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はてなキーワード: 村上春樹とは

2022-12-25

村上春樹主人公はクソで有名だがクソ主人公からこそ没入するとうまい具合に自己陶酔して癒される部分があるんですよ。

2022-12-22

anond:20221222085633

なんで村上春樹が取れないの前提なんだよ!

2050年くらいまでは生きたい

ノーベル賞って受賞者は発表されるけどノミネートされていたかどうかは50年後まで発表されない。

まり毎年毎年村上春樹が今年は獲るか獲るかと言われてるけど、

そもそも村上春樹ノミネートされているのかどうかすらわからない状態で騒いでいる。

なので実際村上春樹どうだったんだよ、というのを見届けたい。

 

ただ1968年川端康成ノーベル文学賞を受賞したんだけど、

公開された資料では1961年から8年連続ノミネートからの受賞だった。

ちなみに西脇順三郎1958年に初登場して1960年から9年連続ノミネートするも受賞せず。

三島由紀夫ノミネート5回、谷崎潤一郎ノミネート7回するも受賞はなかった。

 

なので村上春樹ノミネート自体はしてそうな気もする。

てか毎年文学賞だけで80人以上のノミネートがあるらしい。

なかなかの激戦である

2022-12-14

結婚指輪 買い方

こんばんわ。男性。38歳。年収300万。

スペック

ルックス・おそらく普通だが、小中学時代女子キモいと言われた経験あり

女性経験・なし。それどころか手を繋いだ経験もない。高校以降男子校男子校環境で過ごした

友達・なし

趣味二次元オタク。あと村上春樹を好んで読む。及びはてな特に増田メタブックマークウォッチ

体格・中肉中背

性格・根は優しい(自称

備考・胃腸が弱い。猫アレルギー。犬アレルギー。なぜかイジメられやすい星の下に生まれたらしい。インターンでも、自動車学校でさえイジメられてしまう。

女性フィクションでいいか、と思って人生の大半を過ごしてきた。結婚はもちろん、諦めてた。

しかし三十後半になって、なぜか突然、意味不明に、急激に結婚に焦がれるようになってきたんだ。

雑なアドバイスでもいい。頼む、教えてくれ。

どんな努力をすれば結婚指輪を買えるようになるんだ??

2022-12-13

ビートルズ

https://togetter.com/li/1997468

 

塙「最近ようつべですごいバンドみつけたんですよ」

土屋ユーチューブな、Youtube。それでなんてバンド?」

塙「ビートルズっていうんですけど」

土屋「うん、みんな知ってる。むしろ今まで知らなかったの?」

塙「いやー!最初ずうとるびパクリかと思いましたよ」

土屋「逆逆、ずうとるびビートルズパクリ

塙「ビートルっていうのは、羽の生えたかさかさ動く茶色い虫のことで」

土屋「嫌な言い方するなよ。カブトムシでいいだろ」

塙「それで、4人組のバンドで」

土屋「まあ、知ってますけど」

塙「ジャン・レノ

土屋ジョン・レノンな。それじゃフランス俳優なっちゃうから。」

塙「ポール牧

土屋ポールマッカトニーな。牧だと指パッチンなっちゃうから。」

塙「ジョージ・ハリスンフォード

土屋フォードはいらない。ハリソン・フォードと混ざっちゃってるよ」

塙「りんご娘

土屋「なんで青森ロコドルなんだよ、王林ちゃんとは何回も仕事してんだろ」

塙「間違った、りんごちゃん

土屋「だからなんで青森モノマネ芸人なんだよ。青森から離れろ」

塙「ああ違った。りんごすった」

土屋ベタダジャレだな。昔の缶チューハイかよ」

塙「あとオノ・ヨーコ

土屋オノ・ヨーコメンバーじゃないですよ」

塙「オノ・ヨーコのせいでビートルズ解散しました」

土屋微妙真偽不明なこと入れてくんなよ、訴えられるぞ」

塙「オノ・ヨーコDAIGOの遠い親戚です」

土屋事実だけどもはやビートルズ関係ないな」

塙「それで代表曲なんですけど、まずは『ヘルプ!』、なんでも鑑定団テーマです」

土屋「いや事実だけど、事実だけど…

塙「あと、イトーヨーカ堂レジヘルプテーマです」

土屋「それも事実だけど…

塙「ノルウェーの森、村上春樹小説からつけました」

土屋「逆逆、村上春樹のほうがビートルズから拝借したの」

塙「レット・イット・ゴー」

土屋「レット・イット・ビー」

塙「イエローサブマリン音頭

土屋音頭はいらない、微妙に別の曲になっちゃうから

塙「ハローグッドバイ

土屋「ていうか俺らハローグッドバイネタやってるだろ」

塙「あ!そう言えばそうだ!なんか見たことある曲名だな―と思って」

土屋「知らないでやってたのかよ、すごいなお前」

塙「いやー、なんか変な歌歌うからどうしたのかと思って」

土屋「お前いつか怒られるぞ、いいかげんにしろ

二人「どうもありがとうございました」

2022-12-11

チェンソーマンを読み解くなら輪るピングドラムみろ

「俺は一人でもペンギンを見に行くぜ!」

最新回でまたしてもピンドラネタが出てきたチェンソーマンペンギン、だけじゃ無かった。飢餓ネタもあった。

今までもピンドラネタは何度か出てきており、有名なのは水族館扉絵とかだが、それ以外にも明らかなオマージュが出ており、テーマ共通する部分がある。

他いろんな作品を多数取り入れているので、いつものやつ、みたいに思いがちだがチェンソーマンピンドラ関係は少し違うように思い始めた。

明らかに発想の根幹にピンドラ存在し、設定に組み込まれている。

しかしたら「これが元ネタ」などと言われることにチェンソーマンファンは辟易しているかもしれない。

ただ「輪るピングドラム」という作品宮沢賢治をはじめ村上春樹、それ以外にも小ネタや懐かしメロディーセリフなど、他作品の取り込み方がチェンソーマンとよくにているのだ。

しかチェンソーマン考察者には申し訳ないのだが輪るピングドラムという作品はあらすじを見てもおそらく2割も伝わらないアニメだ。

なんなら緩く流し見で全話見ても「え、どゆこと?」となる可能性は高い。

なのでもう、ちゃんと見てもらうしかない。

総集編の円盤化を待つ手もあるが、結構大幅なカットが入ってるのであれは一見さん向けではなかった気がする。

なので配信TVシリーズをぜひ見てほしい。なんとアマプラでは今、追加課金なしで見れる状態なのだ。回し者みたいだな。

とにかく1話〜3話で切らないでほしい。無理して11話くらいまでは見てほしい。

そうすれば藤本タツキが何を考えてあの描写をしているのか、少しの手がかりになるはずだろう。

ちなみによく考察で出てくるのが「箱のシーン」

ピンドラでの心の会話をする抽象的なシーンのように語られているが監督が「現実のシーン」と言っていることはここ置いておきたい。

anond:20221210180454

やれやれ村上春樹的な意味)と感じてる人と

やれやれ(いいぞもっとやれ的な意味)と感じてる人と

どっちが多いんだろうね。

後者の方が圧倒的に多く見えるのは、その人らの煽りが単に大声になってるだけと信じたいけどね。

2022-12-09

訳せる言葉、訳せない言葉

海賊版サイトでfakku等によって原本から翻訳されたものが幅を利かせせているので、本来なら原本を買えば済む話なのだが、とにかく日本人側は翻訳版の再翻訳をしなければならない歪んだ状況に立たされているという話になっていた。

そういう話の流れで出たのが双龍漫画「こういうのがいい」ってどの言語でも訳せなそうだよねという話だった(あえて言い古された「ちんちん亭」には触れない)。

もちろんこれは「こういうのがいい」の翻訳版を謳うものが出た場合は既に元の台詞回しのニュアンスが壊れているはずなので、また原本日本語自身が独特なので、元の台詞復元することは困難であるという含みもある。

台詞回しの一例をあげてみよう。

女:ワキガチェックしてくれたまへ

男:剃り残しがございます

女:うむむ…永久脱毛の金を稼がねば…って違うぞ違うぞぉ?臭いはどうなんじゃ

男:…なんか甘いんだが

女:スイーツだと

文章の随所において終助詞など細かく拘られていて、独特のテンポ形成されている。

ただ何より注目すべきなのは、このピンク美少女が「違うぞぉ?」とか「どうなんじゃ」とか中性的かあるいはどちらかといえば男性的な口調でものを言っていることだろう。

この言語倒錯が生むチャーミングさといったら一体どう翻訳すれば保存できるのだろうか。

たとえば英語圏にも男性口調とか女性口調の区別は確かにあるのかもしれないが、ただ女性男性口調に相当する言葉を言わせる「ずらし」でそれは再現可能なのか。

上記の男口調は、俺妹にも拙者が一人称の男言葉を使う女はいるが、あの口調ともまた、それが放たれたときに読み聞きした側が感じる空気感というか味わいといったものが異なると思う。

まり同じ言語内における言語倒錯についても、ずらし元とずらし先の違いによってそうしたニュアンスが異なってくるのに、その各ニュアンスを別言語において再現可能なのかということだ。なかなか難しいものがあると直感される。ちなみに現代女性が「たまえ」というだけでも面白いがそれが「たまへ」と表記されたときの独特の滑稽味もまた再現し難いだろう。

もう一例あげておこう。場面は風呂場の脱衣所で男女が裸になっているという状況だ。

女:ふいータオル貸してー

男:いいよーっておいそれ昨日使ったやつだぞ洗ったのあるよ

女:いいよ別に乾いてるし

男いや洗った奴のがってあーまあいいか

女:むっ雄の香り

男:えっ?酸っぱい?お酢

女:ちゃうオスメスの雄w

やや育ちの悪そうな自然体の男女カップルの会話が自然に、あるいは少し技巧的過ぎるかもしれないが、素晴らしい具合に再現されている。ちなみにネカマするならこういう本からこそ口調を見習うべきだろうとも思う。

後半の雄とお酢の畳みかけは、男の受け答えが女の意図したいことに対してあながち間違っていない(絶対酸っぱい匂いがするという意図もあったはず)という点も含めて言葉遊びとして面白い

しかしこうした言葉遊びの翻訳は後述するが映画翻訳業界では十八番のようなもので、比較的なんとかなる類のものかもしれない。

さらに続きを見てみよう。

女:乾かして―

男:なんで至れり尽くせり体制なん

女:頼むぅいいじゃんよぅ

女:おぅマン●拭きやすいな毛がないと一緒にパイパンしようぜ

男:だが断る

女:えぇなんでー面白いのになー

男:面白みで剃るもんじゃなかろうが

女:でも勃起サイズアップするらしい…ってあれあれ~?復活ですかー?

男:いや刺激与えたらそりゃな?

もはや語尾の小文字と長音符の使い分けなど、この作者の文体の妙を説明するうえでは些末な類だろう。

「至れり尽くせり体制」などの日本語母語話者談話においてしがちな咄嗟造語はどう訳せばそのニュアンス海外読み手にも届けられるのか。

伏字になってない伏字面白味があるがこれは比較的なんとかなりそうだ(相変わらず女の使う「だぜ口調」が翻訳の難所になろうが)。

男がジョジョ言葉を使っていることも注目しておきたい。誤用であるかもしれないことは作者も承知している可能性があるのであえて触れないとして、こういったものはどう訳せばいいのか。

そもそもこういった台詞元ネタを知っているかしないかで同じ日本人でも読んだとき感覚は異なっているだろう。

結局ジョジョ世界的に有名な作品なだけあって、その言語圏で出版されているジョジョの該当セリフをそのまま引用してあげれば割とスムーズに我々が感じているニュアンスを届けてあげられるのかもしれない。

ある言葉翻訳可能かについては、そもそも出版映画世界翻訳技術の長年の蓄積があるのだから薄っぺらなのは承知でこれらにも触れておく。

先述したが言葉遊びの部分を別の言語に落とし込むことは映画翻訳が得意とするところである

その言語音韻体系でしか成立しないだろというものもうまく落とし込まれているものである。ぴんと来ないなら参考にtedの生音声と字幕比較してみることをおすすめする。

「ぼくのワンダフルジャーニー」の原題は"the dog"である(the objectを「遊星から物体X」と訳すのとは似て非なる事情だと思う)。

素人目にはどうしてこんなアクロバティックな翻訳な成立するのだろうと思わずはいられない。

逆に向こうの人にとって"the dog"という訳はどういう印象を持っているのか?個人的にはお堅い文学的な味わいすらも感じられるが、それを母語とする人にはひらがなで「いぬ」と書いた程度のニュアンスまで幅広くカバーしているのかもしれない。

いぬ」と「ぼくのワンダフルジャーニー」なら、まずまず対応していると言えなくもない…か?

あるいは端からニュアンスを丸ごと保存しようとは翻訳家も考えないものなのかもしれない。

その文章文体テンポが、鑑賞者にとってのニュアンスや味わいに対して重要な要素としてどれだけ影響を与えているか支配しているかということは弁えているものなのかもしれない。

たとえば注意書きの文章テクニカルライターとして翻訳するにあたって、日本語の注意書き、特に箇条書きが持つ淡泊さを独特のニュアンスとして捉えその存在性を肯定することはできるかもしれないが、日本人が注意書きを読むにあたってそのニュアンス重要としていないのと同様、そのニュアンスが保存されているかどうかにまで気配りする必要はないだろう、という具合だ。

とっくの昔に源氏物語が様々な言語翻訳されていることも押さえておくべき事実だろう。

これもまた古文が持つ独特の味わいをどう翻訳しているのか、あるいは翻訳放棄しているのかという話になる。

日本人の心には中等高等教育を経て古文単語に対して、仰々しさをはじめとした独特の感性が培われている。

その感性を通してこそ「変態中納言」は独特のギャグとして成立するわけだ。

しか源氏物語にはギャグの要素はあったとしても重要ではないだろうし、結局助動詞とか係り結びに使う助詞が持つあのニュアンスは全部放棄しているのだろうか。

アーサー王物語時代の古英語でも使えばあるいは教養ある英語話者に似た味わいを感じてもらえるかもしれないが、これは英語圏人間に限られる手法となってしまう。汎用的な手法を見出せないものか。

ところで海外の人が日本アニメ字幕付きで見るということが大いに行われている。

海外声優吹き替え版というのもあるが流行っていない。

主観になるが吹き替え版は可愛くない。仮に可愛いのだとしても、少なくともそれは日本人声優の演技とは別質のものである気がする。そのあたりにもなにがしかニュアンスが宿っているかもしれない。

そのニュアンスは非言語的な要素が持つものであって話がずれていると言われればそれまでだし、因果関係上は先に生の動画があってその日本語が分からいか字幕をつけているというものに過ぎないわけだが、とにかく日本人声優の演技というのも、字幕の持つニュアンスを補うための日本語の音声という側面があると私は解釈している。

私なりに長々語って来たわけだが、私の関心はあくまでこうした「多言語に訳せない言語」が日本以外に諸言語にあるか、それにはどういった事情あるかなどといったことであって、巷で言われるような「日本語は難しい」的な自言語特別視する態度は持ち合わせていない。

しろ浅学でわずかな日本語英語の例で比較したり考察したりすることしかできないのが嘆かわしいぐらいである。

戸田奈津子村上春樹や、最近だと東大に40言語話せるハイパーグロットがいるらしいが、彼らに自分が「訳せない言葉」と思うものを持ち込んで翻訳をお願いし、その翻訳作業をじっくり見学したいものである。知見も深まるというものだろう。

2022-12-08

anond:20221208083930

まあ会話する広さによればいいんじゃね?

だーだーだーだ?

で通じるような世界ならダーでいいだろうし

その食べかけのチキンもういらないなら下げましょうか?

で「食べかけ」の意味が「あなたの前に配膳された」は含まず実際に一部口を付けた形跡が確認できるものだったり

チキン」は別の言い替えで「何々」を意味するものであり、とか言わず

「いらないなら」が「口に合わないのなら」ではなく「何らかの選択により不要判断した」ですますコミュニケーションができたほうが

実質いちいち村上春樹みたいにドラマチックに言い替えしなくてすむから結果を求めるなら楽だという世界なら

ちゃん限定された言葉遣いのほうがいいやろね

実際あかちゃんはバブバブだけでなんら問題のない生活をしてるんだしさ

2022-11-26

anond:20221126195618

じゃあなんで村上春樹ノーベル賞に選ばれるかどうかで毎年毎年大騒ぎしてるんだい?

2022-11-22

anond:20221122172242

ずいぶん昔に、村上春樹か誰かが言ってた。

アメリカとかの書店には男性作家女性作家の棚って区分けはないらしい。

しかし、日本でもいつの間にか、作家性別区分けは消えたよね。

性別区分け子どものためにだけ残ってる。

2022-11-17

「すずめの戸締まり」を観たら要石で後ろから頭を殴られた

新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。

この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。

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この文章現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。

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本作のあらすじを簡潔に書く。

九州に住む主人公少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズ地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)

抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程東北被災地を訪れることになる。

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これは2011年3月11日日本列島を襲った未曾有の災害東日本大震災を主軸に据えた映画だ。

いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。

「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」

一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨言葉が語られる。

「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。

後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。

この映画は我々が体験してきた被災記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。

映画館に足を運んだとき自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズ地震を起こし、物語舞台神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカー首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。

忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送津波で一掃された土地、そういったもの映画の中での情報感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベル自分記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフ美術演出の面々に感服させられた。

からこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。

その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。

これが少しでも YouTube予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。

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この作品について語る上で、村上春樹短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。

こんな話だ。

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東京で働くうだつの上がらない銀行員中年男性が、ある日かえる出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトミミズが現れ、男性身体ミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。

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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。

この小説1995年日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である

1995年オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本安全神話が崩れた年だ。

作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件関係者被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。

氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉表現している。光の一切届かない暗闇、自身身体と周囲の空気現実と非現実境界曖昧になる。死に近い場所だ。

人の日常生活では感知し得ない深い場所心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。

翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身ルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実霊界境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。

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神の子どもたちはみな踊る」は善悪二元論ではなく陰陽論の物語集だ。

太極図、という白と黒勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。

こんなのだ

白黒互いの勾玉の中心に、相反する色の小さな点が存在する。

善悪明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。

太極図について、ちょうど三角関数を学んだとき単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。

日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。

かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公ミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。

この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。

宗教二世を描いた表題作神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクホテル神戸に住む男の存在を思う研究者女性にせよ、海辺焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないもの存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ

その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。

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映画自体の話に戻す。

我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはら危険性をつい忘れてしまう。

東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズ描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。

そこの描写が本当に良かった。地震はいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。

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少し自分語りをする。ここは読み飛ばされても差し支えない。

東日本大震災の発災当時、自分東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。

2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。

インターネットに張り付いて、東北地方や東京情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。

当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。

日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリー被災地飲料水を発送し、ソフトバンク公衆 Wi-Fi無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本若者NHK による被災状況の中継をカメラ撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者自身責任判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote有償の容量無制限サービス日本人に向け一時無償提供を行った。

今ではウクライナ戦争真っ只中のロシアプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。

しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。

あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。

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東日本大震災から11年。

働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事もも若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。

10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。

あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。

そこに前述の草太のセリフだ。2011年東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。

あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。

新海誠の新作となれば中高生大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。

もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。

この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。

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これで最後だ。

東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。

遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。

やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこ文章不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。

またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。

2022-11-15

anond:20221115062820

資本主義がある一定水準まで成熟すると村上春樹が読まれだす。って話しを思いだした

2022-11-14

すずめの戸締まり服毒本

人間椅子江戸川乱歩

かえるくん、東京を救う(村上春樹

へんし〜ん!!! 〜パンツになってクンクンペロペロ〜(May-Be SOFT

あとひとつは?

anond:20221114054450

かえるくん、東京を救う

みたいなタイトルで巨大ミミズ地震の原因で

そいつをどうにかして東京を救うみたいな

 

小説村上春樹が書いてた

その辺と似てるのかな

anond:20221112235834

見てないけどそれ単なる村上春樹じゃないの

2022-11-09

anond:20221107111216

spy x familyのロイド同意出来ないけど、amazon audible村上春樹の『蛍・納屋を焼く』を低い声の松山ケンイチ朗読すると聞こえづらいとは思った。

2022-11-03

大人になれば理解できる←これ

子供の頃触れてなんだかよく分からなかった物、大人になったらわかるよと言われるものってあるじゃん。(私的には村上春樹風の歌を聴けスタンドバイミーとか)大人になってもう一度その作品に触れて、ああこういう所が共感できるんだなとかここが面白いとか、それまで生きてきて経験値を積んでるからだと思うんだよ。でもその経験値をろくに積まず、酒飲むか目の前の板を縦にスワイプするだけの機械になっている怠惰自分には、きっと何回見てもその作品の良さなんてわからないだろうか。と自暴自棄最近何もやる気出ない。あーあ。

2022-10-30

俺はよくスタバに行って読書するんだけど

自分の前には村上春樹の本を置いて、カバーつけてもらったなろう小説を読んでいる。

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