はてなキーワード: 小学校とは
あとね、「いい土地ですから〜」を時系列で並べると、こうなる。
籠池氏が昭恵夫人の「いい土地ですから〜」の言葉を財務局に伝えたとされる。
銀行系や保健系のお客様だとExcelでくれよと言われる場合もあるし、マークダウンその他便利なツールを浸透させるには教育コストが重たいこともあるだろう。
マークダウン記法もわかんねえアホがいるのが現実なのでこればっかりは仕方ねえ。それはもういい。よくねえけど、本当に良くねえけど、妥協する。
だがマジでどうでもいい体裁を整えるためだけに工数をかけるのを今すぐやめろ。というかIT業界をやめろ。
業界それなりに長くて燃えてる現場もそこそこ見たけど燃えてる理由の何割かはこれだ。
現在の仕様書と過去の仕様書の比較を出すのに関数を使うのはいいが、なぜそれを新旧の仕様書をコピペすれば済むように工夫しないで意味わからん方法でバラバラにしながら切り貼りしている?
見た目のためだけに1項目に2行使うな、マクロとかコピペの時に不便だろ。せめてセル改行にしろ(それも許したくないが)
この項目はこのフォント、あの項目はこのフォントと丁寧に分けることが大切か? あまつさえ文字サイズに拘るとか正気か?
過度にオートシェイプに頼るなバカが、コピペや検索しにくくて不便だろうが。
Excelが自動で変えてしまうフォントまでわざわざ訂正しなおせって正気か? そりゃ周りからコピーして特殊貼り付けで解決するがn回やってりゃバカにならねえ手間だぞ。
体裁に拘るあまりドキュメンテーションの工数を増やすから結局メンテナンスされねーんだろうが。
小学校の先生やママは丁寧な書類を褒めてくれるかもしれねーけど綺麗で丁寧にするために10000倍時間かけてたら意味ねえんだわ。
あまつさえその狂気を他者に強要するのはやめろ。チーム全体の生産性が終わってる。
それでいて体裁を綺麗に綺麗に綺麗に綺麗に、神経質な狂気を持って本質的に必要な情報を手早くまとめることを忘れたアホが評価されがちなんだよな。マジで早く辞めさせろ。
ExcelなんてExcel側の気分でフォント変えたり大きさ変えたり文言変えたりする超絶不便で不完全なツールなんだよ。設計書にするにはな。
それを自覚してたらまずは作業を楽にしようって方に頭を働かせねえのか? なんで見た目ばっか拘るかね、内容がわかんないからか?
もう誰のことも馬鹿にしたくない。もうどんなことも馬鹿にしたくない。そんな一心で日々を過ごしているのに、常に誰かを馬鹿にしている自分がいる。
小学生低学年の頃にタブレットを親に与えられてからというもの、インターネットに染まりながら生きてきた。私にとってのインターネットの大半は誰かを馬鹿にしている物で、それに染まっている私ももちろん多くのことを馬鹿にしながら小学校に通っていた。まだスマホが今ほど普及していなかった時代で自分専用のタブレットを持っている優越感からインターネットを知らない同級生達を馬鹿にしていた。もちろん中学に上がってスマホをほとんどの同級生が持っている中でもすべてを馬鹿にしていた。インターネットに入り浸っていた私は当然のように深夜アニメを見るような一般的なオタクになっていた。中学には私と同じようにアニメが好きな人は何人もいた。しかし私は中学でアニメ好き繋がりで友人は一切作らなかった。馬鹿にしていたからだ。お昼時間の放送でアニソンを流して盛り上がっている人達を見て馬鹿にしていた。流行りの音楽が流れたら花柄の便座カバーみたいな音楽だと馬鹿にしていた。好きな音楽が流れても家で聞いたほうが音質良いしと馬鹿にして、好きではない音楽が流れたらそのもの自体を馬鹿にする。昼の放送は何もかもを馬鹿に出来るフィーバータイムだった。
高校に上がってから、そんな私に少しずつ変化が訪れてくる。きっかけなんて覚えていない。当時Twitterでフォローしてたアカウントに影響されたのかもしれない。何か映画などを見たのかもしれない。私はいつまで全てを馬鹿にし続けるのだろうと思い始めていた。当時の私は何もかもを馬鹿にしていたことによって何もできなくなっていた。何もかも馬鹿に見えるから自分がやっている行動でさえ馬鹿にしてそこから一歩も動かせない。やりたいことはあったはずなのに馬鹿にしてるからやれない。馬鹿にしたくない、そう思い始めていたのは間違いないけれど馬鹿にする思考がすでに癖になっていて、やめられなかった。
高校を卒業してから2年経った今、当時よりは馬鹿にすることは減ったかもしれない。それでも、馬鹿にすることはやめられていない。私は全てを好きになりたいわけではない。嫌いなものはしっかり嫌いになりたい。ただただ馬鹿になんてしたくないだけ。お前らにとって都合のいいことを当たり前のように事実だと思って勝手に納得してるようなお前らのことを馬鹿になんてしたくない。それでも、馬鹿にしてしまってる。
僕のバスケ歴は割愛するが、一応、最低限はバスケを語れる資格を持つ経験者だ。
スラムダンクは漫画は全巻持ってたし、連載当時に週刊少年ジャンプでも読んでいた。
でも、他にも色んな漫画をたくさん読んでいたから、特に好きな作品な訳では無いが、スラムダンクを語れる資格も持っている筈だ。
プロ選手になるという夢が存在しない分、現実的な折り合いを付け易くなる。
社会人になった元経験者達が資本主義の世界の中で大人になって、自分の取り組んでいたアマチュアスポーツを盛り上げようと画策する。
例えば、バレーボール。
そこまで人気でもないのにも関わらず、毎年、日本では世界大会を開催。
試合中に今のスパイクは何mの高さだったと計測された数字がリプレイと共に表示される。
人気に見合わない大袈裟な演出は、野球やサッカーと比べても遜色ない練習の過酷さが当たり前のバレーボール経験者達がサラリーマンとして社会で活躍しながら競技を後押しし続けた結果だと思う。
一方、バスケットボールはバレーボールと異なり、野球と同じで日本に強い影響力を持つアメリカ合衆国の4大スポーツの一つだ。
サッカー、野球、バスケットボールは、日本が戦後から続く海外への憧れを象徴するスポーツだと思う。
しかし、野球やサッカーと比べて、バスケットボールはようやくプロ化に辿り着いたが、まだまだ日が浅い。
野球ほど社会的影響力は無いし、サッカーと比べて世界的人気は少ない。
だから、プロバスケ人気を盛り上げるための苦心の策として、 数年前にLEDパネルのコートで行われたBリーグ開幕戦の試合中継なのではないかと思う。
しかし今のところ、バスケは観るよりもプレイした方が楽しいスポーツだと思う。
現状の日本バスケ界に不足している重要なピースの一つが、世界観作りだ。
サッカーにおけるキャプテン翼のように、日本バスケ界でその一役を担うのが、この映画『THE FIRST SLAM DUNK』なんだと思う。
今のスポーツ中継のカメラワークは、どの競技も完成形だとは思うべきでは無い。
ドローンなんて現時点のテクノロジーによる妥協の産物に過ぎない。
モーションキャプチャーのCG合成をリアルタイムで処理しながら無制限のカメラワークをコントロール出来る時代を待つしか無い。
それが実現するのは少なくとも100年先の未来になるだろう。
でも、CG作品ならば、フィクションの試合を無制限のカメラワークで演出することが可能だ。
『THE FIRST SLAM DUNK』は100年後の試合中継のカメラワークだった。
かつて映画製作を学んでいた僕は、映画を観るためではなく、バスケの試合を観に行くつもりで数年ぶりに映画館へ足を運んだのだ。
そんな僕の判断は間違ってないと思った。
当初、ジャイアンの声優の人が桜木花道であることを知って、困惑した。
ジャイアンを襲名したからには、ジャイアンの色が付いて回る宿命をスラムダンクに持ち込んで欲しく無いと思った。
監督がリアリティを追求した結果、出刃庖丁を持った2mの巨漢が全国大会のコートに乱入する大事件はオミットされた。
桜木花道は終始、バスケ歴4ヶ月のフィジカルモンスターだった。
デニス・ロッドマンそのものだった。真っ赤な坊主頭が試合を引っ掻き回してた。
かつて緑川光が演じた流川楓も、味方にパスをしない異常プレイヤーだったし、寡黙なキャラに合った雰囲気さえあれば声優なんて関係なかった。
急展開過ぎる。
もう少しモーションキャプチャーの演技でスタミナ消耗の下降線を丁寧に描けよって笑ってしまった。
バスケットボールを描くに当たって、ボールのドリブル音、バッシュの音にしっかり拘りを持った演出をするのは明らかだった。
けど、屋外を歩くだけのシーンでも露骨に足音を鳴らすのはやり過ぎ。この一点だけは偏執過ぎる。まさに勇み足だ。
僕の記憶が正しければ、バスケのルールとして、敵陣のゴール下の台形ライン内に3秒間ずっと入りっぱなしだと、3秒ルールが適用されて相手ボールからのスローインになってしまう。
湘北高校のオフェンス時の桜木花道の立っている位置は台形内っぽいことが多い気がした。
桜木花道は何度も3秒ルールを食らってないとおかしいと思った。
渡米していた宮城リョータの出現にえっ!?と一瞬、頭が混乱した。
というか、この映画自体がスラムダンク奨学金のための伏線だったのか…と思った。
その中での90点だ。
100点じゃない理由は原作漫画を読まないと理解出来ないからだ。
当時、原作漫画を読んだバスケ経験者の親達は、この映画を観た感動を情熱に換えて子供と日が暮れるまで沢北の父親さながらの1ON1を続けるだろう。
原作者であり映画を監督した井上雄彦は、バカボンドのヒット後にどこかの寺の襖だったか屏風に直筆を描いて日本画の領域に進出した。
結果は散々。漫画は所詮は漫画であり、漫画絵が日本画と肩を並べることは叶わなかった。
かつて、日本映画界はアニメーション映画を日本映画として認めていなかった。
日本映画界が斜陽が限界点を突破した結果、映画産業を水増しするためにある時期を境にアニメーション映画を渋々受け入れた印象がある。
日本のアニメ界はファンタジー性や虚構に拘り過ぎている節がある。
だから身勝手に3.11を風化している扱いにして傲慢なアニメ作品で大プロモーションをしちゃったりする訳よ。
『THE FIRST SLAM DUNK』のようにモーションキャプチャーと2Dライクな3DCGを使ったリアルアニメーションこそ、次世代の日本映画だと思う。
ちなみに、小学2年生になる息子がいる。
高校時代は山王戦でメガホンを持っていた奴らのような惨めな3年間を送った過去のある僕は、子供に運動部の残酷さを味わせたく無いと思っている。
でも、たまに、自宅の庭でバスケットボールを使ってドリブルやパスの練習をして遊んでやってた。
昨年、小学校の七夕に「バスケがしたいです」と書いていたことを耳にした時は狼狽した。
で、今回の映画鑑賞は息子を初めての映画館に連れて行った訳だけど、感想を伺ったらバスケに目覚めなかったらしく、内心ホッとしている。
私は女子校育ちだ。
私の地区はみんながみんなとりあえず私立受験をする風潮だった。
地元の中学が荒れていて、少年院に入ったとか、髪の毛が青いやつがいたりそんなのが噂になっていたのもあったし勉強はしなくてもそこそこだったので母の勧めもあったし女子校へ通うことにした。
第一志望に落ちてしまったらあとはどこでも一緒という気持ちもあったし、なによりも自転車で通えるのが楽そうで良かったからだ。
もう1人はいじめに加担することで身を守っていたのかもなあと今思えば思う。
1人敵がいると団結できるもんな。
下手くそなバスケはさらに下手くそになった。それでも辞めたら負ける気がして最後までやり切った。
なんでか中3だったと思う機嫌を損ねたかもう記憶にないが、内部生の中でも勉強は出来ないけど親は大金持ちという、攻撃的な子Aに嫌われて毎日お前の味方なんかいない、お前見てるとムカつく、他の奴らに言ってみろ殴ってやるなど色々言われて全てが嫌になったのを覚えてる。トイレに呼び出されてなんか壁に押し付けられたのを覚えている。
当時の私は細くてAは小太りだった。
このAは帰宅部だったのに運動部の中で君臨しようとする、実際には友達があまりいないタイプだったのかもしれない。
このままでは私の数少ない友達もいじめられてしまうと思ったから親友と連絡を取らなくなった。
その当時流行ってたmixiとかCURURUでブロックしたのだ。長文のTwitterみたいな使い方をしていた。
ジャニーズ大好きで一緒にコンサートもたくさん行った。今思えばなんで愚かだったんだろう。
わかってもらえなくても相談したらよかったのに。言ったら
親友でなかったのかもしれない。
そのことで私はお揃いのストラップをつけるような友を失ってしまったのだと。
ジャニーズから離れてしまったのも私はこのタイミングだったかもしれない。
ただただ毎日その内部進学生Aが高校に進学出来ないように祈っていた。
実際進学できないと聞いてすごく嬉しかった。
もし高校も一緒だったら死のうとすら思った時もあった。
未だにそのAを見ると嫌な気持ちになる。
彼女は高校には進学出来なかったにも関わらず大学時代に部活仲間との飲み会にいる時があった。確か成人式にもいた。
私は嫌な気持ちを消せなくてそのAがいるとわかったら参加しなくなった。
Aがいなくなってからは私は普通に高校に進学し、大学へ行った。
スポ根を味わえたし、私の基礎体力を作ったのでいい経験だった。
負けて悔しい、そんなことすら思えた。
向こうからしたら中学までは自分はぬるま湯に浸かってだけでアメリカで開花したとのことだったが、私は未だに彼女を許せてない。
そんなAが子供を娘を産んだというのを聞いた。Facebookに欲しいものを全て手に入れたとか宝物だとか、子供にも人権があるとかこの子を守るみたいなことを書いていて正直不幸になって欲しいと思ってしまった。
最愛の夫はあなたが学生時代いじめっ子だったのは知ってるのだろうか。
本人からしたらそんなことなんてあったっけ?みたいな事なんだろう。
同じように人をいじめる子供になるのか、はたまたいじめられる側になるのか、
嫌なことは嫌だし、何年経ってもやられた側は忘れないのにやった側はケロッと忘れてる。
むしろ向こうからしたらお前が悪いんだろという案件なのかもしれない。
その時の周りはもうみんな気づいてないのかもしれない。
周りはいじめられてたっけ?と思うかもしれない。
全て捨てたっていいんだよって。
何もかもが悪い方にいく気がする時は何もしなくたっていい。
そのままのあなたを好きでいてくれる人が1人でもいるなら幸せなんだよって。
無理に嫌いな奴と付き合わなくたっていい。
それを認めてくれる人を探す旅なんだよって。
拝啓15歳の私へ
今負けそうで泣きそうなあなたより
15年後はあなたらしく生きれる友人を選ぶのが上手になりました。
このブログがもしバズって本人が読んだとして今更の謝罪なんて1ミリも欲しくない。ただ過去にいじめていた側が、何も知らずに幸せになってほしくない。
いじめてた側は消せない罪を背負っていることを忘れさせたくない。
そんなどこにも吐き出せない想いを綴る。
そして同じような15歳に伝えたい。
ビーフジャーキーというおつまみがある。いうまでもなく人間の食べものである。
しかしながらワイは小学校の頃から小型犬を飼っていて、朝夕の散歩のあとにはご褒美的に決まってジャーキーをやっていた。近所の薬局で買ったものもあればローソンで買ったものもあった。ローソンのは「チョイあげ」というシリーズがあって、「おいもん」(これはジャーキーではないかもしれないが)が飼い犬のお気に入りだった。
散歩から帰ると犬は物欲しそうな顔でジャーキーを欲しがった。しばらくあげずにいると吠えた。いつしか散歩に行かないでも、ワイが「ジャーキー」と言えば犬はピクン!となって一瞬固まった後、ものすごく嬉しそうにジャーキーが入っている冷蔵庫の前まで、カチャカチャと爪の音を立てて猛ダッシュした。早くくれ!と言わんばかりにしっぽをブルンブルン振りながら、落ち着きもなく冷蔵庫の扉をひっかくものだから、冷蔵庫の最下段は傷だらけになっていた。
二十歳になったワイはお酒を飲むようになり、それまで興味がなかったコンビニのおつまみコーナーにも頻繁に立ち寄るようになった。今日はどれにしようかな、と見ていたら「ビーフジャーキー」が置いてあることに気づいて、最初は「人間用もあるのか。」などと思ったものだ。
住んでる家があるのは区画一帯にハウスメーカーが分譲住宅をたくさん作った住宅地なのだが、この一角にメーカーが住宅を建てるにあたって法律だったか市の条例だったかで仕方なく設置されたようなショボい公園がある。
どれくらいショボい公園かというと、せいぜい200平米ほどの広さに植樹2本と砂場とベンチが1つずつという有様である。
分譲住宅が売り出されたのは同じタイミングで、それぞれに人が住みだしたのもほぼ同じ。戸建を求める家庭は小さい子がいるケースが多々あるので、住んで間もない頃は小さい子たちも遊んていたが、なにせ狭いうえに大したもののない公園なので、彼らが小学校低学年を超えた頃には誰も寄らなくなってしまった。そのまま10年20年と経過し、今となっては町内会が年に2回の草むしりのために集まるだけの虚しいスポットと成り果てている。
最近は植樹された木の1つが公園に隣接する家の上階の窓まで伸びてて邪魔とのことで、その木を伐採するかどうするかという話が出ているが、正直公園自体をどうにかして欲しいところである。
ホテルの大浴場っぽいところの洗い場で急に便意を催した。いや、正確に言えば、なんとなくお腹が張っているような気がしていたのだが、しばらく出ないだろうと思ってお風呂に入りに来たのだ。割と健康的な柔らかさを備えた普通のうんこを排泄してしまった。問題はここはホテルの大浴場だということで、仕方ないので隠さないといけないのだが、うんこの量が多すぎて椅子では隠しきれなかった。隠しきれなかった分は持ち合わせていたニットの帽子で隠すことにした。なるべくうんこと直接接触しないように気をつけて覆ったのだが、それでも帽子にうんこがついてしまった。最悪だ。とりあえずこのうんこをどうにかしなければ。そこは風呂場なのだから細切れにして泡と一緒に流せばよいのだが、しかし流しきれずにニットのうんこが残ってしまう。なにか袋やスコップのようなものを持ってきて持ち帰らねば、という思いから脱衣場に戻ることにした。犬の散歩か。しかし席を立ったところでとんでもないことに気づいた。この大浴場は各自が排出した排水が洗い場の鏡の後ろの半透明のタンクに貯まる構造になっていたのだ! な、なんだってー。他のお客の鏡の後ろのタンクには泡の混じったお湯が貯まっているのに、増田の鏡の後ろのタンクにはさっき流したうんこがプカプカ浮かんでいるのだ。俺がうんこをしたということが一目瞭然ではないか! 慌てて脱衣場に戻ると同僚と会った。これから風呂を出るところだという。一緒に風呂を出て部屋に戻ることにした。同僚が、風呂でうんこをしたけしからんやつがいるらしい、という噂を教えてくれた。そうだ、どうやら増田は職場の研修旅行で来ているのだ。誰がどの洗い場を使ったかは記録に残っているので、増田が洗い場でうんこをしたことはわかってしまう。もしうちの職場のやつだったら、このホテル次から使えなくなるかもしれないじゃん、困ったやつがいたもんだよね、と同僚は言う。あれ、実は俺なんだ。そう同僚に言うのが正解なんだろう。上司に報告して、すみませんでした、とホテルの管理人さんに言うのが当然なんだろう。いずれバレる悪事なのだから、さっさと名乗り出て謝ってしまうのが一番いい。頭ではわかっている。でもできなかった。小学校の頃、僕がやったんですごめんなさい、と名乗り出ることができなかった記憶が頭を去来する。どうすればいいんだろう。正解は知っている。けれど言い出す勇気が出なかったんだ。浴衣でホテルの廊下を歩きながら、ぐるぐる、ぐるぐると、自己嫌悪が頭を渦巻いた。
起きて、しばらく、職場にどう言い訳すればいいかを考えていた。うんこの質感が異様にリアルで、鏡の裏のタンクも実際にありそうで、どうしても現実のことだとしか思えなかった。いや、あそこまでひどくないにせよ大浴場でうんこをしたことはあったのでは、という記憶をたどってしまい、1分くらいしてそんな過去はないことをようやく確信できた。ニットの帽子も無事だ。よかった。でも今日どんな顔でこれを被ればいいんだろう。
めっちゃわかる
まず正直に白状すると理解のある彼くんはいた。1人。a 理解のある彼くんだ。
けれど、私といると「理解のある彼くん」になってしまうのに、どうしても耐えられなかった。理解のある彼くんじゃない人生を歩んで欲しかった。
もっと優しくて人生にそつがなくて生きるのがうまくてかわいくてこう・・・なんか・・・いい子を見つけてほしかった。大学でちょっと知り合ったからってこんな上辺だけは真面目に見えるその実何も積極的にやりたくないだけのクズで人生を浪費するんじゃない。
「発達障害の子供に見られる症状」リストを見て、自分の幼少期との親和性にびっくりするのが生活の一部だ。一週間に一度ぐらいやってる。
時に明確に拒絶され、時になんとなくハブられ(生まれて数年にして素晴らしいソーシャルスキルだ)、時に何もわからなくなって自分から離れて園庭で遊ぶ子供達を眺めて過ごした。
テストの点数という概念が私を救ってくれた。「でもお前私より勉強できないじゃん」で全ては解決しないがある程度は解決した。
でも、大学に入って全てが完全に終わった。
今まで自分の優位を内面的にも対外的にもかろうじて保証してきてくれた受験勉強がなくなってしまった。
こうなるともう何もわからない。
一応体面があるから最低限正社員として働いてはいるけれど、よくわからない濃霧の中で手探りでよくわからない小石を拾ってきてよくわからない方角に投げ続け、よくわからないで一日が終わるような感じ。ボーナス?当然無いよ。
かなり容姿に難ありな上、中身もまあこんな感じなのでシンプルに申し訳ないし、高確率で一重低身長奥鼻口ゴボへちゃむくれデブの骨ストイエベ秋が排出されると思うと正直愛せる自信が無い。
しかも世の中は戦争したり変な病気が流行ったり金がなかったりである。
ねえ今親になろうとしてる人たち、こんなところで生きたいか?まあ、今の環境でうまく行ってるか、努力して幸せを掴んだか、どんなところでも生きたいと考えているか、そんなこと考えたこともなかったか、または全体的にあんまり考えていないか、そのどれかだと感じられるようなメンタルだからそんなことができるし、したいと思うんだろうな。私は正直お断りしたい。
将来についてはとりあえず「○○で○を○○方法」の検索結果が当面のソリューションだ。
一応趣味はある。アッパー系の楽しさみたいなのは無いけれど、やりだすとほぼいくらでもやっていられるので好きなことなんだろうと思う。
でもとにかくパッとしない。評価されない。自分でもわかるけど明らかに出来がよくない。
評価をされるためにやっているわけではないけれど、自分がいいと思って表現したものが評価されている人を見るとざりざりしたものが心の中に広がる。
しかも趣味分野でもうまい人はだいたい人生がうまく行っている。そう見えるだけかもしれないけど、そう見せられている。
Twitterで「夫」「娘」「息子」「昇進」「合格」なんかのキーワードは当然ミュートにしているし、
友達や幼馴染の結婚式に出席したり、子供やペットや新居の写真が届くたびに、遠くに行ってしまったな、と思う。
自分語りをされるのは隙を見せるほうが悪い。
フィリピンは企業はもちろんのこと、学校や役場・病院などの公共施設においても管理職の大半は女性で占められてるし、
教育現場では小学校から高校までの教員の8割ほどが女性で固められているぞ
なんなら国外へ行っても送金するし
[Forbes] アメリカ在住の移民、母国への仕送り額は年間1480億ドル以上
https://forbesjapan.com/articles/detail/26892
フィリピン :110億9900万ドル(約1兆2400億円)
ただ単に日本の女性が自立する気が皆無かつ日本がそれで良しとしてきただけです