「否定形」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 否定形とは

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170630144845

「非常時に90秒以内に全員が非常口から脱出できること」とか、国際ルールで決まってんだぞ?

CAが減れば、同時搭乗可能だって減るだろ。

障害者安全なんて、しったことかとか、まさか言わんよな?(否定形

https://anond.hatelabo.jp/20170630140744

そういう言葉遊びの話をするなら

まりは、一部のLCC否定だよね。

まさか、【例え赤字でも障害者格安で利用できるように】なんてなブラック思考じゃないんでしょ?

否定形文章なんだからアスペでもなきゃ意味はわかるんじゃね?

大阪の「ひん」考

語尾に「ひん」つけるのって、それほど伝統的な用法じゃないと思う。

というより、はっきりいえばおかしい。

ただ、そういうあえてけったいに聞こえるようなことをやるいちびり精神大阪にあるのも事実

「ひん」は、「できひん」みたいに動詞につけて使うのだけど、これは正しくは

「でけへん」と否定形助詞である「へん」をつける用法だったはずだ。

この場合の「でけ」は、「できる」という動詞活用ではなく「でける」という動詞活用

ただし、「できる」は標準語存在するが「でける」は存在しない。

標準語だと「できない」。

標準語の「できる」に大阪の「へん」をつけると「できへん」になるが、

これにはどうも違和感がある。

そこで、「き」の「い」音に合わせて「へ」の「え」音を「い」音に変更して

「できひん」といちびったのが、「ひん」の発生ではないだろうか。

まり比較的近年、大阪標準語の影響を受けることによって変化してきた一例。

以上、全く根拠もなにもない、ただの憶測



https://anond.hatelabo.jp/20170630095026

2017-06-23

助詞「や」の使い方問題

日常的には、終助詞「や」を使うことは少ない(当方関東人)。

もし使うとしたら「否定形+や」の形。

そういえば、最近ラーメン食べてないや

こんな感じ。

一方、投稿サイトでたまに見る、「○○してる(肯定形)+や」の形は気持ちが悪すぎる。

関西弁なら断定の「だ」の意味で使うのだろうが関東弁だとしっくりこない。

特に意味はないが思いついたのでメモする。

2017-05-24

日本人の脳が英語リスニングするために必要なこと

前回ここでリスニング学習法を書いたところ思いのほか反響を得ることが出来た。

http://anond.hatelabo.jp/20170522214348

今回は実際のところどうやってリスニングしているかをまとめてみようと思う。

人はどうやって音を聞いて言葉として理解しているのか

リスニング無意識下で行われる実に精妙なプロセスで、自分でもどうやっているのか正確にはわからないが、注意して観察すれば大まかなところは分かってくる。

まず単語について。日本語は「交渉、高尚、考証、公傷、公称」のように同音異義語が多い言語だ。「こうしょう」は広辞苑で50の見出し語を持っているという。対して英語単語意味時代とともに付け加わり多義的になっている。Random HouseTakeを引くと126の意味登録されている。

どちらにしても、音を聞いただけでは単語意味特定することは出来ず、文脈から単語とその意味を導く必要がある。

文脈が分かっているということは、あらかじめ相手のいいたいことが予想できているということだ。現在トピック、話の向かっている方向、相手のいいたい結論がわかっていれば、リスニングは格段に楽になるが、我々学習者はそれを簡単に見失ってしまい、リスニングは著しく困難になる。

相手の表情や身振り、口調などは文化的な差が大きいが、これに慣れることで相手の話したい内容が事前に予想できるようになり、リスニング力が上がる。

文の予測

文脈を踏まえ、相手の言いたいことを察知した上で、相手の話の最初の数語を聞く。そこで出てきた単語文法構造を元にして、その後に続く文を人の脳は予測することができる。

正確に言えば、英語学習した脳において、文の最初の数語、動詞が出て来るまでを聞けば、その後の展開として考えられるさまざまな可能性は、あらかじめ学習によって脳の回路に刻みこまれているので、その回路が後に続く文を効率的解釈してくれる。

我々は学習によって脳の回路を育て、「始めがこうなら、文の続きはこうなる」という様々なパターンを繰り返し刷り込んで、文を解釈するために必要な脳の回路を作り上げている。そのおかげで、音を聞いてリアルタイムに文として解釈することが可能な脳が構成できている。

まり適切な用語ではないが、これを便宜的に脳による予測と考える。あらかじめいろいろな展開に備えた準備を入念にしているので、「その展開は俺の予測範囲内だぜ!」といった返しが、どんな文の展開が来ても出来るような状態にあるということだ。

予測の中に正解がなかったら、リスニングは失敗する。文のパターンを大量に仕入れて、最初の数語を聞いただけで引き出せるようにしておくことが必要だ。

相手の話が進むにつれて、予測された文の解釈候補が次々と脱落していき、相手の話す一文の終わりにはその解釈も一つに定まる事が多い。

詩的な文では、それが何を意味しているのか一つに絞りきれないことがある。そういった場合複数解釈が渾然一体となって聞き手脳内に残り、深い味わいを残すことになる。

英語を先頭から順に一語ずつ解釈していくプロセス

日本語英語では思考の順序がまるで違うので、英語最初から順番に解釈していくのは多大な困難を伴う。しかしそれが出来ない限りリスニング不可能だ。このときに頭のなかで何が起きているのかできるだけ詳細に追ってみようと思う。

最初の一語の前

英語単語ごとに区切りがなく、滑らかにつながって発音される言語で、それが日本人による聞き取りを著しく困難にしている。

ただ、最初の一語に関しては前に繋げるものがないので、ネイティブにとって少し無理をしたような発音になり、変な音が漏れることがある。これを単語と誤解しないようにしなければならない。

また、変な音の発生を避けるために一瞬「ウェ」という音が入ることがあり、これは喋ることを考えている時に文頭に出てくる単語"Well"とされ、日本語で言うと「ええっと」とか「まあ」にあたる。しかし実際は最初の一語をスムーズ発声するための準備運動という意味合いが強い。

主語

最初主語としてのHeとかIとかTheyとかWeのような、非常に出現率の高い単語が出てきやすい傾向がある。

日本語では主語の省略が頻繁に起こるが、英語では発音の省略が起こる。日本語では言わなくても分かることは言わずに省略するが、英語では言わなくても分かりそうなことは発音がいい加減になる。

文頭のTheyやWeなどは一瞬th音やw音が聞こえるだけということも珍しくない。一般的に、出現率が高い単語ほど発音がいい加減になる。

文頭が聞き取れないとその後も何を言ってるのか分からなくなってしまいがちだ。最初の語が聞き取れなかった場合主語重要でなかったのだと考え、とりあえず先に進んでみるのが重要である

英語字幕と話していることが違う場合

ちなみに英語でもIt isは省略されて全く発音されないことがある。しか英語字幕の中では、ないと不自然なため補われていることがあり、学習からすると「字幕と言ってることが違うぞ!」という困った事態になる。

英語字幕では話し言葉としては自然だが文法的に間違った表現が直されていることがよくあるため、注意しなくてならない。

助動詞動詞

主語の次は動詞か、あるいは助動詞がくる可能性が高い。その中でも、一般動詞ははっきり発音されるので聞き取れるはずだ。

助動詞、あるいはbe動詞は非常に出現率が高いため、ほとんど発音されないことがよくある。

w音が来た場合willかwouldであるほとんど聞き取れない一瞬の休符を感じたらそこにはcanが入っている可能性が高い。r音を感じたらYou're, They're, We'reの'reの部分だ。

そういった出現率の高い音を覚えて一瞬の音を聞きのがさないことが重要だ。

助動詞の後には動詞がくる。その後に来る文のパターンはそれぞれの動詞によって変わってくる。

動詞ごとの文の形

動詞はその次に目的語をとるもの補語として形容詞も取れるものgo toのように前置詞を置かないと目的語が取れないもの目的語が二つ取れるもの二つ目目的語の前に前置詞が必要もの二つ目目的語位置動詞の原形が入るものing形が入るもの、to+動詞が入るものなど、様々なものがある。一つの動詞に様々な使い方があり、句動詞と言って動詞の後に続く前置詞や副詞コンビネーションにより意味が大きく変わるものも多い。リスニング成功させるためには、動詞ごとの文の展開の全パターンを把握し、脳に刷り込んでおく必要がある。

ちなみに、前置詞の後にくる目的語は、動詞目的語と考えず前置詞の目的語と考えるのが正しい文法用語のはずだが、私は区別していない。正しい文法用語思考している人には不便だろうが、ご容赦願いたい。

目的語、前置詞

目的語の中には自分の言いたいポイントになる目的語と、そうでないどうでもいい目的語があり、どうでもいいものは弱く、ポイントになるものは強く発音される。

目的語を二つとれる動詞giveで説明すると、「I gave him a ○○」私は彼に○○をあげた、という場合は、何をあげたかに話の力点があり、彼にあげたというのは話の流れから明らかな場合が多い。

このhimのように、「出現率の高い単語発音はいい加減になる」というルールに当てはまり、話の力点も乗っていない単語は、音が省略され聞き取りは非常に困難になる。例を挙げると、himは「イム」、herは一瞬「ァ」themは「エム」itは一瞬「ィ」といった発音になる。

前置詞も非常に出現率が高く、話の力点が乗ることもあまりないので発音が省略されやすい。ofは一瞬のv(ヴ)音、withは一瞬のth音といった感じになる。

thやvは日本語にはない音なので、聞き取るのが難しいが、注意して聞いていれば分かるようになってくる。正しい発音の仕方を覚えて、音読時に実践していると、さら聞き取りやすくなる。

から単語判断する仕組み

それでもやはり、日本人にとって、音から単語を正確に識別するのは難しい。それに英語にも同音異義語はある。

それが母国語であれ外国語であれ、単語は「音、文の形、文脈」の3つの要素から無意識下で総合的にリアルタイム判断される。

たとえばwantとwon'tの違いが音からからない、という事が私にもある。この二つはそもそも発音が異なるので、ネイティブなら区別は容易なはずだ。しか日本人にはなかなかそうは行かない。

助動詞本来弱く発音されるが、否定形のcan'tとかwon'tのようなもの否定であることを強調するために比較的強く発音されるため、普通動詞との判別が難しい。また、I want you to ~のように「君に~をして欲しい」の~の部分に力点が置かれる場合I want you toの辺りはゴニョゴニョと発音されて弱くなるので、won'tと区別がつかないといった事が起こる。

しかし、ウォントの後にtoやyouが来れば「さっきのはwantだった」動詞が来たら「さっきのはwon'tだった」と判断し、名詞にも動詞にもなる単語が来たら、文脈リズムから名詞動詞判断する、といったことで区別可能だ。このように、様々な情報無意識下で総合的に使うことでリスニングは成り立っている。

これは実は母国語でもそうで、日本人の話す日本語でも、発音曖昧だったり、失敗していることは結構ある。注意して聞いていると、聞く側が自然に補って意味を汲み取っていることが分かる。音から言葉が分からなくても、他で補って総合的に判断するというのは、人の脳が持っている能力だ。

日本語英語発音は大きく異なり、日本人には英語の音を判別するのは難しい。けれど周りの情報を使うことで弱点を補うことが出来る。

たとえば一瞬しか発音されない前置詞を日本人が聞き取るのは難しいが、動詞から現れる前置詞のパターン予測できていれば、一瞬の音でも聞き取りやすくなる。たとえ聞き取れなくても、予測した文の形に当てはめてみることで、文脈から前置詞を補い文を完成させる事もできる。

関係代名詞

英語動詞によって文の形のパターンが大体決まっていて、文の展開の予想を立てやすい。もちろん動詞副詞で修飾したり、toやed形,ing形などを介して名詞を修飾することで文章を飾ったりもするが、修飾部は文の屋台である主語動詞目的語とは発音リズムが変わるので区別できる事が多い。

それでも問題になってくるのは関係代名詞who、that、それと「関係代名詞の省略」のパターンである

関係代名詞who,thatは出現率が高く、発音が省略されるので聞き取れないことがよくある。一瞬のh音やth音を聞き逃さないことが大事だ。

関係代名詞の中は修飾部なので、文のメインとなる主語動詞目的語よりも一段弱い感じで発音することが多いが、区別は難しい。話の力点関係代名詞の中にある場合もあり、その場合は同等かより強く発音されることもある。

ちなみに英語において、弱く発音されるということはゴニョゴニョと、速く発音されるということであり、聞き取りにくくなる。英語重要度が低い部分は聞き取りにくく、速くなり、重要なことははっきりと、遅く発音することで、文の構造リズム表現する。

主語目的語のあとにいきなり主語動詞が出て来る、つまり主語主語動詞」や「目的語主語動詞」の形が出てきたら、関係代名詞が省略されているか、あるいは関係代名詞が聞き取れていない。

関係代名詞主語を修飾している場合は、その後でメインの動詞が来ることになるので、それを忘れないようにしなければならない。「主語 who 動詞」や「主語 that 動詞」で関係代名詞を聞き逃すと、ただの「主語動詞」と認識されるので、その後に動詞が出てくると激しく混乱することになる。

関係代名詞を聞き逃さなかったとしても、文の途中で他の文を処理して前の文と頭のなかでつなぎ合わせるのは難しい。そういう複雑な文の構造を使いたがる人は、さらにandで繋ぎたがる傾向があり、そうなるとお手上げということになってしまいがちだ。

一文が長くなってくるにつれて、何の話かわからなくなるのは誰にでもあることだ。それが外国語であれば避けては通れないように思う。

文全体の構造を見失ったとしても、今いる部分の意味を追い続けることが重要だ。文脈、話の向かう方向さえ追えていれば、その先の話を聞き取るのに不都合が生じる可能性は低い。混乱しても立ち止まらずに話を追い続ければ、言いたいことの要旨は分かる可能性が高い。

関係代名詞whatや関係副詞where, whenなども弱く発音されるので聞き逃しやすい。I know where you live(あなたの住所を知っている)と言った時にはwhereとyouが弱くなってウェユリヴ、what it is(それが何であるか)といった場合はwhatもitisも頻出語のため全部ごちゃっとなってワリリズといった感じになる。

英語において「場所、時」は文末にいきなり現れる。なのでwhere,whenはどんな文でもいきなり出てくる可能性がある。

さまざまな場面で、w音は聞き逃すと話を見失う原因になるため、注意して聞く必要がある。

フォーマティと省略

英語において音の省略はインフォーマルな、友達職場の同僚との会話の時などに起こりやすい。目上の人との会話や、フォーマルスピーチでは、いい加減な発音は起こりにくく、日常の何気ないところでは発音が崩れて、聞き取りの難度が格段に増す。

これも結局のところ、フォーマルな会話は重要なのではっきりゆっくりと喋り、プライベート重要な話ではないので発音がおろそかになって、ゴニョゴニョと早く喋っているということだろう。

私は英語があまりできない日本人が「日常会話ぐらいなら出来ます」といってるのをよく見かけるが、あれはおかし表現だと思う。日常会話を聞き取るのはかなり難しい。

フォーマルな場では、日常使われるような基本単語を用いた分かりやす表現は避けられ、婉曲で難解な言い回し知的な感じがして好まれる。これはこれでとても難しいのだが、インフォーマルな場では砕けた発音スラングが出てくるので、これもすごく難しい。そういった英語の癖を掴んで、そういうものとして受け入れてやっていくことが大切だ。

反復と反射

さて、いろいろ書いてきたが、実際のリスニングの場で意識してこれらのことを実践することはできない。リスニングにゆっくり考えている時間はなく、全て反射的に無意識に行えなければいけない。

英語理解を反射にまで高めるためには、音読や、集中して繰り返し聴くことを行い、反復して脳に刷り込んでいくことが必要になる。

頭の中で黙読している時でも、英文自分のモノになっておらず、反射にまで至っていない場合、スルッと頭に入らず、引っかかる感覚がある。それに出会ったら、繰り返し音読したり黙読したりして、スムーズに頭に入るようにする。その積み重ねによって刷り込みが行われ、文が反射的に理解できるようになり、リスニングや、返り読みなしのリーディングが出来るようになっていく。

終わりに

リスニングの上達は基本的無意識レベル刷り込みによるものだが、注意すべきポイント理屈の上で意識していれば、脳内の処理も効率化されやすく、上達も早くなるように思う。

また、これらのポイント意識できていれば、「何だこの発音は! 全く聞き取れないじゃないか! 納得いかない!」といった混乱をすることが少なくなり、学習スムーズに行くのではないかと考えている。

私の英語学習は混乱の連続だった。日本語英語がなぜこんなにも違うのか、私には今でも納得いかない部分がある。怒りと諦めがないまぜになったような感覚と、それでもいつか理解できるんじゃないかという希望が私を英語学習に駆り立てている。

それでも、納得できないうちは頭に入ってこないので、なんとか納得して折り合いをつけて、受け入れて学習をすすめなければならない。

字面と全く意味が違うイディオムを受け入れ、ゴニョゴニョした発音を受け入れ、増えていく単語意味勝手に作られていくスラングを受け入れ、知的すぎて難解な言い回しを受け入れ、優秀なキャリアウーマンが話す信じがたいほどの早口を受け入れなければならない。

英語をあるがままに受け入れて理解しなければならない。この駄文がその一助になれば幸いだ。

2017-05-21

全然+肯定形」の含意

http://anond.hatelabo.jp/20170520030848

例1:良い

否定形にする→良くない

強調する→全然良くない ・・・(1)

肯定形で言い換える→全然ダメである ・・・(2)

例2:ダメである

否定形にする→ダメじゃない

強調する→全然ダメじゃない ・・・(3)

肯定形で言い換える→全然良い ・・・(4)

この中で自然に受け入れられているのは(1)〜(3)で、(4)は誤用とされることが多いだろう。

しかし、文法的にわければ(1)と(3)が「全然+否定形」であり、(2)と(4)が「全然+肯定形」となる。

全然+肯定形は文法的誤用」というのが誤った認識であることは(2)がもともと通用していることからわかる。語が否定的意味を持っていれば肯定形で用いることはこれまでもあった。

誤用とされうる(4)は、肯定的意味を持つ語を肯定形で用いた場合である

これは否定的意味を持つ語を否定して強調したいときに現れてくる表現で、想定しうる対立意見否定することで自身肯定的意見を強調するというニュアンスが生じる。

まり、「全然良い」は、

あなたダメじゃないか心配になるかもしれないけどそんなこと考える必要は全くない」

とか、

「誰かがそれはダメだというかも知れないけれど私の意見としては全く問題ないとおもう」

という含意がある。

「この歌手私は全然好きだよ」

これもまた、

世間的にはあんまり流行りそうにないタイプかもしれないけれど私は好きだと感じる」

であったり、

あなたはこの歌手が私のタイプではないと考えていたのかもしれないが実際のところそんなことは全くない」

という含意がある。

(3)よりも(4)の方が実は強調度合いが大きく感じられるという見方もある。

全然嫌いじゃない」よりも「全然好き」と言った方がより好きであることを表現できているように感じられる場合が多いのではないか。これは肯定的意味を持つ語を肯定形で使うときの強さや、(4)が用いられる頻度の少ない表現であることから用いたときにより強さを持つといった理由があるかもしれない。

似たような表現として「普通に良い」「普通に好き」という表現もまた、否定すべき対立意見が想定されているようなニュアンスがあるように思われる。

なお明治期にも用いられていたという「全然+肯定形」が上記のような含意があるのか、それとももっとシンプルな強調でしかなかったのかはわからない。

2016-09-30

(2) 知性の欠片も感じさせないブログツッコミを入れてみる http://anond.hatelabo.jp/20160930081102

続き。

意見を言うから嫌われてる?それ本当?

http://www.amamiyashion.com/entry/2016/07/24/193000

日本社会問題点として、「空気を読まずに意見を言う人間を淘汰しがち」ということを挙げてあれこれ論じています

わかる。すごくわかる。日常生活で真面目に意見をぶつけ合うことってほとんどないし、ある程度結論が見えてて(もしくは偉い人の方針があって)形式的議論してそこにたどり着くだけ、みたいなのが多すぎてバカバカしくなったりしますね。

でも雨宮さんの場合は「知らないことを知らないと認めない」「間違いを認めない」「それでいて知ったかぶりや間違った知識に基づいて、飛躍した論理意見を展開する」「そしてそのことを指摘されると逆上する」から嫌われるのでは?

そういう人は日本でなくても嫌われますよ。というか、ドイツのように議論を大切にする社会のマトモな知性を持った人ほどこういう人を嫌いますよ。

要は作法を知らないということなので。

雨宮さんの普段を知りませんが、このブログのような調子議論に参加しているとしたら、それは「散髪直後で髪の毛を撒き散らしながらレストラン入店し、入るなり大声で所望の品を叫び料理が出てきたらガチャガチャクチャクチャと耳障りな音を立てながら食し、代金を店員に投げつけるようにして退店する」というくらいの無作法です。つまみ出されて当然です。

議論好きのドイツ人といえど、議論できるレベル結構ばらつきがあります。言いたいことを言うだけ(相手意見をよく聞いていない・聞く気がない)という人も結構多いです。雨宮さんの周りにはそういう人が多いのではないでしょうか。

雨宮さん自身、せっかくドイツに長くいるのに飲食店パートタイムで働いたりセコセコ内職したり微妙大学に通ったり、ということしかされていない(学問ビジネスもされていない)ようなので、そもそもドイツ人シリアス議論をしたことがない可能性も大いにあります

可愛い日本人女の子に下心を持った男に「君は賢いね」などとおだてられて自信をつけた、というのもありそうです。ここまで来ると邪推ですが。

意見をいうときの鉄則...?

1.自分意見には根拠をつけよ
例えを使うのは王道ですね。具体的な数値を上げるのも効果的です。自分リアル体験談を引き合いに出すのもOK。

例えや体験談根拠にはなりません。根拠を補強するだけです。補助輪です。雨宮さん自信の主張に根拠があったことはほとんどありませんね。メインの車輪なしに補助輪だけでは走れませんよ。

2.意見を言ってまわりに問いかける
わたしはこう思います意見
なぜならこうだからです(根拠
からこうした方がいいと思いますが、どうですか(まとめ・提案、問いかけ)
という3段論法オーソドックス簡単かつ有効です。小論文なんかでも使われる手ですね。

えっと、これを3段論法とは呼びませんし、小論文に問いかけとか書きません。

まわりに問いかけること自体大切なことですが、上記はよく意味がわかりません。

4.反論には先に反論しておけ
説得力が増すし、相手反論ネタを奪うこともできます

「どのように反論されても言い返せるように十分準備しておけ」という意味なら大賛成ですが、だいぶ違う様子。

相手が言い返してきそうなことを予め否定しておく(ただ否定形にするだけ、根拠なし)」ということのようです。

「お前のことバカにするわけじゃないんだけど、お前って頭も悪いし不細工だし体力ないしどんくさいよなw」とかそういうことのようです。

説得力は増しません。単に「反論は受け付けません」と宣言しているだけです。図星を突かれるのが怖いから予め自分から晒すことで恐怖から逃れる、という幼稚な手法です。

5.相手共感させる

これは大事です。

ブログ全体から漂う無知

この雨宮さんという方のブログから漂ってくるのは

ということに基づく「平凡な日本人」に対する謎の優越感だけで、読めば読むほど「薄っぺらい(無知なのに尊大な)人間だなあ」という感想が湧いてくるのです。

これとか、「ご自分に向けて書いたんですか?」と尋ねたくなるほどです。 選民思想をこじらせてるただの自己中、多くない? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース

はいえ、「外国人」とか「グローバルな視点を持っている(ように見える)日本人」の言うことを無条件でありがたがってしまう人たちというのも多いので、そういう人たち相手の「ブログという芸」で小銭を稼ぐ人がいるのも当たり前だなあ、という感じです。

路上物乞いとか、不幸な身の上話をして小銭を集めて回っているような人に対するのと同じように哀れんでしまうけれど、本人が惨めに感じていないだけマシだな、とは思います

観光地陳腐な空中浮遊芸やってるようなエセ大道芸人と同じようなものですかね。

同意できる記事

彼女の書いた記事で「その通りだね」となったのは以下の2つくらいです。

雨宮さんや同類ブロガー諸氏へのアドバイス

良い本をたくさん読みましょう。インプットが「自分身の回りで見聞きしたこと」だけに偏りすぎです。

2016-08-26

否定形しか使われないせいで本来意味がわからない言葉

やぶさかでない」の「やぶさか」とか

「命に別状はない」の「別状」とか

かわいそう

あっもう一個思い出した

「まんざらでもない」の「まんざら」もそうだ

なんなんだよ「まんざら」って

2016-03-04

嫌な感想言うやつには別の理由があるよ

話題のアレ。

好きだと知っているはずなのにdisるやつっていうのはたいてい別の理由があると思うよ。

友人が普段は好きなものを貶すような人間ではないという前提があるとして、

そういう人のはずなのに今回に限り気を遣ってくれなかったってことは、

自分言動や行動に何か不愉快にさせることがあった場合もあるだろうけど、

映画館で後ろのやつが蹴ってきたとか、寒くてつらいとかからだのどこかに不調があるとか、

そういうエッ私関係ないじゃんって思うかもしれないけど、

なにか嫌なことがあったからどこかにぶつけたくなってたまたま目の前にいた人間にぶつけたってことはあるよ。

本人はそんなこと気づいてもないだろうけど、怒りが必ず生まれ場所にぶつけられることって結構少ない気がする。

今日母親やたらカリカリしてるな~言葉きついな~と思ったら仕事でいやなことがあったからだったとか、

姑と喧嘩したとか、お金の先行きが不安とか、まあそういう経験少なからずあるでしょ。

仲が近くなればなるほどその怒り私にぶつける!?みたいなことってあると思うんだよね。

それってこの人ならちょっと嫌な態度とっても許してくれるだろうって甘えてるってことだし、つまり依存なんだろうなと思うんだけど。

もし常日頃から「でも~」とか「いや~」とかから始まる喋り方をしているなら、disってきてもそりゃいつもそうだもんねって話で、

普段否定形から喋り出されることを自分は気にしていないつもりでも、好きなもの否定されることによって少しずつ溜まっていた不満が爆発しただけだと思うんだよね。

からもともと怒りがあったところを引き金ひかれたってだけだよ。

作品見るとつらくなるのは、あの子に腹を立てるようになってしまった原因だってうからじゃないの。

まあそんな感じで人間ってムカついたーってことを素直にあらわせなかったり、そもそもイラつかされた先にぶつけなかったりするから、一人で傷ついてもしかたないよ。

喚起漫画かくエネルギーあるならその感情を救われるような漫画をかくとか、まあツイッターいいねがつくような感じで呟くとかしたほうがちょっと救われる心地になるんじゃないの。

もし友情継続が困難そうなら遅かれ早かれなんだこいつー!ってなってたと思うし。

もっと楽に構えればいいのになあ。

で、まあ全然こんな感情ではないかもしれないんだけどさ、

とりあえずなんで傷ついたのか?なんでこんな気持ちになったのか?をずーっとたどっていくとなんだこんなことが許せなかったのかーって思ったりするから自分感情を紐解いてみるといいよ。

2016-01-18

否定形うつ病という病気があるらしいけど

それって今まで精神科が「うつ病ってのはこういう奴らしいぜ(ドヤァ」と知ったかしていた所に全くそパターンに当てはまらないけどうつ病な人が出てきて慌てて「そうそうこういうパターンもおるんやで(ドヤァ」としたって事でしょ。

まりそれって、「精神科医の言ってる内容≒信用に値しない」って事なんじゃないの?

2015-08-26

気のおけないって言葉

否定形が正用ってのにいまだに違和感がある。

気を許すことができない的なニュアンスをどうしても感じてしま

文章で出てくるとすっと読み下せずにどうしてもつまづく。

融通が利かない。

2015-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20150205142330

AとCが同じってのは第3文型じゃなくて,第2文型では?

それて,第2文型であっても,否定形場合は「イコール」にならない。「イコールじゃない」になる。

イコール」ではないからといって「第2文型ではない」とはいわない。増田レベルなら,↓のページが参考になるのではないか

http://www5d.biglobe.ne.jp/chick/2ndpat.html

2015-02-02

ライトノベル構造的に馬鹿にされる宿命にある

ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。

定義曖昧で、玉石混交で、定性的評価されるもの全般のことね。

すると、自分感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。

定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。

そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、

その架空人形サンドバックにするのは、とても簡単だ。

そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。

まず、ライトノベル批判否定形から追い込んでいく

「無い」事の証明は難しい。

から「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。

表紙がアニメ絵である

太宰治ライトノベルか?

表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。

から、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙絵に対する批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(勿論、「アニメ絵は恥ずかしい。太宰治もあれじゃ買い難い」とする批判はあるが、ライトノベル批判とは別軸)

キャラクター小説である

京極夏彦京極堂シリーズは、ライトノベルか?

キャラ立ちという意味で、ホームズを超える名探偵は出てきただろうか。

から、「類型的なキャラクターが出てくるだけ」というのは、その手の小説批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(以後省略するが、そういう批判は当然あって良いが、ライトノベルとは独立

子供ティーンエイジャー)向けである

ハリー・ポッターは、ライトノベルか?

ファンタジーSFミステリから哲学に至るまで、子供向けに書かれた本を読む大人は多い。

から、「子供向けに書かれた小説を大人が読むのは」というのは、その手の読者批判であって、ライトノベル批判とは違う。

設定が稚拙である文章が頭悪そう

これに関しては、まさに定性的な(感性の)話になるため、具体例は省略したい。

ここでは、スタージョンの法則(啓示)を引用するだけにしよう。

SF(science fiction)の90%は、ゴミカスでクソだ。

同じ基準を使って、映画文学、民生品等々の90%がクソだと示せる。

からSFの90%がクソだという主張(または事実)は、究極的には何も意味しない。

なぜなら、SFは、他の全ての芸術形態品質と同じ傾向にあるという意味しかないからだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sturgeon's_law

から、「ライトノベルの大部分はクソだ」という批判は、何の情報量も無く、ライトノベル批判とは違う。

馬鹿にする、と、批判する、との違い

ここで映画バトルシップ」を持ってこよう。

ハワイ沖で行われる海軍の多国合同軍事演習さな宇宙人侵略してきて、自衛官海兵隊員が反目しながらも撃退するという

まあ、インディペンデンス・デイと戦艦ミズーリを足してブリトーで割ったような映画だ。

素晴らしく面白い愛すべき馬鹿映画だが、批評家からは当然のように酷評されている。

何が言いたいかというと、批評家評価と、馬鹿であるかどうかとは、分けて考えられている。

ビール片手にゲラゲラ笑いながら見るような「ジャッカス」みたいなのを「馬鹿だ」と言うのは、批判ではない。

それは賞賛なのだ

馬鹿にしているのは誰だろうか

さっき言ったように、「馬鹿であることは、比較独自の軸になる。

その上で、馬鹿にしているのは、例えば「パンチラの絵を付けて恥ずかしくないジャンル馬鹿にされて当然」のような、

ライトノベル」を「小説の一ジャンルとして、格下である」とする主張しか、残念ながら観たことがない。

比較的、嫌悪感忌避感のようなものだ。

これは、BL趣味とするのは気持ち悪いだとか、サラリーマン通勤中に漫画雑誌を読むのはガキっぽいとか、そういった類の主張だ。

好悪の主張であって、それはそれで、仕方がない面はある。

雑誌の表紙に水着女性を持ってくれば売上部数が上がるが、職場休み時間に読むのはどうだ?というレベルの話だ。

批判としてありうる話

ワリと珍しいのだが、硬派なSFライトノベルSFとが全く同じ題材を描いているものがある。

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」と、野尻抱介の「ふわふわの泉」だ。

(まあ、内容的にはチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」のもじりの方が相応しいとは思うのだが)

両者とも、「ロケット以外で宇宙に進出するための、巨大構造物を作り上げる人物」が主人公だ。

ポイントは、「楽園の泉」がハードSFか否かであるとか、「ふわふわの泉」がラノベかどうかではなく、

この両者を比較して、「どちらが低俗か」を論じる意味あるかないか、だ。

「どちらがより高尚か」や「どちらの方が格上か」でも良い。

ここまで題材が同じだと判りやすいのだが、

「大人なら、『ふわふわの泉』ではなく、『楽園の泉』を読むべきだ」

とは、ならないだろう。

だって、違う作品なのだもの。それは批判ではなく好悪の主張だ。

逆に言えば、作品の質についての批判なら出来るはずだ。

「『楽園の泉』は、建築家の名声について拘りすぎて主張がボケている、『ふわふわの泉』の方がSFとして良く出来ている」

なんていうのは、馬鹿にしているのではなく、(正しいかどうかは別として)SFを軸にした批判になる。

真っ当な批判は可能なのか?バカにする方の品性を疑うべきか?

例えば、俺TUEEEE系と言う価値基準において、

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」と、司馬遼太郎の「梟の城」と、佐島勤の「魔法科高校の劣等生」とを、

一緒に並べて比較して、「魔法科高校の劣等生を読むのは馬鹿だけだ」と言うことに、意味があるだろうか?

俺TUEEEE系の源流をたどって、湖の上を歩く男の話まで遡ったり、本邦においては勧善懲悪の仮託先であるとか、

そういった論文を描くことは意味があるかも知れないが、「馬鹿にする」というのは比較的には品のない行為だと思う。

例えば、今話題ピケティの「21世紀資本」を読むのが大人で、百田の「海賊とよばれた男」を読むやつが馬鹿にされてもしょうが無い、みたいな言い方はしないだろう。

現代ソマリア海賊を描いた「キャプテン・フィリップス」を見て「『パイレーツ・オブ・カビリアン』を見るとか馬鹿にされてもしょうが無い」みたいなことは言わない。

というわけで、馬鹿にする方の品性を疑うべきだと言うのが、オレの意見になる。

補足として:ただし、ラノベに出来の悪いものがあることを否定するものではない

どんな作品でもファンは居て良いと思うし、蓼食う虫も好き好きと言う。

例えば俺はバトルシップが大好きだが、蛇蝎の如く嫌う批評家が居るのも否定はしない。

アナと雪の女王よりはベイマックスの方が面白いとは思うんだが、GoGo好きなだけだろと言われれば否定はできない。

というように、主観的な好悪と、その技芸における比較批評、そのジャンルでの売上高なんてのは、全て独立の話だ。

そう言った点で、ラノベの中に上手い下手、エロに寄り過ぎだとか構成稚拙だとか、そういった批評はあって良いと思う。

ただそれは、作品単位、出来ても作家単位の話であって、「ラノベ全般に広げるのは主語が大きすぎて乱雑に過ぎる。

9割のクズを観てそのジャンル否定するのが愚かであることは映画絵画においては一般的なのに、ラノベがそうでないのは不幸なことだと思う。

2014-06-02

何か、コミュニケーションの上手い下手とか、社会でどっちが生き残るかみたいな話になってるけど

最初の「こいつ苦手」っていう増田の話は、「自分一人だけじゃなく皆が楽しめる会話しようぜ」ってことだよね、単に。

「俺はTVに大きさ求めないわ」と自分意見を開陳して、Aは満足かもしれないが、

Bとしては自分の買ったTVの話をしたい訳で、それをいきなり腰折られちゃ楽しくない。

Aの言葉否定形だけなのも、ちょっとムッとされやすい部分だと思う。「俺は大きさより音質かなー」なら、印象は変わる。

皆が楽しむための折衷案はいくつかパターン分けできると思う。

 

① 全員が話したがりの場合

→ターン制である程度満足いくまで話したら、次の人に話しのバトンを渡す感じにする。

元増田の例で言うなら、Bが一通り新しいTVの話をし終わってからAが「でもさー俺は」って後を引き継げば、大分違うはず。

自分が聞く番の時は、途中で割り込みたくても興味がなくても、バトン持ってる人が終わるまで我慢する。そこはお互い様

もう少しざっくばらんな関係なら、隙を見てバトンを奪い合い、仲良く喧嘩してもいいかもしれない。

 

② 話したがりと聞き上手がいる場合

→これは比較的簡単。話したがりが好きなだけ話して、聞き上手は上手に聞いていればよい。

でも話したがりの方もときどき聞き手の様子を見て、退屈したり言いたいことがありそうにしていないかどうか、確認するといいと思う。

長いだけで面白くない話は、話し手しか楽しくない。何が面白いかは聞き手による。話し手が面白くても聞き手が面白くなかったらよくない。

 

③ 沈黙は金派の人ばっかりの場合

別に沈黙が気まずくない間柄なら、思いついたことをポツポツ話していればよい。

「俺TV買ったんだ」「へー」「…」「…」「腹減らね?」「減った」でも、お互い楽しければ問題ない。

会話なんて、したい人がいないなら、別に必須の物でもないよね。

 

④ 特定の人が話すのでなく、大勢で会話が弾んで明るい感じになって欲しい場合

メンバー同士がお互いをよく知らない、新学期や大規模な飲み会などでありがちなシチュエーション

こういう場合質問形式で色んな人に話を振ったり、意見を述べるにしても短めに留め、他の人が後を続け易い感じにするべきと思う。

ある程度そうやって続けているうちに、話したがりと聞き手に回るタイプ自然に分かれてくるだろうから

そうしたらその後は適宜①~③のパターンに落とし込む。

あんまりしかけられたくない人にしつこく話を振るのも、楽しませるって観点からはアウトなので、引き際も大事

 

こんな風にパターン分けすると、さも面倒なタスクみたいになっちゃうけど、要は「相手にも楽しんでもらおう」を念頭に置くってだけ。

相手の楽しみとか不快全然考えてない奴は、そりゃ嫌だよ。せっかく友達といるんだから、楽しく過ごしたいよ。

2013-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20130925160701

そもそも調べているんだけど

噴飯を おかしものだとする語源がわからなかった。

辞書に書いてあるのは

『その忠信孝悌を説く顔つきのまじめさを見て殆ほとんど噴飯せんと欲す』

だけど、全文を紐解くとそのシーンではご飯を食べてないように受けるので、これも引用

そもそも、最初に使った言葉がどういうシーンでどう使われてというのに辿りつけなかった。

 

他の増田を読んでいると噴飯は ご飯を噴くほど感情が荒ぶると言う意味で、それがわらったのか怒ったのか、長い歴史の中で意味消失しているのでは?と思わなくもない。

ぜんぜん・ない なんかも 否定形ではなくてOKな時代もあったというし。

流れに棹さして、加速することも減速することもできるから難しい。

役不足のように読んで字のごとくでない日本語で正しい言葉というものは難しい。  文脈から判断するというのが正しい気がする。

2011-01-26

http://d.hatena.ne.jp/amamako/20110126/hourou

「amamako」のいつものアレ。

前半が「たまご野郎」への個人攻撃で、後半は「姉の服を勝手に借りて着ている場面」だけを持ち出して擁護を批判。

本人はバランス良いつもりだろうけれど、どっちも擁護を攻撃しているから、全体通して作品への否定なのですよ。

まぁ、最初から気持ち悪いとも明言しているけれど。

んで、とって付けたような最後記述

むしろ「自分がなにか特別な属性を持たない(何者でもない)」という全否定形しか語れない、そういう苦しみにこそ、僕は目を向けたいけど、まぁそれは別の問題か。

「別の問題か」

違うでしょ?

それこそ言っておきたかったんでしょ?

放浪息子」を気持ち悪いと感じちゃうような、自分のことを「特別な属性を持たない」と思っていて、それこそ「本当に苦しいんだ」と言いたいのでしょ?

作品とそれに伴う状況を利用した、いつもの「自分語りですよね。


これで思い出したのは、「けいおん!」とか「ハルヒ」「エヴァ」を語るときに、「いか自分普通であるか」を必死に語る奴。

「作品には一般人に理解される面白さがなくてはならない」となり、自分は「そここそが好きなんだ」と必死に主張する。

「ただの萌えアニメなんかを好きにならない自分」とかさ、いらねぇよ、作品を利用した自分語りなんぞ。

2010-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20101213165525

それは単なる動詞否定形

「違わない?」は「違う{ワ行五段動詞}」の未然形での否定。「味わう」が「味わわない」となるような感じ。

「違くない?」は「違うくない?」が縮約したもの。形容詞的だけども活用、運用動詞のそれと同じ。

これは「違う」を形容詞的に解釈した誤用から始まったもので、子供などがたまにそういう使い方をする。

しかし、今日ではそのような使われ方も一般化したというか、よく見られるようになったので、間違いとも言えない。

ともあれ、「形容詞化」ではない。

かといって、そういう使用法が広まった以上、「違い」が名詞形容詞を兼ねるようになり、形容詞否定形として「違くない」が使われるようになるかもしれない。

”違うくない”

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E2%80%9D%E9%81%95%E3%81%86%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%9D&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

ちなみに、似たような話題に「違って」を「違くて」「違くって」と、「違った」を「違かった」とするようなケースもある。斯界では割とメジャーなおはなし。

長々と書いたけど、要は不規則変化系の動詞を-ed形で書いてしまった、そんな感じ。

2010-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20100529161639

確かに、読み返してみると否定形の返答が多い。

自分では気づいてなかった。

 

「◯◯してはどう?」

「◯◯かあ。あれは□□が△△で××だからなー。ダメだなー。」

って感じ。

それが続くと、最初は親身になって聞こうと思っても

「じゃあ、勝手にすれば」

と言いたくなる。

愚痴を聞くのが上手い人もいるけど、聞いてもらうのがうまい人もいる。

増田愚痴を聞いてもらうのが下手だと思う。

愚痴を話せる相手がいないというけど、その環境を遠ざけてるのは自分じゃないかな?

 

 

これはあると思う。

俺は相談するのが下手だと思うし、相手のことを素直に聞けない。

それで友人を怒らせたこともある。

もっと色んな意見を引き出したいと思って、変に方向修正しようとしちゃうんだよな。

これが聞けただけでも、増田に書いた意味はあった。

ありがとう。

http://anond.hatelabo.jp/20100529015601

君ってひょっとして自分意見を言うとき否定形から入ったりしない?

例えば「いや、それは~」とか「それよりも~というやり方の方が良いと思うんですが」とか。

もしそうなら"お互い合意できることor合意できていること"から会話を初めてみるといいよ。

フラットな関係だからといって、言葉を選ぶスキルが無くても良いというワケじゃない。

これこれこういう理由で、君の意見には駄目な点があるとはじめから言えばいいのに、

って、もともとその人だって最初から判ってるわけじゃないし、後付けでなんか言いたいからそう言ってるだけ。

それくらい判るでしょ? 何でそういうことを言われるんだと思う?

まぁ、それを"感情的だ"と非難するなら、その非難したい君の気持ちだって"感情的"だ。

感情的だ」と思うなら、なぜその人がそういう感情なのかを推測したり、どういう行為を取られるとどういう感情モードになるのか観察するほうがよっぽど生産的だよ。

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