はてなキーワード: ねがいとは
ゲームのオープニングは長くても5分以内にしてください。
最近のゲームって、チュートリアル含めて10分、20分平気でかかるものが多すぎます。
ほんの少し、隙間時間に前々からやってみたかったゲームの電源を入れて、ギリギリまで粘ったけど時間切れで電プチしなきゃいけないことが多すぎます。
同じシーンをもう一度みるのが嫌でやらなくなってしまったゲームが沢山あります。
世界観伝えるために大げさなムービー挿入するのは構わないんですけど、せめてゲーム開始までの時間を記載してもらえませんか?
でないと怖くて始められません。
同じこと悩んでいる人もっと沢山いると思うんですけどそうでもないのかな?
なんかみてると、凄い可愛くてやばい。
私は絵はちょこっと落書きするけれど、
心がふわふわになりました。
可愛くてすごいよ、みんな。
ずっと考えてしまうので(母のことと交互にだけど💦)
かといって現状出来る事と
したいこととは相容れないので
そのへんを縮めるために
出来ることをするのだけど
それはしたくないことだったり
一から全部調べたり人に頭を下げまくって
教えを請わないとよくわからないようなこと。
なので
調べて出来てしまう事はあるけど
やらなきゃなことが多すぎる。
善いことは無い気がするの。
ストレスがあるの判るわ、という共感や、優しい気持ちに触れることは出来るのだけど
恐縮するばかりで、ありがたいばかりで。
現状お返しめいたことができないので
それがまた私をかなしくさせるのです
ふがいないとか、そういうこと。
これがいつもあとまわし。
Priorityの順だけど、それに
頑張ります。
未だに固定電話のDataが某所で残ってて、
でも書き換え出来るProfileは携帯番号にちゃんとなってて、
何処の階層にあるんだろうこれは、という。
訂正して貰わないと、電話をかけたけど現在使われていませんになってしまう。
どうして、自分の個人情報を、自分で書き換えられるようになってないんだろう。
最新じゃないんじゃないの?とも思えてしまう。
父は、三男なんです。
でも違うからって言っても
正しくても
訂正してくれる機関がしてくれないと
間違ったままなんだよ。
そこを触れる権限の人たちが。
おまえらは天然オナホの色やサイズを観察したくてエロ動画見てるわけじゃないだろ?
女優さんがストーリーに乗ってくれてうまくあえぐ様子とかが見てて楽しいんだろ。
ストーリーにリアリティを増すからって女優さんの免許証とかまで撮影しておおっぴらに広めるわけねえじゃん。
それと同じで、あまりに出演者側のリスクが大きすぎてあとからプライバシー侵害とかで訴えられかねない。
そんな部分まで見たくてしょうがないんだろうけど、一度リアル彼女つくっておねがいして見せてもらってくださいとしか言えない。
見たところでたいしたことねえよ・・エロマンガで誇張されてるほどのことはない。
どうせヤってるときはもじゃもじゃしててほとんど何も見えない。
汁気がはみだしてるハズとかきれいなピンクのちっちゃめがいいとかは自分で想像して補ってくれ。
どうせ出産済みだったり色がアレだったらなえる~ってなるのおまえらなんだから
モザイクがあったほうが恩恵あるだろが(顔モザイクの話が他のトラバにあったとおり)。
想像の余地だよ。提供側と受益側の追求の妥協点で表現の枠ができてるんだよ。
相変わらず無職な僕。だけど、少しだけお金が入ったのでエステに行くことにした。理由はもちろん、イケメンになるためだ。エステとはそういうものだろう。
こういうところで小顔マッサージとか痩身マッサージをしてもらえるのか、不安がよぎったが、かまわず突入した。
出てきたのは巨乳の熟女であった。たぶん中国の方だろう。ここでふと思い出した。僕が見たサイトには小顔も痩身も書いていなかったということを。リンパマッサージってやつがそれにあたるのかな?そう勘違いしたまま、僕は全裸でうつ伏せになっていた。
向こうはタイトな服を着ている。こっちは全裸。その状況を頭が理解して、股間に血が巡り始めた。
「お兄さん、今日はお仕事終わった?」とカタコトで言うMさん。ある意味終わっているので、「は、はい」と答えた。
Mさんは泡を使って僕の身体を洗っている。どうやら本気で洗う気はないらしい。フェザータッチである。
洗うならちゃんと洗って欲しい。これは叱るべきなのか? いや、きっとこのままでいい。だって僕の股間は喜んで大きくなっているから。
気づけばMさんは僕の菊門をいじり始めた。いくらなんでもこれで痩せることはないし、ましてや小顔になるわけがない。耐えることがエステの一環なのだろうか。気持ちいいので声が漏れそうになるが、真剣に菊門を洗ってくれているMさんに申し訳ないんのでなんとか堪えた。
耳元でそう聞こえた気がする。
嘘だろ? いま仰向けになったら丸見えだぞ。
「あおむけよー」
もう一回Mさんは言った。
僕は観念した。もう何年も誰にも見られていない僕の息子。しかも成長したこの我が子をさっき会ったばかりのMさんに見せてよいのか?
「は、はいー」
完全降伏した僕は仰向けになった。もちろん息子は手で隠した。頭の部分を中心に右手で隠した。
「ダイジョブよー」
Mさんは僕の右手を振りほどいた。ああ、僕の右手が、僕の右手が、行方不明になりました。
つづく
正しいタイトルは「某アーケード音楽ゲームを"アプデを追いかけるほど"やらなくなって1年経った」。
こんなどうでもいい誰かの事後報告を見るのは多分自分と同じ暇人だと思う。
なので覚えてる範囲でやり始めた経緯から辞めるまでの話、それからやらなくなってからの変化について身バレしない程度に書く
きっかけは高校1年のGW休み?かどっかの休み、本当に気まぐれで知ってる限りで一番大きいゲームセンター(ラウンド1には劣る)に行った時だったか
某社のタッチパネル式エアホッケーのポップさに惹かれてプレイした所「音楽ゲームってこんな感じなんだな」ぐらいのまったり具合で好きなゲーム入りした
最初こそセカオワの虹色の戦争とか、JPOPみたいな曲をやってたぐらいだったけど、ある曲のジャケット絵が偶然目に止まる
ジャケ絵が格好良いとかボス曲だったとかではないが、曲調が思い切りストレートヒットだった。
譜面とかいろいろ調べてる内にその曲が同社の別の音楽ゲームタイトルからの移植曲であることを知る。
そんなわけで移植元のタイトルの筐体がすぐ隣にあったこともあり、ギュイーンって感じのゲームをやるようになった。
エアホッケーとはシステムデザインやコンセプト、楽曲の傾向もまるで違っていたけど、もともとオタクだったのも合わさってこれまでにないくらいハマる。
これが始めた経緯。その後ボス曲を聞いてドチャクソ気に入ってしまった為に本気でプレーをしていくことになる。
それからはTwitterで同タイトルやってる人と繋がったり、オフ会したりしてそれなりに楽しんでいた。
でもそれだけじゃないよねって話を今からしていく。
読んで字の通りなのだが、音ゲー自体本気でやるのが初めてなのもあって成長は時間がかかった。
それこそ1週間や2週間ちょっとではなく、年単位で時間とクレジット数、運指練習を積み上げる。
この時期にTwitterで実際にフォロワー上級者さんに「音ゲーは1,000クレまでチュートリアル」と言われたのだがこれは実際そうだった。
当時の最高難易度に辿り着いたのが実際それくらいだったし、何なら今もそう思う。
そしてここが問題なのだが、音ゲーの成長はまっすぐ右肩上がりには絶対にならない。
ランカーみたいなのは話が別だが停滞して停滞して、いきなり伸びてみたいなことを一生繰り返し、止まっている間入れたクレジットは無に消える。
お上手な期間は本当に短い。その間は死ぬほど楽しいがそれ以外が地獄のようなエグさを感じる。
おまけに自分が成長しない期間の間に他の同ラインにいると感じていたフォロワーがお上手スコアを出してどこからか焦りを感じる。感じてた。
そうやって成長しない自分に嫌気を感じたり、自他共に認めるお上手スコアを出して承認欲求を満たしながら気がつけば5年くらいやってた。
今までの記述でなんとなく何のゲームをしていたのか察した人もいることだろう、何なら筆者が誰なのか察した人もいるかもしれない。
そういう人たちならこの話きっと分かってくれると信じている
が、分からない人からしたら分からんだろうので2015年〜2017年後半くらいまでの間の話を当時のゲームの雰囲気を思い出しながらそれっぽく書く。
始めた当初はシステムデザインや楽曲に惹かれて始めたのは前述の通りだが、ある程度の基準を感じさせる程度には質の良い譜面が多かった。個人的には。
その後しばらくして新しいナンバリングの後継作が発表された。
ゲームの本質とは関係がないが世間一般でいう「ガチャ」が登場し、最高レアが出るとゲーム内の演出としてキャラクターを出すことが出来るといった新しいコンテンツが発表され、バグがそこそこ散見されたが楽しめない訳ではなかった。
しかし実際に稼働が開始して半年?ほど経った時に状況は変わる。
1クレジットのプレーの最後にRPGゲームのようなHPを持った敵が出現し、攻撃(クレジット)を重ねてそいつを倒すことで楽曲が開放されるといったイベントが後出しで出てきた。
問題は倒す過程なのだが、先程言ったガチャでの最高レアを持っている場合特攻が効く。つまり持っている場合と持っていない場合で解禁スピードに差が発生するようにした、ということになる。
当然これには不満を持つプレイヤーが多かった。そりゃおまけ要素として出しておいて今更「解禁楽になりますよ」なんて通る話ではない。
ところがその次のアップデート
先程のイベントに新しい敵が4体+全員倒した先に1体で合計5体(つまり新曲5曲)出てきたのだが、これをガチャでの最高レアなしで解禁する場合概算で100クレジット、日本円換算で1万円かかるとかいう馬鹿げた話をマジでやりやがった。
「音ゲーでガチャゲー要素あるのなんて他にもあるじゃん」って言われれば現在はそうだが当時はこいつだけだったし、何より「解禁に絡めるなんて一切聞いてない」というのが大きすぎる。
ロケテ段階でノートに「ガチャを解禁に絡めないで」と書かれていたのにも関わらずやってのけた。この案件一生許す気は無いし後世に語り継いで行かなければならない。
これ以外にもいくつかシステム面に問題を感じていたのだが、譜面の質の低下も顕著だったように感じる。
出来る出来ないで譜面を判断する輩が一定数いるのは理解してるし、この書き方だと自分もそう思われても仕方ないとは思うけどそれでも適当な作りの譜面増えたのは感じてた
インフレさせとけばいい、むずい譜面出しときゃいいみたいなのはマジでやめてほしい
そんな感じのことがあって開発陣への不満や不信が募りつつ、また譜面の異常なインフレは無駄に加速する一方で追いかける側としても正直疲れを感じていた
それでも惰性と承認欲求で続けてたし、成長速度が遅くても頑張っていたので最後まで解禁に困ることはなかった
でも2017年後半くらいから譜面の難易度が明らかに急上昇すると共に精神的にも本気でキツくなってきてTwitterでの毒吐きがめっちゃ増えた。
Twitterでスコア報告するけど伸びてないからゴミだし、他みんな総じて上手いスコア出してたし、謎のプライドが許せなくてゲーセン向かう、の悪循環。
この時の自分は間違いなく「ゲームをやりに」行っているのではなく「スコアを出しに」行っていたように思う。
そんな中でなんとなく帰りがけに目に止まった某社のドラム式洗濯機ゲームをプレーして久々に"楽しい"ゲームができた気がした。楽しくて仕方なかった。
その時になってようやく、この時初めて「もう辛いし、スコア上がらなくてもいい」と思った。
そうして、このゲームをやる機会は次第に減っていき今では「いい感じの過去の曲がやりたくなったら」「自分の気分に全部合わせて」やるくらいになった。
ちなみに毒を吐いていた時のフォロワーはまだ自分のFFの中にいるし、頻繁ではないにしろ気軽に空リプする。この事も本当にラッキーだったと思う。ありがとうな
洗濯機はまだ続けてる。ただし「スコアを出しに行く」のではなく「音ゲーなんだから音楽を楽しむために」やるスタンスを徹底して貫く様にしている。
「ゲームしにいってるんだから楽しくないなら変に根性出さずに帰る」ことが大事。
それから、別の活動としてプログラミングを本格的にやるようになった。これは自分だけじゃなくてイベントで知り合った近い年代の人たちが居たから持続したんだと思う。
そのおかげか自分も行動を能動的に起こすようになり、かつては考えられなかった超大御所の会社からお話を頂けている。自分は本当にラッキーだった
音ゲーをするのもいいけど、やっぱ他の趣味が有るのと無いのでは全然違うんだと身をもって感じた。
こんなクソッタレた投稿で今更自分が人様にとやかく言う資格なんかないんだろうとは思うが、それでもこの3つは守ってほしい。
特に1つ目は本当に覚えておいてほしい。でないと自分と同じ間違いをしてしまう
2つ目だが、自分がたまたまコードを書くのが適していた(?)だけで別にプログラミングを趣味とする必要はない。
けれど、趣味が音ゲーだけだといつか辛い時期が来る。その中でも楽しく生きていくために趣味は多いに越したことはない。
3つ目だが、 よくある話だと捨てゲーは正直な所「やってる側が楽しくない」のが見え透いていて、外野から見る人間からしても見苦しい。
事情や目標はあるだろうがそれで周囲の人も自分も幸せになれないくらいなら、いっそスパっと諦めてしまうほうが精神衛生的にもよい。的な。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
まず断っておくと、自分はめちゃくちゃVtuberという存在が嫌いだ。
中身おじさんなのを知りながら男が(同性愛としてではなく)ガチ恋だとかエロいだとかと言っているのを見ると身の毛もよだつ思いだったし、いわゆる普通の生身のYoutuberを小馬鹿にしてたくらいの層の人間が、Vtuberのことは嬉々として喋るようになったのを嫌と言うほど見てもやっとした気分になっていた。
いくつか有名どころの動画を見たことあるけど、結局普通のYoutuberと内容に大きく差があるわけでなし、むしろ内輪感みたいなのがより強いように感じて、中身がないだの信者が気持ち悪いだの生身のYoutuberに浴びせられていた批判は、こっちにも浴びせられてしかるべきなんじゃないかとずっと感じていた。言葉を選ばなければ、結局こいつら絵が付いてないとブヒれなくて、自分がブヒれないのに世間で話題になるコンテンツは無条件で叩くってだけだったんだな―と思ってた。
けど、今はすっかり下火とはいえ、Vtuberはアンチの自分から見ても相当流行りに流行った。評判がよろしくないらしいけどアニメが今やって(もうやってない?まだやってる?)たり、NHKのニュースにまで出るようになっているらしい。テレビで取り上げられたのは近未来感があって面白い試みだから…とかいろいろ理由があるにせよ、オタク趣味持ってる人間でVtuberのこと全く知らないというのは、深夜アニメを一切見ない人種と同じくらい少数派になっているように感じた。
自分は萌え系のコンテンツに積極的にハマりに行くタイプではなかったが、オタク趣味全般はある程度知識の「守備範囲」に入っているというつもりで、自分の気持ちと一致するかは別としてmその辺のジャンルの何が受けているのか、ファンはどういう気持ちでそれを見ているのかをある程度理解できるつもりだった。
だからこそ、ここまで自分にとって受け入れられない、楽しんでるヤツの神経がわからないコンテンツが自分の守備範囲から世の中に肯定的に取り上げられていくというのは個人的に初めての経験で、ハンドル含め名前の出るところでは「詳しくないけど面白そうと思っている」くらいのスタンスを演じつつ、匿名掲示板で死ぬほどくさしたりしていた。(増田には書いてなかった)
ただけっこう過激派アンチだと思う自分でも、Vtuberのみんながみんなを毛嫌いしているわけではなく、どうやら自分の中に「これはまあ許せる」という基準があるようだった。一言でいえば、「自分の知識や技能を発信するときに、生身とか解説動画でやるより多くの人に見てもらえそうだから」という感じでVtuber活動をしている人たちには、あまり嫌悪感がないのだ。○○〇〇学という素人にはちょっと気乗りしたい分野の知識をシリーズ動画で話しているVtuberを知っているが、この人は中身はおそらくおじさん(たぶん学者さん?)で、お嬢様風の萌え萌え女の子アバターを使って活動しているのだけれど、これは自分の勝手な基準の中で「許せる」。
逆に中身とアバターの性別や属性が一致している(若い女の子が中身の人とか、アバターが別にイケメンでもない男だったりとか)としても、自分は大半に対してさぶいぼが出るほどの嫌悪感を抱く。女体化だのおじさんがかわいい女の子の振りをすることだのに抵抗があるわけではないということだ。じゃあ自分はVtuberの何が嫌いなのかというのをこっから吐き出すとともに、「でも、お前らだってそうだったはずじゃん!」と駄々をこねたいというのがこの投稿の主な目的だ。
一言でいうと、つまり自分は、「キャラなりきり」というものをものすごく気持ち悪く感じるのだ。
基本的にVtuberは自作のキャラになりきって、そのキャラを演じて動画を作るから、ここが嫌いではそりゃ大半はどうしようもない。そもそも自分には絶望的に合わないコンテンツだったのだ、と自己分析としてはすんなり納得がいっているのだが、その中でも「許せる/許せない」が出るのはどういうわけか。
これは、「許せる」側の投稿者は、キャラなりきりをあくまで情報発信のための都合がいい手段としてとらえている(ように自分には見える)ということが要因なのだと思う。町おこしのためにゆるキャラが考えられ、中の人が着ぐるみになりきって活動していたとしても全く嫌悪感はないわけで、Vtuberの中でもそちら側のタイプっぽい人は全然許せる、という心情をどうも自分は持っているらしい。
反対に許せないタイプのVtuberは、どこからどう見てもキャラになりきることが目的の人たちだ。別に誰にも迷惑をかけていないのだから自分が許さない道理はないのだが、どんなに友人におすすめされても、こういう人たちは全く好きになれる気がしなかった。なまじ設定が凝っていたりすると余計ダメで、その設定を持ち出して動画の中で一笑い起こそうとしているのを見たりすると、もう半日くらいおなかを壊すくらいにどうしても受け入れられなかった。
この「なりきり」への嫌悪が自分の中で醸成された過程は正直定かではない。ぶっちゃけ、自分が人並外れてこのジャンルへの嫌悪感が強いとは全く考えていなかった。嫌悪感に今まで気づかなかったという意味ではなくて、みんなこれぐらい嫌っている(忌避している)ものだとばかり思っていたのだ。
SNSだのが登場する以前、ネット上のコミュニケーションがBBSやらチャットだった頃、普通に自分のハンドルで雑談するコミュニティのすぐそばに、「なりきりチャット」やら「夢BBS」やらがあるのは目にした覚えがある。なんなら覗いてみたこともあるかもしれない。でも、そこでやっていることが楽しそうだとはどうにも思えなかった。多分、初めてその存在を認識した時から、なんとなくそういう趣味は普通の雑談よりもキモチワルイものだと感じていたのだと思う。
SNSが、とりわけミニブログ系のやつが登場して以降、「キャラクターなりきり垢」みたいなものもたまに目にした覚えがある。テニスの上手い〇部とか不〇とかになりきって会話してるやつ。ああいうのも存在は知っていたが、やっぱり気持ち悪いやつらがやっていることだと認識していた。ジャニーズの夢メール画像だとかと同じジャンルのものとして。テーマに沿った、あるいは沿っていない雑談をする中でも、かなりヤバい奴が集まっているテーマというか、あまり直視したくない「ネットの闇」の方のコンテンツだと思っていた。
ましてや、オリキャラのそれなんて、もっと見たくないものというか、あけっぴろげに言えば思いっきり見下していたジャンルだった。
そもそも素人がオリキャラ作ってそれをみんなに見せて…という行動自体、メアリースーだの、オリジナルSSだので割と見下されることの多い趣味だったように思う。その上、それ自体も怖いコンテンツであるキャラなりきり。このような趣味は、もうネットの恥部と恥部の重なりの部分、見下す云々以前にどんな奴がやってるんだかむしろ怖いもの見たさで知りたいくらいの闇ではなかったか。
そして正直なところ、自分のここまでの認識がそこまで一般ライトオタクとずれていたというつもりはない。Vtuber流行以前なら、キャラなりきりに対するスタンスを聞いてみれば、結構な人が(程度の差はあれ)同じような答えだったのではないかと思う。
ぶっちゃけ、オリキャラ作って他人に見せて…のほうは、「その中でも認められて素人でなくなった人はいる」という所を指摘されるとどうにも反論できない。が、そういう風に羽ばたいていった人たちに備わっていた力量みたいなものが今流行っているVtuberにあるとは思えない。そもそもそういう人たちの創作は内輪ネタみたいなものと無縁な気がする。反論しきれていないというのは重々承知だが、「なりきりではあるがオリキャラだからVtuberは流行れた」ということにはならないのではないかと思う。
というかぶっちゃけ、「オリキャラなりきり動画投稿者」と呼んだ時、ほとんどの人は何かおぞましい、自分が上で言っているようなネットの闇っぽいものを連想しないだろうか?以前似たようなアンケートを匿名の場でとったことがあるが、大体のオタクはこれをVtuberのことだとは思わず、ゆっくりで茶番劇をやるようなのだとか、一人で必死に声色を使い分けてヴォイスドラマを録ってるようなヤバいの(そんなのがあるらしい)だとかを連想していた。
でもVtuberって要するに「オリキャラなりきり動画投稿者」だよね?これ以上の要素も特に含まず、過剰に誇張している部分も特にないと思う。意味を端的に表そうとすれば相違なくこうなるのではないだろうか。
だからこそ、自分にはなぜこのおぞましいジャンルが流行し、多くのオタクに受け入れられたのかが分からない。たとえ最盛期のVtuberファンの半分が「みんなが見てるから」でファンになったのだとしても、もう半分はこのネットの闇を好意的に捉えたということになる。一体それはどうしてなのだろうか。
Vtuber好きが集まるところでこんなことを言えば荒らし扱いで無視されるだろうし、同じアンチ同士で話しても「最初は工作でそれに流された奴がファンになった」だの「あいつらはシコれればなんでもいいだけだから」だのいまいちピリッとした答えをもらえないでいる。
多分自分の認識のどこかにずれがあるからこうなったのだと思う。それがどこなのか、誰かに教えてほしいのだ。
追伸
反応を見て、だいたい「Vtuberはオリキャラなりきり的なコンテンツではなくて、単に中身本人の人格のままアバターを被せただけのものである」や、「TRPGやPBWのように、素人のオリキャラなりきり自体言うほど忌避されるものではない」というあたりが自分の勘違いだったのかなと感じている。
前者の方はかなり納得していて、要するに自分の「許せる」基準に合わせて言えば、Youtuberとして自分自身を発信していきたい人間が、生身の自分よりも多くの人に親しみを持ってもらいやすいと考えてアバターを使ったということなのだろうと思った。アンチの中にはこういう捉え方をした上で「○○とか○○は単なるYoutuberワナビーが売れるためにアバター被ってるだけじゃん」みたいな嫌い方をする人もいるかもしれないが、自分自身としてはそうであってもいいんじゃないかと感じるし、ファンになれるかは別として、こういう方針で活動をしている人なら別にサブイボが出るほど嫌いにはならないと感じている。
後者の方は確かにオリキャラなりきり系コンテンツの中でもまあまあ高尚(というか多少カッコが付くくらいの意味)な趣味もあったなあ、と感じたのだけれど、TRPGやらPBWはあくまで本人が楽しいコンテンツであって、誰かが作ったオリキャラの情報発信をファンが楽しむ、みたいな構図はあまりなかったように思う。人生で数回やったことがある程度の知識しかないので、この辺の認識違いがあればまた指摘してもらいたい。
VNIに関しては、正直自分の頭からVtuberと同ジャンルのものだというイメージが全然抜けていて、指摘されて自分でびっくりした。構図的にはかなりそっくりなものなのに、なんで抜けていたのだろう。(これ自体広く受け入れられたかというか、ネットの闇扱いされていなかったかはこの際考えないでおく。)
多分、VNIはあくまで受け手側の気持ちとして見ていたので、「オリキャラなりきり」と自分は捉えていなかったのではないかと思う。Vtuberは、ネット上の知り合いが何人もなっていったりして、中身の人間、つまり発信する側が自分の視野の中に入っていたせいで、そういうものとして見ることになったのかもしれない。
流行った理由の考察としては、もともとゲーム実況が好きになる素養のあった人が、可愛い女の子のアバターに惹かれて見に行ってファンになったというのがとても自分でしっくりきた。というか以前から何となくそういう推測は自分の中にもぼんやりあった気がするのだけれど、「それでもあのオリキャラなりきりっていうコンテンツへの拒否感が普通は勝たないか!?」と考えてそれを流行った理由として捉えられていなかったのだと思う。その拒否感の方が自分の勘違いだったと分かってしまえば、すんなりと腑に落ちる。
自分としては、今挙げたような内容が自分の勘違いのせいで認識のずれが生じ、世間で受け入れられたものを自分は許せない、という状況が生まれたということである程度納得している。だからと言ってたぶん好きにはなれない(これは完全に個人的な好みとして嫌いなタイプの文化が界隈にあるから)のだけれど、多くの人に受け入れられて流行った理由も、ファンの心理もとりあえずは理解できたように感じている。
もしこれらの他にも自分の認識の違いがあったり、あるいはまったく的外れなことを言っていたりするようならば、また指摘してもらいたいと思う。よろしくおねがいします。
世紀末の時代、僕は匿名掲示板には真実が書かれていると信じ込んでいた。
(中略)
伸びるものもあれば伸びないものもあり、それらの釣果はまちまちだけど1つ確実に言えるのはそれらのほぼ全てがウソであるという事だ。
僕の書いた嘘を本気にした人たちが、アドバイスやマウントを投げかけては去っていくのを見るたびに、あの頃自分が真実だと思っていたことも同じように嘘であったことを実感する。
狭い画面の中で見てきた、この世界中のありとあらゆる奇妙な出来事、クラスの誰もが知らない自分だけが知っている、嘘みたいだけど本当にあった話、それらのうちで本当に本当だったのはきっと1割にも満たないだろう。
生身の人間が嘘ばかりつくのならインターネットで人は真実を語るはずだ、そんな生温い願望を持ち続ける者たちを釣り上げることで、自分の中で何らかの効力感を得ようと目論む人種がインターネットには多数潜んでいる。
僕もかつて、その願望に振り回された1人であり、今はその願望で人を振り回す1人である。
インターネットは嘘ばかりだ。
現実も当然のように嘘ばかりだ。
嘘ばかりの世界で生きていくには、それを楽しめるようにならないといけない。
そのために僕は今日も嘘をつく。