はてなキーワード: 未然形とは
(受身の助動詞「られる」ではなく)受身の助動詞「れる」に接続してるだけなので、文法的には問題無い。
ただ、最近は受身・可能・尊敬の助動詞「られる」について可能/尊敬を区別させるために、可能の場合は「れる」に変形する「ら抜き言葉」が普及しているので、「れる」の可能のニュアンスが強くなってるかもしれない。
それと、「れる」は「られる」より口語的ではある。
「られる」と意味・用法は同じであるが,未然形がア段となる動詞には「れる」が付き,それ以外の場合は「られる」が付くというように,接続のしかたに分担がある。サ変動詞に接続する場合,「出席される」のように,未然形のうち「さ」に「れる」が付くのが普通であるが,書き言葉でのやや改まった言い方では,「出席せられる」のように,未然形のうち「せ」に「られる」が付くこともある。の可能の意では,現代語では普通「行ける」「登れる」などのように,可能動詞で表すことが多い
まずは、用言の活用を覚えます。用言とは、動詞、形容詞、形容動詞のことです。活用とは下の語によって形が変わることです。
「咲く」に「ない」を付けると、「咲かない」になり、「咲く」が「咲か」になります。これを活用といいます。
動詞は、四段活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用、上一段活用、上二段活用、下一段活用、下二段活用、カ行変格活用、サ行変格活用があります。
まずは、これらの活用をしっかりおぼえます。声に出してリズムで覚えましょう。繰り返すと意外と覚えられるものです。
☆四段
あ、い、う、う、え、え
☆ナ変
な、に、ぬ、ぬる、ぬれ、ね
☆ラ変
ら、り、り、る、れ、れ
☆上一
い、い、いる、いる、いれ、いよ
☆上二
い、い、う、うる、うれ、いよ
☆下一
え、え、える、える、えれ、えよ
☆下二
え、え、う、うる、うれ、えよ
☆カ変
こ、き、く、くる、くれ、こよ
☆サ変
せ、し、す、する、すれ、せよ
く、く、し、き、けれ、◯
から、かり、◯、かる、◯、かれ
(ラ変格に、かを足したもの)
なら、なり(に)、なり、なる、なれ、なれ
(ラ変に、なを足したもの)
たら、たり(と)、たり、たる、たれ、たれ
(ラ変に、たを足したもの)
☆第二ステップ
助動詞の種類を接続詞ごとに覚えていきます。接続詞とは、上が何形になるかのことです。
例えば、「ず」は未然形に接続詞するので、「咲く」は「咲かず」になります。
☆未然形
る、らる、す、さす、しむ / ず、じ、む、むず / まし、まほし
☆連用形
き、けり / つ、ぬ / たり、けむ、たし
☆終止形
らし、べし、まじ / らむ、なり、めり
☆残り
なり、たり、り、ごとし
☆第三ステップ
☆ず
ず、ず、ず、ぬ、ね、◯
ざら、ざり、ざり、ざる、ざれ、ざれ
(ラ変に、ざを足したもの)
☆まし
☆き
せ、◯、き、し、しか、◯
☆第四ステップ
☆じ
◯、◯、じ、じ、じ、◯
☆らし
◯、◯、らし、らし、らし、◯
☆第五ステップ
上でやった助動詞以外の活用は、最初に覚えた用言のどれかと同じ活用をします。そのため、何活用をするのか覚えることが出来れば、自分で導き出すことができます。
☆四段
む、らむ、けむ、
☆ナ変
ぬ
☆ラ変
けり、たり、り、なり、めり
☆下二
る、らる、す、さす、しむ、つ
☆形容詞
べし、まじ、まほし、たし、ごとし
☆形容動詞
なり、たり
☆まとめ
増田は存外いいところをついているよ。
この句は文法的に破綻していて直感的に意味がとれず、さまざまな手法で分析したところでたいしたものが出てくるわけでもない、ようするにしょせんは素人の不出来な句。選者はおびただしい素人の句からとにかくひとつを選ばないと格好がつかない。
で、選者は安西篤。平気で韻律を崩し単語どうしのせめぎ合いや唐突な比喩を楽しむ、ただし徹底的に描写の人。時にユーモアさえ帯びた言葉の奥に何かの意味があることもあればないこともある、そんな作風の人。この人はこういう句、好きかもしれない。
ではこの句はいいものかというとそんなことはない。しょせんは素人の仕事。日本語として文法的に破綻しているのがいちばんのネック。
「洗いて」というのはなんだ。意味は口語だが文語っぽく似せているのか、文語で活用を誤っているのか判然としない。
夕立や象を洗ってまたたく間
夕立や象を洗ひてまたたく間
どっちなのだろう。
どっちでもいいのだが、ともかく未然形や連用形が体言にかかって終わったら意味が通じない。わざと壊して余韻にする手法はあるが、この作品はレベルが低すぎて話にならない。ようするにただ単語を並べただけにしか見えない。ここについてはもっとましな表現があるのではないかと考えている。
「申す」の未然形「申さ」+尊敬ほかの助動詞「られる」が付いた「申される」は、現在は謙譲語と尊敬語の混用とされて、明確に(辞書的な意味で)誤りです。
しかし、「申す」は「言う」の丁寧語でもあった時代がありました。というか、そうであった時代の方が、謙譲語一択になった時代よりもよほど長いのです。
例えば、「平家物語」の巻一・鹿谷には「新大納言成親(なりちか)の卿もひらに申されけり」(新大納言成親卿も(欠員の左大将の職を)ひたすら(ご所望なさると)おっしゃられた)とあります。
その他にも用例は多々あり、つまり、中古・中世・近世を通じて、「申さる」は「アリ」な使い方だったのです。
近代になって、明治期の標準語政策が始まると、「日本語の統括的な文法」というものが必要になってきました。ここで初めて敬語には三つのカテゴリ(言うまでもなく尊敬・謙譲・丁寧ですね)があると定められ、「申す」は謙譲語であるとされたのです。
ことここに至って「申される」は規範文法的には誤りだということになり、戦後教育では教科書にも明記されるようになり、現代に至ります。
ですから、現在でも60代以上の方には、この言い方に違和感のない方も多いのです。数年前の「国語世論調査」で、「『申される』という“誤った”敬語を使っている人は高齢者層に多い」というリポートがありましたが
それはそうで、彼らの感覚にしてみればアトヅケで「間違ってる」と定められた使い方なのですね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496376054
だってよ
辞書で調べると"「乗ろう」は未然形「乗ろ」に、推量意志勧誘の助動詞「う」が付いた形。"つまり「池内は乗客が降車中に乗車した」と断言できる表現ではない。一度そう読んでしまうと他の読み方ができなくなるのかな
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700518723222028386/comment/totoronoki
いやいや、
元ツイート見てみなよ。
私の乗り口は降りようとする人も2人。
https://twitter.com/ikeuchi_saori/status/1375318333776535553
池内氏、左側のスペースから「乗ろうとした」って、すでに行動に移してるやん。
たしかに言い切りの形が「イキる」である動詞として考えると行き詰まるね。
「イキり」を語幹と考えてみよう。
明らかに活用形があり、末尾が「い」で終わらないので形容詞ではない。これは形容動詞だ。
基本形 「イキりだ」
ワタシもまた イキりで ある(連用形)
妹も今や イキりだ(終止形)
イキりオタク は、強がりな男 → 強がり男 のように連体形の「な」を省略したものではないか。
命令形はない。「静かにしろ」のように「イキりになれ」とする。オタクよ、イキりになれ。
参考・http://国語の文法講座.com/xn--hhrt0sk4cxr6d.html
当然のことだけど、学校文法っていうのは数ある文法論(文法学者の数だけ文法があるとも言われる)の一つに過ぎない。
ある現象に対して複数の学説があるなんていうのは普通のことだ。
ところが、学校ではその中の一つだけが正解とされて、それ以外は誤りとされるようだ。
例えば助動詞『り』の接続は学校文法では四段活用の已然形及びサ変活用の未然形と教えられ、試験ではそう書かないと✕にされるらしい(さみしいリカちゃんと覚えろと言う教師も居るらしい)。
しかし、橋本進吉は上代文献から四段活用は命令形接続であると述べているし、サ変の接続についても大野晋氏のように命令形接続とする学者もいる。また小松英雄のように助動詞『り』を立てることに反対し、『詠めり』なら『詠めり』というラ変動詞として扱うべきだと主張する学者も居る。
こういう学問的に確定していないことを問題にして生徒に回答させ、ただ一つの回答だけを正解とするのはおかしくないか。文法は数学ではないのだから正解が複数あったって構わないと思うのだが。
あまり自信ないが、誰かが適当に書いておけば別の誰かが補足してくれるだろう。とにかくこの二つの動詞を混同している人が多すぎる。誰かが指摘しなければならない。
まず、原形の確認から。「間違った」の原形は「間違う」。対して、「間違えた」の原形は「間違える」。「間違える」は他動詞で、原形でも過去形でも連用形でも頻繁に使われる。なにかを正しく行わなかったときに使う。他動詞だから目的語がある。「言葉の使い方を間違える」とか。一方で「間違う」は、原形で使われることはあまりない。ほとんどの場合連用形か未然形である。「間違う」が原形で使われることがほとんどないことが混乱の一因であるように思う。
この二つの動詞、「間違う」と「間違える」の違いは大きく分けて二つある。自動詞か他動詞かと言うことが一つ。もう一つは、動作を表すか状態を表すかと言う違いだ。
まず、自他について。
「間違えた」は、他動詞であり、「なにを」の部分がなくてはならない。もちろん、なくてはならないというのは、必ず発音されるという意味ではない。「なにを」の部分は意味としてだけ存在していて口にはされないこともある。
一方、「間違った」は、主として自動詞であり、「なにを」の部分は基本的に存在しない。「なにが」のみが問題となる。ちなみに、「間違う」は、「間違える」の代わりに使うことができる。この場合はもちろん他動詞である。ただし、「間違う」の代わりに「間違える」を使うことはできない。この非対称性も混乱の原因かと思う。
「間違えた」と言ったら、過去の瞬間的な動作として、何かを間違えたと言う意味である。たとえば、「漢字の書き方を間違えた」と言うのであれば、漢字を書くと言う動作をしている瞬間に、その書き方を間違えたと言う瞬間的な動作を表している。
他方、「間違った」は、状態を表す語である。「漢字の書き方を間違った」とはまあ実は言えないわけではないのだが、それは先述したように「間違える」の代わりに使えるケースだからである。繰り返しになるが、「間違う」は「間違える」の代わりに使うことができるが、「間違える」を「間違う」の代わりに使うことはできない。例えば:
「あなたは間違ってる!」
とヒロインが悪役に言う時、きっと悪役は「なにかを」間違えたのであろうから、他動詞として「間違えてる」といえそうな気もするが、「間違ってる」というのは別に悪役が過去の動作について何かを間違えたということを言いたいのではなくて、現在の状態として、こいつは間違っているということを言いたいのだから、状態を表す「間違ってる」を使わなければならない。
まとめると、
「嬉しい」を「嬉C」,「卑猥」を「卑y」にしたりする表現方法ってあるよね。
これ,現代の文字ベースの意思疎通文化の特徴が如実に現われててすごく好き。
という訳で列挙してみる。
A: 知らん「良い」の口語変化「えー」を置換(「A(C)」など; b:id:type-100様より提供)
B: 知らん「乳首」の俗語「ビーチク」の「ビー」を置換(「B地区」; b:id:cj3029412様より提供)
D: 知らん
E: [:形容詞語幹:]−い(「可愛E」など)/「良い」(「E気持ち」など; b:id:nassy310様より提供)
F: 知らん。多分ない
G: [:形容詞語幹:]−じ(「饑G」など; 正直今考えた。誰も使わねーんじゃねーの?)
H: 知らん。多分ない
I: 「愛」を置換; Iしてる(ポケベル通信みたい? その世代じゃないけど)
J: 知らん。多分ない「自衛隊」の「じえい」を置換(b:id:mobile_neko様より提供)
K: [:形容詞連体形促音便:](「かK」(=「かっけー」←「格好いい」)
L: 知らん。ないでしょ準動詞「得る」(「ありL」など; b:id:yykh様より提供)
M: 知らん動詞「笑む」(「ほくそM」; b:id:sgo2様より提供)
N: [:下一段活用未然形:]+助動詞「ぬ」(「教N」など; b:id:wata300様,ありがとうございます)
O: “多い”,“大きい”の「多」,「大」を置換; 「Oきい」など
P: 無い。いや知らんけど
Q: 「球」を置換; 「Q団」,「野Q」など(「チョベリバ」/「アウト・オブ・眼中」っぽいナウさがある)
R: “である”の「ある」を長音化させつつ置換; 「でR」(これも“「チョベリバ」感”がある)
S: 知らん。多分ない
T: 知らん
U: 知らん「ゆ」または「いう」の口語変化「ゆー」(「醤U」,「そこまでU」など; b:id:savoy3様より提供)
V: 知らん。ないでしょ「大丈夫」を「大丈V」に(「ぶ」が「ゔぃー」なるのって不自然な気がするけど確かに見たことある)(b:id:kondoyuko様より提供)
W: 知らん。絶対ない
X: 寧ろ逆に英単語の一部を日本語にして「sex」→「せX」
Y: 「猥」を置換; 「Y談」,「卑y」など(「Y談」なんかは古くからある印象)/語尾「しいわい」を置換(「うれCY」; b:id:srgy様より提供)
Z: 知らん「抱腹絶倒」の「ぜっとう」を置換(b:id:sgo2様より提供)
(番外)
△: 「さんかっけー」を置換(「本田△」; b:id:madridNewyork様より提供)
(÷): 「かっこわる」←「格好悪(い)」を置換(b:id:kurotsuraherasagi様より提供)
意外と少ないね。僕の見聞が足りないだけかもしれないが
(追記)
「山P」や「阿Q正伝」を挙げてくれた人がいるけど,あれは固有名詞であってこの言葉郡とはちょっと趣旨が違うんじゃないかな。「山ピー」や「阿休正伝」という(これらはでっち上げ)元の単語がある訳じゃないから,〝置換した〟とは言えないと思います。
あとNを無視してすいません。ていうかN,「教えぬ」→「教N」っていう立派な置き換えがあるのに……。
(追追記)
反応が多めで嬉しい。こういう言葉遊びをみんなで共有するの,ほんとうに楽しいし,インターネットのいいところの一つだと思ってる。
この語呂合わせはABC文体と言うらしい(https://anond.hatelabo.jp/20180506021148)。結構起源が古いんですね,勉強になります。
「@で読む」(b:id:strow0343様)は笑った。@がゼムクリップに見えて一層〝栞/ストック〟っていう印象を受けるのも面白い。積極的に使っていきたい。
(追³記)
いつのまにか100ブクマを越えていて驚いた。みんなGW最終日をもっと有意義に過ごそうよ,というのは冗談,こういう言葉遊びが好きって人が多くて幸せです。
ところで,他の国ではどうなんだろう。少なくともアメリカではあまりなさそう。向こうは一種類しか浸透してる言語がない(間違ってるかも)のでto→2, you→Uといった同一言語内での置換しかできない。日本ではある程度英語という外国語が浸透してるおかげでこういう言葉遊びが生まれたんだというのは蛙の驕りだろうか? 韓国なんかは日本と似た状況(自分達の言語が基盤にあり,英語も大量に使う)を持っているので似たような文化がありそう。
あと固有名詞かどうかの判断はぶっちゃけると怪しい。上記した言葉のなかにもTV番組のタイトルにしか使われてないような言葉もあるし。そもそもABC記法自体,ある作家の独特の文体を指して呼んだものなんだから,〝固有〟とやらに拘るのは愚かなのかも。
http://d.hatena.ne.jp/tvhumazu/20140420/p1
自発的表現
五段活用動詞の「未然形+さる」、上一段・下一段活用動詞の「語幹+らさる」 共通語には存在しない自発的表現となる。一部の特定の動詞で用いられることが多く、「進んでそうしようと思っているわけではないが、状況が自動的にそうしてしまう」という心情を表せる。
●この本面白くて、どんどん読まさる。 - この本が面白いので、どんどん読んで(読めて)しまう。
●この塩辛旨くて、ご飯たくさん食べらさる。 - この塩辛が旨いので、ついご飯をたくさん食べてしまう。
ふむふむ。
このチンポ気持よくて、腰動かさる。 このチンポが気持ちいいので、腰が動いてしまう。
オナニーにおいて、
「コク」と言う。
転じて、
手で「コク」事を「手コキ」。
足で「コク」事を「足コキ」。
尻で「コク」事を「尻コキ」。
等と表現される。
色々な方法での「コキ」方があるわけだ。
自身で「コク」場合にそれが使われるのは勿論、
さて、
この「コク」とは、
1コキ、2コキ、3コキ、と。
そして、
1コキとは何をもって1コキなのかを明らかにしたく、
ここに明文化させていただいた。
原点として、
陰茎上部を握り、
1:下部へとスライドした段階で「1コキ」としてカウントするのか。
2:上部から下部、下部から上部へ戻した際に「1コキ」としてカウントするのか。
そこを明確にしたかった。
「半コキ」という言葉が好きだし、
「半コキ」でイってしまった。
など、より良い気持ちよさの表現や、
「半コキ」という言葉を成立させるには、
2:上部から下部、下部から上部へ戻した際に「1コキ」としてカウント。
の説がしっくりくる。
だから、
2:説を採用しようと思う。
「1コキ」は陰茎上部から下部へ、
そして下部から上部へ戻した時、
ちなみに「コク」は、
未然形/か・こ 例:コかない
連用形/き・い 例:コいて
終止形/く 例:コく
連体形/く 例:コく時
仮定形/け 例:コけば
命令形/け 例:コけ
http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20121017/1350465781
まったくないという人もいるかもしれません。
しかし、「揺るがせる」「巡らせる」等は、辞書を見てもないことが多いのです。
これは、元々は下二段活用(否定は「せず」)だったのが、下二段活用がなくなるとともに、五段の「す」(否定は「さない」)と下一段の「せる」(否定は「せない」)に分かれた片割れです。
(用例番号は引用者付記)
1.は「ガ行五段活用の動詞「揺るぐ」の未然形である「揺るが」に、使役の助動詞「せる」が付いた『揺らがせる』の進行形。」
2.は「ラ行五段活用の動詞「巡る」の未然形である「巡ら」に、使役の助動詞「せる」が付いた形。」
であって、「揺るがす」「巡らす」とは別の単語。変化ではなくて、分化と呼ぶべき。他も同様。特に1.のような報道関係によく見られる文章になると、客観性の保持からか、使役を伴う表現が増える。(主体性の問題)
変わってるんじゃなくて、使い分けてるのであって、置き換わってるわけでもない。
ちなみに、上記用例はすべてヲ格を伴う他動詞であり、自動詞と他動詞は一対一対応するわけではなく、自動詞ひとつに複数の他動詞が存在するのはたくさんあるわけで、結局のところ、これを微細であれ変化と認めるのは難しい。
秋なのに桜が狂い咲いている
これらはいずれも名詞の中でも「転成名詞」と呼ばれるものであり、転成名詞はすべてが他の品詞から派生して名詞になったものである。
ゆえに、これらは「名詞が動詞になった」ではなくて「転成名詞がもとの品詞そのものとして扱われている」と解釈すべきであり、そしてそれは転成名詞の成立上他の名詞より柔軟に使えるから、サ変名詞より馴染みやすく、楽に受け入れられることが容易に想像できる。そしてこれを変化とみるかというのは、やはり難しい。
複合動詞を作る時に、もともと意味として自然なのは「自動詞+自動詞」「他動詞+他動詞」という作り方です。「たちなおる/たてなおす」・「おちいる/おとしいれる」のようなものがあります。しかし、このようにしていったん固まった形から、自動詞の他動詞化や他動詞の自動詞化が起こることがあります。
自動詞には自動詞、他動詞には他動詞を結びつけることが意味として自然であるわけではない。
(http://nihongo.do-bunkyodai.ac.jp/qandaDisp.php?id=104)
たまたま「立て上げる/立ち上がる」の対立が琴線に触れただけで、探せばたくさんあるのだから、そういう分類自体が意味を成していなかったと見るべき。