2019-05-20

ガチ恋言葉呪詛自己陶酔が楽しくてもそれはファン活動ですら

ガチ恋勢はファンですらない───とまでいってしまうのは厳しすぎるしアイドルでも芸能人でもお水のお姉さんでも何でもいいけど、応援活動を続けているうちに"本物"の恋愛感情に至ってしまうことってあると思うしそれは生理的現象だ。

私見だがファン定義するなら応援活動をしている人のこと。さらに補足すると外に開いた応援活動をしている人のことだと思ってる。「ファン」とは言葉意味では「好きだ」という意識だけでも成立するみたいだけど、例えばお金を落とすだとか素晴らしさを発信するとか外に開いた応援でなければ推しに対して意味がないというか還元されないと思う。在宅や自己満足で完結していることが悪とは言わないが、推し活躍幸せを望むのならどれだけ間接的にせよ何らかの形で世界に対して発信していくべきだ。いつまでもいると思うな親と推し。好きを発信してけ。

だけど───ガチ恋イキリだけはするんじゃねえ。

そもそも芸能人など特別カテゴリ内にいる人とそれを囲む人たちの接点はその人の"活動"を通してでしか得られないものだ。"仕事"といった方が分かりやすいかもしれないがそれは絶望的な言葉の響きだな。

例えばSNS上や接近イベント等においてそういう距離感を超えた領域でのやり取りや、私信を与えられてしまったと勘違いしてしまった時にこそガチ恋に"至って"しまうのだと思うけど、それはどうしようもなく"活動"の一環に過ぎない、システムの一環に過ぎない。推しが一ファンに対して"本物"の愛を与えてくれたとしてもそれはファンとしてのあなたに対するものなので、それを享受する限りあなたファン領域から脱することは出来ない。

芸能人ファンに対して私人としてのやりとりをすることは前提としてあり得ないにも関わらず、個人的私信に躍起になってしまったファン応援活動破綻していく。ガチ恋が行き着くのは推しが売れること・人気者になることよりも自分だけのものになることに固執することに他ならない。自己顕示欲に溺れていく君は推しにとってどんな存在だ?

ガチ恋自体が駄目なわけじゃないしそれは生理現象だと冒頭で書いた。要は周りの人や本人にまで届く勢いでガチ恋をイキることが醜悪自己陶酔であり呪詛なのだもっと対象を広めて言うと、コンテンツ等に対して自分の好き度合いや知識量・愛の重さでマウントをとりたがる奴らはもれなくガチ恋同様の危うさを兼ね備えているよ。

ガチ恋をそっと胸の内に秘めさせたり身内でちょっとふざけてイキるくらいは人生の彩りになると思うけど、その重さを本人や周りの人間押し付けイキり散らすようになったらそれはもう呪いだ。相手気持ちより自己気持ちを優先する自己陶酔だ。推しが羽ばたいていくことより重さで縛り付けることを選ぶのか。冒頭で述べた応援活動とは対極的な内に閉じていく活動だ。

ガチ恋豪語しイキっているお前が好きなのは例えば"アイドル"であってもその人そのもではない。アイドルを愛したつもりになっているのかもしれないがその人自身を愛する以前にその人そのものを目にする機会すら存在しないのだ。そういう奴こそ推しの全てが好き、全てを受け入れられるとか抜かすのだろけどそんなもの人間の営みではない。神か??いやいやいやいやまてまてまてまて控えめに言ってウンコだ、聖母マリアの乳でもしゃぶってろ。まず人間になるところからはじめよう。猿は人間になり文明を発展させてからはじめて偶像を崇拝するのだ。

ガチ恋オタク他界する時の呪詛言葉は「裏切られた、理想と違った」だ。

理想と違う所があった?当たり前だそれが人間だ、それが人生だ、お前が好きだったのは理想偶像しかなくはじめから人間など見てはいなかった、理想を抱いて溺死しろ

そんなガチ恋呪詛イキりのオタクが日々生まれタタリ神に落ちる現実が恐い。黙れ小僧、お前に人を愛せるか。人を愛せないお前が主人公になれるわけないだろ。「もののけ姫」でいう遠くから石を投げてるだけの猩々(チンパンみたいなヤツ)ポジションだ。ファンなら慎ましく推しを輝かせ、導け。俺たちはこだまだ。サンがどれだけ魅力的で可愛くても俺たちはアシタカにはなれない。自分が100分の1、10000000万分の1の存在であることを認めろ。スクリーン越しの映像から自分の手元に視線を戻さない限り自分物語ははじまらねぇぞ。将棋指してる場合じゃねえ。

推し結婚した時はファン一同でおめでとうを伝えればいいと思う、そしてそっと泣くべきなんだ。個人名義では出したくないな、その重さは呪いになる。

  • ガチ恋ってよく言うけど、 そういう人ってお金払ってることは都合よく忘れちゃうのか

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