はてなキーワード: 痴呆とは
男親が生後五ヶ月の女の赤ちゃんの、おっぱいをつつくのは性的虐待か? っていう話が話題になってる。
離婚騒動があるんだけど、暴露の内容とか動機とかを信じられるかとかは、一方の話しかないし、結局当事者じゃないから首を突っ込めないんだけど、
見てるひとたちの議論の中で、危険な誤解が蔓延しつつあるみたいなので、取り急ぎ筆を取ります。
「男親は入浴やオムツの取替えなどを除いて、不必要な接触は避けるべきかな…」
こんな不安が醸成されてきてるっぽくて、これはまずいな、と思いました。
むこうのコメント欄に、痴呆になったおばあちゃんに例えたり、お菓子を取り上げるイジメの例えがあったけど、違うよ。
老人ホームのおばあちゃんのおっぱいをツツく正当な理由はないし、イジメも嫌な気分にさせて有害でしかない。そうじゃなくて、子どもには本当にしなくちゃならないことがある。
あまり知られていないけど、アカゲザル実験というのがあるんだよ。
赤ちゃんサルに、母親役の人形を使ってミルクをあげさせる実験。一方は針金で作った人形で、もう一方は布で作って熱を発するようにした。
二匹の赤ちゃんザルの檻に、おもちゃのヘビを投げ込むと、針金の方と一緒にした赤ちゃんはギャーギャー泣き叫んでパニックになった。でも温かい布に抱きついてた方は平然としてたんだ。
でも、二匹ともおとなになったときに群れに馴染むことができなかったらしい。
それで布人形を改良して赤ちゃんを揺するようにしたら、ずっとマシになったとか。
(最終的にはこれに加えて、仲間のサルと遊ばせるようにすることで、群れに溶け込める正常なオサルに育った)
モチロン子どものプライベートゾーンは尊重すべきだけど、どんなスキンシップが効果的かの科学的証拠が十分でない以上、いろいろやってみるべきだよ。
こんなことは匿名ダイアリーでしか言えないが、自分は、彼の言い分を見てみたいと思う
「私は意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」
植物人間のまま何年も生きている人、脳死状態で何年も生きている人、意思疎通も出来ず何を考えているかも分からない、そういう人に生きている意味はあるのか
結局そういうことなんだろう
なぜこの犯人がこの思考に至ったかと言えば、毎日彼らの世話をしていたからだ
遺族の人たちは、酷いことを、と憤り、最後の瞬間どんなに怖かったか、と言っている
だが彼らは怖いという感情があっただろうか。そう見えるだけで違うかもしれない。
そんなことはない、私は分かる、と遺族は言うだろう。そうかもしれない。
私は、痴呆の親と知的障害の兄を在宅介護で看取った。ホームにはいろいろあって入れられなかった。
正直、早く死んでくれないだろうかと何度も思い、親に対してそんな気持ちになる自分が辛かった。
私が早く死んでくれと思ってしまった原因は、在宅で介護していたからだ。
ホームに入ってさえいたら、面会の時だけしか会わず、優しい心でいられただろう。
知的障害の兄も何年も世話をした。
意思疎通なんてほとんどできなかった。私の言葉は伝わらず、何を言っても意味不明だった。
親が痴呆になったのはストレスだろう。兄が死んだ後、母がぼけた。
私は、兄の介護、母の介護で人生を使い果たし、自分のことは何も出来なかった。兄のことは好きではなかった。
家族であるという義務感だけで世話をしていただけで、私のことを理解しているかどうかも怪しい物体を、兄だからと心を押さえつけて優しく接していた。
安楽死出来るならして欲しいと思った。
何十年もやまゆりにいた障害者の人たち。親はたまに面会に行き、元気だったか、どうだったか、と話しかける。
普段の大変な介護はやまゆりが全部やっているのだから、優しい心で接することが出来るだろう。かわいい我が子だろう。遺族の人たちは、在宅で何十年も介護していたとしても、かわいい我が子で、大切だと言えたのだろうか。
ふと、疲れ果て、死んでくれないかな、この生活がいつまで続くんだろう、この子が死なない限り、ろくに外出も出来ず、家族で旅行にも行けず、腰が痛くてもベッドの上げ下げをして介護生活、辛い。と思ったりはしなかったのだろうか。
結局は、辛く苦しい介護の部分を見ていないから、体験していないから、遺族はああして犯人を責められるのではないだろうか
私だったら言えなかったと思う。
なんてことをするんだ酷い、と泣きながら、ほっとしたような気もする。
ああ、これでもう介護しないでいいんだ、遊びにも行けるんだ、と。
はてなでも、兄弟が知的障害で、死んで欲しいと思っている、という書き込みが前にあったが、そんなことを増田が考えたのは、自宅にその兄弟がいるからだ。
養護施設に預けて生活にかかわってこなければ、知的障害があっても大切な兄弟として優しく接することが出来ているはずだ
介護という一番辛い部分を全部他人に預けておいて、「かわいい我が子を!あの子だって生きたかった!きっと怖かった!」と言われても、おそらくたまに会いに来るあなたよりも犯人の方がよっぽど長い時間その子に接していただろうと思う
私には、親を介護している子供が、介護疲れのあまり、思いあまって親を殺してしまい、遠方で生活していて全く介護を手伝っていなかった兄弟が、「親を殺すなんてなんて酷いことするんだ!」と責めている状態と似ているように思えてしまうのだ
まあこんなこといったらすんごい勢いで叩かれて死ねとかいわれるだろうから増田に吐き捨てるけど。
うるさいババアがいる。
ババアは窓を思いっきり叩きつけるように閉める。ババアが窓を開け閉めする度に建造物が揺れる
ババアはドアも思いっきり叩きつけるように閉める。ババアがドアを閉めると波動みたいなのが俺の部屋にまで及ぶ
ババアは地響きが鳴るような足音を立てて蠢き周る。ババアは比較的やせ型の癖に最大限の負荷をかけて徘徊する
ババアは昼夜問わずクソデカい音量で喋り続ける。人が居ても居なくても勝手に喋り続ける壊れかけのRADIO。
何が辛いってババアが身内だという事である。昔は温厚だった母も痴呆により手が付けられない騒音兵器と化している。
最近ツイッターのアンケートでも話題になっていたけれど、性犯罪被害者って男性にだって多いし、女性に至ってはとんでもない割合でいる。多少選択バイアスなんかもあるだろうけど、女として生きていて実感としてある程度確かだと思う。
女子校に通っていた頃、痴漢とか盗撮とか覗きとかよく聞いた。盗撮犯が捕まったとき、教師に「お前らスカートが短すぎる!」って怒られた。隣の共学のブレザー共のほうがスカートみじけぇだろうがよ!セーラーじゃなんぼ短いつっても膝上数センチだぞ!そもそも女子校なんてオタクの巣窟8割がスカート膝下喪女じゃねぇか!短いからされてんじゃねぇしそもそも短けりゃあ盗撮していいってことにもなんねぇよ!なんてことは置いておいて、性犯罪者なんて絶対に許せないって思ってた。一方自分が被害者になり得ると思ってなかった。我が校生徒を狙った盗撮だって、スカート丈関係なくたって、変態の好物女子校の制服を纏っていたって、痴漢にとって顔の美醜も露出も関係ないと理屈は知っていたって私みたいな喪女には関係のない話だって思ってた。件のアンケートも被害にあったことはないって答えた。
けど答えた瞬間思い出したんですよ。昔、猥褻ないたずら電話を受けたことがある。
猥褻電話って『はぁはぁ、パンツ何色?』みたいなイメージ強いけど、そんないかにもなヤツじゃなくて。
「学校で行った尿検査で、君に性病の可能性があることがわかった」みたいな電話。
尿検査で性病がわかるか!!!って今なら思うけど、当時中学生になりたて。大昔のことだから詳細は覚えていないけど、このままだと学校や親に知らせたり、学校で再検査をしなければならない。それは恥ずかしいでしょう?みたいなことを言われた。
いや学校にも親にも連絡しろや!再検査は病院でしろや!恥ずかしいとか言ってる場合か!って今なら思うけど、当時は性に関することってやっぱ恥ずかしくて、威圧感のある口調に言いくるめられて相手のいう事をうんうんと聞くしかなかった。
確か自慰頻度とか、オリモノの色とか、初潮時期とか聞かれたと思う。
自分は病気なのかもしれないって怖くて素直に答えていたら、最終的に誰もいない所でクリを触ってみてって言われた。気持ち良ければ病気の疑いは晴れるそうだった。
そこでようやく私もこれはおかしいと思って、とにかく気持ちが悪いを連呼した。それから強い口調だった電話主が、え、でも、多少は気持ちいいよね? 気持ちいいなら問題ないんだけど… うーん…多分大丈夫だと思うんだけど… みたいに徐々に語気が弱くなって電話は終わった。
それでもその時点では本当に病気なのかもしれないという不安もあって、いたずらにしても気持ちの悪い電話をしてしまったという不快感もあった。
それから半年後、また同じような電話が来た。この時は以前より相手の口調がたどたどしくて私も強く「前もこんな電話きたんですけど、いたずらですか」なんて言って、割とすぐ切れた。以前のものもいたずらだったんだと確信できたのはそのときだった。
今になって検索してみたら同じような電話を受けたことがある人が結構いるんだって。大人になってからって人もいた。
思い返すといたずらだとわかっててもあの頃はそれがすごく気持ち悪くて、尿検査が嫌だったり、電話に出るのが嫌だったりした。怖くて誰かと共有したかったけど、そんなこと言えるわけなくて一人で何とも言えない不安を抱えていた。
でも、いたずら電話じゃ実害もないし、直接それを規制する法律もないから性犯罪被害者かっていうと違うかな。当時は気持ちが悪くて怖かった記憶はあるけれど、今の私はそれを忘れて元気に健やかに育ったわけだし。って思い出した瞬間は思った。でも例えば我が子が同じような電話を受けて怖い思いをしたらとぞっとする。
っていうか次々思い出した。もっと直接的にお尻を触られたこととか、女子トイレまでおじさんについてこられたこととか、親戚のお兄さんに体をまさぐられたこととか。怖いとか嫌だとか思ったはずなのに、大したことじゃないと自分に言い聞かせて忘れた。いや恐ろしすぎるでしょ。
私も性被害者だからどうだってわけじゃない。ましてや忘れるくらい大した話じゃないなんて言いたいわけでもない。
性被害って本当に当たり前にある。そしてそれが確実に軽んじられている。
私は自分への被害に対してすら、自分への被害だからこそなのかもしれないけれど無頓着だった。
私はどちらかというと被害者の味方のつもりでいた。被害者叩きや謎の上からアドバイスにキレ散らかす側の人間だ。それなのに理解度があまりにも低すぎる。
性被害者は本当に思っているより多い。潜在的な被害者はもっと多い。物や命や、具体的な何かが失われるわけじゃないから、人からどころか自分からだってわかりにくい。被害者側が大したことないとか、これくらい仕方がないとかで片付けてしまったりする。でもそんなの絶対におかしい。
自分には関係のない事じゃないしどうでもいいことじゃない。他人におこる深刻な問題でもない。もっと真剣に向き合う必要がある。
と海外出張中に考えて、自分の経験を忘れていたことがショックで、痴呆ってやつかな…と現地職員に何気なくこぼしたらえぐい地方料理に連れていかれたりもしたけれど、強く生きたい。
先日始まった艦これ2018年春ミニイベントは、年に4回行う特殊海域を攻略する普段のイベントと異なり、その合間に度々行われた通常海域でドロップするようになるアイテムを集める収集系のイベントである。
その仕様があまりにも過去から何も学んでいないどころか一度学んだことを忘れたか、脳に障害でもあるのかというレベルだったので怒りに任せて書きなぐる。
ソーシャルゲームで開始前どころか開始してから一週間も経とうというのに、イベント開催期間を告知しない物など他に存在するのだろうか?
ただでさえ学生にも社会人にも休みが少ないこの時期に行うイベントで、収集系のイベントとなれば予定を立てて計画的に行う必要が出てくる。
サーバーが攻撃を受けているから告知が遅れているのもあるだろうが、それでも当初の予定日くらいさっさと告知しろ。
Twitterを見ると現在開催中のよみうりランドのコラボの情報が長々と書かれているだけで、よみうりランドにも腹が立ってくる。
初期のころのアイテム収集イベントは未実装の装備が手に入る物だったが、ドロップ率が渋かったのもあって大ひんしゅくを買った
それを反省してか、その後のアイテム収集イベントは家具というプレイに何の影響もないアイテムが手に入る物が多かった
ところが今回の任務報酬は未実装装備やランカー装備のオンパレード
何が何でも手に入れなければという余裕の無さから、苛立ちは加速する
三越コラボの商品から米、梅干し、海苔、お茶を集めるイベントなのだが、米がとにかく出まくる。
任務達成に一番量が必要なのも米なのだが、それ以上の勢いで米が出る。
一番最初の収集系ミニイベントである菱餅集めの仕様が戦闘終了後に艦娘か菱餅かどちらかしか手に入らなかった。
その結果、「菱餅だと思ったら艦娘だった」という落胆から、ドロップする艦娘にヘイトが集まることとなった。
後の収集イベントではどちらも手に入るような仕様に変更された事から、よほどの苦情が来たのだろう。
それにも関わらず今回は「梅干し/海苔/お茶だと思ったら米だった」という仕様にしてしまう無能運営である。
嵐掘りをしている時に川内型ばかりが手に入った時に川内型が嫌いになってきたように、米もどんどん嫌いになっていく。
ただでさえ炭水化物、特に白い飯は控える世論にも関わらず、農家はとんだとばっちりである。
あまりにも米以外が手に入り辛い事からテコ入れなのか、先週末からドロップ率上昇の告知があった。
ただでさえ同じ海域に出撃し続けているとドロップ率が減っていく仕様に加えて
日によってドロップ率が変わるとなると集計情報が意味をなさなくなってくる
更に終了時期未告知である
ふざけるのも大概にしろ
ただでさえアイテムのドロップ率が低くて参っているのに艦娘掘りまでしなければならない
ほんと期間さっさと告知以下略
辛い
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
ママ・ココという100歳に近いひいひいおばあちゃんがいて、もうだいぶ物忘れをしていて、反応も薄いし、目の前の相手が誰かもあまりわからないみたい
ミゲルはそんなママ・ココのことを「お話すると楽しいから大好き!」と言って、よく話しかけるしよく一緒にいる
というストーリーやシーンが、とても見ていて辛かった
亡くなった私のおばあちゃんとおじいちゃんは、どちらもなくなる直前に痴呆のような症状が見られた
私のことがわからない様子で、誰かがいるのかいないのかもわからない様子で、昔とは違ううつろな目をした祖父母を見て私は怖くなった
「ああ、こうやって人間は店じまいのように少しずつ身体の機能を終わらせていって、やがて死ぬんだ」と
大好きの人たちが変わりゆくのを、その生命が終わりゆくのを目の当たりにして、私は恐怖と悲しみを強く強く感じながら、心の底で泣きながら、上辺だけの笑顔でその痩せた手を握って話しかけることしかできなかった
私は散々にお世話になった祖母が亡くなった時に、ほとんど悲しく無く涙は一滴も零れなかった。
俺ってサイコパスゥ~!フゥッフゥ~!とか言うつもりは無く、基本的にくそ女々しい人間である筈だが
受けた感情は事実であるとしか言いようがないので、その理屈を自分なりに明文化しておく。
なんとなくで生きていても、人の生き死にには程々に触れる事となる。
ある程度予測可能な「誕生」に比べて「死」は突発的であったり、予想が付くこともあったり衝動的であったり
残留した人達からすれば、十人十色の受け取り方がある。まず基本的には悲しい。
悲しさはまず間違いなく数値化が出来る。基本的に死は突き抜けて悲しい。
親交のある人間ほどその数値は大きくなり、遠縁の人ほど小さくなる。ただ人の死の悲しさポイントを数値化するのは
「なんかひどいな」という理由から誰もしていないだけだと考える。
私は死の振れ幅について思い至った。
20才の人間と80才の人間が居たとする。両名は原因不明の理由で前日まで健康であったにも関わらず
朝になって身内の者が起こしに来たら冷たくなっていた。とする。観測者は伴侶でも近しい友人でも良い。
そのどちらが「悲しさポイント」が高いだろうか?
条件を合わせれば合わせるほど、前者の20才の人間がダントツで「悲しさポイント」が高いと思う。
余命の差であったり、後腐れであったりの違いはあるだろうけど多くの人が自分と同じ結論に至る。たぶん
私はこの差を「人は長期的に死んでいるから残留ポイントが大きい人間ほど悲しさ指数は高くなる」と考えた。
長期的に死んでるってなんだ?と思うだろうけど、とりあえず生者ポイントが0で死者になると考えていただきたい。
20才の人間の生者ポイントは100に近い数値があると考える。よっぽどの持病を抱えていたり事故にでも合わない限り死なない数値である。
そんな人間の数値が不幸な事故で0にまで下がったら、その振れ幅の大きさは凄まじい悲しさポイントを稼ぐだろう。
その数値は60才くらいまでは緩やかに下降し、80才まで一気に加速して下がってゆき
その人の寿命が82才だとしたら80才の頃には10ポイント未満にまで下がっているのではないか?と思う
最初に挙げた祖母の例だが、祖母は65才位までは快活な人間であったし単身で都内に遊びに行けるほどにバイタリティのある人物であった
私が観測している限り、祖母の生者ポイントはその時点では80くらいはあると感じていた筈である。
もしも65才の祖母が急死でもしていたら、おそらく私は数年単位で立ち直れなくなり気をやってしまっていたと思う。
そこから加速度的に老いが発生する。老化とはどうしようも無く死を予感させ
本人はもとより周りの人間にも無意識化で心の準備を強いる。喜寿(77歳)を超えた頃、祖母は痴呆を患い少しずつ周りの物事を忘れていった
最初はどうでも良い事から忘れてゆき、私の事を私の兄の名前で呼ぶようになり、自宅に居ながら「家に帰りたい」などと言うようになった頃
祖母の生者ポイントは幾らくらい残っていたのだろうか?その期間に幾らか涙した記憶があるが、私の中での祖母の死は
痴呆の中のいずれかのタイミングで起きていたのだと思い至った。医者の診断する死と本来の死は違うのではないか?
記憶から忘れ去られた時を死とするお話は多いが、私個人としては死はもっと早まって訪れる者だと考える。
人が長期的に時間をかけて死んでいてそれを数値化した場合、その振れ幅が一番に大きいタイミングで「私の思う祖母」は死んでいて
心臓が止まり通夜があり・・・という期間は「後処理」としてしか思えないから悲しく感じなかったのではないか?
斜め向いに住むおじいさん80歳くらいなんだけど
数年前に奥さんが亡くなり一人暮らしになった。
去年あたりから痴呆っぽくなり、息子さん60歳くらいがほぼ毎晩宿泊して様子を見に来ている。
しかし、しょっちゅうおじいさんに怒鳴っていて声が外まで聞こえるんだ。
昨日は「なんで余計なことするんだよ!」と怒鳴っているのが聞こえた。
以前はお墓に火をつけて早く死にたいと言っていたようで、消防車がきて大騒ぎを起こした。
騒ぎを起こしたあとは近所の住民からもよく注意してほしいと息子は言われているみたい。
しかしこう毎晩怒鳴っていて、こっちからみると虐待をしているように思えてくるのです。
どこかに通報したほうがいいのか怒鳴り声を聞く度に考えてしまいます。
なんか、悪いことを見て見ぬ振りをしている気が毎回ある。
子供が無条件にかわいい、って事はないね。可愛い子供と可愛くない子供がいる。自分の子供でもそう。ちな女の子はカワイイね、「ぱーぱぁー↑あー!だっこ!」(二歳児)とかだと信じられないほど可愛い。なんというかだ、エロゲのヒロインの振る舞いに近い。若い子はエロゲなんてしないか。
ただ息子にはこんな振舞いはなかった、まぁ個体差が大きい話だとは思うが、うちはどっぷり平均ぽい。
あと男性観点だと子供とか結婚からは逃げるのがデフォじゃないかなぁ(41歳中年男性の意見です)昔からそう。適当にSexはしたいけど結婚からは逃げるってのが多くなかったかなー、なので、君が子供から逃げたがるのも割と普通だし、まぁいいんじゃないの、と思いますよ。
少子化に関しては、まぁ、皆さん健康寿命を伸ばして、公共自殺装置が欲しいですね、と(父親観点でも、介護のコストを子供にかけたくないので、痴呆になりかけたら、ころっといきたい)
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/198183
いやいやいや、
そもそもサヨの人達が勝手に「ネット右翼」呼ばわりしてる人達のほとんどは一度も保守とか右翼とか自称してねーだろ。
むしろ彼等はたびたび「自分は保守も右翼も志向してなくて、ただサヨに問題を感じてるだけ」って自分達から言ってるじゃん。
でもそれだとサヨの人達的には都合が悪い(彼等は人をチェックするのは大好きだけど自分達自身が俎上にされてチェックされるのはとんでもなく不当なことだと思ってる)ので「いいや俺達に文句を付けるのは右翼なんだ」っていう虚構を押し付けた結果、少しでも気に入らないとか自分に不愉快な存在をなんでもかんでもネトウヨ呼ばわりするようになって、どんどん自らの知能を落としてるんじゃん(陰謀論やレッテルで批判を封じ込めるようになったら知能の維持は不可能)。
一周回ってきたら「あいつらは反サヨではなく右翼」という自分達の都合の為の虚構が虚構だったことも忘れて「保守ではない。反左翼というだけ。ネトウヨの正体看破!」って、痴呆でも始まってんのか。80近くまでボケずに頑張った西部邁をダシにボケ果ててるんじゃないよ。
何かっていうと遺伝子検査のMYCODEだ。
齢40を過ぎ、独身のまま死んでいきそうであるが、なんとなく思い立って、遺伝子検査をやってみた。
MYCODEでは長生きできるかどうかを調べられる。
85歳以上まで長生きする可能性が低い傾向にあるタイプ(0.5%)
85歳以上まで長生きする可能性がやや低い傾向にあるタイプ(13.2%)
85歳以上まで長生きする可能性がやや高い傾向にあるタイプ(86.3%)
なんと0.5%に入ってしまっていた。
なんだよ。ガチャのSSRは引けないくせにこういうところで激レア引かなくてもいいよ。
正直、長生きするかな、と思っていたのだ。40までろくに病気したことないし健康だし。
しかし、うーん、そうか。0.5%か…
けっこうショックだ。
ネットでググると、「やや低いor高い傾向ってでました!」って人ばかりで、私のように0.5%のSSRはいなかった。
で、胸の大きさ「大きい」ってなってるのは笑った。こんなのもわかるんだな。
残念ながらその素晴らしい遺伝子も一人娘の私が子供産まなかったから終わるのだが。
誰も揉んでくれる人いなかったんだよ、すまんな私の無駄に優秀な巨乳遺伝子。
結果はショックなものだったが、もともと、自分の残り時間が知りたくて、検査をしたのだから仕方ない。
85までは生きられそうにないようだから、人生80年と仮定して、あと半分か。残りの人生計画を考えないとな。
ちょっと不安だったのが、老後、痴呆になってひとさまに迷惑をかけるのではという事だった。
兄弟もいないので、ぼけたらどうしようと思っていた。だがボケる前には死にそうな感じだ。
アルツハイマーとかの数値は低かった。
ほっとした。