はてなキーワード: ギシギシとは
疲弊はあったとは思う「そこまでして?」って感じのね
ただ、どっちかというと、「お見合い」的な価値観への忌避感が強まった
それと後は、フリーター含めて「何とかなるじゃん」って空気感が強かった
しがらみ?いえ?れーる?無視した方がお得だよね、みたいな
若者は売り手市場で、面接に行くと廻ってない寿司屋で食事して、タクシー代だと言って万券包んだ時代
でも、女性にしてみたって、結婚しなくても生きていけるってなっていった時代
1970年代は、女手一つで子供育てる人は、土手沿いの床がギシギシいうボロ長屋に住むとかしてたけど
それが一億総中流っていって、実際、今の母子家庭で貧困としてTVに出てくると、すごい豊かな暮らししてるなって思う
出稼ぎとかも聞かなくなった
経済的自由って奴やね
セックスってプレッシャーすごいから気持ちいいって思ったことないかも
失敗してはならない、みっともない姿になってはいけない、という圧迫感がすごい
プレッシャーすごいから気持ちよくないのか、気持ちよくないから緊張するのか
というか酔った流れでふらっとセックスできる人凄すぎる
そのまま相手と寝るときとかどうしてるんだろう すっぴんで寝てる?
セックスというか、セックスとその前後の流れが自分にとっては難易度高い
まず体きれいにして、毛の処理もして、すっぴんでもそれなりに見えるような化粧品を用意して、髪の毛ギシギシにならないように自前のシャンプーリンスも用意して……
好きな人と気軽にお泊りできる人が羨ましい
ご飯が食べれない、ガス水道電気のインフラが止まることもありますが、子供達は走り回れるほど元気で活発。なんとか母としての人生を歩んでいけていました。お金がないので仕事を掛け持ちしたり子供達には迷惑をかけてばかりです。そしてまた迷惑を。取り返しの付かない事態となりました。私たちの力ではどうすることも出来ません。どうか助けて下さい
子供が学校を休みがちになりました。学校に行きなさいと言っても具合が悪いと言う。とりま休ませていましたが頻度が増えずる休みを疑いました。病院に行くと異常は無くとりあえず薬出しておきますのテンプレート回答。お金がないのにそんなことを繰り返すもんだから叱りました。でも具合が悪いの一点張り。今まで元気だったのに走り回らなくなり心配はしています。でも病気ではないのであればどうするべきなのか
すると今度は兄弟揃って体調不良を訴え始めました。病院に行くも意味なし。違う病院も意味なしでした。熱は無く寒気がすると言う。あれだけ元気だった子供達がずっと家にいてずっと寝ている。でも私は働きに出ないといけない。しかしあまりの不調により仕事を休まざるを得ず更に生活が困窮し食べ物が買えない日もありました
更に夫も体調不良を打った宇仕事をしなくなりますます困窮していく。インフラを止められ絶望の日々。旦那も家でゴロゴロ。寒気がすると言う。実は私も体調は良くありませんでした。ただそんなことは言ってられないのでママさんパワーで乗り切ります。私の母がそうであったように私も層でありたい。母は家族そして子供を守る生き物だとそう教えられそう実践し今までもそうしてきた。守るために私は生きているんだと。体調不良でも頑張るんだとそう思っていたから気にはならなかった。でも私も実は具合が悪い。実は寒気がする。でもお金が勿体ないので病院には行きません。もしウイルスなら子供達の検査で判明するはずですからそれ以外のなにかが原因でしたが高学歴でも頭脳明晰でもない私たちには何も出来ません
男性と出会いました。別に恋とかそういうはなしではないからね子供の状態や学校での話プリントなどはたまに持ってきてくれ話ました。その時はそれっきり
子供の体調不良は長期間に及び私が家計家庭を支えることになります
気味が悪いことに何人もの人がドミノ倒しのように亡くなっていきました
以前にもあったそうで不可思議な事故死や連鎖する死亡など体調不良者が続出していると
うちの家族にも関係があるのではないかと思い聞くもそもそも分からないと言われどうすることも私たちには出来ませんでした。そして今も出来ていません
薬物の流布
粉が撒かれた家があり調べると有害物質だったという
実は遊び場の公園はその近くでいつももそこで遊んでいたのですごく怪しいでも誰が何の為に撒いたのか
寝たきりになってしまい身体が痛く痺れ縛れる寒いといいガタガタしながら布団に横たわる。妹もずっと寝たきり
家で休むみんなが段々身体が悪くなっていく
私も家にいるときの方が具合が悪く外では気持ちも晴れやかでした
長くなるので省略
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メディアに連絡したが反応はない
は?
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ご飯の支度片付けでどこまで書いたか分からなくなってしまったんだけど・汗
現状を変えるために様々な被害者の方が行動してくれました。結果は全てダメ
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あまりこういう文章は書くのは得意ではないけど出来る事があればやるわということで書いてますが上手く書けていないでしょうね具合も悪いし身体も震えが止まらない
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病気症状をこじらせたあと耐えられず精神疾患を発症するそう不安でいっぱい胸が苦しくなる
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どうしたらいいんでしょうか誰を何を頼ればいいんでしょうか何も分かりません
診断書を持って被害届を提出しようにも受理されないようで死んだら受理するとのことですがもう既に人は死んでいますがそれは病死で関係ないと自殺者はただ自殺しただけで関連性はないと
誰か助けて下さい
解決策が分かる方までこの思い届いて欲しいです
母と子 五人家族の母より
コロナ以降、リモートワークになって家での作業が増えたからここ数年でいろいろオフィスチェアを買い替えた
その辺りで得た知識を紹介しようと思う
逆にどんなに安い椅子でもたまたま体が合っていれば痛くならない
そしてこれはショールームでたとえ1時間座ったとしても分からない
最初から腰が痛くならない体に合った椅子かそうでないかは博打だ
ただ、どんな椅子でも2,3ヶ月すれば体が慣れる
あと、高い椅子はカスタマイズ性が高く、自分の体型に合わせやすい
よく壊れるのはローラーで、転がるんだが割れていたり転がりが悪くなったりする
そもそも家庭用のオフィスチェアはそんなに座ることを前提に設計されていない
せいぜい1日1時間座って5年持ちます、という感じで設計されている
1日5時間座れば1年で寿命になるし、なんならずっと加重がかかってるのでもっと早く壊れる
IKEAのオフィス用チェアはそうでもないはずだが、割と早く壊れた
一方で一般企業のオフィスに導入されているようなオフィスチェア(okamura、コクヨなど)は耐久性が段違いで良い
なので5万円の椅子を毎年買い替えるよりも、20万の椅子を5年使う方がコスパとしては良い
しばらく使うと座面の下がホコリだらけになる
ホコリは結局のところ衣服の繊維なので、ズボンが座面メッシュに擦れてそれがホコリとなって下に落ちている
このホコリ部分を掃除しやすい椅子もあれば、事実上掃除ができないような椅子もあるので注意が必要
個人的には座面メッシュよりクッションの方が好みなので流行に流されずに自分の好み通りの座面を選んだ方が良い
ゲーミングチェアで仕事している人も多いと思うがオフィスチェアをオススメする
そもそもゲーミングチェアの生い立ちはグランツーリスモのレカロシートから始まっている
レーシングゲーム用のハンドルとペダルがコントローラーとして登場したころに
本物のレカロシートを改造してハンドルとペダルを取り付けてレースゲームをやる人がいたんだが
とうとう本当にシートまで発売されるようになり、それをオフィスチェアの脚に載せただけのものがゲーミングチェアである
レース用なので背もたれに体を押し付けて固定し、その時に左右に体がブレないことなどが特徴なのだが
バケットシートの場合だと体がすっぽり入って固定されるので集中しやすいという副次的作用があり
それがゲーミングチェアとして集中力を高める、と言われて一部のプロゲーマーが使ったりはしているが
大半のプロゲーマーはただ座ってるだけで、単に見た目が派手なので使っているのが現状(プロゲーマーってそのままだと地味なのでなんとか派手にしようとする)
そんな椅子なので仕事で使っても恩恵はほとんどなく、同じ値段を出すならオフィスチェアを買った方が耐久性も高いので長持ちする
旧マシンに関してはケーブルが切れる程度の話だが新マシンに関しては利用者の体重を100kgまでに想定してる為か、新機種は壊れやすい印象。
実際新規出店1ヶ月ほどで新機種が2台破損しているなどを見ると部品の強度精度が足らないと思われる。
座席が斜めっていて腰に負担が来たり構造のものが新型には多かったこと、座席に問題がなくても押し込みの位置が適切ではないと思われる機器があったりという問題を感じた。
多分、破損などの報告は上がっていると思うので時間を掛けて問題点を改善するのだとは思う。
新型マシンへの切り替えの理由を考えるとコスト削減か、店舗展開に設備供給が追い付いていないから他社に切り替えたと見るべきだろう。
正直、今の品質の新機種に全てが置き換わるなら厳しいと言うしかない。
新機種の方がギシギシ音が強いこと、ウエイトの精度が悪く一度に着地しないから音鳴りしやすいことなどを含めてあまりいい品質ではない。
ランニングマシンの施工ミスが結構挙げられている。勾配角度を変更可能だが壁際びっちりだと勾配を変える度に壁にぶつかり異音がして壁が削れる結果に。5cmぐらい壁際から離して置けばよかったのでは思う。
とえあえずフレンドリー会員を利用しての動作に問題がないか定期的にチェックしてもらう体制にした方がいいと思う。
消耗品の変更について
→これは専用品から市販品への変更で価格競争が起きて安く出来るという発想だからだろう。
ボトル一体型のウェットティッシュと比べて多めに消毒液を用意しないとすぐに足らなくなる事は早々にわかると思う。
→これも悪くはない専用のクリームは大変高価であること、使用後に拭き取らなければいけないのでペーパータオルの消費が増える事や予約時間内での清掃を考えればいい判断だったと思う。
当時高校生だった私は、とある理由で全校生徒が体育館に集まっていました。
ある時、携帯電話から聞いたことのない音が鳴り響きました。校内持ち歩き不可のはずの携帯電話は男子生徒の制服の内ポケットから、スマートフォンは女子生徒のカーディガンのポケットから、そして渡り廊下の奥の教室から、けたたましく鳴る不快な音。
そしてズズズというこれまた聞いたことのない大きな低い地響きの後に、突き上げるような揺れが起こりました。体育館という建物はバネが効いているので、観測された震度の何倍もの揺れを身体に感じていました。
女子生徒の悲鳴、頭を覆えという教師の怒号、ギシギシと動く体育館の壁、そして見たこともないくらい左右にぶらんぶらんと揺れる天井の照明、何が起こったか分からないと口を開けたままの友人の顔。
大きな揺れは収まりましたが、集会は中止になり即座に帰宅の指導がありました。地元が同じ人間は一緒に帰って欲しいと先生が言っていました。電車は動いていなかったので、電車で通っている人たちは親の車を待つことになり、しばらく校内に残っていたといいます。
この時、電波はなく、また不幸なことにこの地域だけ停電と断水が起こっていました。私たちは大きな地震が近くで起こったのだということしかわかりませんでした。
私は比較的学校の近所だったので、歩いて帰りました。雪が残る道を必死に帰りました。家に帰ると、祖母が外で近所の人たちと話をしていました。咄嗟に外に出たと言います。着の身着のままで、寒さからなのか、揺れの怖さなのか、身体が少し震えていました。それは私も同じでした。あの体育館で感じた恐怖がまだ残っていました。
家の中はぐちゃぐちゃでした。食器棚が全て開き、割れた皿はなかったものの、倒れたものが床に散乱していました。
祖母は病気の後遺症で目が悪く、なにも触らなかったと言います。私はそれを片付け、両親が帰るのを待ちました。父も母も小学校教諭でしたので、我が家にすぐ帰ることは出来ませんでした。2人とも、自分の学校の生徒をすべて家に帰し、家まで送り、その後に家に帰ってきました。
私の住んでいた県は断水が少なかったと、後から言われましたが、私の家のある地域は断水しました。そして停電も続きました。
雪国の3月上旬、オール電化だった我が家は非常に冷たく、静かで、怖かったことを覚えています。家がこんなに寒かったのだと、靴下を履いて眠ったことは初めてでした。
それまで肌が乾燥することはありませんでしたが、寒さにより乾燥し、頬が粉を吹きました。クリームを塗りなさいと親に言われたのは人生で初めてで、そこで寒いと肌は乾燥するのだと知りました。
全く暖房がないわけではありませんでした。石油ストーブがありましたが、この後どうなるかが分からないので、居間でひとつだけ点火し、大事に使おうと決めました。
父が帰宅して、仏壇用の蝋燭の火を囲み、家族4人でスープを飲みました。
その時に、宮城県が揺れたらしいと教えてくれました。父も母も私も、携帯電話の電池が惜しくてネットを見ていませんでした。電波はかろうじて復活していたようでした。
明日になれば電気は戻るだろうと、その日は早くに寝ました。何もすることができず、寝るしかなかったのです。
眠る前、ストーブの灯油を入れるために外に出ました。その時、見上げた空を一生忘れないでしょう。私の住んでいた土地は田舎で、普段でも晴れた夜は星が綺麗に見えていました。何度か旅行に行った東京の何倍も星が綺麗だなと思ったものでしたが、その日だけは違いました。星しか見えないのです。大きな星が爛々と瞬き、小さな星たちが埋め尽くし、いつもの星空とは全く違うものでした。
あんなに暗い田舎でも、明るかったのです。真に光がない夜はこんなにも星空を輝かせるのだと、心が震えました。そして、とても怖くなりました。知りたくなかったのです。こんなに星が美しいことを、災害で知りたくなかった。冷えた空気が鼻腔を凍てつかせたので、早く家に戻りました。
家に戻ると、父と母が携帯電話を見つめていました。母は手で目を覆っていました。ほら見ろ、と見せられたのはワンセグ放送でした。そこに映し出された映像を見て、足がすくみました。津波の映像でした。仙台空港が波に飲まれていく、その映像でした。私は仙台空港自体には行ったことはありませんでしたし、仙台市にもあまり行ったことはありませんでしたが、石巻や名取市閖上地区、気仙沼には何度も行っていました。仙台空港がこのような状況なら、私たちが旅行に行っていたあの場所はどうなっているのか、これはどんな被害なのか、何が起こったのか、全ては分かりませんでした。父の充電はギリギリで、それ以上は見ることができず、その日は諦めて横になりました。私はしばらく寝られませんでした。
閖上のサイクルセンターのどでかい合宿所みたいな部屋に家族4人で泊まり、その施設の飲食店で晩ご飯を食べたことが昨日のことのように思い出され、その建物は、そこの人たちは、どうなってしまったのか、怖くて怖くて堪りませんでした。
人が死んでしまうような災害だったのだろうかと、それすら曖昧でした。
情報がないというのがこんなにも不自由なのだと思ったのもこの日でした。
翌日電気が復活し、テレビの報道で津波の被害を目の当たりにしました。
あとはもう、ご存知の通りです。
断水復活までは少し時間がかかりましたが、私の地域はそんなに被害がありませんでした。建物に大きなヒビが入ったり、道路が割れたり、といったところでした。余震は続きました。
ただ、普段明るくおちゃらけた雰囲気の友人が、宮城県に単身赴任をしている父親と連絡が取れないと瞳と口の端をぶるぶる震わせて話す姿が目に焼き付いています。彼女の父親は津波で亡くなったと聞きました。
私は大学生を経て、社会人になり仙台に転勤してきました。もっと生々しい震災の話を聞くことが多くなりました。
南三陸や女川出身の子達は皆、口を揃えて言います。家は流されて実家はないのだと。仕事がなくなって仙台の街中に出てきたのだと。避難中に津波に巻き込まれて、電柱にしがみついて生きながらえたという人もいました。
私の仕事もスーパーゼネコンの施工管理でしたので、震災復興事業が主の時期でした。真新しいコンクリートの壁が海を阻みます。防波堤は高く高く、そびえ立っていました。ひび割れだらけの建物が、そこらかしこらにありました。そして、本丸と呼ばれたあの地にも行きました。人の住まなくなった家は、あんなにも朽ちるのが早いのかと今も恐ろしく思います。
なにより、この地域はよく写真展を開きます。震災前の写真、直後の写真、今の写真、それらを並べて展示するのです。私はその写真を見て泣いてしまいます。イオンの一角で、震災を知らない子供たちが走り回るイオンの中で行われていた写真展を見て、泣いていました。
今でも、その地に行くと、津波最高到達点という線が刻まれた建物があります。ここまで津波が来たぞという標識があります。
どうか忘れないで。風化しないで。思い出して。
今日だけでいいです。
お願いです。
忘れないでください。
隣の仏間から複数の足音がする。ちょうど裸足で畳の上をパタパタと走るような音だ。最初は外の音だと思って無視していたが、ずっと聞こえるので見に行ってみた。しかし当然ながら誰もいない。
それで戻ってテレビを見ていると、またもや同じ足音がする。もう一度確認しに行ったが誰もいない。
しかし、戻ろうとすると今度はすぐ側で足音が聞こえるようになった。なんだか怖いような面白い様な気分だったので、仏間に留まって耳を立てていると、今度は遠くからこどもの笑い声が聞こえてきた。それはひとりではなかった。だんだん人数が増えてきて、丁度自分を中心にぐるぐる回り始める様に聞こえてきた。なんだか不思議な感覚だったが、純真だった私は面白いという気持ちが上回って一緒に笑っていたのだった。
そんな経験が何度かあり,たまに家族がいる間でも足音や階段を登るギシギシという音が聞こえてきた。家族にあの音は何か?と聞いても、風の音だよなどと全く取り合ってくれなかった。まあたしかにそうかな、とも思い始めた。また、近所に子どもがいるか聞いてみたが、近くにはいないよ、知ってるでしょう。と祖母が教えてくれた。
それから数年が過ぎ、回数も少なくなって忘れかけていた。しかし、中学生になったある日、同じ様に1人で留守番していると、あの足音が突然聞こえてきた。シチュエーションも全く同じだったが、心も体も成長していたわたしは、異界なものである事を感覚的に感じ取った。その時あったのは恐怖だけだった。ひたすら無視していたが、今回の音は違った。次第に仏間を出始めたのだ。仏間はフローリングの廊下に続き、2階に上がる階段に続いているが、今回も裸足で、複数の子どもがひたひたと歩くような小さな足音が聞こえた。その音は次に大勢で階段をぎしぎしと登り降りを始め、2階に上ったあとパタパタという音にかわった。スリッパに履き替えた様だった。この一連の動作が手に取るようにわかり、私は戦慄していたが、あまりのリアルな人の気配に実は本当に人がいるのでは?泥棒か空き巣か?と思い始めた。と、言うより人であってほしいと思い込みたかった。私の恐怖は怒りに変わりはじめた。
私は意を決して階段へ向かい、一階から、だれかいるの!?と大声を張り上げた。その瞬間スリッパで歩く音は瞬く間に消えた。
私はその事を今でも後悔している。
なぜならそれから数年後、インターネットが普及し、様々なまとめサイトなどの書き込みでかれらの正体がわかったからだ。
かれらは座敷わらしだったのだと思う。
思えばその頃から成績は伸び悩み、目的を失い、輝かしい人生を辿ることは出来なかった。今でも財産は失われつづけ、徐々に苦しい状況に陥っている。
それ以来その音は聞いていない。
美容師に怒られそうだけど、美容師と俺一生会話噛み合うことないと思うから無視で。
諸々のストレスがあったので風呂でめっちゃ気合い入れて石鹸で髪を洗った。ちなみに保湿石鹸とかの流した後にもなんかぬるぬる残るヤツじゃなくて、さっぱり流し切れるやつ。
髪だけじゃなくて頭皮まで、全部ちゃんと泡立つレベルでがっつり洗った。特に後頭部、頭のヘリから首の上までがなかなか泡立たなくって手がダルくなったが頑張って洗った。
バーって流してすげースッキリした。スッキリの体感が違わあ。でもまぁ髪はギシギシするので、そのあとちゃんとシャンプーもした。シャンプーもすげー泡立って気持ちいい。はー、気が済んだ。
ギシギシのままの髪はさすがに自分でもよろしくないなと思うので、その後ちゃんとコンディショナーもした。
なお自分、3年前に坊主レベルに刈り込んだので今生えてる毛はストパもカラーもしてない元気でツヤツヤな剛毛でござい。傷んでる髪の皆様が真似して大丈夫かどうかは知らん。
あ、ちなみに石鹸で洗った感触と炭酸スパの感触はかなり似てるので、炭酸スパに高い金出すくらいなら3個100円の石鹸で洗うのも節約術としてアリだと思う(副音声:炭酸スパはカットやカラーと違ってカモ騙してお金巻き上げる系の商材だと思う)