はてなキーワード: 20年代とは
一時は200万の借金に加えほとんど引きこもりに近い生活を送るほど荒れていたが、
少しずつ生活を立て直し。実家を飛び出しても2ヶ月くらいは生活できるほどの貯金もできた。
心機一転満を辞しての転職活動。今さら焦っても仕方ないしオリンピックの余韻が続く来年3月ごろまでに決められれば御の字だろうと悠長に構えていた矢先のコロナ禍。資格試験をキャンセルしポートフォリオ制作も投げ出し、ひたすら求人検索エンジンやコーポレートサイトのリクルートページをチェックし片っ端から応募。エージェントにも6社ほど登録した。
現在の仕事は夜勤も多く、仕事が終わってからエージェントのヒアリングや面接のために6時間待機し、その後反省点をまとめる作業に1時間かかり、2時間の仮眠のあとシャワーと食事を済ませてまた出社…というような日が4日続いたり、1日置きに1週間という感じでこの3ヶ月を過ごした。
丸一日休みをとれても、不安でうまく眠れないしやらなければいけないことがいくらでもある状況下なので寝てはいけない。
そんなことは何の言い訳にもならないが、転職活動を始めてから現職の方でミスが増えてしまい、上司にも目をつけられるようになってしまった。
正直いうとここ最近半狂乱に近い状態で、病院の予約時間を1時間早く間違えたくらいで「自分はこの程度のスケジュール管理もまともにできないのか」と帰りの車中で泣き喚き散らしてしまうくらいで、何にしても冷静な判断がくだせるという自信が持てない。
内定までの経緯が少し変わっていて、内定をもらった会社をA社とするとそこと全く別のB社にもともと俺は応募していた。すると採用担当とは別のB社社員から個別に電話がかかってきてA社を紹介された。A社社長と数回電話面談を行ったあと直接会って内定が決まった。
サイトを見る限り俺にとってA社は魅力的ではある。学生時代から未練があった業種に携わっていて、そこに未経験から挑戦するとすれば今が俺にとってラストチャンスかもしれない。しかし選考時の豪快さが妙に気になって仕方がない。
そしてここにきて俺はフロントエンドやWebデザインのポートフォリオ作りに熱をあげている。
もともとHTMLやCSSやらはテキストサイト全盛期だった小4の頃から見様見真似で暇つぶしに書いていた。書いていたといってもレンタルサーバに手打ちしたファイルをあげたり、WordPressに自作のテーマを仕込んだりはてなブログのカスタマイズ機能にCSSやJavaScriptをちゃちゃっと加えてたぐらい、だが、そらである程度書けるぐらいの知識はあった。
イラレやフォトショも大学の課題制作で嫌になるくらい使った。というか卒業してからもフライヤー制作とかで使った。
これくらいのことなんて常識の範疇で、AT限定免許所有者くらい取るに足らないレベルなのはわかっている。しかし病んで人と会話できなくなったりパソコンがお釈迦になって何もできなくなったりとそんな風に何かが起こっても常に俺が関心を寄せていたのサイトやWebデザインだった。
もともと転職活動で当初志望していたのもデザイナーやフロントエンドだった。借金を完済したのを契機に念願のラップトップを買ったので今年の2月から意気揚々とポートフォリオ制作を始めていた。この時はまだかっこよくてかつしっかりしたサイトが作れさえすれば、どこか拾ってくれるんじゃないかと思っていた。いや、就職できるかどうかは二の次で、かっこいいサイトを作りたい、サイトをもっとちゃんと運用できるようになりたい、もっとフロントエンドの知識を深めたいというのが一番の動機だった。
コロナ禍で転職活動を方向転換してからは求人があるうちに動かなくてはという思いで、ひたすらお気持ちポエムみたいなPR文を募集先に送りつけた。手元に何もない俺にはそれしか出来ることがなくていつも情けない気持ちだった。そんな嫌な毎日の中でポートフォリオ作りに関することが俺の逃げ場になっていった。借りてるさくらサーバー、VirtualBox上のFreeBSD、CentOSを仕込んだラズパイ、稚拙な知識を黙示録として書き記した雑魚虫なQiita…こんなとこに俺の未来なんてあるはずもないのに、もはや使い捨ての傭兵のようにこきつわれるだけで死んでく分際なのがほとんど決まってる癖に。
コロナ禍はリーマンショックとも震災とも違った。業界業種で影響の度合いに差がありすぎるし、情勢の変わり方も激しい。いきなり悪くなったり劇的に改善したりする。じわじわと影響が露出してきて経済が回復するのも長期的だった従来の経済的混乱とは違い、病床数やワクチン開発などの医療の状況、緊急事態宣言等の社会情勢で一変する。その時が来れば一気にコロナ禍による経済不安はなくなる。現に緊急事態宣言のあの騒ぎは劇的に落ち着いてしまった。
そんな中でこれは未曾有の危機!20年代は暗黒の時代だ!とヒステリックになり、よくわからない企業に飛び込んでしまうのはかなりのギャンブルなのではないかと感じ始めている。その反面これが自分の宿命なのだと得体の知れない企業で怨念にずぶずぶ浸かりながら野垂れ死ぬことを受け入れなければならないんじゃないかとも思う。
考えがまとまらずとっ散らかった文章になってしまったが、俺は何がしたいんだろうか?何が一番ベターな選択になるのだろうか。
フロントエンドの知識なんて俺にはたいしてない。30年近く生きているにも関わらず。でもだからこそもっと知りたいし、知らないことが悔しいし、しょうもない雑念に囚われて何のスキルになるのかもわからない仕事で時間を消耗することを受け入れられない。どう気持ちに折り合いをつければいいのかわからない。
大失敗に終わった東京五輪から10年、日本の人口が3ヶ月の間に1割近く減った。
東京五輪の際、国内外のフェミニストたちによる精力的な活動により日本のオタク文化が世界的に批判された。初めはゾーニングの問題から始まったという。世界中から、そして国内から批判を浴びた業界人たち(すなわちアニメ、ゲーム、漫画、ラノベ、特撮、アイドル、声優等)はまず自分たちの正当性を主張した。ポルノではなく文化であり、芸術の一形式であると。しかし反論すればするほど批判の声は高まり、圧力に負ける形でゾーニングせざるを得なくなった。オタク文化は18歳以上のものとされたのである。
ゾーニングによってオタク文化は守られ、それ以上存続に関わるような決定的な批判を浴びることは避けられた、業界人たちはそう思った。しかし事件が起きた。20年代に頻発した女児殺害事件である。最初の事件はセンセーショナルに報道された。犯人がオタクだったからだ。犯人の家にはアニメキャラクターのポスターやタペストリーが飾ってあり、性器剥き出しのアダルトフィギュアが部屋中に溢れていた。フェミニストがこの事件に食いつかないわけがなかった。事件とともにオタク批判が盛り上がった。さらにオタクにとって不運だったのは似たような女児殺害事件が再び起こったということである。フェミニストはオタクという存在の危険性を主張しはじめた。この二番目の事件において犯人はオタクではなかったが、フェミニストたちの激しい主張により、いつの間にか世間の認識は「犯人はオタクである」となっていた。
悪意というものは一番弱いところに向かうものだ。東京五輪の失敗を受け、多大な負債を抱えた人たちが次々に女児を殺害していった。20年代の女児殺害事件は常軌を逸していたと言っていい。今一度確認しておくが、20年代の一連の女児殺害事件において犯人がオタクだったのは最初の事件だけである。しかし20年代の痛ましい事件はすべてオタクの責任ということになった。話がやや複雑になるが、中には「俺はオタクだ」と名乗った犯人もいたが、実際に捜査してみるとオタクではないというケースもあったようだ。精力的に活動する反オタク主義のフェミニストたち、彼ら彼女らに賛同する一般市民、自暴自棄になって事件を起こす犯人たち、国内のマスコミ、そのすべてが全責任をオタクに負わせようとした。
そしてオタク絶滅法(「オタクと判明した場合、即座に死刑に処する(その場での殺害も可)」)の登場である。世界的に死刑が廃止されていく中で信じがたいことだが、2030年代の日本は完全に狂っていた。東京五輪の失敗というトラウマからいまだ回復していなかった。日本全体が生贄を求めていた。何かに責任を負わせてすべてを清算したかった。ゾーニングによって世間の表舞台から消えていたオタク文化が再び掘り起こされていった。すべての業界関係者、業界を支えるファンたちが問答無用で連行され即日処刑、あるいは抵抗する場合はその場で殺されていった。多くの血が流れ、あっという間に日本からはオタクと名乗る者が消えた。フェミニストたちは最大の功労者として権力を握った。これで日本は復活できる……人々の熱狂は大変なものだったそうだ。
しかしこのゆがんだ悪法が人々を本当の意味で幸せにするわけがない。日本人が反オタク主義に慣れきったころ、一つの事件が起きた。ある会社で働く女性社員が上司に叱責された。同僚のインタビュー記事などによれば、叱責はどの会社でも日常的にあるような軽いものだったという。しかしその女性社員は叱責されることに慣れておらず、ものすごいショックを受けたらしい。鬱病になって会社をやめることになった。歴史的に大きな事件が起きるときには様々な要素が偶然絡み合うものだが、この場合もまさにそうだった。女性社員はフェミニストだったのである。
彼女はもちろんフェミニストの栄光を知っていた。誰もが絶望しきっていた東京五輪の失敗からフェミニスト主導のオタク絶滅政策によって日本が復活するという栄光の歴史を。無職になっていた彼女はある日会社を訪れ、自分を叱責した元上司に向かってこう言い放った。「この人、オタクです」
周囲にいた人たちは青ざめた。それが意味することを理解していたからだ。しかしまだ事の重大さを真に理解していたわけではなかった。彼はオタクではないのだから、そんな言いがかりだけでどうすることもできないだろう……。監視装置が「オタク」という言葉を感知すると自動的に通報され、すぐさま警察がやってきた。取り調べが行われ、元上司のスマホが調べられ、自宅に向かった捜査員はあらゆる端末のデータを調べた。数時間しても彼がオタクであるという明確な証拠が見つからなかった。警察はフェミニストの女にこの男が本当にオタクであるのかと確認する。そこで女はただこう言ったそうだ。
「私はフェミニストです」
その場で元上司は「オタクである」という理由で射殺された。フェミニストの女は死んだ元上司の顔に唾を吐きかけると帰っていった。
この一件はマスコミによってオタク絶滅政策の一環であると報道された。しかし職場の同僚たちは反論し、事件の真相はネット上で速やかに広がっていった。「オタクという明確な証拠がないにもかかわらず、フェミニストにオタク認定されただけで殺された」 フェミニストは理論上誰でも好き勝手に殺せる……
反オタク主義に固まっていた日本が少しずつ揺らぎ始める。それは反フェミニストという形で現れた反動である。フェミニストの大物が暗殺されると、オタクを名乗る集団による犯行声明が動画サイトに投稿された。地下に潜っていたオタクたちが立ち上がったのだ。オタク絶滅法の施行された30年代は高度な監視社会だった。だが監視社会はテロを防ぐことができず、フェミニストは次々に殺されていった。
やがて人々は東京五輪の失敗はオタクだけのせいではなかったと気付き始める。たしかに東京五輪を契機に世界的なオタク批判が巻き起こった。しかしオタク絶滅法は人道に反すると諸外国から批判を受けたことも事実であった。それでも当時の日本にはもう一度立ち上がるための生贄が必要だった……
私は日本州に生まれたことを嘆いてはいない。この島には悲しい歴史がある。私たちはそういった負の側面を背負っていかなければならない。オタク絶滅法以降、日本の少子化、人口減少はさらに進み、今や人口は3000万人程度だ。最近、愛国者たちによる独立運動が盛んで、毎日どこかで集会が行われているが、私たちはかつての日本国を美化するようなことがあってはいけないと思う。
生まれ | 大雑把な世代 | 世代の近い総理大臣 | 1945年 (終戦) | 1954年 (高度成長開始) | 1973年 (安定成長開始) | 1986年 (バブル開始) | 1991年 (バブル崩壊) | 2018年 (現在) |
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1925年 | 戦中派(20年代生まれ) 徴兵経験あり | 竹下登(1924) 宇野宗佑(1922) 村山富市(1924) | 20歳 | 29歳 | 48歳 | 61歳 | 66歳 | 93歳 |
1935年 | 昭和一桁世代(1927-1934年生まれ) 焼け跡世代(1935-45年生まれ) 徴兵経験なし | 海部俊樹(1931) 細川護熙(1938) 羽田孜(1935) 橋本龍太郎(1937) 小渕恵三(1937) 森喜朗(1937) 福田康夫(1936) | 10歳 | 19歳 | 38歳 | 51歳 | 56歳 | 83歳 |
1945年 | 全共闘世代(40年代生まれ) 団塊世代(40年代後半生まれ) | 小泉純一郎(1942) 麻生太郎(1940) 鳩山由紀夫(1947) 菅直人(1946) (小沢一郎・1942) (谷垣禎一・1945) | 9歳 | 28歳 | 41歳 | 46歳 | 73歳 | |
1955年 | しらけ世代(50年代生まれ) ポスト団塊(50年代前半生まれ) | 安倍晋三(1954) 野田佳彦(1957) (小池百合子・1952) (岡田克也・1953) (石破茂・1957) (岸田文雄・1957) | 18歳 | 31歳 | 36歳 | 63歳 | ||
1965年 | バブル世代(60年代後半生まれ) 新人類(60年代生まれ) オタク第一世代(60年代生まれ) | (前原誠司・1962) (河野太郎・1963) (枝野幸男・1964) (蓮舫・1967) | 8歳 | 21歳 | 26歳 | 53歳 | ||
1975年 | 氷河期世代(1970-83年生まれ) 団塊ジュニア(70年代前半生まれ) | 11歳 | 16歳 | 43歳 | ||||
1985年 | 氷河期世代とゆとり世代のちょうど隙間 | (小泉進次郎・1981) | 1歳 | 6歳 | 33歳 | |||
1995年 | ゆとり世代(1987-2003年生まれ) さとり世代(90年代生まれ) デジタルネイティブ | 23歳 |
下半分が寂しかったので民進党代表や次期首相候補と言われるような人も括弧書きで追加。
就職氷河期に関する補足→https://anond.hatelabo.jp/20180417161628
1985年をゆとり世代としていたのを修正→https://anond.hatelabo.jp/20180417163706
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
各論点はバズワード満載で耳触りが良いので、TLでは、概ね「今の論点がまとまっている!」や「日本ヤバい!」、「熱い!」みたいに、資料に肯定的な論調が目立つ。しかし、違和感を持つ人も少なくない。違和感の正体はなんなのか。
まず、経済産業省の資料として、一番不安を煽るのは、経済成長について正面から議論していない点。1人あたりの実質GDP成長の効用が逓減したとしても、デフレ環境下での生活満足度が信用できるのか、幸福度が指標としてワークするのか非常に疑問。ましてや経産省が経済成長から逃げてどうする。今では有名な話だが、人口減の先進国も普通に経済成長しており、日本だけが馬鹿真面目にデフレを継続させていて、立ちすくんでいた。
また、経済成長なしでの、資源の再分配は必ず社会的分断に繋がる。この資料では、1.若者への再配分が上手くいってない、2.女性への再配分が上手くいってない、3.高齢者へのパターナリズム的福祉抑制で予算捻出だと思うが、パレート最適はありえない。人口動態から、激しい政治的対立が予想される。高齢者にも現役世代の「産めよ殖やせよ」を忖度させるとする。それを全体主義と言う。
2.国家観の古さ
今更、「誰もが不安を不満を抱えている」(そうじゃないのは、不安や不満を表現できない共産圏くらいでは?)、「人生には目指すべきモデルがあった」(良い大学を出て、官僚になるとか?あと、共産圏)、「人類がこれまで経験したことのない変化に直面」(ここ100年くらいでも、明治20年代の日清戦争前、昭和20年代の敗戦期の方が大きくないか?)など、いろいろ古い。これでは、数十年前からバズワード(今だとAIやIoT、VR)だけ変えて立ち上がる、情報社会論やポストモダン社会学である。
行政が生活をどう定義しようが、定義した頃には既に生活が変わってしまっている。市井の生活はそもそもダイナミックなのに、今更エリートがそれを「発見」する。80年代、主にアメリカが考えていた、日本の高度経済成長が通産省によるものという神話に取り憑かれてるのではないか(79年ヴォーゲル、82年ジョンソン)。経産省がライフスタイルや個人の幸福に口出しは余計なお世話で、そんな不透明な指標で制度設計されてはたまらない。時代遅れの国家観、国民観は語らず、経済問題に特化すべき。「子不語怪力乱神」というわけだ。
3.具体的な政策
「バズったから議論の土台を作った」とか考えてたら最悪で、単に大衆がバズワードを使ってポジショントークしてるだけ。要は単なるポピュリズムで、当の女性やマイノリティは困惑している。何故ならば、「弱者」として「発見」されて、マウンティングに利用されている気分だから。では、何をすべきか。
そもそも、民主的なプロセスや市場の原理で実行されないことを目指すべき。官僚はそもそも民主的なプロセスで選出されていない。専門的な課題を解決するなは、必ずしも民主的なプロセスは向かないから(e.g.BrexitやTrump)。レポートで指摘するような、世代間の再分配は、確かに国家的な課題なので、1.経済成長を進め、2.馬鹿馬鹿しいポストモダンを捨てて、3.真面目に取り組むべき。
2017年現在、完全雇用を実現しているリフレ政策は、たまたま安倍晋三が、第一次安倍内閣後にマクロ経済を勉強したから実行された政策。全く民主的なプロセスとは関係ない(その継続は高い支持率に支えられて民主的)。短期的には、資産を持つ高齢者に課税して、若者含む雇用を生み出す政策(フィリップス曲線)だか、もちろん、消えてなくなるのも偶然。日本でもマクロンのような、見た目の良い構造改革派によって、民主的なプロセスに則り、消え去る可能性大。
また、日本やドイツのようなメインバンク制の強い国では、ゾンビような大企業でも存続し、新興企業に資金が還流しない。欧米に比べて資金供給が少ないのではなく、中韓などのアジア諸国と比べても後塵を拝しているのは国辱と言ってもいいだろう。もちろん、民主的なプロセスでは、既存の大企業が力を持ちがちだし、新興企業はそもそも争点にならない。これが原因で、生産性の低い、古風な企業に人材が滞留する。自然とto doではなくto beで働くようになり、モチベーションが落ちるわ、自殺するまで会社を辞められない。
シリコンバレーの金融環境も一朝一夕でできたものではなく、徐々に成功企業によるMAが増えて拡大したもの(9割以上はMAによるexit)。中国もBaidu,Alibaba,Tencentの活動に寄るところが大きい。日本でも企業の内部留保もデフレ環境下で拡大したので、資金がないわけではない。MAを行いやすくする環境を、政策により整備すべきである。これにより、流動的なキャリア形成(液状化した笑)の受け皿が整備される。若者や女性と雇用の問題も本質はここ。
2017年の完全失業率は2.8%で、ほぼ完全雇用状態にある。しかし、これはよく言われるが、労働市場が流動的な国では、自然失業率高く出る。国ごとの単純比較で失業の質は分からない。上記の流動的なキャリア形成を実現した場合、当然転職が増えることになるので、失業率は上がる。政治的な争点としては、もちろん批判の対象になるだろうが、雇用の質を改善するには必要な政策。また、現在のハローワークは若干懲罰的で、失業期間を支えるセーフティネット整備も合わせて必要だろう。
ただ、政治的な配慮の上、論点を探られたくなくて、わざと混乱した資料を公開したのであれば相当の策士だと思う笑
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終末回避のために暗躍する秘密の組織とか学校生活の裏で戦う高校生がウケた時代。
日常は変わらず続いていく。むしろ何気ない学校生活の中で特別感を味わいたい。
そうだ異世界に行こう!
変わらない日常にうんざり。転生して自分の心地いい居場所見つけたい。
この余波で正統ファンタジーモノ、戦記モノがちらほら蘇る。
異世界とか飽きた。現実世界は経済とか戦争とか大変になってる。
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異世界転生の代表格はわかんないけど、いわゆるなろうブームがそれに当たるのかな。