はてなキーワード: ネタ探しとは
どうすればいいですか?
増田やツイッターでヘイトをクリエイトします。マナー講師のフリをしたり、極端な思想の持ち主のフリをしたりです。付け火と同じようなものなのだと思います。でも燃え上がっている様子を見てもそれは燃え始めたものは周りのものを燃やし続けるという現象が起きているだけなのだと思うと途端に虚しくなります。最初にライターレベルの火を付けたのが自分であるということが、広がる巨大な火の手の創造主であることには全く繋がらないことに気づいてしまえる程度の知性はあるからです。火遊びをして楽しむには大人になりすぎたようです。
既存の映像を切り貼りして新しいものを作った感を出そうとしましたが、虚しいだけでした。結局既にこの世界にある面白いものを拝借しているだけです。センスの有る人がやれば全く違うのかも知れません。写真にたとえれば自分のやっているのは単に映える商品を正面から撮っているだけで凄いのは被写体でしかないような感じでしょうか?伸びるものは元が面白かったものばかり。虚無しかありませんでした。
画期的な絵文字の発明に至らず既存の技術を組み合わせて掲示板にバイト数の極めて小さい絵を用意するだけで終わりました。今はスマホでもガンガン通信できるわけですから画像でいいんですよね。掲示板にお絵かき機能が追加されることも増えてきて居場所は完全に無くなったと思います。
MADと基本は一緒ですね。単にもともと世の中にあったものを拝借しているだけです。作る労力の少なさの割には伸びがちですが、結局自分は何も生み出してないなと感じる次第です。鬼滅の会議の文字コラとか、完全に元の漫画が面白いだけですよ……。あんなの伸びても鬼滅ってやっぱり凄いなしか残りませんよ。単なるコミュニケーションの手段としてはありなのかもですが、それにしたってそのたびにいちいち著作権を侵害するのかって話です。
小説なんて読んだことなくてもエロ小説ぐらいかけらぁ!→無理でした。伸びません。というか明らかに表現の幅がチープなんですよね。たとえば飲み会の話題がループしだすと同じような表現が多用されてそのフレーズだけで退屈してくるじゃないですか。大事なんですよねフランス書院みたいな言い換えの文化。陰茎、陰茎、肉棒、肉棒、ペニス、肉棒、陰茎とかじゃ駄目なんですよ。飽きちゃうんですよエロ小説でも。
語彙力がなくても17文字ならいけらぁ!→もっとダメでした。でも挑戦してからはフリースタイルの人達の凄さが分かりましたね。というかアレ仕込んでますよね常に?でなきゃやらせとか。そうじゃないとあんなにスラスラ表現が出てくるとは思えない。サイファーって結局の所書き溜めたオリカを吐き出しながら戦うカードゲームなんじゃないかなって。
あえて今の時代にブログですよブログ。SNS全盛の時代に逆を行くんです。レビューだったらネタを考える必要もないから楽勝っしょ。→無理に決まってるわけですね。悲しいです。邦キチっていう漫画に出てくる駄目な新人レビュワーみたいになってました。表現がありきたりな癖にクドいんですよね。目の付け所が凄いでしょって態度をしてるけど普通のことしか言えてないんですよ。んでもって必死にネタ探してる感じがキツいんですよね。コマ送りで一瞬だけ映ったパンツの柄とか必死に語ってたりするんですよ読み直すと。そんなもんでクリエイティブを発揮した気になってるんですよ。アホかって話ですよ。
あーーーーーーーーー助けてくれ
「東京2020オリンピック SIDE:A」を観に行きました。個人的には良い体験だったと思うのでシェアをしたいと思います。皆さんも観に行くと良いのではないかと思います。ただ、すごく良いかというと、少しモヤっとするところもあったので、それについてもここに書きたいと思います。
わたし自身について書きますが、映画を劇場に観に行くのは年間5本か6本ぐらいで、平均と比べるとやや多いのかもしれませんが、映画が趣味とかそういう人間ではありません。河瀬直美については、代表作の名前や作風や人となりと噂については知っていますが、実際に作品を見たことはありませんでした。ドキュメンタリーを劇場で観るのは多分初めてです。こんな私がわざわざ好き好んでこの映画を見ようと思ったのは、いろいろなところで書かれている、この映画の評判について興味深いと感じたからです。私は基本的に暇なので、ネタ探しのためにゲテモノ喰いくらいの気持ちでした。
「シン・ゴジラ」の中で、ヘリからの俯瞰の視点でゴジラと白煙を吹く街を、ニュース映像のように描いた場面を観た時、この映画は震災を経た2015年の我々日本人にしか感じることのできない気持ちを「いま」与える映画だと思い、震えるような感動を覚えました。「東京2020オリンピック SIDE:A」はそのような映画だと思います。
オリンピックが始まる1年ほど前から、オリンピックに対する気持ちは冷めきり、オリンピックなんてどうでもいいだろ、とわたしは思っていました。世の中にはオリンピックや競技の勝ち負けよりも大事なことがある。この映画では、そのことが選手自身の口から何度も発せられます。藤井風の唄うエンディングのテーマ曲の歌詞にもそのような意味が込められているように思います。世の中にはオリンピックより大事なことがあり、選手個人にも競技より大事なことがあります。その中でもあえてオリンピックに挑み、それぞれの立場で高みを目指す美しさや厳しさがそれぞれのエピソードによく描かれていると思います。そして、オリンピックをそのような、やや冷ややかな目で見ている、2022年現在の私たちの気持ちに寄り添った映画として私には感じられました。
Yahooのオリンピック期間中のアンケートでは「日本にいくつ金メダルを期待しますか」という質問に対して、もっとも多かった回答は「メダルの数は気にしない」だったと記憶しています。そして、この映画はオリンピックをそのような目で眺める私たちの気持ちをよく代弁しているように思うのは先に書いた通りです。しかし、そう考えた時に、私たちはなぜオリンピックというものを見てしまうのか、なぜそこに感動をなお感じるのか、というところに対する疑問に、作者(河瀬直美)はあまり答えてないように私には思えました。この映画のいくつかのエピソードの中では、目標に向かって努力をし、力を出し切って勝利する瞬間のカタルシスを描いているのですが、そのようなある種古臭いスポーツの良さを正面から肯定はしない姿勢を繰り返し見せられてきたので、わたし自身、「なぜスポーツを私は見るのか。スポーツ観戦で得られる感動とはなんなのか」ということを、映画の後半ずっと考え込んでしまいました。
振り返ると、時代の雰囲気として、国別対抗戦としてのオリンピックで無邪気に騒ぐことができたのはシドニーやアテネぐらいまでで、東京オリンピック前のコロナ禍が仮になかったとしても、私たちのオリンピックの向き合い方は以前と同じではなかったと思います。とはいえ、我々は(或いは少なくともわたしは)オリンピックが好きで、それを見て分かりやすく「感動」するのであり、作者自身にもその目線はあるように思うのですが、その「感動」ってなんなのか、が置いてきぼりなのです。すみません、あまり上手く書けていないのですが、モヤモヤするところ、というのはこういうところです。このモヤモヤ感自体が時代の雰囲気で実は河瀬直美はそこも含めて描きたかったのか、とかそんなこともボンヤリ考えたりもします。
他のところでも書かれていますが、この映画が、IOCの公式として製作され、公開がされているということが驚きではあります。とはいえ、私個人の鑑賞後の感想として、いろいろな価値観を内包しつつも前に進むオリンピックという存在は、以前のようなシンプルに善な存在ではないが、全体として好ましいものだと感じたので、あからさまな問題作とかそういうものでもないと思います。オープニングとエンディングには木下グループのクレジットがかなり大きくでていて、この、やや微妙な位置付けの映画のスポンサーとして彼らの力が大きかったんだろうなあ、と思ったんですが、そうしたサポートを引き出すのに、一部で言われるような河瀬直美のステージ外での政治力みたいなものがあったのかななどという思いを馳せたりしました。
繰り返しになりますが、オリンピックとそれを取り巻く時代の雰囲気をよく反映している興味深い映画なので、もし誰かに行くべきかと聞かれたら観ることをお勧めすると思います。この映画を仮に50年後の人たちが見ても、いま私たちが見るときの独特の想いは得られないと思うので、そういう意味において旬の映画なのではと思います。
映画の意味や位置付けのようなものではなく、映画自体についてあまり書いてないと思いましたので追記をします。
全体を通じて、映画の中での音のあり方が印象的でした。例えば私たちはリアルタイムでは、開会式の聖火点灯をテレビ中継の中での厳かな興奮として見ていたと思うのですが、映画の中では静寂の中で大坂なおみが階段をトコトコと駆け上がる音が強調されていたように思います。このシーンは、無観客開催という非常事態性やメディアを通じたイベントとその向こうにある現実とのギャップの象徴として感じられました。また、緊迫した試合のシーンでは、選手のフッと吐く息の音を際立たせていたり(どうやって録音したんだろうって思いました)、試合中の映像の背後に練習中の音声を重ね合わせたりといった、細かい工夫をしているのも場面を盛り上げるために効果的な役割を果たしていたと思います。
映像としての美しさという点では、冒頭の雪を被った桜の花の光景は、シンプルに美しいと思いました。また、競技会としての東京オリンピックの思い出の映像、という意味でカタルシスに欠けるかというとそういうわけでもなく、たとえばソフトボール決勝に関しては、試合展開がほぼわかる形で比較的素直に描かれていたりもします。上映時間はやや長く感じたのも事実ですが、退屈というわけではありませんでした(鑑賞前は実はかなり退屈なのではないかと覚悟をしていました)。普通に映画やドキュメンタリーを普段から見ている人なら、相応の楽しみ方ができる映画だと思います。しかし、繰り返しになりますが、スポーツをいわゆる感動ポルノ的に消費するような映画ではなく、観終わった後に、ちょうど今の私のように、意味を考え込むようなそういう映画でした。
隔週でローテーションくんでいろんな漫画家起用した方が飽きが来なくて良いと思うんだけど。
もしどうしても連続で掲載したいって漫画家いるのであれば、それは相談してやりとりすればいいと思うんだよね。
毎週毎週死ぬ気で描けとか、そういうレベルまで漫画家を酷使するのもどうかと思うんだよ。
別に1回掲載したらつぎは一ヶ月後とかじゃないんだから、せめて隔週くらいで良いと思うんだけど。
一週休みがあった程度でファンは減らんでしょ。面白い作品ならなおさらだよ。
今もなお続いてるキン肉マンなんかは、休みがちょくちょくあるんだけど、ああいうので良いと思うんだよね。
描いてる方だってネタ探しにマンネリ化になったりして、描かなきゃいけないのに描けなくなった…なんてなったらやだし、
もう少し余裕があっても良いんじゃないのって思う。
会社で起きたことに対する愚痴を書くだけのためにTwitterアカウントを作り始めた。そこそこ共感してくれる人が増えて、仲間もできたが、日々毒付くためのネタ探しをするようになってしまった。
以前はいい人だなと思えたような人に対しても、どうせ裏があるんだろうと考えるようになったり、テレビのニュースを見ていてもTwitterに書くことばかり考えてしまい、ついつい批判的になってしまう。
テレビで見る芸能人に対しても、親切してくれる近所の人さえも、卑屈な気持ちが湧いてきてしまう。どんどん腹の底が黒くなっているような気がしてしまうが、そのTwitterが止められない。
休み休みとはいえ、ずいぶん長い間続いたなと思う。十二年前、初めて自宅にまともなネット環境ができた。それで自由にネサフすることが出来るようになったときに初めて、自分が昔から大好きで今でもまだ大好きな漫画の二次創作サイトが多数あることを知った。で、私もやってみたいと思い、何も展示するものなどないのに見切り発車で自分のサイトを開設した。パソコンでネットに繋がれるというのに、最初のサイトは携帯サイトだった。
自分でも、作れるものが何もない状態で運営をはじめたサイトなんか、長くは続かないだろうと思った。最初は下手なイラストを無理矢理こしらえて飾っていた。そんな恥ずかしいことをよく平気でやってたなと今では思えるものの、Pixivの流行以前は上手なイラストが大量に流れる場所にアクセスする方法を私は知らなかったので、そんなことができた。
しかし、二次創作サイトで絵だけを展示している人は多くなく、だいたいポエムや小説も展示している人が多かったので、私もそうしたいと思った。けど、子供の頃は小論文以外の作文が大嫌いだったから、私には絶対無理だと最初から諦めていた。
ところが! いいな羨ましいなと思い続ける自分が嫌になって、1ヶ月半くらい経ったとき、そんなに書きたきゃ書けばいいじゃない! と思って、筆をとり(パソコンをとり)一晩かけて一本完成させた。たぶん、800文字もなかったのではないだろうか。推しカプではなく、リアタイ時にコミケの女性向けジャンルを制覇したカプを書いた(コンビとしてだけど)せいで、お世辞言ってくれる閲覧者がいたおかげで調子に乗り、以来半月に一本完成させるくらいのペースで半年くらい、やがて睡眠時間を1日1時間半くらいにして毎日ひたすらなんか書いている暮らしにシフトした。
携帯サイトでは物足りなくなり、お金を払ってレンタルサーバーを借りてでっかいサイトを作った。絵はあまり書かなくなった。全小説作品を読むのに半日かかるサイトになった。
それから何やかんやあって創作を休みがちになったり、月々2500円くらい払って偉そうな「お客様」を相手にするのが馬鹿馬鹿しくなり携帯サイトに逆戻りしてみたり、Pixivに移動したりなんだりした。
そして初サイトを作って十年目になった。それまで十年も気持ち悪いほど一つのカプを推してきた私が、なんと新規の沼に転げ落ちた。さすが、新規の沼なだけあって、書けば書くほど読んでもらえて楽しいので、睡眠時間をまた1日1時間半にしてがむしゃらに書きまくった。すると、いい感じに頭のタガが外れたのか、昔からの推しカプを書くのも再び捗りはじめた。
そうして私は常に何か書いてないと済まない病になった。二次創作の方は、昔からの推しカプ方面は和やかに続けていたが、何しろ十年書き続けたせいでネタ探しが大変になった。新規の沼は、半年くらい経つと、下らないことが原因のいざこざが頻発するようになった。私はしばらく傍観していられたが、最終的には自称「絵がクソクソに下手クソ」な絵師の売名活動に巻き込まれて嫌になった。
そんな訳で、昔からの推し分野は中々ネタがないし、新規の沼は地獄の釜の底に沈んでしまったしで、書くことがなくなった。書きたい意欲を持て余した私は、やがて増田ばっかり書くようになった。
すると、ある日私の書いた増田がバズり、800ブクマ超えをした。これはバズった増田としては凄く多いわけではないかもしれないが、私史上最高のブクマ数だった。そして、ついたブクマの数々には、内容への感想だけではなく、「読みやすい文章」という感想も多くあり、私は私史上最高に調子にのった。
もしかして、私の文章けっこうイケてるんじゃね!? と思った。ずっと、読まれるのは原作とカプの力で、私に実力があるわけではないとイジイジ思い続けていたから、舞に舞い上がり、畳の上をゴロゴロ転げまくった。
調子こいた私はとうとう、一次創作を始めた。二次創作はほとんど書かなくなってしまった。だが、二次創作を書かなくなってしまったきっかけが幸せなものだったので満足している。ずっと推してきたカプの集大成な短編を一個書いて、萌の場外ホームランを打ち出したのだ。昔からの推し仲間達から、「す、すげえものを読んでしまった……」と言われた。満足した。もうあの時の私を自分で超えられない気がする。
今は一次創作二年目。やっぱり原作やカプの力に支えられないとあまり読んでもらえないけど、感想をくれた数人は全員、私の作品をすごく好きだと言ってくれたので、私は今日もせっせと書き続けていられる。
はまりー on Twitter: "弱者男性問題の解決に必要なのは雑誌クロワッサンだとわたしは確信しています。
https://twitter.com/travis02130213/status/1387927956392009732
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/travis02130213/status/1387927956392009732
これさあ。
男性の社会的弱者、学歴なり職業なり容姿なりコミュ力なり何かもしくは複数が低調で、
という理解でだいたい合ってるんでしょ?
女性や障碍者やオカマやホモや外国人なら弱者として考えてもらえる一方
ジャップオスだとまとめて加害者扱いされることはあっても当人が弱者として認められることが大変難しい
で、
「そういうのはやっぱりおかしいから男性だって相対的弱者や困窮者は弱者と認めるべきでしょう」
みたいな話が興ってきたというのが最近のはてなの流れだと認識してる。
そこでこれ?
「自分を自分で救うことができる」という事実を大概の男は認めたがらないか、認めると負けだと思ってしまいます。恋愛なんてコミュニケーションの最上級なわけで「わたしたち」にまだそれは必要ないのですよ。「相手」を必要とする難しいことの前に自分でやれることはありますよ、と思うわけです。
弱者男性問題の解決に必要なのは雑誌クロワッサンだとわたしは確信しています。「家事が軽くなる道具と工夫」とか「冬の食卓ラクしておいしい97品」とかがモテない男性を救います。誰かがおれを愛してくれないかなとぼーっと思い煩うより自分の生活を上げましょう。
「自助に取り組め」
「君達には社会や他者の扶助は必要ない。君達に必要なのはクロワッサン。」
「君達は自分で自分を苦しめてる自業自得なだけだから、努力して自分の生活を持ち上げなさい。」
これを大絶賛っていったいなに?
こういうアドバイスをソリューションとしちゃうのってアリでしたっけ?
「娯楽も食事も住まいも進路も身の程弁えて選べば保護なしでもやれるでしょ」
ってアドバイスしていいの?
伊是名夏子さんに
「最大限ひと様の手煩わせない旅程を作って、それからJRの対応求めるんがスジでしょ」
「ヘルパー10人使って子育てってなんだよ単純にお前いない方が育児コスト低いよ」
とか助言しちゃうのとどう違うの?
石川優実さんに
「勝部を切ってkutoo以外の活動も辞めた方が幸せになれますよ」
「あなたの精神的苦痛は社会や思想のせいではなくて、勝手に肥大させた自意識と食らい判定のせいです」
「あなたには社会問題よりクロワッサンがお似合いです、自分で生活を上げましょう」
って諭しても許されるの?
それは絶対にダメ、弱者への疎外、差別への加担、わきまえ論、最低のセカンドレイプ、
cha9
関連ツイも読まずに脊髄反射で叩く人はその言葉そのままブーメランで自分に刺さってるよ
2021/05/02
するっと出てきた「弱者男性は他人を愛せない人格的劣等である」という前提はなんなんでしょうか?
他の弱者にもそういうこと言ってるの?
oka_mailer
でもこうやってセルフネグレクトからどう脱するか、みたいな具体的な課題になるまで深堀しないとどのみち話がすすまないよなー。
2021/05/02
深堀り?
深いどころか、弱者の人格や生活態度に問題を押し付ける滅茶苦茶浅いネトウヨ言説みたいに見えるんですが。
「話が進まないよなー」って、むしろ問題をすべて当人のせいにすることで話を終わらせたがってますよね?
rgfx 「これはわたしの話ですけれども「モテないオトコの欲求不満の解消」に必要だったのは長年にわたるセルフネグレクトを自覚し解消することでした」/ツリーみなよ。「牛丼は福祉」なんて話じゃないよ。
2021/05/02
そうですね。
ある弱者問題へのソリューションを、弱者当人の反省や改心や精神的改革に求める話ですね。
見てきたように全員底の浅いヘイト言説と言うか、
弱者問題に自助アドバイスするような典型的ヘイトツイートを一言も咎めないどころか積極的に賛同してヘイトを重ねる、
さらに「これを非難する奴にはブーメランが刺さる!」と威嚇を始めて非難を封じる意欲まで見せる、
積極的な戦意を出した差別欲・弱者存置欲旺盛な典型的ネトウヨさんなわけです。
こいつらはまあヤフコメあたりからはてなに紛れ込んできた差別大好きな「自称現実主義」ウヨ豚さんだとして
なんでこれが人気1,2,3になってんの?
わかってるけどね。
これでしょ。
何か調査するまでもなく論理的に考えれば日本人男性にも弱者がいるなんて当たり前なんだけど、
ジャップオスの場合は当人の生活態度や人格が悪い、自業自得、ケアも救済も必要ない。
そういう感情でしょ?
「お前の生活が悪いに違いない(根拠なし)ため、お前は人格が悪い(根拠なし)、クロワッサンでも読んでろ」
これ、女性とかゲイとか障碍者とか外国人とかに言ってたらあなた達絶対猛非難したでしょ?正義の味方ヅラで。
こんな発言を追認するネトウヨのブコメにこそこそと☆を入れて人気ブコメにしちゃう。
はてなのあなた達はふだんから差別反対だの弱者権利擁護だののお題目で遊んではいても、
それを優しい気持ちで、困ってる人を助けようという気持ちでやったことが一度もないってことなんです。
自分に甘くて自分の心の動きを観察できない人なら「いや私は善意と優しい気持ちだった」って言うんです。
でも実際は違ってるでしょう。
差別されて困ってる人を口実にして、その状況を作ったとされる誰かに対するものすごく攻撃的で侮蔑的な感情をぶつける、
怒りの感情をはじけさせる時の快感が楽しくて気持ちよくてやってるだけなんです。
純粋に伊是名夏子さんの利便性を上げたい、楽しい旅行をしてほしい、という気持ちで応援したのではなく、
「我々に反撃したらショウガイシャサベツだぞ」と言って抵抗を封じておいて
即興の難題を押し付ける、出来なかったらそれを責めて殴りまくって顔に唾を吐く、それで悔しがる顔を見る、
そういうことをやりたいだけの暗い人間と言うのが残念ながら「差別反対」の旗の下に少なくない数紛れ込んでいるんです。
すぐ次の怒るネタを探し回るようになるし、恐ろしく口汚くなるし、
twitterでくだらない喧嘩やRTをすることに時間と精力を使うようになるでしょう?
本当に人助けをして優しい心を育ててるならそんな風になるわけないんです。
困ってるならどうにかしてあげようと智慧を絞るだけ。
怒りのネタ探しでやってる人は
日本人男性というカテゴリは集めてきた怒りのぶつけどころとして使ってるんだから、
そういうことをいつまでやってるんでしょう。
自称社会派のような人で、本当に社会で困ってる人に関心ある人間は何割ぐらいなんでしょうかね。
経済力とか人的資本とか生活資本とかが低い男性にすすめるのがクロワッサン?
ありえないでしょ。
これに突っ込まずに賛同してる人達って絶対クロワッサンエアプでしょ。
クロワッサンってはっきり言って意識高くておしゃれなんですよね。
料理の記事そこそこに、決して安くない服とか相当敷居高いお店とかアンティーク家具とかの話始める雑誌なんだけど。
それに今となっては読者も編集部も高齢化してるので2021年の実際の読者層って一番下でもアラフィフだと思う。(公称では「40代から」とか言ってるけど。)
このツイ主なんか怪しいなあ。ほんとにクロワッサン何冊も買って役立ててる人なのかかーーーなーーーり怪しい。
じゃあ何を読むのか?
オレンジページでしょ。
ツイ主が言ってるみたいな用途なら絶対オレンジページですよクロワッサンよりは。
こういうツッコミを誰一人してないってどういうこと?
というか、そもそも誰もクロワッサンやオレンジページを読んでない?
個人的には子供時代に読む本尽きたら母のクロワッサンとオレンジページはよく読んでて今に至るのでこういういい加減な言及許せない。
まあこの場合は「弱者男性のあげた声を封じること」が関心の全てであって
クロワッサンがどういう雑誌かなんてことは全然考えもしないのかもしれないけど。
脳の使い方があべこべっていうか、本当につまんない使い方だよね。