はてなキーワード: 不謹慎とは
そもそも、はてブを見始めたのは、がちゃがちゃしていたからだ。話題のニュースから笑える三面記事的なニュース、役に立つブログ記事、どこから見つけてきたんだというYahoo!知恵袋の回答、有益な増田から一言ネタのような増田、何を目的にしているのかわからない崇高な増田文学。がちゃがちゃしていて最高だった。
ところが最近は、何だか疲れてきた。BTSの話題で埋め尽くされるトップページ。胸糞悪い政治の話。フェミが憤慨している話。
もちろん、それらは重要な話題だろう。だけどそういうのを見たいんじゃないんだ。BTSの話題なんて1記事だけあればいいんだ。人の「おもしろい」は千差万別だから、完璧に俺好みのトップページにしろなんて言わない。
誤解を恐れずに言えば「尻が長崎のように爆発」はおもしろかった。不謹慎と思われるかもしれないけれど、ちょっと笑ってしまった。だけど、「尻が長崎のように爆発」の記事がトップページに埋め尽くされていたら辟易していたと思う。おもしろいは難しい。
日本が負けてる原因って、恥も外聞もなく利用者の快楽と製品の生き残りを追求できるかって所だと思う
日本だとそういうのは不謹慎で後ろめたいことという雰囲気が強くて、企画者に対する同僚や上長からの妬みや恨みを避けるために、色々利益がある条件に留保を付けてみせたり意図的に快楽要素を抜くとかというのが常習化してる
美容家電なんか見れば「疲れを取る」「安らか」「忙しい朝」とか、何のシバキも支払わずに利益だけ得られるというイメージは絶対に起こさないようにすごく注意するよね
音声アシスタントとかVRみたいな人の気持ちを縛りなしに明るくしながら実用性を兼ね備えるってコンセプトで勝てないのは当然なんじゃない
韓国が日本のことを意識し過ぎで、いろいろ事態を悪化させるような余計なことごちゃこちゃ言ってくるのはいつものことなんだけど、無視すればいいのに日本も韓国にだけ過剰に反発し過ぎなんだよ。
原爆バンザイがテレビに出れなくなるレベルの問題行為だと思うのなら(不謹慎だとは思うが)、水着の「ビキニ」の呼称にも疑問を呈しろよ。奴らが韓国人被爆者を忘れてるのと同じで日本人も第五福竜丸のことなんて忘れてるんだろ。
アメリカなんていつも原爆で戦争を終わらせた(歴史的には間違いなのに)、原爆投下は正義って言ってるけどアメリカ様のやることには「おっしゃる通りです」って答えるだけなんだろうな。
解決したはずの賠償金を蒸し返すのは国際社会から非難されるべき異常な国家だって言うならイタリア、ギリシャ、ポーランドについても何か言えよ。そのへんの国の首脳にはヘラヘラ握手して訪問国数を競うのが「外交の安倍」や河野なんだろ。いやその外交自体は国益にとって正しい。でもだったらほかの国も韓国について何も言わないし日本以外には信頼度も落ちないだろってことくらい察しろよ。
互いに頭下げなきゃいけない大国とアレな国(北朝鮮)に囲まれてるせいで隣にヘイトぶつけ合っているのが客観的に見るとほんとゴミ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
例えば、私は卵にコレステロールがあるという“情報”をまず提示する。
だが知っての通り、卵のコレステロールが血中のコレステロールと関係あるかは別の話だ。
ここで、そのことを隠して「だから卵を食べ過ぎてはいけない」なんて答えるのは、ただの欺瞞である。
例えに例えを重ね、君が混乱してきたところにソースを混ぜ合わせるんだ。
そうしてマカロニサラダが出来るというわけだ。
つまり、卵コレステロール論は協議会の抗争によって巻き起こった陰謀だ。
まあ、から揚げの衣だけ食べるのは好きだが。
ということは猫は人間ではない。
義務教育の段階で覚える、「基本無料」の「基本」の意味くらい基本的なことだぞ。
「右向け右の2回分くらい」と覚えておけ。
去年は別国の民話を参照にして、干し柿とトラの融合モンスターをやった。
いいチョイスだろう?
だが予定外のことが起きてな。
このバグベアは妖精の一種なんだが、実はゴブリンでもあるんだ。
最近、ゴブリンのスナッフフィルムが巷で出回っているという情報を手に入れてね。
つまり、そのスナッフフィルムの内容は、ゴブリンのコスプレをした人間の惨殺記録ということになる。
不謹慎は大好物だが、必要以上に敵を作るリスクと見合わないからな。
下手をすれば、私がそのスナッフフィルムの新作に出演するかもしれないし。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1810/16/news139.html
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それに絡めたダジャレを言う
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スターが集まる
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聚楽第なら秀次生存ルートかなと嬉しくて舞い上がっていたらフォロワーさんに破却されていない聚楽第という情報だけで秀次天下と捉えるのが分からないと言われたので、徒然なるままに三分を書かせてもらいました。
分かりやすさは放棄しておりますのでお許しください。また、あくまで妄想ですので批判等はお控えください。
1.聚楽第とは
聚楽第とは豊臣秀吉が天正15年(1587年)9月に京都にて完成させた建物であり、文禄4年(1595年)7月に秀吉自らの手で破却させている建物である。その期間四年余。その為、建物自体は現在に残ってはいないが、聚楽第図(広島市立中央図書館所蔵蔵浅野文庫『諸国古城図』)を始めとする絵図や京洛の社寺などには移築したと伝わる建物などが存在する。
元より聚楽第という名は楽しみをあつむるやしきと言う意味であり、宣教師ルイス・フロイスは聚楽を快楽と歓喜の集まりを意味すると記している。見た目も絢爛豪華で…と語っており派手好きな家康の片鱗を垣間見ることができるだろう。見目を伺うために伝わっている平面絵図がいくつか存在する。例を下記に連ねる。
②尊経閣文庫本
③三井文庫本
①〜⑤は周囲の大名屋敷の名称にバラツキはあれども構造が似通っているものである。⑥は後世の天保14年になり名倉希言が作成し明治17年に書写されたものになる。⑦〜⑧は景観を描いた屏風になる。それぞれの内容や絢爛さなどは自らの目でお確かめください。そんな聚楽第の意義とは一体何だったのだろうか。桜井成広氏の『豊臣秀吉の居城』及び中井均氏の『聚楽第』にて述べられている①京都に於ける政庁の役割であったと考える。しかし、秀吉は政治に関して大阪城と聚楽邸を行き来していたことがある。中井均氏はこれを聚楽第は公家としての居城であり、大阪城は武家としての居城であると書いている。
聚楽第が破却になったのは文禄四年の秀次滅亡後の秀吉による破壊である。
秀次の死は切腹であったが、それは秀吉によるものである。秀次は秀吉に謀反を企てているとあらぬ疑いをかけられ、関白の座を追われて高野山に追放。高野山を人質に切腹を迫られたためせざる得なかったのである。これは秀頼誕生後に相続問題から疎遠になり秀吉との仲が冷却されたとともに目立つようになった不謹慎な性行なども関係していると考えられるだろう。更に秀吉は親族の切腹まで命じており、元より秀頼を溺愛していた秀吉の秀次の謀反に対しての怒りを感じる。そして、秀吉は譲った聚楽第を破却。縄張り意識を中心に考えると、歴史上から秀次を完全に消し去ろうとしたといえる。
2.天正15年(1587年)9月〜文禄4年(1595年)7月迄に起こった歴史的重要点
今回のイベントに於いて歴史修正されたのは豊臣秀次の生存であり、ひいては豊臣政権の存続だと考える。
まずこの4年間に起こった大きな歴史的要項を挙げよう。大きな出来事のみの抜粋は天下が歴史修正に置いて影響すべきところを考えたためである。
①朝鮮出兵
それでは順に述べていこう。
①朝鮮出兵
朝鮮出兵は聚楽第存在時にあった秀吉が行った大きな出来事である。大陸の領土拡大を目指し、進行したものであるが敢え無く敗北している。歴史改変をする事が出来る場所とも考えられますが、否定として「歴史改変された聚楽第」と本家PVで言われていることをあげる。この“された”と言う言葉には「何かしらの作用や影響を受けているさま(weblio)」であり、この場合、影響をうけているのは聚楽第であり、朝鮮出兵は直接関係がないのでこの案は没になる。
(飛ばしてくれても構いません。閑話休題に余談ですが、憶測に過ぎないものであり、またステ本丸の出来事のためあくまで私的な妄想の範囲を出ない考察ですが、舞台刀剣乱舞において歴史修正主義者が関わる場面は必ず天下が関わってる気がします。それは、歴史修正主義者は人の強い思いと呼応して呼ばれている(と個人的に考えている)ので、朝鮮出兵は関係ないと思います。歴史修正主義者も刀も人の思いに応え現れてくれる。代わりに見る人によって善悪が変わる世界です。聚楽第において正史側の審神者と刀は歴史修正主義者になってしまう…。つらい。話を戻しましょう。)
②秀次切腹事件がなかった世界。用に謀反の疑いがかけられなかった世界。理由としては前項で述べた聚楽第が歴史改変を受けていると言うところが大きい。まず聚楽第が存在したのは4年間であり、大きな出来事といえば
しかない。その為、聚楽第が直接影響を受ける可能性があるのは1595年と考えたい。また、聚楽第が影響の象徴となるならば存在がある事が歴史改変であるとも言える。
女性差別の根源に「おっさんの女装はキモい」があると気付いたのでメモ
キズナアイの服装を批判するフェミババア見て「あの衣装はお前らババアが着てもキモいだけだ妬みかよ」と思ったが、フェミババアも俺のような金のないキモいおっさんに言われたく無いだろう、俺だってあの衣装着てもキモいだけだなと苦笑し、そして、キズナアイの衣装はジジイやババアが着たら何故キモいか考えてみた。
キズナアイの衣装は若い女性の衣装である。若い女性の衣装は着る人を選ぶ。制服でも詰襟の学生服とセーラー服では詰め襟をハゲで小太りのおっさんが着ても哀れではあるがキモさは無い。詰め襟を着たおばさんはキモいか?キモくない気がする。セーラー服はどうだろう。おっさんは当然キモい、それにブスでデブのおばさんが着もキモいだろう。その姿はキモく呪われていようである。否、実は呪われているのだ(と考える)。
この時、呪いの主体はジジイやババアではなく、若い女性の衣装ではないだろか?何故ならジジイやババアも普通の格好ではそんなにキモくは無い。若い女性の可愛い衣装を着るとキモくなるのだ。呪いの正体が見えた気がした。セーラー服は呪われているのだ。
ではこのキモい女装のおっさんを1番キモがり嫌うのは誰だろうと考えてみる。キモい気持も呪いの筈だ。キモいいうのは若い女性だろう。思春期前の子供なら単に笑い飛ばすだろうし、老人なら不謹慎と怒るかもしれない。俺なら同情するし、哀れみ羨むだろう。
キモいが呪いなら、呪いはどこから生まれるのか?若い女性がおっさんをキモく思うのは女装に限らない。思春期になれば自分の下着を父親の下着と別けて洗い、父親を汚物の様に扱う。女性は思春期になるとおっさんを強烈に拒否する様になっていく。この心理は一体なんだろうか?この心理と女装のおっさんをキモく感じる心理は同質では無いだろうか?
実は、この思春期に中年男性をキモく感じる女性心理こそが、将来に渡って女性を(中年男性中心の)社会から隔離し、女性の社会進出を妨げ、女性差別を生んでいる呪いの原因では無いだろうか?
眠くなったのでまとめるが、根拠は無いが、この日本特有の心理が女性を呪い、日本女性の社会進出が進まない根本原因だ。
当たり前の事だが、男性側にも女性を劣っているとして差別する意識は当然ある。しかし、女性が進出が進んだ業界に限れば、例えば小学校教師などは女性が劣っていると意識は少ない。実際は女性の能力は劣っていない、もしくは優秀なので女性進出が進めば偏見は改善される。しかし実態として限られた業界でしか女性進出は進まない。政治家など制度上は差別が無くても女性自身が選びたがらない業界が多い。呪いが原因だ。
解決するには思春期になっても娘は父親と一緒にお風呂に入り、中年男性でも女性と何ら変わる事のない1人の人間である事を学ぶ必要があると思う。明日から頑張ろう。
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)の連投行為、無断転載行為に関して、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである私が考察していく。
も併せて閲覧願いたい。
「複垢連投オヤジ」に関するいきさつや、複垢連投オヤジが投稿したコトやコメントでの滅茶苦茶な理論や言い分については上記で言及、解説している。
複垢連投オヤジ以外にも以前から連投行為をはたらくユーザーは居て問題視されていたことはしばしばあったが、その人達の共通点は、人に共感することよりも自分の記事(コト)を投稿することが主体となっていることである。本来のコトノハへの関わり方は投稿ではなく様々なコトへの回答や共感が基本であり、投稿は既出のコトに無い話題に関して語りたい場合に行うというのが基本であるが、それがわからない人には中々難しいことである。しかし、それを守るために「30コトに回答するまでは投稿できない」、「自分のコトへの回答数が十分でないならば新しいコトを投稿できない (詳細な基準は非公表)」といった仕様になっているが、それに抵触してエラーが出ても何も感じないのだろうか?
ここで、不定期に誰かが投稿するコトとして、「Postは1人1日1回までにしましょう」というものがある。これは、連投や多数の投稿を行うユーザーに関してコトノハの趣旨を再認識してもらうためのものであるが、そのようなユーザーには中々聞き入れてもらえないようである。
そもそも連投を行うユーザーの目的は、投稿することが目的になっている、誰よりも早く投稿しなければ気が済まないなどであるように思える。
複垢連投オヤジの最近の連投は、上記の他の連投を行うユーザーと同じ理由も勿論考えられるが、他のユーザーの投稿を下に下げる目的があると捉えられる。特に、自分(複垢連投オヤジ)にとって不快、不利益な内容のコトが投稿された時、それに対する反論コトや羅列の連投コトが大量に投稿されることが多いからである。複垢連投オヤジにとって連投ネタは何でもよいようである。
複垢連投オヤジは、以前は他人のコトに回答していたことがあったが、最近はほとんど回答していない。他人のコトやトピックに関して言及したい場合は、自ら同一か類似のコトの投稿を行っている。現在は検索(Search)機能が機能していないため行えないが、本来コトノハはコトを投稿する前に類似のコトがないか検索して重複確認することがルールとなっている。勿論、確認出来ず重複するのは仕方なく誰でもあることだが、態と重複させるのは明らかなルール、マナー違反である。
SNSを利用していて、ここまで他人に関心が無く共感力に欠けるユーザーは珍しいと思う。寧ろ、何のためにSNSを利用しているのかと不思議に思う。
複垢連投オヤジによる無断転載行為が行われるようになって以来、多くの方から頂くアドバイスであり、クローズにすれば無断転載が起こることは一切考えられない。特に、私と同年代の若者の場合、クローズにして内輪(親しい仲間内)での交流を主としている人も多い。しかし、私の活動スタイルからして、本名での活動を基本とし、クローズにしたくないというのが本音であり、その理由としてボランティアや一人旅等の諸活動が言える。
ボランティアや一人旅、またスポーツや音楽、起業等も含めた個人での諸活動を主としている人の多くはSNSはオープンで活動しており、活動をきっかけに興味がある人と友達関係を結び、活動や交流の輪を広げていくことが多い。オープンをすることで探しやすく、また近い活動をしている人とも繋がりやすいのは大きなメリットである。特に、友達承認申請やフォローする場合も、投稿内容が分かることで安心できる。私もこのメリットが大きく、オープンでの活動を基本としており、本名や学歴等もその理由により記載してきた。
このオープンかクローズかはリアルでの活動も大きく関連していると思う。クローズの人たちは基本的に内輪を好む人が多い。私は中堅の大きな大学であるため、ボランティアや委員会でも私の大学のメンバーは多かったが、活動先では他大学、他団体のメンバーも多く居たのに呆れることに同じ大学のメンバー同士でしか交流していない人が多かった。他大学からは「〇〇大学仲良いね」と言われていたが半分は嫌味に聞こえていた。しかし、私は真逆で今も昔も主に他のメンバーとの交流が多かった。ボランティアは同じ大学でも一度切りのメンバーが多かったが、他団体と交流することの方が貴重な機会であることは間違いない。
今まで本名で活動してきて不都合な点は全く無く、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)に晒されたり、外部機関へ通報されたり等の経験は無い。要するに、そのままで問題無かったのだ。しかしながら、複垢連投オヤジが登場するようになって初めて晒し等の迷惑行為を受けるようになった。私は不謹慎な投稿や一方的な誹謗中傷、暴言等の迷惑行為や、犯罪自慢(所謂「バカッター」行為)や犯行予告等の違法行為をした覚えは一切ない。複垢連投オヤジの私怨での一方的な嫌がらせ目的である。それにより初めて対策せざるを得なくなった。
は100%複垢連投オヤジ、只一人のせい(為に行っている対策)である。
~作成中~
平均寿命をとっくに越してるのに、死因が老衰でないのに血というか家系を感じる。
父は「もう苦しまずにすむから良かったね」って言ってた。父がそう言うんだからそうなんだろう。
さっき亡くなったじいさんは母方なんだけど、我が家の祖父母の中で一番乗りになった。
父方母方の祖父母計4人は皆揃って平均寿命をとっくに越していて、そして何故か揃って調子が悪い。皆入院中だ。
人生ってプラスとマイナス、凹と凸がなんだか噛み合うようになっているなぁとなんだか思う。
私は今ニートみたいなものである。仕事で体と心を壊して休職中と言えば耳障りはいいが、家で寝て起きてスマホしかできないどうしようもない人間もどきだ。
どうしようもないのは兄弟も同じだ。
兄は一番早く産まれてきて、期待もお金もたくさんかけられた。でも全部上手くいかなかった。兄は全てを放棄して飛行機の距離へと逃げた。自分はめんどくさい親と兄の橋渡しをし、関係は一人暮らしと実家程度の距離感くらいになった。兄は自分が見てる限りはほぼ無職であった。今何してるか知らないが、いとこ→おばさん経由でFBでハッチャケてるのを知るのはマジで恥ずかしいのでほどほどにしてほしい。仮想通貨もほどほどにね…
姉は重い統合失調症だ。私が小さい頃からずっと。思春期からずっと統合失調症の人と思春期を統合失調症の家族に潰された人はどっちが辛いだろうか。私にはわからん。わからないが、今現在は姉の方が確実に辛い。姉は今二度目の精神病院に入院中だ。前に警察経由で入院したときは3ヶ月で退院したしそれくらいで普段のレベルに戻るかなと軽く考えていた。半年以上経つ。他の統合失調症の患者さんから苦情が来て個室になった。母も姉の担当医兼自分の担当医も「良くない」と言う。姉の前では私のうつ病はかすむ。姉もどうしようもない。どうもできない。
今実家にいるのは私と両親だけになった。田舎の大きな家は3人には広すぎる。
私はこれからしばらく頑張らなければならない。お通夜とお葬式に出ること、両親のフォロー、家事等々。普通の人より頑張らないと私はできないから、頑張るよ。
家にいない兄と姉の代わりにずっと家にいる私に役目が出来た。仕事で一人暮らししてた時には出来ない、今の私に出来ること。それがじいさんが亡くなったことによってもたらされた。不謹慎だけど、自己中だけど、ありがとうおじいちゃん。頑張らせてくれてありがとう。
生きててももう無理なんだけど死のうったって方法もなかなかあれだしどうやったって死ぬときにまた迷惑かかるじゃない?
めちゃめちゃ不謹慎だから言えないけど発覚した時にはすでに手遅れの病で通院した日にその場で入院からの夜半にベッドで意識混濁してそのまま死ぬとかが無難によくて、
それ以外だと銀行強盗に撃たれるとか道路に飛び出しちゃった子供とかかばって死にてえんだよな。なんか死んでも仕方ないねって許される気がする。
可能なら身元不明のままあるいは死体も発見されないけど誰も気づかず、自分という存在が親戚含む世間からも綺麗にフェードアウトしていく感じがいい。あの子ぜんぜん連絡してこないのよ、いい加減な奴だからなあ、そしてそのまま、忘れ去られていく
痛みはないほうがいい
かっこいいバイクに乗って、旅に出て、旅行記に反応してくれる人がたくさんいた若者が自殺した。美味しいものを食べ、自然に触れ、文化に触れ、北海道を味わい、入水した。
いい感じの旅をして、家に帰らなかったのだ。
なんてドラマチックな話だろう。ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアだ。なんとなく、憧れる。
憧れる自殺とそうではない自殺があると思う。榎本喜八みたいに病んで死ぬのは嫌だけど、どことなく晴れやかな自殺には憧れる。雲間から少しだけ日が差し込む絵のような自殺。
不謹慎な言い方だけど、今回の一件は他人を惹きつける死だったと思う。楽しんだあとで死ぬ。華厳の滝に飛び込み、多くのフォロワーに自らの足跡を踏ませた若き詩人とは一味違う。自殺そのものが魅力的なのだ。
放置された彼のバイクはエンジンがかかりっぱなしだったという。なぜだろう?理由を考えれば考えるほど味が出てくる。伊丹十三の謎の死みたいな脂っこい味じゃなく、単純に美味しい。
こういう自殺ははっきり言って迷惑だ。俺みたいに魅力を感じる人は少なくないと思う。別に自殺したいわけじゃない。ただ魅力的で、「いいなあ」と思ってしまう。
弱りきった桂歌丸は、見舞いにやってきた山田くんに力を振り絞って「山田くん、ありがとう!」と言った。こういう死も良い。魅力的な死に方にはとても憧れる。死ぬには良い日だ、と思いたいものだ。