はてなキーワード: キレイとは
7年前に買った折りたたみ自転車をリサイクルセンターに持込み、廃棄してきました。
通勤通学からゲームが高じて行っていた遠征にまで使っていたのですが、引越しを気に車生活となりだいぶ長い間乗らなくなっていました。子供が生まれるため来月に引越しをしなければならず、長年クローゼットの奥に住んでいた自転車を泣く泣く処分したのです。
思えばこの自転車を買ったのは、当時自分が大ハマリしていたゲームがキッカケでした。そのゲームの集まりやイベントに行くためにはどうしても小回りのきく自転車が最有力候補であり、狭い家で無理なく使いこなせるように少々高くともいい折りたたみ自転車にしたのです。もちろん防犯登録もしたし各種整備も怠りませんでした。あるときは輪行して東京のイベントにでかけ、渋谷の急坂をひたすら駆け回っていたのはいい思い出です。自転車というのは不思議なものでこれがあれば本当にどこにでも行ける気がします。車や電車にはない変わった魅力が存在し、速さや順位ではなくただ好きなところに好きなように気軽に行けるアイテムとして自転車はとてもいいものです。
楽しい思い出はいつもこの自転車が一緒に居てくれたから作れたのかもしれません。
よく、チャリを買うとチャリが増えるといいます。事実、折りたたみから始まったのに次第にミニベロやロードにまで広がっていきました。この頃から折りたたみの出番は急速になくなっていきます。
ただ、折りたたみ自転車に乗らなくなったのは他の自転車が増えたせいと言うよりも、環境の変化が大きかったです。当時ハマっていたゲームも次第に縁遠くなり、転職を機に田舎に引越したことで自転車に乗る生活が非効率になり始めました。駐輪場に放置なぞできないため常に室内保管であり、そうすると玄関まで注意深く持っていき乗ったあともきちんと整備して戻すという作業が非常に面倒になるのです。車がなければそこまでじゃないかもですが、玄関を出れば数秒で乗れる自動車があるならば自転車の出番は極端に減ります。もともとスポーティなこともって買い物にもやや不便であるため、自転車の利点である気軽さが損なわれてしまいました。
自転車を手放すにあたって一番厄介なのが防犯登録。これを抹消しないとオークション等にも出せない。だけど登録したところとは違う他県に引越した上に販売証明書もないので厄介です。知人に譲ることもできるけど周囲に自転車を乗り回す人はあまりおらず、自転車好きな人はやや離れたところに住んでいるので結構厳しい。単に自転車屋に持ち込んでもいいのですが、処分費を取られるくらいならとリサイクルセンターに持ち込んでの処分となりました。
7年前とはいえ状態はそれほど悪くなく、室内保管だったので基本的にはキレイです。5年くらい前の自分だったら間違いなくキレイにピカピカにした上で他人に譲渡したり家族に乗ってもらえるようにしたでしょう。でも人に譲るとなるとこの自転車への思い出がどんどん蘇って手放すのが辛くなると思い、思い切って廃棄しました。全体の汚れをとってチェーンやディレーラーを掃除すれば全く問題なく乗れるいい自転車でしたが仕方ないです。
実は1ヶ月前に親族が亡くなったのですが、その時と同じかそれ以上につらい気持ちです。その時はどうして葬式のような面倒くさい行事があるのか不思議でしたが、自分の自転車を処分したことでわかった気がします。大事なものをなくしたという事実を受け止めるのは儀式めいた大げさなものが必要なものかもしれません。
葬式とは、忘れることと忘れないことを同時に内包した儀式なのかもしれませんね。
まだ我が家には2台の自転車が鎮座しています。これらも子供の成長に合わせて処分する可能性が高いです。その時はきちんと自分の気持ちを整理して誰にも迷惑かけずにお別れをしないといけません。
でもそれまでにこの自転車たちで色んな所に行きたいな。
中学生の時はリ○ーンや銀○や○.Gray-manなんかを通り後に、女性向けジャンルにハマって「○○くんは旦那さん☆」なんて言って10代20代は順当に黒歴史を積み上げて生きてきた人間です。
30を少し過ぎた今、オタクであることが恥ずかしくて仕方がないと痛感したもで書き捨てていきます。
前述のような痛いオタクで青春時代を過ごした私は、学生時代の友人も同じような趣味の人間に偏っていました。
2人に共有しているのは、極度に他者とのコミュニケーションが苦手なこと。
例えば友人とファミレスに行くと、オーダーの時2人とも小声で自分の食べたいものを私に向かって言い、私が同じことを店員に伝える。
『オー!マイキー』に登場するボブ先生とボブママの状態と言えばわかる人がいるだろうか。
オタク同士で趣味の話をする時はやたらデカい声で騒ぐのに、それ以外の人間とのコミュニケーションが全く取れない。
私は昔から我が強く比較的外交的なタイプであった故か、友人たちと外界との窓口になってきた。
お互い大人になってたまに集まると、未だに相変わらずオーダーは私に向かって小声。
店員はA子やB子に向かって紅茶はホットかアイスか尋ねているのに、2人とも私を見て小声で「アイス」なんてって言ってくる。
どんなお店でもこの状態で毎回店員さんはやりとりをしづらそうにしている。
でも自分の好きなジャンルの話は周りもドン引きのテンションで話す。
私はそのジャンル全く興味ないって何度も言ってるのに布教と称して一方的に語られるのも辛かった。
趣味で盛り上がるのも学生時代は楽しかったけど、今では冷めた感情を抱くしかなかった。
Pちゃん自体はオタクではないが、私を含めてA子とBことも接点があったため招待してくれていた。
席に着くなり2人のカバンから出てくるわ出てくるわ俗に言う『もち』『まんじゅう』『アクスタ』の数々。
彼女たちは自分の推しを、テーブルに綺麗に並べてスマホで撮影。
そのスマホもキャラクターがデカデカとプリントされてたり、どう見ても本人に似つかわしくないデザインなのでキャラクターモチーフ系と思われる物。
挙句Pちゃんと友人みんなで写真を撮る時も彼女たちの推しも一生。
テーブルにグッズを並べ始めた時点で流石に見かねて「そういうことは他人の結婚式という場でやるものではないよ。」といった旨を彼女らに伝えたが、「えーでも〇〇くんたちもお祝いしたいって言ってるからぁ〜...フフフッ!」と言った返答で諦めた。
後に確認して彼女のSNSには写真と共に『(推しカプ名)が結婚しました/////』と投稿されていた。
A子が行きたいと言い出して誘われた格式高めのホテルのアフタヌーンティーでもずっと男言葉全開で自分の好きなBLの推しカプの話をされた時も嫌だった。
どんなシチュエーションでも自分がどう思われるか全く気にせず趣味を主張し続けることが何かのステータスなんだろうか。
③ ファッション
遊びに行くときのB子格好が、タボダボの無地のネイビーシャツ・パツパツのデニム・ダボダボのグレーのロングカーディガン・黒のショルダ・爪先のところがくしゅっとしてる茶色のバレエシューズ。そしてすっぴん。
目立つのが嫌だからと地味な色しか買わなかった結果、地味な色オールスター感謝祭が結構されてしまう。
本人は地味な色という統一感を感じて安心して家を出たかもしれないが、一般的には大事故だ。
新しいものを買っていないというわけではなく、毎回似たものを買い続けているせいで不変が生まれている。
A子の服装は『擬態』と称したファッションであるがサイズ感や着丈のバランスもめちゃくちゃ。配色も全身推しキャラの担当カラーを好きなCPイメージで固められている。そしてすっぴん。
一般的に『擬態』の定義は、オタクっぽくない非オタのキレイめ女性の雰囲気に近づくことを指していると考えていた。
つまり「えっこんな綺麗なお姉さんがオタクなの〜!?」というノリを想像しているのだろう。
髪型や髪色、アウターや靴や靴下やカバンも含めて洋服のバランスやトレンド感、自分の体型にあったもののチョイス、それらとバランスの取れたメイクか。
パッと考えたけで『擬態』端的に言えばオシャレな人に見せる行為というのはものすごく大変である。
見様見真似で1日2日で簡単にどうにかできるものではないのだ。
そしてこれは男性オタクのダメファッションにも挙げられるが、自分の服のサイズがわかっていないのは共通している。
原因としては、MやLだと入らない気がしてXXLなどを毎回購入しているとのこと。しかし2人とも中肉中背である。
そしてメイクもよくわからないし、グッズ買い過ぎてお金に余裕がないからコスメを買おうとも思わないと。
自分はオシャレではないが、20代前半で自分がダサいことに気づき、遅れを取り戻すようにPC診断や骨格診断を行い3サイズや肩幅なども定期的に測って洋服のサイズを細かく見て必ず試着して購入、美容室にもこまめに通って特にコンプレックスがあった部分なので昔の自分がダサいと気付かず30を越えた場合の姿を見ているようで本当に許せない気持ちになっていた。
しかし学生時代や20代前半は許せていたいたことが年を重ねるにつれどんどん許せなくなり今に至る。
公共の場で汚い言葉使いやプギャーとか死語含めてオタク用語を交えて離さないで欲しい。
大人なんだからグッズ買いすぎてお金ないとかやめて自己管理して欲しい。
大人なんだから求められる身だしなみが歳とともに変わることに気づいて欲しい。
こんなことが20代の後半から積もっていき、30を超えてついに爆発した。
オタクであるというのは彼女たちと同類と世間的には見られるんだろうか。
昔は楽しかったのに、今はこんなにも恥ずかしい。
恥ずかしい。恥ずかしい。
気づいたらずっとクローゼットにしまったきりだった過去に買ったグッズの処分を始めていた。
山のようなゴミ服を見つめながら色々な思い出を振り返りこれを書いている。
ただそれだけの話。
怒ってんの〜?
怒ってんのかわいいね!
あら、怒ってんの⁈
そこに来るの、突然登場するの、で、遅くない?みたいな感じで登場するの(笑)。でそしたら、まあ、アンナ役のうみちゃんが、サッてこう手をつかんで、でもワナワナしてんの、バレてしまうんじゃないかって。それがなんかちょっと(笑)。あこの人バレない、バレないようにって焦ってるっていうのが。役としてはそれにかわいいって思っちゃいけないんだよ。でも、男役としてはなんか、あ、カーワイって(笑)。相当マニアックですけど。わかります?ドキドキ、しちゃうじゃん、あーゆー感じ。よかったよかったですハイ(笑)。
海:ついこの間もね、プロローグだっけあれ、稽古してて、で、月城さんが、真ん中で、あの、下級生を引き連れて歌われるシーンが、あるんですけど。稽古場でマイクもつけてないんですよ?なのに、声が響きすぎてて、それが、カッコよすぎて、なーんであんな声が響くんだろうっていうのを、ゆいに報告してました(笑)。
結:れいこさんってなんかお稽古場での、なんか、なんていうんですかいらっしゃる空気感というか
海:オーラがもう確立されてるんですね、稽古場の時点で。舞台見て、お客様もよくご存知だと思うんですけど、稽古場からそうなんです。
結:なのになんかお話しするとすごい気さくに、話してくださるギャップが、たまらないんですね(笑)
海:わかるー(笑)。すごいやわらかーくなって、ね、そこもときめきポイント。いっぱいありますね。
海:『THE LAST PARTY』っていって、その月城さんとさせてもらった、作品が、今までやった中でいちばん好きっていうのも、そうあるんだけれども、でもね、あの2人、幸せな瞬間舞台上で演じられてる幸せな瞬間ってほんと、前半だけというか。後ろから抱いてもらったりとかいう、瞬間が、たくさんあって。で、わたし稽古場でけっこう、緊張気味だったというか、だってあんなにおキレイな、お顔が、こんなところにあったら、緊張するんですよ!その時、なんか月城さんとにかくうん、わたしのなんか心のヴェールを開きたいっていうふうにすごい言ってくださってた時期でもあって、で、すごい、何かわたしの中のものを崩そうとしてくれてたのもあると思うんだけどすごいなんか、もっとこうしていいよああしていいよーとかって稽古場から、もっと、あの力抜いて、もたれかかっていいよとか、そういうちょっとしたことを、(笑)、これだけでもドキドキするでしょ。ゆだねていいよ!みたいなスタンスで、いてくださってたことにすごいときめいてて、稽古場から。
結:あのダルレークの恋、
海:はぃ(笑)
結:ちょっとすごくときめき多かったと思うんですけど、ど、どう(笑)
海:常に、ときめきっぱなしの抑えっぱなしだったんですけど(笑)。ダルレークの恋といえばあの場面っていうあの、こうクルクル、あれー、それこそあれーの場面が、あって、あの布さばきけっこう、むずかしい、扱いがむずかしかったのと、わたしがよく、あのー足がもつれてたんですよ、布に(笑)。その布をほんとは、はぎとられて投げ捨てて、そのあとちょっとなんか倒されるみたいな、振りがあったんだけども、回った時にもつれたまま回った挙句踏んだままそのポーズに入ろうとしちゃったことがあって、スルってバランス崩しちゃって、落ちるー!って思ったら、こういう、こう倒される振りだったんだけど、カシッ!
結:(頭を抱えて両足を浮かせて)アーーー!
海:あたし、全然、自分の重心を保ててないから、もうれいこさんに支えてもらってるここでしかバランス取れてなくて、もうマンガみたい(笑)
結:(両足浮いたまま)マンガ!
海:もうその時は必死で、もうもうほんとすいませんって感じだったんだけれども、で、そのあとも、そのまま起こしてくださって、そのまま、布もそのあと、足からとれたやつそのまま蹴って投げてみたいな、そのまま芝居続けてくださって。
漆には抗菌、殺菌作用があるとの研究結果が報告されていることから、同社は、新型コロナウイルスに対する効果を調べようと日本繊維製品品質技術センター(本部東京)に試験を依頼した。5センチ四方のアクリル板に、同社の伝統的製法でつくる漆を塗布し、コロナウイルスを付着させて調べた結果、24時間で99%以上のウイルスを減少させる効果を確認したという。
「漆に新型コロナウイルス減少効果」 福井県の漆店が確認、24時間で99%以上減少(福井新聞ONLINE)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad8c6ebfb9462ee2ff5997604a9174bafc4ecb7a
よし、みんな健康のために漆を飲もう! 世の中ヴィーガンブームだから「米や麦などの穀類の食を断ち、木の皮や木の実を食べ」て体の中からキレイになろう! 世の中ソーシャルディスタンスだから「生きたまま箱に入り、それを土中に埋め」て「節をぬいた竹で箱と地上を繋」げば対策もバッチリだね!
誰かに話を聞いてほしくて書いている、のだと思うが、お気持ち表明でしかないので先に謝っておくね、ごめんなさい。
当方、所謂メンヘラの20代女。スペックは中の上、くらいだと思う。
モテなくはないが、あくまでも顔面の可愛さより愛嬌なんかが評価されているタイプ。
系統としてはキレイめギャル系なので言わないとそんなにメンヘラってバレずに済む。
これは自分でも説明が上手くできないんだけど、マイナスでもプラスでも関係がない。
小さなことで気分が落ち込み、リスカして落ち着く、ということが多かったけれど
それと同時に、楽しくて幸せでリスカしたくなるようなことも同じくらい多かった。
このリスカは希死念慮からくるものではなくて、感情の起伏でみんなが涙を流すのと同じような感覚だと思う。
うれしくて泣いた、かなしくて泣いた。
それが私の場合、うれしくて切った、かなしくて切った、となる。
なぜ切らずに済んだのかと聞かれても正直分からない。
出社もしている。バラエティを見て笑うこともある。
でも駅のホームに立てば一歩飛び出してみようか、と思うし
めんどくさい、というのが一番近い。何もしたくない。
メンクリ行けって言われると思うけど、もう行ってみたものの解決しなかったんだよね。
薬飲んでる間はいいけど切れたらまた氏にたくなっての繰り返し。
数件メンクリ行ってみたけどどうにも合わなかった。
どうしたらいいんだか分からない。
希死念慮なんていっているけど氏ぬのも面倒だ。
自分は特別に音楽に詳しいわけじゃないけど、サビのところで比較してみるよ。
増田のCSSはテーブルセルにボーダーがないので小節がわかりにくいけど頭4小節分を抜き出している。
■Blue Archive
テンポ=104bpmくらい
FM7 C/E | G Am7 | FM7 C/E | G Am7 |
■Shelter
テンポ=100bpmくらい
FM7 | C/E G | Am7 | Dm7 |
しかしどの共通点もひじょうにありふれた王道の要素なので、偶然一致してしまうことなんて普通にある。
このくらいの共通点を共有する楽曲の組み合わせなんて無数にある。
なので、たとえばどっちかがどっちかのパクりか?と言われると難しい。
これが、メロディの並びが部分的に完全一致しているとか、非常に突飛なことをやっていてそこが一致しているとかだと「パクり」と呼ばれてしまうと思うけど、この2曲の間にはそれがないからね。
じゃあなぜこの2曲にとても似た印象を受けるだろう。
それは「Ⅵmaj7」の存在が大きい。
マイナーの曲でこのコードからサビが始まると素敵に物悲しくてキレイな曲になる。
ということは、当然のことながらこのコード進行はとても人気があり、多くの人々が使っている。
サビのコード進行をどのコードで始めるかなんてそもそも選択肢は7個くらいしかなくて、そのうちよく使われるのなんてⅠかⅣかⅥの3つくらいなのでカブッて当然なのだ。
フォロワーと相互ブロックした。この一年世界を騒がせている感染症のせいだ。
前線ではないけれど地方都市の片隅で医療従事者として働いている。手はこまめにハンドクリームを塗っても消毒でボロボロだし顔はずっとつけているマスクで荒れっぱなしだ。特に職業柄利用者がマスクをずっとつけていられる状態ではなくて、ひたすら感染に怯えながら利用者の人に移さないように仕事をしてきた。
日々強いられる自粛の二文字とは裏腹に職場ではソーシャルディスタンスが守られるわけではない。狭い通り道を向かいからやって来る同僚と体を捻りながら譲り合っていると、密を避けましょうとはなんだろうと考えてしまう。
誰も感染しないことを保証してくれるわけじゃないのに、職業柄感染リスクを下げろ下げろと口を酸っぱくして言われる。SNSでも医療従事者が自粛をしなければ白い目で見られる。
その間も感染リスクをものともせずに県外移動をして観光やらレジャーやら楽しんできた人間が感染して運ばれてくるのにだ。
我慢しても努力しても現状はちっとも良くならない。むしろ悪化している。それでも他人は自粛を強いてくるのだ。この一年それなりに頑張ってきたけれどもうこの空気に疲れてしまった。
電車に飛び乗れば都心に繰り出せる距離に住んでいながら、趣味のプロレス観戦もショーパブも夢の国行きもフォロワーさんとのお喋りもお預けされている。
TwitterのTLでは都心に住んでいるフォロワーさんが楽しそうに遊んだ報告をしているのに指を咥えて見るしかない。こちらが犠牲ばかり払っている気がしてうんざりしてしまった。
ある日ふと自分の中で何かが切れた。「もういいや」と思ってしまった。
友達の中には前線で働いている子もいる。その子の家に泊まったときにもうつらいもう辞めたいという心からの叫びを聞いた。
「遊んで罹ったやつ皆死んじゃえばいい」という呪いも聞いた。そのとおりだと今でも思っている。
口では感謝をなんて言っているけれどハメを外して感染した人間は減っていない。
そんな人達のためにこれ以上我慢する義理なんてないと吹っ切れた。親や親しい友人にも相談したら特に反対もされなかった。すり減っていくよりずっといいとむしろ肯定的だった。だから職場には内緒で都内に遊びに行くことにした。
一年ぶりに仲のいいフォロワーさんと遊ぶ約束を取り付けて服も買って、朝早くに電車に乗った。
ずっとネットの知り合いのコミュニケーションは通話アプリばかりだったので対面の会話が嬉しかったし、念願のショーパブにも行った。
かわいくてキレイでゴージャスなお姉さんたちが舞い踊るのを生で見た。最高だった。ずっとこれが見たかった。写真もたくさん撮ったし、声が枯れるまではしゃいだ。
その夜はホテルも予約して久しぶりに自分の匂いがしないベッドで眠った。
何もかもが久しぶりで涙が出そうだった。失われていたけど当たり前にあったものを取り戻した気分だった。
Twitterにも今日のことを投稿した。ほとんどのフォロワーさんが楽しそう!よかったね!と好意的な反応をくれたので、その日のことは何も間違っていないと思う。今でもそう思っている。
続く自粛でべこべこに凹んでいた気持ちがあっという間に戻っていくほどの楽しさはステイホーム中にやったどんなことでも替えがきかない。
ただ一人だけフォロワーさんで違う反応をしていた人がいた。
医療従事者ではないが地方住みなので県をまたぐ遠征はずっと控えていると聞いていた。また職場で感染者第一号になりたくないからと自粛にも積極的で、よく一緒に通話しては同時に映画を再生して鑑賞するといった遊びをしていた。
ネットの付き合いでは長い人だったしウマも合って結構プライベートな話もしていた。
その人がとても否定してきた。
元々県をまたいだ移動をした人や自粛しない人のことを鍵のアカウントで愚痴っていた。自分は自粛しているだけに他人の行動が許せないタイプの人だった。鍵をかけていない方でもはっきりと県外移動を否定していたこともある。
都内に行く一ヶ月ほど前に隣県に展覧会を見に行ったことをこちらがツイートしてからも、県外移動や不要不急の外出を否定したままだった。
感染者があまりいない隣県に平日友達と行くくらい許して欲しいと思っていたのに、その人は主張を曲げなかった。直接ではないけれど罵られたような気分だった。
今回も直接ではないが「県外に遊びに行く人の気持ちが分からない」とハッキリ切り捨てていた。
今まで我慢していたのに自制をやめた瞬間叩かれるのはおかしくないかと思ったのだ。十分我慢したのに最初から我慢していない人と同列に語られるのは違うだろう。だけどその人は一定のラインを越えたらまとめて敵なのだ。攻撃的な面があるのは知っていたけれど自分に向けられたらと思うとどうしてこれからも仲良くしたいと思えなくなった。
この人と縁を切りたいと思うようになった。
都内へ遊びに出かけたことが理解出来ない。私は医療従事者の貴方の苦労は分からないけれど、貴方の行動を肯定する気はない。以前のように接することは出来ないだろうからしばらく距離を置きたいという内容だった。
絶対に分かるわけもない。引き継ぎの度に自粛を呼びかけられるのに職場で感染しない保証はない。むしろ利用者のせいで感染リスクは高いくらいだ。荒れ放題の腕や顔に、日々の楽しみは奪われ続けてそれでも働かないといけない。医療従事者だからというただそれだけの理由でだ。医療従事者は人一倍気をつけないといけないという意識にどれほど苦しめられたか一般職のその人に分かってたまるかと思った。
こちらの行動を反省する気はないこと、以前から攻撃的な発言が嫌だったこと、距離を置きたいと言うけれどそこまで言われたら金輪際関わりたくもないし関わってくれるなという内容の返事を書いて送ってから、持っている全てのアカウントでブロックした。
親にも友達にも4桁ほどいるフォロワーさんにも否定されなかったのにその人だけが否定してくるのだ。
そんな人いらなかった。
この前も仲のいいフォロワーさんとお茶して来た。たくさんお喋りもしたしその様子をTwitterに上げた。
自粛警察なんてこのTLにはいない。自粛自粛と自分を締め付けてすり減るより心に正直に生きた方がいい。案外誰も真っ向から否定なんかしない。