニプリやリボーンなどの腐女子人気の高い(男にとってはつまらない)漫画が枠を専有していたので、
「ジャンプは腐女子に媚びてつまらなくなった」「こんな作品は打ち切って俺たち好みの漫画を載せろ」といった批判が渦巻いたことによる。
ただし、これについては「ジャンプには昔から腐女子がついていてそれがネットで可視化されただけ(当時の2chにはその歴史を知らない厨房が多かった)」という指摘が正しいだろう。
ニコニコ動画の腐女子叩きコメなどはこの流れを汲んでいると思われるが、
「一人でコメントを連投できる」+「画面がコメントで埋まると実際以上にインパクトがある」というニコニコの特性には注意が必要である。
もっと広範な「女叩き」で有名なものとしては2007年頃に流行った「スイーツ(笑)」があるが、
これは「揶揄」にとどまるものであって、腐女子叩きほど切実な反感があったわけではない。
「腐女子叩き」と「スイーツ叩き」を繋げて考えるべきではないし、
もちろん2010年代以降のオタ・フェミ対立の遠因とすべきでもないだろう。
はてなに絡めて言えば「無断リンク禁止問題」というものもあった。
「リンクを張られるとGoogleに見つかる」からやめてほしいという腐女子と
「リンクは自由に張るべきものだ」とするはてなーが対立した問題である。
懐かしい思い出だが、まあ局地的な小競り合いと言うべきだろう。
無断リンクに限らず、こうした「男オタと女オタの小競り合い」は、確かにあちこちで起こっていたと思われる。
そして女オタのコミュニティはひとつひとつが小さく閉鎖的であるが故に、男オタからすると「小競り合い程度の話」が、
女オタたちにとっては「我らの穏やかな村を守るために侵略者を撃退した大戦争」と認識されている可能性もある。
ただし学級会などは昔から女オタのあいだで行われていた儀式だろう。
男オタから叩かれなくてもカップリングでひたすら内ゲバを繰り広げているのが女オタである。
男オタと比べて女オタの「好きなものだけを読みたい」「不快なものは見たくない」という傾向は顕著である。
「男オタに叩かれたから」というのはあくまで一因でしか無かったはずだ。
総じて、2000年代に「男オタによる女叩きが定着していた」とするのは極めて限定的な物の見方であるか、
あるいはガラの悪い2ch文化に触れて「私が女だから叩かれたのだ」と勘違いしただけのナイーブな認識である。
現在の史上最悪レベルに深まったオタ・フェミ対立と比べれば、2000年代の「腐女子叩き」などお遊戯にすぎなかったと言える。
群盲象を撫でるような過大評価をすべきではない。
マジレスすると「ゾーニング」というのは、書店の売り場を「児童向け」「漫画売り場」とかに区画分けするようなことであって、もちろん「欲しくない人がスルーしやすいように」という面もなくはないが、基本的にはそこに「隠す」とか「立ち入り禁止にする」といった意味はないんだよ。たとえば漫画売り場に漫画原作ノベライズが置いてあっても誰も怒らないし、少年漫画売り場に女性が入るのを止める店員もいないだろ。ゾーニングを「AV売り場がカーテンで隠されている」みたいなイメージで捉えるのは極めてローカルな認識なんだよね。だからもちろんゾーニングされた区画からアイテムを持ち出して公開したって誰も怒らないのよ。
利益をあげよう!
利益をあげるということは、ようするに
= 印刷コストに対して付加価値分をプラスして、その分を販売価格に上乗せしよう
2. 一人の読者あたりの回転率(購入サイクルの短さ)をあげよう
= 文字数は少なく、すぐ読めて、お手頃価格で、なおかつコレクション制が高いものを作ろう
じゃあ、何を作るのって話だけど、僕が提案するのは「大人の絵本」です
大人が読むに足る絵が一ページに一枚のってて、その上のレイヤーか、下の空白部分にセリフと短い説明が書いてある
文字数は少なくして、一冊20分もかからず読める分量が良いです
メインは絵です
一ページ一枚絵なので、週刊少年漫画の漫画家が一週分の漫画を描くよりも少ない枚数で済みます
彩色や背景は分業でもいいでしょう
イラスト集と漫画とラノベと絵本のよいとこどりの新しいバランスだと思ってください
とにかく絵が上手い人をメインに据えて、一冊2000円から2500円くらいで売りましょう
もちろんハードカバーで、装丁のデザインもこだわって「インテリアとして飾っておけるおしゃれ」な路線や「インスタなどに載せたくなる高級感」を目指しましょう
これなら「すぐ読める」「買う価値がある」「毎月買える」くらいの価格帯になります
これだと、継続的に、それなりの付加価値があるものを売ることができると思います
最初のコンテンツは、人気漫画の絵本版(話を抽象的に抜粋して、象徴的なシーンを作者や作者が指名したイラストレータにリメイクして大ゴマにしてもらう)や映画やドラマでよいと思います
動物のお医者さん、バナナ・フィッシュ、ここはグリーン・ウッド、ポーの一族、恋愛描写があってもBASARAとか、ぼくの地球を守ってとか、絶愛とか、ガラスの仮面とか、ドラマチックなストーリーに生きるか死ぬかで派手な展開なら結構楽しかった。
りぼんくらいの対象年齢低めな雑誌でも、有閑倶楽部、ちびまる子ちゃん、お父さんは心配症等々大人でも楽しい漫画は多かった。
何か気がついたら少女漫画に学園恋愛物とかがどっと増えて、恋愛好きなティーンに対象絞り込んだ感があって、オタクは少女漫画読者からはじき出されたような気がする。
今の時代に少女として生きてたら、多分初めから少年漫画に行ってるだろうと思う、恋愛に関係しないで生きてるヒロインが沢山いるから。
恋愛必須な感じでヌルい恋愛物に溢れてる今の少女漫画界が息苦しい。
詳しく知らんだけで今のオタク少女を受け止める少女漫画も沢山あるんだろうけど。
てゆーかあってほしいな、ないと寂しい。
だから、主人公側がそれをやると「主人公(たち)だしまあいっか」で済むけど、
「好きでもない男に裸を見られる女性キャラが可哀想」みたいな意見は、少年漫画を全然読んでねえだろ。
女性キャラは主人公のことが好き(※ある程度は)だから、「ラッキースケベ程度」で収まるような反応をしてるんだろ。
「マジで好きでもない男」からスケベなことをされたとき(着替えを覗かれたり、痴漢されたり)は、「犯人を捜してお灸をすえる」のが少年漫画のお約束やんけ。
20年以上前の90年代(もっと前か)からお決まりのパターンだったんだが、なぜこういう部分はわざと無視されて、ラッキースケベ=一方的な性的加害みたいな話にされるんだろうね?
女性キャラは主人公に対して心を許してるからこそ、ラッキースケベが成り立つんだよ。
ここだけを取り出せば、「好きな相手に偶然自分のプライベートな部分を見られて、お互いにドキドキする」っていう、恋愛もので重要なシーン、少女漫画なんかでも当たり前にやってる事でしかない。
ていうか少女漫画で「気になる相手に自分の着替えを見られてドキドキ」なんて、全然普通にあるよな???
でもなんでスプリガンは2回もアニメ化するのかがよくわからない。
基本的に毎度主人公が任務をピンチになりながら勝つ!という分かりやすい話でそれ以外に話の広がりがない。
御神苗は基本的に馬鹿だけど優しくて強いキャラで戦闘能力もほぼカンストしてる。
ミッションもゴルゴみたいに複雑な政治的背景とか不可能を可能にするみたいな込み入った話はなかったはず。
最終回付近に朧の裏切りなあって驚いたけど予想外の展開はあのくらい。
大人のカップルでちょいと踏み込んだ描写するくらいならアリなんじゃないのと思う。最近少年漫画あまり読んでないから例えがリアルタイムじゃなくてすまんが、『NARUTO』のアスマさんと紅さんとかがエロいことしてても、まあそりゃするやろなっていう。
暴力が何を差し置いても絶対ダメ、なんて倫理ははっきりいって存在しない。
もしも暴力が倫理的絶対悪だったら、少年漫画の戦いを心穏やかに見てるわけないでしょ?
でも、「暴力が絶対悪」と多くの人を勘違いさせるであろう、決定的な変化があって。
物わかりの悪い子供や新入社員を、ぶん殴ってしつける。痛くなければ覚えません……だとか。
殴られたことによるストレスの悪影響が、教育効果を完全に上回ることが立証された。
殴ってるほうが子供はバカになるし、暴力的な上司のほうが部下は無能になる。
愛の鞭と呼ばれてきた、「正しい暴力」が存在しなくなったってことだよね。
次女が発達障害で幼稚園で上手くいっていけなくて大変で母親も娘に当たり散らしたけど最後は卒業出来てめでたしめでたし!
という内容の漫画を描いて、「酷い内容ですが、この3年間を絶対忘れないように。」という趣旨でTwitterに上げる行為。
娘さんが将来見て傷付くだろうとかそういう事は一切考えないのかね…半永久的に残るんだが。
幼稚園を卒業出来たのでハッピーエンドみたいになっているけれど普通に考えて小学校以降の方が大変だろうに。
あと漫画の内容自体娘さんを可愛くなく描いてると思ったし、その反面自分自身の表情やファッションにはめちゃ気合いを入れて丁寧にしているので落差が酷い
そして何よりも怖いのはこの漫画への反応がほぼほぼ肯定一色で、頑張りましたね、最底辺なんかじゃありませんよ、という母親を労う内容ばかりな事。
少年漫画の巨乳やセクハラ描写よりもこういう漫画が広まる方が子供の成長には悪影響だと思うけれどこういうのは何故か子供への影響を殊更気にするフェミニストの人達からは肯定されるね。
「母親から「産むんじゃなかった」と言われて小学生の娘が傷付いたのはドラマの影響、そう思わせている社会のせい」なる発言といい、
今の日本って十ーーーーーーーーーーーー分に母親に対して優しい、いや甘い社会じゃない?