はてなキーワード: 女子校とは
身バレ上等な内容、支離滅裂、纏まりがないが我慢の限界なので載せる。メモ書きのようなもの。
追記修正予定。
幼稚園小学校は特殊な私立で、中学は平均的な女子校に通っていた。
女子校から半男子校(私のクラスは男女ほぼ半々の割合)に移ったことから、様々な既成概念を覆されることになった。
私がこの記事を書くことにした理由は「男尊女卑」だの「性差別から逃れたいと疲れた女性」「痴漢冤罪を恐れる男性」を沢山見てきて疲れてしまったからだ。
私はその高校に進学してからすぐに、軽く犯罪めいた男子の言動により、元々快く思っていなかった女性性に拒否反応を示すようになってしまって、その後も色々あって今は制服をスラックスに変えてもらっている。「中性的」「アイツという生別」という認識を持って貰えて幾分生きやすくなっている。
髪も短いので、黙っていれば中学生男児には見えるだろうし、よく「最早男」とからかわれるくらいだ。
そんな私は、制服がまだスカートだった2年生の春を最後に痴漢に遭っていない。
むしろ制服や日常の服装を男性的に変更してから2度冤罪を食らっている。
「あなたの見た性別が私の性別」というスタンスなので、男子と勘違いされたらさせたままにしている。
人において重要なのは、英語でいうところのsexではなくgenderの方の性別、そしてsexualityだと思う。
私はNonbinaryのAsexual(どちらかというとQueerplatonic寄り)の人間だ。
自分を「性別がないもの」として考える。そして「性欲も恋愛的な感情を持つこともない」。
憧れはあるし、まだ若いから、将来心境の変化はあるかもしれない。
でも、今、自分自身のそれらを考えようとすると憂鬱な気持ちになる。
…最近話題の「女しかいない世界」、男性的職業、心の性別のズレによるいじり、痴漢、痴漢冤罪、強姦未遂。
程度は軽い方かもしれないが、私は全て経験してきた。
3年間の女子校時代、高校で取った土木・電気系の資格、女だと思われていれば絶対にその場に持ち出されないような猥雑な話題、尻を意思をもって這う手、「触りましたよね?」と話しかけてくる女性………………私を組み敷いて、「女性の君に抵抗はできない」と脅す中年男性。
…全ての道理が繋がらない。
ちぐはぐだ。
sex的男性、女性という括りは、トイレと浴場、体力的限界のある現場以外に、本来必要あるものとは思えない。
女性専用車両は関西で起きた痴漢による事件によって全国的に普及することとなった。
乗車率の高くなる平日の都会の電車で、女性、子供、障害を持っている方、つまり混雑から「弱者」を保護するための措置として存在している女性専用車両。
これは差別ではない。
女性や子供よりも、一般的に力のある男性と同じ水準に彼らを持っていくには、混雑時間帯の車両を1つくらい「専用」にしないと間に合わない。
そもそも痴漢がいなければ「女性」専用車両とはならなかったかもしれない。
もっと言えば、痴漢被害に遭うのは女性だけではないし、痴漢を冒すのが男性だけでもない。
「痴漢」は女性だけのものではないし、「痴漢冤罪」もまた男性だけのものではないのだ。
「痴漢」は「男性」なのではなく、「犯罪者」という括りになる。
ここの主語の違いが、差別だ、差別じゃない、の議論を生むことになる。
私は女性専用車両に賛成するし、女性だけの世界を片隅で考えてしまう気持ちもわかる。
また、冤罪に怯えるのも、男性を排斥せんとする思想に嫌悪感を示したくなるのもわかるのだ。
でも私はその議論が発生する時、どちら側にもいない。
必ずしも分けなければいけないものではないことを、はっきり大きな主語で分けることは、極めて危険なことである。
「痴漢をするのが男性だから男性を排除せよ」なんて、まるで全ての男性が悪、みたいな言い方をすることはないではないか。
それを突き詰めた時に発生する議論は、「人間という生物は犯罪を冒すから人間がダメ」だ。
それがおかしいのはわかるだろう?
「社会」「国家」「法」を持った人間については、人間がダメなのではなく、法の下の「犯罪者」がダメなのだ。
論点を誤り続けた先にあるのは、底無しの泥沼だけだ。
疲れる。疲れた。
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思っていたより反応があって嬉しいです
一応言っておきますが女性専用車両が男性も一応乗れることは知ってます、見解を述べる上で最低限の下調べくらいしますから
「女性専用車両は男性も乗れる」ことと上に既に述べたことから女性専用車両は差別だとは思っていません
ここまで書いといてそんな議論展開するコメつくとか思ってませんでした
ちゃんと一字一句読んでたら思ってはいてもそんなコメント残さないと思うんですが生きてる年数の問題なんですかね?
女子校とか女性ばかりの施設って実際それなりにあるけど、女だけの区画を作るって何がそんなに困るのかわからんな。
団結して男の面倒みてくれなくなったらやだーとかそんなんかね?
以下は別に男女差別に限った話ではないがわかりやすさのため男女問題に絞る。
(必要ならば、各自で外国人や障碍者等に読み替えてもらいたい。)
同じ条件であるにもかかわらず男性の方が女性より優遇される現象。(またはその逆)
早くから問題とされたため近年この傾向はほとんど残っていない。
しかし女性は大相撲の土俵に上がれないなど一部には残存している。
男性が女子校に入学できないこと、女性が男子校に入学できないことを差別と呼ぶ人間はいない。
これと「女性専用車両」「女性だけの街」問題との違いはどこにあるだろうか。
女性が子を産むことに起因する区別(女性の坑内労働禁止など)も
差別と言われることがあり、差別と区別の境界ははっきり引けるものではない。
男女は死亡率が違うため生命保険料などが異なるが、日本ではこれは合法であり、EUでは差別として違法である。
もちろん男女の合格判定基準に差はなく、女性が男性より問題を解く力がないわけでもない。
これはそもそも女性が東大を志願しないことによって起こっている結果である。
これに対し、機会均等なのだからあとは志願者の自由で何も問題はないのだとする説と、
そもそも意欲不均等とは過去の機会不均等が根を引いている証拠なので是正するべきとする説がある。
企業が採用者を決めるときなどに、より素晴らしい候補者を選択しようとするのは当然である。
しかし、選定の時間が有限である以上、候補者の能力や人格を一から百まですべて知ることはできない。
この時にどうしても利用されてしまうのが過去の採用者の実績である。
統計的に男性の方が女性より業績を残す(またはその逆)とはっきりしていれば、
候補者本人に何の非もなかったとしても、統計的判断が加味されてしまうものである。
統計的差別は、往々にして、本当に期待する結果を生んでしまう。
個人個人の実力にはブレがあったとしても、何千人何万人と採用した際、
統計データを完全に信頼して選択した企業とそうでない企業にはやはり差が生まれてしまう。
(これに関しては男女よりもむしろ学歴フィルター等の問題を考えればわかりやすい)
これを是正するということはすなわち、企業に「統計データによらず個々人の実力のみを見ること」
つまり今まで以上の負担やコストを強要することに繋がるため、非常に困難な問題になる。
女性の管理職問題は、意欲の不均等と統計的差別が合わさって発生している。
それ以外の者にとっては機会の面で相対的不遇な状況に置かれることになる。
機会と結果を同時に均等にすることはできないという根本的な要因から発生する現象。
意欲の不均等や統計的差別は、もともと過去にあった機会の不均等が原因であることから、
逆差別を積極的に行うことによって強引に結果均等な状況を作り出し、
意欲の不均等や統計的差別がじゅうぶん無くなってから逆差別を解消することによって
最終的には機会も結果も同時に均等にする施策。
途中の段階で差別を一度受け入れてしまうため、これが許されるのかどうか議論がある。
なお、この男女差を打開するために、女性のみ男性より低い基準で別枠のプロになれる「女流棋士」の制度がある
(アファーマティブアクションの一例であろう)。
しかし、この制度が逆に女性プロ棋士の誕生を阻害しているのだとも言われる。
囲碁では女性プロも普通に存在するため、将棋というゲームのみが男性にとって得意な構造になっているのか、
それとも裏側に何か発見できていない差別が隠れているのか、理由は不明。
どうも。
クラスの人数はちょっと少なめ。大体20人前後かな。一番少ない時は17人。
クラスに付き物の「派閥」なんてものはありません。というか派閥が出来るほど人数がいません。
このような少人数クラスでは、「派閥」ではなく「生贄」を作り上げます。(※あくまでも私のクラスの場合)
私はその「生贄」でした。
これから私の生贄としての日々を、拙い文章ですが匿名ブログに綴って行きたいと思います。
何でかって?そりゃあ卒業するからだよ。卒業文章にちょろっと書いたぐらいじゃ足りないからよ。
どうでもいいけど、私ははてなが初代うごメモを運営してた時代の人間だから、今こうしてはてなブログ書いてるのが懐かしくて結構楽しいです。
試しに昔のアカウントでログインチャレンジしたら出来たんだけど、小学生の時の痛いブログが出てきて速攻ログアウトしました。
古の女オタクだから文章書いても夢小説のあとがき風になるし最悪すぎる。
きっとわかってくれる人はいるはず…うん。
公費で男性のみ・女性のみの団体を作ってはいけないということになると、全国にある国公立の男子校や女子校も憲法違反になってしまうがな。
既に住んでいる住居から追い出すとかは確かに差別だけど、それも都市計画とかで立ち退きを依頼されることもあるし「女性だけの町」を作ること自体は全く違法性がないよ。
まして民間団体が自治体の一部を買い取ってそこを特定の人しか移り住めなくするというふうにすることを制限するのはむしろ国による営利活動の妨害になるから財産権とかの観点から認められる方が適当。
ただまあ、最近は女性のみマンションとか深夜バスの女性専用車両はむしろ犯罪をする男性にとって狙いやすい場所として認知されやすいということがわかってどんどん撤廃方向にあるから、「女だけの町を作れば犯罪がなくなって幸せ」という発想はいささか世間知らずではないかと思ってるけどね。
とうとう、ほとんど恋愛したことがないまま、29歳になってしまった。
ここで、私も思うこととしては、男性に生まれたかった、ということである。男性であれば、私は勉強や仕事やその他いろいろの努力によって、人並み程度には幸せになれたかもしれないからだ。
自分がブスだと気づいたのは小学校二年生の頃だ。子供だけで参加するキャンプで初対面の女の子たちから、どうしてブタみたいな鼻をしてるの?どうしていつも目が開いてないの?とからかわれた。
それでも一縷の望みを持って、ピチレモンの記事を参考にまつ毛をカールさせたり、眉毛を抜いたりしてみた。しかし小学校高学年の頃、親戚の集まりでの祖父の一言で希望は打ち砕かれた。
「(従姉妹の)◯◯ちゃんは美人だし、◯◯ちゃんは愛嬌があるのに、どうしてお前だけ不美人なんだろうなあ」
私の従姉もとりわけ美人ではないが、私と比べればマシ、というか全てのパーツが悪いわけではない。父と母のそれぞれ悪いところだけを受け継いだのが私の顔だ。
私のような容姿の人間は調子に乗ってはダメだと思った。元来目立ちたがりだったが授業でも手をあげず、誰もやりたがらない係につくようになった。
それでも中学に入ると、周りが私を放ってはくれなくなった。男子による、学年ブスランキングの始まりである。毎回一位の私は、近づくと菌がつくと男子にいじめられ、女子からは見えないものたして扱われていた。それは容姿のせいだけでなかった。
毎回二位の田中さん(仮)はクラスの一軍に入っていたからだ。田中さんは頭の回転が早く、どんなブスいじりに対しても軽妙な切り返しで笑いに変えることができた。私はそれができず、ブスと言われても曖昧に笑うことしかできなかった。
(そういえば今思い出したが、女子で唯一積極的に私をいじめていたのは田中さんだった。同じブスとして括られたくなかったのかもしれない)
しかしそれでも中学時代、勉強だけはそれなりにできた。自分を軽んじている相手に勝てる唯一の手段だったし、母親からは「親は先に死ぬから、勉強して手に職をつけなさい」と言われてきた。(今思えば、私の結婚をはなから諦めていたのだろう)
おかげで高校は、偏差値の高い女子校に入学できた。高校時代は楽しかった。クラスでも目立たないオタクのコミュニティに入れてもらえた。それほど二次元への情熱があったわけではないが、当時流行っていたテニプリやおお振りをテーマに誰かと盛り上がれることが楽しかった。
調子に乗って東京の大学に進んだのが間違いだった。サークルに入ろうと新歓コンパに申し込んだが、連絡は一件も来ない。クラスでも私以外は垢抜けた人しかおらず次第に孤立した。せめておしゃれを頑張ろうと思った。キャンキャンに載っていた一重でも可愛く見えるメイクを試した。えびちゃんと同じ服を着て同じ髪型にした。「勘違い」と嘲笑されただけだった。
一人暮らしだった私は毎日学校に通っていながら、誰とも話さない日が続いた。一人でご飯を食べているのを見られたくなくて、昼食は抜くようになった。半年もせずに学校で私は意識を失って倒れた。気の遠くなるような精密検査の結果、鬱と診断された。母親に実家に連れ戻され、大学を休学したものの結局中退した。
数年間の静養の間、親は私を責めなかった。でも学費を無駄にさせたこと、60歳近くになって世話を焼かせてしまっていることの償いとしてせめて働こうと思った。十数件のアルバイトに応募し、ファミレスのキッチンに採用された。キッチンは男性中心の職場だ。同僚は客の容姿に点数をつけたり、キャバクラの話で盛り上がっていた。大学時代と違って、面と向かって容姿の悪さを指摘された。何も言い返せずヘラヘラと笑っていると、彼らから話しかけられることはなくなった。
「私のことも他の人と同じに扱ってください」とは言えなかった。
その代わりに、ブスな女芸人の出ている番組をすべて録画して、ブスいじりへの返しを学んだ。自虐ネタのパターンも覚えた。
私は職場で面白い奴と言われるようになった。もっと暗い女だと思っていたと。個人的な飲み会には呼ばれなくても、職場全体の飲み会には呼んでもらえるようになった。
クリスマスも年末年始も仕事に入れる私は店長にもありがたがられた。
やっと人間になれた。そう安堵していた。そんなある年の暮れ、中学時代の同級生が店を訪れた。私と同じように容姿に恵まれず、クラスの3軍だった勉強のできる男子だ。妻らしき女性と、赤ん坊と一緒だった。
母に聞くと、彼は上場企業に就職して結婚し子供が産まれたので一緒に帰省しているのだという。
私は恋愛経験のないアルバイトのまま20代を終えようとしている。
それでいいと思っていた。昔より全然人間扱いされてるし、人生で今が一番幸せだと思っていた。でも何でこんなに諦めなくてはいけないんだろう、って、気づいてしまった。
大学では「これからは女性も稼ぐ時代」と教えられ、新卒の就活でも転職活動でも、「仕事と育児を両立出来る」文言を謳う会社を優先的に選んできたつもりだ。
私は女子校育ちで女性ばかりの環境を選びがちだった。そういう仕事はブラックと言われるものが多く、入った会社もリサーチ不足だったかもしれない。
しかし、それにしても疲れて、我慢して、仕事が嫌になってる女性が多過ぎる。イキイキ働いてる人なんて、ほとんど見たこと無い。思い浮かぶ人で、かろうじてイキイキしているように見える人達は、よっぽど仕事が好きか、会社の考え方に染まりきっているか。
仕事が上手くいっていたり、出世するような女性も、すごく我慢をして、自分を律しているようにみえる。
これは、私が大した仕事に就いていないからそういう人ばかりなのか。
同じ会社でも、男の人の方がまだ楽しそうに働いてる気がする。でも、楽しそうなのは主にある程度出世したおじさんかな、、、とにかく、女の人で仕事やってて楽しそうとか、幸せそうとか思う人が本当いないから、早く結婚したいとか、専業主婦になりたいとか、すごく分かる。
働く、という事に関してネガティブなイメージも持つようになった。
人生の転換点だった日がある。
私は女子校に通う学生だった。その頃の私は少し男勝りな所があり、男っぽい喋り方をしていて、周りからはサバサバ系だとか男らしいとか言われた。
その点に異論や反論はなくて、自分でもサバサバしていると思ったし、そんな自分が嫌いじゃなかった。
女子校だからなのか、痴漢に遭った話をするクラスメイトはよくいた。
そんな話を聞くと私は「私が変態に遭ったら股間を蹴飛ばしてやるのに」言い、「あんたを襲った痴漢は不幸だね」と友達は笑った。
そういう友達の反応を聞くと少し嬉しい気分になったのを覚えている。男っぽい雰囲気の自分が好きだったんだろう。
私は痴漢に遭ったことなどなかったのだが、妙な自信が胸の中にあったと思う。
ある日の夕方、学校から一人で帰る事になった。夕方だったんだけど、まだ夏だったし、暑さも残り、まだ日が高かった。
バス停に向かう途中、人気のない通りを歩いた。
すると、角からニット帽を着たおじさんがふっと現れた。「郵便局知らない?」と聞かれた。なんとなく不信感を持ちながらも、道のりを説明したのだけど
おじさんはその説明をあまり聞いてないように見えた。私の体をジロジロと見ているのだ。気味が悪いと思いつつも説明をしているとおじさんは「胸大きいね」
とねっとりした声で言った。心臓がバクんとなったが、聞こえなかったふりをして説明を再開するとまた「胸大きいね。エロい体してるね」と言ってきた。
変質者だと確信した。声をあげようと思ったけど、声がなぜかでなかったし、その場を立ち去ろうにも体が硬く動かない。そして、ふと下を見ると、股間から
アレを出していた。うわって思って目を反らしたらおじさんは「見ろよ」とドスの効いた声で脅してきた。今まで男の人のそんな怖い声が聞いた事がなかった自分の頭は真っ白
になって、何もできない。おじさんはさらに「おい、見ろって言っているだろ」と怖い声を出した。それで私は仕方なく視線を下に移した。
おじさんから解放された私は頭が真っ白になりながらもバス停に向かって、家に帰った。
お母さんの顔を見たときに泣きそうになったけど、我慢した。泣いた姿なんて何年も見せていないし、そういう女々しい所を見せないのが私のいい所なんだって
思ってた。
股間を蹴り上げてやるっていつも言ってたのになんで何もできなかったんだろう。
男らしいはずだった私がなんで体を動かせなかったんだろう。
「見ろよ」って言われてなんで素直に見てしまったんだろう。
私はなんて弱いんだろう。
お母さんに変質者にあったことを言おうかと思ったけど、なぜか恥ずかしくて何も言えなかった。
そのまま頭がぐらぐらしながらその日を終えた。
そして、次の日から私は吃音になった。言葉を出そうと思っても、どんな喋り方をすればいいのかわからなくて吃ってしまうのだ。
性犯罪に直面したショックもあると思うし、自分のキャラクターがわからなくなったのも原因だと思う。
友達は吃音になった私を弄った。そして、弄られれば弄られるほど吃音はひどくなった。
今もそれは治らない。あの日に戻ってあいつの股間を蹴り上げてやりたいと思うことはあるが、また体が硬くなっていいなりになってしまったら
と思うと怖い。私は次のその瞬間が来たときに、足を振り上げられるだろうか。
初めまして。今高校3年の男です。
私は来年の4月からアメリカに約4年ほど(少なくともアメリカの大学を卒業するまで)行く予定なのですが、今好きな人がいます。
小学校の頃から知ってて、しばらく連絡を取っていなかったのですが、最近縁があって取り始めるようになりました。
彼女は彼氏はいたことがなく、今好きな人もいないと言う事らしいのですが、彼女自身はとても魅力に溢れている人で、私とは不釣り合いな人なのですが、私としては、留学前に好きだと言うことは伝えたいのです。可能なら付き合えたらいいのですが。
そこでみなさんに訊ねたいのですが、皆さんなら私と同じ状況に立った場合、その人に告白しますか?しませんか?またするのであればいつしたほうがいいのかも教えてください。
乱文ですみません。
もし答えたいけど情報が足りないと言うのであれば言ってください。
よろしくお願いします。
リンク元URL (http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2017/1124/827818.htm)
女子校とか男子校とか経験したことがないからわからないだけかもしれないけれど、女の人だけが集まっている姿を見て、なんか歪(いびつ)に感じる。何で女だけで集まっているんだろう?ずっと男女混ざり合うのが当たり前だったから、女子会とか理解できない。普通に男の人も呼べばよくない?無理に女限定にして集まるのってどう考えても不自然じゃない?仲良い人同士で食事をする、でも男は除外、とかなんの意味があるの?女同士でしか話せないことなんて無いと思うんだけど。男が女抜きで集まるのはなんとなくわかる気がする。そういう人たちって男限定で集まっているというよりも、女の人を呼べないから仕方なく男だけになってしまっている集団だったりするから。でも女はそうじゃなくて、呼べば男も来るのに女限定にしたりするのはなんなの?それも中高生だったらまだわからなくはないけれど、いい歳こいた大人の女たちが、女限定にして集まっているのって、どう見ても歪んでいる。