はてなキーワード: 連れ合いとは
ワイズ先生(@YS_GPCR)が、性交同意年齢の16歳以上引き上げについて合理的な根拠がないと主張されている。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1770800526998819269
こういうふうに、説明つかないでしょ?
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771143471996551171
??
「14歳は性教育が足りないため、成人は14歳と性交すべきではない、という理屈は、年齢差5歳以下なら犯罪とならないことと辻褄が合わない」
に対して
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771402538862150118
「権力勾配」って、学校の先生と生徒とか上司とかの関係を言っていると思うんですけど、権力を利用して手籠めにしたのか、同意のある関係なのかは、個別に判断すればいいわけで、一律で禁止する合理性がない
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771404710995779643
これは「砂山の詭弁」の変形ですね。今回の性交同意年齢の議論は、グラデーションがありボーダーラインを便宜的に決めるしか無いものの一種です。だから、14歳を主張する人に「13や15はいけないのか?」と詰問することはできる。
個人的には性交同意年齢引き上げには合理性があると思うが、改めてその理由を問われると即答できない。そこで、政府答弁による公式の制度趣旨を調べたので、メモとして共有しておこう。
強制わいせつ罪、強制性交等罪は、性的自由、性的自己決定権を保護法益としております。性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力がそもそもない場合には、暴行等の意思決定に影響を及ぼすような状況がなかったとしても保護法益が侵害されると考えられるところ、その能力がないと言える年齢として、現在は十三歳未満、すなわちおおむね小学生の年齢層の者は行為の性的意味を認識する能力が一律に欠けるということから、現行法では十三歳未満がいわゆる性交同意年齢とされていると考えられます。
もっとも、性的行為に関して有効に自由な意思決定をするための能力の中身といたしましては、行為の性的意味を認識する能力だけではなく、行為の相手方との関係において、行為が自分に及ぼす影響について自律的に考えて理解したり、その結果に基づいて相手方に対処する能力が必要であると考えられます。
そして、十三歳以上十六歳未満の者はおおむね中学生の年齢層でありまして、性的な意味を理解する能力が一律に欠けているというわけではないことから、一律に相手方や状況を問わず性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力に欠けるとまでは言えない一方で、先ほど申し上げた後者の能力は十分に備わっておらず、対等な関係の下でなければ性的行為について有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると考えられるところでございます。
そして、相手方が年長である場合には、一般に、その年齢差が大きくなるほど、両者の間の社会経験や知識の差異などによりまして、その年齢差自体から対等な関係にあるとは言えなくなると考えられるところ、この性交同意年齢の問題は、性的行為をしたこと自体で直ちに性犯罪が成立するとするものとする規定でありますことから、刑罰の謙抑性の観点から、双方の年齢が要件を満たすだけで例外なくおよそ対等な関係はあり得ず、有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると言えるものであるものとすることが必要であると考えられます。
本法律案におきましては、そのような観点から、心理学的、精神医学的見地も踏まえまして、いわゆる性交同意年齢を十六歳未満とした上で、十三歳以上十六歳未満の者に対する性的行為について処罰対象となる得る者を、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者としているところでございます。
アウトラインで要約すると、以下となる(なお、「意味認識能力」などは便宜的な表現で専門用語ではないことに留意。3/25一部修正)。
以上のように考えるとワイズ先生の議論に対する違和感は、被影響認識能力と関係対処能力が当事者の年齢差に大きく左右されることを無視している点に根差すことに気付く。直観的に考えても、14歳と15歳のカップルと、14歳と25歳のカップルの違いは何かといえば、年長者と年少者間の年齢による社会経験の差と、その差が年少者側に与える影響の度合いである。
もっとも、改正後刑法の年齢区分が関係対処能力などの獲得と本当に対応していると証明できるかと問われれば、なお議論の余地はある。しかし、その点は単なる科学的な問題にととまらず価値判断の問題でもあり、国会で多数決で決めるという民主主義によって決する他あるまい。
結論を書き忘れていた。
以上より、性交同意年齢を引き上げて性交を一律で禁止することに、少なくとも法が備えるべき合理性はあると自分は考える。もちろん、年齢区分の妥当性について、生物学のように厳密に実証することはできず、この点につき異論はありうるだろう。しかし、理論的、経験的根拠を有する制度趣旨が政府から提示され、国会で一定の議論が交わされた上で多数決で刑法改正をした以上、性交同意年齢引き上げは法としては十分な合理性を持つ。
ワイズ先生は年齢区分の客観的な妥当性について議論を続けそうな雰囲気だが、もともと法律というのは完全に客観的というわけではい。法は価値判断を包含するものであり、最終的には選挙で選ばれた国会議員が多数決するという民主主義によって制定する他ない。逆に、価値判断をほとんど含まない問題については民主主義は不要である。例えば、ある物理現象のメカニズムは何かは、選挙で選ばれたわけでもない物理学者達が数理モデル化と実験を行い、その論文化と討議を通じて合意を形成して決まる。ここには価値判断の対立がなく、ほぼ客観的に議論が決する。法律はそうではないので、多少の客観性の欠如は国会議員の多数決で補う他ない。
少なくとも、以下の「年長女性の嫉妬」という下世話な動機で法改正されたわけではないのは確かだ。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771403509134758353
これはもともとの論点の「性交同意年齢を引き上げようとするのは結局年長女性の嫉妬」という根拠の一つだけど、権力勾配のある性的関係を一律で禁止しようとするのは、望んで高権力の相手を好きになる人の自由を踏みにじってるわけです。それを「グルーミングされただけ」などで押し切る強引さがおかしい
ttps://marshmallow-qa.com/messages/0ba4dc8f-aeef-493f-b199-88ebcde853fd?utm_medium=twitter&utm_source=answer
「不同意的、強制的な関係を防ぐために、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例が一部あったとしても潰す」とほぼ同旨の政府側答弁が、既になされている。
(中略)
例えばなんですけれども、十五歳で高校に入学しました、それで、シングルの成人の教員と相思相愛、愛し合うんですね、気持ちで愛し合いました、そして、結果、性行為を交わしたとします。それで、高校卒業と同時に婚姻関係となるケースも考えられます。私が高校時代なんかは、同級生が高校卒業したら結婚しちゃったというのは割とあったんですね。
このケースなんですけれども、円満に、穏やかに結婚生活、夫婦生活を行っていたとしても、今現在行っている、営んでいるそういう御家庭があったとしても、当時、お連れ合いのどちらかが、男女限りません、どちらかが十五歳当時でした、そのとき性行為を交わしていましたということが判明すると、その片方のパートナーは、六月以上十年以下の、有罪、拘禁刑の罰則対象となりますね。
(中略)
十五歳の高校生と二十三歳以上の大卒の先生という前提で申しますと、その年齢差は五年以上年長という要件に該当いたしますので、結婚したとしても、それからその結婚生活が円満だったとしても、その行った当時の年齢差ということで判断すべきことでございますので、改正後の刑法第百七十六条第三項又は百七十七条第三項の罪が成立し得るということになります。
例えば無許可の拳銃所持の内、美術的な鑑賞目的の事例が極少数存在するが、その他のほとんどの事例はそうではなく何らかの犯罪行為の準備が疑われるので一律に所持そのものを処罰する、というロジックは十分に合理的である。同様に、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例は極少数存在するが、他のほとんどの例はそうではないので一律に処罰する、というロジックは理に適っているように見える。
なぜワイズ先生批判派は上記のロジックを援用しないのだろうか。また、ワイズ先生はこのロジックならば異論はないのか。何が論争の争点だったのか、よく分からなくなってしまった。
夫と個人経営ぽい居酒屋に行ったときに料理が美味しくお酒が回って機嫌がよくなってくると、店主さんとか若いバイトさんに飲み物を勧め始める。
マジでダサくて同行者として恥ずかしいのに、それを1杯だけじゃなく2杯とか場合によっちゃ3杯とかやる。
その行為で夫自身もダサいしそんなダサい奴が夫の自分もダサく思えてきてホント嫌。
最初のころに止めてほしいと頼んだのが「こちらの気持ちを表しているだけだ」とかなんとか言って不機嫌になるんだよ。
あのなあ、酔って機嫌の良くなってる客の不興を買いたくないから店員は飲みたくなくても断れないし、
ソフトドリンクにしたって水分を取りたいタイミングなんて人それぞれだし、
奢りを押し付けられた店員側は、通常業務以上の謝辞や愛想の提供を要求されるわけだからいい事なんて何もねーんだよ。
学生バイトはとりあえずウーロン茶持参してお礼言って一瞬口付ければそれでいいだろうけど、
成人してる店主さんの場合客のゴキゲンな空気に合わせるためアルコールを選択する空気感になるし、刃物や火を飲酒状態で触らせることに罪悪感とか感じないわけ?
あとこの間一人で良くいくバーに行ったらカウンターの隣の席が高齢男性だったのよ。
そのお爺さん、後から入ってきたテーブル席の若い女性に飲み物出してやってくれってマスターに言って、
30分くらいしてからそのお爺さん、カウンター席から振り返って「もっと飲まないのか?マスター2杯目を聞いてやってくれ」みたいなこと言い出して気持ち悪い男感が爆発してた。
「うわあ…今日は日が悪かったかな」と思ってたらマスターが「もういい、ほっといてあげて、余計なことするな」とピシャリと言って、オジイが「え…?なんで?」みたいなこと言ってたけど最終的に大人しくなってた。
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。
ネットでは散々見たけれど、配偶者や同棲相手を「同居人」呼びする人って現実にもいるんだね…!
ネットで見ても十分に気持ち悪いけれど、リアルだとより一層気持ち悪いな!
で、とあるレズビアンの人が言ってたけれど、こういうふうに交際相手の存在は明示しつつ敢えて性別をぼかした呼び方する女性って、ほぼ100%ヘテロ女性なんだよね
レズビアンだったら存在そのものを伏せるか、カミングアウトを籠めて彼女って言う
つまりごくありきたりなヘテロ女性でしかないのにそこらの女とは違う特別な私仕草をしている辺りが心底気持ち悪いと思った
パートナーのいない非モテ女性と一緒にされるのは嫌だけどありきたりのヘテロ女性に括られるのは嫌だというめんどくささ
性別をぼかすにしても「恋人」「連れ合い」辺りの、昔からある自然な言葉じゃ駄目なんだろうか?つくづく気持ち悪いんだよな「同居人」呼び…。(「連れ合い」は年配男女が使っているのをよく見るけれどニュートラルでいい言葉だと思う)
2023.1.25
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/fujita_taniguchi/22307
本の冒頭に、日本では人権が「思いやり」と同一視されている、という指摘が出てきます。
まさにその通りだと思うのですが、日本には人権を誤解しているどころか、積極的に否定してくる人さえいます。
先日、ホテルのレストランで、昼食を食べながら出版社の編集者と打ち合わせをしていたんですよ。
今、私が作っている人権の本の構成について話していたら、隣に座っていた60代くらいのご夫婦の男性が突然怒鳴ってきたんです。
って。
びっくりしたら、お連れ合いのほうも、
「ごめんなさいね。でも美味しく食事をいただいているときに、そんな話を聞きたくないんです」
って。
藤田 ええー。
「私たち、仕事の話をしているんですよ」と、冷静に対応しましたが埒があかないので、お店の方にお願いして個室に移りました。
はあ? という感じですが、これが日本の一般的な現在地なのかなとも思ったんです。
藤田 あり得へんと思うな。
12/31から1泊2日、車で3時間ほどの温泉街へ。旅館に泊まりたかったけど予約取れずビジネスホテル泊(ドーミーイン)。
連れ合いと泊まりがけで旅行するのは、コロナ禍の自粛もあってほぼ初めて。
昼ごはんは土地の名物を食べたい。温泉街といっても地方なので、大晦日でも確実に開いてそうな店を調べた結果、やけに広くて空いているドライブインに入店。
16時に温泉に出かける。外湯。
夕食は、年末で休業している店が多く、半ばヤケになって近くにあるアメリカンダイナーに駆け込む。
赤と白の内装。入店後しばらく他の客はいなかった。ビールとハンバーガーが美味しかった。
帰りにコンビニで買い物。
連れ合いはポテチとハリボーのグミベアを買っていた。「グミベアよく買うの?」と聞くと「一年に一回くらい。」とのこと。
部屋に戻ると紅白が始まる頃だったが、少し見て後はBS1でグレートレースを観ていた。前編、後編計4時間。前代未聞のハイペース、土井陵。4連覇のレジェンド、望月将悟。荒れる天候。見応えあった。グミベアをつまむ。
お子さんのことも、仕事も、連れ合いのことも一手に引き受けて大変な状態かと想像します。
連れ合いの方をメンタルクリニックに連れて行きたい。連れていけば良くなるのではという期待からそう思われるのは納得です。しかしながら、本人に「仕方なく」すらの同意なく診せるのは余計事態を悪化させることも十分あるためになかなかお勧めできないです。
匿名ダイアリー上では、増田が今までどんなやりとりをされてどんな反応を見せたか、連れ合いの方の状態に器質性の影響がありそうか、お住まいの地域にどんな支援資源があるか、お子様の状況など分からないことだらけなので、ぜひ一度お住まいの自治体の保健センターに精神相談窓口があれば相談して欲しいです。
状況の整理と家族ができること、使えそうな地域資源の情報が増田の心身の安寧に少しでも寄与すればと願うばかりです。
メンタルクリニックの家族相談という方法もありますが、家族相談をやっていないところの方が多いのでその点もお気をつけください。(そういう情報も自治体の保健相談で聞けたりします)
また、増田が相談に行って情報を得て良かったという行動を見せることがより安全かつ刺激になり得ます。できれば「"自分が"妻の辛そうな姿を見るのが辛いから、"自分が"何ができるか相談に行ってくる」と宣言してもらえるとさらに良いです。
(お前がこんな状態だから〜というニュアンスを使うのは避けて欲しい!)
最後にですが、家族が大変な状況で一番大切なのは、そのような状況であれども、増田が巻き込まれすぎず程よく健康に過ごすことだと考えます。
https://wezz-y.com/archives/95048
「突然ですが、私はごく最近、病院で発達障害だと診断されました。軽い自閉症スペクトラム障害(ASD)と注意欠陥多動障害(ADHD)だということです。」
……らしいけれど、しかし『軽い』って何だろうなー
ひと昔だったらグレーゾーンと呼ばれた人達の事?ひと昔ならばグレーゾーンだけど健常者とされていた人達が、今なら『軽い』との留保をつけて発達障害と診断されるのか?
しかし文中に連れ合いの文字が何度も登場するのが鬱陶しいし、普通に夫って書けやと思う