はてなキーワード: バイアスとは
世の中にはルールを破ってるのに罰も受けずに得している人が沢山いて、だからルールを守るやつは「正直者は馬鹿をみる」の馬鹿。
悪い事するやつはよく「みんなやってる事だ」っていうじゃない?
タグに「ブコメ見た感想」と付けたのですが、それを見逃されたのかと思います。ブコメを見た感想であって増田さんに意味を分かってもらう意図ではないので、分からなくても別にいいですよ。
ただ、「意味が分からない」と考える理由が、ちょっと論拠が薄弱というか無意識の偏見が透けて見えるけどなぁ、と思っているので書きに来ました。
あと、単純な文章の読み違いをされてると思うので、以下、ご確認いただき、訂正してほしいです。
痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙や飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。
文字制限もあったし主旨とは余り関係がないので省いたのですが、私が喫煙者を蛇蝎のごとく嫌っているわけではありません。逆に「インターネッツ」の酒たばこへの過剰な嫌悪感に引いてるぐらいです。過去のブコメを遡ってもらうとブコメってるかもです。個人的には臭い…と思う時もあるけどそれは私が避ければいいだけですし、例えばとても気持ちよくお酒を飲んでいる時に同席している人がゆっくり吸っているたばこの香りは、何だか良い感じだよねとすら思っています。それは凄く関係のない話ですが。
それよりも、「インターネットでは蛇蝎のごとくに嫌われがちな喫煙は、本来なら違法ではないのになぜ…」と思っています。違法でも何でもないたばこを、「インターネット世論(雑な括りですが)」的なものは蛇蝎のごとく嫌う傾向があります。一方で、文句なしに「性犯罪」である痴漢は、なぜか、被害者の言説を「おおげさだ」とか「そんな言い方をされたら痴漢扱いされたのかと思って傷ついたからお前たちの見方はしたくない」とかの留保が付きがちなのは何故だろうと考えています。別の記事にブコメったんですが、他の犯罪と比較しても、この手の留保が付く数は断トツに多いのではと思います。空き巣とか強盗とかに同じ反応する人は多くはないと思いますし、言うたら割とどんびきされると思います。
既に明確に犯罪者である痴漢をさら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も
これ以上どのように?と増田さんは思っておられますが、そもそも私は、増田の「既に明確に犯罪者である痴漢」というコンセンサス自体が、本当は、社会において形成されてないでしょ、と主張をしています。
前段を繰り返しますが、たばこや酒への(特にインターネット言説における)嫌われぶりと比べるとおもしろいと気付くかと思ったんでたばこを例に出したんですよね。更に繰り返しますが、同じこと、他の犯罪では一般的にはまぁ言われないと思うんですよ。空き巣や強盗に「冤罪」をいの一番に叫ぶケースは、あまり多くは見かけませんよ。実際には冤罪はいろんな犯罪で起こっているのに。このあたりから、「痴漢は明確に犯罪」は、まだ社会的コンセンサスが足りない状態だと考えています。もちろん、当然ですが痴漢への風当たりが無いとは一言も申しておりません。「もっともっと足りない」という主張です。勝手に読み替えちゃいや。
バイアスがあるとつい勝手に読み替えやすくなるよね、私も良くやるんですよ。お互い気を付けましょう。
あえて乱暴で雑な言葉で言いますが、「明確に犯罪である痴漢」が絶対的コンセンサスだったら、「助けなかったらお前も痴漢」なんて乱暴なこと言う人も出てこないんじゃないかと思うし、逆に「俺はやってないし助けられることがあれば助けたい、でも気づかないし知らなかったし、できないこともあるんだよな、ちくしょう、痴漢は性犯罪!クソ!」とかも、すごく言いやすいと思うんですよ。実際そう(女より先に痴漢が悪いだろ)言っている人も現段階でもたくさんいます。
でも、そうじゃなくて、俺をまるで痴漢扱いしやがってと「被害者」に矛先を向ける人もいる。発端の小島慶子の言葉は乱暴で雑でとっ散らかっていて、まぁいい気持ちはしないのはもちろんわかります。
でも、そこで「痴漢扱いするな」「助けなかったから犯人かよ」とケンカする意味の無さは「女の憎悪は何も解決しない」という増田さんの主張と、ちょうど同じ意味の無さですよ。
なのに、増田さんは「攻撃的な発言をする女性」と名指しています。なぜなんでしょう。
増田さんがもし、本当に論理的でフェアに思考をしていれば、両方に共に問題の責任を帰するべきです。でも増田さんも「そういう女」だけを責めている。セカンドレイプの構造と似ています。
なぜ、両方を責めないんでしょう。
オバハンが若い頃は、「酒席の無礼講」という名目のかなりの狼藉が「社会的に許容される空気」がありました。たばこもしかり。昔はちっちゃい孫を抱いたじいさんがすぱすぱタバコを吸っていたんですよ。でも、酒もたばこも、配慮や節度がない場合は顰蹙を買う、という「社会的コンセンサスの変化」によって、我慢できる人が増えたんです。何十年単位の時間はかかったかとは思いますが、「社会の空気の変化」によって、黙って迷惑に耐えていた人が、その被害を受ける機会が減少しました。痴漢という性犯罪に対しても、まだまだ全然やれることが足りてないですよ。
犯罪じゃない酒やたばこですら社会の受容度が変わったのだから、「痴漢は性犯罪だから無条件で軽蔑する」という人がマジョリティになれば抑止になるでしょうし、満員電車への対応策も本気で取り組んでくれるかもしれない、助けるの難しいと感じている人の罪悪感も、「うるさい女」ではなく素直に犯罪者に向きやすくなるのではと期待するし、そうなれば「男なんてみんな似たようなもんだ」的な諦念を抱える人も減るのではと期待します。繰り返しますが私はたばこは合法なので迷惑かけなければ何の問題もないと思っていますが、痴漢は明確に性犯罪です。
あなたのシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。
私はシラフでもあまり理性的ではない、残念な自負があります。あのブコメで理性を感じる方がむしろ誤読がすぎるでしょ、持ち上げてるふりしてるのかもしれませんけどそれなら下手すぎる笑
更に言えば、このようなセカンドレイプに近い「偽の論理」や、トーンポリシングめいた批判は、批判仕返すべきだと考えていますのでぜんぜん萌芽じゃないですよ。
繰り返しますが、何故同じ「無意味な攻撃心」を向ける「攻撃的な男」たちのことも、併せて主語にしなかったんでしょうか。いやー甘やかしてんな―と思います。「そんなこと言われたら俺ちゃん拗ねちゃうぞ」に付き合う気は私にはありません。セカンドレイプ臭がする上に、片方だけに付き合うことは、より「セカンドレイプ的な構造」になりやすいからです。いじめ被害者に「お前にもいじめられる理由があるんじゃ」というのに似て。
更に言えば、自分は理性的だ、人よりかなり頭がいいとかと自負してる人ほど、まぁ、まず、理性的で論理的であった試しがねえよな、とも思っています。
馬鹿じゃない人ほど、そこそこ論理を積み上げられる人ほど、自分の理性に酔った状態になるのかもしれません。馬鹿じゃない分たちが悪いというか、その自慢の理性をもって積み上げた論理の間に、だれもが持っている「非・理性」がもたらす偏見や思い込みがあることに気づきにくいことが多いんですよ、もちろん自戒を込めてです。だから私は敢えてエモーショナルな面を捨てないようにしてるところもあったりします。
私が増田さんや、増田さんに同意する人たちに「無意識のバイアス」があるんじゃ、と感じたのは、私にも「元被害者だった私」というバイアスがあるからです。逆の傾きから見てるからギャップがより大きく見える。被害者としては「なんで犯罪者そっちのけで被害側に文句言ってんの?そういう意見がコンセンサス形成を妨げると思うよ」と思います。
あちらとこちらには違うバイアスがあって接地面をフラットに接続するのはとても難しいことです。でも本当にフラットに接続したいんであれば、両方からその穴を埋める努力をすべきだと思うんですよ。なのに、増田さんは「攻撃的な女」をタイトルに据えた。なぜなんでしょう。
私は偏っていますが、増田さんや増田さん的な意見をおっしゃってる人は、ご自分もまた偏りがあることを自覚してないように感じます。私はそういう「お前どの場所からそれ言ってんの?」な状態の方が、私の攻撃性よりも自覚がなさそうなぶん余計に怖えよ、とゲラゲラ笑いながら思っています。シンプルに「女うるっせえ」と怒ってる人の方がまだギャップをお互いに埋める努力ができたりするよ、そういう人は自分が乱暴な場所にいる自覚があるから話が早い。
貴方はひょっとして、自分が理性をもって論理的に冷静にフェアにフラットにこの文章を書いたとか、思っていたりしませんよね?
最後になりますが、今は立派な攻撃的なオバハンなので、痴漢の被害にあうことは数年に1度ぐらいに激減しましたが、憎悪というか怒りは当然ありますよ、当たり前でしょう?あとセカンドレイプにも強い怒りを持っています。犯罪への怒りやセカンドレイプが「叩けるという快楽」だと思ってるんでしょうか。はは、呑気だね~~。
しかしその特定痴漢に対して仕返しをし損ねたのでその後もずっと恨みをため込んでいる。
その恨みをより広い相手にぶつけて受け止めてほしがる。
しかし主語デカ発言でお気持ちを受け止めさせようとする人に対し、人間はあまり優しくない。
そしてそういう精神構造には際限がないということを多くの人が人生のどこかで自覚しているから。
新卒で入った会社で職場全体のストレス源になっている物凄いモンスターお局様と遭遇し、意味不明ないじめを受け、
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」という一般論をネットに何度も書くようになった。
私はせめて当該お局様のみを憎むべきであったのに、
社長のコネで引き取られていてアンタッチャブルなそのお局様に誰も対処できなかったフラストレーションから
「高齢独身で働いている女性」という風に対象レンジを拡大し、無関係な人達に八つ当たりをすることで留飲を下げていたのだ。
小島慶子さんにしても、
大元は何かまっとうに憎むべき相手と理由(体験)があったのだと信じる。
けれども対象拡大主語デカ発言とそれをしてしまう自分の精神構造とを検討して戒めることがなかったために、
八つ当たりで広範囲に嫌な思いさせることを狙うのがすっかり癖になってしまっているように見える。
自分の身にたまたま起きたことを一気に社会問題にまで拡大してくれるから。
そして同じ精神構造の同じ性格の人間が同じ理由ですでに集まっている。
そうして、仲間と一緒に主語をデカくしながら特定属性に範囲攻撃をし始めることになる。
自分の恨みや無念を無関係な人にも横暴にぶつけていける攻撃の実感と権力感で快楽が発生する。
このような時、社会思想の仲間というのは実はただの八つ当たりを好む性格同士の仲間だ。
個々の体験を共有するために乱暴な抽象化を行い、主語のデカい属性への攻撃で合意する。
何かの問題解決ではなく、本来の恨みへ復讐することですらなく、もはや八つ当たりの快楽自体を追い求めている。
男一般を凄く憎んでる女の集団がフェミニズムとかリベラルとか言われていても
でもどちらも「個人の恨みを八つ当たりにまで拡大してしまうことを自分に許してしまう性格」という同じタイプの人の集団で、
これについては保守とかリベラルとかはあまり関係がないと思う。
こういう主語デカ八つ当たりが好きな人というのは明らかにいて、そういう発言を多くしたりいいねや☆を付けたりしている。
野蛮な時代だとこの種の性格の人は「女は劣等」とか「朝鮮人は劣等」という”社会思想”に多く隠れていたんだけど
それは差別だとわかりやすいため不当さを批判されるようになり気分よくなれなくなってきたため、
今では「男は害悪」とか「日本人は劣等」という”社会思想”にも潜むようになっている。
これはその人達の性格の問題であって、本来の社会思想の問題ではない。
どのような思想であっても、主語デカ八つ当たりの快楽を求める性格の人が入り込む。
これ自体は社会の問題でも思想の問題でもなく、個人の性格の問題なので、
そう言う性格の人が自分で自分の精神構造に気付き、性格を戒めてやめていかなければいけないのだ。
本来の社会思想の人か、八つ当たり快楽追及者かの見分け方として、
人を助ける活動を地道にやることに重点を置いている人は前者の可能性が高まる。
右翼であっても私財を投じて日本人の子弟を扶けようとか援助しようという人間は立派な性格だし、
左翼であっても自分の頭と体で貧困者の面倒を見て汗を掻いている人間は立派な性格だし、
一方で「敵対陣営に嫌な思いをさせること」ばかり楽しそうに追及している人は右翼であれ左翼であれ尊敬しにくい。
痴漢については満員電車を減らすことと監視カメラを増やすことぐらいしか現実的対策がないと思う。
せめて小池百合子知事を憎む…のではなく強く働き掛けを行うことで実現に向かっていくことが建設的態度ではないかと思う。
このような現実ベースの話で異論討論が起きているのをあまり見たことがない。
しかし気持ちについては個々人が自分で解決していくしかないものだ。
自分の無念とか、それを他人に八つ当たりして受け止めさせたいという欲望とか、
自分自身一時的にスカッとしても、結局憎悪が膨れ上がるし、他人の分の憎悪まで勝手に持ってくるようになるし、
そうして自分が何年も何十年も憎悪と共に過ごすことになるだけだ。
自分のそういう性格を思想のように取り繕ったりしてはいけないし、誰かや社会のせいにしてもいけない。
それは自分の心のハンドルを自分で握らず、程度の悪い何かに預けてしまう行為に他ならない。
pikopikopan 攻撃を楽しむ人間になってはいけないには同意する。ただ一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にする訳にはいかない。
「一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にして済ませよう」
なんて話はどこにもしてないつもりですが・・・。
私は社会思想自体は否定していないということも繰り返し断っていると思います。
負の連鎖を防ぐ側ではなく生み出す側なので区別することが必要だし
当人にもろくなことはないため自分で戒めてその性格から脱却した方がいい
という話をしました。
kincity 性的イシューで「本来なんの関係もない無辜の男性」が「痴漢やクソリプしてくる奴」相手の注意指摘の文言に非常にヒステリックに噛み付いてくる心理について当人たちが認識・分析すべきでは?何故黙ってられない?
個別の事例次第ですが
痴漢について男性全体を巻き込んで非難したり責任を分担させようとしたりする発言については、八つ当たりが含まれており反発があるのは仕方ないと思いますし、それについては八つ当たり発言者が「始めた人」だと思います。
ただしそのような八つ当たり要素が無い発言に対してもクソリプはゼロにならないことは確かです。
dogear1988 増田がそうだった様に、人が傷を癒すにはそうした言動をする期間が大なり小なり必要なのだが、ネットではそれに対する批判が集まる過程で寧ろ反発心を強め、誰も幸せにならない悪循環。難しいね。
個人的には、ネットで情緒的に人とつるむこと自体をやめた方がいいと思っています。
twitterやはてなブックマークなどでは八つ当たり仲間を見つけるのは簡単すぎます。
ああいうアクションは社会を良くしないし、自分の心も良くしないし、
なのに社会思想風看板やのなんらかの大義名分がくっつくと何か立派なことをしてる気持ちにまでなるんです。
skgctom 何で「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」を「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」と言い換えたのだろう。「酷い目に遭った私」はどこへ行ったの?
えーと
だからまさにそれについての話だったんですが
「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」
「ある高齢独身女性に嫌な目に遭わされたので、別の無関係な高齢独身女性を見ても条件付けで嫌な気持ちが起きる」
という事実と自分の心の動きを高度に客観視して把握してますよね。
そういう人なら無暗に無関係な人を攻撃したり八つ当たりしたりしないわけです。
自分の心が無関係な高齢独身女性に嫌悪感を持つのは自分の心の問題であり、対象のあの人に責任の無いことなのだ
とわかっているんです。
高齢独身女性全般への嫌悪の反応を正当化する方へ向かうんです。
「実際結婚もしてない人ってみんな最後はヒステリーお局になるんだよ、嫌われて当然。きもい。迷惑だよねー」とか。
自分の中の恨みとか不快感とか攻撃欲を正当化するために、八つ当たりを肯定するために、
というかskgctomさんは
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」が
不適切な八つ当たりの例であるということは理解してくれているでしょうか?
grdgs 「お前ら攻撃的。お前ら口が悪い」と常々言っている人たちが得てして普通に攻撃的で口が悪かったりするので、そのような鏡がない人たちにも伝わるといいですね。
あなたは日本人に対する差別的発言を(わりと許される空気もあったため)繰り返していたところ
風向きが変わって非難を浴び面目を失った人だと理解しています。
日本人全体を憎悪して差別的呼称を繰り返すというのはやはり主語デカ八つ当たり病だったというほかないと思うし、
そのうえで…
1.「差別発言」を咎められたのを「言い方の乱暴さ」を咎められたというようにすり替える意図であれば感心できません。
2.仮にあなたと同レベルの差別的発言をあなたの”敵”がやっているとしても、それはあなたを正当化しません。
(これはこの文の主旨の主語デカと別の話なので本当に蛇足ですね。)
建設的な日本批判日本人批判をしてくれればちゃんと読みたいと思います。
differential どう対策しても痴漢をゼロにできるとは思わないが、過去と現在の喫煙や飲酒への風当たりの変化を知るオバハンは、痴漢もっともっと風当たり強くなって良くね?とは思う。喫煙者より無条件に嫌われるべきと思う笑 ブコメ見た感想 知らんけど 無自覚バイアス
痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙や飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。
また「喫煙者が無条件に嫌われるべき」というのも危ういものを感じます。
私は喫煙者の健康被害の観点から煙草は社会からなくなる方が良いと思っていますが
問題解決ではなくあなたが何かを憎悪して快楽を得たいだけに見えるので与したくありません。
既に明確に犯罪者である痴漢をさら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も
あなたのシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。
職場で自分と揉めるのは、禿げてる人ばかりなことに気付いた。殆どの禿とは何かしら揉めており、髪がある人とは揉めていないことのほうが多い。(ゼロではない)
禿は少数派でトラブル時の印象が強いだけかも知れんが割合でいったら圧倒的に高い。
禿げで外ヅラを気にしなくなっている分素の自分を出して(大抵横柄な態度でカチンとくる)になっているのか、
はたまた
こっちは禿げていないので見下されていると感じているのか、(この禿が!とは思っていないが)
もう自分が悪いのかどこに原因があるかどうしたらいいか分からない、とにかく外観から判断をするのがトラブル回避方法。バイアスかも知れんが。
こういうのって結局避けるしか、ないのかな。
自分も差別に対する反発は人並みにあるので、基本的なスタンスは反差別のつもりだし、「黒人の命は大切だ」という主張自体には賛同できる。
賛同はできるけど、個人的にBLMの運動に関しては賛同よりも困惑の気持ちが強い。BLMの運動が誰に対して何を要求していて、何を達成すればゴールとしているのかがよくわからないからだ。
「Black Lives Matter」は優れた標語だけど、政治的な要求として見た場合、あまりにも抽象的すぎると思う。
「Black Lives Matter」というワードが持て囃されて、有名企業や著名人が賛同を表明するメッセージをSNSに投稿している光景は、幅広い連帯を感じられて感動的ではあるけど、実務的な問題を無視していて、無責任で浮ついた雰囲気を感じてしまう。
もちろん最終目標は黒人差別・人種差別の根絶ということになるんだろうけど、いきなり一発でそれを完全に解決するというのはどう考えても無理なわけで、当面のゴールとして今回はここを目指しましょう、具体的にこれを要求しましょう、みたいな現実的な目標設定が必要なんじゃないか。
かつての公民権運動では、白人専用とされる施設や場所で起きた事件を争点として、そこに対する座り込みなどの手法で段階的に運動が行われていって、最終的に合衆国全体における人種隔離法の廃止と公民権法の制定が焦点になって、それを達成したという流れだったと記憶している。
一方で今回の運動では、(日本国内にまでその手の話が流れてきていないだけかもしれないけど、)反差別意識の共有と連帯を掲げる宣言や、そこから逸脱した人物や企業などへの非難などが個別に行われているばかりな印象が強く、運動の具体的な争点やゴールの話はほとんど聞かれない。
社会運動が成功裏に終息するためには、法の改正・制定とか、何らかの計画の実施・廃止とか、そういう具体的な目標を決めた上で、そこを目指して声を上げることで政治家を動かして、最終的に明確な成果を獲得する、というような流れが必要だと思うんだけど、現状のBLMはそういう部分がハッキリしないまま、運動の規模だけがどんどん大きくなっている。
このままだと、政府や政治家や警察の側も、運動に参加している人々を納得させるために何をどうすれば良いか、と言った方針が立てられないので、交渉や妥協を行う余地がなくなってしまって、出口の見えない混乱が悪化する一方に思える。
また、運動としての方針やゴールが見えないままにBLMが広まっていくことの別の弊害として、「BLM」の指す範囲を明確に定義できなくなってしまっていることもあると思う。
その範囲の中には、店舗の略奪や放火を行うような連中や、かなり極端な反政府主義者、あるいは別種の差別主義者などが含まれている。
現状で明確な方針が無い以上、「BLMの方針はこれと定まっているので、そこからかけ離れた言動をしている(過激な)人間はBLMとは無関係である」というような振り分けをすることは難しい。
結果として現状では一部の層がBLM運動の中で悪目立ちしていて、中立的・穏健的な立場から見たBLMへのイメージには悪影響をもたらしているし、一部反BLM的な主張のタネにもなっている。
こういった層が、せっかく強まっている運動の勢いを殺す原因となるようなことをそのうちやらかしてしまう可能性は高いんじゃないか。
とはいえ、BLM運動自体、明確に組織化されているわけでも、誰か特定のリーダーが存在するわけでもないようだから、全体としての方針を定めるとか政治家に働きかけるとか、そういう動きを取ること自体がそもそも難しそうな印象はある。
インターネットやSNSの普及で個人の発言力や影響力が大きくなったことは、この手の問題の認知が早まり、運動の規模を大きくなりやすくした反面、運動そのものを率いるような強いリーダーが存在しづらくなって、統率が取れず無秩序な集団にしてしまう側面があるように思える。
あるいは、SNSの普及以前にはリーダーとなりうるような人物が先に存在していなければそもそも大規模な運動にまで発展できなかったという生存バイアスみたいな話なのかもしれないが。
何にせよ、現在のBLM運動はゴールの不明確さによって不安定で好ましくない状態になってしまっているように感じる。
「今現在人種差別が存在していて、それは解決する必要のある問題である」ということは間違いない事実ではあるわけだから、どうにか妥当なゴールを見つけて前進できればいいなとは思うけど、まあ結局日本在住の一般人に何かできるというものではないんだよな。
アンサーありがとう! すごく興味深いやり取りをさせてもらって嬉しい。でもたぶん、既にエクスキューズをしてくれているように、半分くらいは読解に関することかも。そして私の書き方も、示したいポイントからちょっとずれてた気がします。補足させてください。
アンサー内でも触れてくれているように、「ある特定の主催者がいる」というところはまあそこそこよく見る、普通の話だと思うんですよ。そして、同人文字書き男氏としては、それを踏まえて、「でも、元増田がその主催者を『ボス』だの『取り仕切ってる』だのって表現するの、権力のにおいがヤバくない? あるいは実際にそう表現されちゃう権力関係があるならますますヤバくない?」みたいなことを問題視してるのだと読み取りました。
私もこの点は完全に同意です。権力感ありありの表現は不思議に感じるし、実際に権力構造があればそれはおかしい。アンソロまで激しく干渉されるとしたら超怖いですね。近づかんとこ、ってなります。
ただ、そもそもの話として、私としては、元増田の文章から「ボス」が周囲からちやほやされてる・強権を振るってるような権力構造を読み取ってなかったんですよね。むしろ、
などで、全然ちやほやされてないっぽいな、主導権をずっと握ってるわけでもないんだなという印象でした。だから、同人文字書き男氏のアンサー内の最後の選択肢、「そいつの関知しないアンソロが編めないようになってんの?」については、明確に元増田の記述とは異なる状況ですよね。元増田のいう「ボス」は参加してなかったらしいわけだから。逆に、「アンソロに参加しないこともあるぐらいの人を『ボス』って表現するの、ずいぶん偏ってない?」という点に注目してます。
以上のように、たぶん私と同人文字書き男氏では、受け取った印象がそもそも結構違うんだと思います。「ボス」「取り仕切る」という言葉のイメージをどれくらい重要視したか、という差なのかもしれません。たとえば、もともとの元増田の表現が「みんなが『ボス』だと持ち上げてる人がいる」的な権力構造に関する言及だったら、「お前の界隈おかしいよ」には全力で同意しますよ。
そんなやついねえよ。
って書き出しに私が引っ張られてしまったのもあると思います。いやいや、そういう立場の人間自体はいたよ、みたいな。なので、私が出した情報は「とりまとめ的な立場によくいる人が実在したケースを知っている。そのケースでは私が『ボスだ』と思うような権力構造はなかったけど」という内容になったわけです。
まとめると、「お前の『界隈』おかしいよ」にちょっと疑問符をつけたかった、というところでしょうかね。
界隈の構造がそもそもおかしいのか? 元増田の感じ方にややバイアスがあるのか?
であれば、私はさしあたり後者に一票なので。
これでちゃんと返答になってるといいんですけど。
『宇崎ちゃん騒動から続く、巨乳バッシングについて思う事』っていう note の記事って
(https://note.com/humuuuueh/n/ne9660012a363)
ローソンの新パッケージを「デザインの敗北」って批判したら、なぜか絵を描いたイラストレーターが怒り出して、
「傷付いた。あんな批判をするなんて酷い」と言い出すいうような展開だ。
仮に、モデルやキャラ、大まかな方向性が事前に指定されていたとしても、無限の表現の可能性があるし、
そういう制約をどう料理するかがデザイナー、ディレクター、プロデューサーの腕の見せ所なんだが、
そこら辺って自分で何か作ったりしない人はわかりづらいところなのかな?
「無意識のバイアスの現れ(目が慣れちゃって普通だと思ってた)」か
「実は、男性のクリックを狙ってわざとやった(がバランス間違えた)」か
のどれかでしょ。
【追記】
この件は私の中で2つ仮説がある。
その1(隠れた「条件付き確率」)が説明しやすいけど、個人的にはその2(隠れた「発言者バイアス」)の方だと思っている。
∈仮説その1∋
普通、雨が降ってる日には洗車しない。
そして、晴れた次の日に雨が降る確率は、雨が降った次の日に雨が降る確率より大きいと思われる。
そうすると、洗車した日(=晴れた日)の次の日に雨が降る確率は、通常の雨が降る確率より大きいことになる。
これが『洗車したときに限って雨が降る』印象を与えているのだと思われる。
∈仮説その2∋
『洗車したときに限って雨が降る』の『洗車したとき』は定義が決まっていない。
人によっては、洗車した1週間後に雨が降った場合でも『洗車したときに限って雨が降る』と感じてしまうだろう。
そして、『洗車したときに限って雨が降る』なんて言葉を言う人は、洗車する行為にある程度思い入れがあるはずである(無ければ、そんな一般化したようなことは言わないだろう)。
思い入れがあるのならば、洗車したことに対する記憶も長く保たれるはずである。
つまり、『洗車したときに限って雨が降る』での『洗車したとき』も長めに感じるはずである。
このように、『洗車したときに限って雨が降る』と発言する人は、『洗車したとき』で想定する期間を無意識のうちに広めにとってしまうことが、『洗車したときに限って雨が降る』印象を与えているのだと思われる。