はてなキーワード: クラスタとは
知ってる人には今更な考えでしかないと思うんだけど、ひろゆきの支持者を見てるとこれもう分断とか100年単位で解消しないでしょ、と思えてくる。
俺はバクサイとか割とネットの片隅としか認識していなかったし、そもそも世代から外れてるオッさんだし、2chも俺が見てた頃は亜インテリや似非インテリの人がそこそこいた気がするんだよ。性格も根性も大体悪い奴らばかりだけど、少なくとも物知りであることは良いことだという価値観をもっていた人たち。これは反韓や右翼と呼ばれる層も一定そうだった気がする。まあこれも老害的思考だという自覚はあるけどね。
でも昨日の木村氏との喧嘩を見て、ひろゆき支持者がマジで爆サイの利用者層と似たような感じでなんか驚いてしまったんだよね。繰り返しだけど、今更ながら。
なんか納得したよ、学術会議がはてな利用者層とツイッターの一部のクラスタからしか支持されないのを。めちゃくちゃ個人的な観測範囲でしかないけど、なんか雑感でした。
大半の政治クラスタと絡みたくない(見かけたらブロックしてしまう)理由はこれ
「特に30代の人間がひどいんですよ~」ぐらい言えたらよかったものの自分の観測範囲だと全年代にまんべんなくいるから多分そういうもんなんだろうなって
自分がやってるゲームよりセルランが低いゲームやってるやつは貶して良いって言葉にはしてないけど思ってる人多い
特に流行り初めの中国ゲームユーザーが某英霊召喚バトルより勢いがあると思えば喧嘩を売ってる場面なんていっつもだ
でもこれは自分の観測範囲の問題かもね 大半のユーザーはそんなことどうでもいいかもしれない てかそういうのが目立つだけかもしれない
皆違って皆良い
そういうことを小学校で言われまくって道徳の授業でようわからん問答をさせられたようだけど
どうもそう思ってない人が多いような気がするね
楽天の渡辺選手が引退を表明し、さきほど引退試合をみたところで、
過去の思い出にふと浸ってしまい、大変個人的な思い入れではあるのだが、彼のキャリアへの経緯と感謝も込めて記録しておきたい。
2009年のイーグルス初のクライマックスシリーズ進出に大いに貢献した渡辺直人選手を特に贔屓にしていた。
(その頃はあまり「推し」という言葉は一般的ではなかったように思うが、まさしく「直人推し」だった)
渡辺選手が2011年から3シーズンだけ在籍していた横浜DeNAベイスターズのファンであった。
当時はtwitterが流行り始めの頃合いで、まだ"野球クラスタ"もある程度限られていた。
しかも当時のベイスターズはDeNAに買われる前で、万年最下位の暗黒状態でファンの数も少なく
twitterで横浜ファンをフォローしようとしても100人に届かないような状態だった。
そのため割と節操なく、横浜ファン以外の人も広く野球ファンという括りでフォローをしており、
私が彼女をフォローしたのも、そんな他球団ファンの1人として、たまたま野球に関するツイートをしていたからだった。
私はあまり負けて選手を批判したり罵ったりするのを見るのは苦手なほうだった。
そんな中で選手の推しである人というのは、比較的温かい目で応援するタイプの人が多く、
彼女のツイートにも別チームながら好感を持って読んでいて、ファンとしてのスタンスが合ったことから、
お互いにリプを飛ばし合ったとtwitter上で仲良くなった。その最中で事件は起こった。
チームメイトやファンに愛される主力選手の放出は、楽天ファンの方にとって大変ショックな出来事であり、
嶋が号泣したり岩隈が生放送に駆けつけたりしたことを覚えている方もいらっしゃるかと思う。
彼女は大変ショックを受け、放出を決断した楽天球団に少しの不信感を持つとともに、
当初は電撃トレードのショックに同情していたが、同じチームを応援する仲間になったことを嬉しく思い、
初めてリアル対面し、観戦デートを経てお付き合いすることになった。
メッセージでのやりとりで内面や趣味をある程度わかったところで会うというスタイルは向いていたようだ。
(今ならマッチングアプリでよりスムーズに事が運ぶのだろうが)
ただ、"それが今の奥さんです"みたいなことは全く無く、残念ながら1年経たないうちに別れてしまったのだけれども。
それでも初の彼女ということでその時は浮かれていたし、楽しいデートの思い出もあり、いい出会いだったと思っている。
この思い出も、渡辺直人が横浜ベイスターズに来ていなかったら無かったのだと思うと、かくも人の縁とは不思議なものだなと思う。
モトカノの思い出を妻に語るのも憚られるので、この感慨を残したく匿名ダイアリーに書かせてもらった。
渡辺選手の横浜での在籍期間は、彼のキャリアからすると短い期間ではあった。
その後の西武での活躍や、楽天に出戻ることも、当時は想像すらしていなかった。
ただ、その隙間には、応援するチームを変えてしまうくらい、惹きつけられた人がいて、
その魅力を語り合ってつながったファンがいた、というのは、すごいことだなと思う。
松坂世代の最後の野手として、長く野球をやり、移籍を経験した選手だから、
ネットで政治クラスタをした結果、「怒ることに依存している」自分に気づいた。
許せないやつ、嫌いな政治家、不真面目な発言、政治運動、嫌いなオタクの炎上ニュース。
そういう意味では、はてなブックマークはすごい最適化されたツールだった。
SNSでも常に炎上ネタを探し、怒りながらああでもないこうでもないとキレていた。
安倍政権を見ては安倍にキレて、野党を見ては野党にキレて、オタクだのフェミだの見てはオタクだのフェミだのにキレていた。その比率が違うからお前は左翼だ右翼だなどと言われていたが、冷静に考えていたら、ただキレやすい中年だったのだろう。
そして極めつけは、憧れてる人に「難しい話ばかりしてる」とめちゃくちゃ遠回しに言われた。
ようするに、嫌な奴になってると言われたのだ。
自分のツィートをここ一年分読み返してみたら、だいたいキレてた。
周囲の人間も似たような人がたくさんいるけれど、これって異常じゃない? 毎日政治の話をして毎日怒るネタを探して、はてなブックマークで許せないネタを探し、そして、キレてSNSでレスバトルするって。
それで何人も友人をなくした。
当たり前だろう。
いつもキレてる人間に近寄りたくないもん。
自分でもそう思ってるのに、あのイラストは許せない、あのイラストはいい、バイデンだのトランプだの、表現の自由の戦士だの性的搾取がどうだのフェミだの規制だの言われるとその話題から離れられない。
顧客層ではなく、顧客層が嫌がるクラスタに向けてPRしたってなもんで
従来の顧客層がふざけんなよ!そんな風に見られたくてタイツはかんわ!って怒るのは当然
顧客層側としては、実用品探してたのに、突然それがラブグッズとしてサジェストされてきたみたいなキモさがあった
えっ靴下探してたんだけど、バイブとかと並べておすすめされてんの!?きもっ!みたいな
あと広報担当やイラストレーターは女じゃんって批判もあるけど、
男とか女とか関係なかったね、その辺の感覚がにぶい女は女性からしても勘弁だわ
「犯人は男だろ!」と決めつけて怒った人には、決めつけられた側は怒って良いと思うけど、
この広告はおかしーだろって批判自体は怒られるもんじゃないと思うな
「緊急避妊薬市販化推進に注力したフェミニスト」の例として多摩湖さんやピルつきさんが挙がるなら「オラ斎藤環さっさと謝れよ」という話になるのだが、件のツイートを叩いてるクラスタ内でそういう空気が一切ないといことは、所詮はイデオロギー戦争でしかないわけで、「どっちもどっちだし静観しとこ」としかならんのよな。
俺自身も一応フェミニストの端くれだとは思ってはいるのだけど、いい加減フィクトセクシュアルに対する差別意識をフェミニズムのメインストリームから外してくれという意味で、斎藤環氏の言葉の気持ちだけはわかるのよな。気持ちだけは。(ちなみに斎藤環氏は戦闘美少女という表象についてセクシュアリティの議論が必要であることを指摘した先駆者の一人なので、フィクトセクシュアルの一人としては肩入れせざるを得ないのよな。)
推しのソシャゲが夏にサ終を迎えてから数ヶ月、心が虚無になってしまったのか何の作品にもハマれなくなってしまった自分がいる。
推しのソシャゲは元々売上が芳しくなく、ツイッター検索でタイトル名を検索しようとすると、ほぼ常にサジェストにサ終の文字がくっついてくる程だった。定期的にセルランが低い旨のツイートが流れてきて、その度にユーザー同士が「私たちが課金して支えよう」「みんなもっと課金しよう」という空気になっていたのだが、正直毎月使えるギリギリの金額まで課金していた私は、その空気に「もう出せる人は出せるだけ出してるよ、ユーザー同士で圧をかけあっても仕方ないよ、怖いよ」と勝手に怯えていた。
思えばこれはただ私が勝手に圧力だと受け取って勝手に怯えていただけの話ではあったのだけど、サ終の告知があった直後、匿名掲示板の推しソシャゲスレは「ゲームは良いのにユーザーが課金しないせいで終わった」という意見が少なからず書き込まれていた。その件もあって、やっぱり怖いというイメージは今でも捨てきれない。
ソシャゲはサ終=死ではないという意見もある。しかし夏にサ終した推しソシャゲはその後細々グッズ展開を続けるのみで、フラグを殆ど回収せず完結扱いになってしまったストーリーの続きが見られるかどうかというと、流石に希望が持てないと思う。
周りの推しソシャゲクラスタは新しい作品にハマっていき、そんな中で既に更新がなくなってしまったソシャゲジャンルに残り続けてくれる人は決して多いとは言えない。元々収益が見込めなくてサ終してしまった作品が、この状態から立て直すとは、申し訳ないが、とても思えない。
私は推しソシャゲのことが、作品として本当に好きだった。アツい展開のストーリーに魅力的なキャラクター達、クオリティの高い音楽、どれをとっても最高の作品だった。けれど私の課金額は決して多くはなかった。その事実が私の頭の中で、「私にもっとお金があれば良かったのだろうか」という後悔を生んでいて、推しソシャゲを好きだった気持ちよりも、「つらい、もう二度とソシャゲはやらない」という負の感情を後押しし続けている。
もちろん、たかが一人が少し多くお金を出せるようになっただけでソシャゲの命運が変わるわけがない。事実はそうだが、理解しているはずなのに気持ちを切り替えられないでいる。
前記の圧力を感じてしまった話に戻る。ここからはぶっちゃけオタクのお気持ち表明だ。(というかここまでもただのお気持ち表面だ。より主観が強い文章になるのをお許し頂きたい。)
推しソシャゲは「作品の出来はいいのに運営の課金誘導が下手」と各方面から言及されるほど、課金要素が緩い作品だった。裏を返せば無課金でも楽しめる要素が豊富で、そんな開発や運営側のサービス精神がユーザーの信用を買っていたのだと思う。
ただ、その運営への信用が、私にはユーザー同士の圧の掛け合いを生んでしまったように思えて仕方ない。
予め私の主張を表明しておくが、"この話は運営が悪かったわけでも、ましてやユーザーが悪かったわけでもない"。ただ、"大好きな作品を何としてでも終わらせたくないという皆の愛情が、拗れて表面化してしまった悲劇"なのではないかと思っている。全て一個人の主張であり、主観的な意見であることをお許し頂きたい。そして文章が長くとっ散らかってしまっているのも申し訳ない。
実は、推しソシャゲはサ終告知の前から、徐々にイベント配布の(スキルのようなものである)モーションの使い回しをするようになったり、さらにはその使い回しすら無くなったりしてしまっていた。
この時クラスタは(少なくとも私の見える範囲では)、使い回しにガッカリする人や、売上が下がっているから仕方ないんだと解釈する人や、さらにはお気持ち表明ツイートをする人、その人に対してお気持ちを表明する人、などで少々荒れた空気になってしまった。
推しソシャゲは3Dのモデルを使用しているゲームだ。3Dのモーションを一から作るのには、2Dのイラストを動かすよりも明らかにコストがかかる。それなのに、売上は下がり続けていた。そんな運営状況が続けば、課金に繋がりにくいイベント配布からコストを下げられるのは仕方のないことだと思う。
だけど、「せっかく課金したのにモーションが使いまわされるなんてガッカリだ」という意見が出るのも仕方のないことだと思う。そのイベントでは、前イベントでのガチャ排出のモーションが、配布イベントに使いまわされていた。せっかく課金したのに、ガチャ産が配布に使いまわされるなんて、と不満に思うのはある種ユーザーの権利だとも思う。
ただ、その後のイベントが問題だった。今度は配布カードには使い回しのモーションすらなく、そのもの自体がなくなってしまった。そして告知にはただ、「今回のイベント報酬にはモーションは付きません」というお知らせしか書かれていなかった。(運営が内情まで説明できるわけなんてなく、これも仕方のないことだと思うが。)
そこで、様々な憶測がユーザー同士で飛び交ってしまった。「ユーザーが使い回しを嫌がったからモーションそのものが無くなったのでは」や、「使い回しすらできないほど運営がピンチなのでは」など、様々な意見でクラスタ(重ねて言うが、私の見ていた範囲の話だ。)内は荒れてしまった。これらの意見は全て憶測に過ぎないのだが、運営からの説明がない以上、ユーザー側は推測でなんとか納得しようとせざるを得ない状況だった。
けれど、ここで運営がコスト削減の理由を説明なんてしてしまったら、憶測のうちどれかが事実だと確定してしまったりしたら、クラスタはさらに荒れてしまっていたかもしれない。この件に運営が上手く動けなかったのも、仕方がないのではないかと思う。
大事なことだからもう一度言う。これは運営が悪かったのでもなく、ユーザーが悪かったのでもなく、ただ私が勝手に疲れてしまったと言う話だ。
運営の状況がわからず、サ終に怯えるユーザーは推測で物を語ることしかできない。運営は悲鳴すら上げてくれない。大好きな作品が突然終わってしまうかもしれないという恐怖で、誰もが気持ちを落ち着けるための納得がいく理由を欲しがっていたのだと思う。それがユーザー同士に向いてしまったのでは、と捉えている。大好きだからこそ、絶対に終わって欲しくないからこそ、愛情が生んでしまった悲劇なのではないかと思っている。
私が、ただ勝手にそう思った、という話だ。
サービス終了の告知を見た時、実は私は、少しだけ安心してしまっていた。ようやく「大好きな作品が終わってしまう恐怖」から解放されたような気がした。推しのソシャゲのサ終に安心するなんて、我ながらとんでもない親不孝、ならぬ推し不孝だとも思う。
そんなことが夏頃にあって、現在私は特に何の作品にハマることもなく、特に好きなものもなく、虚無の日々を過ごしている。また何かにハマった時、こういった「クラスタに対し勝手に恐怖を抱く」ことで、作品愛を疲弊が上回る"推し不孝"の状態になってしまうのでは、と思うと、何かに対して好きという気持ちが湧いてこない。
あまりに同世代のヲタク過ぎて笑ってしまった。スルーするつもりだったが、いいものを読ませて貰ったので俺も勝手に当時のことを語ろうと思う。
といっても、大筋の所では同意するし否定するようなところもない。
「ネットに対する信頼があったから」なんてのは、まさにそんな感じだよなぁというところだ。
だからまぁ、あんたよりもう少しだけ型月の方にいたヲタクとしていくつかの補足をしようと思う。
まず抑えておきたいのは、月姫からFate/Snの間にいくつかファンが流入してくる導線があるところだ。
言及されているうちの一つとしては、空の境界。これがライトノベルや同人小説を読む層、つまり小説読みのヲタクにリーチしていた。参考リンクとして以下。ttp://maijar.jp/word/serifu/ka-1.htm#kara
文脈を簡単に解説するが、当時Webにあったライトノベルクラスタのうち最大規模の感想サイトで取り上げられていた、という理解をして欲しい。もちろん規模は"当時としては"だ。ユニークユーザは今とは比べものにならないくらいの身内感だった。が、そういう層にも確かに届いていたし、そこのファン層がFateを買った、というのは事実だ。
次に、格闘ゲーム。つまりMelty Bloodだ。
当時何故かPCで出来る同人格闘ゲームが大流行していた。主要タイトルを年代別に並べると、QOH、EFZ、パブレ、そしてメルブラ、というところになるだろうか。昼はゲーセンで格ゲーをやり、夜に集まってはPCで対戦格闘ゲームを繰り返していたような層にもリーチしていた、という理解をしてくれればいい。クラスタとしては近いようで割と遠いのだが、そういう層にも届いていたのを観測した記憶がある。
ここのところはあまり詳しくないので別の誰か補足してくれてもいい……が、本題から外れるか。
感覚的には月姫からFateにかけてで一気に同人ショップの棚が型月で埋まったような記憶はあるが、流行廃りもあるしあくまで印象の域を出ない。というわけで探してみたところ、コミケのジャンルコードとサークル数を記録しているところを見つけた。ttp://myrmecoleon.hatenablog.com/entry/20071227/1198710524
TYPE-MOONのジャンルコードが独立したのはC68(2005年夏コミ)。その時点で葉鍵に近いサークル数が参加していた、といえば当時の人気振りが分かるだろうか。
また、SSでは全自動月姫Linksというものがありかなりの利用者がいたはずだが、記録が残っていないため登録されていたSS数やアクセス数というような指標を見つけることは出来なかったことのみ記しておく。
上記のような流入を公式作品の発売時期と集めてまとめると以下のようになる。
こうしてみると、関連商品がコンスタントに出ており着実にファン数を増やしていった、という風に見えるのではなかろうか。Sn発売日にはかなりに騒ぎになったが、そこまでに「これは確実に売れる」という感触がユーザーにも小売店にもあったのだろう。
そういえばこんな広告も出ていた。ttps://twitter.com/kai_morikawa/status/1292650932866408453
また、いくつか補足をしておくと……
書籍版の空の境界はかなりの数が出たようだ。俺の手元にある物を確認すると、02年の5月に第4版が発行されている。その後、講談社ノベルス⇒講談社文庫と発刊されていることも記しておく。
月箱も、あくまで月姫+歌月十夜+PlusDisc(厳密にはPLUS+DISC)という既に発表済みの物をまとめただけのこともあり、当時の雰囲気は「いやみんなバラでもってるからわざわざ買わんでしょ……」という感じだったのだが、最後に括弧書きで(まぁ俺は買うけど)とついていたのか、当時の時点で思ったより裾野が広がっていたのか、同人ショップの店頭に山積みになっていて「いやこんなに売れるんか?」と思ったはずの月箱が気付いたら売り切れてプレミア価格になっているのに首を傾げた記憶がある。つまり今思えば、そのくらい売れていたのだ。
あとは何だろうか。
個人的にはハブになるようなニュースサイトやサイト運営者のようなインフルエンサーの影響もそうだが、口コミの影響というのはやはり大きかったなぁという印象がある。げんしけんのようなヲタサークルの話題だったり、通っていたサイトの日記だったり掲示板の常連の書き込みだったり、あるいはチャットソフトと揶揄されたオンラインゲームの中の雑談だったり。自分としても、そういうなんとなく知っているくらいの人達からの口コミで知った作品というのは数多いし、きっとそうやって月姫を、あるいはFateを知った人というのも数多くいたのではないかと思う。
俺も葉鍵からこの世界に入ったクチだが、学生から社会人になって忙しくしてエロゲーがあまりできなくなったりしているうちに気がついたら祭りが終わっていた、という感じで妙に寂しくなったのを覚えている。でもまぁ、こうやって見も知らぬ誰かと当時のことを語り合えるのだから、案外まだ捨てたもんじゃないさ。
お前がいきなり非モテ女の存在そのものまで否定したから、お前には非難が、非モテ女には同情が集まった。原因はお前だ。お前が非モテ女を脈絡なく叩き始めたからカウンターされただけ。
なのに自分が先に叩いたことを棚に上げて、ああ僕の方がかわいそうと被害者ヅラ。そこそこ歳も食ってるだろうに、未だに幼稚な精神性。俺は悪くない、女が悪い、社会が悪い、だから今日もネットで女叩きおじさん。そんな人間がモテるわけない。容姿じゃなく、人間性を適正に評価された結果として非モテなのだと認めるところから始めるべき。今更遅いが。ブサイクでも彼女いる奴・家庭を持っている奴は枚挙に暇がないし。
・強烈な被害者意識
が特徴だけれどこれも、ブサイク男は星の数ほどおれど、優しかったり能力があったりな奴から順次パートナーを獲得して、被害者意識が強く加害性も強く尚且つ無能だけが残った結果なのだろうな。運悪くパートナーを獲得できなかった全良なブサイク男性はそれはそれで、仲間を獲得して楽しくゲームしながら過ごしていて、わざわざ増田で非モテ女を叩いてやろうなんて思わないだろう。それを敢えてやってしまうところに、非モテの原因が表れている。ブサイクでキツイよね、いじめは辛いよね、ルッキズムやめようぜ、って話ならわかるけど、お前のやってることはそうじゃないからね。
ところで、非モテ男はこの世で一番かわいそう論(ついでに女を叩こうぜ論)、はてブでも増田でもTwitterでもめちゃくちゃ持て囃されてると思うけど。何度も増田トップに出たり、Twitterでバズったりしているし。逆に非モテ女の話が増田トップに出てきたのは今回が初、までは行かずともまだ数回じゃないか。知らんけど。
自分は小学校の頃に見たアニメにどはまりしてそれ以来のオタクだった。中・高・大とオタクライフを満喫し、社会人になってからはお金もかけられるようになり、世間からみたらザ・オタクな生活をできるようになってきた。
そんな自分から見たら治安が悪い、ヤバめなオタククラスタというものがいくつかあった。
「ラブライブ」「アイドル」「鉄道」らへんのジャンルはネット上でいくつも悪い噂が流れてきて、その噂を聞くたびに絶対に近づかないでおこうと心に誓ったものだ。
もともVR技術が好きでOculusを買って自分でアプリを作ったりしていた。3Dモデルが動く配信というものにすごく心を動かされ、いわゆる四天王が出てくるちょっと前くらいからVTuberにのめりこんでいった。
好きなVTuberの数もどんどん増えていき、休日は一日中配信を回っているなんて日も度々あった。
さて、そんなVTuber界隈にも少しずつ暗雲が立ち込めてきた。
にじさんじ、ホロライブがメジャーになってきたくらいから少しずつ「ちょっとやりすぎじゃねーか?」という人たちが目立つようになってきた。
特定のVTuberに関してつぶやいたりブログを書くと、ものすごい勢いで信者がわいてきて罵詈雑言を浴びせられ炎上に追い込まれていた。
気に入らないVTuberがいると、ファンが総出で叩いて休止に追い込んだりもしていた。
昔は近寄りたくないなと思っていたやばいオタククラスタに、気がついたら俺の周りは取り囲まれていた。
自分はディープなオタクと思っていたが、VTuber界隈に身を投じることで本当にやばい、ディープなオタクというものを目の当たりにしてしまった。
彼らに比べれば俺なんてまだまだ浅いオタクだった。
自分も晒しや誹謗中傷のDMが飛んできたことなんてごまんとあった。
自分が好きだったものが治安の悪い粗悪コンテンツに成り下がるのはなんと悲しいことなのだろう。