もう誰のことも馬鹿にしたくない。もうどんなことも馬鹿にしたくない。そんな一心で日々を過ごしているのに、常に誰かを馬鹿にしている自分がいる。
小学生低学年の頃にタブレットを親に与えられてからというもの、インターネットに染まりながら生きてきた。私にとってのインターネットの大半は誰かを馬鹿にしている物で、それに染まっている私ももちろん多くのことを馬鹿にしながら小学校に通っていた。まだスマホが今ほど普及していなかった時代で自分専用のタブレットを持っている優越感からインターネットを知らない同級生達を馬鹿にしていた。もちろん中学に上がってスマホをほとんどの同級生が持っている中でもすべてを馬鹿にしていた。インターネットに入り浸っていた私は当然のように深夜アニメを見るような一般的なオタクになっていた。中学には私と同じようにアニメが好きな人は何人もいた。しかし私は中学でアニメ好き繋がりで友人は一切作らなかった。馬鹿にしていたからだ。お昼時間の放送でアニソンを流して盛り上がっている人達を見て馬鹿にしていた。流行りの音楽が流れたら花柄の便座カバーみたいな音楽だと馬鹿にしていた。好きな音楽が流れても家で聞いたほうが音質良いしと馬鹿にして、好きではない音楽が流れたらそのもの自体を馬鹿にする。昼の放送は何もかもを馬鹿に出来るフィーバータイムだった。
高校に上がってから、そんな私に少しずつ変化が訪れてくる。きっかけなんて覚えていない。当時Twitterでフォローしてたアカウントに影響されたのかもしれない。何か映画などを見たのかもしれない。私はいつまで全てを馬鹿にし続けるのだろうと思い始めていた。当時の私は何もかもを馬鹿にしていたことによって何もできなくなっていた。何もかも馬鹿に見えるから自分がやっている行動でさえ馬鹿にしてそこから一歩も動かせない。やりたいことはあったはずなのに馬鹿にしてるからやれない。馬鹿にしたくない、そう思い始めていたのは間違いないけれど馬鹿にする思考がすでに癖になっていて、やめられなかった。
高校を卒業してから2年経った今、当時よりは馬鹿にすることは減ったかもしれない。それでも、馬鹿にすることはやめられていない。私は全てを好きになりたいわけではない。嫌いなものはしっかり嫌いになりたい。ただただ馬鹿になんてしたくないだけ。お前らにとって都合のいいことを当たり前のように事実だと思って勝手に納得してるようなお前らのことを馬鹿になんてしたくない。それでも、馬鹿にしてしまってる。