はてなキーワード: 外圧とは
腹の大きくなってきた妻にすれ違いざまに接触し詫びることもない人たちに怒れない。妻が妊婦であることを知りながら、デザートにラム酒を忍ばせた飲食店に怒れない。職権を拡大解釈して後輩をいびる老人に怒れない。行列に割り込んでくる中高年男性に怒れない。マスクもせずにすれ違いざまに痰を吐いてくる男性に怒れない。
俺は穏やかで柔和な人だと評価され、自身もそのように在りたいと願い、日々を慎ましく生きている。しかし、どれだけ争いごとを遠ざけていても回避できないものもある。
そのような時に怒髪天をつき、言い分を声高に主張することができたら、どれだけ心地の良いことだろうと思う。パブリックな場所で怒鳴る人を観察すると、どうも理由などよりも感情が先立っているように感じる。「○○が☓☓なので腹が立つ」というのではなく先ず「は?ムカつく」からのクラウチングスタートというか。粗野だと感じる一方で、彼らの直情的な行動を羨ましく思うところもある。
まず、声帯を温めずともあの音量の怒声が出る、というのもかなり羨ましい。また得てして公共の場で怒声を上げる人は流暢で、私が日々愛用している「あー」だの「うー」だとかのフィラーが入る余地がない。怒り方がさまになっている。
俺は反射的に怒りを発露させることはないし、たとえ怒りを覚えたにしても即座にリミッターをかけてしまう。そういう思考の癖がある。自らが直接的に被害をこうむった事でさえ、反射的には怒ることができない。ただ、後々事実を洗い出しては「ああ、あれは大分辛かった」と胃を痛めて反芻するばかりである。身体的なストレス反応を伴って、ようやく自分が憤っていることに気づくが時既にお寿司、怒りを伝えるべきストレッサーはもう目の前にいない。「ああ、また言えなかった」と虚無感だけがつのり、風呂場に独り言を蓄積させるばかり。
俺が現在進行形で心底恐れているのは、いざという時に妻、ひいてや子のために怒れないこと、脅威に立ち向かえないことである。また、俺のこの怒れない性分を子供が学習し継承してしまうことも恐れている。優しい子に育ってほしいと思うが外圧に対する選択肢が、いのちをだいじに一択の俺のような者にはなって欲しくない。多少の野蛮さは積極性と裏表だとも思うし、たまたまにはガンガンいこうぜと柔軟にやって欲しい。とりあえず、嫌なものを即座に嫌だとちゃんと言える強さを身に着けてほしい。
はあー、ほんまどうしよ。怒る練習しないといけないよな。とりあえず冒頭に列記した件は、ここ2週間の出来事です。増田で呪っても1mm足りともこの怒りは届かないんだろうけど、お前らほんとクソだかんなー。まじでつい増田書いちゃうくらいムカついたんだからなもう。ぶつかり男たちは謝れマジで。
負荷を与えて身体を鍛える!とか言うけどさ、結局は身体の方のさじ加減なわけじゃん
鉄を鍛えるのはいいよ 加圧とかそういうので直接物理的な変化が生じて強くなる 鍛冶なしにはなりたたない
筋肉は違うんだよな
おっ負荷かかるやん!もうちょい強くしとくか!と身体が思って、内側から強化する
外圧はきっかけにすぎない そんなもんなくてもやろうと思えばイキナリマッチョになれるはずで、実際ホルモンか何かがイカれてて生まれつきマッチョな人もいる
極限のトレーニングで鍛え上げる、みたいな概念がどうしても空虚に見える
〉■それで結局、聞こえる子供の手話学習がどうして「文化の盗用」なの?
私には元ツイの言いたいことはすぐ理解できた。
元増田の言葉を借りれば、「日本のアニメを見て日本語を覚えた外国人が日本人より多くなり、全世界の何十億人の日本語話者(カタコトしか喋れない連中も含む)が ‘皆さん‘と言うべきところを‘キサマラ‘と言ってくる。一億vs数十億。圧倒的物量には勝てない。そのうち外圧に弱い外交系や観光業界の純粋日本人も ‘キサマラ‘と言い始め、テレビやラジオも ‘キサマラ‘と普通に言いだす。
一般の日本人としては何もしてない普通に過ごしてただけなのに、よその誰かが悪気なく日本アニメを広げたため 突然 ‘皆さん‘と言えなくなり、‘キサマラ‘と言い換えなきゃならなくなった。
これって もにょらね?」
てことだけど。
※念為だけど、 ろうあ者に対して手話習ってる健常者は数十倍いるよ!
元増田が
①上の例文で元ツイのいいたいことが分かった
のどちらなのか気になる。
①なら、このひと普通の本とかまともに読めてるんだろうか。やばい書き方してる本とかあるし、誤読も含めて いろいろ騙されやすい気がする。攻撃的な性格もその辺りが元になっているのかもしれない。
②なら、脳の働きが 日本人の大多数からズレてる可能性がある。ちなみにズレてること自体はわりとよくあることだし、悪いことでもない(かくう私も違う方向だがズレてる自覚がある)。ただ、「ズレてる」って自覚は持ってほしいかな。
で、
ノイジーマイノリティが目立ってるだけならいいんだけど……。
バカでも天才でも1票の価値は同じ。どんなバカでも票だけ入れてあとは黙ってくれたら味方だ。
左翼は「愚民は我々の理想国家に不要だ」なんてことを言ってバカを取り除こうとするが、取り除かれたバカはどこに行くか。ネトウヨに取り込まれる。
ネトウヨが嘘やデマやヘイトなどの卑怯な手段を使ってでもバカを騙して味方につけて数という力を得る。
左翼が愚民を嫌うのもネトウヨがよそ者を嫌うのも同じだが、ネトウヨは外に敵を作ることで内の結束を強くする。左翼は味方となるべき者を排除するので味方がいない。
外国が日本の国益のためにわざわざ外圧をかけてくれることも期待できない。そんなお人好し国家はない。
バカに寄り添うふりをして味方に付けるくらいなら少数精鋭で戦うってそれ政治じゃ負け確ですから。
敗北主義者はプラカードを首から提げて木に吊るされるべきだよな。
日常とは葛藤であり、葛藤から拡張してゆくことでやっと日常が保てる。
走り続けてやっと後退しなくなる、というたとえではしっくり来なかった。
こうした見えない日常の膜というか外圧というか、そんなものを両手で必死に押しきれない人が鬱にかかったりする。
ところが鬱病者を見ると、人は大抵自身が日常を両手で押していることを義務と感じてしまう。
結果鬱は甘えだなんて言説が出てくる。恒常性を保つには運動が必要で、運動には心が必要だ。
心の動きが弱くなると膜が圧力を増してくる。
多分鬱の人はこういう心象を内面的に抱えているし、外からも言われている。
内面の風船は否応なく膨張し、外面の膜で呼吸もできなくなる。
歩くことは基本誰にでもできるが、年をとるとその動作が特別だったことに気づく。
つまり足は日常という恒常性を押し留めながら前進してくれていた。
しかし足は突然動かなくなる。内蔵も老廃物を処理しきれなくなり、体臭がきつくなる。
老人化が悪だという人はいないし、病気を悪だという人はいない。
しかし心の病気にかかって恒常性を失った人が病気であると認識される日は遠い。
増田は現在鬱ではないものの、恒常性と日常の闘いについてなんとなく実感が湧いたので記しておく。
多分感覚ごと伝わらない。
コロナの影響でテレビ番組などが即座にリモートでの収録に切り替えたりといったことは流石だと思うが、正直、こんなことは従来でもやろうと思えばできたわけだ
結局、日本というのは「やった方が好ましいと誰でも思うこと」を自主的に実行に移す力がないのである。国民全員が、指示が無ければ動けない会社員みたいなものなのである
この状況を打破するには、韓国や中国等の優秀な人材を移民として受け入れ、外国人の参政権を認め、国家および地方の政治の指揮を執っていただくしかないだろう
私の尊敬する小沢一郎先生は、「韓国人の優秀な血を日本に入れなければいけない」とおっしゃっていたが、全くその通りである
低学歴の右翼は韓国人が嫌いなようであるが、それは優秀な韓国人に嫉妬しているからにほかならない。AIに仕事を奪われる低所得の単純労働者と同じ発想である
今、日本が閉塞的な状況に陥っているだけでなく、人権の擁護や人種民族の平等実現などは、国際的にみても常識的な理念である。差別心や嫉妬心で外国人を受け入れられない民族主義者は大変みっともない
一言で要約するなら「無駄なものをなくして有効活用しましょう」ってことかと思う
どれも議論の余地はあるにしろ突拍子もないことはほとんど書いてない
それについていけない生徒を先生がチューターとしてフォローする発想はいいと思った
ただ大麻解禁についてはちょっと何を言ってるのかわからなかった
読めばわかるが「何言ってんだこいつ?」と思うことが書かれている
個人的に医療用大麻は解禁すべきだと思ってるが、子作りとの関連が不明
普段ホリエモンとか興味ないけど、目次の江戸城再建に興味をひかれて読んだけどまあまあ面白かった
例えば中国製品の方が性能・品質・セキュリティ面すべて優れていると思えば、日本人が中国の製品を選ぶのは一個人としては正しい経済的行動なわけよ。これは分かるよね?
無理して自国の出来損ない製品を買ってQoLを低下させることは、むしろ国民にとって不利益。
国内のダメな企業はちゃんと淘汰されて、生き残れるポテンシャルがあるところは正しく焦って、正しく見習って、外圧だろうとしっかり受け止めて、向上していかなければならない。
それをせずに国内だけで買いましょう、と温室栽培を続けてはいけない。別に工業製品だけじゃない、農産物だろうと、人材だろうとなんだって同じこと。
保護してばかりじゃ競争力が伸びず、無理が生じてきて、合理的にやっている所に負けて落ちこぼれてしまうわけ。
だからとりあえず個人としては、国とか関係なく合理的と感じる振る舞いをすればいい。
国がすべきことは、経済に介入して恣意的な保護施策によって歪みをつくることではなく、行きすぎない程度に自由市場を肯定して、経済のパイを広げつつ、やむなく淘汰されていった領域の人たちの生活を保障すること。介入みたいな予防的な反抗に金をつかうよりも、安心して失敗や敗北ができる環境とルール作りに金をつかうべきだね。
ブコメの人にけんか売りたいわけじゃないから増田にはトラバしない。
この文もうんち1個くらいついて流れてってくれれば満足。
ブコメに、「1人の商業活動レベルが社会に影響を持つと考えるべきではない」ってのがあったんだけど、何かの売れゆきってみんな「1人の商業活動」のチリツモのような気がするけどなあ。
まぁ一般的にはモノの値段や品質で売れゆきが決まるのであって、売り手がevilかどうかってのはあまり買い手がモノを選ぶときに考慮する要素にはなってないけど、値段や品質と無関係に売れゆきが変わるものだってないわけじゃない。風評被害とかマスク買い占めとか。
ひとりひとりは社会に影響を与えようとしてなくても、同じように考えて行動する人がある程度大きな割合で居れば、結果として影響を与えちゃうんだから、evilなやつを買わないっていう個人の行動は、社会に影響を与える一因になり得るのでは…?
ていうか、個人の行動や考え方が社会の中である程度のボリュームを持つようになってはじめて法整備やら企業間取引の変化になるような…?
うーん、いや、法整備は社会のお気持ちではなく経済合理性とか外圧とかなんか大きな事件とかからしか進まない?
よくわかんないや、頭いい人教えてくれ…
そういう話じゃなくて、「私の選択は社会にすげぇインパクトあるはず!とか思い込むなよ」みたいな気の持ちようの話なんだろうか…?
枝葉末節だけど「〜と考えるべきではない」ってのもよくわからない。どう考えてどう行動しようと、たとえそれで悩んだり不自由したりしたっていいじゃん?別に犯罪的なことじゃないんだからさ。
「そういう考え方は無意味だ」ってのを「考えるべきでない」って表現しただけかもしんないけど。知らんけど。
あー、まとまらない。
書き捨て。
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
「私にとってBLがNLだもん!」とか言われると「あ゛?」となる件について
※この記事では便宜上男女CPのことをNLと表記する個所がそこそこありますが差別的意図はありません
このnoteの人はとりあえず既に何人かから言及されているようにネットのない所でおいしいものでも食べて心をいやしてほしいなあと思います。
それはそれとしてこれを読んでてひとつ気になったのが「二次創作世界の謎ヒエラルキー」に関してです。
今でもほんのり名残はあるけど、
男性向け>>>>>女性向け恋愛なしオールキャラほのぼの>>>>BLCP>>>>>男女CP>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>夢
ってヒエラルキーは確実にありました(※2)。なかったとは言わせないぞ。男性オタクは女性の二次創作者全般を叩くけど、女性向け同人の世界ではBL二次創作者は男女二次創作者と夢者を叩きまくってたじゃん。ついでに言うと男女の二次創作の人も夢の事は叩いてましたね。「叩いて【た】」って過去形にしたけど夢は今も叩かれがち。
っていう記述があるんですね。
で、自分はこの謎ヒエラルキーというのは全く感じたことがありません。
もちろんふわっとした「男性向けが一番偉いんだ」とか「BLや夢は下に見られている」という認識はありましたが、男女CPがBLCPより下に位置しているなんてことは思ったこともなかったですしBLって夢と同列で最下位争いしているダーティなジャンルってイメージしかなかったんです。
だから「夢は昔から叩かれてた!」と嘆き怨嗟の煮凝りみたいになっているご本人の感覚を否定したり歴史修正をするつもりはないんですが、自分とこの方でどうして同人ヒエラルキーの認識に差が出たのか疑問に感じたわけです。
まず当時の自分の同人ヒエラルキー認識についてですが、おおざっぱに書くと「男性向け>男女CP>CPなし年齢制限なし>BL≧夢」です。自身の属性としてはBLもNLも嗜む腐、というのが近いかと思います。GLは自分から見に行くことは少ないですが嫌いじゃないです。
BLと夢については底辺の腐がドンケツになりたくないからと叩いてもいいものを探した結果押し付け先として夢を選んだ、といったような感覚でして、腐としては夢を下に見ているけれど夢の人は夢の人でBLを下に見ているし男性向けとか男女CPやってる人からしたらどっちも等しく最底辺なんだから仲良くしなよくらいの認識をされている、と思ってました。
そしてこの方が仰ってるような「夢BL者は夢NL者をさらに下に見ていた」ですが、この感覚も食い違ってまして、男性主人公で更にエロとかあるような夢BLとか底辺たる夢の中でも更に下位では?という感覚でした。
で、どうしてこういった順位付けをするに至ったのか今の視点から推測しますとだいたいこんなところかなあと思います。
・生殖できて多数派である男女の関係の方が男同士の関係よりも「上」であるという前提があった
子供が産める方が偉い、という認識ですね。いくら真実の愛だとかなんだとか綺麗ごとを言ったところで同性での結婚が主流になれば人口先細りで滅亡します。個人の事情を優先して人類の未来を食いつぶすような同性同士の恋愛がいくら誤魔化したところで上にくるわけがないだろ、みたいな認識です。
もちろんそういった認識はめちゃくちゃ乱暴ですし、そもそも生物学的に子孫を残せる異性恋愛は主流ではあるものの同性同士での恋愛をするグループも一定割合で生まれるのが自然なのでそこに序列を見出す意味がないとかそういう話もあったりするんですが、ともかく当時の自分は無邪気にそういう認識をしていました。
BLと実際の同性愛は違うし実際の同性愛であれば見下していいかと言えばもちろんそんなことはありません。
とにかく、BLを好きな人は案外多いんだとか、オタクの世界ではBL愛好者が多いとか、そんなものは順位には全く関係してこないんです。というかオタクという狭い界隈でいくら人口が多くたって一般人様の感覚=異性恋愛(という認識をしていた)の方が上に決まってるだろという認識でした。
だからBLの方が尊いとかBLは偉いとか言う理論を聞くと、今は別の理由から「何言ってだお前」と思いますが当時も当時で無邪気な差別意識を根底に「何言ってだお前」と思ってました。
前提が「BLはド底辺」でありそんなBLを好きな自分は「ド底辺の人間」であって「ド底辺の人間がいくら集まろうとド底辺であることに変わりはない。クズがいくら増えてもクズのままで急に善人になったりしないのと同じ」という自虐意識の塊だったんですね。
内圧も外圧もそれらが複雑に絡み合った結果のよくわからない何かもまあ理由は色々とありましたが、とにかく腐女子って周囲のことを敵だと思って常に何かに怯えているものだという認識でした。
マナー違反に怯えて謎マナーサイトが流行するし腐叩きに怯えて検索避けが流行するし、ダミーエンターとか無断リンク禁止とかオンラインブックマーク禁止とかもうめちゃくちゃ懐かしいです。
それだけ常に何かに怯えている人たちが上にいるなんて意識欠片もありませんでした。
ところで自分は別にBLだけではなくむしろ王道の主人公×ヒロインとかは大好物でして、そういうサイトなんかも見ることがありました。
で、自分の観測してきたいわゆるNLのサイトってまあ女オタク特有の空気感みたいなものは確かにありましたけど、一般人様から隠れるために検索避けしなきゃとか、我々は背徳者なんだとか、そういう類の恐れというのはBLサイトほど臭ってなかったんですね。
いわゆるサーチサイトとかからリンクをたどって、みたいな感じじゃなくてふつうにロボット検索から調べて見つけて入るし、日記で検索避けガー一般人様ガーとか書いたりしない。
もちろんジャンルでそれぞれ事情はあるかと思いますし、叩かれて潰されたサイトだってあったのでしょう。また、閲覧者からは観測できない裏側では色々とあったのかもしれません。
自分がサイトを探す手段がロボット検索に寄っていたので、結果的にオープンなサイトを見る割合が多かったというのもあるでしょう。
しかし自分が見て来た範囲だと圧倒的に男女CPを取り扱ったサイトの方が圧力を感じないつくりになっていました。ですから判断も自然と観測結果に基づいた「男女CPの方が自由」という認識になっていきました。
(CP違いによる宗教争いはある意味ではBLよりヤバかったかもしれませんが)
・夢小説界隈は「虐げられる弱者」ではなく「底辺争いの戦争相手」だった
夢小説を好きな人たちが自分から底辺に収まっていたら恐らく明確に夢小説を「下」だと思っていたのでしょうが、夢小説を好きな人たちがじゃあ「自分達はBL様より下でございます」なんて言っていたかと言えば当然ながらそんなことはありません。そもそも一方的に見下す過激派腐女子の方が大いに間違っています。
それこそ「異性間での正常な恋愛を楽しんでいる私たちがBLなんていう同性同士の恋愛を取り扱うような人たちに下に見られる言われはない」くらいの認識の人もいたんじゃないでしょうか。そういう主張は見ました。それはそれで大間違いではあるんですが。
実際問題過激派夢女子によるBLバッシング自体はそれこそ自分の記憶しか残っておらずログは提示できないのですが、私の認識としては「存在しました」。
なのでそういう意味では「夢女子がBL叩きをしてきた歴史をなかったとは言わせねーぞ」と思う感覚も皆無ではないです。
ただ、結局のところこのあたりってお互いに過激派が暴れたせいで問題点ばかり目に映っていたのではないかとは思っています。そして母体数のでかいBLが周囲を叩いていた割合は他の母体数の少ない属性で見るよりは多いんだろうなとも。
なので元記事の方の認識は、まあ認知の歪みはあるだろうなとは思ってますが、たぶん概ねあってるんじゃないかな。
そもそも腐女子にしても夢女子にしても「自虐傾向が強くて隠れたがるグループ」って、つまり他グループとは必然的に干渉が最低限になるので「自分達が最底辺です地下に潜ってひっそり邪魔しないように活動するので許して下さい」なんてやってる人たち気軽に観測できるわきゃねーわなって話です。
でまあ、そういう隠れて抑圧が貯まった夢女子が自分達が見下せる相手を探して謎理論の元に夢BLは夢NLよりも上だ、とかやっていたとしたら、そういうことも十分考えられるよなあ、というかいじめられっ子が更に下位の人間を見つけ出して虐めるのはもう構造としてはめちゃめちゃよくあるパターンなので真実なんだろうなあ、と思います。
ただ、BLをNLより上位に見る人たちは個人的にそもそもジャンルが違うので腐女子として雑にグループ分けされたくねぇなあとか思わなくもなくもないです。このへんは単なるお気持ちの話ですが。
いや、常識的に考えて欲しいんですけど、そんな「夢はクソ」とかいう人たちとか「NLはクソ」とか言う人たちとかとお友達になりたいって思います?自分は思いません。
こう、ふんわりと無意識的に下に見てるくらいのあまり表面化しない差別意識とかが漂ってたりとか、それに流されて自分もいろいろと間違った認識してたよなあとかそういうのはあるんですけど、それでも「夢小説ってキモいよねー」とか堂々と日記(ブログとかで個人的な話をするやつ。今でいうSNSみたいな)とかで悪口いっちゃったり「NLなんてダサいよねー」なんて躊躇なく口にできるような人とお近づきになりたくないじゃないですか。
で、そういう過激派から距離を置いたら、あとは観測できるのってそれこそBL憎しでサイトに突っ込んでくる別派閥の過激派か、味方を増やそうとすり寄ってくる近似派閥の過激派くらいのものなんですよ。
そして自分は夢は理解できない類のジャンルなのでまあなんとなくそういうのあるんだなーくらいのふんわりした認識だから近寄らないわけです。
そんな中で「腐やNL者に叩かれて困ってる夢者」とかはなかなか観測できないし、「NL者が腐や夢者に叩かれて困ってる」とかもまず見ないわけです。
そしてたまにそういうイタタタな人がでると「ジャンルの恥さらしが」とか「ああいう基地外には近寄らんとこ」みたいにゆるやかに村八分が進行していくので「腐は○○を叩く」みたいな認識にはならないんです。
ジャンルの大半が別派閥叩きするようなやべージャンルとかはもう属性の問題ではなくあのジャンルがヤバイという認識になりますし、ジャンルから距離を置きますし。
・自分はいわゆる「ひきこもりサイト管理人」なので周囲との認識のすり合わせをする機会がほぼなかった
このへんもあると思います。自分の好きなものをかいて自分の好みにサイトの方針を決めて、あとはサイトを作ったころには過剰な検索避けに疑問を覚えていた頃だったので割とゆるめの方針を取っていたので、検索避けがっちりしたいサイトと交流すると向こうが嫌がるんじゃないかなあとか考えたりもしたことがあって、あまり自分から交流しにはいかなかったんですね。
ですので自分の認識、特にふんわりとした主観に基づくヒエラルキーの答え合わせなんてする機会はとんとなく、だから認識が変わるようなこともありませんでした。