はてなキーワード: 前頭葉とは
ぼんやりしてると思ってるのお前だけだし、ぼんやりしてると思っちゃうのは理解がぼんやりしたるからなんだよなあ。
お前の考える、"気持ちいいことを我慢する能力"みたいな「理性」ってのは、機能としては脳の前頭葉前野にあるんだよね。これは、より具体的には、”感情を我慢する機能”として存在する。カッとなって殴ってしまう、美味しそうなものがあったら金払う前に我慢できず食べてしまう、そういうのを抑える能力ってのがある。
で、お前はぼんやりしてるから、同時に”論理的に思考する能力"のことも「理性」と呼んでるだよね。それは全然別のもんだよ。日常言語としては、別にその能力のことを「理性」と呼んでもいいけど、両方のことを同時に理性と呼んで同一のものだと考えるのは、単に理解がぼんやりしてる。
論理的な思考能力と、感情や衝動を我慢する能力ってのは、全く別のものなんだよね。カッとなって殴ってる奴は、論理的に考えたら殴ったらいけないことぐらい判ってるけど殴ってるんだよ。論理的に考えているやつが、理性的に行動しているやつではない。
ゴムつけるのが論理的に考えて正しい選択だったとしても、それに従ってるやつが感情を我慢してるわけじゃないんだよね。それはただ単に、ゴムを外してぇという感情が存在しないだけだったりする。当たり前だろ。なんで遺伝子がもたらすヒトの本能プログラムに、生で中出ししたい、なんて書いてあるんだよ。ただ出せれば満足するのが人の生殖本能だよ。なんか、獣性を持つからには、本能的に産みたいはず、それを我慢してるから理性が働いているはず、その働いている理性は論理的思考能力のはず……という、十重二十重の思い込みがあるんだよなお前には。
あ、蛇足いれとくね
ヒント:都市化とは人が多くてビルが立ち並んでいることではない
村落共同体ではなくなった、ことが主眼の概念なんだ都市化ってのは。
地域コミュニティというのが希薄で、ご近所の付き合いや義務の課し合いというのをしなくなっており、人々とくに若者の将来が自由である状態。それが都市化だ。
人口密度が増えて、労働環境がむかしながらの自家農業から都市的な雇用関係に変化すると、そういうことがおきるって概念なんだよね。
ChatGPTに聞いてみた。
昔憧れていたアーティスト、輝かしい功績があるがその後暫く世間から消えていたが久しぶりにその姿を見た時に当時の輝きが消え醜態を晒しているのを見たときの気持ちを一言で表現するとなに?
「失望」
だそうだ、あぁそれそれ、年を取るとこんな簡単な単語も出てこない。
いやでもちょっと違う。俺の聞き方が悪い。
正確には失望を予想していたのに案の定失望したときの気持ちを表現するとなんだ?
面倒なのでChatGPTには聞かない。どうでもいい
失恋や社会への鬱積、楽しかった日々もすべてREBECCAが記憶のアイコン。
だけど新曲が駄作であることは予想していた、だからリリースされてもすぐには聞かなかった。
落胆を受け入れられる精神状態の時に聞こうと、そして先程聞いた。
案の定だった。
俺は今ではもうキーボードを触りながらでなければコードは取れない。
(触りながらでも手探り試行錯誤で取れる程度)
REBECCA進行というものは無いが(ある?)土橋定番のコード進行だろう。
端的に言えば古臭い。
そもそもフルコーラス聞くに耐えなかった。半分過ぎたところでそっ閉じした
歌も歌詞も声も曲もアレンジもミキシングも全部が、ヤメテクレだ
老化、衰え
これを叩きつけられただけだ、なんなんだ
俺は今後(すでにだが)目に見える衰えが次々と露見し始めるだろう。
チンコは既に役立たずだ。
そんな衰えに日々恐怖しているのに、
お前もこーなるんだよってか。なんなんだよ。
今更新曲なんか出すなよ
出すなら若い連中を唸らせるような傑作を出せよ。
金無いのかな?
あれだけヒット曲を出して?
一生美味いメシが食えるほどの資産も残らなかったの?
それも夢のない話だ
あーもうヤダヤダヤダ
もうどうでもいいけどね。
50代で発症急増
https://books.kokode.jp/products/detail.php?product_id=4283673
ピック病は脳の神経細胞内にピック球という封入体(異常な物質のかたまり)ができることで、前頭葉や側頭葉が萎縮する病気です。
https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/frontotemporal_dementia/
働き盛りで認知症 ピック病、こんな症状出たら受診を
https://www.nikkei.com/nstyle-article/DGXZQOKC071W90X00C23A3000000/
ピック病の方に「文章を書いてください」と言ったら、「文章ってなに?」と言われたことがあります
https://www.npwo.or.jp/arc/documents/090531pick/resume1.html
頭の悪い人は正論が嫌い。
頭の良い人は(お互いの感情や利害を考慮できていないような)筋の悪い正論には別の正論をぶつけて対抗できる。
つまり頭の良い人は正論にはより強い正論をぶつけて無効化できる。よって頭の良い人は正論が嫌いではない。
頭の悪い人は頭の良い人の意見をロジハラなどと言って非難するが、
実際には自分がバカハラをしている事に気が付いていないだけである。
頭の悪い人が正論を非難する時、それはたいてい自分の残念な感情を抑制できていない時である。
つまりバカハラというのは前頭葉で感情脳を制御できないせいで周囲に迷惑をかけている状態である。
(もちろん頭の悪い人は感情制御以外でも頭が悪いせいで間違った事をして周囲に迷惑をかける事も多い)
これに反論できる人は居ない。
頭の悪い人は正論が嫌い。
頭の良い人は(お互いの感情や利害を考慮できていないような)筋の悪い正論には別の正論をぶつけて対抗できる。
つまり頭の良い人は正論にはより強い正論をぶつけて無効化できる。よって頭の良い人は正論が嫌いではない。
頭の悪い人は頭の良い人の意見をロジハラなどと言って非難するが、
実際には自分がバカハラをしている事に気が付いていないだけである。
頭の悪い人が正論を非難する時、それはたいてい自分の残念な感情を抑制できていない時である。
つまりバカハラというのは前頭葉で感情脳を制御できないせいで周囲に迷惑をかけている状態である。
(もちろん頭の悪い人は感情制御以外でも頭が悪いせいで間違った事をして周囲に迷惑をかける事も多い)
これに反論できる人は居ない。
わかるけど読みづらいので書き換える
「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい」っていう部分は医学の統計でも根拠がない。
本文全体に同様の、疾病としての躁鬱とイライラしやすい気質みたいなものの混同がありそう。
現在の医学では、落ち込みやしんなりした気分(仮に「抑うつ」と言っておく)と、イライラやイキってる気分(仮に「躁状態」と言っておく)の2つのうち、
しんなりだけおこる「うつ病 (major depressive disorder)」 と、両者を繰り返す「双極症」は全然別枠の病気。
しんなりがどちらでも起こるのは正しい。
「しんなりするから双極症の症状だ」は間違い。
あと、こうした普段と違う気分は「原則として」、起こったり収まったりする。
例えば「過去n年間ずっとイライラしやすいんです!」は一つの躁状態とは言わない。
逆に1日の中でめっちゃ落ち込む時間とめっちゃイライラする時間と元気な時間が数時間で移り変わるんです!もふつう躁状態・抑うつとは言わない。
(「原則として」と書いたのは、中途半端な症状がダラダラ起こったり収まったりする症状に別の病名がつくことがあるから)
典型的には躁状態と関連付けられるが、抑うつから焦燥的になることも多いし、どちらでもないときにイライラすることもある(つまりうつ病・双極症とは関係ないこともある)。
ほんとうに双極症といわれる(疾患として定まる)ものであればまず大事なのは服薬であるとされている(服薬をしないと再燃率 = また上の抑うつか躁状態が起こってあなたが困る可能性があがるし、飲んでいるとそれを下げられる)。 [追記: これらの病気が気のせいではない、と言われるのにはいろんな理由があるけど、正しく服薬できれば改善するという点がその一つ]
本読んだり習慣付けで収まるようなのは基本的には疾病としての症状じゃなくて、イライラしたり気持ちが落ち込んだりしやすいっていう状態の範疇に収まるんじゃないかなと思う。
(ただし、もしあなた(これを読んでる人だれでも)が精神科で診断を受けたことがあるなら、この項に書いてあることにかかわらず担当医との相談を大事にしてください。「良い習慣付けが意味ない」とか、「習慣を変えてここまで調子良く来られてるならあなたは病気を持っていないからお薬を辞めていい」とかそういうことは一切書いていません)
ちなみに「過去1ヶ月の間にこれらの本を読みはじめてこういうふうにしたら今めちゃくちゃイライラ少なくて気分いいんですよ!」っていわれたらそれは逆に心配かも
あとはまあ一応言っとくとするとHSPはわれわれ精神医学の概念じゃないとか、冷えピタ貼って前頭葉の機能が落ちるってことはないとおもうとかそういう本筋じゃないところ(ひんやりして気持ちいいならそういう効き方はするかもしれん、隙自語だが肩・首さえ大丈夫なら夏場氷枕でひんやり寝るの好き)
私見ですが、精神医学用語はこれに限らず用語としての意味からずれて用いられることも多くて、ただまあ情動とか行動は多くの人間にとって興味がある/表現の必要があるものだから、それを精神医学が専門用語として独占するべき(他の使い方は”間違ってる”といえるような)根拠もあるとはいえないかなとは思うので、悩ましいところ。躁うつ"病" とか 双極症とか、後から定めたような病名を使うときはちょっと定義を気にしてくれたらいいかな。
おまけ:これはもう我々のほうが諦めるべき使い分けだというふうにも思うが、一応精神医学の文脈では精神病は psychosis の訳語として使われることが多くて、精神疾患 mental/psychiatric disorders とは区別されます
さらにつっこんでおくと
最後んとこ、医者たちがその程度の説明能力しか持てないから使い分けする必要がないとおもわれているのでは。
ディアレアしたとかいわれても知らんやつはわからんが下痢なら「くだした」と関連づけれる。
安楽死は安楽死じゃなくて現状依願殺人であり医者はやらない、もそうだけど諦めていいことは諦め、諦めていけないことはあきらめるなよせめて匿名でくらい。
全体に、医者にしては良心的な説明だしうちの家族のかかってる主治医もこういうことがいいたいのだろうとは思うけど
医者って時間的にハードルが高い(費用はわりと楽だが今後高くなりそう)んだよね
あなたが精神科医なら「初診は2ヶ月後に予約とってください、お薬はさらに何ヶ月か後です。」の現状しってるでしょ?違う?
ついでにいえば病識がないまま一人暮らしで人格荒廃していく人は今後ものすごく増えるとおもう
そういう人はそもそも医者に一生こないまま無敵の人として犯罪収監されるおちが多い
この増田にもそういう報告を定期的にしている無敵の人のなりかけがいる
(字下げは前科1犯で猶予つかず懲役したんだよね。ずーっと判事の悪口、自治体とのトラブルを愚痴ってる)
そこを食い止めるのは民間療法であってもなんとかしようとする家族の意志なんだよ、元増田には最初家族やめちまえってアドバイスが多量についたんだけどさ
そもそも現在の医者というのがワンストップの機能を放棄している(定期健診はQOLにはかかわらず死因だけをケアしている)
それなら支えきれないといって家族をやめちまうまえに本くらいはおおいに読むべきだよ、本には脳溢血や認知症、貧血、甲状腺ホルモンによる多岐にわたるイライラがのっていて、精神科医の範疇外の受診・ケアもすすめているものがあるからね
精神科医だがこれが参考になるとかブコメで言われまくっていて流石に心配になったのでコメントをいれておく。ここの「躁鬱」が躁うつ病とも呼ばれた双極性障害/双極症のことじゃなくて一般用語としての(病気の固有名じゃない、状態に関する名前としての、精神医学で使うことばじゃない)「躁鬱」であって、かつ読者もそれを理解してるなら以降は無視してください。あくまで医学的な情報の整理で、それ以外の部分についてどうこういう話じゃないし、もともとの増田(この投稿の言及先の言及先)からはほとんど無関係だ。
「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だ
私見ですが、精神医学用語はこれに限らず用語としての意味からずれて用いられることも多くて、ただまあ情動とか行動は多くの人間にとって興味がある/表現の必要があるものだから、それを精神医学が専門用語として独占するべき(他の使い方は”間違ってる”といえるような)根拠もあるとはいえないかなとは思うので、悩ましいところ。躁うつ"病" とか 双極症とか、後から定めたような病名を使うときはちょっと定義を気にしてくれたらいいかな。
おまけ:これはもう我々のほうが諦めるべき使い分けだというふうにも思うが、一応精神医学の文脈では精神病は psychosis の訳語として使われることが多くて、精神疾患 mental/psychiatric disorders とは区別されます
https://anond.hatelabo.jp/20240609080131
https://web.archive.org/web/20170710054051/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201207
物騒なタイトルつけちゃった。
映画を観に行きましたよー。
「We Need to Talk About Kevin」 邦題:「少年は残酷な弓を射る」
@TOHOシネマズシャンテ
一瞬も目が離せず、面白かった。
産んだ息子がサイコパス的な。
どうして?何が原因でこんな事をしでかすの??と、母が息子に問い、
答えは観る者に委ねられるわけですが。。。
この映画の中では一応、母が上手に息子を愛せてない事が主因、
個人的には、「前頭葉の機能不全だよ」とでも言いきって貰えた方が、
少しホッとするのだけれども。
そういう(変な)意味で、ホッとさせてくれるのがこの一冊
物騒な本でスミマセン。
「被虐待経験、精神疾患、神経学的損傷が相互に作用し合った結果、
ある程度、理由が明記してあるとホッとする。
あ、あと、映画館で予告やってた「最強のふたり」が観たいなあ。
1
本・映画---
よろしくお願いします~!、、と、爽やかに宣伝したいところなのですが。。
気付いたのは一昨日なので、もう訂正しようがないのでスミマセンごめんなさい。
だ、誰も気付かずにいてくれたらいいのにな!という期待を込めて、
時々こういうミスはやらかすなあ。
ほんとにごめんなさい。
新刊がうちにも届きましたよ~
(うっかり迂闊な事書いたら困るので、非公開)
溜め込んで吐かずにおれない事も薄い、ような気がする。
最近は、こんな感じです。
ではー。
1
お仕事---
発売中です!
成海親子が表紙ですよ!
私まだ現物見てないや。
1
お仕事---
行ってきましたよー@帝国ホテル
そして、感慨深かった。ほんとうにおめでとう~~!
使用後
そして、おみやげに頂いたのは、チョコレートの香りのアロマキャンドルと
講談社さん、どうもありがとう!(と、私が横から言ってみる。)
何回行ってんだアンタ。。。
ドジっこが許されるのは、ハタチまで
(2024/06/09 追記)
旦那さんは躁鬱かも。自分も5~6年前までは旦那さんと同じく短気だった。電車から降りる人より先に乗ろうとする人、傘の先端を後ろに振って歩く人、横断歩道を無視する車、政治家の汚職や不倫のニュースなどを見るたびにイライラして、文句を口にしていた。今思うと、これは躁鬱の症状だったと思う。自分が躁鬱だと自覚・改善するきっかけになったものを書いていく。今はイライラと上手く付き合えるようになり、人生が楽しくなった。それから、付き添ってくれた妻には本当に感謝している。あなたの旦那さんが自分と重なってしまい、自分もあの時気づけてなかったらと思うと、いてもたってもいられずに書いた。少しでも力になれれば。
※以下で紹介する情報は数年前に触れたので、うろ覚えでテキトーな部分があるかも。あくまで今の自分の解釈なので、鵜呑みにせず、旦那さんの心の準備ができたら精神科の受診をオススメする。
この映画がきっかけで鬱だと気づけた。鬱のイメージが変わった。「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だと知った。まさに主人公も自分もそういう人間で、共感しすぎて見終わったら泣いてた。特に、妻に辛く当たった後に自己嫌悪に陥るシーンは、自分にとってはあるあるだった。見終わった後、妻に改めて感謝し、改善していきいたいと思えた。ちなみに鬱は 「完治させる」のではなく「改善していく。上手く付き合っていく」 と考えた方がいいみたい。焦って治そうとすると、治らないことにイライラして再び自己嫌悪。
この本が改善のきっかけ。特に学びになったのが 「評価は人の居場所を奪い、感謝は人の居場所を作る」 こと。
評価とは、人間に良し悪しをつける行為。愚痴やネットでの誹謗中傷がそうだし、あなたの旦那さんや私が、待ちゆく人やテレビに対して言う文句もそう。他人を評価することは、相対的に自分を評価することになる。例えば、電車でマナーの悪い人にイライラするのは、その人を悪く評価してる反面、マナーを守ってる自分を良く評価してることになる。評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。「あの人は優秀」とか。優秀な人を見ると自分がダメに思えて悲しくなるのは、勝手に自分も評価して居場所を無くしてるから。また「お前に褒められても嬉しくねーよ」って感じるのは、自分より下だと思ってる人間に居場所を奪われる不快感だと思う。
感謝は逆に人の居場所を作る。だから、居場所を得たければ、他人に感謝をされること(他者貢献)をするといいらしい。本にはここまでしか書いてなかった。それを知ってからは、いろんな場面で親切を心がけるようにした。ただ、だんだん感謝されないとイライラするようになった。そこで気づいたが、自分は「感謝されたい」という気持ちでいっぱいになっていた。逆に、世の中には自分と同じように「感謝されたい」人がたくさんいるんじゃないかとも思った。そして、感謝を伝えることは誰かの居場所を作れるということであり、それ自体が他者貢献 になるのでは?と考えた。それ以来、一切の評価を辞め、些細なことにも感謝するよう心がけた。例えば、今日も飯が食えることとか。生きてることとか。他人を褒めそうになったときは、感謝に置き換えた。例えば、活躍するスポーツ選手のニュースを見たら「すごい」じゃなく「頑張ってる姿を見ると、自分も頑張ろうと思えるな。ありがたい」とか。次第に、悪いことより、ありがたいことに目が向くようになり、「自分の人生、恵まれてんじゃん」と幸福度が増した。イライラも減った。
また、人間は良いことよりも悪いことに敏感らしいので、気づくと感謝を忘れてイライラが再発した。なので、感謝を習慣付けるため、以下の2つに取り組んだ。
自分は3つ言うようにしてる。少なくとも1つは言う。些細なことでいい、「洗い物ありがとう」とか。ただ、厳格にルール化するとしんどいので、もちろん忘れちゃう日があってもいい。次第に、寝る前以外も自然と感謝が言えるようになる。小っ恥ずかしいけど、互いに居場所を作ることができ、それが夫婦円満に繋がる。
日記といっても毎日はしんどいので、誰かに何かしてもらったときだけスマホにメモるくらいでいい。メンタルがしんどくなったときに見返すと「そーいや、こんな嬉しいことあったっけ」とマシになる。家族や同僚のミスも「こんだけありがたいことしてもらえてたんだよな」と許せるようになる。あと、この日記は意外な場面でも役立つ。記念日や友人の結婚式、同僚の退職時など、メッセージを考えるのに困らない。
を言ってほしいかも。そうしないと、何度も「二度としません」を繰り返すことになる。自分と妻がそうだった。旦那さんは、きっと 安心や信頼が欲しい んだと思う。旦那さんに一緒に考えてもらうのもいいと思う。自分も妻と一緒に具体的な再発防止策を考えるようになってから、感情的な口論が減った。
アンガーマネジメント超入門 「怒り」が消える心のトレーニング [図解 (特装版)]
自分も読み途中だが、怒りを抑えるだけではなく、そもそも怒りづらくなる方法や、怒りを上手く伝える方法なども書いてある。ちなみに、自分は今まで以下の考え方で怒りを鎮めてきた。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
旦那さんは、ひょっとしたらHSPかも(病気じゃなく性質)。HSPだと細かいことに気づきやすい。いい意味でも悪い意味でも。もし、飲み会など大人数の集まり後にグッタリしたり、光や音に敏感だったり、お腹すくとすごいイライラしたりする場合は、その可能性あるかも。ちなみに自分もHSPで、この本を読んだら楽になった。自分の妻は非・繊細さんなのだが、繊細さんと非・繊細さんの上手い付き合い方が載っていて、互いに勉強になった。
わかってらっしゃるとは思うが、上記を本人に無理矢理、読ませるのは逆効果。自分も会社にアンガーマネージメント講座を強制されたときはキレた。本人が知りたいと思ったときに、そっと差し伸べる程度で。ただ、本人に任せてたら状況は変わらないので「評価は居場所を奪い、感謝は居場所を作って、イライラを抑えられるんだって〜」くらいのノリで、 奥さんから日頃の感謝を伝えてみる のがいいのかも。相手は変えられないので。結婚はしたのだから、きっと旦那さんにも素敵なところがたくさんあるはず。楽しかった思い出を振り返ってみて。人生をつまらない文句やイライラではなく、楽しいことで満たしたいよね。
しばらくはしんどいと思うけど、峠を超えて、旦那さんがあなたが付き添ってくれたことに感謝してくれる日が来ることを願う。ただ、他人を変えるのは相当大変なことなので、ヤバくなったらあなた自身の人生を最優先してくださいね。長文失礼。
神経には脳幹という拳サイズの原始的な脳がからみあってるこれは神経が発達して原始的な脳になった部分だこれが発達したおかげで運動能力も危険から回避もできる魚とかにもあるやつだ
その脳幹の上には大脳(旧)皮質という部分がかぶさって出来た、ここが感情をつかさどる部位だ犬猫猿くらいにもある機嫌が良かったり悪かったり楽しかったり悲しかったり感動したりする部分だ
そして大脳新皮質というのがかぶさってる、これが人間らしさを司ってるとされている この部分があるから言語や論理思考などを持ち得たとされているがなにぶん新しい部位なので個人差がはげしく生きるために必須でもなので使わなければすぐに衰える アタオカはこの部分がおかしなことになってる
一方刺激に対しては外側から順番にフィルタされるのですが前頭葉が萎縮すると大脳旧皮質が直接刺激されるようになる これが年を取ると感情的になる根拠とされているらしい