はてなキーワード: チンパンとは
"誹謗中傷する為に"行動している奴、
増田にもこの手の「初めから虚空に向かって激怒していて、何かを誹謗中傷したくてネタを探してる」奴が多いよな。個々人で内心の感じ方が違う点を見つけ出して間違っていると言い出して激昂するやつと併発する傾向が高いと思う。
対象が登場したら(もしくは存在するだけで)何をやっても必ず中傷する人から、対象が法的に違法レベルに達するまで口を開かない者までいる。
何をやっても必ず中傷する奴や、"誹謗中傷する為に"行動している奴、
こいつらはまず全員クソ。頭チンパン。幼稚園児に申し訳が立たないぐらいの存在。全員宇宙のごみとして瞬時に消えて頂きたい。
この場合、殆どの人は誹謗中傷される人は悪くないと感じるだろう。
もっと深層心理を掘れば具体性のある感情が出てくるかもしれないが、だいたい顕在化しない。
そしてなんとなく気に入らないだけだから、その主張に正当性は殆どないし、仲間の数が少ない。
ところが、こうしてみると「炎上した奴が悪い」という発想になってこないだろうか。
だって炎上したそれ相応の事をしているはずだからだ。批難もまた相応。
いわゆる正義マンが大量に飛んでくる。法に触れるレベルになってくるとその数は大きく膨れ上がる。
さらに法や契約のようななんらかの規律が正当性を担保してくれるから戦闘力が高まっていってしまうのだ。
「この人は確かに悪い事をしたかもしれないが(〇〇をする)のは間違っている」
()の中には都度「人格批判」「暴言」「リプライ」「特定」などが入るが、大体このようにいう人が出てくる。
これは道徳上は最も正しいと思う。しかし一方で現実的ではないと増田は考える。
何故かというとそんなに理性的な人間は多くないからだ。悪い奴を見たら叩きたくなる奴が世の中にはとてもとても大勢いるのだ。
そこで踏みとどまれる人間ばかりだったら、そもそもこの世界に誹謗中傷なんてものは存在しないはずなのだ。
ではどうしたらいいかというと、誹謗中傷されても気にしないメンタルを持つのが一番良い。
A-1:台本だったとして、本件の責任の全てが脚本家にあるのか
A-2:出演男性に非はないのか
B:木村花氏のテラスハウスでの行動は犯罪(暴行・恫喝)の範囲であるか
C-2:1人による多重投稿ではなかったのか
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
チンパンジーを基準にした場合、チンパンエフは大体レモン4個分。
チンパンビーが一般的なハテナ民とされ、100gあたりカルシウムが50mg含まれている。
チンパンエムは、ここ匿名ダイアリーの利用者がおおよその標準とされ、コレステロールゼロ。
そして、私はチンパンエー。
いい質問だ。
昔、胡椒というものを唐辛子と言っていた名残で、柚子胡椒と呼ばれているだけだ。
それに則るなら「胡椒スプレー」とするべきだが、原材料的な話をするならば「唐辛子スプレー」とするべきだろう。
キミが悩むのも無理はない。
そのスプレーが“何のためにあるか”だ。
つまり、柚子胡椒スプレーは柑橘系の刺激をウリにしているため、「柑橘スプレー」として扱うべきだな。
ちなみに経験上、唐辛子スプレーを調味料として使うのはオススメしない。
立憲民主党については本当にヤバイ集団だと考えているので、このエントリーに書き残しておく。
なぜ匿名かというと、彼らが職場や自宅、あるいは俺のSNS上のアカウントに実害のある攻撃を仕掛けてくるのではないかと恐怖しているから。
もともと現在進行系の政治にあまり興味はなかった。首相が変わっても選挙があっても「ふーん」程度の感想しか持たなかったが、
高校時代の政治経済の科目は大好きで、資料集をよく読んでいた。
現在につながる政治の事象として印象深く覚えている最初の出来事は、チンパンと蔑称で呼ばれていた福田首相の退任。
「あなたとは違うんです。」という発言が大きく報道されたときには、馬鹿な政治家だと思った。
その後、当時の民主党が政権を奪取する。このとき、高校の数学教師だった親父が「かなりまずいことになりそうな予感がする」といっていたのをよく覚えている。
そしてその後、事業仕分けのテレビ・ショーが放映されその予感は現実となる。
当時、国立大学の工学部の学生になっていた俺はスパコンを使った研究に従事していた俺は、言いようのない怖気に襲われた。
俺の研究はスパコンがなければ成り立たない。計算速度が早ければ、それだけ試行回数を増やすことができ、他に先駆けて結果を出せるのだ。
それを「二位じゃだめなんですか」とあたかもエンジニアが名誉を追い求め、実利に結びつかないもとを作って遊んでいると言いたげな物言いに嫌悪感を覚えた。
そんなエンジニアをバカにした政策を進めているときに発覚したのが蓮舫のマジコン事件だった。
このとき、「ああ、この人達は完全に馬鹿だし、エンジニアを馬鹿にしているんだな」と思った。
というわけで、そのころから民主党政権は嫌いだった。鳩山政権については特に言うこともないだろう。
それでも、政権が仕事をしているんだなと思った事が一度だけある。あの、俺の友人を飲み込んでいった忌まわしい東北大震災だ。
あのとき、政府は慣れないなりに必死に対処をしていた。「枝野寝ろ」のタグをつけた140字の投稿を、当時すでにツイ廃であった俺も書き込んだ。
それも、あとで菅直人の危機管理のときにやるべき権限委譲をやらず、素人同然の浅知恵で指揮をしようとしたという事実を知って無の表情をするしかなくなったが。
本題。なぜアイツラがやばいか。
ひとえに"おしどりマコ"と"横川圭希",その周辺の集団を支持しているから。
おしどりマコのことは伝聞の形でデマを撒いていることを知っていて、昨年東京で演説をしているときに支持者に話を聞いた。
「これは科学的根拠はあるのか?」と。
すると、支持者がみるみるうちに集まってきて俺を囲んで罵声を浴びせ始めた。殴られるかと思った。あと勝手に人を菊池マコの信者に決めつけた。
俺は演説をやっていると詳しい話を聞く癖があり、主張に納得し、支持することもあれば、わかり会えないこともあるが、
これを書くのも怖くて仕方がない。彼らの一人は俺の顔を撮影しており、執拗に名前と身分を聞き出そうとしていたから。
もし俺が教えていたら、ネットに顔を晒し、職場に抗議をするくらいは平気でやるだろうと思う。
こいつらはかつて幅を利かせていた暴力的左翼と何も変わっていない。そう確信した。
万が一、彼らが政権を再び握るようなことがあれば、もっととんでもないことを平気でやるだろう。
自民党政権はベストではない。よくやっている分野もあるが、経済政策も教育政策も、統計や年金の問題も大いにあるし文句は言いたい。
だが、人を囲んで罵声を浴びせる奴らよりははるかにマシなはずだ。
そう思って、ささやかだが「立憲民主党だけはやめろ」と周囲に伝え続けている。
・あいつらは
・やめろ
俺はエスパーなのでなんでもお見通しだが、おまえの落ち度は「ボイチャを利用しない(情報共有をしない)」事。
チームで戦うことにとって、下手、うまいなんてほぼ関係ない(よほどプロ目指してるとかじゃないかぎり)。
チーム型のゲームで一番重要なのは各々がどういう状況かを迅速に伝えられること。
おまえが下手でも、うまいやつがその情報を聞いてカバーしてくれれば、何も出来ず死ぬ野良より100万倍マシ。
勝手にシューター系のゲームだと予測するが、「(武器の種類)にやられた!」とか「裏取られてる!」とかそういうデス状況は味方の生存につながるわけだ。
それが出来ないのなら「野良」と変わらないから、まぁ地雷が入ってくるよりかはマシかの判断で誘われることはあるかもな。
でも、誘われていないんだろ?
多分おまえのボイチャの使い方が間違っている。
死んだ時にクッソ役にも立たない事をくっちゃべってグループの音状況を遮ったり、くだらんジョークを味方が交戦中にしていると予測される。
そういう奴はボイチャにいてもらわないほうがマシ。野良の方がマシ。
お前みたいなやつは正直めっちゃいる。
「ワイワイ楽しみたい」とか「騒ぎたい」とか「エンジョイ勢」だとかいうんだ。
でも、お前のその「エンジョイ」は誰かの「エンジョイ」を潰している。
だからお前は「エンジョイ勢」ではない。基本的にお前みたいなやつらを「チンパン」と呼んでるんだ。
よく、ガチ勢とエンジョイ勢は解りあえないというが、そういう事を言いたいんじゃない。
おまえの「騒ぎたい」「ワイワイしたい」という「エンジョイ」が
ボイチャの奴らにとって「ストレス」になってる。
ガチ恋勢はファンですらない───とまでいってしまうのは厳しすぎるしアイドルでも芸能人でもお水のお姉さんでも何でもいいけど、応援活動を続けているうちに"本物"の恋愛感情に至ってしまうことってあると思うしそれは生理的な現象だ。
私見だがファンを定義するなら応援活動をしている人のこと。さらに補足すると外に開いた応援活動をしている人のことだと思ってる。「ファン」とは言葉の意味では「好きだ」という意識だけでも成立するみたいだけど、例えばお金を落とすだとか素晴らしさを発信するとか外に開いた応援でなければ推しに対して意味がないというか還元されないと思う。在宅や自己満足で完結していることが悪とは言わないが、推しの活躍や幸せを望むのならどれだけ間接的にせよ何らかの形で世界に対して発信していくべきだ。いつまでもいると思うな親と推し。好きを発信してけ。
だけど───ガチ恋イキリだけはするんじゃねえ。
そもそも芸能人など特別なカテゴリ内にいる人とそれを囲む人たちの接点はその人の"活動"を通してでしか得られないものだ。"仕事"といった方が分かりやすいかもしれないがそれは絶望的な言葉の響きだな。
例えばSNS上や接近イベント等においてそういう距離感を超えた領域でのやり取りや、私信を与えられてしまったと勘違いしてしまった時にこそガチ恋に"至って"しまうのだと思うけど、それはどうしようもなく"活動"の一環に過ぎない、システムの一環に過ぎない。推しが一ファンに対して"本物"の愛を与えてくれたとしてもそれはファンとしてのあなたに対するものなので、それを享受する限りあなたはファンの領域から脱することは出来ない。
芸能人がファンに対して私人としてのやりとりをすることは前提としてあり得ないにも関わらず、個人的な私信に躍起になってしまったファンの応援活動は破綻していく。ガチ恋が行き着くのは推しが売れること・人気者になることよりも自分だけのものになることに固執することに他ならない。自己顕示欲に溺れていく君は推しにとってどんな存在だ?
ガチ恋自体が駄目なわけじゃないしそれは生理現象だと冒頭で書いた。要は周りの人や本人にまで届く勢いでガチ恋をイキることが醜悪な自己陶酔であり呪詛なのだ。もっと対象を広めて言うと、コンテンツ等に対して自分の好き度合いや知識量・愛の重さでマウントをとりたがる奴らはもれなくガチ恋同様の危うさを兼ね備えているよ。
ガチ恋をそっと胸の内に秘めさせたり身内でちょっとふざけてイキるくらいは人生の彩りになると思うけど、その重さを本人や周りの人間に押し付けイキり散らすようになったらそれはもう呪いだ。相手の気持ちより自己の気持ちを優先する自己陶酔だ。推しが羽ばたいていくことより重さで縛り付けることを選ぶのか。冒頭で述べた応援活動とは対極的な内に閉じていく活動だ。
ガチ恋を豪語しイキっているお前が好きなのは例えば"アイドル"であってもその人そのもではない。アイドルを愛したつもりになっているのかもしれないがその人自身を愛する以前にその人そのものを目にする機会すら存在しないのだ。そういう奴こそ推しの全てが好き、全てを受け入れられるとか抜かすのだろけどそんなものは人間の営みではない。神か??いやいやいやいやまてまてまてまて控えめに言ってウンコだ、聖母マリアの乳でもしゃぶってろ。まず人間になるところからはじめよう。猿は人間になり文明を発展させてからはじめて偶像を崇拝するのだ。
ガチ恋オタクが他界する時の呪詛の言葉は「裏切られた、理想と違った」だ。
理想と違う所があった?当たり前だそれが人間だ、それが人生だ、お前が好きだったのは理想の偶像でしかなくはじめから人間など見てはいなかった、理想を抱いて溺死しろ。
そんなガチ恋呪詛イキりのオタクが日々生まれタタリ神に落ちる現実が恐い。黙れ小僧、お前に人を愛せるか。人を愛せないお前が主人公になれるわけないだろ。「もののけ姫」でいう遠くから石を投げてるだけの猩々(チンパンみたいなヤツ)ポジションだ。ファンなら慎ましく推しを輝かせ、導け。俺たちはこだまだ。サンがどれだけ魅力的で可愛くても俺たちはアシタカにはなれない。自分が100分の1、10000000万分の1の存在であることを認めろ。スクリーン越しの映像から自分の手元に視線を戻さない限り自分の物語ははじまらねぇぞ。将棋指してる場合じゃねえ。
推しが結婚した時はファン一同でおめでとうを伝えればいいと思う、そしてそっと泣くべきなんだ。個人名義では出したくないな、その重さは呪いになる。
ミュージカル好きな母や友人、ツイッターに思いの丈を吐き出してもまだ足りない。一月前くらいからずっと抱えていた怒りやモヤモヤ。
推しの写真を見ても癒されず、むしろ雑誌のインタビューを読むたびに虚無感が増す。
あまりにも虚無だった。
まだしばらく虚無を引きずってしまう自分が見える。よってこんなところに吐き出しています。
暫く前に2.5の舞台界隈で虚無リンピックというものが流行っていた。
わたしは幸運なことに、舞台を見たことを後悔するほどの虚無にぶつかったことはなかった。
いや正確には一度あったが、すっかり忘れていたそれまで思い出されてしまうほどの衝撃だった。
先日、ミュージカル ロミオ&ジュリエットが個人的虚無リンピックの堂々たる一位に君臨した。
他のミュージカル音楽を垂れ流して聴かないと癒されないほどの虚無である。とにかく虚無だった。
演者さんは悪くない。歌も別に悪くない。というかむしろ良かったんではないかと思う。エメ大好き。
演出がとにかくクソだった。
わたしは演出の小池修一郎先生のことを凄い人だと陰ながら尊敬していたし、本当にすごいひとだし(なんせ第一線で活躍し続けている演出家である)しかしこのたった一公演でその印象が逆転するほどのクソさだった。
わたしは、これからミュージカルを観に行こう、チケットを買おう、という方々に、このロミオ&ジュリエットは絶対にお勧めしない。これがミュージカルだと思われたら困る。もっと素晴らしいミュージカルは山ほどある。なんならあの空耳ミュージカルテニスの王子様の方がずっと面白い。
そしてシェイクスピアに謝罪したくなってしまった。2019年の日本にこのようなミュージカルがあることを。ホント、ごめんシェイクスピア。
ミュージカル ロミオ&ジュリエット を知っていますか。今年は東京から三都市を巡り公演し、先日千秋楽を迎えたミュージカルです。
様々な国で上演されており、日本では今回のミュージカルの他に宝塚でも公演していました。宝塚のもののほうが有名だと思います。
そして多分、今回のものでなければ演出はかなり普通だと思う。多分。
ですがもし、この前そのミュージカルを見て感動した!という方は下の文を読まないで下さい。読んだらだめです。批判しかしていません。気分を害すだけです。道端のウンコに好き好んで足を突っ込むようなものです。
前書き、経緯を説明しますと、わたしはシェイクスピアに興味があるわけではありません。シェイクスピアと友達なわけでもない。
ロミオ&ジュリエットを観に行ったのは、推しの俳優が出ていたからです。
小池先生の演出だし、あまりにも有名な作品だし、履修しておくか、という軽い気持ちだった。
歌は城田優が俺たちが王になる〜みたいな曲をどっかの番組で歌っていたのを聞いたことがあるかな、ぐらいの印象。
原作を読んだことがないのは失礼かと思い観劇前、本屋にロミオとジュリエットの日本語訳を買いに行った。読んだ。結果は撃沈だった。
原文がどうなってるのか知らないが、難解だ難解だと聞くので原文も難しいんだろう。日本語訳も下手くそなのか、その辺はわからないのだがたった数十ページ読んだだけで読み進める気はなくなってしまった。シェイクスピアさんごめんなさい。わたしには無理でした。
ただ、ロミオとジュリエットの内容はよく高校の演劇でもやっているくらいとても有名だし、Wikipediaに載っている内容を改めて見ても理解の難しいものではない。
だから言い回しの問題さえ解決できれば、みんなシェイクスピアに興味が持てると思うし、読みやすくなると思う。
自分のことを棚に上げてなんだけど、もっと誰か理解しやすくしてくれないだろうかとミュージカルに行く前にひっそり思っていた。
歌舞伎だって言い回しが小難しくて投げてしまったのだが、現代語訳されたものはとても面白くて楽しめたのと一緒で。
だからロミジュリの歌唱披露をYoutubeで見たときに、不安を感じつつも期待があった。演者たちはジーンズを履いていて、ジュリエットも可愛い感じのドレスを着ている。若者向けっぽかった。内容をわかりやすくしてくれてるんだろうなと思ってしまった。
あとミュージカルロミジュリは今まで何公演も重ねてきたミュージカルで、支持する人が多くいたようなのでそういう意味でも安心していた。
はじまると、ダンサーたちのダンスと衣装と髪色に度肝を抜かれてしまった。緑、青、グレー、赤。
モンタギュー家の旗とキャピュレット家の旗を鉄格子の上で振り回す若者。いかにも安そうな、場末のバンドマンが持っていそうなロゴ入りの旗である。
え、安いテリトリー争い?なんだこれ。
どう見てもみんなパリピみたいな、ストリート系の格好をしている。めっちゃかっこいいダンスで抗争してる。
これ両家の深い確執と恋の話じゃなかったっけ?わたしHiGH&LOW見てるもしかして?縄張り争いするヤンキーたちの話?懐かしの魔法のiらんどの実写?映画館きた?
衣装のデザイナーさんとセンスが、破滅的なほどセンスが合わない。これなに?ほんとにシェイクスピア???
べつにテニスウェアを着てようが貴族のカツラ被ってようがどちらもミュージカルなので格好はぶっちゃけどうでもいいのだが、これは原作シェイクスピアである。何度も言う。
ティボルトが颯爽と出てきて歌い出す、モンタギュー家の若者と喧嘩をしている、しかし彼らがしているのは地方のヤンキーの領土争いにしか見えない。あるはずのない改造バイクの幻影までもが見えそうだ。
しょっぱなからこんな演出で、キャピュレット夫人やモンタギュー夫人が、争いは不毛で我々は生まれた時からあの家への敵意を植え付けられ教育されるの〜もうやめて〜と歌っても、たとえ歌がうまかろうが虚無である。演出が安いからだ。悲壮感ゼロ。確執とは。
この確執が安くなると、なんでロミオとジュリエットが結婚できないのか、そこらへんの理由づけたる物語の根幹がぺらっっぺらのコピー用紙のような薄さになってしまう。つまり全部が虚無と化す。
いなくなったロミオを森に探しに行くシーンがあるのだが、ここで携帯電話初出である。え、シェイクスピアの登場人物がスマホ持ってるんですけど。
ロミオいないから探して、送信!っと!とマーキューシオ?が言うのだが、そこでもええ‥と虚無に陥った。
ツイッターかラインのグループか知らないが、ここは一体どこの時代設定なんですか。ロミオ探しってインスタのハッシュタグだったりしてね。あとからモンタギューのポラロイド写真も出てきたし。
#ロミオをさがして #大切な仲間 とかつけてたら想像だけで虚無。わたしの心が死んだ。泣きたい。でもそんくらい時代設定がグズグズだった。
その後ロミオが、俺のために生まれてきた女の子を探しているんだ‥と夢見がちなことを言うのだが、携帯電話を持ち合わせているのだから何も街の女の子から運命を探さず出会い系サイトでも登録して女漁りをすればいいのである。どこにでもナンパにいきたまえよ。なんでそこだけ昭和なの。
ちなみに一番最初に出てきたジュリエットも、ドレスにスカジャンを着ていました。スカジャン。
これ魔法のiらんどで履修した内容に沿って解説しますと、彼女は敵対してるヤンキーグループのリーダーの美少女妹ですね。
ティボルトはずっとジュリエットのことが好きだったと歌うのだが、不憫萌えのジャンルを開拓しにきているので魔法のiらんどの履修内容だとSSが一本書けるタイプの登場人物です。
そのあともヤンキーたちの集団がお前どっかのロッカーかよ、と言ったり、走れメロスかよ〜と突っ込んだり、些細なセリフでここはどこの国でしたっけ?これ、どこの時代でしたっけ?と虚無に陥る。
現代っぽくわかりやすくしてくれるのはいいんだけど、全てに一貫性を持たせないと全体の印象がぐちゃぐちゃになる。やりたいことがわからない。
そのくせロミオとジュリエットが出会うのはやはり仮面舞踏会である。婚活パーティーで出会ったほうがよほどわかりやすいのに。
きらきらのネオンと安そうな膝丈ドレス。なんでこの衣装とセットにしたんだ。やっぱ婚活パーティーだろここ。
こんな頭の悪そうな、品性のかけらもなさそうな坊やたちの仮面舞踏会。虚無。
チェーンメールを回してみたり、ロミオとジュリエットの結婚の噂も携帯から回ったり。挙げ句の果てにはロミオがジュリエットに君の番号教えて?と聞く。
この2人の場合は両一目惚れなので当てはまらないかもしれないが、一目惚れした〜かわいい〜きみの番号教えて、と迫る謎のナンパ師は今でも池袋に存在する。
目眩。まじで。
ジュリエットには時間がないとはいえ、わたしが彼女の乳母ならそんなバカそうな男は絶対にダメだと忠告している。家柄とかじゃない。バカだからだ。
こんな感じで、登場人物の知能指数が全体的に低すぎる。賢い人間が存在しない。
こんなやつらから世界が展開しているのだから、いがみ合って殺されようが感動なんてゼロだ。地方のヤンキーの抗争に世間の目が冷たいのと同じである。
お前らが馬鹿だからベンヴォーリオもティボルトもロミオもジュリエットも死にます。
おお神よ〜運命よ〜ってわかるじゃん。お前らがバカだからじゃん。
司教お前もだよ。大事なことはちゃんと電話しろってママに教わらなかったの。
ジュリエットが仮死状態になることロミオにメールしとくね〜迎えきてねって!あれ返事ないなぁ〜!ロミオ〜?じゃねえんだよ馬鹿愚か。電話しろ早く。
街を追放された時に既存の連絡先全部消してたらあんな衝撃的な顔をしないので、人を1人殺してもロミオは今までの交友関係を携帯電話に残して大事にするつもりだったということである。いつか街戻る気満々じゃねえか。携帯処分させなかった大公やっぱり処分甘すぎるんとちゃいますか?!
ツッコミが追いつかない
死体の前で泣いてないで全員並べ。泣きたいのはわたしのほうだよ。
推しの知能指数も30になっているので見ていて虚無である。推しがバカになっている。
どうして。
ロミオ&ジュリエットの演出がクソだからです。こんな内容でDVDとか、推しが出ていても買いたくない。
多分、あの携帯電話がないだけで随分マシになる。
もしくはもうロミジュリって名前をつけないでほしい。懐かしの魔法のiらんどのミュージカルですって言われたら何も文句はない。そのわりには歌もダンスも上手いですけど。
ロミジュリの言い回し簡単にしてほしいって思ってたよ、思ってました!だけどここまで中学生向けにしろって、誰が求めてたわけ。
わたしはシェイクスピアと友達じゃない、ろくに読んだことすらない。でもシェイクスピアが可哀想。こんなに安くされて。シェイクスピアの叩き売りかよ。
学芸会じゃないんだからもっとちゃんとシェイクスピアにしてほしい。これじゃ登場人物みんなチンパン。
ファッキンクソ。2.5でも原作をここまで蔑ろにしているのではと思ってしまう作品に出会ったことはない。モーツァルト!やマリーアントワネットだって、過去の実在の人物へのリスペクトあってこそのミュージカルなのである。
シェイクスピアの原作はもっとマトモであり感動できるはず、でなければここまで名作扱いされていないと思うので、シェイクスピアの原作を理解しようとこれからきちんとつとめようと思います。とにかくこれを吐き出したかった
ただそれだけです