紀元前137年生まれ。前漢の将軍。
隴西の生まれだったので騎射に長け、異民族に通じていた。
そのため李広利のもとで匈奴討伐に従軍し、功を立てて皇帝から賞賛された。
70歳を超えても匈奴と戦い続け、
異民族の反乱が起きて「誰を差し向けるべきか」と皇帝に問われても、
「自分以上の適任者はいない」と答えた。
また「敵はどのくらいの軍勢か」と聞かれると
「百聞は一見に如かず」と答えてすぐさま軍勢を率いて出発した。
これが故事成語として現代まで残っている。
また、趙充国が「秋になれば馬が肥えて匈奴が攻めてくる」と警告した言葉が、
のちに唐の詩人・杜審言に用いられて「秋高くして塞馬肥ゆ」と詠まれ、
これも故事成語となっている。
紀元前52年に86歳で亡くなった。
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