はてなキーワード: 政令市とは
https://samurai20.jp/2023/01/colabo-6/
【資料公開】女性保護を謳う法人(コラボ)から、”生活保護の不正受給”指南されたと勇気ある告発(議員資料)
本件資料をお渡ししたのは、自由民主党の川崎市議会議員の浅野文直先生(宮前区選出)です。当選回数6期の大ベテランで、私も少しだけお話しさせて頂きましたが非常に実務能力に長けた先生だと感じています。特に川崎市は、政令市です。自民党の政令市議連は相当に練度が高いことで有名で、少し話しただけでも長年のキャリアに基づく安心感を覚えました。
小坪慎也、残酷で有名なだけ男を張って来たな。これは確度が高い。
というか流石の小坪でもあの市議にはビビると思う。頭いいし度胸もあるからな。
ふたりともクビをかけてよくやった。
https://twitter.com/ee0oa/status/1614350872255004673
𝑠𝑖𝑜🧸⸝⋆
@ee0oa
小坪さんがまとめてくれた資料の方が
全て分かりやすく書いてあるので
1度この資料を見て下さい!
私が回答したりなんなりっていうのは
把握よろです⸜🙌🏻⸝
@kotsubo48
「生活保護の不正受給をしてしまったのではないかという 勇気ある告白に伴う返済の要否に関する調査依頼」を、陳情者のお許しのもと公開いたします。
【資料公開】女性保護を謳う法人(コラボ)から、”生活保護の不正受給”指南されたと勇気ある告発(議員資料)
https://samurai20.jp/2023/01/colabo-6/
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嘘松。
鴨川は京都市を流れる河川なので、店も京都市であるとこがうかがえる。しかし…
それに、京都市から最も近い政令指定都市は大阪市であるが距離は30km以上は離れている。
もしかして、京都以外にも鴨川という名前の河川があり、京都市とは全く別の政令指定都市の近くが舞台かと思いきや…
そこは腐っても京都府内だ
好意的に解釈しようとも、主要となる舞台設定に矛盾があると言わざるを得ない。
なんとなくおしゃれっぽい雰囲気を出そうと鴨川を舞台としたものの、プロットがまともに作れていないことが露呈している。
もっとも、話のオチをつけることすら放棄している時点で、プロット以前の問題でもあるのだが。
そのかわりに、冒頭と終盤で読者に語り掛けるテクニックだったり細かい人物描写だったりと、小手先の技術で文学らしさを作り上げようという努力はみられる。
ぎらぎらとしているようで、どこかあどけない感じもして、しかし落ち着いている。只者じゃない。修羅の目だ。多くの物事と戦ってきたに違いない。人生の重みは表情に出る
結果として元増田の文章は、読んだとて何の知見にもならないただの文学っぽい文字の羅列にしかなっていない。
階段の事故を防ぐため、名古屋市が利用者に対し、片足ずつでなく両足を一段ずつ乗せて上り降りするよう努力義務を課す条例を来年に制定する方針であることが分かった。10日、市議会総務環境委員会で明らかにした。来年2月に条例案を市議会に提出し、同5月の施行を目指す。
同様の条例は昨年10月、埼玉県が全国で初めて施行しており、名古屋市で制定されれば、全国で2例目、政令市では初となる。
市によると、条例案では「階段は両足を一段ずつ乗せて利用しなければならない」とし、駅や商業施設などの管理者には周知することを義務付ける。罰則はない。2026年には名古屋市など愛知県内でアジア競技大会が開催され、県外や海外から多くの人が訪れることが見込まれることもあり、市の担当者は「周知徹底を図るため、来年の制定を目指す」としている。
市営地下鉄や鉄道会社はこれまでも注意を促すキャンペーンをしているが、担当者は「条例制定で官民一体となって啓発に取り組む」と話す。
昨年度、市内の階段関連の事故で救急隊が出動した件数は133件。市が今年4月中旬から5月下旬、駅などの10カ所の階段で利用者を調べたところ、99.9%が片足ずつ上り降りしていた。
ちょっと聞いてくれ。
数年前のことだ。うちは日中~夜まで飲食店をやってるんだが、とあるお客さんがいた。今でも記憶にこびり付いている。話させてほしい。気持ちの整理をつけるためにも。お客さんの立場である増田民のあなたも感じることがあるかもしれない。
当時、とある田舎の一級河川沿いのエリアで食事メインのお店をやっていた。おでんに、蕎麦に、刺身に、唐揚げとかポテトサラダとか、野菜のお浸しとか、居酒屋に近い。コの字型のカウンターと、座敷がふたつだけある。
いつもは俺と、アルバイト(男2、女2)のうち最低1人が一緒に働いている。平日は暇なんだが、週末になると忙しい。北にある政令指定都市の方から、会社や学校帰りの人が流れてくる。
それで、店内が八割方埋まって、スーツ姿のリーマンとか、会社名入りの作業服を着てる人とか、数人連れの大学生とか専門学生でわいわいとした雰囲気になる。
うちの料金は安い。はっきりいって安い。鳥貴族に毛が生えた程度だ。元実家の土地でやってるからな。
そんな中で、ひときわ目立つお客さんがいた。最初に会ったのは平日の夜だった。その時間帯は、アルバイトの女子大生に接客を任せて追加分のおでんを仕込んでいた。
格子枠の扉をガラガラと開けて、その人が入ってきた。外身は白っぽい作業服だったかな。時期は初秋で、作業服の下にはシャツとネクタイが覗いていた。銀色のネクタイピンも。
「ん!?」と思って顔を見ると、アァと納得がいった。あなたも人生で何度か見たことがあるのではないか。圧倒的なオーラの持ち主を。その人の目を見ただけでわかった。
ぎらぎらとしているようで、どこかあどけない感じもして、しかし落ち着いている。只者じゃない。修羅の目だ。多くの物事と戦ってきたに違いない。人生の重みは表情に出る。
見た目は30過ぎかなと思ったが、こういうのに年齢は関係ない。繰り返すが、苦難の日々は顔に刻まれる。
アルバイトの女子大生(Nさん)が彼のところに向かっていた。見たことのない笑顔で「いらっしゃいませ」と言っている。屈託のない様子で「初めてですか?」とも。
当時、コロナは流行っていない。その人(S氏)は「どこに座ったらいいですか」と言ってたっけ。Nさんに「お好きな席にどうぞ」と言われて、俺がおでんの仕込みをしているカウンターの前に座った。ほかの客はほぼいなかったと記憶している。
唐突に会話が始まった。
「涼しくなってきましたね」からスタートして、好きなお酒から、好きなアテに、この周辺でおススメの居酒屋に、S氏の仕事の話など。盛り上がった記憶がある。暇な日だったのでNさんも会話に入っていた。ルンルン(死語)な気分でS氏と話をしていた。
やがて、S氏は自分とNさんにそれぞれ1杯おごって、約一時間ほどいて帰って行った。その時はいい人だなぁと思っていたけど、Nさんがいつまでも嬉しがっている様子を眺めていて、ちょっと思うところがあった。
その日の営業が終わって現金を数えている時も、Nさんは心なしか嬉しそうだった。気のせいかとも思ったけど、やはりそんな気がした。
「なあ、今日はうちに寄っていくか」とNさんに聞いたら、「朝から講義がある。ごめん」とだけ返ってきた。
Nさんとは付き合ってまだ半年で、気持ちが通いきっていないのもあった。何かに負けたような気がして悔しい思いがした。
実際、いいお客さんだった。小一時間もしないうちに帰るのだが、その間に最低でも三~四千円は落としてくれる。自分の酒肴以外にも、店員がいたらみんなにジュースやお酒をおごってくれる。
短い時間ではあったが、いろいろ話をして盛り上がったのを覚えている。店の十周年記念の時はシャンパンを空けてくれたっけな。
金持ってるだけじゃなくて、人柄もよかった。今でも思い出す。懐かしい記憶だ。
ある時だった。S氏が初めて来店して三ヶ月くらいか。夜九時頃の店内で、残業帰りのS氏と俺とNさんで話が盛り上がって、S氏のグラスが空いたところだった。「じゃあもう帰ります」ということで、クレジットカードを受け取った。それで、コの字のカウンター卓の奥でクレカを機械に読み込ませていた。
ふと声がして、お客さんの注文かなと思ってホールを見ると、S氏がNさんと携帯電話の番号を交換しているところだった。
「今度、ご飯行こうな」「はい!」という声が調理スペースの方まで響いてきた。そのタイミングで俺は、決済処理を終わらせてふたりのところに向かった。何事もなかったようにしてS氏は、Nさんからコートを着せてもらって入り口に向かった。
普段はスタッフに見送らせているのだが、俺も一緒に入り口へと向かった。S氏を見送ると、彼は歩いて自宅の方に向かった。姿が消えたのを確認した。
「電話番号、交換したんか」とNさんに聞くと、「うん。何度もしつこくって」という返答があった。ご飯、行くのか」と聞くと、「多分いかない」と返ってきた。
訝しい感じがして、でも問い詰めることもできずに、そのまま調理スペースに入ろうとしたところで、ほかのお客さんから注文の呼び出しがあった。
ここまで言ったらわかるだろ。ある程度は。
核心的なところを言うと、それから二ヶ月後だった。S氏とNさんが、お店からおよそ10km離れた政令市にある百貨店の休憩所で一緒にメシを食っているのを見た。ちょうど食べ終わるところだった。
ハンバーガーか、クレープか、たこ焼きか。よく見えなかったが、百貨店内のどこかでテイクアウトしたものだろう。Nさんは綺麗な恰好をしていた。華美ではないけど、暖かそうな秋冬用のワンピース風……あれはなんというのだろうか、女のファッションはわからない。
清潔感のある装いだった。茶色の小さい鞄を肩から下げている。どちらも、俺とのデートで付けているのを観たことはない。いや、鞄の方は多分ある。
それで、ふたりが立ち上がって、時計や宝石を売ってるエリアへと階段を降りて行ったところで、俺はそのまま地下街に向かった。当初の予定どおり、常連さんにサービスする用の特別な食材を買って帰った。
俺がNさんとデートする頻度は、2~3週間に一度だった。あの子は看護の大学に通っていたから忙しかったのもあるし、俺自身がお金を貯めている最中で金欠だったのもある。
セックスはしたりしなかったりだ。割合までは覚えていないが。あの光景を見てから、次にNさんと会ったのは二日後だった。あのワンピースみたいなのは着てなかった。簡素な恰好だ。部屋着というわけではないが。
あの百貨店の近くの河原町通りやアーケードを一緒に歩いて、食事をして、猫カフェに行って、映画を見て、近くにあるホテルに入った。
あの時の俺は必至だったと思う。いや、必死だった。「愛してる」とベッドの中で何度も言った。伝えた。本当は、叫んでいたかもしれない。Nさんもベッドの上でいろんな動きをしたり、いろんなことを言っていた。
でも、Nさんは行為の最中に特別な何かをするでもなく、普通の調子だった。普通のセックスだった。30分で終わった。いや、なんかもうわかっていた。そんな気がしていた。
「別れよう」と言われてはいなかったが、Nさんと会う頻度が落ちていった。次にデートするまでに一ヵ月以上かかることもあった。
S氏がお店に来る頻度も落ちていった。さすがに計測はしてないが。S氏は素直に凄い奴だと思っていた。いい大学を出てるし、いい会社で働いてるし、偉ぶったところもないし、自己中に感じることは稀にあったが、よくいえば決してブレない。
俺は高校を出てない。子どもの頃から勉強が嫌で嫌でしょうがなくて、それで進学から逃げて、17才の頃までは完全なるプー太郎で、親に叱咤激励されて伏見の小料理屋でアルバイトを始めて、滅茶苦茶に厳しい毎日で、それでも料理作るのが楽しくなっていって、中年に差し掛かった頃に両親が死んで、相続した土地と家屋を改装して今の店にした。長かった。
でも、やっぱり真の人格ってものがあるよな。S氏は、スタッフに飲み物をおごってくれなかった日は一度としてない。店員が男だろうが女だろうが、必ず一杯は出してくれた。俺はほかの店に飲みに行っても、可愛げのある女の子の店員にしかお酒は出さない。
S氏は、はっきりいって『上』の人だと思う。Nさんの件さえなければ。これで俺より五つ以上も年下なんだから笑えてくる。
そんなこんなで、半年も経つ頃には諦めがついた。ある日、お店でS氏と話していた。それで、ふいに聞かされてしまった。
「先日、Nさんのお父さんに会ったんですよ」
だってさ。キツイ。当時の俺にはキツかった。Nさんへのデートの打診を3回続けて断られていた。そういうことだったんだな。
俺の中で何かが切れた音がした。少年時代に読んでいた漫画(ジョジョだったと思う)で、「切れた。僕の中の大事なものが……」といった台詞があった。当時は、そんなわけねーだろと苦笑していたが、ジョナサンの気持ちがわかったかもしれなかった。本当に、心や体の『糸』が切れると、抵抗する気すら起きなくなる。ただ、沈んでいくだけ。
Nさんのことは諦めた。
それから二ヵ月くらいか。鬱々とした気持ちで過ごした。どうしようか。悔しい。畜生。どうすることもできない。でも、やっぱり悔しい。畜生だな、本当に。いや、くっそ。悔しいんだよ。でも、感じない。心がマヒしているみたいだ。本当は悔しいって思いたい。
俺の大事な女を取りやがって。くそ、くそ、くそ!! あいつさえ、あいつさえいなければ。畜生!! ○してやりたい。
暗い気分にさせてごめんよ。もうちょっとで終わる。あれは四年と少し前のことだ。初夏の頃だった。大きい台風が迫っていて、すごい雨だったな。うちの店はそれでも営業していた。開店当初から決まっているのだ。どんな雨風が来ても絶対に店を開けてやると。
そういう時にうちに来るのは、決まって大雨対応で疲れ切った近所の人か、ほかの店が閉まっているために流れてきた飲み客だったりする。
土曜日の深夜だった。S氏が疲れ切った様子で店に来た。スタッフはみんな上がらせていて、俺しか店に残っていない。彼は「いや、疲れましたよ。何時間か寝たら、また職場まで出発です~」といったことを告げて、メニューを手に取ろうとしていた。
「増田さん。外の雨、すごいですよ」
「ええ、すごいですね」
「二十年前もこんなんがあったんですよ」
「本当に? 自分、このへんの生まれじゃないんで詳しくなくて」
「大雨の対応って。樋門(※排水ゲートのようなもの)の面倒でもされてはるの?」
「そんなものです。そうだ、せっかくですから一緒に外に出てみませんか。ある意味記念です」
「ほな行ってみましょ」
そんな具合で、店から歩いて一分ほどのところにある鴨川(のさらに南の支流)のほとりまで来た。家屋と家屋の間に雑草だらけの小道が通っていて、そこから川の方を向いた崖地に辿り着いた。
真下を見ると、葦やら雑木やら上流からの堆積土やら、いろんなものが流れ着いている。見た目の悪い場所だった。今は河川の底を拡げる工事が進んで、もっと綺麗になっている。
俺は傘を差していて、S氏は簡易なヤッケを装備している。真っ暗な世界の中で、唯一の明かりが頭上の頼りない水銀ランプひとつだけだった。今は、2人で濁流を真上から見ている。ここから飛び降りたとしたら、数秒もかからないうちにドボンだろう。それほど水嵩が増している。水の色は見えない。
「下流はとんでもないですね」
「ここよりはマシですね。護岸が整備されてるんで」
「こないな時期に大雨の対応はしたくないでしょ」
「はははは。まあそうですね。でもね、しっかりしないといけないんでね。結婚もするんで」
俺は何も言わずに、彼の方に寄った。
「危ないよSさん。下がって」
その時、殴りつけるような雨が降ってきた。風も強い。S氏は、身を屈めるようにして風雨から身を守っていた。すると、ふいに彼が鴨川の方を向いたっけ。しみじみとした寂しい背中だった。
「Sさん」と声をかけると、いまだに彼は増水した河川を見下ろしていた。風がまた吹いてきた。強い風だった。
……数分が経って、俺は雑草だらけの小道の途中にいた。後ろをサッと振り返った。誰もいなかった。雨の音がうるさい。
そのまま、雑草だらけの小道をザクザクと踏み分けて行って、店の方まで戻った。お客さんが来ていないことを確認して、ラジオで大雨情報を聞いて、誰も来ないだろうという個人的な確信が強まっていった。
特にオチがなくて申し訳ない。誰かが悲しい思いをしてるとか、嬉しい思いをしてるとか、そういうことでもない。
お店は今も普通に営業している。あれからすぐにNさんは店をやめてしまったが、そこは腐っても京都府内だ。別のアルバイトに「いい子いない?」と聞いたら、新しい子が面接に来た。幸いにも、Nさんと同じくらい朗らかで明るい雰囲気の子だった。今でもお店で働いていて、辞められたら困る人材に成長している。
ずっと思っていた。苦しかった時期のことを話したいと。あの日を境に肩の荷が下りて、心と体が軽くなって、ゆっくり眠れるようになった。すっきりした気分だった。今ではのびのびと働くことができている。
ちょっと古いが
73 国家総合職(中堅省庁:外務省・防衛省・経済産業省・金融庁・内閣府など) 衆・参議院総合職
72 国家総合職(下位省庁:国土交通省・厚生労働省・農林水産省・環境省・文部科学省など)、国会図書館総合職
71 国家総合職(法務省、外局・独立行政法人など)、衆・参議院法制局
64 都庁I類
63 航空管制官、参議院一般職、労働基準監督官 、政令市、優良県庁
61 財務専門官、国家一般職(本省=霞ヶ関採用)、裁判所事務官一般職、国税専門官、下位県庁 、特例市役所
60 国家一般職(人事院事務局・管区警察局・財務局・経済産業局) 、防衛省専門職
59 国家一般職(運輸局・地方整備局・地方検察庁) 、一般市役所
58 国家一般職(労働局・入国管理局)、県庁(学校事務・警察事務)、法務教官、町役場
逆だよ。ブス(男女問わず)ほど役所を受けた方がいい。特に仕事により一発逆転を狙わないタイプのブス。
首都圏の政令市または特別区のどっかの人事部門で働いているけど、美人は辞める。イケメンはいじめられる。その点ブスはやめないし、出世もするもしないもブスの自由だからワークライフバランス重視もできる。採用コストとしては美人・イケメンの方が割に合わないといつも思っている(が、課長と部長がジジイなので顔採用が横行する。)
高学歴美人は周囲のレベルの低さ、元増田の書いた通りギョッとするようなセクハラ、回される仕事(秘書、広報、観光みたいなところに配属されて、パンフレットの写真になったり、イベントの司会のお姉さんを延々とやらされる)を憂いて、よりキラキラできる環境を目指して辞める。普通に外資とかいく。
低学歴美人は同じくストレートなセクハラと、窓口みたいな変わり映えのない仕事しかさせてもらえないため、嫌気が差して早々に結婚して子供3人くらい産んでひっそりと辞める。(25歳から35歳まで産育休→退職みたいな技を使う)。
高学歴イケメンは「高学歴のイケメンなのに役所入っちゃったんだ(笑)」のいじりが40歳くらいまで続く。嫌気がさして病むか辞める。
低学歴イケメンは「お前が役所に受かったのは採用パンフレット用」と顔採用であると言いふらされて、仕事ができようができまいがやっかみでいつまでも顔採用扱い。大した仕事もつけてもらえない(が、転職先もないので感情を無にして働き続ける人が多い)。
その点ブスはよい。高学歴ブスは「努力家」「志を持って役所に来た」ことにされて、若いうちから要職につけてもらえる。男も女も関係ない。ただ、不思議なことに男女ともに年次が上がっていくにつれて小綺麗になる。人事、企画、財務など人前に出る仕事が増えるからだろうか。
低学歴ブスは最もパイを占める人々だが、この人たちにとって役所はいいところである。見た目がキモくても誰も気にしないし、セクハラもない。仕事も単調なのを数年で回しあってる。成長もないが、激しい残業(例えば日を跨ぐとか)に当たる率も低い。遅くても19時とか20時には帰れるし、激務部署で定時退社を守り切っても「あいつはまあ…」みたいに扱われる。
美人とイケメンは入るまではイージーかもしれないけど、入ってからがしんどいのでオススメできない。ブスは入るまではしんどいだろうけど入ってからはイージーなので、逆に根性出して頑張って欲しい。
その筆記も政令市や特別区じゃないなら教養試験だけだし、今どきは予備校対策不要の実質SPIを教養試験としてる自治体もある。
残業皆無で働いたとしても年収で30歳450万、40歳650万、50歳730万くらいまでは年功序列のおかげで堅いという点。
たとえ定年時に主査程度にしかなれてないみたいなポンコツ職員であっても年次の積み重ねでこれくらいは貰える
(※都心まで2時間とかかかる埼玉や千葉の一部田舎エリアはこんな貰えないだろう。
ちなみに、特別区職員だとこれ+50万円位はポンコツ職員見込み年収が増えると思うけど頭良くないと無勉筆記通過がそもそも無理な試験である)。
でだ、
小池百合子や石原慎太郎が着ていたようなダセえ羽織ものを毎日着る自分、
民間大手の内定死んでも取れなさそうな弱者男性達が同僚にうじゃうじゃいるのを見て。
ていうか、そもそも市民課や図書館あたりの業務が超イージーでなおかつ忙しくない天国部署に配属されて、3年間くらい定時退勤当たり前の恩恵にあずかれる可能性がかなりあります。
これは強い。
ただ、唯一デメリットがあるとすれば、
美人だと恐らく20代のうちに必ず1回は他の職員からドアウト級のセクハラをされるだろうということ。
たとえば、
LINEで一発アウトの性的メッセージ送られまくったり(「ほんと1回だけ試して!俺とした女の子みんな中イキして最高だったって褒めるから絶対損させない!!」とかそのレベル)、
半ば無理やり2人きりの飲み会に連れてかれて途中から愛人関係を迫られるとかそのレベルの目に遭うことは多分あるでしょう。
セクハラ加害者がそこらへんの係長とか課長なら速やかに処分下されるとは思うけど、若い美人職員に超絶アウト級のセクハラやってくるようなのって
次長とか、下手すりゃ部長とかで「我輩は副市長も狙える役所内四天王だ」みたいな地位の、表も裏も治めてるオッサンだったりするから難しい。
ハムスターが死んだとかのクソみたいな理由ですら鬱とかの診断書あれば取得が許されるシロモノだから、セクハラ食らったら安心して適当に適応障害あたりの診断書貰いに行きなさい。
今回の台風で便乗で知事が要請してないとか言ってて、なぜか静岡市長が有能とか言ってる奴がいるが、
平成26年台風第18号(静岡市内水没&東海道線10日運休)→要請なし
その他は県の検索結果でどうぞ
https://www.pref.shizuoka.jp/search/result.html?q=自衛隊派遣要請&sa=検索&cx=014900552401147414672%3Ah-z8mixgylc&ie=UTF-8&cof=FORID%3A9
それが政令市であっても。
ハコモノと自分の利権しか興味のない市長の方がもっとクソな事を知ってほしい。
大体被災地にヘルメット被ってない時点で災害に対する姿勢がアレすぎ。
(追記)
敬老パスの廃止・見直し、政令市の6割で…高齢者増で財政負担重く
高齢者がバスや電車に割安で乗れる「敬老パス」について、全20政令指定都市と東京都のうち約6割が制度を見直したり廃止したりしていることが読売新聞の調査でわかった。パスは高齢者の社会参加につながるとされるが、高齢者の増加に伴う財政負担がネックとなっている。
敬老パスは、高齢者に外出を促して健康増進を図ることなどを目的に、1970年代以降、主に交通網の整備された都市部で導入された。公共交通機関を安く利用でき、割引分は自治体が負担する仕組みだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4908635d4b32beb44383f4c166cc16bbbac2d63
いい忘れてた。相続について。子供がいる人はいろいろ工夫しているけど、スタンダードなのは、毎年数百万円とかを渡して、確定申告もして納税しておくパターン。なんだかんだ数十年すると、馬鹿にならない額になる。
海外の保険を使ったり、資産管理会社を作って、子供に株をもたせたりとか、いろいろなスキームはある。ただ、多いのは「子供に大金持たせてもロクなことにならなそうだから、教育とかにつぎ込んで、あとは自分で使う」という思想の人が意外と多いかな。
十年前ぐらいまで、片田舎の小金持ちは何にも考えてなかった(税理士の言いなりでもそれこそ毎年100万円の贈与)けど、今は会社設立が最適解なのかと勝手に思ってる。
海外の保険までは詳しくないけど、保険でも、被相続人にかけておいて、生存してたら退職金にして、万一死んだら数千万円みたいなかけ得の保険あるし。
>いいものを持ち、乗り、住み、飲み食いし、子をいい学校に通わせ、金持ちと交際し、慈善をし…って、人間が人間である限りは結局それくらいなのが切ない。お金があっても身長10mとかエラ呼吸とかにはなれないんだよね
これはみんな言う。大したことないですね、もっと人生が変わると思っていました、というのも。結局、お金がないときにがんばってたことと、ほとんど大差ないと感じる人が多い。お金でできることが思ったよりも少ないらしい。
月100万使えるのと200では全然違うよ。個人でも、我慢するしないが明確。
偽善的方向に広げるなら、月に数万でも援助したら助かる人がいっぱいいる。そこを見て見ぬふり(関わらない)しつつ、贅沢品は要らないわーって人は関係ないだろうけど。
>こういう《打ち出の小づちから無限に金が出てくるような生活》が成り立つ理由って、死ぬまで搾取され続ける貧乏人たちがどこかにいるからだよね。その因果を巧妙かつ入念にロンダリングする仕組みが資本主義で
資本主義はゼロサムじゃないから搾取している、というわけではないと思うんだが、資本主義のおかしなところは、資本家超有利なところ。だからアメリカでも日本でも起業が超ハイリターンになっている。起業のリスクはあれど、リターンが凄まじすぎるっていうのはあるし、一度リターンでたら、ずっと資本家として凄まじい有利な状態でプレイできるっていうのはちょっとおかしいと感じる。株の売買とかは、収入が2000万円とかを超える分は、分離課税20%じゃなくて、50%とか取らないとバランス悪いなーとは思う。
これには(これにも)異論を挟みたい。安定を望まないのであれば、みんな色々チャレンジできると思うのです。数百万あればなんらかの起業はできる。そこが貯まらない人は根本的に向いてないし、それすら集められないのは計画が間違ってるわけで。普通に考えたら資本があるか、チャレンジ精神があるか(そのうち、集金できるプランなり人望があるか)が成功の近道というのはそこまで間違ってないと思う。
暗号通貨に手を出してる人間からしたら株とかの20%は優遇されすぎてるとは思うけど(暗号通貨はMAX60%overね)、そこに重価税して金持ってる人間が株に投資しなくなったらほんとに経済は終わると思う。まあひょっとしたら50%とられても投資する人が多くて成り立つのかもしれないけど。(自分なら不動産とかに投資して無理なら海外に逃がすので。)
>そんな人間も東京だと同じ満員電車に乗っているのが日本の特殊性ですよね。西麻布って雨の西麻布の時代から何も変わってないんですかね...
これはタクシーに一票。タクシー一択。何も気にせず電車に乗る選択肢を思い描かないで済むところが富裕層の境界なのかもと。
そこまで金持ってないうちのばーちゃんでも気軽にタクシー乗るしね。(普通の年金生活者の100倍ぐらいは貯金あるけど、ばーちゃん)
>シャネルのシャツをクリーニングに出したら色落ちしたのでシャネルのお店に電話したら「洗濯を想定していませんので」って言われた話を思い出した。背伸びして使うものじゃないんだな
1人だけ、一度着た服は着ない、という人がいて驚いたことがある。でも後輩とかにあげてたりして、後輩は喜ぶし、本人は、ブランドの上顧客になり、ブランドのレアなものを買えたりするので、一概に無駄遣いでもないらしい。そして、ブランドの超レア品は、転売して収益になったりするらしい。
規模は違うけど似た話はよく聞く。今はマスクなんかでもそう。1日10分ぐらいの外出だからとおんなじマスクを一週間つけられるか、一度外に出て帰宅したらそのマスクは破棄とかで価値観違うなーと思ったことがある。お金持ったら、着けない時計、乗らない車、色々ありますよね。
全然話が違うけど、アイドルオタクでも、ツアーTシャツをそのツアー以外でも着てくるか否かみたいな経済感の違いがあったりする。毎ツアー4000円を払える人は毎回最新のツアーT着れるんだけど、そこの出費がギリギリの人も居るよねーって。
>中央競馬の馬主になれそうに思うが、書いてないのはやっぱりコスパが悪いということなのかな。10億できたら政令市に1LDKぐらいのマンション借りたいな。それで車の免許取って大卒目指して国立の夜学に行くんだ。
馬主もいるけど、趣味に近いかな。成金とかが馬主になると、お作法わかっていないから嫌われたりするのは見る。変に調教に口出したりとか。
馬主はロマン。ほぼ趣味。ほんで、調べたらわかるけど、地方競馬の馬主とかは普通のサラリーマンでも条件達成できるぐらい条件が緩い。
じゃあ何故みんな馬主にならないか、というと、コスパというか利回りというかが読めないということ。&人脈ないと掘り出し物の仔馬さん情報が得られないという。
誰も期待してないのに走るお馬さんもいっぱいいるけど、運よくその子を選べるかというと、普通はそうじゃない。
成金に買われて、無茶なスケジュール組まされるお馬さんが減っていくことを願います。
>それっぽいフィクションとしては納得感があるが家族とかの話は抜けてるな。ストックオプションで10億ってことなら都心に住むのもわかるがそれ以外なら都心に住むこと必要を感じられない
これも、金持ちになった直後くらいに多くの人が言うことなんだけど、富裕層向けのサービス(といっても、ちょっといいパーソナルトレーナーとか習い事とか、ちょっといい個室サウナとか、丁寧目のクリーニングとか、そんなもん)とかが地方になさすぎて、満足いかないというのがあるらしい。
10億あって、使い道に困るような田舎に住むなら、3億でもよかったりする。子育てとか考えたり、老後のことも考えたら都心かそれ相応の地域がいいよ。
逆に、子供は勝手に育つし環境には左右されない、自分たちのことは自分でやる(掃除とかもお金あっても頼まない、老後も引っ越さずに自分ちで老人自身でなんとかする)なら、住む場所は選ばないと思う。
>10億円でS&P500を買うとウェイト最大のアップルでも7000万円。それに比べると一つの不動産に3億円も投資するのはリスクを取りすぎなように感じる。
ああ、不動産を買うときは借金ができる、というメリットが大きいからかな。自宅と、投資用で、5億円くらいひっぱれてしまうし、金利も嘘みたいに安い、しかも円安・インフレ局面から、やらない合理的な理由があまりない。
そりゃ言ってるように、S&Pと500かに突っ込めば、リターンは大きいでしょうよ。
https://anond.hatelabo.jp/20220410232915
こちらの続き。
いい忘れてた。相続について。子供がいる人はいろいろ工夫しているけど、スタンダードなのは、毎年数百万円とかを渡して、確定申告もして納税しておくパターン。なんだかんだ数十年すると、馬鹿にならない額になる。
海外の保険を使ったり、資産管理会社を作って、子供に株をもたせたりとか、いろいろなスキームはある。ただ、多いのは「子供に大金持たせてもロクなことにならなそうだから、教育とかにつぎ込んで、あとは自分で使う」という思想の人が意外と多いかな。
いいものを持ち、乗り、住み、飲み食いし、子をいい学校に通わせ、金持ちと交際し、慈善をし…って、人間が人間である限りは結局それくらいなのが切ない。お金があっても身長10mとかエラ呼吸とかにはなれないんだよね
これはみんな言う。大したことないですね、もっと人生が変わると思っていました、というのも。結局、お金がないときにがんばってたことと、ほとんど大差ないと感じる人が多い。お金でできることが思ったよりも少ないらしい。
こういう《打ち出の小づちから無限に金が出てくるような生活》が成り立つ理由って、死ぬまで搾取され続ける貧乏人たちがどこかにいるからだよね。その因果を巧妙かつ入念にロンダリングする仕組みが資本主義で
資本主義はゼロサムじゃないから搾取している、というわけではないと思うんだが、資本主義のおかしなところは、資本家超有利なところ。だからアメリカでも日本でも起業が超ハイリターンになっている。起業のリスクはあれど、リターンが凄まじすぎるっていうのはあるし、一度リターンでたら、ずっと資本家として凄まじい有利な状態でプレイできるっていうのはちょっとおかしいと感じる。株の売買とかは、収入が2000万円とかを超える分は、分離課税20%じゃなくて、50%とか取らないとバランス悪いなーとは思う。
そんな人間も東京だと同じ満員電車に乗っているのが日本の特殊性ですよね。西麻布って雨の西麻布の時代から何も変わってないんですかね...
東京だとタクシーが呼べば5分以内で来るから、タクシー使うかな。電車も乗るけど。早いから。
シャネルのシャツをクリーニングに出したら色落ちしたのでシャネルのお店に電話したら「洗濯を想定していませんので」って言われた話を思い出した。背伸びして使うものじゃないんだな
1人だけ、一度着た服は着ない、という人がいて驚いたことがある。でも後輩とかにあげてたりして、後輩は喜ぶし、本人は、ブランドの上顧客になり、ブランドのレアなものを買えたりするので、一概に無駄遣いでもないらしい。そして、ブランドの超レア品は、転売して収益になったりするらしい。
中央競馬の馬主になれそうに思うが、書いてないのはやっぱりコスパが悪いということなのかな。10億できたら政令市に1LDKぐらいのマンション借りたいな。それで車の免許取って大卒目指して国立の夜学に行くんだ。
馬主もいるけど、趣味に近いかな。成金とかが馬主になると、お作法わかっていないから嫌われたりするのは見る。変に調教に口出したりとか。
それっぽいフィクションとしては納得感があるが家族とかの話は抜けてるな。ストックオプションで10億ってことなら都心に住むのもわかるがそれ以外なら都心に住むこと必要を感じられない
これも、金持ちになった直後くらいに多くの人が言うことなんだけど、富裕層向けのサービス(といっても、ちょっといいパーソナルトレーナーとか習い事とか、ちょっといい個室サウナとか、丁寧目のクリーニングとか、そんなもん)とかが地方になさすぎて、満足いかないというのがあるらしい。
10億円でS&P500を買うとウェイト最大のアップルでも7000万円。それに比べると一つの不動産に3億円も投資するのはリスクを取りすぎなように感じる。
ああ、不動産を買うときは借金ができる、というメリットが大きいからかな。自宅と、投資用で、5億円くらいひっぱれてしまうし、金利も嘘みたいに安い、しかも円安・インフレ局面から、やらない合理的な理由があまりない。
文学部の就活事情が話題になっていたので、文学部卒の筆者が自分や身の回りの話を含めて文学部の就活事情を解説したい。
大学や学科、卒業年度、地域によって大きく変わると思うのでその点は承知した上で読んでほしい。
筆者は5年ほど前に首都圏上位私大の文学部を卒業した。自分の専攻の周辺の話が中心だが、友人などの話などからできるだけ文学部全般の話になるよう努力したつもりだ。
ざっくりした体感では学部卒で就職する人がほぼ9割、修士課程に進学する人が1割前後といった感じだった。学科によって進学する人が1割をちょっと超えるところもあれば、5%くらいしか進学しないところもある。いずれにせよ、過半数が進学していた理系に比べると進学率は圧倒的に低い。
ただ、法科大学院から司法試験ルートのある法学部以外、文学部に限らず文系の学部はどこの学部でも1割前後の進学率だったように思う。修士課程を修了して一人前という雰囲気のある理系に比べて、文系は大学院に進学しても就職の幅は基本的に広がらないし、むしろ狭まると言っていいと思う。文系の大学院生がただモラトリアムを延長しただけになるか、研究者の卵になるかは個人の資質や研究室の雰囲気(≒教授の方針)が大きい。
理系と違い、企業所属の研究者という人はほぼいないため、修士を修了したり博士に進んだりしても研究をまともに続けるにはアカデミックなポストが必須になってくる。そうしたポストは理系と同様に(あるいはそれ以上に)狭き門になってくるので、基本的に文系の学生は学部卒で就活することになる。
就職する文学部生のうち、4割ほどが公務員(教職を含む)に、4〜5割強がいわゆる一般企業の事務系職に、1割前後がマスコミに就職するイメージだった。残りは就職浪人や就活と進学を平行して進めながら様子を見たりする人などが占める。
こうした就職先の構成は大学や年度によって大きく変わるのであまり当てにはならないかもしれない。いわゆる下位の大学になるほどマスコミの割合が下がって一般企業の割合が上がると思う。公務員になる層はどこの大学でも一定数いると思うけど、上位の大学は国家公務員や都道府県職員を目指す人も多いので公務員の割合もやや高いかもしれない。
この記事では他の文系学部と変わらない一般企業(メーカー事務職や金融、IT、小売り・流通など)の話はあまりせず、文学部の就活っぽい分野について話したい。
文学部の学生の公務員人気は高い。地道に試験対策をすればある程度報われるし、民間の就活(特に人気企業の場合)の時になんとなく感じる文学部ハンデをそれほど感じないからだと思う。
しっかりしている人は学部2〜3年の頃から自分で勉強したりダブルスクールで公務員試験向けの予備校に通ったりする。法学部や経済学部の人に多いバリバリのキャリア志望で国家公務員を目指すというタイプよりは、キャリアと生活のバランスがまだ取りやすい都道府県庁、政令市、中核市などの中上位の自治体を受ける人が多かった。
大学や学科によっては講義を取ることで社会福祉主事などの行政系の資格を取ることもできるので、ガチガチの公務員志望ならこうした資格を取っておくと若干の加点要素になるかも。図書館司書や博物館学芸員といった資格ともやや相性はいいけど、これらの職域は専門職枠になることも多いので、取っておきたい資格かと言われると微妙だと思う。
資格の話になったついでに司書と学芸員について補足すると、どちらも正規雇用の採用は自治体・民間を問わずアカデミックポスト並みの狭き門なので、軽々しく「司書とかいいじゃん」「学芸員の資格をとって博物館に就職したら?」などとは言ってはいけない。
非正規だとバイト・パートレベルの募集が多くワープアもいいところで、資格を持っていなくても問題ない場合も多い。実務経験にはなるのだが、正規雇用へのキャリアアップはやはり狭き門だと思われる。
大学図書館・専門図書館の司書や学芸員は大学院である程度研究をする基礎を身につけた人がその専攻を生かしながら働く場だと思う。一般的な自治体の図書館は業務委託や指定管理者などで民間に委託されていることが多く、司書資格持ちの正規公務員が図書館員をやっているところはかなり少なくなってきているはずだ。
教職員はわかりやすく、国語、英語、社会科の教員免許が取れるところが多い。教職課程の履修はけっこう大変で「保険として教員免許も取っておくか」というくらいの気持ちだと挫折することも多い。ちゃんと教職志望の人は1年次から必要な授業を計画的に取っていることがほとんどだと思う。普通の授業の単位と教職の単位が被ることはそう多くないので割と忙しい。
学部卒で一般的な一種免許という区分の免許がもらえて、大学院で所定の単位を取得すれば専修免許にパワーアップする。出世するには専修免許があると有利という話もあるとかないとか。学生のうちに社会教育主事の単位を取っておくと教員になってからのキャリアの幅が広がりそう。
とはいえ、教員も正規雇用はそこそこ倍率が高く、数年は非正規の講師をすることもけっこう多い。特に社会科は他に比べて大変なイメージがある。
公務員も教職員も正規職員になってしまえば雇用自体は安定した手堅い職だと思う。勤務の内実はなんとも言えないが……。
いわゆるマスコミといわれるテレビ、新聞、出版はどこも大手(キー局、全国紙、三大出版社)は狭き門で、中堅〜中小はパイが少ないか、そもそも募集がないこともある。大手のなかではNHKや全国紙の記者職が比較的募集定員が多そう。
地方テレビ局やブロック紙・地方紙の事情はよくわからないものの、そもそもの枠が大きくなくて地元大やUターン組が一定の数いるイメージ。アナウンサー職とかはものすごく競争が激しいという話を聞く。出版社は中堅どころでもふつうに1桁採用とか募集なしというところばかりだと聞く。中小の専門出版社は新卒市場ではほぼ見かけた記憶がない。
ただ、マスコミ全般の話として、文学部同士の闘いというよりも法学部や経済学部といった文系メインストリーム学部との闘いになるので「文学部だからマスコミに有利」という話にはならない。むしろテレビや新聞の記者職は文学部以外の方が有利だと思う。
業界的には斜陽で激務だけど、大手はまだまだ高給取りなイメージ。中堅・中小だとワープアとはいかなくても大手との差は感じると思う。友達が大手マスコミにいくと「高値で売れたな」と思ってしまう。
テレビは制作会社とかの周辺業界もあるし、出版も書店や取次といった小売り・流通の周辺業界があるけど、とりあえずこの記事ではここまで。制作会社とかは配信業界が盛り上がって二極化してたりするのかな。書店や取次(特に取次)はかなり厳しいという話を聞く。
最後の章になる。
地方自治体はどんな人を欲しているのか、及びどんな人が職員として通用するのかしないのか、それらを説明して終わりにする。
とはいえ、もう4万字を超えそうだ。ここまで読んだ貴方は忍耐力を持っている。地方公務員に適合した人材である可能性濃厚である。
キャリアの棚卸しにしては壮大になりすぎた感がある。まずは、先達の書いた日記をひとつ紹介して記述量のショートカットを図る。
https://anond.hatelabo.jp/20200923212241
この日記を書く前に、はてな匿名ダイアリーで見つけた日記のひとつだ。短く簡潔にまとまっている。内容も概ね正しいと感じる。明白な誤りはない。単純に面接を突破したい人間はこれを見るといいだろう。惜しむらくは、上の日記を書いた人は公務員試験の面接官ではない。
せっかくの機会だ。民間時代を含めると十年以上に渡って面接官を務めた者として、採用可能性が高い人材の傾向を三箇条として述べてみたい。その後、面接評価表にはないポジティブチェック・ネガティブチェックの一部を示そうと思う。
モデルケースを挙げる。採用試験を受けようとする市町村で生まれ、小中高をそこで過ごし、進学や就職を機に都会に出たけれども、また地元に戻って働こうとする受験者がいたとする。
はっきり言おう。満点に近い。もうその時点で、「面接評価では4を取ってください! お願いします!!」と面接官に期待の眼差しで見られている。K市ではそうだった。というのも、そこまで地元愛のある若者はほとんどいないからだ。
覚えておられるだろうか。当時のK市の人事行政の問題点のひとつに若手職員の離職率があった。3年以内離職率が3割超えという高い数値の原因のひとつが、『他市町出身』の職員数の多さにあった。
採用試験を受けるまでの人生で、K市と接点のあった受験者があまりに少なかった。原因はシンプルであり、県庁や政令市や特別区の滑り止めで受ける人間が多かったことによる。みんな現役で地方公務員になりたいので、第一志望に落ちた後もなりふり構わず受けまくるのだ。採用された後も、第一志望の自治体に入るために勉強を続ける。いわば仮面浪人だ。
「何をもって他市町出身なのか?」を定義するのは困難である。ここでは30才以下の職員について、市外在住率(K市に住んでいない者の割合)が『他市町出身』の代替指標として機能するとしよう。さて、K市の市外在住率はどの程度だったと思う?
正解は……30才以下の若手職員のうち、8割がK市に住んでいなかった。私が辞める年には7割を切るところまで改善されていた。新人職員が居住地をK市に選ぶ割合が増えたことによる。改善のミソは、採用試験で評価されやすいポイントを変えたからだ。後述。
これはひどいな、と当時の私は思った。素人考えでもわかる。市外在住率が高すぎる。もし災害が起きたらどうなる? 全員すぐに集合できるのだろうか?
すべての年代になると、市外在住率は約5割になる。K市の近くにある政令市などが魅力的なのもあるが、市町村合併でK市に編入された先の市町村職員が、「もう義理を果たす必要はない」とばかり、こぞって自分が住みたい町に移住していく事情もある。全国的に見ても人が多い地方であるため、魅力的な市区町村が多いのだ。
では、上の『後述』の内容について。私が総務部長に提案したのは、「K市を愛することのできる人間を採用する」というものだ。試験を受ける時点ではK市が好きじゃなくていい。K市出身でなくてもいい。入庁した後にK市を好きになることができる、そういう素地のある人に高い評価をつけるようにした。
申し訳ないが、具体的な内容は部外秘とさせてもらう。公開すると、ネット検索によってK市がわかってしまう可能性があるからだ。ご了承願いたい。
社会人として一番大事なことは何かと問われれば、30代前半までの私であれば、『実力』又は『正しい過程で正しい成果を出し続けること』と答えるだろう。
今の私であれば、『尊敬によって他者との繋がりを保ち続けること』と答える。これが社会人(使用者も労働者も)にとって一番大事な事柄であり、能力でもある。これは、Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である(Amazonのページに飛びます)といった名著においても明らかにされている。
このように自分のために何かをしてくれた人に対し、きちんと感謝の言葉をかけられる人が果たしてどのくらいいるだろうか。
あなたの人生にもキャディのような役をしてくれる人はいるのではないか。あなたが存分に仕事ができるよう、目に見えないところで条件を整えてくれている人、成功のための下地を作ってくれる人、ゴルフバッグのような重い荷物を代わりに持ってくれる人、困った時に助けになってくれる人。そんな人たちがいるのではないか。
たとえば会社の中では、誰もがそういう「裏方」の役回りをすることがある。あなたの会社は、そんな人たちの貢献に注目し、正しく評価する体制になっているだろうか。あなたは自分を日頃から笑顔にしてくれる人に、感謝の気持ちを伝えているだろうか。
単に協調性というと、「みんな揃って前ならえ」のイメージがある。今の日本社会では、善悪両方の社会的資質と見なされることが多い。
私が持っている神の辞書によると、協調性とは概ねこんな意味合いになる。
・異なる立場や環境、利害関係にある者が互いに力を出し合って問題を解決すること
本来はこうである。みんな揃って前ならえ、ではないのだ。仕事は1人ではできない。一般事務職として採用される公務員は、民間企業でいうところの総合職だ。常に誰かに依存し、依存されることで仕事を前に進める。
だが、自分ひとりで成果を出していると勘違いする者が後を絶たない。空しいことだ。こういった人の残念なところは、その知性の程度にあるのではない。俺だけが、私だけがスゴイ。もっと自分に注目してほしい、といった自己本位的な動機で仕事をしていることだ。
どんな仕事も、社会に生きる人間一人ひとりを幸せにするために存在している。彼らはそのことに気が付かないか、気が付いても自分の気持ちばかりを優先する。
百歩譲って、20代までは良しとする。だが、30代になっても学校の勉強や部活動で高い成績を上げ、周りに注目されて喜んでいる中高生と同じレベルでは困る。
あなたは、見知らぬ人に対して敬意をもった行動ができるだろうか。自分と考えの異なる人間を尊重できるだろうか。嫌いな人や敵に対しても、悪い感情に心を乗っ取られずに意思の疎通ができるだろうか?
面接においては、この人格的態度を最も高く評価する。私が市職員になる前からそうだったし、K市の面接官として責任を受け持つようになってからも変わらない。
話は逸れるが、あなたが面接官の経験がある人だったとすると、「この人、面接の時とぜんぜん違う!(もちろん悪い意味で)」みたいなことがあったはずだ。面接で猫をかぶるのが上手い人だ。そういう人を見分けるコツがある。
印象がいい――これに尽きる。あなたにとって印象がいいし、他の面接官にとっても印象がいい。特に、ハキハキとした明るい話し方。面接官全員にとって好印象だったのなら、その人は危険だ。本当に使える人が面接に来た場合、面接官が3人だったとすると、大抵1人は、「うーん……」と頭をかしげることになる。採用判断が下しにくいということだ。
それが普通だ。みんなにとってイイと感じる人格をもった人間はまずいない。いたとしたら、それは猫をかぶっているか、はたまた聖人のどちらかだ。
技術職や、職人芸を要する分野で人を雇う場合は特に気を付けよう。それに適合した人との面接では、極度に緊張した様子が伝わってくる。身体は縮こまっていて、声はたどたどしく、自己アピールも乏しく、挙動不審――そういった人が最高の素質(タレント)を持っていることがある。
一流の面接官であれば、誰が試験に来ようと、その人のいいところを最大限に引き出せるよう心がける。履歴書を読み込んで、実際のシミュレーションをし、面接ではよい雰囲気を作るよう心がける。その人が職場に適合している証拠を質疑応答によって全力で探すのだ。受験者が喋るのに苦労しているようであれば、なんとかして悪い雰囲気を壊そうとし、その人の考え方や過去の行動を引き出そうとする。
飲食店などアルバイトの採用では、あなた1人で面接を担当することもあるだろうが、それでも上記のことに気を付ければハズレを引くことは少ない。印象がいいな、と感じた人に気を付けよう。初対面で印象のいい他人はまずいない。たとえ面接官に嫌われようと、素の自分をちゃんと出す人間を採用した方がいい。
猫をかぶる受験者への具体策としては、面接が始まる前と終わった後の行動をこっそり監視するといい。椅子をちゃんと戻しているか、出入口で人とすれ違う時の仕草や、駐輪場で他人の自転車をぞんざいに扱ったとか、車の運転に危険があるなど、それなりの確率でボロが出る。
公務員に限らず、組織で働く人間にとっての血であり肉である。ここでいう知的能力には、知能であるか、知性であるとか、創造性とか言われるものを含む。
すなわち、数値計算やスケジュールの段取り、ある規則に従っての並び替えといった正解がある分析的分野から、新規事業の企画、プレゼンテーション、利害を巡っての交渉や調整といった正解(不正解)がいくつもある総合的分野に至るまで、脳を働かせて答えを導き出すありとあらゆる分野を含んでいる。
官公庁に特徴的な仕事の傾向として、業務の幅の広さ(薄く広く)が挙げられる。特に地方自治体だと、ひとつの役場で多種多様な仕事を行っている(この機会に、あなたが住んでいる市町村の組織図をみてみよう)。民間で例えると、とんでもなく多角化が進んでいることになる。
数年おきに全く新しい仕事を覚えることになるのだが――その意味の幅の広さだけではない。役場を訪れる人間も多種多様だ。男性も、女性も、一般市民も、民間企業も、若者も、中年も、高齢者も、子どもも、障がい者も、何らかの病気にかかった人も、とにかくいろんな人が来る。
それらすべてに対応(問題解決)しようと思うと、まずはその職員が賢くないと無理だ。これは、市役所の現場で働いたことのない私でも確信できる事実だ。傍から見ていてわかる。
礼節や態度は大事だ。植物であれば、花弁や果実など目に見える部分がこれにあたる。それらを支える意味で必要なのが枝であり、幹であり、根である。もっと細かく見ると、細胞質や葉緑体や核ということになる。職業人でいえば、脳というOSがこれに当たる。
このOSが大したことのない物だと、いかに素晴らしい性格や気質を具えていても結果を出し続けることは難しい。正しい答えや行動を相手に示すことができないからだ。市職員が、受付窓口で手早く計算をしたり、各種申請書の書き方の指導ができないと、市民や企業が何度も窓口に来たり、無駄な申請費用を払う羽目になる。
スポーツだと、柔道における心技体がわかりやすい。ある一流の選手がいたとして、その人の精神がどれだけ優れていても、技術が優れていても――風邪で高熱がある、骨や靭帯に損傷がある、五感の一部が機能しないといった事情が生じると、たちまち三流以下の実力になる。
多くの人は錯覚している。例えば、どんなスポーツでも面白い試合というのは――両者ともに拮抗している。心技体のうち、技と体が同じくらいのプロ選手がいたとする。となると、勝負を分けるのは必然的に『心』となる。
実力伯仲の者同士、わずかな差で勝負が決まれば当然盛り上がる。それが、スポーツで一番大事なものが心→技→体の順番と皆に思われる最大の理由だ。
官公庁が筆記試験を必ず行う理由がここにある。現在の公務員業界では、筆記試験(性格適性検査を含む)の作成をリクルートなど民間会社に委託する方向で進んでいるが、今後何年が経過しようと、筆記試験自体が廃止されることはないだろう。組織人として働く上での血肉であるところの、知的能力を客観的に測定できる唯一の機会だからだ。
市役所には魅力的な人物ももちろんいる。今これを読んでいるあなたも、人生で一度くらいは公務員に助けられることがあるだろう。
ここでは、そんな善き職員について2人ほど挙げる。脇道なので、1人につき二千字程度とする。
見た目はスラッとしていて、無表情な感じの女性だった。その実、内面は安定していて朗らかである。
この人を最初に見たのは、私が採用されて2ヵ月くらいの時だった。公用車に乗って近隣の政令市にある研修センターに行くところだった。
1階の市民課に繋がる階段を降りたところで、凄まじい怒号が聞こえた。「なんでできんのか!!」と、おそらく高齢の男性が怒号を発していた。
窓口を覗くと、やはり老人が女性職員に対して声を荒げていた。話を聞いていると、どうやら身分証明書がなくて公的書類を発行できない類のトラブルのようだ。周りの市民や職員が怪訝な顔で覗いていた。たぶん堂々巡りの話になっているのだろう。
そして、交代したGさんは、静かな様子で男性の話をひたすらに聞いていた――これが傍から見ていても、「あなたの話を聞いています」「共感しています」「申し訳ございません」という態度が伝わってくる。男性は次第に落ち着いていった。最後まで納得はできないという面持ちだったが、諦めて正面玄関の方に歩きはじめた。
傾聴は苦情対応の基本である。ここまでできる人は、市の職員では初めて見る。
「この人、どんな業界が向いているだろうか」と、昔に就いていた転職支援の仕事を思い出していた。
個人的な感覚だと、やはり福祉だろうか。受付系も悪くはないが、こういう人には攻めの傾聴というか、そんな仕事が向いている。最初に浮かんだのは、証券会社のリテール営業だった。しかし、Gさんはあの業界に蔓延る罪悪に耐えることはできないだろうなぁ、と思い直したのを覚えている。
それから数年間、Gさんのメンタルの強さ、粘り強さを発揮したのを何度か見ることになった。市民の中には、自己表現としてのクレーム――己が主張を表明するために市役所の窓口に来る人もいる。何か強いストレスを抱えていて、それを発散するために市役所まで出向く。そういうタイプの市民だ。
そんな人にもGさんは優しかった。とにかく話を聞いて、あまりに騒々しいようであれば怒鳴る市民を別のスペースに誘導し、一般市民の邪魔にならないようにして苦情の解決を図るのだ。
Gさんはこの部署が長かった。当時30才になるかならないかだったが、査定は常に5段階中の4だった。上司からも仲間からも信頼を集めていた。
が、それで万々歳とはならない。彼女はいつもそういうお客さんばかりを相手にするので、残業がとんでもない量になっていた。勤怠管理システムの記録によると、Gさんは毎月50時間以上の残業は基本であり、それに加えて、土日祝のいずれかに必ず出勤してサービス残業をしていた。
私も、なんやかんやで土日に出勤することが多かったが(もちろんサービス残業だ。管理職なので…)、Gさんを見かける確率は5割を超えていた。庁舎内の配置的に、3階にある私の職場に上がる時にGさんを見かけることになる。サービス出勤をしている職員はほかに何人もいたが、彼女が最も印象に残った。
実際、Gさんはいい子だった。料理は上手いし、家事や洗濯もばっちりだし、家では猫を飼っているのだが、これがまた人懐っこい。でも、猫カフェは嫌いらしい。なんでも、「あそこの猫はみんな苦しそう」とのことだ。私が「目の前にあるんだし、行ってみようよ」と誘っても、頑として首肯しなかったのを覚えている。ちなみに、好きな食べ物はたこ焼きだ。食べ歩きはマナーが悪いよ、と何度言っても聞いてくれなかった。
思えば、Gさんが土日出勤しているのを眺めるのが当たり前になっていて、この人を助けなければという意識が働かなかった。ある大晦日に、Gさんが煖房をつけず、明かりもなしでパソコンに向かっているのを見たことがある。コートを着て自席に腰かけ、震えながらキーボードを叩いていた。
「Gさん。それじゃ寒いでしょ。煖房つけなさい」
私が言うと、Gさんは座ったまま、ぼんやりとこちらを見詰めていた。
「すいません、これでいいです。いつもこうなんです」
「お気遣いありがとうございます。でも、わたしは寒いのがいいんです」
「そうか。お寒いのがお好き、なんだね」
Gさんは、「こいつ何言ってるの?」という顔をしていたが、意味に気が付くと、パソコンに顔を向けながら噴き出した。
若い子でも意外と通じるんだな、と感じて私は、エアコンのスイッチを押した(蛍光灯のスイッチの場所はわからなかった)。人事課に続く階段を昇り始めるところで、Gさんが職場に明かりを灯したのを認めた。
この彼女は今、市役所と近い業種の仕事をしている。もう不当な時間外勤務はしていないはずだ。直接働いている姿を見たことはないが、きっと活躍していることだろう。今も幸せであってほしい。
この人も女性だ。地域を盛り上げるような感じの名前の部署にいて、エース級の職員として知られていた。
さわやかな見た目の女の子だった。高校を出てすぐに市役所に入ったという。私が採用された年の4月時点で21才になる年だった。結論から言うと、この子はもう地方公務員ではない。その次の年に民間企業、よりによって当時の取引先に引き抜かれる形で退職した。
惜しいことをした。もしそのまま現職に留まっていれば、もっとイキイキと働ける環境があったかもしれない。今更言っても遅いのだが……。
Hさんを最初に見たのは、窓口でお客さんを見送っているタイミングだった。市役所で働く女子職員は、みんな仕事に使えそうな私服で来るのだが、Hさんは限りなくスーツに近い、パリッとした装いだった。凛とした覇気のある顔つきだったけれど、ちょっと不安げな瞳が印象的だった。
見た感じでは、大卒3年目くらいの雰囲気である。市役所には、たまにこういう人がいる。早い話、Hさんは頭の回転が早くて、見た目がシッカリしていて、礼節を弁えており、創造的な仕事もできる。そんな子だった。
『創造的な仕事』については特定のおそれがあるので述べないが、当時の公務員業界では花形とされる仕事だった。億単位の金が動く。上の人間は大枠を決めて指示をするが、Hさんにも商品企画や業者選定などの権限が与えられていた。
その仕事をやりたいと希望する職員は何十人といて、その中には数年後に昇進を控えたベテランが何人もいた。民間においては、こういう花形とされる事業や、大金が動く案件というのは――事業部長みたいなポジションの人が直接担当するか、または管理職に昇進する手前のエース社員が担当することが多い。それを、大学生ほどの年齢の子が担当している。
ほかのポジションだと、例えば市長の秘書の1人は臨時職員だった。早い話がパートさんだ。30代後半で、圧倒的清潔感の子持ちママだった。実力登用の文化がトップ層から滲み出ているところがK市の美点のひとつだと感じる。
当時の私は不思議に感じていた。なぜ、官公庁ではこんな人事ができるのだろうか。将来の利益を重視するのはわかるが、今の利益のことも考えないと――と想念した瞬間、私の脳裏にビビッ!と走るものがあった。
そうだ。新人公務員向けの研修で習っただろう。公務員は利益を追求しなくていい。だから、利益度外視で、十数年先のことを考えた配置や処遇ができる。Hさんは、すでに幹部候補としての育成が決まっていた。ならば、さっさと重要ポジションを任せられる限り任せていった方がいい。そういう判断だった。
もちろん、幹部の好みの問題でもある。当時、市長と市外の飲み屋に出かけた時、嬉しそうにHさんのことを話していたのを覚えている。なんでも、市長室でその花形事業の今後の商品展開に関する協議をしていた時、事業部長に連れられていたHさんが、副市長と侃侃諤諤の議論になった――そんな内容だったろうか。Hさんは議論になると熱くなるタイプだが、それが終わると途端にホンワカになるらしい。気さくな感じで、癒される話し方になって、市長が言うには、そのギャップがいいらしい。
その事業部長も確か、とあるイベント終わりの飲み会の時にHさんのことを誇らしげに話していた。当時、入庁1ヶ月目だったHさんの部署の飲み会の席で、会の最中に参加者にお酌をして回ったのはHさんだけだった、みたいな話だ。嬉しそうな表情で、自然にみんなに一人ずつお酌をして回って、先輩との交流を深めていたということだ。
若干18~19歳でそこまでできる子は、そうはいない。エース枠としてチャンスを与えられて当然だ。こんなことを書いていると、増田民の方々には『飲み会不要論』的な観点で攻撃を受けてしまいそうだ。しかし、これはあなたの視点に立ってみればわかりやすいのではないか。あなたが飲み会に参加していたとして、若い男の子や女の子が、「仲良くしてください!」みたいな雰囲気でお酌や会話をあなたに求めてきたら、嬉しいと思わないだろうか。可愛い奴だなと思うだろう。そういうことだ。
私はHさんと話したことは2回しかないが、わかるような気はした。頭がいいだけではなく、物事に対して本気になれる。そういう子だった。
さて。Hさんは突然退職してしまった。冒頭に述べたとおり、花形事業に関係する取引先(パートナー)に引き抜かれたからだ。晴天の霹靂だった。
Hさんが書いた退職理由書を読んだ。要約すると、「市役所のルールや職場環境がつまらなく、物足りない」とのことだった。例えば、公用文では「問合せ」を「問い合わせ」と書いてはならない。しかし、動詞になると「問い合わせて」と書かねばならない。細かいことだが、間違えたら稟議のやり直しになる。そういった文書事務に関する文化が、HさんがK市を辞めた理由のひとつだった。
若い子であれば仕方がないとも思う。確かに、公務員業界というのは地味だ。完全なる聞きかじりだが、『若手のうちは仕事の何が面白いのかわからない。それが公務員の難点だ』というのが、当時のHさんの退職理由を読んでの副市長の談だった。
まあ、過ぎたことはいい。もういいのだ。気にするだけ損というもの――Hさん個人の件に限っては。
だが、Hさんを引き抜いたクソコンサルは別だ。きっちりとリベンジしてやった。K市の入札に入れないよう指名停止(※)にしたうえで、県内他市すべてと、都内の右半分くらいの地方自治体と、県庁と、国の機関各所にもこの度の情報提供を行った。
罪状はもちろん、『取引先の従業員を引き抜いた』ことだ。許されることではない。民間企業同士でも、そんな足の引っ張り合いはまず行われない。それを、あのクソ非常識なITコンサルはやってのけたのだ。それなりの報いがあって当然だろう。
※正式な指名停止は今回の場合だとできない。条例や規則や要綱に定めがないからだ。よって、入札参加・指名業者リストにその会社の名前を残したままで、入札には呼ばないという意味での指名停止になる。
・親が社長やってるって生徒が全然いない。個人事業主の括りだと、医者や歯科医や税理士や1級建築士ばかり。多分、慶応普通部とか暁星とか賢くて社会的ステータス抜群の学校にはうじゃうじゃいたのだろう
・肥満体型の母親がマジで居ない。入学間もなく1回だけあった授業参観のとき気づいた。多分、食費に金かける余裕ある家しかないからだろう。
・専業主婦家庭かつ2人以上兄弟、って家の子が異様に多かった。一人っ子や共働きが全然いなかった。すでに共働き当たり前の時代だったのに、大半の奴が母ちゃん専業主婦だった。あと三人兄弟率がやたら高かった。そして自分だけじゃなくて兄弟も中学から私立ってパターンが大半。
・親が地元県庁や政令市とかの地方公務員やってる家の奴が皆無に近かった。国家公務員や国税もいなかった。大学教授も全然おらず。このへんは逆に公立トップ校とか私立御三家とかに多いのかもしれない。
・大半がサラリーマン1馬力家庭だけど、電通とか三菱地所とか全日空のパイロットとか、お前の父ちゃんよくそんな凄い会社入れたなみたいな家の奴ばっか。
・平均年収1000万円くらいと推定。中学のとき公民の先生が授業中に
「みんなは親御さんがほとんど年収1000万円以上はあるから、自分もそれだけ稼げると思ってるだろうけど、
この教室の1割……だから3~4人しかそれだけ稼げるようにならないからね。親くらい稼げるのが当たり前だと勘違いしてるなら将来ショック受けるから」
とか言ってたのと、変わらぬ顔ぶれの同級生たちと何年も付き合っていくうちに本当にみんなの家は年収1000万軽く超えてるんだろうなと思った。
・別荘持ちがどのクラスにも3人くらいいる。ただし、仲間がその恩恵にあずかれるのは大学入学以降というパターンがほとんど。
・その資本力をもってしても現役であれ浪人であれ早慶以上の大学にいける生徒は学年の3割程度。親が金持ちならよっぽどの低知能でない限りはほぼほぼ早慶以上確とか絶対ウソ。
・その早慶未満の私立大学に行った同級生の大半が東大生でもめったに内定貰えない一流企業(三井物産とか朝日新聞とか日本郵船とかデュポンとか)に平気で内定していく。
こういうレベルの企業って家柄を推定して採用するようなことやってるんじゃないかと内心で疑ってる。
中学3年くらいの頃、社会の授業で機会平等・実質的平等のくだりで先生が雑談がてら
「今世の中で、例えば中卒の人とかが就職試験の応募資格すらない会社が物凄く多いんだよね。
それから、病気とかが原因で生活保護を受給してる人が大変な経済的不自由を強いられたりもしてる。
みんなはこのことについてどう思う?」
ってみんなに問いかけた時に、
跳ねっ返りでもなく、性格悪くもなく、普通に友達多い爽やかな陽キャの同級生たちが口々に
とか
「そんなになるまで不健康になるのは本人がだらしないからしょうがないと思う」
とか
マジで澄んだ目で意見飛ばして先生が「いや、ちょっと待って…この人たちは何もみんながみんな自分のせいでそうなったわけじゃなくて」とか慌てふためいてたのが忘れられない。