はてなキーワード: オチとは
ブックオフいってきたけど相変わらずなんもなかったなー
いちかわはるこの短編集あったから立ち読みしようかと思ったけど、読むのにかなりカロリー使う感じのシャレオツ雰囲気マンガだったから読むのあきらめた
かわりに1122の最終巻7巻あったから読んだ
最後まで読めてよかった
ただ正直ひっぱりまくったわりにこのオチかよという感じで残念ではあった
作者自身の迷い、迷走が隠し切れずにじみでてる感じ
1巻の夫婦喧嘩で「はてな匿名ダイアリーに書いてやる!」ってあったのが面白くてそれを増田に書いたら少しだけブクマもらえたのがハイライトだったな
映画。バシッとオチが決まって視聴後感最高!ってなる映画もあれば、ずっこけるほどしょうもないオチで忘れられない作品や、翌週にはオチが思い出せないような映画もある。
ByteDance、Tencent、Alibaba。アメリカのIT企業に対等に張り合えているのは中国企業だけ。日本のIT業界はもうオワコンでしかない。しょーもないクソベンチャーが偉そうに村社会でオチンチンしてんのが日本のIT業界。メルカリ(笑)リクルート(笑)サイバーエージェント(笑)ライン(笑)ヤホー(笑)ゾゾゾゾ(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
岡崎二郎のマンガで核シェルター入った独身中年男性が準備万端を自画自賛してたが図書室に入れないアクシデントになり手元にはショートショート本が一冊しかなく絶望するが直後に頭部強打して短期記憶障害になり喜んだってなオチをおもいだした
人間暇になると、
はぁ~。
こないだ私4回引いたやつ。
そのうち2つは私の好きな大好きなメインのキャラの景品が当たって思わずその場で飛び込み前転してクジ引きの案内をしてもらって景品交換もしてもらった店員さんも引いてしまうほどクジだけにってダブルミーニングなほどの嬉しさの舞を現すまだ獅子舞には早い時期の季節での喜びを現すぐらいだったってぐらい。
結局今日また2回引いちゃって、
まあ結果たるや
私の想像通り
あのままその時私の中の天使と悪魔がじっくりコトコト煮込んだスープを簡単にお湯を注いでじっくりコトコトの手間を省いて簡単にスープ作るぐらいに煮詰まった話し合いのとおり
お気に入りのキャラの景品が前回みたいに当たるわけないじゃん、
あれは運が良かったんだ、
次引いてお目当てのお前が好きなキャラが当たらなかったらガッカリするのがオチだぜって。
彼の言ったとおりにしたらよかったわ。
天使は、
なーに持ってんの?なーに持ってんの?クジ引きたりないから持ってるのー!ポイントカードで引いちゃえよ!
ハーイ!引いて引いて引いて~
引いちゃえ!クジ引いちゃえ!って
もうこれでクジは絶対に次の次シーズン景品が一掃して変わらない限りやんないわ。
もう天使には騙されない!
世の中そんなものよね。
本当に今年最後の運試しは終了に終わったわ。
かろうじてハンカチには私の好きなメインのキャラが4分の1の面積にプリントされているから
かろうじてまあ内容は良かったは良かったのよね。
これで今年2回目の有終の美を飾ることが出来たわ。
有終の美は何度飾ってもいいものよね。
花もない絵もない歌もない贈る言葉もないあんな飾りっ気のない居酒屋よりはマシよ。
そんで、
暇を持て余しているからそのアニメの配信の音を録って録音ファイルをスマホに入れていつでも大好きな回を聞けるようにまた全話録音しつつ観るわ。
我ながら健気だわ。
まだまだブルーレイとか出るのずいぶんと先みたいなので、
でもさ
明日からついにいよいよスプラトゥーン3の年明け1発目のフェス前のヨビ祭が始まるので忙しくなるわよ!
またここでスプラトゥーン3の話ばかりしていても年末間がないので、
私あれ苦手なのよね
清く正しく美しく生きるのこそが全てよ!ってそこまで高望み五合目までは登り詰めないけど、
健康に気を付けてて元気いっぱいだったらそれで十分よ。
強いて言うなら
整理整頓伝票はすぐに処理する!
年末一気にやんの面倒くさいじゃない。
一応は概ね今年の分のそう言う伝票処理や整理は片付けたつもりなので、
あとは確定申告本番待ったなし!ってところよ。
こうやってちゃんとお仕事も抜かりなくやってますよーってところをアピールしておかないと
そうね、
計画的には思い出すまで忘れている
ブログの増田のコピペもすっかり思い出すまで忘れていたブログの気が向いたらの更新と
これも気が向いたら電子書籍にしてみたいなってのが
一向に進まなくってそっちの方は捗らないわね。
でも昨日近所の公園の前を通ったらお正月の獅子舞の稽古の練習をしている人たちがいたので
練習がてらに私の頭囓ってもらいました!
これスゴいラッキーじゃない?
さすがにいらすとやさんも獅子舞に頭を噛まれている女性のイラストは絶対に無いと思うぐらいのレヴェルで、
あ!これもしかして獅子舞に頭囓ってもらってまたクジ引いたら良い運気邪気が払えていいのが当たるんじゃね?ってまたよからぬことを考えつつも
調子に乗ってクジハズしたらまた凹むぜ!って大塚明夫さんが声の吹き替えをやってるイメージでの言葉を胸に
獅子舞に頭囓ってもらったのを今年3回目の有終の美を飾ることが出来つつ、
年末までの間に有終の美をトータル16回ぐらいはまだまだ飾れるんじゃないの?ってぐらいな勢いの一気に沢村一樹じゃない方の一気の方の一気にいいことが訪れるんじゃ?っと思うけど、
釘を胸に打つことにしたわ。
でもラストまで気が抜けないので
また有終の美を飾ることが出来たら
みんなに教えるわね!
うふふ。
珍しくみかんの花咲く丘公園前駅の商店街の角の喫茶店はモーニング和食もやっているって言っても
簡単なご飯とお味噌汁にランダム1品の何かのおおよその焼き魚がつく家賃の味がしないワンコイン500円のモーニングで
獅子舞に頭噛んでもらったゆえかも!
焼きたての鯖の表面がまだパチパチと焼けて音がしているところを持ってきてくれるから、
たまーにしか行かないここの喫茶店の和食モーニングは美味しくてワー!ショック!なんて言わないよ絶対に~!って槇原敬之さん風味でいいのよ。
焼きたて鯖美味しいやったー!ってところね。
ホッツ緑茶ウォーラーをちゃんと急須で煎れて2杯ぐらいゆっくりのめるゆとりのある休日の時間って感じがして
人間よからぬことを考ええるとクジを引いてしまい兼ねないように
以後気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://twitter.com/bikeandriding/status/1607763207481065475?s=20&t=3nQumftBrYugoL88T2-MbA
>なぜ自民党が支持されるのか。
>日本の有権者がバカだから、で済ませるのは簡単だが、しかし「なぜ」を解明しないことには今後もずっとこれが続いてしまう。
>『若い人ほど自民党支持の割合が高い』という事実がある以上、若い人ほど経験した、あるいは学習した何かに自民党を支持させる要因があるはず。
実際、世論調査では「支持政党なし」が自民支持を抜いてトップという状況が長年続いてるわけだし。
自民がどうこう以前に野党が不人気なのは、単に支持したい理由が無いだけ。
有権者にとって二の次なモリカケ桜が壺が~などの与党のスキャンダル叩きには熱心だけど、自分に火の粉が降りかかるとウヤムヤにして何の改善にもつながらないというオチばかり。
そして生活に直結する減税や経済改善に関してはこれといった提言も批判も目立たず、喫緊の課題であるコロナ感染対策でもワクチンより検査優先だの、下手すりゃ反ワクチンだのと足を引っ張る発言ばかり。
右とか左とかどっちでもいいから現状維持できる程度に切り盛りできると期待させてくれる野党があれば、少なくとも今ほど自民一強なんて状況にはなってないと思うよ。
P.S.私が選挙権を得てから自民系に投票したのは都構想問題で荒れてた大阪府知事選だけなので、別に与党支持者ってわけじゃないよ。
【追記2】
なんか統計的差別とやらをしている団体だと決めつけられてるけど、少なくとも増田が手伝っていた団体は独身男性だから譲渡を断るということはないよ。一人暮らしや賃貸暮らしだと渋られるかもしれないけど性別は関係ない。というか性別で譲渡するしないを決める団体は聞いたことがない。書くと燃えそうだったから書かなかったけど、確かに虐待は男性が多いというか増田が聞いたのは男性のみ。でも厄介な餌やりは女性の方が多い。性別関係なくやばい人はやばいから。
【追記】
読んで欲しくて書いたけどすごいブコメがついたから建物の構造についての記述は消しました。あと「妙齢」も変に注目されちゃってるから消した。すまん。
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猫サブスクが話題になってるので、前にボランティアやってた動物保護団体の話をする。
譲渡会で猫を譲り受けたので、そのご恩返しのつもりでしばらく動物保護のNPO団体でボランティアで手伝った。犬と猫の保護団体ね。
ちなみにシェルターの場所は公開しておらず、職員やボランティアにも箝口令が布かれていた。理由は野良を捨てにくる人がいるからではなく、虐待するために誘拐しにくるやつがいるから。怖すぎるだろ。
まず犬の方の話。
今どきは野良犬は少なくて、迷い犬や災害・病気で飼えなくなった犬が主に保護されていた。相性の良い犬は同じ檻に入っていたが、だいたい一つの檻に一匹だった。朝夕2回、餌やりして全ての犬を散歩させる。ボランティアor職員が複数の犬を連れてその辺を一周するのだけど、相性が悪い犬同士が同じ時間帯にならないようにスケジュールを組む必要があり、ボランティアが誰がくるかその日にならないと分からないので結構大変そうだった。そして、前述の通りそこにいる犬たちには他に飼い主がいるので、散歩の時も餌やりの時も逃げられないように最新の注意が払われていた。
増田は猫の世話をしていたので犬についてはこれくらい。
猫の話。猫は出自がいろいろで、野良、多頭飼いの崩壊、虐待や餌やりさんからの保護、が主かな。たまに里子に出した子が帰ってくることもある。自分がこの中で聴き慣れなかったのは餌やりからの保護。うちの子もこれ。
餌やりさんっていうのは、その名の通り野良に餌をあげている人のこと。これだけ聞くと猫好きの人だと思うじゃん?実はそうとも限らなくて、餌をあげる時に猫がワッと寄ってくるのが嬉しくて、つまり承認欲求のためにしている人も多い。だから猫にはなんの愛着もなく、TNR(捕まえて避妊手術をして元の場所に戻すこと)に協力もしないどころか、気まぐれに毒餌をやったりするキチもいるそうだ。多頭飼いも同じように、必ずしも猫好きというわけではないらしい。どちらの場合も、近所から事務所に苦情混じりの通報があることが多く、様子をこっそり見に行って保護するかどうか決めている。虐待も事務所への通報から保護するパターンがほとんど。でも保護するといっても、いきなり猫を捕まえに行くわけではない。どの場合もまず餌やりさんか飼い主か、人間の方と話をする。多頭飼い崩壊や飼い猫の虐待の場合には、勝手に連れて行くと窃盗になるし、他の猫に何をされるか分からないから。そして途方もない時間をかけて、保護に同意してくれた場合は猫をシェルターに連れて行く。餌やりさんの場合のみ、同意なしで日を決めて一斉につかまえることもあるが、基本的には説得を試みる。でないと他の猫に何されるか分からないから。
そうして引き取ってきた猫は、まずは納屋に大量に置いてある檻に収容する。感染症にかかっていると怖いし(増田がいたときもシェルターの方にパルボが2回入り込みめちゃくちゃ大変だった)、虐待を受けていた猫は人間に懐かないから。そこで病気の検査を一通りして、避妊手術して、人間に危害を加えない猫はシェルターの方にうつされる。
シェルターはいくつかの区画に分けられている。譲渡に向け人間に慣れる訓練をする猫の部屋、人間は平気だけど脱走癖があり出入り口が厳重になっている部屋、猫エイズや白血病といった感染力は弱いが感染症に弱い猫の部屋、人間は平気だけど猫がダメな猫の部屋(兼事務所)。そこにいるのは基本的に大人の猫だけで、もっとお世話が必要な子猫は、家で見てくれるひとたち、通称「預かりさん」の家にいる。
ボランティアの仕事は、部屋とトイレの掃除、餌やり、水換え、猫と遊ぶ、といったところ。長くいる人は薬をやったり捕獲を手伝いに行ったりしてた。増田はできなかったけどTNRの手伝いもある。これはかなり凄惨なようで、提携している獣医が納屋に出した机の上で大量の猫の避妊手術をするのだけど、一匹終わるごとに血だらけの机を消毒したり、取り出した臓器を処分したりするそうだ。
ボランティアに来ている人はさまざまで、猫の方は孫の世話がひと段落した世代の女性が多かった。犬の方は散歩とかで体力勝負なところがあるので男性が多く、若い人から定年退職した人までさまざまだった。行く前は、もっとなんというか、正義感とか義務感に燃えた人がやっているのかと思ってたけど、ごく普通にというか、淡々とやっている印象だった。でもやってることはすごいんだよね。やばい餌やりさんや虐待している飼い主との話し合いの内容が聞こえてくるのだけど、本人にも身の危険が及ぶのに全然引かないし、相当ひどいことを言われても絶対キレない。とにかく猫の安全第一で動いてる。
この手の団体はいろいろ言われることが多くて、増田も猫を譲り受けるときに家に来られたり個人情報を根掘り葉掘り聞かれたりでかなり辟易したんだけど、ボランティアで中に入ってみたら、そこまでしたくなる気持ちも分かった。それくらい虐待や多頭飼い崩壊の現場の話は酷かった。よく言われる、「そんなに譲渡の条件を厳しくして、条件を緩くすれば助かる命が保健所で処分されてもいいのか」という質問には、彼らはYESと答えると思う。ちなみにその団体では(他もそうかもしれないけど)、譲渡した猫はあくまでも里子に出しただけであり、虐待その他、飼い主として相応しくないと思われる場合には即団体に戻さなければならない、と契約書に書いてある。つまり言い方だけでなく制度としても里親なんだよねうちは。本籍は団体の方にあると。まあ実際なにか監視されてるとかそういうわけではないけど、それくらい虐待に対して敏感になっているし、保護した猫は譲渡した猫も含めて全て、最期までシェルターで責任を持つつもりでいる。
題名通りで女友達が風呂入ってない可能性あって解決策を見つけたい
凄く久々に会おうとなって会ったけれど前髪のベタつきが半端じゃなかった。
会った瞬間に「そういえば前回とか前々回に会った時もだいぶ髪の毛ベッタリしてたな…」と思い出した。
『朝シャンして髪をセットして〜』と柄にも無く浮かれながら気合を入れて準備している分、
友達のベッタリした髪の毛を見た瞬間に
「楽しみにしてたのは自分だけだったのかも」と急に恥ずかしくなってしまった
ただ、友人は激務でもし本当にお風呂に入る気力すら湧かない状態だとしたらどうしよう
そうだとしたらうつ状態までは行かないにしても
不安だけれども、「頭皮ベタついてるよ」なんて指摘できるわけないし、お風呂入れているかどうかの確認なんてもっとできるわけがない。
アドバイスを元に友人の近況をさりげなく聞きましたが、やはり本人自身「忙しくて疲れもなかなか取れない(精神的にもやや追い詰められている)」との事でしたので近いうちに一緒に温泉施設で1日のんびりしようという話になりました。
と意見もあったので、もしも付けすぎているようでしたらオイルの付けすぎは良くない事を伝えてみようと思います。
『本当の友人なら指摘してあげるべき』
『言わないでいてあげるのも優しさ』などの意見もありましたが、直球で本人に指摘する勇気が無いので取り敢えずはこの様な形に収まりました
『相手を軽んじるために不潔感に耐えられる人ってそういない。身嗜みできないほど何かあるか、元々ズボラか、お洒落失敗か。』
『脂性肌なだけではないか?』
という上のコメントを読んだ際に
友人が脂性肌でテカリやすいだけで、友人自身が日常生活で困っていない様でしたらそれで良いという結論に至りました(身嗜みが出来ないほどの何かがない事を願いたいです)
たまにいるっていうかなんGとかによくいるんだけど、陰キャ男がひねくれすぎるとアンチフェミするオタクくん…みたいなこと言い出してフェミ騎士と化すパターンをよく見るんだよね、同性から良くしてもらえなかったからだと思うんだけど
でも一回考えてみ?そいつらは女好きなのかな?と思うとそうでもなさそうだから、結果的にどっち側からも嫌われるってオチよ
弱者男性の成れの果てだよ
単純に面白さが足りてない。
アニメ版の丁寧な面白さがなく、ただその場その場のアイディアが羅列されているだけ。
作者なりの知識が作中で生かされている感じも少なく、ただ「ロックをする女の子達の4コマ」以上のモノになってない。
言ってしまえば「バズらないツイッター漫画」ぐらいのレベルで終わり。
事あるごとにぼっちちゃんの胸を強調するような絵や、それに対して他のキャラがいちいち嫉妬しているのもオッサン臭さが強くて無理。
アニメで一部のストーリーが順番を組み替えられているけど、たしかに原作で読むと全体的にチグハグで流れがあまりよくない。
アニメの良い所はぼっちとそれぞれのキャラとの関係性、音楽や青春との関わり方がいい意味で場面ごとに切り分けられて描写されていること。
ペルソナシリーズのコミュのように、今進めている物語がどの部分との関係性が進展しているシーンなのかが非常に分かりやすい。
基本的に一度に大きく関係が進むキャラや状況とは1vs1になれるように世界が融通を効かせてくれている感じがする。
原作だと4コマかつ月ごとの話数が少ない中でなんとか話を進めようと必死になりすぎてしまっていて、今何の話しをしているのかが強調しきれていない。
なによりギャグ漫画であることに意識を引っ張られすぎて必死にオチをつけようつけようとしてしまっていて物語への意識が散漫になりがちだ。
アニメ版では物語を展開しつつ随所の描写の仕方を工夫することでテンポよくギャグを挟むことが出来ている。
これはそもそも青春ロックアニメと4コマギャグ漫画というジャンルの違いによって発生しているのだから仕方ないと言えば仕方ない。
ランチパックの◯◯味に対して、「惣菜パンの形に固執してしまっていて◯◯の良さが消されている」と感じるような状態であり、ぶっちゃけこっちこそがズレている悪なんだろう。
でも自分は名作アニメに対しての原作として高まった期待をぶつけてしまったのでその差に振り回されてこんな事を書いてしまった。
反省している。
ぼっち・ざ・ろっくの原作はアニメと比べれば面白さの密度や創作的な工夫は足りていないが、「承認欲求の強い巨乳のコミュ障がロックをする話」を淡々と読み進める分には密度で圧倒的にまさる。
アイディア先行で肉付けが足りていないが、それは見方を変えれば骨子だけを素早く読み進められているということだ。
ある種の逆転現象によりアニメ版のファスト映画バージョンのようになっているわけである。
それはファスト映画や5分要約には絶対にないもの、純然たる「作者の書きたかった要素だけを抜き出したもの」となる。
ぼっち・ざ・ろっく原作は単純な評価としてはアニメより劣るが「巨乳の陰キャがチヤホヤされる様子を描きたい」という欲望を摂取することの効率においてはアニメとは段違いの強さを持つ。
だが自分はその濃度に耐えられなかった。
それだけの話しのようだな。
自分で書いてるうちになんとなく分かってきた。
最後は行為がキスだったというオチは中途半端だったと言わざるをえない。
客受けも微妙だったと思う。
1本目が今大会通してすべての芸人の中でベストなネタだったと思うだけに
もったいなかったね。
誰もが超人になろうとしてしまうけど、結局は人の子はコバゴーや黒沢みたいに一貫した打ち方を極めたほうが良いし、それが放銃によって否定されかけても気にしないってやり方が一番いいよ
もうとっくに諦めた恋だが、その人の結婚式に呼ばれることは決まっていて、そのことを考えると少し心がざわついて、かといって誰かに話すこともできず、その想いをここに書き散らすことにした。
つまらない自分語りだが、気持ちの整理のつもりで書き記す。特定に繋がらないよう、念のため一部フェイクを入れたりはしている。
まあきっと、どこにでもあるような話だ。
同性の友人に恋をして人生を一時迷走した、愚かな若者だった頃の話である。
驚くほど気が合ってすぐに仲良くなった。平日も休日もつるんでいるのが当たり前の関係。いつからそれが恋だったのか、はっきりとは覚えていない。自覚したのは数年後だ。
でも高校二年の夏を迎える頃には既に、恋だったように思う。他の友達と親しくしている姿を見るのが苦しく、時折よくわからない不快感に苛まれるようになっていた。それでも、友人と一緒に過ごす時間は何より楽しく、バカなことも真面目なことも、誘われればいつでもすぐに飛んでいった。
色々な偶然が重なった結果だが、我々は進学先も同じ地域だった。田舎から出てひとり暮らしの家を探す自分に「せっかくなら近くに住まないか」なんて向こうから提案をしてきた時は、嬉しくて嬉しくて、飛び上がらんばかりに喜んだ。
でもそれは、迷走の始まりだった。
ほぼ毎日のように会える友人。食事を共にする機会も多く、互いの部屋を訪れてゲームをしたり漫画を読んだり、だらだらと過ごすのも当たり前になった。試験期間中の真夜中にコンビニに行こうと誘われて、適当なスウェット姿で並んで歩いた。体調が悪ければ互いに見舞い、薬や飲み物を買って届けたり、食べ物を作って置いていったこともある。
夢のようだった。
唯一無二の相手になれた気がして、それが恋だと自覚もしないまま有頂天になっていた。
だが、当たり前のことながら、相手にとって自分はただの友達のままだった。
ある日、恋愛相談を持ち掛けられた。
薄々は気付いていた、友人に恋人がいるらしいこと。それでも目を逸らしてきたが、面と向かって話されてはどうしようもなかった。まったく気乗りしないまま、それでも頼ってくれたことは少し嬉しくて、夜のファミレスで話を聞いた。
相談を聞くうちに絶望的な気持ちに襲われた。友人は決して付き合っている相手の名前を教えてはくれなかったが、誰より友人を見てきた自分が相談までされてわからないわけがない。付き合っていた相手は、共通の友人だ。
同性の人だった。
衝撃に頭を撃ち抜かれたような気分のまま、よく冷静に最後まで話を聞けたと思う。「君も知っている人だ」とだけ言う相手に、最後までわからないふりを貫いて「誰だろう、思い付かない」ととぼけ続けた。はっきりと言われなかったのを良いことに、同性との恋の相談であることにすら気付かないふりをした。その事実を認めてしまいたくなかった悪あがきである。
その相手とは後々別れて友人に戻ったことも知っているが、最終的に異性のパートナーに落ち着くまで何人と付き合ったのかまでは把握していない。話してくれたのは一部のようだし、自分の知らない人だったこともある。それでも、その時々に恋人がいるかいないかくらいはいつもなんとなくわかった。それだけ近くで見ていた。
同性が対象になり得るとわかってもなお決してその恋愛感情が自分には向かないのはもどかしく、それでもたまに頼ってくれる友情が嬉しかった。しかし、次第に膨れ上がって制御しきれなくなってきた気持ちは、相手が自分の思い通りにならないことへの苛立ちとなって表れた。八つ当たりのような態度が増え、突発的に暴言を吐き、傷つけることもあった。その度に青ざめて謝って、また元の友人におさまった。そんなことを繰り返し、自分が嫌で嫌で仕方なくなった。なぜ自分は大切なはずの友人をこんなに傷つけているのか。
その頃になって遅まきながらようやく一つの可能性に気付いた。もしかして、自分はこの友人に恋をしているのではないかと。
それまで自分を同性愛者だと思ったことはない。初恋相手は小学校の同級生で、異性だったのは確かだ。でもどうだろう。その後に恋らしい恋をした記憶がない。友人への想いを「恋」だと認識してみると、これまで何年も自分ですらわかっていなかったもやもやとした気持ちや、たまに暴走する感情にストンと納得がいった。自分は何年もずっと、友人に恋をしていたのだ。
そう理解したら暴走は止んだ。危ないと思ったら距離を置き、"友人"として正しい立ち位置を確かめる。暴れ出しそうな気持ちは表に出ない方法を覚え、平常心で接することができるようになった。友人は魅力的な人だが少々人付き合いの下手なところもあって、学部やサークルの仲間とうまくいかないとこぼすこともあった。自分は努めて穏やかに慰め、君の良いところはちゃんと知っていると友人らしく励ます事ができていたと思う。困った時に頼ろうと思える相手でいたいと、いっそ便利な相手でもいいから傍に置いてほしいと、その頃はそんなことを思っていた。
本音は違う。もちろん特別な関係になりたかった。しかしこれまでを振り返って、自分が友人に相応しいとは到底思えなかった。数年分無自覚に積もった恋心はもはや相手への執着と成り果てており、こんなものをぶつけてはいけないと感じていた。きっと相手もこんな自分を恋愛対象には見てくれないだろう。気持ちを伝えて友人ですらなくなることの方が、当時の自分には恐ろしかった。
結局、辿り着いたのは「この恋を諦める」という結論である。これしかなかった。それは間違っていなかったと、今でもそう思っている。思いたいだけかも知れないけど。
決めたからといって、実行するのは簡単ではない。何せ相手はいつもすぐ近くにいる。夜に部屋で一人になれば、先程まで顔を合わせていた友人のことばかり考えていた。恋だと自覚してしまったからには邪な思いも混じってくる。触れたい。抱きしめてみたい。それ以上も勿論。
その度にそんな自分が嫌になった。
感情ごと消えてなくなりたいと思った。
何とかして気持ちを変えなくてはと悩んだ自分が次にしたのは、同性の恋人を求めることだった。新しい恋をすれば忘れられるのではないかと。
近隣の同性愛者に出会おうと思い立てばそれなりに手段はある。友人と遊ぶ時間を不自然でない程度に減らしながら、両手では収まらない数の人と連絡を取り、そのうちの何人かとは実際に会い、親しくなった。気が合えばホテルにも行った。
無意識だったが、自分が惹かれたと思った相手は皆、今思えばどこか友人に似た雰囲気のある人だった。相手を友人に重ねていただけだ。なんと失礼で最低なことだろう。そんなものがうまくいくわけがない。少し仲良くなってはすぐにダメになることを繰り返した。友人から目を逸らしたつもりになっていた当時の自分ではうまくいかない理由はついぞわからなかったが。
やっと恋人が出来たと思えば、今度は男女の見境すらなくすぐ寝るような遊び人だったこともある。その事実を知った時は流石に少し傷ついたが、今思えばそれも自業自得である。
もうやめようと思った。
落ち着きのない恋愛ごっこに振り回されては失敗して傷付き、思い詰めて眠れない日が続くうち人生そのものが嫌になった。人に会う事が苦痛で引き籠りがちになり、その頃には学業成績も散々なものになっていた。理由を親に問い詰められても何も答えられなかった。大好きなはずの友人が誰かと楽しそうにしている姿を見るだけで、惨めな気持ちに押し潰され死にたくなる日々だった。
もう何もかもが嫌だと自殺の二文字が軽率に頭に浮かび身辺整理を始めた時、見かねて手を差し伸べてくれたのはとある異性の友達だった。自分が同性と付き合っていたこともその人にだけは諸事情あり知られていて、それでも見放さず友でいてくれた稀有な人だった。
自信も何もなく己のどこがいいのか全くわからなかったが、とにかく寂しさで死にそうだった自分は好きだと言ってくれる言葉に甘えてぎこちなく交際を始めた。大好きな友人と重なる部分は何一つない人だったが、その分執着もない。僅かな自己嫌悪を感じながらも、喧嘩もほとんどなく穏やかに関係は続いた。
友人にも、恋人ができたと初めて報告してみた。友人は笑って「いつも一人でふらふらしてるから心配してたんだ。よかった」なんて言ってきた。
その晩は一人で泣いた。
それでやっと、諦めがついた気がした。
恋愛感情があるかと言われれば未だにわからないが、積み重ねてきた情はあるつもりだ。世間体が保たれている安心感もある。この場所を守るのが自分の務めであり、大切にしたいと本気で思ってる。
恋は終わった。はずなのである。
かつて恐ろしいほど執着した、かの友人とは今も付かず離れず適度な距離感のままだ。昔ほどべたべたはしていない。それでも気の置けない相手の一人として、それなりに仲良くやれていると思う。
それなのに、友人の結婚の報せを受けた時から、事あるごとにあの頃の自分が顔を出してきて、傷ついた顔をする。
何を言っているんだと自分でも呆れるばかりだが、もやもやするものを一度吐き出してしまいたかった。片想いの残骸処理のようなものである。
こんなところまで読んでくれた人がいるのかはわからないが、もし居たとしたら、しょうもない昔話にお付き合いありがとうございました。
どうか幸せになってください。