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現代ビジネスの記事 「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69024
について、読んでいて多少飛躍があるなと思ったところ、疑問が残るところ、検討したいところを引用しコメントをつけています。Twitterでやろうと思ったけど長くてむりだった。
【オスの性欲は「交渉権の行使」であるのに対して、メスの性欲は「拒否権の行使」であるともいえる。
積極的・能動的にパートナーを探し、あわよくば複数のメスとたくさんの子孫を残そうとするオスと、受動的・消極的にパートナーを選ぶことで子孫の生存確率を高めようとするメス──前者の行動を「正」の性欲に基づく行動とするならば、後者の行動はまさしく「負」の性欲に基づく行動といえる。 】
→筆者はこれが負の性欲の定義としている。受動的・消極的が「負」というのはなぜ?
→そもそもパートナー選びは非常に能動的な行動では? メスはオスを選んでいる。「選択権の行使」ではないか?
→これは人から聞いたのだが生態学や進化心理学には「正」「負」という概念はないのだそう。あるのは適応度。優劣を持ち出しているのはスペンサーの社会進化論(適者生存)で批判されている――とのこと(この辺は自分は不勉強)。
【異性に「生理的嫌悪感」を内心で抱くぶんには自由である。しかしそこを踏み越えて「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」などと対象に言明することは侮辱・侮蔑であり、まぎれもなく加害性のともなう行為である。】
→「拒否権の行使」は「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」と言うことを示しているのか?
→「拒否権を行使」することと、「キモい」という言葉をもって相手を拒絶することは、イコールではないのでは? 相手を選ぶ権利は誰にでもあるが、選ぶ際に相手を加害する権利はない、という主張には納得する。
→どれくらい「キモい」って拒絶されているの? その拒絶の仕方は女性特有なの?(これは後段にもあるが、男性が女性を「キモい」「ブス」といって振るケースもたくさんある。ならばこれはオス・メスに分けて考えるべき問題なのか?)
【「異性に対する加害性をもつのは男性だけではない」──とする、いわゆる「反転可能性テスト」のひとつである。】
→ここは同意です。
【性淘汰はホモサピエンスにも働いていることについて】
→そう。ただ、動物よりも淘汰が働くスピードは遅いのでは。また文化が変化しているため、なんの特質が評価されているのかはわからない
→性淘汰=「負の性欲」なのか?(ではなくない?) むしろこの原稿の主題は「負の性欲」から発生する「キモ」言説の加害性ではないか?
【人びとは「新自由主義的」なパートナーシップ市場で「よりよい相手」を巡って際限のないえり好みを続けている。厳選すれば厳選するほどに、よりよい相手と巡り合える可能性が高まるのだ。つまり「負の性欲」の効用が最大化される時代である。】
→これは効用は最大化されない。なぜなら男性は女性を年齢で選ぶ傾向があるため、厳選すれば厳選するほどに(=時間がかかればかかるほど)よりよい男性が遠ざかっていく。そのため女性はどこかで妥協せざるをえない。妥協しない場合、「よりよい相手」すら出会うことはできない。ちなみにこの「新自由主義的な市場における際限ないえり好み」は女性だけの問題ではない。この文章は男性側の方がむしろ当てはまる(なぜなら男性のほうが年齢による減点がゆるやかで年収の上昇のほうが効果的な段階があるため。一定までいくと年齢による大きな減点が発生することがほとんどだが、女性の方がその影響の発生がはやい)。
【「自分に接近し、性的にアプローチしてきた男性を拒否(厳選)する」という枠を超えて、特にSNS上では「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」が頻繁に起きている。それこそが、「負の性欲」が問題化される局面である。】
→「頻繁に起きている」データがない文章。「それこそが」~とあるが、「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」というより、筆者は「キモいと言うことの加害性」一本でいったほうが筋は通っているのでは。
【先日SNSユーザーたちが、ネットの片隅で「10代20代と結婚したい」と望み活動する40代男性に対して、「キモい」「加害者」という非難のニュアンスを多分に含んだコメントスクラムを炸裂させたことは、自他の境界を見失わせる「負の性欲」の暴走を如実に示す実例だったといえるだろう。】
→例えばこれが、18歳の子供をもつ40歳の母の発言だったとしたら筆者は「負の性欲」という表現を使うだろうか?(※でもこれはちょっと家父長制的な考え方だからこの問いかけは危険な部分をはらんでいる)
【現代社会はふたたび「一夫多妻制」への道を歩もうとしているのかもしれない。「キモい」存在は排除してもよいという「先進的な倫理観」に基礎付けられた、新たな一夫多妻制──すなわち、一生のあいだに多数の女性と性的関係をもつ男性たちと、一生生殖の機会が得られない男性たちに分かれる「非同期型一夫多妻制」の実現へと。】
→すごい飛躍であるのでこれ以降は特に読まなくていいかなという感じ。ただ一人の男性が複数回結婚している(再婚)疑似一夫多妻は現在の日本でも存在している(でもこれって近年増えているものなんだっけ? その辺のデータはどっかで見たことがある気もする)。SF的なIFを許容して話を進めると、現代は避妊技術が向上しており、アルファ男性といえども複数人女性とその子供を養うお金は十分ではないので、子どもは「正妻」しか持てないくらいの数に減り、社会は崩壊する。ヤッター!
ー以下コピペー
一定割合で回さない金はどうなるの?となると貯蓄になるんだよ。だからそれが期間の最後に落ち着く金になるんだよ。だけど、簡単に説明しているいいサイトがないので、ここで説明する。数式見難いけど。
無限等比数列の和の公式は初項a,公比rとして、a/(1-r)-①だ。この展開の理由は流石に無限等比数列の和で検索して他所を見てほしい。
そうすると国民所得Yとはまさにこのa/(1-r)の式になる。
期間の最初に動き出した金というのが投資(以前の貯蓄の取り崩し含む、資金調達しての支出。最初に動き出した金)Iで、
Y=I/(1-c)となる。
なのでcが大きいと、分母が小さくなって国民所得が大きくなる。もちろん初項Iが大きくても国民所得が大きくなる。
財サービスの価格と需給量についての需要と供給を表す需要曲線にも変動を与える。
では、貯蓄の方はどうか?
まず第1段階がI(最初に動き出した金)
第2段階は消費がIc,貯蓄はI(1-c)
第3段階は第2段階の消費のみにかかるので、消費はIc^2,貯蓄はIc(1-c)
第4段階は第3段階の消費のみにかかるので、消費はIc^3,貯蓄はIc^2(1-c)
つまり、貯蓄Sは初項I(1-c),公比cの等比数列の和なわけです。
これを①式に代入するとI(1-c)/(1-c)=Iとなる。
なので経済は最初に動き出した金Iと、次に回す金の割合cこそが大事。またこれに基づいて需要曲線も変動する。
バランスシート不況で損を取り返すために貯蓄をしようとした。これでcが下がった。加えて直接cにかかる形での税金の消費税を上げ、
次に回す金の割合が低い主体をフリーハンドで減税した。限界消費性向cの平均より低い限界消費性向の人間に回る金を増やすと、平均のcは下がる。
これでもcが下がった。
とすると、全体としてのcが下がる。Iとして政府が財政出動しても効果が薄い。これこそが失われた30年の原因の一つ。
次に回す金が少ない主体に多めの税をかける、具体的な支出のみに対しての減税のみをする。これでもcは上げられる。
「経済構造が変わった」というならそう。この基本原理を無視して、自由にすればうまくいくんだ!という人々の暴走によってね。暴走を止めさせないとならない。
高度経済成長期はこれらのケインズが提唱した数々の数式に基づいて運用されていた。ただし、数式外の問題による供給不足までは取り扱えないがために否定された。ただ、数式外の問題の供給不足も、例えば経常赤字の継続で外貨借金の増大と輸入不可、そもそものオイルショックのような資源の供給不足、戦争による生産設備の破壊などね。だけども、その供給不足になる要因を一つ一つ対処していけば、ケインズの元の運用が正しいとなる。ケインズを無視し、政府が財政調整の役目を放棄したが故の高度成長期以降の経済低迷だから。経済構造が変わった原因が、政府が新自由主義にとらわれて無能力になったから。というのは言えるかもしれないがね。
When we faced the United Nations proposal to loosen the legal definition of child pornography to include art and fiction, we were on the defensive.
This time, we're fighting back. Sign our petition to rule art off-limits for CP/CSEM Internet hotlines. https://t.co/pKdHxNHUvt pic.twitter.com/c4FW7pn3AY— Prostasia Foundation (@ProstasiaInc) 2019年12月5日
https://prostasia.org/campaign/inhope-stop-treating-art-as-child-abuse/
無論ここで言うアート即ち創作物には漫画やアニメ、ゲーム等も含まれる。
しかし日本に限らず、インターネットホットラインセンターってこんな所ばかりなのなと実感させられる。
もう10年以上前になるけど、当時は日本も大概酷かったものな。
大方ここもあの手の宗教団体や女性団体絡みでこういう風な歪んだ運用をしているのだろうけどさ。
Prostasiaのツイートの方にも書かれているその国連の子供の権利委員会だって、そのキリスト系団体の影響力が強すぎて、パブコメで条約違反を指摘されていたにも関わらず、ガイドラインの改定を強行した経緯もあるからね。
結果その後の10月の会議で国連の人権委員の人がアートは児童ポルノではないと言う言質をProstasiaがとった事を見てもそれは国連の総意ですらなく、彼等子供の権利委員会の暴走であった事を明らかにした訳だしね。
本当Prostasiaは良く動いているなと思う。
彼等は凄いと思うよ。
当時騒いで今回協力しないのでは片手落ちだと思うよ。
そういえば社会科見学でこの音楽聞いてる時にバスで通路挟んで隣になった巨乳女子のブラチラみれたんだなって思い出が蘇ってきた。
もう35歳。ブラチラなんかで抜けない年。でもそのブラチラは高校で彼女ができるまで毎日のおかずだった。
子供もいるし、こんな話増田にしか書けねーし、でも話したかったんだよね。
それであのブラチラの情景を思い出した瞬間に中学生の頃のように幼いが力強い脈動を感じる勃起をしたのよ。
35歳の男が、昔のおかずを思い出してだぞ。
嫁は子育てで忙しくてさせてくれない欲求不満もあったし、実際欲求不満で狂ったように巨乳物で抜いていても満たされなかった俺がブラチラ情景で勃起をしている。
「なんか、行ける気がする。」
明らかに違う。今まではギュッと力を入れて握ってやらないとなかなか発射体制にならなかったのに、擦っているだけで油断したら逝きそうになるような感覚が全身を駆け巡る。
一瞬普段と同じく乳首に手を当てるが脳が言う。「信じろ」と。それは自分の勃起した物を見ると真の言葉だった。俺は乳首に当てた手をおろし、ソファーの肘掛けを握る。
今までは無理やりハイオクを入れて走らせていた俺のバスがたった一つの思い出で暴走をした。
一瞬静寂が訪れる。終わりの静寂か?
否、これは高速道路に乗るためETCを読み取らせるための減速だ。
再びエンジンに火が灯る。大きくカーブを曲がり、タイミングを見て、高速にのる。高速に乗った瞬間に俺はハンドルを強く拘束し目を瞑る。
情景が浮かび上がる。
決して派手ではない白いブラ。それを突き破らんと蠢く2つの獣。
口ずさむ。
「もう一度僕を歩かせてくれ」
すると心から声が聞こえてくる
それを手にする力が情熱
小さく震える手にはマッチ
僕らが僕らに呼びかける 声
やっと気付いた。
燃えるような情熱がないのを妻との性生活に押し付けていたんだということを。
妻も俺に情熱の火が燻りだしたのを見抜いていたのかも知れない。
見ろ。
行為を終えた俺の心は晴れやかだった。
なんとなく「年をとったら落ち着かなきゃ」「落ち着くべき」「君はもう35歳なんだぞ」そんな言葉を投げかけられているようで35歳の自分を演じていた。
聞く音楽も大人らしくJazzだったり、クラシックだったり、そういうのばかり聞いていた。
演じていた。35歳の俺を。
「あれ?なんかスッキリしてるね。」
妻が問う。
「うん。昔好きだった音楽聞いてたら昔を思い出してね。」
AppleMusicは良いサービスだと思う。
古いから手に入りにくいかな?とか、CD買ってもどこにおいておくのか…なんて悩みはない。
もう困らない。そう、iPhoneならね。
ターミネーターって1と2が直撃世代付近で見た人にとっては特別面白かったっただけで、シリーズとしてのブランドはとっくに失墜しているんだよな。
T2の成功に味をしめて面白くない続編やスピンオフを乱発してきた結果「ターミネーターは3以降面白くない」という認識を世界共通にまで貶めた自業自得の結末
ターミネーターの新作と聞いて心躍る人間より「どうせ今回もつまらないんだろ?」と思う方が圧倒的に多かったことが興行収入に現れている。
そもそも見る側をバカにしすぎだろ。ジェームズ・キャメロンとリンダ・ハミルトンに泣きついて「今までのは嘘。今回が正統続編!だから見て」ってなんだよ。仏の顔も三度までと言うがT3,T4,新起動とは何だったのかってなるわ。
実際に見て評価しろという意見は御尤だけど、新作ターミネーターのためにわざわざ映画館に行ってチケット代払って120分座って見てやるかって気分に全くならない。せいぜいテレビで放送してたら見てやるかって程度。直撃世代でT2が大好きな自分ですらとっくに興味を失っている。
そして非直撃世代ならなおさら興味を持てないだろう。無骨なサイボーグが自我を持つのも、体が液状化するCGも、美しさと強さを兼ね備えた女性ヒロイン像も、AIが暴走して人類に反抗してくるからタイムトラベルして阻止しようって展開も散々他のフィクションで見たわってなる。
AKIRA今見てもすごさが分からない現象(そのAKIRAも新作やるって…)
思い入れのない非直撃世代から見たらT1もT2も「古典的名作」「当時の水準で見たら凄かった映画」「そもそも名前は知ってるけど見たこと無い」で、さらにT3以降の悪印象も重なりわざわざ見に行かない。
直撃世代からは見放され、非直撃世代からは見向きもされない。このワードは個人的に嫌いだけど「オワコン」という表現が適切だわ。
そのオワコンにしがみついて成功を夢見てる20世紀フォックスも、過去のヒットが忘れられないシュワルツネッガーも醜い。ロッキーとランボーを復活させたスタローンにライバル心を感じてるのかもしれないけど、シュワはとっくに旬が過ぎた過去の人って印象しかない。ラストスタンドを見た限りではまだまだ現役気取ってるようだけど。
もう戻ってこなくていいから。ターミネーターしか無い人なのにそのターミネーターすらコケてるんだから世話ない。ターミネーターを演じるのは今回が最後らしいけど(本当か?)
署名は15万人じゃなくて、39万人では
おっさんずラブは元々2016年末に放送された単発ドラマが元になっていて、その当時は「ついに民放ドラマで同性愛をメインテーマに扱えるようになったか!」と感動しました。それからの2年で世間のLGBTへの認識が大きく変わったのはおそらくご存知のとおり。ただ無印版は2016年版のリメイクでもあったので、当時の同性愛表現から大きく離れることはありませんでした。セクハラまがいの表現を含んでいたのも、2016年版の延長線上だと思われます。
そして春田と牧の純愛が大ブレイクし映画化、そして別世界のin the skyが始まります。
他の方が書かれてるので公式炎上の詳細は割愛します。ただほんの一部のファンが「春田と牧」見たさに暴走してるのは事実です。そういったツイートが増田の目に止まったのでしょう。おそらくitsを受け入れられないがゆえの難癖です。
多くの良識ある無印ファンは、複雑な心境ながらもTwitterに鍵をかけたり、itsから距離を置いたりして、前作含めたおっさんずラブのシリーズ名を汚すことのないよう努めています。そこだけはどうしてもわかって欲しかった。ただただ春田と牧の幸せを望んでいただけなのに、それを公式に裏切られて、その上「同性愛者が苦しむことを望んでる」と誤解されるのはさすがに不憫だ。
今後作られる続編がどんなに内容的に素晴らしく、LGBTへの理解が進んだ良作になったとしても、田中圭演じる春田が牧以外の男と結ばれる限り、応援できない無印ファンは多いでしょう。そこは責めないで欲しい。アンチにならないために新シリーズから距離を置くのはまっとうな判断だと思います。
無印ファンの多くは「春田と牧が(←ここが一番重要)、何の差別もない世界で幸せに生活する姿」を望み、夢想しています。その光景は、増田が理想とする世界とそんなに遠くないはずなんだよ。
現状のフェミニズムは、アダルトチルドレンとか性被害PTSDとか性嫌悪とか男性嫌悪とかパーソナリティ障害とかその他精神疾患とかの人が集まる駆け込み寺になってるもん。元々フェミニズムはそういうとこあったけど、SNSでなおさら集まったうえにお互いに同意しあうことで重症化させてる。そういう人たちに、被害感情をコントロールしたり、暴力や復讐衝動を我慢しろってのはむちゃな要求。
それについて「まず病院行け」ってのは批判者からもごく一部のフェミからも出てるけど、そう言われて行く奴は少ない。
そして何より、今の精神医療は、あの手の精神疾患をうまく治せないし緩和すらろくにできないことが多い。医療が無意味だとは言わないよ、でも多くの肉体疾患にくらべて効果がまだまだ足りない。通院で誰もがさっさと生きやすくなるんなら、メンヘラクラスタが通院歴を書き連ねてないわけでさ。
フェミニズムが精神疾患者の根城になった上に、精神疾患を手早く和らげる医療レベルがないんだから、病的な暴れ方から抜け出すことはできない。
これはフェミへの不満なだけでなく、精神医療への絶望とフェミへの同情でもある。私自身が、比較的治る病気と言われてる精神疾患持ちで、なおかつ実際は全然ましにならないから。