はてなキーワード: イコールとは
関係ないんだけど、「はだしのゲンよりプライベートライアンの方が戦争の悲惨さを知れる」とか言ってそうだよね君。
あほか、君のどうでもいい自説にいちいち反論したりする意義がないってことだ
勝手に「俺Tueee」って思ってればいい
理由を1つだけ言おうか
自説の正しさを証明するのは常にその発言者であり、他人が反論してこないことがイコール正しさではないってことだ
きちんとエビデンスと論理性に基づいた工程を経ることでしか証明のしようがない
それがないなら全て妄想だ
反論とかは君のもってる証拠や仮説やそこから至る結論の一つ一つに対して行なわれるのであって、君のどこから湧いたかもわからない仮説に反論する価値がない
人間なんて勝手に生まれて勝手に幸せに生きて勝手に死んでいくわけだし
そもそも他人がその部分を侵すことなんて絶対出来やしないのになんでこんなのわざわざ設けたんだろうね?
LGBT法案が明後日審議だって。頭悪すぎ、ばっかじゃねえの?
自分で自分の事を認められない人間が他人に、憲法に、法律に認めてもらったところで何にもならねえよ
ただ一時的な満足感を得るだけで直ぐに不幸な気分に逆戻りだ、絶対にそうなるよ。確信を持ってそう断言するわ
おそらくだが自民党の連中はこれが今不幸な目に遭っている人を救済できると本気で思っているんだろうね
あのな、今一度人間というものがどんなものなのか議員辞職して学び直してこい
性的少数派への差別禁止とかいったところでそもそもそんなレベルの低い人間を相手にしなければいいじゃん
そういうのをわざわざ相手にしてわざわざ不愉快な気分に自分からなりにいっているだけじゃん、それを社会や他人や法律のせいにするのやめてもらっていいですか?
人として正しいことと社会として正しいことはイコールではありませんよ?人を殺すのは人の理屈からすると駄目な行動だが社会的には人を殺してもしばらく檻の中入って2億なり3億なり遺族なり被害者に積めば社会的には許されるのよ
そういう矛盾をどう腑に落としていくかは任せるわ
あとさ、LGBT法案を推進している奴らがTwitterにわんさかいるけど「自分は世界平和のための行動をしている」っていうオナニーに過ぎないからね?
冒頭で書いた通り好き勝手に幸せに生きて下さい、ノーマルだろうがLGBTだろうがそんなの人それぞれ、唯一無二だから
それは人類史が始まった数億年以上前から変わりませんからね?一切合切。
だから今から自分自身の幸せの器を十分に満たしていけばいいのよ、ファミチキ食って幸せになるんだったらそうすればいい、上手いステーキ食って幸せになるならそうすればいい、Twitterでエゴサするのも野球するのも観戦するのも
何もかも最初から自由よ、男が女を愛し、男が男を愛し、女が男を愛し、女が女を愛し、男女どっちでもないという方はそれはそれで自由にやればいい
すべて勝手にどうぞ好きに生きて下さい、こんなしょーもない法律作ることに人生を、時間を注いでいることが無駄です
それで「迷惑だ!」と不当に文句言われたら「うるせーバーカ」と大声で怒鳴りつけながら中指でもおっ立てればいいのよ
はっきりいうがそういう文句をいってきた奴は貴方の人生で全く必要の無い人間だから放置でいいよ、何も問題ない
それで貴方が人望を集めることが出来るかどうか、あなたがこの世を去ったときに葬式という人生最後のセレモニーで人がたくさん集まってくれるかどうかはLGBT関係なくそもそもの人柄が試されるだけだから、勘違いするなよ
赤の他人に礼儀払える?レジ打ちしてくれたコンビニの店員に「ありがとうございました」と頭を下げられる?人望ってのはそういう気配りを他人にして集めていくものなんだよ
ゲイやレスビアンといった性的少数派の方々を嫌う人だって普通にいますよ?それが当たり前。もちろん好きな奴もいるし、そもそも興味が無い、どうでもいいって思っている人間もいる
カレーが嫌いな奴だっているし大谷翔平が嫌いなやつだっているしそれと一緒
大谷翔平が好きな奴が大谷翔平が嫌いな奴のところにわざわざいって「大谷翔平嫌いって言うの反対!国会議員さん、大谷翔平嫌いを禁止にしてください」って言うか?そんなことねえだろ?「ま、そういった方も存在するよね〜」って思うだけで終わりじゃボケ!
LGBTも一緒じゃ。LGBTでも現に幸せに生きている人は五万といるぞ?なんでその人達は幸せなのかよくよく考えてご覧なさいよ、この法案を推進している連中は。
そもそも人間なんて他人に一切合切興味ないから。だからだれも貴方の事なんて気にしていません。全員自分自身の人生を幸せにすることで精一杯です!
【理解できる】
→これはわかる。好きなこと、望むこと、大事にしたいことは人それぞれだよね。
【理解できない】
・子孫を残すことは種としての本能、あるべき姿、果たすべき義務だから子供をつくる
→本当にそう思ってるの……???
子供が要らないという意見に対して後者のような反論がついているのを見ると、本当の本当にそう考えてるの?と不思議になる。
自分の人生なのに、本当に子孫繁栄のことを考えて子供をつくるかどうかの選択をするの?
本来は前者のような考えが裏にあって子供を持つ判断をしているけど自己理解が足りずに後者のような言い方をしている、という場合は普通に理解できるからこの話の論点ではない
例えばだけど、「別に子供が欲しいわけでもないし親に見せたいとかもないし世間体も特に気にしないけど、種としての本能や義務感のみを理由に子供を作らなくちゃと思って子供を持つことを選んだ」人がいたとして
その人って自己肯定感が低すぎるのでは?と思ってしまうのだけど、違うかな?
種としての義務を果たすことでしか自分の人生を肯定出来ないってことだよね?
子供を作らないことを選択すると自分の人生に対して自分で納得できなくなるか、もしくはそれ以外に優先したいことが特に無い虚無人生かのどちらかそう
やりたいこととか趣味とか何も無さそう
偏見10割の内容だけど、本当に不思議に思っていて、こういうことなのかな?という推測で書いている
もし【理解できない】タイプに当てはまる人でわたしが言ってる内容に対してそれは違うんじゃない?と思った人がいたらよければ冷静に解説して欲しい
▼6/8の朝 追記
なんとなく書いて寝て起きたら思ったより反応を貰ってた
もっと頭ごなしに否定して怒られてしまうかと思っていたけど、思っていたより普通に教えてもらえて色々な解釈になるほどと思いました。ありがとうございます。
子供を持たなかった人の負け犬の遠吠えだみたいに論点と違うことを言われるのが嫌だったからあえて自分の立場は書いていなかったために分かりづらい点があったと思う。申し訳ない。
「本能」の単語の使用にいくつかツッコミをもらっていたけど、わたしは「【理解できない】の意見の人たちはこんな感じのことを言ってる気がするなあ」でざっくりと書いただけだったので、なるほどたしかに、本能と義務を一緒くたにすると少し話がややこしくなるなと思った。
考えてみれば、本当に本能(何も考えずに中出ししたら子供が出来ちゃった、とか)に従って動いた人のことは私も理解できる。本能だもんね。
そうじゃなくて、「これが人間の本能だから」「これが義務だから」「こうするべきだから」という理性的な思想のみで子供をつくる人って本当にそれだけが理由なの?もしかして本当にそれだけが理由な人は実はいなくて、皆何かしら【理解できる】方に当てはまる理由や動機があるけど言語化出来てないとかで言ってるだけなんじゃない?という話がしたかった。あと書きながら思ったけど、本能で動いてしまうことを正当化したい人もいるのかもしれない。
これにとても「たしかに」になった。
「子供をつくらない選択肢がない」ということはイコールで「子供をつくることより優先したいことがない」ということだと安直に推測して、自己肯定感のない虚無な人なの?と書いたけれど、無条件に子供をつくろうと思える人は人間をひとり増やすことに不安感や責任感を覚えたりしないからそうなれる面もあるんだろうな。
といってもこの場合も「無条件に子供をつくろうと思える人」にも私が理解できる範囲の理由があって子供をつくろうとしているはずだから、当初の論点からはずれるかもしれないと思う。
自己肯定感と書いたから話がややこしくなったけど、結局は「子供をつくりたい理由がないのに子供をつくることを選ぶ人がもしも本当にいるのだとしたら、もしかしてそれ以外にやりたいことが何もない人生を送っている人なのでは?」という話です。子供をつくりたい理由があるなら理解出来るけど、って話。
▼6/8の夜 追記2
私が適当なタイトルを書いたせいもあり(後から見たら本文と乖離の大きい釣りタイトルになってしまっていると思った。適当に要約したからちょっと主題とずれていた)、いつの間にか「子供をつくることは本能なのか?」みたいな方向性に話が広がっちゃった。でもそれはそれで興味ある話だったから面白かったです。
ちなみに子供をつくるのは本能だろうという意見を多く見たけど、私は中出しセックスまでが本能でその後の「子供を産み育てたい」については「選択」だと思っていたので、そこら辺の認識に差があるのかなと思いました。
以降は隙自語になってしまうので申し訳ないのだが、「子供がほしい」に理由とかない、なんとなくほしいでいいじゃん、って言ってる人が結構いたので、ここが私に欠けているものなのだなあと感じた。
普通になんとなく欲しいと思える人からしたらどうして子供をつくる理由とかわざわざ考えてるの?と思われるみたいなのだけど、それはマジョリティ側の思考回路だと思うんだよね。
欲しくないが普通の考えの人間からすると「自分はどうして大多数と違うんだろう、何が違うんだろう」っていうのが気になるし、理解したいし、(私の場合は)理解することで共感はできなくても安心できるんだよね。
○○をすれば子供がほしいと思えるよ、という意見もあったけど、同性愛者に異性愛の良さを説くのと同じくらいずれた話だと思う。(そもそも今回の主題ともずれてるし)
子孫を残すことは正しい行いだと私も思うけど、別に正しい行いを出来るようになりたいわけじゃないので……
色々な意見に目を通させてもらって、本来想定していた話題とは違ったけれど、私が理解できないと言ったことについても触れてる意見も多かったのでありがたかった。
後者の理由だけで子供をつくろうとする人はいないんだよね?みんな何かしら他に理由(とか、それこそ本能に従ってとかの行動原理)があるんだよね!?というのは別にそれほど間違ってはいないみたいで、それなら理解出来るから少し安心した。
でも1番の理由でなくとも2番目3番目くらいには子孫残さなきゃなという考えがある人とか、あと理由とかなく何となくで子供をつくる人が思ったよりも多くいて
どうして自分は「そうじゃない」んだろうと思ってしまって少し落ち込んだけど、
https://anond.hatelabo.jp/20230608105137
https://anond.hatelabo.jp/20230608124155
https://anond.hatelabo.jp/20230608184634
子孫を残したいと思わなくてもいいんだ。
本能がないのはおかしいんじゃないか、どうしてなんだろう、と思っていたけど、私に本能がないわけじゃないんだ。知識と理解が足りてなかっただけだったんだ。
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
時は2021年に遡る。
ふたば☆ちゃんねる二次元裏も同様であり、声優を攻撃する目的のスレが日夜盛況であった
死ぬ迄追い込めとする過激な発言も目立つ中、声優のファンであるとしあきが立ち上がり抗議を始めた
いくらなんでも酷すぎる。声優のファンとして反対だ……。管理人さんに報告するよ
見るに堪えない煽り、誹謗中傷……その過程で「本当のファンであるなら声優のグッズを貼れる筈だ」とおちょくる者も現れる
それに反応してしまいアップロードしたタオルか何かの画像が雑巾のように視えたことから、『ハゲ雑巾』が彼へのあだ名になった
それから何が起きたのかは定かではないが、ホビージャパンを叩くスレや山本寛に粘着を行うスレで逆張りをしたのも雑巾だという話になり、専用のオチスレを立てるようになった
雑巾の中身は『初芝湯機』なるクソコテとイコールであり、その住まいは岐阜県だという仮説がいつの間にか事実になる
あとは無茶苦茶である。ふたば☆ちゃんねるの荒らし行為は彼1人の手によるものだと騒ぐ者が続出し、殺害予告や脅迫レスの数々が飛び交い始めた
反社を利用して殺させるなどの発言や、ハゲ雑巾の訪れる可能性が高い…とされる施設への放火予告も行われた
いい加減な情報から割り出された住所氏名は5chや爆サイなどにも書き込まれ、収拾がつかなくなっているのが現状だ
粘着の邪魔をしたとしあきへのリベンジ。三峰叩きスレの邪魔を受けた復讐であると、荒らしを追いかけているメンバーの1人は述懐している
このようなどうでも良い理由から、ふたば☆ちゃんねるどころかネット全てを荒らす犯人にされてしまうのが、現在のふたば☆ちゃんねるである
増田です。
最初の質問のあとに返ってきた答えで、あれ?全然主旨が通じてない…。と思ったのですが、途中で口調を変えるのは変だと思い、最後まで押し通してしまいました。
あなたの気分を害してしまったことを申し訳なく思い、ここに改めて書いてます。
弁解しますと、私は一切キレてはおりません。ただ、あの口調ではそのように受け取られても仕方ありませんので、誤解は解けなくとも構いません。
三人の女性の方と並行していて疲れたとおっしゃったので、私はあなたに一人に絞って頂こうと思いました。
共通点が多いなら、大体の好みは定まっている→あと一つ決め手が必要。
と思い、それなら一番本能的に惹かれる方にと思ったのです。
顔でなくとも構いません。声でも、なんだったら胸の大きさでもいいんです。
性格は正直なところ、本性を見抜く力がなければ難しいものです。失礼ながらあなたには、そのような力はないと思いました。
ただ、会話していて違和感がないのであれば、どなたも特に問題はないのでしょう。
それなら、やっぱり決め手が必要ですね?
あなたの文面を読むと、あなたは三人の女性のことが皆、うっすらと好きで、しかし、女は〜のくだりを読むに、心の底では女性のことが嫌いなのでしょう。
だから選べないのかもしれません。
このままでは、大変もったいないです。
男女ともに、現時点である程度好意的に見ている相手から熱意のあるアプローチを受ければ、それはそれは簡単に落ちますから。
自分にはあなたしかいません。あなただけが特別です。と、言葉や態度で示せれば、相手もあなたを特別視します。
もしそれで駄目だった場合は、また別の人を探せばいいんです。
逆の立場でもそうですよね。
あなたは、消去法で選ばれたいですか?
選べる立場じゃないから、仕方なくあなたにしたなんて言われたいですか?
そして追々後悔することになります。
選べる立場じゃないとか、顔で決めるのは間違ってるとか思っているかもしれませんが、いや、選んでください。たった一人を。ずっと大切にしたいと思える相手を。
顔で選ばなくてもいいので。
長文、大変失礼しました。