はてなキーワード: でっち上げとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180928042947
hagexが殺されたときにそういうこと言ってるページが出てきた時は、
今となっては川上さんのほうが正しかったんだなってはっきりわかんだね
悲しいのは、はてなブックマークで集団リンチに勤しんでるクズどもは、
ネットの隅っこで集団で群れて、他のやつにリンチすることで自分たちは最弱じゃないと言ってチンケなプライドを取り戻そうとしてるだけ。
自分たちが被害者だと思ってるから自分たちが何言ってもいいと思ってる最低な人間たちの集まり
なんとかして自分が他の人間を殴れる理由を探しでっち上げ続けてる暇を持て余したゴミクズの遊び場。
それがはてなブックマーク。
えー、本日は増田の皆様にお集まりいただき、まことにありがとうございます。私、このたび酒鬼薔薇高等学院を設立することになりました柊龍士郎と申します。そもそも今回、学院を設立しようと思った理由は、酒鬼薔薇王国の卒業生があまりにもアレであるということによるものです。青島先生も王国を生暖かくウォッチされていたと思いますが、事件から二十余年を経てこのような結果になったのは誠に残念なことであります。
そこで今回の酒鬼薔薇高等学院では、以下のような方針をとることにいたします。まず、酒鬼薔薇王国の失敗の原因は、サイトの運営者であるくそ餓鬼の性格がアレであるということに加え、まともな人間がすべてくそ餓鬼に愛想を尽かして帰ってしまったことであります。掲示板に書き込むことすらしない「ファン」が裏でコソコソ動き回っている。酒鬼薔薇王国が伏魔殿であると言われる所以です。
そこで私は「5ちゃんねる」を模した新しい掲示板をでっちあげ、自作自演でもってファンを代弁することにいたしました。自分で多数のスレを立て、なんと最大で1つのスレに60レスすべて自分で書いたのであります。酒鬼薔薇のファンにはどのような人物がいるのか、また、作家や報道関係者はどういう思いを持っているのか想像をめぐらしたのであります。そしてスレをつくっただけでなく、まとめサイトまででっち上げました。伏魔殿で蠢く酒鬼薔薇ファンに天誅が下ることを祈ってやみません。
以上をもって設立の辞とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。
【参考】
https://sakakibarakingdom.exblog.jp/28625427/
元スレ:
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10791/1535820212/
15年友人関係続けて耐えられなくなって逃げた。
俺が大学とかバイト先で新しい友達ができたと知るとこの幼馴染は
「はっ!?ふざけっ…んだよそれよお」
頼まれるがまま遊びに誘って引き合わせると
「どうもはじめまして~。なんだよ、全然普通そうな人じゃん!!お前、悪口ばっか言ってるからどんなヤバい人くるかとドキドキしてたわ〜w」
と冗談めかして完全な嘘をぶち込んでくる。
当然、このせいで新しくできた友達と徐々に疎遠になる。
なんであんな嘘ついたんだ、なにがしたいんだと幼馴染に猛抗議しても
「ちゃっと待ってよ〜w言ってたじゃん!!www」
とシラを切り続ける。
第三者がいるときならともかく、俺とこの幼馴染、事実を把握できてる者二人きりのときにこういう無意味な弁明をするから唖然してしまった。
機嫌が悪いときは手がつけられない。
電気屋の店員をテメエ呼ばわりしたり、観光案内所の人に「(バスのルートを)とっとと教えて?バカでもできる仕事なんだからさあ」と八つ当たり目的で挑発したりと、完全にぶっ飛んでる。
どういうときに幼馴染の機嫌が悪くなるのかは全く読めない。上機嫌だったのに突然癇癪を起こすときもある。
ある日、遊んだ帰りに幼馴染が強引に俺の実家に上がり込んだときがあった。
とか独り言の体で冗談っぽくタカる芝居を始めたから、そもそも出前目当てで家に来たんだなとすぐにわかった。
そんな要求を適当にあしらってたけど夜の6時過ぎても幼馴染は帰ろうとせず、俺の母親が気を利かせて出前を提案したので彼は目論見通りピザにありつくことに成功した。
ピザ食ってる最中に母親が「お漬物あるんだけど食べる?」と勧めた瞬間に幼馴染の上機嫌は吹っ飛んだ。
とピシャリ。
俺も母親も完全に凍りついてた。バラエティ番組ノリの冗談かと思って幼馴染の顔を見たら完全にブチ切れた表情してた。
機嫌を直したときも幼馴染は油断できない。
ある友人が遊びの待ち合わせに大幅に遅れたときがあった。
当然、幼馴染は機嫌を損ねてブチ切れる。
駅前だというのに周りが振り向くくらいキレまくってた。俺は周りの視線が痛いのでずーっと幼馴染をなだめていた。
やっとこさ姿を表した友人は青い顔をしていた。人前で恥ずかしいからやめてくれ、ってくらい大袈裟に謝ってきた。
そしたら幼馴染が
「なあ、もうお前許してやれよ。こんなに謝ってんのにまだキレてんの!?こいつ来るまでずーっとキレて、こいつが来てもまだムスッとして…いい加減にしてくれって…」
と悲しそうな顔で俺に苦言を呈してきた。
遅れてきた友達は大慌てで謝り倒しながら「この前借りた2000円、今返すよ。遅れて本当にごめん」とまで言ってきた。
「いや、俺そもそもキレてねえから!それにこの返され方じゃカツアゲしたみたいになるからタイミング的にちょっと」
と困惑してると再び幼馴染が
「わかったわかった!俺がその2000円代わりに払うよ。で、お前は今度俺に2000円返せばいいよ!
いや、2000円ごときいいわ(笑)俺に返さなくてもいいよ。完全に精算!これで終わり!かわいそうになあ、こんな無理矢理払わせるみたいなマネされてよお」
と同情を禁じ得ないという感じで一芝居打ち、表情を強張らせ俺をキッと睨みつけながら
「ほら、お前もういいだろ…これで収めろって」
本当に恐ろしいやつだと思った。
敵に回したら怖い、とかそういうのじゃなくて得体のしれないモンスターのような恐ろしさを幼馴染から感じ取った。
人を陥れたり、誰かに寄り添ったりするこういうでっち上げの立ち回りを幼馴染はよくやっていたので、周りから信頼されていた。
たとえ幼馴染が発作的な不機嫌を起こしても、皆困惑しながら自分たちの行いをひたすら思い返しては責めていたくらいだった。
幼馴染はこういうめちゃくちゃな行動を相手選んでやっていたと思う。
実際、俺はなかなか縁を切れなかったわけだし、他の友達も突然の八つ当たりやブチ切れに目をつむってこの幼馴染をしたい続けていたし。
それに、目上には徹底的に礼儀正しかった。体育会的なわざとらしい服従ではなく、自分の生殺与奪を握っているような目上に対しては本当に常識的にごく自然に敬意を払っていた。
「連休のたびに上司から餅つきや釣りや食事に連れ回されてさすがに困ってる」とかそういう話をよく聞いた。
15年経ってこの幼馴染の行いがようやく俺の中での許容値を超えてフェードアウトすることになったのだが、
縁が切れた今気になるのはなんでこいつがこんな人間になってしまったのかということだ。
意外に思われるかもしれないが、この幼馴染は家族仲がすこぶるいい。
付き合いが長いからよく知っているけど、両親は良識ある物凄く良い人たちだ。
学生時代にイジメを受けた過去もなく、むしろ同級生たちのリーダー的存在だった。教師からもとにかく可愛がられていたし。
俺と違って思春期に彼女もいたし、一流大学にサクッと合格してた。就職先も一流。
コンプレックスらしいコンプレックスとは無縁の人間だった気がする。
それだけに、この幼馴染がモンスターになった原因が全くわからなくて途方に暮れている。
遺伝でもなく、環境でもなく…じゃあ他になにがあるよ?っていうのが正直なところだ。
全くわからない。
これはシンプルに言えば「よくある会社お抱えのカウンセラーを普通の社員がほんのちょっと講習を受けて片手間にやらせられる」というシステム。
まあ端的に言って、物凄く何の意味もない。
「部隊相談員に相談したことで不安が解消されました」という話を聞いたことは一度もない。
むしろ、「メンタルがまずい?は?勝手に部隊相談員にカウンセリングでも受けてろよ」という態度が横行して状況が悪化したという意見を聞いたことがあるぐらいだ。
まあ当然といえば当然である。
名義を与えるためだけの形だけの講習を受けたズブの素人、それも同じ部隊で顔を合わせている知り合いに相談して状況が良くなるはずがないのだ。
そもそも素人にカウンセリングごっこをさせようとするのが完全に間違っている。
こんなものは、カウンセリングというものを「ただ他人の話を聞くだけだ」と思っている1ミリもメンタルヘルスの知識がない人間が外向けのポーズのためだけにでっち上げたあるだけはた迷惑なクソ制度である。
そんなものがあるという事自体が、自衛隊という組織への失望、メンタルヘルスに対して理解を示そうともしない環境で働いていることへの絶望感を加速させていることにまず気づくべきだ。
機械学習、量子コンピュータ、3Dプリンター、メイカー、スマフォ、VR/AR/xRなど、これからはコレが流行る!とでっち上げるのが下手だと思う。
国内で全くやってないかというとそんなことはなく、研究でやっている人はいるわけだが、海外でこれから流行る!と話題を作ってもらわないと動けない。
そんなわけで、海外というかアメリカに対してはかなり敏感なわけだが、2,3年かけてそろそろ市場つくるかーとアメリカででっち上げたものに追いつこうとするが、
体力勝負で勝てると踏んで宣伝しているものに、後から乗っかっても敗退してしまう。
今後数年で市場がどうなるかを出すのはアメリカであり国内の既に強い部分を活用できるようなものではなく、キラーパスのようなものである。
一番国が情報を集めやすく、企業間をつなぎやすいわけだが、そこでもアメリカで強いものが流行ると言っている。
見る側も既にアメリカで流行るものをニュースで見ているので、違うことを書くと、やっぱり国はセンスがないと言われるのだろうが。
http://www.netlorechase.net/entry/2018/08/04/073000
軽く探したけど、5分で見つかりました。
hand****
sk건설이 담당한 부분은 아무 문제 없고 일본건설사가 맡은 부분이 무너져서 이 꼴 난거다... 똥남아 새끼들 미개해서 만만한 한국 노리는거
2018-08-02 19:29:08신고
답글0공감/비공감공감12비공감1
機械翻訳(一部略)
sk建設が担当した部分は、何の問題もなく、日本の建設会社が引き受けた部分が崩れ、この格好私だ...くそのまま子たち未開て甘い韓国狙うだろ
2018-08-02 19:29:08
場所は
https://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&sid1=001&oid=025&aid=0002840321
のコメント欄です。
確かにごく一部だけど共感されているってことは同調する意見もあるのだろうし、産経や日本のネトウヨの妄想・でっち上げって断罪するのはどうかと思うなぁ。
「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を見たので感想。と言うか自分メモ。ネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。
「まさに千八百円と上映時間分の時間を投資する価値がある映画」を100点だと考えたときの点数は15点位。ひどみ。低評価。なんだこれ。
しかし微塵も揺るがない増田。なぜなら(自分的には大体似たカテゴリに入る)「ドラえもん のび太の宝島」が脅威のマイナス点数の失神級駄作だったので免疫がついたのだった。
シナリオの作りが野心的で100分という尺の中でなんと群像劇をやろうとしていた。
主な人物として「市長の娘ヒロインのラルゴ」「ギャルっぽいヒロインのリサ」「過去を抱えた市長オリバー」「後悔に生きる老婆ヒスイ」「コミュ障のポケモン学者トリト」「口からのでまかせで生きてきた男カガチ」あたりがいて、それぞれが内面に問題を抱えつつ生きている。物語の舞台フウラシティを訪れたサトシは、この街の生命線とも言える「風祭り」に参加。そこで起きる大事件に様々な人間と関わり合いながら立ち向かう……という映画のメインストーリー。
この「群像劇をやりたい」という企画性というか意気込みを、まずは評価する。……んだけど、それはやっぱり難易度は高い。脚本はあちこち駄目ぽだった。大きな問題点としては感情動線の理屈建て不足で、なんか悩みやトラウマがある→でも私の力が必要っぽい→周りが盛り上がってる→感動パワーでうわー解決! というのが群像劇分水平コピーされている。
そこには「今までの悩みやトラウマを超克するための内面的な気付きやきっかけ」みたいなものが不足していて、「今までダメだった理由」「今回は立ち上がった理由」が極めて薄いか、キャラによっては存在すらない。感動的な音楽がかかって背景で大火災とかあるからやらなきゃならないやったでーというわりと雑なほうりなげだった。そんなんだったらそもそもトラウマいらんでしょ。
そのほかにも、山の中で発見された聖火を市長が街まで持って帰れば時間は余裕なのに(また普通に考えて街の宝を放置するほうがありえないのに)、わざわざ間に合わないギリギリまで放置して女子高生ギャルにスプリントさせるとか、なんかこう……脚本レベルで穴が多い。
「みんなの物語」「みんなで協力するという感動」という企画性は理解できるんだけど、脚本陣にそれを実装する能力が欠けていたように思われる。かと言ってそれは脚本家をけなしているわけではなくて、企画レベルで(つまり脚本の方法性や盛り込もうとした素材のボリュームレベルで)無理があったんじゃなかろうか? 登場人物を絞るなり(その意味でサトシのポケモンをピカチュウだけに絞ったのは良かった)、あるいは尺を圧迫しないおりたたみで内面を描写したりという工夫が足りなかったように思う。
ゼラオラは物語の舞台フウラシティ周辺のポケモンの守り神とでも云うべき存在で、フウラシティが成立する前から周辺のポケモンや自然を守ってきた。しかし、産物に乏しいこの地にルギアがあらわれて風を呼び、この風をもとにした風力発電でフウラシティは成立。人間はドンドコ森を切り開き、ポケモンの自然生息域を圧迫、その件でゼラオラとは対立せざるを得ないようになっていった。五〇年前、人間たちは自己から森林火災をおこしてしまい、火災からポケモンを守るためにゼラオラは負傷。当時の市長はゼラオラを守るために、山林は人間の立入禁止として立ち入ったものはゼラオラの呪いがあると嘘の噂をばらまいた――というのが物語の背景。
なんだけど、なんかもうこの時点で2周半くらい人間側がクズじゃねえ?
ゼラオラ何も悪い事してないじゃないですか。と言うか、その点ではなく、むしろ人間が人間の都合(街を拡張したい)で森林伐採をするならそれはそれで良いんだけど(なんせ人間はそういう存在なので)それならそれで、そのように述べてやれば良いわけで、「ゼラオラの呪い」なんていう相手の名誉を毀損するでっち上げをしながら、相手を救うとかいう恩着せをするのが全く救えない。んで50年もの間「かー、ゼラオラに呪われちゃうんであの山には入れないんだよなー。かーっ。呪い無ければ事故調査も開発もできるのになー。かー」とか責任転嫁をしてきたという醜悪さがある。
それがポケモンの世界観だと言えば世界観なのかもしれないが、そのゼラオラをサトシ&ピカチューは叩きのめすことで「ともだち」にして「ともだちだからもう遺恨はないよな?」とする脚本は、おいおいいくらなんでもそれマジで書いてるのかよ? 的な部分はあった。
ポケモンは三歳児程度には意思疎通な生命体なんだけど、ペット(守るべき対象)なのか、それとも一種の亜人(権利を認めるべき存在)なのか? って言うこの問題意識はポケモンの第一作から見え隠れしている。しかし今回は輪をかけて「ポケモンはともだち」というパワーワードとゼラオラが見かけ上はネコ科の獣人っぽい外見(人型)であるという2点で、極まってしまっているように思える。明らかに独自の言語的能力を有して、周囲の同族やポケモンを守り、森林火災から救助するほどの知能を持つ知性体を「呪い」扱いしてトラブルの責任転嫁をするって、どうなのよ。
そもそもフウラシティはルギアの呼んだ風を用いる発電で街を興し、毎年一度「風祭り」の日にルギアを招いては風力発電の維持を願っているような街である。風がとまれば電力も絶えて街は闇に包まれて住民たちはうなだれる。そういう関係を「ともだち」っていうのか? 母親の財布から毎月数千円くすねて上納することによって「ともだち」になってくれるクラスメイトより気持ち悪くないか。
そういう意味で今回の映画は、自分個人が楽しめないとか以上に「この映画を無邪気に楽しめるってやばくね?」的な心配が発生してしまった。この心配の方向性は「ドラえもん のび太の宝島」によく似ている(ドラえもんのほうがヤバさは上だが)。
ポケモン映画は毎回なんだけど、街の人混みの中や自然の中にちょこちょこと数え切れないほどのポケモンが登場していて楽しい。ウォーリーを探せ的な楽しさがある。その気持ちよさ楽しさは今回もたっぷり楽しめた。
主要人物の一人「コミュ障のポケモン研究者トリト」のパートナーポケモンであるラッキーがよい。
脚本や演出がどこまで自覚的だったのか怪しいのだけどこのラッキーの存在が、映画全体に対するアンチテーゼになっている。
トリトはポケモン研究者でいつも多くのポケモンに囲まれているんだけど、いつも一番近くにいるのが癒し系のラッキーで、おそらくこのラッキーは、トリトを飼い主であるとか主人であるとか思っていない。トリトのことを自分が保護すべき存在だと、あるいは下手をしたら、トリトは自分の子供だと思っている。
ポケモンが一体何なのか? 都合の良い労働動物なのか? 資源なのか? 生存権を保護すべき対象なのか? 人権さえ認めるべき存在なのか? というテーマはシリーズにグッサリ刺さった楔なわけだけど、それってあくまで人間を中心にした人間視点でしかない。
ラッキーはトリトのことを意気地無しで世話が焼ける存在だと思っていて(そしてそれは正しい)、そのうえ自分が世話をしてやる対象だと思ってる。
それはポケモンの側からみて、人間が「時々発狂して面倒くさいメンヘラの同居人」なのかもしれない、というシリーズのブレイクスルーになりうる(非常に薄くて小さな)突破口だ。
この間、通学途中でどうしても学校に行きたくなくなって、電車で行けるところまでいって、街に繰り出して、本屋やらカフェやらで時間をつぶして適当に帰った。
なんか、ドラマとか映画みたいでワクワクした。ぼっちだったけど。
親は放任主義だし、私の変なところを知っているので理由を説明しても、あまり気にしていなかった。
「新しい本買ったの?よかったねー明日は行くの?」くらい。
「急に行きたくなくなったんです」って言ったらこてんぱんに怒られた。
ここで素直に理由を言っちゃった私が馬鹿だったとは思うんだけど、普段はユニークな人なのでそうなんだーと流してくれるかなと思ってしまった。
「理解できない」「ちゃんと理由があるでしょ。説明して」「いじめられているの?」
そんな言葉ばっかりだった。
「明日は来てよ」と言われたので、「すみません次回から気を付けます」と言って、電話を切った。
誤魔化せたかなと思っていたら、翌日生活指導室に連行された。流石にまじかよと思った。
素行不良でもないし、友達いるし、成績も悪くない方だし、欠席も今年度初だったから。
ちょっと偉い先生も増えて3対1になった。「退学行為だよ」と怒られた。
早く解放されたかったので、電車を寝過ごしたとかちょっと迷子になったとか適当な理由をでっち上げた。
「でも」「だって」を使わないように、ひたすら謝る1時間が経った。
「急に行きたくなくなった」という本当のシンプルな理由が信じられなくて、
適当についた嘘の方が受け入れられるってなんなんだろう?と思った。
でも、確かに10年近く学生生活送ってきて、「急に休みたくなった」っていって休んだ子周りにいないなぁとは思った。
翌日学校に行くと、友達にも「昨日なんで休んだの?」と聞かれた。
「急に行きたくなくなったんよねー」というと、みんな「クレイジーw」と言って笑い飛ばしてくれた。
なにか他に深い理由があるのかもしれない、と慮ってくれたのかもしれないけど。そうだったら申し訳ない。
もやもやしている。社会に出たら通用しないという、先生の言い分もわかるけど……なんだかなぁという気持ちです。
追記:たくさんコメントが届いてびっくりしています。薦めて頂いた本は読みたいと思います!本当に読んで下さってありがとうございました。
既得権益がイノベーションを妨げていて経済のパイが大きくならないから雇用の流動性が低くてブラックな勤め先でも我慢するしかないとか、
身分秩序が強くて庶民は権力者に反抗する手段を徹底的に奪われていて上位者への下位者の不満はさらなる下層民を作って叩かせることで逸らしているとか、
外国をよく知らないくせにでっち上げの伝統やオリジナリティで自国が一番と思い込んで排外主義を拗らせているとか、
これらは中世というよりも近世、というか江戸時代の後期の特徴ではないだろうか?
又吉イエスに「地獄の炎に投げ込む」と名指しされると有力政治家でもパンひとつ買えなくなって世界経済共同体党本部が入っている雑居ビルの前で土下座するとか、
なろうの異世界転生って