はじめは月一くらいの頻度ひどく気分が落ち込む時期があった。
心療内科、精神科に行こうとも考えたけど調子の悪い日は病院に予約する元気も勇気もなかったし、調子のいい日はやっぱ気持ちの問題かな…と過ごして一年余り。段々と調子の悪い日が良い日を上回るようになって、ついに慢性的な抑うつ状態が続いた。
症状も頭痛やめまいに加え、不眠や慢性的な眠気が激しくなった。部屋はどんどん汚くなり、独り言で暴言が増えた。
それでもなかなか病院に行く気にはなれなかった。ストレスの原因は明らかに仕事だったけど、労働環境は控えめに言っても良い方だった。休みたいときに休めるし残業代もきちんと出る。残業時間も常識の範囲内。同僚の慣れ合いは正直苦手だったけど、パワハラも無茶ぶりもなくて、「うつの原因となる職場」とは言い難い環境だった。だから、自分の不調もたまたま調子が悪いだけとか性格の問題だと思っていた。
でも仕事にも影響が出始め、この状況がずっと続くのはさすがにまずいと思い、少し調子のいい日に心療内科を予約した。診断結果はうつだった。
そう言ってもらって少し救われた部分はあった。やっぱりそうだったんだと安心できたし、日々感じている絶望感が病気によるものならマシになる可能性もあると思えたから。一方で、ちょっとしたストレスで壊れてしまった自分にも少し絶望した。自分より長時間残業してる人、ストレスの高い環境で働いてる人たちもいるのに恥ずかしい気持ちになった。
とりあえず薬を処方してもらったけど近いうちには休職しようかなと思ってる。すごく言いづらくてイヤだな。
自分は症状がまだ軽かったから病院にいく選択ができたけど、もう少し重くなってたら行く気力も起きなくなってたかもしれない。重くなったら周りに引っ張っていってくれる人がいない限り治療にもたどりつけない恐ろしい病気だと感じた。
自分みたいに客観的に見て割と恵まれた環境にいても普通にうつだったってことあるから、まだ大丈夫かなって思ってる人も重くなる予兆があったら一度病院行くべきだと思う。手遅れになる前に。
そもそもは契約書と異なる就業条件で働かされていたのに棚に挙げられて。
正社員で入ったけど同期4人はとっくに辞めてて私が最後の1人だった。(半年経ってないけど)
とにかく金、金、金の会社で
営業はとにかく金を作れ、事務は金を生まない。サンプル品だって使い終わったらジャンクで売れ。
掃除業者を雇う金すらなく、全員で掃除。ゴミ袋は勿体ないからギリギリまで使え。
退職して清々する一方で、こんな会社にしか内定もらえなかったんだなと思うと悲しくなった。
転職活動においても書類選考で落ちるのがほとんど、面接まではいっても短期離職で説教くらったり不採用がほとんど。
今の会社だって本当は一般事務で活躍するはずが、毎日飛び込み営業で断られ自尊心ボロボロな中で、転職活動で自分という商材を売り込んで断られまくって更に自尊心ボロボロ。
私は無価値だとつくづく思うようになり、死にたくなった。
「死にたい」で検索して出るあらゆる窓口、20箇所くらい電話したけど
どこも混み合ってる。
私も死にたいんだけど。
事情は違うと思うけど、やばくない?
自費診療になると思うと予約やめとこうと思う。
マジで今月無一文なんだよ。。。
子ども3歳。住んでた賃貸だと狭くなるだろうから引越しを考えて、近くの新築マンションを買った。
この選択は失敗だった。
妻の性格が原因。
妻の性格は、細かいことをこだわりすぎて、神経質。自分の思い通りにならなかったり不満があると寝込んで何もできなくなる。
内覧会で見つからなかった細かい傷を見つけて、大声で泣き喚き丸一日何もしない。
俺のミスで家具運搬時に床に小さな傷がついた時も怒って夜中に外に出て行った。数時間後酒と菓子を持って帰ってきた。
入居して半年は経ったが、最近また見知らぬ傷が見つかり、また同じことになった。もともと家事の分担はちゃんとしてる方なのだが、こうなると完全に俺が100やることになりしんどい。子供の保育園送り迎えもしなくなることがあり、仕事にも影響が出る。
もともと家への傷以外の些細な出来事で何もできなくなり子どもにも冷たく当たり寝込んで家事育児を全て俺がやらざるを得なくなる。こう言うことがたびたびあった。
賃貸であれば傷は許せたようだ。
賃貸にすればよかった。
引っ越してから妻の悪いところがさらに目につくようになり、嫌悪感が増してきた。
マンション購入で後戻りがしにくくなって、そういう意味でも失敗に感じてしまう
おそらく、マンション関係なく本人の性格や気質が原因だという意見もあるだろうけどね。
自分が中学生の頃にネットが発達していて発達障害というものが現在くらいには認知されていて心療内科に行くことに抵抗が無かったならば
もうちょっとマシな人生だっただろうなと思う。あの頃にストラテラでも処方して貰えてたらなあ
最悪、その程度の文化が大学時代にあったならばギリギリ間に合ったかな
現在40代前半くらいがデッドラインだよな。それより年食ってると発達系はアウトなまま社会に放り出されて完全にアウトな人生になる
(というか普通に超氷河期なんで発達じゃなくてもアウトな人は多いけど)
自分の状態を知らないまま社会に出て辛酸を舐めてメンタルやられてからお医者さんにかかってお薬出して貰っても予後が悪い
社会に出る前にある程度のカタつけておかないと。出先も自分に合ったところ目指さないと。無理
あと、発達は遺伝するなあって思うわ。父親と自分はそっくりだもん。ポンコツキチガイなところとかさ
だけど妹は母親似でだいぶ違う。別の方向に病んではいるけれども(あっちは母方の鬱系だな)
はー。馬鹿らしい。やめやめ
社会人一年目の夏、三日眠れず、気が付いたら深夜に車を走らせて事故って(単独)警察を呼んだら病院送りになった。
はじめのうちは病気の正体がわからず、向精神薬とか飲んでたのだけど、不眠は治らなくて、イライラして癇癪を起こして閉鎖病棟行きになった。
病院にはいろんな人がいて(アムカまみれの女の子とか、認知症の人とか)みんな優しくしてくれた。
三か月くらいで退院して、月一で心療内科かかって二年。わたしは22歳を終えようとしている。
そろそろ働きに出たいのだけども、車の運転がネックなのである。
双極性に運転は鬼に金棒なのである。(どこまでも行ける気がするため)
わたしは学生時代にも事故ったことがあるため、運転がガチで危ないのだ(ちなみに車は大破し、おしゃかになった)。
双極性障害で不眠症の方、どんな職種がおすすめとかがあればコメントしていただきたい。
どうすればいいのかわからない。ハロワに行くにも運転のために親がついてくる。恥ずかしい。
考え事をしていても実際には頭の中には何も駆け巡っておらず「無」に近い状態になることが多々ある。
眠れていないのかと思って心療内科で導入剤を処方してもらって服用してみても夜中に何度か目が覚めてしまう。(そこからすぐに寝れるので困ってはいないが浅い感じはする。)
自律神経が整えられると聞いたのでサウナや岩盤浴があるスパに行ってみたけれどあまり効果は感じなかった。
スパに行ったら何万冊と漫画が置いてあったので気分転換がてらに読んでいたのだけれどちゃんと読めていなかった。
具体的には途中の巻を飛ばしていても気がつかなかったことと、1巻から最新刊まで全部読んだ(つもり)なのにキャラクターの名前がほとんど覚えていなかった。
名前を言われれば「そうそう、そんな名前だったわ」で記憶の中にはあるのだけれど顔を見せられてこのコイツの名前は?と聞かれたら答えられるキャラが2,3人しかいない。
まさか主人公の名前すら覚えていないことに気付いたときは流石にびっくりした。(覚えてなかったのでググって今は覚えたけれど苗字だけで下の名前はまだ覚えきれていない。)
物によるんだろうけどピルが精神面へ悪影響を与えるって研究もあるみたいだから信用ならない販路で自己判断で服用って辞めたほうがいいと思うけど
ピルは産婦人科だけじゃなくて内科でももらえるらしいし、ワンチャン症状を説明すれば心療内科でももらえる可能性があるんじゃない?
生理前になると情緒が不安定になり、毎晩訳もなく辛くなって苦しくなって泣いたり、今死ねば周りに迷惑にならない…と考えてしまい安定剤を飲んだりして嵐が過ぎるのを待っている。
この間は子供に何か「イヤ」と言われるだけで全てを否定されたような気持ちになり「そっかー、じゃあママが死ねば満足だねっ」となってしまうし、実際に子供に問い詰めたこともある。
生理中は通常と変わらない労働をしていても激しい疲労感に襲われ、家に帰る頃にはぐったりして子供と話すことすら億劫になる。
また、ちょうど家に帰るタイミングで服用しているコンサータが切れるのでその反動の疲労感も来るのでいつもの倍以上に疲れている感じがする。
とにかく生理前・生理中は育児ができないと言うほど精神がおかしくなるし、身体も辛い。
ピルは服用していたけど、経血量が減って生理期間が短るなるだけで精神への効果ゼロ、身体の負担8割減という感じだった。
ただピルを服用してから肝斑ができてしまい、個人的にそれがとてもショックであまり飲みたくない(レーザーでも消せないし、本当にどうしたら肝斑って消えるの?)。
既にADHDで心療内科には通っており、安定剤などは貰い、先生にも相談している気がする(診察時間が短いので何を話したかよく覚えていない)。
婦人科への通院はしていない。田舎なので近所の産婦人科が2ヶ所しかなく、そこへ市内の人が集まる感じになっており、どうしても妊婦さん優先になって診察までものすごく時間がかかり、予約をしても2時間待ちなどがザラだったりしてその間子供を連れて待つというのを想像するとゾッとするので行きたくないという気持ちが強い。
自分もある。
病気したりしてから人生どうでもいいや期、イライラ期、自己嫌悪期とかが交互に来たりして他人への加害欲みたいなのも出そうになり怖いし疲れる。自律神経とかもあると思うのである程度運動して疲れて寝る、ができると少しすっきりしたりもする。
こういうときに本とか映画、アニメも集中力続かなかったり逆に気分が落ち込むこともあるから見るとしてもすでに見たことあって楽しめると分かってるものだけにする。
SNSとか他人の意見や思想を感じ取ってしまうものからは離れる。増田もそう。
美味しいもの食べるにしても食べすぎて太ると自己嫌悪に繋がるので低カロリーで食べても罪悪感少ないお菓子を事前に調べたりしてる(自分は低糖質パンとか低糖質お菓子をストックしてる)
やる気がちょっと出たタイミングで1人で出かける。他人は連れて行かない。出かける先はお菓子屋さんとか、行ってみたいと思ってたけど行ってなかったカフェとか。行ったぞという達成感を得られる。自分のペースで行動するというのが自分には合ってるぽい。
あとは時間があったらやりたいことをリストにして貼ってある。チラシでゴミ箱つくるとか、タンスの中の整理とか、床をコロコロするとか、使ってないペンを捨てるとか、準備なしでできそうな日常のあれこれとかに限定してて、それにとりあえず手を付ける。
自分は何もしないと何もしないで時間を無駄にしたとさらに自己嫌悪してしまうので、元気なときに元気ない自分のための準備をしている。
実家の事情もあって、専門卒業後に別業種だったシステムエンジニアに転職した。
パソコンなんてパワポとフォトショくらいしか触ったことないのに、プログラムを0から勉強して騙し騙し仕事をしていた。
元々勉強に向いているタイプだったのもあって、23歳から30歳の7年間で年収は1200万円程もらえるようになった。
学歴のない自分には身に余るような光栄な仕事ばかり与えてくれる会社や、周りの人には本当に感謝しかない。
殴られたって、いじめられる時だってあったけど、結果的に金になっちゃったんだからオーケーオーケー。
お金には困っていない。新卒から早々に一人暮らししながら実家に数十万の仕送りを送り続けた。
その生活も、今年の春で終わった。自分のお金はもう一人で使える状態になった。
そんなタイミングで来る、結婚適齢期、妊娠出産のタイムリミット。
運良く結婚前提交際1年、同棲半年、婚約もとんとんで進んで、生活力もある容姿も好み、価値観や性格もぴったりの婚約者ができた。
これから私は、この人と私の幸せのために働くのだと思うととても幸福に満ちている。
ただ、7年間の激務で自律神経がめっきりぐっしゃり壊れてしまった。
顔面神経麻痺、チック症、不眠、夢遊病、悪夢症、体温・発汗バグ、手足の震え。
避けていたが、婚約者の勧めもあり2年前から心療内科に通っている。
処方されている薬は、精神科医によると「これ以上強い睡眠薬は出せない」レベル。
これさえ飲めば、中途覚醒と悪夢で叫んで起きることはたまにあれど、6時間ほどは眠れて働ける。
メンヘラといえばメンヘラなのだが、精神状態に問題はなく、神経がちょっとバグっちゃっただけなのだ。
ヒスを起こすことも、暴力も、リスカも、ODもしない、模範的精神病者である。
結婚をしたら子どもが欲しい。妊娠を望む際はこれらの薬を断薬する必要がある。
眠れぬ暮らしをしながら働けるだろうか。
婚約者はそれなら仕事をしばらくセーブすればいいと言ってくれてる。
でもお金はあればあるだけ安心だし、産んだあとこそ働けなくなるのではという不安がある。
低学歴の汚い野良犬みたいな自分を拾って仕事とお金をくれた会社にも感謝している。
でも、失った対価は大きかったのかもしれない。
少しずつでも薬の量を減らしていこうと思う。
手当金を受け取りながら、カーテンをしめた薄暗い部屋で寝続けた。
昨年秋頃から体のメンテナンスに興味がでてきたので、気になっていた不調を解消すべく心療内科以外の病院を巡りはじめた。
子宮腺筋症の診断が出た。
軽い気持ちで行ったので「マジか〜!」という気持ちで、話を聞いた。
昨年の秋に初めて受診して、3ヶ月後の内診で筋腫はやや小さくなっているので、今後何事もないといいな。
低用量ピルを飲んだ感想、最初のシートを飲んでいる期間は吐き気や火照りがあって辛かったが、無職なので寝ているだけなので、まあまあ余裕だった。
行ってよかった。
興味はあったがやったことない物の中に鍼灸があったので行ってみた。
施術後、なんとなく体が軽くなった気がしたが、翌日痒みがえぐかったので今後通うかは微妙。
コロナ前、会社員時代に平日夜でもやっている歯科医院で治療中だったが、痛い、院長が気持ち悪い、スタッフ同士が明らかに不仲なのが丸わかりで足が遠のいてしまった。
この前Google口コミでその医院みたらボロカスに叩かれてて笑った。
時間に関しては無敵なので、家から近く評判のいい歯医者に行ってみることにした。
だが、You Tubeで歯石取りの動画を眺めているうちに危機感がわき予約の電話をした。電話も怖いが、You Tubeの動画にでてくる猛者のような口腔になるよりは…と思って頑張った。
電話にでる人が優しいと「嫌だけど、行こう…」ってなるので、歯医者さんの受付、電話応対する人は全力で優しくしてほしい。よろしくおねがいします。
小児科に強い歯医者で、待合室で先生が子どもに対してめちゃくちゃ優しく声かけしてるのが聞こえてきた。
アラサーだが、もれなく私も同じようにヨシヨシ治療してもらえたので、安心感がハンパねえ。
手はブルってるし、心拍数も明らかに高かったので、お察ししていただいた形だが、クールに対応されては歯医者怖い人間としては困るので非常に助かった。
なんとか頑張っても0.7までしか視力出なかったけど、だいぶマシになった。
コンタクトレンズの種類を変えてから、乱視で瞬きするたびに視界が変わる現象はなくなったが、
ずっと気になっている顔面のほくろ、やっと取る。
人相占いだと人気が出るほくろ、モテほくろらしいが30年生きてきて実感皆無なので消えていただく。
「消えたい」「しんどい」「世間に申し訳ない」で頭がいっぱいだった頃は気にならなかった事に関心を持つようになり、実際に病院に足を運べるようになってメンタルたいぶよくなってんなってのを実感している。
労働をしていると後回しになりがちだったこと、今のうちに解消して習慣になればよいなあ。
最低限生きるという段階を超えて、健康に生きたいと思えるようになったこと、退職時には考えられない思考なので、復活しはじめた自分よくやったという記録を残したくて記事に残す。
良くなることを祈っています。
色んな人がいるので、ゆっくり休んで、考えすぎずに生きたいですね。
腹が減っている。ずっと空腹だ。何を食べても吐き出してしまうのだから当たり前だ。
満たしたい、空虚感に耐えられないのに、詰め込むと途端に出してしまいたくなる。
胃の皮が引き延ばされて張りつめているのに、発狂しそうになる。耐え難い。
まだ空腹のほうが耐えられる気がする。
いや。
そう思いつつ、毎度気が付いたら食べ物を詰め込んでいるのだからそうでもないのだろう。
気が付いたらといっても意識を失っているわけではない。(当然だ)
自らのその脚でスーパーなり、コンビニなりに行き、カゴをつかんで陳列棚を物色している。目についていいなと思ったものには素早く手が伸びて、気が付いたらカゴが満杯になっている。なんだこれ。これ全部自分で食べるのか? 今から? 尋常ではない量だと理解している。一食、いや一日で摂取すべきカロリーを軽く超えている。腹持ちも悪そうなシフォンケーキや、ポテトチップス。栄養は考えられないくせに、甘いものとしょっぱいもののバランスはこざかしくも取ろうとしている。あとは安くて大量に詰め込むことができそうな袋菓子。自分が何をしているかも、頭の隅でしっかりと理解している。まず間違いなく金をどぶに捨て、後悔することを確信している。
食べて食べて、食べて吐く。食べたくないが、口に運んで詰め込んで、大量に水を飲んで滑りを良くした後に、吐くのだ。胃が空っぽになる感覚を得られるまで、ずっと吐きつづける。たまに指が喉奥に当たり、吐しゃ物に赤い血が混じる。醜い。醜すぎる。自分が生物として劣っていると強く感じ、みじめになる。この瞬間がたまらなくみじめだ。
自分がここまで醜く、愚かで、情けない人間だと思いたくないが、純然たる事実である。見よ、この吐しゃ物を。
カスみたいな医者である。患者の取り扱いはへたくそだ。雑に話を聞き、薬を与えるだけ。
摂食障害はカウンセリングや入院は無意味だと憚らない。摂食障害の治療経験は長いらしい。いろいろと挫折を経験して行き着いた結論であろうとは思うが、再診5回目で初診扱いされたのは少なからずショックであった。こいつ、患者を一切覚えていないではないか。その後も以前にも聞かれたプライベートの話を聞かれ、特定の恋人がいないことを伝えるとその年で独り身は未来がない、不幸になると説教された。
繰り返し私の未来には絶望しかないと予言するのだが、まるで覚えていない様子で、口調だけは親身で心から同情している様子である。私はというと、ノーダメージなわけはなく、毎度自信を失い、打ちのめされて少なくない治療代を支払い薬を受け取って、駅に入る頃ようやく苛立ちが脳天にたどり着く。喉、胸、腹がむかつき、不安が頭を蝕む。
それでも通っているのは、薬が効いた感覚を覚えているからだ。はじめはプロザックという、セロトニン再取り込み阻害薬。抗うつ剤としてアメリカでは流通されているが、日本では認可されていない。初めは飲むと食欲がふっと消え失せ、胸のむかつきが一日中続き、絶食できた。感動したが次第に体が慣れたのか、効き目が薄くなっていき、大量過食と嘔吐が続いたときに、今度はマジンドールが処方された。肥満症の治療に使う食欲抑制剤である。もちろん私は肥満症ではないため、保険適用外の処方だ。実に高い。こちらは過食をしそうな1-2時間前に飲むと食欲を抑えられる。効果は4-5時間ほどだと医者は言うが、実感としては2-3時間といったところか。
マジンドールもプロザックも依存性があるというが、よくわからない。過食衝動がすでに依存症だから、いちいち気にしていない。
砂糖に支配されている感じはする。辛いと、寂しいと、寒いと人は人を求めるが、私は砂糖を求めてしまうようである。糖分は口答えしない。いつでも同じだけの甘さをくれるのである。体に深刻な状況をもたらすが、それは人とは違い、予想できる範囲にある。
自信が持てないのも、見た目と体重にとらわれているのも、自分を自分のまま肯定できる経験がないのだ。それは孤独の中では真に得ることができないのだろう。一人暮らしになり、自由な時間を得たものの、相変わらず私はコンプレックスにまみれていた。「普通の」人々、周りの人々の幸せをうらやみ、自己嫌悪の糧としていた。悲しいことだ。哀れみの目を向けている。そのままの自分でいいのだ、これが私なのだと思っても「嫌だ」と思う。
はあ。ネガティブ。私にはポジの部分もたくさんあるというのに。
楽観的で、適当。ほどよく手を抜き、切り替えが早い。
だが在宅勤務が続き、なんだかその良さが失われつつある。寒さもあるかもしれないが。
なんとか自分の良さを取り戻したい。
もう大人なので、大体こういう時に何をすべきか、どういう方法が世の中にあるのかわかっている。
だができない。いや、やればいいだけなのだが。やる気は始めないと出てこないらしい。
「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って1年が経った
去年の投稿で「今では日500人切れば緊急事態宣言解除してもいい流れになってたり」と書いていたが、今や日3000人超えてても行動制限なしでゴールデンウィークは各地が賑わうと、すっかり世界が変わってしまった。
日本ではまだマスク着用が多いが、マスク着用義務を廃止した国も出てきているし、来年の今頃はマスク着けないがスタンダードになっているかもしれない。
まあワクチン打ってる人も増えてるし、オミクロン株は弱毒化してるということで、ウィズコロナ時代になったのだろう。
このまま終息してアフターコロナになることを願いたい。
サイト的にはこの1年は穏やかだった。
大きなバズはないが、投稿数が減ることもなく、むしろちょっとずつ増えてる感もある。
長く投稿してくれてる人、新たに書き込んでくれる人などなど大変ありがたい。
今年の2月にはfaviconを作ってくれた人もいた。ちょうど見かけたのでサイトに設定した。嬉しい。
自分ごとでいうと、去年の6月に適応障害になってしまい半年ほど倒れていた。
ある日の午後、15分ほどの軽いオンラインミーティング後に「さて、作業するかー!…あれ何するんだっけ……」と頭が真っ白になった。
とりあえずその日は午後休をもらい休んだが、翌日になっても翌々日になっても思考がボヤボヤしたままだった。
「これはヤバいやつな気がする…」と思い心療内科に行ったところ診断が出て休職になった。
休み中はとにかく眠くて、日中も5時間以上昼寝して、夜も8時間以上寝るでとにかく寝ていた。
短期記憶が死んでいて、麦茶を沸かそうとしても湯を沸かしっぱなしにしたり、火は止めたけどティーバッグを入れ忘れたり、ティーバッグを入れたまま翌日まで放置したりと散々だった。
本や漫画を読もうにも前のページのことを忘れるし、プログラミングしようにも1行書くと次の行に何書こうか忘れる状態。
それまでの趣味も全然できず、麦茶を忘れないようにしたり、料理で食材や調味料を入れ忘れないので精一杯だった。
4ヶ月くらいして徐々に眠気も緩和し、思考・記憶も回復してきた。
少しやる気も出てきたので、リハビリを兼ねて前々から読みたいと思っていたビジネス書を読もうとしたり、忙しくてなかなか時間が取れてなかった資格勉強を再開しようとしてみた。
元々時間が出来たら読みたい本リストややりたいことリストを作っていたのだか、どれもいまいちピンとこなかった。
そんな中ある日、本屋に行ったときに手にとったのが「ゼロからのOS自作入門」だった。
時間がかかり、それでいて仕事への費用対効果はほぼ無い。あくまで自分のコンプレックスから興味があると思っているだけ。それだったら仕事に効きそうなことを優先しようと封印していた。
ポインタに触れるのが久しぶりすぎて15年以上ぶりにC言語ポインタ完全制覇を引っ張り出してきて復習したり、図書館でオペレーティングシステムの本を借りてきて読んだり、学生時代に戻ったみたいだった。(たぶん学生時代はこんなにポインタとかOSの本を読んでなかったと思う)
理解は追いつかなかったが、UEFIとEDK IIの存在を知ったこと、CPUにリングプロテクションや専用レジスタがあることを初めて知ったりなどなど、どんどん新しいことを知れてとても楽しかった。
仕事への効果はいまのところ感じられないし、おそらく今後も効果を発揮する場面はなさそうだ。
倒れている間はなかなかしんどかったけど、仕事やキャリアの面から「やりたいと思い込んでいたこと」と、仕事に全然効かないけど「人生の満足度が上がるやりたいこと」がクリアになったのはいい機会だった。
いまは休みの日に合間を見て「コンピュータシステムの理論と実装」をやってる。これも楽しい。ゆるゆる進めていきたいと思う。
サイトの方も引き続きゆるゆる続けていきたいと思う。
COVID-19流行下の日々を集団で記録する日誌 https://enigmatic-brushlands-82725.herokuapp.com/