はてなキーワード: レイピストとは
よくやった。
女子刑務所に入れることができるほど、お前たちはトランス女性を女性と思わせることに成功した。
お前たちはレイピストを女子刑務所に入れた。お前たちは女子の囚人たちがレイピストに暴力を受けることをよしとした。
お前たちが許可を与えた。トランスの承認願望を満たすほうが大事だったからだ。
よくやった。
その女性たちが男性(ペニスと睾丸を持つ人間)をセーフスペースに入れることを拒んだからだ。
よくやった。
女性をTERFと呼びさえすれば、それも許されるようになった。トランスフォビアのクソアマは殴ってやれ、そうだろう?
その女はそういう奴だ。デモに参加する女性を殴っても問題ない。なぜなら奴らはTERFだからだ。
よくやった。
お前たちはお前たちとのセックスを求めない人々に嫌がらせをする。トランスフォビアと呼ぶ。
トランスフォビアのレッテル張りをしてやれ。お前たちの承認欲求のほうが大事なのだから。
お前たちは女性専用のスペースにどんな男性でも入れる法律を作った。
その男性が「私は女性」と言いさえすれば、それは尊重され、入室を許可される。
安全のために作られた女性スペースは誰でも入れる場所になった。
よくやった。
お前たちは「インクルーシブな言語」を使えと脅し、FGM(女性器切除)、妊婦、バギナという言葉を口にする人々に嫌がらせをした。
世界に対し女性の体について語ることがインクルーシブでない、ヘイトスピーチだと思わせた。
よくやった。
お前たちはトランス女性こそが女性の権利について語り、女子スポーツに参加し、女性を押し退けて政治の場に進出する権利があると思わせることに成功した。
男性が女性であると思わせることに成功した。その間、女性は犠牲となったが。
なぜなら、お前たちのナルシストで、エゴイストで、ミソジニーな考えでは、お前たちこそが重要で、尊重されるべき対象だからだ。
お前たちはトランスのスペースを求めなかった。お前たちは女性のスペースを求めた。そして、女たちを追い出すことに成功した。
お前たちは「私はトランスで、それでいい」と言うだけでは満足しなかった。女性と呼ばれ、女性のアイデンティティを得ることを求めた。それを拒否する人々は、脅した。
お前たちは世界がひれ伏すことを求めた。お前たちは自分たちの要求が誰よりも優先されることを求めた。特に、女性よりも。
女性とは何か?と尋ねるとお前たちは「気持ち」だと答える。女性とは、“adult human female”という意味なのに。
お前たちはバギナを「前の穴」と呼び、手術で裏返したペニスを「バギナ」と呼ぶ。なぜなら、お前たちは女性よりも女性になりたいからだ。女性の定義では、決してお前たちは女性になれないというのに。
私はトランススペースの権利のために戦う準備ができていた。トランスは恋人を見つけるのも難しい、と文句を言っていたときも、支援をするつもりだった。
それで気持ちがよくなるなら、と「she」と呼ぶこともいとわなかった。医療の権利、尊重を得る権利のため、そして男性による暴力に対して一緒に戦う準備ができていた。
アライになるつもりだった。多くの女性は同じ気持ちだった。多くのTERFはアライから始まっていた。
なのにお前たちはNOをつきつけた。トランススペースなんかいらない、お前のスペースをよこせ、と言った。
お前のバギナがほしい、女性スペースがほしい、女性を限定する言葉を使うな、体のことについて話すな、スポーツで順位を奪ってやる、政治の場から、学校から、組織から追い出してやる、 と言った。
お前たちの女性性をよこせ、と言った。そして私達が従うことを求めた。すべて明け渡すことを。そして、多くの女性にそれをさせることに成功した。
だけど、女性は影で本当のことを話している。性別を変えるなんて本当はできないということを。
女性のステレオタイプや体は真似しても。子宮、卵巣、子宮頸部、クリトリス、骨盤はうまく真似できていないみたいだけど。
顔を「女みたいに」作り変え、ボイスレッスンを受け、ウォーキングレッスンを受けても、お前たちは女性として生まれたものの経験を決して体験することはできない。
男性を女性に変えることなんてできない。本当は、性転換っていうのは間違った言葉なんだ。女として生まれる経験なんてできやしないのだから。
でも、それでも大丈夫なはずだった。自分が異性でないこと、自身をトランスと認めることに、問題なんてあるわけがない。
生まれた性に違和感を持つのも、全然不自然なことじゃない。あなたは、あなただけのユニークな存在になれるはずだった。
トランスの人たちが自身のトランス性を見せる時、それは本当に多種多様だ。しかし、すべてのトランスがトランスであることに変わりはない。
でも、お前たちはそれでは十分ではない、と言った。「ユニークな存在」になるだけでは満足しなかった。
少なくとも、最も声の大きく、影響力のある男性のトランス活動家にとっては。お前たちは、社会をお前たちの違和に適合するよう変えようとした。しかし、聞いてほしい。
私達は拒食症の人たちに、その「太っている」という不安が本当のことだ、と伝えたりはしない。
重篤なアレルギーを持つ人が多くても、ピーナッツをこの世から消し去ることはしない。
レイチェル・ドレサル(黒人と自称する白人活動家)をトランスレーシャルと呼ぶことはしない。
私達は世界の50%を占める人々の要求や問題を、お前たち極少数の、定義も不可能なグループのために犠牲にする必要はないはずだ。
社会規範に違和感を持つほとんどの人々は、対処法を見つけたり、自身でサポートグループを作る。
ほとんどの人々は、人生はみんなが満足できる公平なものではない、と知っているからだ。お前たちが女性の権利を破壊しようとするだけ、お前たちは敵を作り出している。
お前たちは、レズビアンやヘテロ男性に「レディーディック」を求めないのはトランスフォビアだ、と喚いた。
お前たちは女性から女性性を奪い、女性たちが権利として勝ち取ったスペースを我が物にすることに成功した。
お前たちは従来の性別の概念に合致しない子供たちの親に「その子供はトランスだ」と思い込ませ、第二次性徴を止める薬物を使用し、不妊の原因となる医療介入が必要だと信じ込ませた。
子どもたちの将来の子を産むチャンス、セックスライフがなくなる可能性があっても、だ。
純粋な疑問から来る質問をはねのけることで、お前たちはアライを敵に変えることに成功した。
お前たちは有色人種の女性、白人女性、男性、保守、リベラル、中道、レズビアン、ゲイ男性、そしてトランジッションをやめたトランスの人々までをも敵にまわした。
よくやった。
The Trans Ego: Why Allies are Becoming TERFsの日本語訳
出展:https://womenarehuman.com/the-trans-ego-why-allies-are-becoming-terfs/
ゲイは性的”指向”であり、一方の例として挙げているペドフィリアは性的”嗜好”である。
ペドフィリアが問題なのは、判断能力や身体能力の育っていない相手に対して性欲を向けることであり、それが必然的に人権侵害になるからだ。
「ゲイに襲われた経験のある父親が息子にゲイだと明かされる」 をそのまま言い換えるのなら
「幼女の時に男に襲われた経験のある母親が息子にヘテロ(異性愛者)だと明かされる」となるはずだ。
自分の書くことは増田の言う「ゲイを全てレイピストの如く見るのはいかがなものか」に読めるんだろうが、その通りだし、いかがどころか絶対にすべきではない。
ヘテロを全てレイピストの如く見るべきではないのと同じことである。
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追記:
性的”指向”と”嗜好”については、自分は別物と捉えているし、その属性の違いを指摘する為に挙げたが、確かに似たようなものと捉える向きもあるようなので、ここでは深追いしない。
とにかく重要なのは、憎むべき・罰するべきは合意なく性的干渉を強要した人間個人であり、その人間の属するカテゴリ全体ではないということだ。
その人がどのような指向あるいは嗜好を持つ人間であれ、合意の得られない行動を起こしてはならない。
反対に、当事者間で合意が得られる範囲から逸脱しない限り、容認されて然るべきだ。それでも個人的感情として受け入れられない、という事もまた致し方ないが、それは不当に抑圧して良い理由にはならない。
ただペドフィリアに関しては、上述の理由から合意はあり得ない(仮に被害者本人が合意したとする場合でも判断能力不足が否定できない)ために、実行に移すことはいかなる場合も犯罪になりうる。
隠れてやってくれ、という言説も見聞きするが、親に打ち明けるなど信頼が無ければ思いつかない事だ。増田にその日が来るにせよ来ないにせよ、子の信頼を踏み砕く親は少ない方がいいと思う。
結論を先に書くと、ゲイに襲われた経験のある父親(俺)は息子にゲイだと明かされたら絶縁を選ぶ。
もしあなたが親にカミングアウトすべきか悩んでいるゲイなら、縁を切っても構わない程度の親と思っているのでなければカミングアウトはしないでくれ。
男の子を授かって、生来のゲイの割合は5%というのが正しければうちの子は絶対に違うとは言えない確率だな、もしゲイだとしたら自分は息子を受け入れられのか?
と傍から見ればアホな独りよがりなんだろうけど自分にとっては切実な問いにここしばらく取り組んだ末に「受け入れられない」というが自分の答えだった。
俺の場合は、ゲイに襲われたと言ってもレイプまでされたわけではない。高校生の時に通学の電車で痴漢されて性器を直に弄られたところまでの被害で済んだ。
それだけでも一生ゲイフォビアを抱くのに十分だったが。
成人してから酒のはずみで父にこのことを冗談交じりに話したら、陽気に飲んでいた父が俯いて押し黙った後「……俺も中学の時にそういうことがあった。ホモ連中はクズだ」と初めて聞く声色で言うので酔いが冷めた。
父は人格者とまではいわないけどあからさまに他人を罵るような人ではなかったので本当に驚いた。
「ゲイフォビアは総じて薄っぺらな世間体や伝統道徳や宗教信念が形作った妄念に過ぎない」というのは危険な誤解だと思う。
俺や父のようにゲイに襲われた経験からハードコアなゲイフォビアになった人間はそれなりにいるし、あなたの父親もそういう誰にも話せないトラウマを抱えているかもしれないという想定を持って欲しい。
「ゲイを全てレイピストの如く見るのはいかがなものか」という反論は理性的だと認める。
だが、幼女の時に男に襲われた経験を持つ女性が母親になり産んだ息子が幼女しか性対象にできない真性のペドフィリアだったとしたらどうだ?
生来のペドファイルの多くは二次元などの性的ファンタジーで性欲をコントロールできており実際に性犯罪に至る者は少ない。
実際の児童への性犯罪のほとんどは「正常」な性指向の男性により行われており、性犯罪者は本来の性対象の成人女性の代替として無力な子供を狙うのだ。
というよく聞くペド擁護が統計的な事実だとして、その事実が息子を家から追い出したい、「治療」したい、いっそ心中すべきかとまで思い詰める母親の心を救えるだろうか?
俺にとって、ゲイの息子を持つということはそれと同じ苦しみをもたらすものなんだ。
では、ゲイのあなたは父親とどう向き合うべきなのか(もし息子がゲイだったら俺はどうして欲しいのか)?
端的に言って、向き合わなくていいし何もしなくていい。
母親やきょうだいの口の堅さが信用できないなら、家族の雰囲気で父親が事実を察してしまいそうなら、父親以外の家族にもカミングアウトしないでくれるとありがたい。
幸いなことに日本の男性生涯未婚率は既に2割いずれ3割になる。
父親から結婚はまだか孫の顔が見たいなどの繰り言が出たら、仕事や趣味に忙しくて結婚に興味が無い(単純にもてなくて結婚できない)3割のありふれた未婚男のふりをすればいいだけだ。
繰り返す。
この世にはゲイに襲われ傷つけられた男がいて、あなたの父親も自分からは決して語らなくともその一人かも知れず、息子がゲイであることを知ることは父親の傷をさらに深く抉ることになるかも知れない。
このことを常に忘れるな。
zyzy 一にも二にもまず病院へ/レイプ犯罪は全部「うそにきまってるんだぁぁぁぁ」が沸くのが、この国がイスラムと地続きだという話だよなぁ。この人たちの存在だけで、女性差別の実在の証拠。彼らが戦えなくしている犯人 考え方
2018/08/06 リンク Add Starsaori-yamamuramuryan_tap3ririankouririankouataharakanicraprcircimimo_ducknyanmage00atoz602iiiloveuuu07n4klsio43ksn4klsio43ksn4klsio43ks
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180806062824
https://megalodon.jp/2018-0807-0023-46/b.hatena.ne.jp/zyzy/20180806
これは「イスラム」は女性の性犯罪被害の訴えを蔑ろにするセカンドレイピストであると主張する宗教差別発言だ。
世界人口の4分の1を占め、宗派や地域あるいは個々人によって様々なかたちで実践されているその信仰の多様性を否定し、「女性差別」の宗教であると単純化・悪魔化する言説だ。
イスラム教徒に関わりの無い性犯罪事件に対する一部の心無い反応をもって「イスラムと地続き」であると揶揄し、イスラム教への憎悪と蔑視を表明する言い逃れようの無いヘイトスピーチだ。
そうだね。
イジメで我が子が自殺して加害生徒保護者相手に訴訟起こしたシングルマザーがいかにもイジメっ子が真似しそうなキツい弄り芸やってる売れっ子芸人と事実婚したとか、
暴力団被害者救済に身を捧げている正義派弁護士が義理人情に溢れたヤクザ者たちが痛快に活躍する任侠作品で人気の漫画家と同性婚したとか、
こういう例の方が適切だね。
はあちゅうとしみけんの事実婚はそういう物なんだけど、二人の結婚を祝福している方々が全て、現実の犯罪と作り話として犯罪を描いただけのフィクションは無関係ですって立場なら全然問題ないよ?
(ただの仮定の話として万が一女優が撮影内容を知らなかったのであれば性犯罪であるのは間違い無いとしても)あくまでそういう筋書きのフィクションとして完全な自由意志に基づいて演技をしている女優を相手にドッキリ企画物AVを演じただけのAV男優の仕事をアレコレあげつらうのは、
でも、MeToo運動を支持します、はあちゅうを全面的に支持します(*1)、って界隈は、AVのような性暴力コンテンツはたとえフィクションでも現実の性犯罪被害に悪影響を与えている、って意見の人たちと相当被ってたと思うんだよね。
「AVのような性暴力ポルノの歪んだ性嗜好や女性観は男性の性行動に影響を与えて現実の性犯罪を誘発している」
とか
「仮にAVが直接的に性犯罪を誘発しないとしても、性暴力を娯楽として消費するコンテンツが蔓延しているせいで現実の性犯罪被害者が好奇のまなざしを向けられるようになり被害を告発するのが難しくなっている」
とかね。
あなた方がAVにそういう悪影響があるという主張を捨てないのであれば、
夫が誇りを持って働いている仕事が、妻に深い心の傷を負わせたセクハラ上司のような加害男性を生み出したり、かつての妻や身代わりに捧げられた女性たちのように泣き寝入りする被害女性を生み出したりする
という呪詛をこの夫婦に向かって唱え続けていることになるのだけど、それでも自分は二人を祝福していると言い張るつもりなのかな?
「我々MeToo運動やはあちゅうの告発を支持している者たちは誰もAVの悪影響など主張していない。お前は藁人形と戦っているだけだ」
という反論は歓迎する。
MeTooを唱え支持を表明する方々はAVをはじめとする性暴力を描いたフィクションに悪影響があるという立場は取らないということだからだ。
#MeToo(私も性暴力フィクションの制作・流通・消費を祝福します!)
(*1)ここでの「はあちゅうを全面的に支持」が指すのは「はあちゅうの過去っつーか現在進行系のセクハラ言動を槍玉に挙げる連中は正義の告発者にスティグマを与え加害者を利するセカンドレイピストで、敵!」みたいな勢いの方々ね。
「こいつ大嫌いだけど、セクハラ被害を告発した点だけは正しいし立派だと思うから嫌々ながら支持するよ。だから、お前のやってる童貞弄りもセクハラなんだと気づいて我が身を省みてくれよ……」みたいな気の毒なほど理性的な方々は外しておく。
終電後、飲み会の帰りに同僚に職場の近くではない繁華街でばったり会った。
お互い一人で一瞬話して、一緒に飲もうかという雰囲気になりそうだったけど職場の人とプライベートな付き合いはしないと決めている私は足早にタクシーに乗ってしまった。
でもそれ以降彼が気になって気になって仕方がなくて、どうやったら彼とセックスできるかを考えている。
社内でセフレを作るにあたり、一番重要視するべきことは「口の堅さ」であることは明白な事実である。
そこで、「口の堅さ」を確認するために聞くべき質問をずっと考えている。
今のところ思いついたなかで一番良さそうなのが、
・〇〇さんって人狼得意ですか?
なんだけど、どうかな。
人狼が得意だとポーカーフェイスもうまそうだし、社内にバレるリスクを低くできそうと思った次第。
他に自然に社内で聞ける質問で口が堅いことがわかる質問あったら教えてほしい。
ちなみに、他の同僚に聞くっていうのはなしで。
彼のことを探っているという事実からのちのちセフレだということに繋がりバレてしまうかもしれないから。
暗に、喋ったらお前をセクハラレイピストとして人事に告発するぞ、という脅迫まがいのことを言おうかと思ったけどこっちが犯罪者になるし、逆手に取られて「増田さんに脅されました」って社内に言われたら元も子もないからなぁ。
このところ永劫回帰のようにエロ表現における争いが繰り返され、オタクとフェミニストのラグナロクは永遠につづくかのようにおもえる。
これだけやりあっていれば普通はたしょうなりとも相互理解というものが生まれるものであるけれども、それはリアルな論戦の話なのであって、不特定多数が不特定多数に対してやたらめっぽうに機関銃を撃ちまくるインターネット塹壕戦ではただ人が死ぬだけであり、平和条約は結ばれず、ただ人が死ぬだけであり、憎しみは連鎖し、ただ人が死ぬだけである。
毎日がソンムの戦いだ。
オタクとフェミニストはそもそも互いに互いを認識しているのだろうか?
フェミニストが「えっちなのは子どもによくない」と言い、オタクを宮崎勤と池田小のやつとエド・ゲインを足してニで割ったような怪物として罵る。
オタクは「表現規制をするな」と言い、フェミニストを権力によって表現の自由を、人間の尊厳を奪うヒトラーの再来として恐懼する。
彼らにはそれぞれ「何」が見えているのだろうか。
1950年代にPTAが中心となって展開されたマンガに対するバッシング運動だ。
暴力的な表現、子どもの情操に悪そうな表現はこどもに見せるべきでない、というスローガンのもとに当時芽吹きつつあった劇画や手塚治虫などを中心として爛熟しつつあったマンガ文化に打撃を与えた。
これによってオタクたちはDNAレベルで、「(残酷だったり過激だったりする)マンガを『わるいもの』として非難するのは保守派のファシストのおばさんたち」という了解が植え付けられたのだ。
なぜ戦争を二十年で忘れることのできた民族が六十年前の、教科書にも載っていない出来事を記憶しているのかといえば、それは語り部が優秀だったからだ。
悪書追放のやり玉にあがった漫画家たちはのちに大御所となって「漫画文化の立役者」として官民両方から賞賛される身分を獲得しても、悲惨な迫害を忘れなかった。
彼らはそのときの体験をエッセイ漫画にしたり、ことあるごとにマンガのネタに織り込んだ。
そういうものを読んだ後進の世代は「今は平和にマンガを享受できている国なのに、過去にはこんな悲惨なできごとがあったんだ!」とショックを受け、苦難の記憶を継承し、そのうち漫画家となった人々は「マンガや表現を悪と呼ぶわからずやな大人」たちを戯画化して描き続けた。先人たちを見舞った悲劇を繰り返してはならない。そう彼らは叫び続けた。
悪書追放運動の記憶の継承は、歴史上のあらゆるトラウマ継承運動のなかでも最も成功した部類に入る。それはオタクが長らく被差別民だった(と少なくとも自分たちでは認識していた)せいもあるだろう。
そういうわけで、マンガの守護者たちの末裔たちは今でも各所に見ることができる。ちょっと前にもあったよね。ほら、『マンホール』描いた人の……なんだっけ、なんとか都市ってやつ。
さて、戦争から七十年も経てば、各国家における仮想敵も大きく変わるものだ。アメリカがWWIIでは影の薄かった中東を主戦場とするようになって久しいし、そのアメリカとかつて世界を二分したソ連は国ごと崩壊してしまった。
だがオタクたちはずっと敵は「既存の道徳にしばりつけられた保守的で道徳的なガミガミおばさん」のままだと思い込んでいる。自分たちの敵はヒトラーであると叫び続けている。
「反表現規制」の旗のもとに団結しているオタクたちに比べて、そもそも男性と男性社会そのものを憎悪してやまないミサンドリストからオタクとの対話を求める層までほとんど分裂状態の様相を呈していて、
そうなったときにクローズアップされがちなのはラディカルな発言だ。
しかしオタク側が言い募るように彼女たちは「こどもたちを歪ませる」表現を憎んでいるのではない。
日本にかぎった話でもないかもしれないが、マスメディアやサブカルチャーにおける性的(エロという意味に限定されない)表現や言説は男性中心的な傾向が強い。
ふた昔前はテレビで女性がおっぱいをエロティックに晒すなんてのはゴールデンタイムにすらみかけられたし、
そこまで過激なものでなくとも、女性に対するセクハラめいた言動が「ジョーク」として受容される環境があった。
それはジャンプなどの漫画メディアにあっても同様で、男性読者からは「問題ない」描写、ジョークとしてスルーされる描写であっても、そこに女性に対する男性的な欲望、ひいては暴力を読み取る多感な少女は数多い。
そういうものがある種の社会に対する不信となって根強く彼女たちの底に残る。
男は言う。いや、あの程度の表現で傷つくのはあまりにか弱すぎるだろう。自意識が過剰すぎるのでは? たんなる一過性のメンヘラでは?
少女たちはテレビやマンガを消費するには、あまりにもセンシティブすぎるのだろうか?
一面にはそれもあるかもしれない。しかし、傷つきやすすぎることとの何が問題なのか?
刃のついた表現が現実に存在し、それで傷つけられる肌が現実にある。
何も知らない無垢な肌が刃に触れたときに血が出るのだとして、たしかに近づいてきたのは肌のほうかもしれないが、刃の危険性も知らないものにあらかじめ避けておけばと非難するほうもどうかしている、根本的に事故を防ぐためには刃のほうを鈍らせておけばいいのでは? 自動車会社などはそうやって事故を軽減しようとつとめているだろう?
私たちは次の世代を「正しく」育てようとは思わない、ただ、不慮の事故から守りたいだけだ。
傷つきたくないこと。傷つきたくないこと。
そういう意味では、オタクが表現規制運動の歴史を語りつぐことと少し似ている。
フェミニストの場合はあまりに内部で混乱しすぎていて、個別の問題の何が問題であるのか、その問題をどう解決していくべきなのかで定義の統一がはかれていないことだ。
これは攻める側の弱さでもある。
守る方は現状を維持しさえすればよく、つまりは「表現規制反対」に各員の意志を集約させればよい。
だが、フェミニスト側は具体的に個別の問題のどこをどういった理由でどう修正していけばよいのかまでを提示しなければならず、これに関する意見を調整出来ない場合、もっとも極端な意見ーーすなわちオタクたちが最も恐れる「全面的な表現規制」が対立を煽る人々によってショーアップされてしまう。
そうなってしまえば、あとは殺し合うだけだ。
彼らはお互いに敵を「保守派」として捉えている。
オタクの眼に映るフェミニストは「道徳を重んじて表現を認めないファシストガミガミおばさん」
フェミニストの眼に映るオタクは「男性社会の無思慮な暴力を肯定しつづけるレイピストクソ野郎」
ここでは、もはや誰が敵か味方かもわからない。
もしかしたら、敵も味方もいないのかもしれない。
ヤリたい盛りの男女が毎日ヤるのは理解できる。肉体的にはともかく、精神的には健康だ。
ただ、毎日レイプしていたという話はさすがになかなか聞かないし、例のジャーナリストにしたって、普通に考えれば準備に数週間はかけているはず。同じ人間を毎日襲うなんてことも考えづらい。
そうすると、レイプは背徳感と満足度が異常に高くて、年に数回(?)できれば満足なのだろうか(そういう意味でも不健全だ)。
ちなみに、レイピストは常に傲慢。なぜなら、よくある議論によれば、衝動的なレイプは少ないし、計画を立てた上でしか実行できないからだ(少なくとも今の日本なら)。見た目は弱くても、中身は狡猾。なので、危険極まりない。